■みんなで綴ろうトヨタのモタスポ裏50年史■

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706音速の名無しさん
徳大寺 有恒(1939年11月14日うまれ)は、作家。
自動車業界を中心に評論活動を展開中。元レーシングドライバー。

名前は「出来るだけ偉そうにしよう」と決定したペンネームに過ぎず、
公家・徳大寺家との実際の関係はない。
自動車評論家となる以前には本名の杉江 博愛(すぎえ ひろよし)として活動していた。

杉江の父親は栃木県の農家の出身で、足利市で運送業を営んでいた。
後に東京に移り自動車販売やタクシー会社の経営していた1939年、杉江が誕生した。
第二次世界大戦に伴い一家は茨城県水戸市に疎開、そのまま定住する。
杉江は茨城大学教育学部附属中学校、水戸第一高等学校を経て成城大学経済学部に進学した。
大学卒業後、1960年代初頭の日本のモータースポーツの黎明期に
トヨタ自動車のワークス・チームの専属レーシングドライバーとして契約。
同じトヨタチームの浮谷東次郎や福澤幸雄などとは、古くからの友人だった。
レース界を引退後には自動車用品会社「レーシングメイト」を東京都文京区に設立、
しかしながら1969年、乱脈経営がたたって同社は倒産した。
その後は極貧生活を送り、紆余曲折を経てフリーランスとして文筆業を開始した。
ファッション雑誌「チェックメイト」(講談社)のライターを経て自動車評論家に転身、
1976年「徳大寺有恒」の筆名で自動車批評本『間違いだらけのクルマ選び』(草思社)を出版した。
当時の自動車を批判的に評論した同書は約77万部が販売された一方で、
匿名を用いて仁義を無視するような本を出版したことに対し、
当時の自動車業界からの反発は非常に大きかった。
そして杉江をAJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)から追放しようという声があがった。
この結果、「徳大寺有恒」こと杉江は
「私が正体です、お騒がせしました」という記者会見を開かざるを得ない騒ぎとなった。
30年間続いた徳大寺の代名詞でもある『間違いだらけのクルマ選び』は、2006年1月をもって終刊した。
理由については明らかにはしていない。最近の作者の健康事情から継続を断念したものと推測されるが、
「ベストカー」(三推社)など自動車雑誌や「MEN'S EX」(世界文化社)などの男性ファッション誌、
各種講演などを中心に幅広いジャンルで活躍中である。
707音速の名無しさん:2008/04/24(木) 03:51:41 ID:JC54eOwa0
>>706
親友?の福澤幸雄が実質ヨタに殺され侮辱されたというのに、
御大はヨタマンセーな記事ばっか書いてるよね。
あの神経がわからん。

間違いだらけの車選び、その本自体が間違ってたと思う。
708音速の名無しさん:2008/04/24(木) 05:10:23 ID:/oF/GUhs0
福澤幸雄さんってトヨタ7のテスト中に無くなった方でしたっけ?
709音速の名無しさん:2008/04/24(木) 05:39:19 ID:rIexZ3fA0
>>708
そう。事故はトヨタ7の致命的欠陥によるモノだったが企業秘密を守るために警察の現場検証まで拒否した。
ちなみに福澤幸雄氏は福沢諭吉の孫。