劇場版の最後のシーンについて

このエントリーをはてなブックマークに追加
92名無しが氏んでも代わりはいるもの
>>90
「理解できない」というのは、
「作品のテーマととは無関係」という指摘を都合よく曲解しただけじゃないの。

読み取る側で意味を付け加えることはいくらでもできるけど、
それをやりだしたらどんな解釈でもできるでしょ。

「意味は無い」という意見は(全部がそうだとはいわないけれど)
「意味はある」という立場の解釈内容も前提として、
作品のテーマということまで視野に入れた上で、
そういった解釈内容自体に意味が無いということを言っているのだと思う。
(少なくとも私はそう)

例えば、
http://village.infoweb.ne.jp/~fwih5694/main-story3.htm#top
の解釈は筋が通っているけれど、根本的な問題が残る。
つまり、
「その程度のことを示唆するのに、なぜあれほど暗示的な表現が必要だったのか?」
ということ。

煎じ詰めると、そのような、他者と自分との関係性の不安というものも、
爆発や飛び散る血と同様、視聴者に衝撃を与えるための、
演出上の効果(あるいはそのための枠組み)にすぎなくて、
演出によって支えるべき作品のテーマというものは
存在していないのではないかと言う点を指摘したい。

そうであれば、最後のシーンの意味を解釈すること自体も、
単に、ディフォルメの手法や、カット割りの手法ていった、
技術を解析する作業と同様のものであって、
作品の解析とはいえるが、
作品自体のテーマ性とは全く無関係なのじゃないか?
そういう意味で「意味は無い」といっているのだが?