1994年サンマリノGP決勝の放送中、
突然フジTV三宅アナ、解説者今宮、ピットレポーター川井の生中継に切り替わる。
三宅 えー再びこちらに帰ってまいりました。
三宅 えー・・・ここで皆さんに非常に残念なニュースをお伝えしなくてはなりません。
三宅 えーなんとか最後の力を振り絞って欲しいと思っていた、アイルトンセナですが・・・
三宅 えー・・・先ほど亡くなったというニュースが・・・入ってまいりました・・・・
三宅 えぇ・・・うぅん・・ナ・どういう風に伝えていいかわからないですね・・・。
今宮 そうエスネ・・・。
三宅 ・・・・えー川井さんが、先ほど、こちらのほうに帰ってきてくれました。
三宅 えー情報が入ったと思いますが。
川井 えー6時3分発表なんですけど、マジョル病院のですね、アントニオ、ダルモンテという、
川井 えー先生の発表なんですが、えー6時3分、セナの脳が機能を停止したと・・いう事です・・・。
三宅 ・・・えー・・・先ほどからの情報で、えー・・・頭の、前のあたりに、大きな破損があって・・・
三宅 えーそして、えー・・・脳の後ろも、かなり・・川井さん、大きな、ダメージを受けたと、
川井 そうですね、この首支えてる・・・こ、この辺・・なんていうんですか
三宅 えー丁度脳の神経が、集まっている所だと思うんですが。
川井 ハイ・・・。
三宅 えーそちらにも、大きなダメージを受けたと、いうことで、
川井 ソゥ、ハィ・・・。
三宅 えーしばらくその生命維持装置で、懸命にそのセナの命を吹き返そうと、
三宅 病院の皆さん、ICUで懸命の治療を続けたそうですが・・えー現場の6時3分、
三宅 今から丁度じゅー・・・・えー、ごふんぐらい前だと思いますが、
三宅 えー・・・・残念ながらアイルトンセナが、この世を去ってしまいました。
三宅 ・・えー非常に我々もこういうニュースを伝えるのは辛いんですが、今宮さん。
今宮 ハイ。
三宅 もうセナなくして、今の日本のこのF1・・この人気はなかったんじゃないかという、そんな気もするんですが。
今宮 そうですね、ま、今日が161戦目ッ、ダッタ、ワケデェスガ・・・。
(今宮、涙が止まらず声にならない)
今宮 まぁ87年からデスネ・・・まぁ中嶋君ド一緒に・・・・・・まぁ・・・・・
今宮 我々もモータースポーツッ・・・・ンンまぁこういうことも・・・・・受け入れなければいけない・・・・・
今宮 我々は集中してッ・・・ンレースに臨まなければいけなぃッ・・・そういう気持ちで、あの事故の直後、
今宮 ボクもずっと、喋ってきたんですけども、正直言いまして・・・・ズミマゼン・・・・・・
今宮 ンンあの現場を見た瞬間ッ・・・・わたくしはちょっと・・・
今宮 今日は・・・・・ン喋れる状況には、今までありませんでしたッ。
(3人すすり泣き)
今宮 ただ・・・・こういう、事実はですね・・・・特にモータースポーツに・・・・
今宮 働いてきてる者の・・・一人とすればですね・・・やはり、受け止めなければいけない。
今宮 ・・・そして、シューマァヒャァモ言ってましたけども・・・ェーこういう、
今宮 ま・・・・・事実からですね・・・モータースポーツはデスネ・・・
今宮 続いて、いくんですね・・・ンンですから・・・ま来来週は、モナコグランプリですが・・・
今宮 セナはいませんがッ・・・F1は・・・・続いて、いくわけですッ・・・ハイッ・・・。
三宅 ・・・えーこうしてる・・・うちにも・・次のモナコに向けて、あるいは次のテストに向けて、
三宅 えーすでに各チームは、そのマシンを梱包し、次の戦いのために、また・・旅立とうとしております・・・。
三宅 ・・・えー川井さんもこの情報を受けたときに、えー色んな・・・・ことを思い、
三宅 いろんなことを感じたかと思いますが、えーこんなことをまたマイクを向けて喋っていただくのも、
三宅 ボクも本意ではないんですが・・・川井さん自身は本当にセナとの付き合いは長くて、
三宅 色んな話しをされてきたと思いますが・・・。
川井 ・・・マァあの・・今日もパドックで一言二言・・あの・・まぁ声かけたんですけどね・・・。
川井 ボクはどちらかというと、まぁ彼がね、今まで見せてくれたね、あのー・・・・走り・・・・
川井 ねぇ、我々に見せてくれた素晴らしいものにね、感謝したいなと・・・・ウン・・・・それだけです。
三宅 はい・・・特にあのー昨日の、ラッツェンバーガーの事故の後、セナは、かなり・・ナーバスになってましたよね。
川井 そうですよねぇ・・・・。
川井 まぁ・・・・・・彼の顔色みていて・・・・・まぁ今週末、なんかコックピット・・・潜り込むの・・・
川井 ちょためらったようなね、表情も見せたんですけどねグリッド上でね。
川井 でもね、彼選んで、彼がね、だから・・・選んで、まぁ走った、ワケですけど・・・
川井 まぁ結果的にはこういう結果になってしまったんですけど・・・。
川井 まぁボクはホントにあの、彼が我々に与えてくれたもの・・・・
川井 これに感謝するだけでもうあの・・・・まぁ・・・アイルトンがまぁ・・・・・・まぁ安らかに天にね、
川井 召してくれれば、ボクは・・・それでいいと思います・・けど・・・。
三宅 はい、我々はもう冥福を祈るだけしかありませんが・・・。
三宅 えーちょっとホントに、こちらのほうで取り乱してしまいまして大変申し訳ないとおもっております。
三宅 えーホントにセナが残した、今宮さん功績、今、川井さんからもひとつありました。
三宅 そして先ほど今宮さんも・・おっしゃいましたけれども、あらためてこのー数字だけでないね、
三宅 セナの残したものの大きさというのを、今、彼を失ってみて初めてなにか感じるような気がしますが。
今宮 ンンーまだ、信じられませんケドネ・・・ハァイ・・・・。
今宮 まぁこれから・・・やっぱり、次の、人達がですね、えーシューマッハを代表に、
今宮 いーやはり、いー頑張っていってもらいたいと思いますし、
今宮 それが・・・アイルトンセナに対する、最大の、我々の、できる、ことだと、思います。
三宅 ・・・えー・・・日本のファンの皆さんもこの、TVをご覧になって、セナに対する思いを
三宅 色々思い浮かべてらっしゃるかと思いますが・・・。
三宅 これは事実として我々も受け止めなくてはいけないし、そしてセナに対する思いというのは、
三宅 ブラジルの次に、あるいはブラジルを凌ぐかもしれない、それほど日本のファンはアイルトンセナに対する思いが強かった。
三宅 そのセナの冥福を、是非皆さんも、TVの前で祈っていただきたいと思います。
三宅 アイルトンセナが、この世を、去ってしまいました。
(3人一礼した後、画面は通常放送に戻る)
2箇所ヒヤリングミス・・・
ついでに塩原アナがナレーションしてたセナのプロフィールVTRも
文章化してくれ
死んだ後これが繰り返し流されてたっけ
>>460 どれだろう・・・94年の特番ビデオ色々持ってるけど
久し振りに見返してみるかな。
462 :
音速の名無しさん:04/04/18 10:34 ID:fAet/Vdf
セナのグロ画像ないの〜??
>>461 サンマリノGP決勝中、セナ死去を伝えた3人のやりとりが終わった後に
流れたはず。
あまりにもVTRが出るのが早くて、事故があった時からフジのスタッフ
がこれを編集して待ち構えてたのかと思うと、一層嫌な気分になった記憶
がある。
>>463 いや、ほんと急造のいい加減な、セナの映像も適当なのつなぎ合わせただけなヤツに
塩原ちゃんの声を入れただけ(BGM一切なし)の完成度のすごく低い感じのVTRだったよ
数時間であわてて作った感じがありありだった。見ればわかる。
ビデオあるけど発掘が面倒だから他の人にまかせるw
塩ちゃんのは忘れたけど断片的なフレーズだけ・・
○×△〜セナと言う名の〜○△■
〜音速の貴公子、イモラの空に散る・・」
465 :
音速の名無しさん:04/04/18 11:17 ID:LWNA7ot9
>>460 このときの温泉のナレーションは下手だったなぁ
466 :
音速の名無しさん:04/04/18 11:20 ID:9WkJni9r
>453
(0c_,0。)プッ
>>463 oh,thanks
追悼特番とかのビデオ見始めたら、懐かしくて止まらなくなったので
暇になったらヤテミマス
なんか古館が司会して、森脇さんが検証してる。
重いなー。。。空気が・・・
アイルトンセナ。4歳でカートにのる。走る喜びを知る。
そういや翌月曜夜のプロ野球ニュースのF1コーナーで空飛んで死んだジルの事故映像を
流してたな〜あの時初めて見て衝撃を受けた。他スレで見た同年パレッティのも悲惨だったが・・
大治郎の事故、コースに投げ出された身体を見た時、なぜかセナの事故を思い出した。
頼む動いてくれ!!とも願った。
>>452 IRLでホンダエンジンに乗るブラジル人ドライバーのトニーカナーンもセナへの思い出ととも
にホンダへの思いもこの前語っていたね。
>>464 あれって映像を流してる時に生でナレーションつけてたらしい。
塩原がF1研修のためにフジの本社で待機していたのでそのままナレーションをつけたってF1CLUBにかかれてた記憶がある。
原稿だって急造だろうし、完成度が低いのはしょうがないと思われ。
>>472 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
>>472 ほんと?あの映像何度も流したんだが・・・
1回目を生(放送)で録音しててそれを2回目3回目と使ったって事?
確かに一発録りの雰囲気が強い音声ではあるな
あれを3時間で編集した人や高桐氏は、嫌だったろうな。まだ死んでないのに
明日はすぽるとでセナ特集だね
477 :
音速の名無しさん:04/04/20 01:48 ID:XAyLiFqa
F1 fanPageってサイトで面白いのを発見。
またヒルは、ザ・タイムス紙に、ウィリアムズはコクピット内のスペースを増
やすためにステアリングコラムの厚さを縮小させていたことを明かした。ただ彼
は、このことが直接ヒルの事故死には関係してないだろうとしている。
ヒルの事故死・・・(  ̄_ゝ ̄)
>>478 そういえば、フィルはまだ生きてるんだっけ
>>477 ニフスレ向きのネタだな、こりゃ。
ステアリングロッドが折れた事が、事故の原因ではないと、ウィリアムズ側は主張しているようだが
だったら、あの事故原因は一体なんだったのかと・・・?
91年カナダでマンセルがストップした原因も定かではないし
ウィリアムズというチームはあまり原因追及しないのだろうか?
483 :
音速の名無しさん:04/04/20 13:36 ID:DGP4CN+J
>>480 マンセルが観客に手をあげた時にエンジン切るスイッチを押しちゃったんじゃなかったっけ???
マーシャルがマシンを移動させようとエンジンかけたら、ちゃんとかかったって総集編で言ってるが・・・違うの???
>>483 マーシャルがエンジンをかけるなんてことあるのかな?
移動させる時はレッカー使用じゃないかな。
総集編では、ピットに戻って点火してみたらエンジンがかかり
ギアも入ったと言ってるよ。
それと、マンセルがキルスイッチに触れちゃった説は
当時のヘッドが否定していた。
キルスイッチに触れちゃった説を否定しておきながら
スイッチ類の位置を変更したウィリアムズ・・・
その措置事態は再発防止と考えることも出来るけど
結局あのストップの真相は明らかにされなかったと思ったな。
スレの流れを戻すと、ステアリングロッドの破損が原因でないなら
ウィリアムズでは何が原因だったと考えているんだろう?
486 :
音速の名無しさん:04/04/20 15:52 ID:fvFLrq0L
著名なF1ジャーナリストのフランコ・パナリッティー氏は「複合事故」という本で、
テレメトリーグラフや現場検証の結果、金属疲労によるステアリングコラムの破損と、まだ十分に温まっていなかったグッドイヤータイヤのグリップレベルの低下が
セナのクラッシュを招いたと結論付けている。
また、セナはタンブレロに到達し、ステアリングがダウンした瞬間からクラッシュするまでの1.5秒の間に、反射的に速度を100`も落としていたとか(しかもシフトダウンまでしてた)
すげー(゜Д゜)
487 :
音速の名無しさん:04/04/20 15:58 ID:Ef7oE4SF
セナ特番age
市販のポルシェでも100km/h→0は3秒以下だから
天下無敵のF1なら、あっという間に100km/hぐらい落ちるさ。
シフトダウンって・・・ボタンを押すだけだろ。
489 :
455:04/04/20 16:31 ID:ZkDOA8Ku
三宅 えーそれではここで、アイルトンセナ選手の軌跡をVTRでまとめました。
三宅 そちらをご覧頂きたいと思います。
※画面はセナのVTRに切り替わり、画面下には”アイルトンセナ(ブラジル)事故死”の字幕
アイルトンセナ、1960年3月21日、ブラジルサンパウロに生まれる。
4歳の頃ブリキのカートを与えられ、走る喜びを知る。
ここからセナのレース人生が始まる。
84年、トールマンでF1デビュー。
85年、雨のポルトガルで初優勝。
この年、2勝を上げ、早くもF1ドライバーとしての頭角を現す。
87年、ホンダエンジンが投入されたロータスで、中嶋悟とパートナーを組む。
この年、モナコグランプリでは見事初優勝。
モナコマイスターと呼ばれるようになり、F1界のスターダムに駆け上がった。
88年、マクラーレンとホンダがジョイント。
アランプロストとパートナーを組み、黄金期を迎えることになった。
そして、この年の鈴鹿で、初のワールドタイトルを獲得。
91年、セナがどうしても勝ちたかった、母国ブラジルで念願の初優勝。
サンパウロすべてが、勝利の美酒に酔いしれた。
若き天才は、いつも風となり、コースを疾駆した。
セナという偉大なるドライバー。
94年5月1日、音速の貴公子アイルトンセナ、イモラの空に散る。
by 塩原アナ(棒読み)
三宅 えー、という、彼の長いレース人生を振り返るには、あまりにも短い時間でありましたが、
三宅 急遽作りました、アイルトンセナの軌跡でありました。
(また3人の思い出話が再開される)