女子高生が電車で小便漏らしてたので

このエントリーをはてなブックマークに追加
1参加するカモさん
2参加するカモさん:2005/10/28(金) 19:24:01 ID:++qLe+ta
2
3参加するカモさん:2005/10/29(土) 17:23:15 ID:YA3Hl1du
わたくしは、ベルギー人ですので、教育は全てベルギーで受けました。
まず、普通科の高校を出た後、理数系の大学入学資格試験を受験して私立高等看護専門学校に入学しました。
そこで三年間学んだ後、ベルギーのブリュッセルにある180床規模の私立病院の、
蘇生科(ヨーロッパの蘇生科とは、日本の集中治療ユニット的性質を持つ科)に一年間配置されました。
ここは、わたくしにとって実際の看護を学ぶ良い学校となりました。その後、同科の主任看護婦になり、
更に三年間続けました。結局ここに看護部長となってその後十年間勤続することになりました。
1993年からパリのAHPに来て現職に着任しました。 配属後一年で、蘇生科主任看護婦と言うと、
稀に無い超スピード昇進ですね。 学校を出たての若い時に蘇生科と言う厳しい科に入って
本当に難しいサービスでしたが、ここを修められ、自分の最大限の力を発揮でき、
自信が持てれるようになりました。言い換えれば他のどの科に配属されてもやっていけれる、
と思える自分に成長させてもらえたのです。続けますが、その後、総合外科蘇生科の看護婦主任に
三年間配置されました。暫くすると総合看護部長から、副部長として彼女のもとで院内全体の
看護管理職の仕事を一緒にするようにと命じられました。と言うのも4年後の彼女の定年退職に備えて、
その後の後継者になるべく準備をして欲しいと頼まれたのです。彼女はヨーロッパの古い映画に
出てくるような敬虔なクリスチャンの修道女看護婦長でした。これからの時代にも看護婦として
受け継いで行ってもらいたいものと新しいアカデミックな理論にも強い看護婦を求められたのです。
(この事については次号で更に詳しくお伺いします。) 当時わたくしが強く興味を持ったのは、
より念密な日報記録の交換と書類が看護のクオリティの向上には欠かせない、その為の全科レベルでの
プログラムのプランを立てると言うことでした。そこでルーバン・カトリック大学の、
修士課程で医療社会学を三年間学びました。こうして彼女の下で働きながら、大学に通い学生をし、
プラクティカルには総合外科蘇生看護主任を勤める3職をを同時に進行する形となったのです。
とても忙しい毎日でしたが、実り豊かな三年間でした。その後の十年間もここで学んだ事を十分に活かせたかと思います。
4参加するカモさん
>>1
5回射精した