LASにおける、アスカの性格改変について☆

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347○○アスカ好き(仮名)
>>344

私も某氏の『断罪物を脱構築する:某断罪FF、三島、あるいは聖闘士星矢』は、題名だ
けしか知らないのですが、大した作品ではないと思います。

確かに某作品には過剰に装飾すればするほど空虚さが際だつ三島の文章に通じる物があ
ります。もちろん戦略的にそのような文体を用いた三島に比べれば、無自覚なかの作品
は、いかにも底が浅いことは間違いないのですが。この辺りは自らの作品の主人公に対
してあくまで皮肉な視点を保ち続けた三島に対して 、シンジと同一化して自己陶酔し
ているかの作者の態度の違いにも現れています。

まあそこで聖闘士星矢が出てくるのでしょう。

本編を通してエヴァの主人公のシンジはほとんど成長出来ませんでした。これは、最初
は弱い主人公が努力して強くなり、仲間を得て、最後には強敵を倒してハッピーエンド
という、本宮ひろしをオリジナルとする王道少年漫画へのアンチテーゼと捉えることが
出来ます。そういうエヴァ本編に対する不満から、初期のエヴァFFはシンジ少年がヒロ
インを守るために努力して成長していく作品が多かったのだと思います。王道への回帰
ですね。

一方少年漫画の世界では夏目房之助氏がいうように、80年代前半に車田正美の『リング
にかけろ』によって一つのパラダイムシフトをむかえます。修行のプロセスを踏むこと
なく登場し、解説不可能で隕石や光のエフェクトがでると相手が吹き飛ぶという必殺技
により敵をなぎ倒していくという、カタルシスのみで構成されたマンガです。

禁欲(努力)と蕩尽(勝利)を繰り返すことによって感動を生んでいく少年漫画におい
て、『リングにかけろ』の成功が大きな事件であったことはいうまでもありません。

つまり、いきなりコンピューターに選ばれてスーパーシンジになってしまい、その力に
よって悪をなぎ倒していき、読者がその正義に疑問を感じるまもなくカタルシスを感じ
させ続けることでストーリーを押し進めていく某作品が現れたということは、少年漫画
において『リングにかけろ』が革命を起こしたのと、同一の意味を持っているというこ
とでしょう。

ドマンが語った「『そんなことに何の意味があるのだ』という夫の言葉を字義通りに解
釈して、靴ひもの通し方を右を上にするか左を上にするかにいかに重要な意味がある
かを真面目に語る妻」という脱構築についての解説を持ち出すまでもなく、テクストに
あくまでも寄り添うことによって作者が語らなかったことを作品に語らせるという、脱
構築の手法を持ち出すまでもなく、普通に読解を行っていけば、かの作品と三島と車田
マンガの間の関係を理解することは容易なことなのです。

やはり断罪物を脱構築するのなら、デリダがハイデガーのナチ礼賛のテクストにユダヤ
教の影響を見たように、断罪物に対する批判がそのテクストに内在することを暴かなけ
れば意味がありません。


まあ、精神分析を応用して逆行物と歴史修正主義の関係に言及した私の作品の方が、は
るかに上でしょうね。