>>712 そ、そうか? おれはけっこうこれ読んで笑っちゃったぞ。悪い意味ではなくて
「その気持ちわかる」って感じで。
テレビ屋としては(あ、おれ、最近地上波の仕事しとらんけど、テレビ屋出身者
なのね)、小器用に体裁を整えられるやつが出世でき、特定のネタにこだわる
やつはうとんじられるというテレビ業界の姿勢にはけっこう立腹してんのよ。ん
で、テレビ朝日のル・マン中継とかって、小器用なやつがやってるとしか思えな
いの。ほんっとーにレースが好きなら、あるいはもともとレースに興味があって
それを伝えたいと思ってるやつなら、あんな番組にはならんだろう。フジテレビ
のF1中継にも同じようなことが言えるんだけどね。
一般受けを狙いつつ、だけどマニアックなやつにも違和感を抱かせない内容
の演出は、できると思うんだよ。演出やるやつがちゃんとわかってるなら。そう
はなっていないのは、手を抜いているか、わかってないか、どっちかだろうと。
まあ間違いないよ。
んで、林ミノルはメディア屋じゃないから、微妙にまとはずれな部分はある。ま
た、メディアが報じないル・マンにどういう商品価値があるのか、童夢の戦略に
とってのプラスマイナスの計算はしたのか、というあたりに、強い疑問はある。
にしても、立腹したんだろうし、それはよくわかるし、元テレビ屋で昔も今もレー
スファンなおれから見ると、「林ミノルの視点が正しい」っていう気がする。
>>690 林みのる、相変わらず電波ゆんゆんだな。
内容が不満だからって、放送されるのが迷惑とか言うのは、思い上がりもいいところ。
一参加者でしかないのになんでこんな偉そうなんだろ、この人。
だったら、一切マスコミの入らないカテゴリーでも自分で作れって。
>TV朝日様、止めてくれてありがとう。
来年から見られなくなるかも知れないファンのことは、まるで考えてないね。
他人の文句ばかり言って、自分のことしか考えないこの人は逝ってよしだよ。
F1に参戦できなかったのも「理解のない」日本企業のせいにばかりしてたしな。
ルマンウィーク中の時差ボケで眠れン…。
結局コンフェデ最後まで見ちゃった。
つまり和蘭童夢がまったく「日本勢」として取り上げられず、近童夢だけが
童夢シャシーであるかのごとく扱われたことに対する不満なんだろう、
要するに。
テレビが放映することはわかっていたんだから、取り上げてもらいたけりゃ
広告代理店通すなり何なりして、テレ朝に自分とこを売り込むとか、そういう
努力はどうせしていないんだろうに。
もともとのマーケットは海外だから、国内のテレビにそいういう売込みをしても
意味がない、と考えているんだろう。
それならそれで、下らない煽りを(まぁ自社サイトだから勝手だろ、と言われりゃ
それまでだが)「コラム」などと題して発表するなよ、ガキじゃあるまいし。
テロ朝の童夢の扱いは酷かったよ。
酷かったと言うより無視だな。
722 :
音速の名無しさん:03/06/19 08:24 ID:KeOa35ne
漏れの 脳内妄想
S101に 今のスプラのエンジン積んで来年エントリすれば?
サードなんか 一番最適と思います。
メデイアの扱いも期待大(w
723 :
音速の名無しさん:03/06/19 09:49 ID:SYZppeOk
もし、今後放映するとするとどこなんだろうか?
既出のNHKだとBSなのかな・・・ハァ・・なんだかな・・
そうだとしても生なら許せるがなんだかダイジェストの悪寒
DTMと同じ運命
日本じゃあ放送されないに一票
マッチ&右京がらみで不治に一票…
キット ホウソウ サレナイヨリハ マシナハズ … キット ホウソウ サレナイヨリハ マシナハズ … キット ホウソウ サレナイヨリハ マシナハズ … キット ホウソウ サレナイヨリハ マシナハズ …
726 :
音速の名無しさん:03/06/19 12:06 ID:x5kboUsA
F1の国際映像みたいなやつじゃなくて自前でカメラ持ち込んで
ケーブル数十キロも引いて中継してるんでしょ?
こんな大掛かりなことこれから他局がやるとは思えない。
>>726 今現在やってるかどうかは調べていないのだが、1990年頃に調べたところで
は、フランス国内では放送局が出ていた。メインの映像はそこから買っており、
テレビ朝日はごく一部日本車狙いのカメラを出しているだけだと思う。
画面見る限りテロ朝のカメラは二台あったような
テロ朝はピット前に一台と実況席に一台と車載カメラが1〜2台かな
今年に関してはテロ朝カメラはまったくの無駄だった気がする・・・
パノスクラージュドームが猛烈な5位争いをしてる中
ペースを落としてる郷アウディやコンドームを映したりCM入れたり。
もうアフォかとヴァカかと
しかし、あのCMの量はなんとかならんのかね
フジあたりになるとCMの量がさらに倍くらいになりそうなんだが。
CMチェックもしてたんだけど、量は他番組と比べて、そんなに多くなかった。
問題は、入れ方がどヘタだったことです。唐突に入れるわ、いいところで入れ
るわ。わかってるディレクターならあんなに目障りにならんかったと思う。
734 :
音速の名無しさん:03/06/19 21:05 ID:jPqid3Wz
735 :
音速の名無しさん:03/06/19 21:07 ID:qA6s8BJe
CM入れるのは構わないけど、そのたびに稲葉のシャウトがうるさかったね。
>>733 バブルのころはスポンサーがすべてレース参加車関連だったぞ(ケンウッドとかオムロンとかJTとか)。
いい時代だった。
738 :
音速の名無しさん:03/06/19 21:49 ID:H4hislEU
このご時世にどこのテレビが話題性のないルマンの放映権を買うんだよ?
来年は多分無い。バブルでも起きない限り。
で、みのるタンのことだけど、要するに日本じゃレースは内輪のものなのね。
関係者だけで盛り上がって、プロに徹したファンサービスは眼中に無い。
アメリカのレースのドライバーの愛想のよさと比較すると分りやすいかと。
>>738 あーっと、童夢スレでも書いたけど、みのるタソは
日本国内のことなんてどうでもいい、というスタンスだと思われ。
>>737 うんうん。
ケンウッドのCMなんか好きだったなぁ。編集番組で「彼の勇気に乾杯」なんて
スペシャルCMがあったの覚えてる?
>>740 乾杯じゃねーや、黙祷だ(=^_^;=)。
ルマン参加ワークス列伝
・ポルシェ
ルマン初参加の1951年から20年目にて917で初優勝(1970年)。翌年は未だに破られない総走行距離レコードを立て連覇。
しかし翌年から917はレギュレーション変更で参加できずワークスポルシェも不参加。翌73年、プロトでなく市販車改造のカレラRSRでワークスは復帰した。
マトラ、フェラーリのプロト勢を相手に4位の大健闘を見せる。73年にはルマン史上初のターボマシン、カレラRSRターボで参加、マトラに次ぐ第2位の快挙を成し遂げる。これが後の935のベースとなった。
オイルショックで75年は欠場し、76年、プロト(936)、G5(936)の両面作戦でエントリー(LMPとGT1でエントリーした99年のように)。ルノーとの死闘だったが5年ぶりの勝利をあげる。
翌77年もルノーを返り討ちにし連覇、78年ついにルノーがワークスポルシェを破って優勝した。優勝こそできなかったが935の78年仕様、通称「モビーディック」はまさにその名に相応しい独特のボディワークでタミヤのプラモで御覧になった方も多いと思う。
いやいや、「おれが飲むに困らなきゃどーでもいい」ってスタンスだろう。
79年、ルノーが撤退したためポルシェも当初はワークスチームを送りこむ予定がなかったが、エセックス石油がスポンサーとなり936でエントリー(この年唯一のワークス)。
当然楽勝と思われたがライバル不在で気が抜けたかトラブルで自滅。優勝はなんとクレマーの935(ちなみに2位にポールニューマンが入った)。「ポルシェの敵はポルシェ」はこの年から現実となる。
他のワークスよりプライベートポルシェこそポルシェ最大のライバルたりえた。
80年はトップカテゴリーにワークスを送りこまず924カレラでエントリー。6位と健闘。
81年、ポルシェワークスは936でトップカテに復帰するが、従来と違うのはそのエンジン。排気量制限がなくなったため、インディ仕様(結局実戦には出なかったが)ベースの空水冷2.65Lターボエンジンを搭載していた。
つまり屋根がないとは言えこのマシンは翌年から世界中を席巻することとなるCカー「956」のベースとも言えるマシン。
他にワークスがなく2位に14周もの大差をつけて優勝した。この後に続く7連覇への第一歩となる。
82年、グループC規定が導入され、ついに不朽の名車956がデビューする。
新規定に合わせフォードもCカーを投入、ランチャは旧G6規定のマシンを投入。
ワークス以外でもロンドー、ローラ、マーチ、ザウバー、WMなどのコンストラクターもC規定のマシンを開発、投入した。
しかしそれも所詮ポルシェ956の敵ではなく、初のルマンを1−2−3フィニッシュで終える。
翌83年フォードワークスは撤退、ワークスチームはポルシェとランチャのみ。他のプライベートコンストラクターも
自らのマシン開発を諦め、「市販」された956でエントリーするマシンが激増した。
この年ワークスが優勝する一方、プラーベートも含めた956が9位までを独占する。
84年、この年はワークスポルシェはレギュレーション改訂におけるFIAの不手際に抗議し「欠席」。
それでもポルシェは勝った。唯一の「ワークス」ランチャ(予選は1−2)でさえプライベーターの956にも勝てなかった。
優勝はヨースト。後に「世界最強プライベーター」と呼ばれるチームの記念すべきルマン初優勝である。
85年、ワークスポルシェも復帰する。前年のジャガー(グループ44)に続き、ザウバーメルセデス、トムストヨタも初登場したが、
ポルシェのライバルたるにはまだ力不足であった。
しかし優勝したのは「楽勝」のはずのワークス・ロスマンズポルシェ(この年から962C)でなく、ヨーストのニューマンポルシェ。
なんと前年の同一マシンであった。ついにプライベーターがワークスを破ったのである。
86年、ついにポルシェにライバルたりえる「ワークス」が登場した。TWRジャガーである。この年もワークス×ヨーストのポルシェ対決であったがジャガーがポルシェ最大のライバルになるのは時間の問題であった。
87年、WSPCシリーズではもはやワークスポルシェでさえジャガーを追うことはできなかった。しかしルマンだけは特別。
この年、ワークスポルシェは予選で1台クラッシュで失い、本選でも序盤に粗悪ガソリンの影響で早々に1台がリタイヤ。わずか1台で残り23時間をジャガー3台と戦わなければならなくなる。誰の目にもジャガー優性であった。
しかしルマンは一筋縄ではない。1台また1台とジャガーは脱落し、終ってみればまたもワークスポルシェの勝利。しかしこのレースの後ポルシェワークスはWSPCからの撤退を決定する。962Cに変わる新マシン開発のためである。
ワークス列伝「マツダ」編キボンヌ
69年のことには触れないのか?
あの敗北こそ、その後の栄光へのスタートだったと思うぞ。
ちなみに優勝マシンは、ヨーストの956以前に史上初めて同一マシンで連覇した
ガルフ・フォードのGT40。
どこにしまったかわからんのだけど、書名とか出版社とかもわからんのだけ
ど、マツダが勝ったあとに厚さ3センチくらいはありそうな本が出てまして、こ
れがすんげえ面白かった。
いまさら新本は入手できないだろうけど、だれか書名とかわかったら参考ま
でに紹介してもらえるとうれしい。
ジャガーに苦戦したポルシェは、当時参加しはじめていたCART用のV8エンジンをベースにニューCカーを開発する予定であった。
しかしグループCでもF1同様ターボ禁止の方向になり、このプロジェクトはオクラ入り。
ポルシェではニューマシンでなくボッシュの新燃料供給システムを搭載する962Cでジャガーを迎え撃つことに。
88年ルマンはジャガーに加えメルセデスもついにワークス宣言し参戦、3メーカーが合い見舞えることとなる。
メルセデスは予選のタイヤトラブルで撤退するが、ポルシェ対ジャガーの2大ワークス対決は歴史に残る名勝負となる。
予選ではターボエンジンの利点を生かし、ポルシェが前年を6秒も上回る予選タイムをマーク。
決勝でも序盤から「24時間のスプリント」レースの展開。しかしワークスポルシェのエース車が日没前燃料ポンプの不調でガス欠状態になり
コース上でストップ。セルモーターを回しながらなんとかピットに戻るが大きく遅れてしまう。その後脅威の追い上げを見せレース終盤には同一ラップにまで持ちこむがそこまで。
394周しての同一周回での決着はまさに歴史に残る死闘であったがポルシェはついに破れたのである。
このルマンでの激闘を最後にワークスポルシェはグループC活動から休止、のはずであったが最後にもう一戦だけ活動した。
それが富士スピードウェイでのWEC−JAPANである。
見た目はJSPCを走るチームシュパンのオムロンカラーであるが、正真証明ポルシェAGからのエントリー。ドライバーはK・ニーツビッツとP・コブ。
(H・スタックはケガで欠場)
ついにポルシェ、ジャガー、メルセデスの3大ワークスの激突が実現した。
レースでは序盤のパンクで遅れ、またしてもジャガーに次ぐ2位に終る。そしてこのレースを最後にワークスポルシェはしばし休止。
その「正式」な復帰は96年のルマンまで待たなければいけない。
(第一部 完)
(補足)
グループC活動中、Cカーと共にポルシェが投入したルマン用ワークスマシンが959をベースにした「961」。
IMSA−GTXクラスでエントリー。スカイラインGT−Rが登場する4年も前に出た「4WDレーシングカー」である。
86年は真っ白なボディで、7位入賞。直線では日本のCカーをぶちぬく速さを見せた。
翌年はCカーと同じロスマンズカラーで登場。マツダ757とクラス優勝を争ったが、この年は炎上リタイヤ。連覇はならなかった。
そしてこの活動はこの年限り。同時に市販車ベースのマシンがルマンに復活するまでそれから6年かかることになる。
>>748 GT40/1075だっけか。
それなら小排気量のレンシュポルト達にも触れないと。
列伝書くほど詳しくないけどさ。
しかし、猫好♪氏は元気だなぁ・・・
ええい、辛抱たまらん。
・マツダ
マツダ・ロータリー。
常にプライベーターに愛されたそのユニットを最初にル・マンに持ち込んだのは、
意外にもいちベルギー人プライベーターだった。
1970年。「栄光のル・マン」のまさにその年、ポルシェとフェラーリのワークス頂上対決の影で、
ひっそりとフィルムに映ったそのクルマはシェブロンB16・マツダ。4時間目、そのエンジンが音を上げた。
その後、マツダスピード以外のチャレンジャーとしては1975年にはサバンナRX-3
(ドライバーの一人はあのJ.ロンドー!)、1980年にはRX−7(日本車初完走)が出走している。
海外での愛好家も多いマツダ・ロータリーならでは、と言えるかもしれない。
そして、日本からのチャレンジもまた、意外な形で始まった。
元・トヨタ自工ワークスメカニック・加藤眞。
彼が結成したシグマが、予定していたトヨタエンジンの代わりに急遽選択したのが
12Aロータリー、という経緯で純日本製ロータリーマシンはル・マンに姿を現す。
シグマMC73。予選で意外な快走を見せるも、あまりに脆弱なマシンはサルトの海の上に無力だった。
翌年、後に延々とル・マンに挑み続ける男が2人、加藤に誘われ初めてその地を踏んだ。
大橋孝至と寺田陽次朗。そして、マツダにとっても公式な挑戦はこの年から、とされている。
レースでは数々のトラブルをその都度克服しチェッカーを受けるも、完走とは認められなかった。
そして、ロータリーとマツダに襲い掛かったオイルショックは、ル・マン再挑戦に5年のブランクを踏ませる。
755 :
音速の名無しさん:03/06/20 01:35 ID:BVs4XcMO
>>616 どういたすますて。
テレ朝でB’zのあの曲が流れると反射でテレビの方を見てしまう。
>>753 ごめんルマン初完走は75年のZなんだなこれが。決勝26位でつ。
757 :
音速の名無しさん:03/06/20 02:04 ID:gUCEYvNb
トヨタもヨロシコ
てかspR1159氏寝ちゃったの?書いてる最中?続きお願いしやす。
漏れが書こうと思ったこと(「栄光のルマン」にチョコと映るシェブロン、マツダ「正史」での初兆戦は74年etc.)
みんな書かれチャタ。しかしルマン「後遺症」で寝つけん罠今週は。
ロータリーの挑戦史を書いてもらえるのなら、グッドリッチマツダロータリーも
よろしくです。ワークス2台とグッドリッチマツダローラ(だったよね)の2台との
4台で編隊を組んでのトライアングルフィニッシュは泣けました。
グッドリッチマツダ、とても端正できれいなマシンだったんだよなあ。プラモデ
ルが出たらほしいと思ったくらいに美しいマシンだった。
760 :
音速の名無しさん:03/06/20 03:00 ID:HP6XRiOH
さて、来年は実況はおろか、録画でも見られない可能性大だが、お前ら
どうするの?
来年は特にたいしたのがでないので、特に見ない。
ポルシェが復帰するなら別だけど。
あと、寺田さんが見られないのが、ちょっと残念。
だれかフランスにいってストリームしてくれ(笑)。
なんかわかりやすいインターネット速報とかがあればそんでもいいのだが
なあ。順位表とラップチャートあたりがあれば、あとは想像である程度なら
補えるのだが、耐久でのオンライン速報ってわかりやすくトラブルなく最後
まで続いた事例ってのがあんましないんだな(苦笑)。
>>762 同意。今年はラップチャートが見られる時間の方が短かったです。。
たしか、某「ななしですぅ」さんがフランス在住なのだが・・・・・
彼は二輪専門だったかな?
あ、24時間レースなんて、地元でもよっぽど好きでなきゃ行かないですね。
764 :
音速の名無しさん:03/06/20 08:36 ID:OBSG0YKO
そうでもないぞ。
地元の小学生くらいの子供達を先生が引率して 予選なんか来てる。
(明るいが、PM8頃かな?)
どこでもいいからワークスカムバッァク!