赤井邦彦氏を死刑にする会

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870自動車漂論 第218回(←またまたアレ?)
アメリカ・グランプリの佐藤琢磨は、見違える走りを見せてくれた。
ヨーロッパ・グランプリでの果敢過ぎる走りに苦言を呈したばかりだが、それから2レース目の
アメリカでは本当に目の覚めるような走りを見せてくれて、少しばかり留飲が下がった。
そして見事な3位。あっぱれと言いたい。

私がヨーロッパ・グランプリでの琢磨の走りに苦言を呈した理由は、琢磨が一番良く
分かっているのではないか。恐らく彼はその時点では焦っていたのだと思う。
それまでジェンソン・バトンばかりが入賞を重ね、彼はエンジンを壊してリタイアが続いた。
エンジンが壊れるのは彼のせいではないにしても、なぜエンジンが壊れたか正確な情報を
提示してもらえないメディアは、琢磨のリタイアに少なからず憶測を交えて記事を書くしかない。
エンジンが壊れた状況や、壊れた時の白煙の出方などから壊れた個所を推定したり、その
個所が壊れるにはどういう理由だろうかと探ってみたり、メディアはメディアなりの苦労をしているのだ。

しかし、本来はそういったドライバーのミスやクルマのトラブルを探るのがメディアの役割ではないし、
私だって日本人ドライバーが活躍する様子を冷静に伝えたいと思っている。重要なのはこの
"冷静"という点で、それはわれわれメディアにも、そしてドライバーにも要求されることだ。

琢磨がバリチェロと接触して順位を落としたときには、もう少し琢磨には冷静になってほしいと
思った。「行けると思った」という琢磨の言葉にうそはないと思うが、行って当たったのは事実だ。
だから、そこで 「行かなければよかったのに」 と私が思うのは当たり前で、「いや琢磨の
言うとおりだ、行けると思ったら行くべきだ」 と書くのは琢磨に媚びているとしか思えない。
それは、本来のジャーナリズムではない。

そうしたことを考えながら見たアメリカ・グランプリの琢磨の走りは、とてもヨーロッパ・グランプリの時と
同じ琢磨だとは思えない、落ち着いた、うまいドライビングをしていたと思う。だから、今回は
琢磨によくやったと言いたかった。その結果が3位入賞だから、その3位は琢磨にとって
優勝と同じほどの価値がある。 (モータースポーツジャーナリスト)