ゲンドウだが、何かあるなら早くしろ

このエントリーをはてなブックマークに追加
920+碇ゲンドウ+
>>915続き
エヴァ:
全員の意志は決してまとまらないものとして描写される、
アニメ特有の「目的達成による高揚感」に欠けるアニメ。
最初から表層的テーマを壊す試みを入れ、
しまいには戦闘そのものが心理的圧迫になる。
シンジは何回もエヴァに乗る事を肯定しようとするが、
結局肯定しきれずに終わる。

「共通目的」の否定=個人の覚醒
と言う主題?において非常に実存的である、とも言える。

また、自己と内面の自己、あるいは自己の内部に息づく母親
イメージの問いかけ(関係性の構築)では母親のコラージュ
でもある綾波レイ
(=キャラクターの作り方としては「自身に内包する原少女」)
と向き合い、自身を(脅迫的に)掘り下げるシーンをリルケの主題と
だぶらせたりしている。
あそこで言われている孤独
(判ろうとしたの?と言う問いかけで追求されるもの)
とは、リルケの主題のひとつ。

そして、「人類補完計画」そのものも認識の違いを乗り越えて意志を統一
してしまう、とも取れる所にわざと反実存=ファシスト的ともいえる
旋律をからませ、後の開放感に繋げたかったのであろう、多分。

言うまでもなく、キール議長の最後のセリフ
「良い、これで良い」は普遍的真理を最後まで問い続けた
ドイツの哲学者、エマニュエル・カント爺の辞世の言葉。
メタファー(隠喩)としてはカントを暗示させる事によって
全体的真理(=普遍的真理)の否定を喚起させたいのか。

簡単にはこんなところだろう。