【オープニング】OPナレーションスレ【言葉の芸術】

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古舘伊知郎
レース前の大変慌ただしい、マクラーレンのテントの中です。
さっき僕は、ここを通りかかって、ぽつんと佇んでいる、白い紙コップを見ました。
それが目に飛び込んできた瞬間に、強烈にセナの事を思い出しました。
マクラーレンのチームの中でかつてセナ、このモナコにやって来ると、
暑いんで、レーシングスーツの半身脱いで、ベルトのように袖縛って、
上半身Tシャツ姿で、二重にした紙コップを手に持って、
特製のスポーツドリンクを時折飲んで、口の中を浸していたセナ。
もうモナコにセナは居ない、喪失感が、ググッと、心の中で、強く出てきました。
しかし、今日レースは、行われます。
ご存知のように、カール・ヴェンドリンガー選手、
一命はとりとめましたけれども、まだ病院の中です。
そして、大慌てのようにして、レギュレーションの変更が、
慌ただしく発表されました。
当然、安全対策は、大前提ではあると思います。
しかし、じゃあレースって何だろう?その後考えました。
ふと、中嶋悟さんの、言葉の内容が思い出されました。
ドライバーというのは、何も特攻隊員じゃあるまいし、
死を覚悟して出て行ってるんじゃない。時折よぎる、死の恐怖、
見てみないふりをして出て行くんだ。そして魔界、スピードの世界と、
取り引きをして走ってるんだ。
その言葉が甦ってきました。
35994年モナコGPオープニング:03/04/01 15:38 ID:YNLhFxG3
確かに、そうだと思います。自分の心にドライバーは、
死の恐怖に関して蓋をして走ってるんだと思います。
でも見ている我々というのは、安全対策をした上で、
レースに危険は付き物だという、その裏側は自覚した上で、
レースを見る構えが必要じゃないかな、と思います。
時速60キロで、レースの面白みはありません。
かと言って、戦争じゃあるまいし、人が死んで言いと言う訳はありません。
我々が、心してレースを見る、それは中嶋さんの言葉が、
全て物語ってるような気がしました。
セナが亡くなって、豊穣なメッセージを様々セナは残してくれたと思いますが、
その中の一つとして、僕はそんな事を考えました。
ドライバー達は、悲しみや、死の恐怖に蓋をして、
今日もレースに出て行きます。
まもなく、伝統の第五十二回、モナコグランプリが、幕を開けようとしています