新大阪までの延伸を決めていた大阪市は、実は江坂までの延伸も早期から計画して
いた。だが、そこから先への計画は全くなかった。表向きは、市の財政で万博輸送用
の線路を建設し、閉幕後は赤字となる路線を運営することを市議会は許さないからと
いうものだった。
だが、実情は違っていた。万国博が決まる前から、大阪府は千里ニュータウンを建
設し、その足として、地下鉄が乗り入れてくることを見越し、千里中央には駅も作る
計画であった。そこからなら、会場まで4km程度であるから、会場直通線を敷設でき
ると考えていた。
だが、府が市に根回しを十分しないうちにニュータウン計画を進めたため、ニュー
タウン事業は大阪府のものだから、鉄道が欲しければ府営で引けばよいと、大阪市が
機嫌を損ねたのである。
阪急は、宝塚線と千里線があるので、その中間に地下鉄乗り入れの線を作っても採
算が合わないとして断り続けた。この硬直状態に日本政府も色々と手を打ってみたが、
調査結果は、将来経営の見込みがないので、地下鉄延伸や新会社による乗り入れ線建
設はすべきではないという物だった。
大阪府と日本万国博覧会協会は、鉄道敷設を望んでおり、政府としても鉄道線は敷
設しないという決定はしかねていた。江坂や千里中央でバスに乗り換えて会場に向か
うなどということをすれば、鉄道より遙かに輸送力の劣るバスでは、乗り換え場で乗
客があふれるに違いない。30バースのバス乗り場を作れば大丈夫という鉄道敷設反対
派もいたが、高架の地下鉄駅から地上のバス乗り場まで、気の焦る乗客が安全に移動
できるだろうか。
断り続けた阪急であるが、一方で社長の小林は、もし他社がこの敷設に応じるなら、
阪急勢力内に他社が入ることになるため、それは避けたいと考えていた。そこで、大
阪市が新大阪から先の建設を放棄し、権利を阪急に譲るなら、新大阪から会場まで敷
設すると申し入れてきた。だが、大阪市がそれを承諾するはずはなかった。
しかし、阪急が他社を入れたくないという事が分かったので、江坂から先に新会社
を設立し、その経営の一切を阪急を当たらせ、臨時線の建設費と撤去費は万国博覧会
協会が負担し、政府は低利の融資を斡旋するという条件と、出資者の府や市は一切経
営に関与しない事とし、事実上は阪急の会社とすることで決着を見た。運輸大臣がバ
ス派の荒船から、大橋に代わったこともあり、鉄道敷設が閣議で了承され、「北大阪
急行電鉄」が設立された。
ところが、今度は鉄道監督局長がこれに反対した。僅か半年しか使わない路線に多
額の建設費を掛けることなど、まかり成らんというのである。何があっても、この路
線の建設は絶対許可しないと、かなり強硬な姿勢で迫ってきた。実はこの時、局長は
閉幕後はパビリオンの殆どを撤去してしまうことすら知らなかったのである。