富士スピードウェイ 1960年代
このグランプリでは、前座のレースで早くも死亡事故を出している。
オープニングからたったの2ヶ月での出来事だった。
また、このレースでは集まった1万6千台の車が場内・場外で大混乱となり、
深夜まで場外に出る事すら出来なかったという。
レースが始まっても入場できない車の長蛇の列、怒った観客とのトラブルなど、
JAFの制服を着た場内整理の人間が逃げ出す事態となったようである。
この場内整理に関しては、1980年頃になってもたいして変わらなかったと思う。
興行するだけの富士スピードウェイの姿勢は、警備も頼むだけでホッタラカシだった。
駿○警備なんかドッカイッチマェ〜!ッウの・・・。
だって、この日の為に雇われたようなアルバイトだよ!、それがレース見たさにやってるんだから本当に情けない。
午後3時にはレースが終了しても、場内を出るのは午後7時なんて事はザラだった。
つまり、場内整理は入場時のみの対応だったのである。
ここまでセキュリティーがいい加減だから、
今でもメインゲートに「不法改造車入場お断り」などと看板を置かなきゃぁならなぇんだバカヤロー!
ttp://homepage2.nifty.com/recording/kakono.otonofukei/otonofukei.2003/newpage8d.htm