>>28 ひとりひとりの敬虔な教徒は(別の文化形態から見た)悪行などしなくとも
かれらがいつもより1銅貨でも多く寄付すると、中央集権の場には巨万の
活動資金が集まりましょうな
山奥の小屋で一人信仰に生きているならば別かもしれんが…
別に一銭も喜捨しないとしても、その生活様式を採って生きている限り、
他者には影響があるということ まぁ仕方のないことだが
ナチス支配下で反アーリア人など唱えていたら即ゲシュタポあたりが来るからなあ
人間の集合に属する限り仕方のないことかもしれませんが。
何がいいたいかというとね、例えば戦時中の無差別爆撃で市民が殺戮されたとして、
該当被害国からは「非戦闘員の殺傷は国際法違反」っつー批判も出るでしょうが…
実質的にその国の経済や生活を支えているのはそういう市民のおかたですからね
銃後の守りとはよくいったものよ 逆に言えば、重要な目標といえなくもない
人道や国際法でカバーしてはいるけれどね
アッチ コッチ
「あなたとわたしは違う」ありていに言えば世の中の戦いはそれがすべてだ
そういう意味で、>異文化理解 というのは
とある言葉で「全てを理解することは、全てを許すことである」というのがあるが
実につまらぬ言葉だと思うね ある種の事柄では、相手を理解すればするほど
相手を許せぬと思うようになるものだ まぁ、それが都合の良い言質を採ってるってこと
には直接繋がらないとは思うが… 君臣豊楽、国家安康でもないでしょうし(汗)