ゲンドウだが、何かあるなら早くしろ

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678+碇ゲンドウ+
昔の話をしよう・・・・

幼い頃、私は無力な、寂しい心を持った子供だった。
当時、この国はお世辞にも住み易い国家とは、言いかねた。
人々の心の分裂、お互いへの敵愾心、そして私達、子供に与えられた
過度の競争によるストレスと人間不信。

その結果産まれる無言の暴力は、往々にして力の弱いものに向けられる。

生まれからして裕福でない、ピンクの父親を持ち、根無し草の国内移民
である私は、常に無理解、無言の暴力と対峙して来た。
そして、その心に棲む暴力の流れに、飲み込まれていた。

私は人間が嫌いになった。他人が疎ましいと感じるようになった。
ほとんど好かれる事を憎んでいたと言っても過言ではない。

クラブ活動をするにも、費用が出せない。
遊ぶにしても、何をするにしても、貧乏で大したコネも無い私が
何か良い思いをできる訳でも無い。
私は、勉強をすることによって逃避していた。

いつしか、私はネコを、近所のノラネコを相手に遊ぶようになった。
彼等は、自由だ。憎しみからも、自分の境遇からも自由だ。
それに、金もかからない。
私は、彼等と遊んでいる時に限って、自分の気持ちが軽くなるのを感じられた。
しかし、ノラネコは当時、増え過ぎていて社会問題にもなっていた。
そんな時、生物の存在の仕方自体を変え得るような方法論が確立されたと聞いた。
私は、その新しい生物学の見地から自分の友人の問題を解決出来ないものか、
と考え、自分の進む方向を決めた。

今思えば、人間の一生等、ささいな事で決まるものだ。
そして、舵も、進路も、ささいな事でそれて行く・・・・・