物語の舞台となるのは、ドーム状の外壁に覆われた大きな国。
目的地を定める上での噂は持たず、道なりに進んでいくうちにたどり着いた。
膝ほどの高さの草が、風を受け緩やかに波打つ。
風は、その国を目指す者が通過するこでさらに増した。
国へ続く平坦な道を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っていた。
モトラドはエンジン音を響かせながらゆったりと、運転手と語らいながらその国を目指している。
運転手は小柄で、黒いジャケットを着ていた。腰に巻いたベルトには、ポーチがいくつかついている。
ベルトの後ろには、ハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)のホルスターも。
その中には自動作動式パースエイダーが一丁、グリップを上にして入っていた。
さらに右腿にもう一丁、リヴォルバータイプのハンド・パースエイダーがホルスターに収まっている。
運転手は精悍な顔つきをゴーグルと帽子で隠し、間もなく到着するであろう国を見据える。
あの国ではいったいどのようなドラマが待ち受けているのだろうか。
作者≠竍読者≠フ視点を持たない旅人に、深い考えはなかった。
ちなみに、運転手のほうの名前はキノ、モトラドのほうはエルメスという。
◇ ◇ ◇
「我が国へようこそ、旅人さん!」
国の入り口にたどり着くと、番兵が快く出迎えてくれた。
「この国はいいところですよ。これといった目玉があるわけではありませんが、とてもいいところです」
旅人の入国審査を行うのだろう、小さな詰め所にて。
キノは番兵に軽い質問を受け、いつものように答えを返していった。
審査というほどの手続きは特に必要なく、ものの五分程度で入国の許可が下りた。
キノはエルメスを走らせ、国の中に入っていく。
番兵が語るとおり、そこはとてもいいところだった。
なにが、と聞かれると回答に詰まったが、とにかくいいところであることは確かだった。
挙げられるほどの特徴がない国を、人は退屈と罵るだろうか?
少なくとも、キノは罵りはしなかった。
素直に、ここはいいところだ、と思った。
ただ、少しばかり、ほんのちょっぴり、かすかにだが、退屈だとも思った。
相棒のエルメスは思うばかりではなく、声に出したりもした。
それが不満と言うわけではないので、やはり罵りはしなかった。
夜が訪れて、キノはホテルに泊まった。
旅人がよく利用するというそのホテルも、いいところだった。
いいところなのだが、やはり物足りない気もした。
気はしたが、言っても仕方ないので、キノは思うだけにとどめ、今日は寝ることにした。
いつものように、この国に滞在するのも三日間だけだろう。
◇ ◇ ◇
支援
『おはようございます、旅人のみなさん!』
朝。
キノはスピーカーから流れる機械的な男の声を耳に、ベッドから身を起こした。
寝ぼけ眼で部屋を見渡してみると、昨日泊まったはずの部屋とは、明らかに景色が違っていた。
白一色で塗りたくられた壁。面積は均等で、部屋は正方形。
窓の類は一切見当たらず、ノブ式のドアが一つだけ、出入り口として確認できる。
家具といえば、自分が寝ているベッドと、部屋の天井隅に取り付けられたスピーカーの二点のみ。
ベッドの端には着替えと、腰に巻くタイプのウエストポーチが置かれていた。
着替えに手をかけてみて、二丁のパースエイダーがなくなっていることに気づいた。
部屋に停めておいたはずのエルメスも、どこぞへと消えてしまっている。
キノは状況を訝り、齎される声に耳を傾けた。
『驚きの方が多いかと思われます。一夜明けたら部屋の模様が替わっていた。ええ、驚きこそが普通です。
中には、見慣れぬ寝床や、どこらか聞こえてくる声に畏怖を覚えている方もいるでしょう。
ですがどうか、しばらくの間は行動を起こさず、私の話をご静聴していただきたいのです』
キノはベッドに腰掛け、着替えようとしていた手を止める。
視線をスピーカーに固定し、言われたとおり静聴の構えを取った。
『ここはどこなのか? 語りかける私は何者なのか? これからなにが始まるのか? 疑問はごもっともです。
ですが、それらにお答えすることはできません。唯一、今後のことに関しましては、順を追って説明させていただきます。
とはいえ、あまり長くなってしまうのは、こちらとしても不本意です。なので、ここは簡潔に最重要事項から。
率直に申し上げますと……この放送をお聞きになられている皆様には、これより「ラノロワ」をしていただきます』
耳慣れぬ単語に、キノが小首を傾げた。
『はて、ラノロワとはいったいなんなのか。そう思われた方がほとんでしょう。説明させていただきます。
ラノロワとは、我が国の創立期から今に継承されている伝統的なお祭りで……このあたりは省略しましょうか。
要は、戦いの儀です。傷つけ合い、庇い合い、騙し合い、謀り合い、出し抜き合い、殺し合い。
それらを集約した、唯一無二の「競争」。脱落の条件は、「死」。勝利の条件は、「自分以外の全参加者の脱落」』
続く説明に、キノの顔が若干、険しくなる。
『我々がラノロワと呼んでいるこの競争ですが、率直に殺戮劇とでも、ゲームとでも、ご自由に呼称してもらって結構。
あなた方は、ラノロワに参加することを義務付けられた名誉ある60人の戦士たちなのです。いやなんと誉れ高い。
叶うことなら私も参加したかったのですが……ラノロワの参加者は旅人でなければならないという決まりがありまして。
国民である私は、こうやってみなさんに企画の趣旨を説明することしかできないのです。ああ、それにしても羨ましい』
男の声には、わずかな嫉妬すら窺えた。
『しかしあなた方事情を知らぬ旅人にとっては、ラノロワに参加資格を得ることがどれだけの名誉か、理解もできないでしょう。
命を落とす危険を孕んでまで、知らない国の伝統行事に付き合わされる。常人の感覚でいえば、ふざけんなというところです。
憤慨している方、悲嘆に暮れている方、お察しします。ですが、これが天命なのだと諦めてください。
ラノロワへの参加。これはあなた方に課せられた使命。拒否権はありません。なぜならば――』
男は声に一拍の間を持たせる。
支援
『――あなた方の命は、既に我が国の手中にあるからです。その証拠に……枕の下を探ってみてください。
手鏡があったでしょう? それで自分の首元を見てみれば、おのずと私の言葉の意味がわかるはずです』
キノは枕をどけて、下に隠れていた手鏡を覗き込む。
鏡面には寝ぼけ眼の自分が映っており、首に目をやると、不思議な模様が書かれていた。
文字とも、絵とも、図とも、紋様とも判断のつかない謎の印。
手で摩ってみても感触はなく、傷や痣ではないということがわかった。
『それこそが、ラノロワの参加資格たる「証」であり、あなた方の生死を分ける「装置」でもあります。
その証が刻まれている限り、あなた方はラノロワへの参加を拒むことはできない。
なぜならば、その証はあなた方に確実な死を齎すからです。拒めば死。単純明快でしょう?
どのように死ぬか、を説明させていただきますと、これはそのときそのときの状況により判断されます。
たとえば、証を基点とし首が切断されたり。証を基点とし首が爆ぜたり。証を基点とし首が腐ったり。
爆薬を仕込んだ首輪、と言えばわかりやすいでしょうか。一種の拘束具と思ってください。
我々はいついかなるときであっても、その証を基点としてあなた方に死を運ぶことが可能なのです。
もちろん、滅多なことがない限りそんなことはいたしません。あくまでも予防線と考えていただいて結構』
物騒なものを作る、とキノは思った。
『ここまで話しても、俄かには信じられない、これは夢かなにかなのではないか、そう思う方もいるでしょう。
そういった方に現実を知らしめるため、実際に死のイメージを植えつけることも可能なのですが……あえてしません。
聡明な方ならば、既にお気づきでもあるでしょう。これは夢などではない、異常ではあるが、紛れもない現実だと。
非日常に住まう方々ならば、それもなおさらでしょうか。理解得心は幸を招きます。これは、助言です』
支援
キノは、念のためにほっぺたをつねってみた。
それなりに痛かった。
『ところで、こう思われた方もいるのではないでしょうか。この妙な印、「右手」や「瞳」では打ち消せないのか。
試していただいても結構ですが、先に結果を述べますと、不可能です。それは、我が国の最先端技術ですので。
ああ、なんのことを言っているのかわけがわからない。という方は流していただいて結構。続けます』
なんのことを言っているのかわけがわからないので、キノは流す。
『大事なことは一点。逆らえば、証を持つあなた方は死ぬ。脅迫じみてしまいましたが、心に留めていただきたい。
死にたくないと願うならば、ラノロワに参加し、勝てばいいのです。最低でも一人は生還することができますので。
おっと、拉致や脅迫をする私どもの言葉が信じられないといった声もあるようですね。
ごもっとも。ですが、信じてください。我々としても、皆殺しや全滅を望むわけではありませんので。
最低でも一人。最高でも「二人」は生き残ることができます……二人、と聞いて疑問を抱かれましたね?
ではこのあたりで、ラノロワに優勝した際に得ることができる特典について、説明するとしましょう』
この時点で信憑性の有無を考えても仕方がない。
キノは意識を反らさず、機械的な声に耳を傾け続けた。
『優勝した暁には、生還、つまり生きて元の生活に戻ることができる権利が、贈呈されます。
副賞として、ラノロワで死亡したどなたか一人を、「生き返らせる」ことが可能です。
そんな馬鹿な、というお声はごもっとも。死者蘇生など、安易に信じることも難しいでしょう。
ですがこれも、信じていただくしかありません。あなた方を招いた方法、その首の証、現在の状況、
それらを総合して考えれば、あながち信じられなくもないでしょう。我が国の技術は、死者蘇生を可能とします。
さて、中にはこの副賞の魅力がおわかりになられない方もいるようで。
薄っすら予感しているかもしれませんが、集められた参加者の中には、あなた方の知人も多く存在しています。
赤の他人を蹴落としてでも守りたい人物が、もしかしたらいるやもしれません。あなたは、どうですか?』
問われて、キノは眉の一つも動かさない。
『ラノロワで優勝すれば、自分の生還権と、誰か一人の復活権が得られるのです。
そして、これが一番すごいことですが……さらなる副賞として、我が国の国民になる権利を得ることもできます!
故郷に生きて帰るか、我が国の一員となるか。優勝した際の選択肢は二つ、与えられるというわけです。
比率で言えば、後者のほうが多いでしょうか。過去に開かれたラノロワで、我が国の国民となった方もおられます』
キノにとっては、大して魅力的にも思えない副賞だった。
『ここまで、よろしいですか? あなた方には、これよりラノロワという名の競争に参加していただきます。
あなた方に拒否権はない。逆らえば死。優勝すれば自分と誰か一人の生が約束され、国民になる権利も得られる。
ちなみに、国民の権利は優勝した方一人のみ対象です。生き返った方は故郷にお帰りいただきます。
…………………………………………ご理解いただけましたらば、続いてルール説明に移りたいと思います』
キノは頭の中で情報を整理し、続く言葉も冷静に処理していく。
『ルールと言いましても、堅苦しいものはなんらございません。基本的には、なにをやっても結構。
直接的でも間接的でも構いませんので、とにかく他者に死という形の脱落を与え、最後の一人を目指せばいいのです。
ラノロワの一部始終は我々も見させていただきますが、処断されるような不正行為はない、と考えてください。
ああ、先ほど逆らえば死、と言いましたがそれはあくまでも建前でして。たとえば実際にラノロワがスタートし、
そこで放送で話してたヤローぶっ殺す、などと豪語なさっても、私はそれに気を悪くしてあなた方を殺したりはしません。
ただ、仮に60人全員が反旗を翻すような事態が起こったとしたら、考えさせていただきます……とだけ』
男の口調は事務的だったが、その反面、どこか楽しそうな気配も窺えた。
支援
『期限は特に設けておりません。もっとも、大抵の場合は一日や二日で終わってしまうのですがね。
参加人数は、先に何度か零しているとおり60人。会場は、お近くの扉を潜った先にあります。
開始時刻は等しく午前零時。我が国では夜ですね。また、会場内には六時間ごとに定時放送を流します。
担当は私。内容は、その時点での脱落者と禁止エリアの報告。要は、途中経過のお知らせです。
禁止エリアについて説明しましょう。これから移っていただく会場は、複数のエリアで区分されています。
会場は結構な広さのですが、人数が減るにつれ、広すぎるように感じると思われるので、規模縮小するわけです。
禁止、と定義付けられたエリアに踏み込むと、その証が死を運びますのでご注意を。
そうそう、参加者の方々の中には、一芸に秀でた方も多くいらっしゃるのですが、
均衡を崩しかねないあまりにも強大な力、に関しましては、「枷」を設けさせていただきました。
枷というのがなんなのかは、後で実際にご確認ください。おっと、ちょっと早口で進めてしまいましたでしょうか』
キノは、難しい顔で唸った。
『とまあ、口頭で説明するにしても限度があるでしょう。より詳細なルールにつきましては、
付属の用紙に明記しておりますのでご確認ください……次は、そちらの説明に移りましょうか。
お近くにありますウエストポーチ。そう、そこに置かれている小さな背嚢です。そちらをご覧ください』
なんの変哲もないポーチに、キノの視線が向く。
『それには、あなた方がラノロワに参加する際に必要な物資の数々が収められています。
あ、まだお手を触れないように。ルール違反と見なされ、処罰せざるをえなくなりますので。
触れる分には大目に見ますが、中身を確認するのは、会場に立ってからにしていただきたい』
言われて、キノは少しだけ伸びていた手を引っ込めた。
支援
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『そのポーチには、数日を過ごすための食料と水、会場の地図、筆記用具、暗夜で活動するための懐中電灯、
参加者の名前が記載された名簿、そして先ほどより説明しているルールの詳細を書いた紙、が入っております。
その他には、各人につき最低一つ、最高三つまで、ラノロワを生き抜くための物資、「支給品」があります。
この支給品はほとんどの場合が銃器や刀剣といった武器に値するものですが、稀に衣服や機械も入っております。
なにが入っているかは、人によりけり。有益なものか無益なものか、まずは運が試されるというわけです。
こんなに小さなものに?という疑問もあるかと思いますが、我が国の技術により、ポーチの収容量は無尽蔵。
目覚めて、お近くに愛用の武器がないことに気づいた方もおられたでしょう? それも、公平をきすためなのです』
キノは、傍らにあったはずのパースエイダーが没収されたのだと知る。
『お察しのとおり、元々所持なされていた武器の類は、こちらで預からせていただきました。
それらは他の参加者のポーチに、支給品として分配されているやもしれません。
とはいえ、没収したのは武器の類だけです。靴や装飾品の類には、手をつけておりません。
中には、没収されては困る装飾品を身につけている方もいるでしょう。一心同体の身の上にまで、手を出しはしません』
キノの傍に、エルメスの姿がないことも再度確認する。
あれは旅の相棒ではあるが、一心同体というほどでもないので特に気にしなかった。
『これらは、実際にラノロワが始まってからご確認いただくということで……名簿に関して、説明を加えておきましょうか。
名簿にはあいうえお順で参加者の方々の名前が記載されています。先に言ったとおり、知人の名前もあるでしょう。
見慣れぬ異国の名前も載っているやもしれませんが、特にお気になさらず。言語の壁は、この国では存在しませんので。
また、この名簿にはちょっとした仕掛けが施してありまして。参加者は60名ですが、最初は50名の名しか記されていません。
実物を見て、あれ、私の名前がない!と驚かれる方もいるでしょう。ですが、ご心配なく。
開始から六時間が経てば、残りの10名の名前も浮き出るようになっていますので。技術を生かした遊び心と受け取ってください』
支援
支援
キノは、おもしろい趣向、とだけ受け取っておくことにした。
『……以上で、ルール説明を終わります。ここまで早口で進めましたが、お付き合いありがとうございます。
ご不明の点がございましたら、現地にて、再度ルールの詳細が書かれた用紙をご確認ください。
また、ベッドの脇に赤いボタンがあるかと思われますが、そちらを押していただいても結構です。
この放送が、一からまたリピートされますので。頭の中を整理してから、ラノロワに挑むとよろしいでしょう』
ベッドの脇に取り付けられた赤いボタンを確認して、キノはまだ続く放送に意識を注ぐ。
『では、覚悟が決まりましたら、目の前の扉を開け放ってください。扉の向こうが、ラノロワの会場です。
扉を一度開けば、もう後戻りはできませんでのご注意を。先ほど言ったとおり、開始時刻は等しく午前零時です。
いつ、いかなるタイミングで扉を潜ったとしても、そうなるよう調整されています。これも、我が国の技術です。
覚悟がお決まりになるまでは、いつまでもこの部屋にいていただいて結構。ベッドくらいしかない質素な部屋ですが。
私としましては、余計な空腹感や眠気に苛まれる前に、適度なタイミングで扉を潜ることをおすすめします。
これまでの流れでまだ、これは夢、と思われるなら、一度寝なおしてみるのもよろしいでしょう。
重ねて忠告させていただきますが、会場に出るまで、くれぐれもポーチの中身は確認されませんように』
放送に終わりの気配が見えてきて、キノはため息をついた。
『ああ、最後に。我々のことは「主催者」とでもお呼びください。では、ご武運を――』
そして、放送は終了した。
◇ ◇ ◇
「さて」
とキノはベッドから身を起こす。
白い部屋に視線をめぐらせ、何歩か回ると、件の扉を正面に据えた。
この先に、死地が待つ。
なんとも急な話だった。
「どうしようかな」
さっきまで放送を垂れ流していたスピーカーを、キノは忌々しげに見上げる。
訪れた国はとてもいいところではあったが、それも一夜限りだったようだ。
――このような風景が、他にも59。
――物語は、これから始まる。
【ラノロワ・オルタレイション 開幕】
【主催者:不明(ラノロワの国の住人?)】