新劇シンジは悩まない
どんな苦難も健康的に消化していく
悩んではいるだろ 元々抱えてるものは同じ
シンジ自身は新旧同じで、周囲がちょっとまともになるだけでシンジの対応も変わるって表現だし
>>52 既出のようだが、そうした悩みを乗り越えろ!旧以上に強くなれ!ってことなら分かるけど
あの環境で悩むなって要求はキチってるとしか思えん
>>56 同意、そうした悩みを乗り越えて、旧以上に強くなったからこそ新劇シンジは絶賛されているんだよね
煽りってそういうもの
新シンジは好きな女が出来たから、くだらんことで悩まないんだよ。
悩みよりも先に女のことを考えるから。
『ここでしか生きられないって、どういうことだろう?』
『綾波の料理って、大丈夫かなあ』
頭の中は女のことでいっぱい。
そうでもない
参号機事件のあとミサトがレイのこと言及したのに
「もう僕は誰とも笑えません」と言って出て行ったしな
少なくともこの時点では誰かのために残る気はなかったわけだ
まあ零号機が食われるまでは、親父への失望と怒りで、何も考えられない見えないって感じだったんじゃね?
シンジって、思い込みが激しいから。
境界性人格障害だからなあ
Qではシンジがレイを殺すんだと思うな
シンジは厨二病
それは違う<厨二病
シンジが抱えてるのは親に刻まれたトラウマであって
同じような境遇では年齢に関わらず見られるモノ
先生の愛情に気付かなかったんだな
まあ中二に厨二病と言ってもなあw
別に中二が全員患うモノじゃないよ。
中二病(ちゅうにびょう)とは、思春期の少年少女にありがちな自意識過剰やコンプレックスから発する一部の言動傾向を小児病とからめ揶揄した俗語である。
伊集院光がラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』の中で用いたのが最初と言われている。
「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での「病気」または「精神疾患」とは無関係である
症例 [編集]
以下は『オタク用語の基礎知識』内の中二病の項目内で紹介されている症例の一部である。
洋楽を聞き始める。
うまくもないコーヒーを飲み始める。
売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。
やればできると思っている。
母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言い出す。
社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。
ネットウヨクも厨二病なんだろうか?
どうも馬鹿の一つ覚えを得意げに蘊蓄語りするのも厨二病のようだな
旧エヴァ評論
非常に記号的で拘束的な『成長しない』キャラクター達
テンパッたり悩み苦しむ暗い、躁鬱状態がまるで人間にとって良いかのような誤解にとんだ作品ですね
例えばシンジというキャラクターの紹介に感受性が強いとあるんですよ
コレが私のように本当に感受性が強い人間からしたら馬鹿馬鹿しいw
みんなワイワイと楽しんでいるのに自分は楽しく感じられなかったり
ちょっとしたことを強烈に不快に感じ、悩み苦しむ人間は感受性が強いわけではなく
ただ単にセンターが破壊されているんですよ
キャラも作品もセンターの無いスティッフ(拘束的)だと
同じようにスティッフな人たちは安心感を得て癒されるんでしょうけれどw
エヴァンゲリオンという作品は日本人が最もスティッフだった時代の象徴的な作品ではありますね
もちろんそんな作品は真善美の無い偽者ですよ
先生は善い人だよ
シンジも大人になれば先生への感謝の気持ちとか湧いてくるだろうね
歳食ってさらに感謝の念がわくのはよくある事だが
現状でも頼って無いだけで、別に感謝が無いとかいう描写も無かろ
そんで先生がどんな人かなんて全く不明だから妄想イラネ
ただし理由は知らんが、作中の台詞からして、普段の生活においてシンジは実質一人暮らしだった
そりゃ先生は忙しいからな
あんな時代に親に見捨てられても衣食住に困らず生活出来てたんだから有り難いよ
妄想はイランって
結局シンジが孤独だった事なんて無いんだよ
誰かしらが見ていてくれた。感謝だね。
何がお前をそうまで駆り立てるのか・・・
孤独なんです
シンジが孤独な時期があるとすればNERVを退職してからかな
何がお前をそうまで駆り立てるのか・・・
エヴァキャラで孤独なキャラと聞いてシンジを思い浮かべる奴は居ない
ファンのみならず、監督スタッフに至るまで
2回に一回くらいのペースでトウケツレスしててワロタw
ライフワークだからな
まあシンジなんて全然孤独じゃないよな
孤独とは違うよな
軽い病気みたいなもん、心の
>88
孤独だからそれになったんだがな
またケツの人が寄ってくるぞw
45歳無職童貞、友人彼女無しの俺の方が孤独
保守
保守
エヴァ板良スレ保守党
エヴァ板良スレ保守党
(略)
悲観的なビジョンで彩られている世界観です。あえて、楽観的な気分を排除した舞台から、物語をスタートさせました。
そこにいる14歳の少年は、他人との接触をこわがっています。
その行為を無駄だとし、自分を理解してもらおうという努力を放棄し、閉じた世界で生きようとしています。
父親に捨てられたと感じたことから、自分はいらない人間なんだと一方的に思い込み、かといって自殺もできない、臆病な少年です。
そこにいる29歳の女性は、他人との接触を可能な限り軽くしています。
表層的なつきあいの中に逃げることで、自分を守って来ています。二人とも、傷つくことが極端にこわいのです。
二人とも、いわゆる、物語の主人公としては積極さに欠け、不適当だと思われます。だが、あえて彼らを主人公としました。
「生きていくことは、変化していくことだ」と云われます。
私はこの物語が終局を迎えた時、世界も、彼らも、変わっていて欲しい、という願いを込めて、この作品を始めました。
それが、私の正直な『気分』だったからです。
『新世紀 エヴァンゲリオン』には、4年間壊れたまま何もできなかった自分の、全てが込められています。
4年間逃げ出したまま、ただ死んでいないだけだった自分が、ただひとつ
『逃げちゃダメだ』
の思いから再び始めた作品です。
自分の気分というものをフィルムに定着させてみたい、と感じ、考えた作品です。
それが、無謀で傲慢で困難な行為だとは知っています。
だが、目指したのです。
(略)
1995 7/17 雨とくもりの日に スタジオにて
脚本・監督 庵野秀明
シンちゃん
>>98 そのレスにいったいどういう意味があるの?
他の奴も苦労してるのに
ジストはシンジの苦労ばかり強調してるよね
シンジ
シンジをすっぽんぽんにしてボディーソープを塗りたくって激しく絡みたいたいんだよ俺は!!!