LASにおける、アスカの性格改変について☆

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447○○アスカ好き(仮名)
>>446

このようなものを見て、私に何を語れと?

まず、現代思想的な見方でエヴァを語ると(その是非はともかくとして)、先に取り上げられた
評論を見ても判るように、綾波を始めとしたキャラクターを深く語ることは出来ません。
キャラクターの設定が一定していないからです。
1−6話までの綾波には人外という設定が欠けていたので、ヤシマ作戦における綾波に対して
人外少女の悲しみを見たりするのは、全て妄想なんです。
妄想が悪いというわけではないのですが、脱構築的な読みにおいてはそのような読みは退けられ
なければなりません。

また、これもすでに結論が出ていますが、この手の本田氏と反本田氏の対立という奴は、
究極的にはどちらがシンジにとって他者であるかという問いに行き着くかと思われますが、
エヴァという作品においては、他者というのはシンジにとってどういう存在か判らない存在
のことを言うのです。
それは使徒であるかどうかということは関係ありません。
主にシンジに対して好意を持つことが視聴者にとってはっきりしているか否かによります。
だから、「碇君と一緒になりたい」とシンジへの好意を顕わにした途端、綾波は死ななけれ
ばならなかったし、シンジへの気持ちが家族か復讐の駒かの間で揺れ動いていたミサト
は、復讐の呪縛から逃れシンジを家族として送り出した後、死ななければならなかった
のです。シンジを愛していたかどうか不明であったゲンドウは、シンジへの愛情を告白
した後初号機に食われますし、シンジに対して好意をあらわにしたカヲルも死ななけれ
ばならなかったのです。表層に寄り添った見方をした場合、シンジに対して好意を表し
たキャラクターは死ななければならないのが、ルールなのです。


アスカが最後に残ったのは、身近な他人の中でアスカだけがシンジに対して好意を持っ
ているのか嫌っているのか、視聴者にはどちらともとれるキャラクターだったからで、
仮にLASな未来が予測されるにしても、作品の中で語ってはいけないのです。だからEOE
は唐突に終わったと考えられます。

だからアスカは(綾波は)他者だからLAS(LRS)は正しいというのは、現代哲学を援用
してエヴァを語った場合は、間違っているとしかいいようがないんですがねえ。
ラブラブであるかどうかが判らないからこそ、アスカが側にいたわけで。

ラブ話を作りたいのなら最初っから妄想として語れば良いんですよ。