12ページ 〜 13ページ
エヴァの世界は三のパラレルワールドである
一つは現実。もう一つは日本文化の象徴の世界。さらにもう一つは架空のSF世界だ。
そして、そのそれぞれの世界に過去・現在・未来がある。つまり3×3の9ステージが
存在するのである。
物語は、その九つのステージのどこかに飛翔して進行していく。それを一つの
世界として見てしまうと混乱が起きる。目にしている世界がどのステージなのかを
正しく認識していないと、わかるものもわからなくなってしまう。
特に劇場映画版では、SF世界における40億年後の未来世界というとんでもない
スケールが展開しており、さらに友人関係、親子関係、社会が現実世界と同じ状況で
現われてくる。それに対して制作現場の内輪話やスポンサーの話、アニメファンを
象徴した話が連続的に飛び交っている。たくさんの目を持ち、あらゆる視点で注目し、
その全方位のアンテナ受信で頭を切り替えて見ていかないと、エヴァの世界は理解できないだろう。
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先生のいない学校
フィルムには、老教師と校長しかいない。これはセカンドインパクトで子供が
いなくなり、学校が成り立たなくなり、生き残った先生も人手不足のため
他の仕事につかなければいけない、という状況があったためだと思われる。
子供がいないということは、新たに教師になる若い人がいないということ
でもある。わずかに残った若い人間はほかの必要な仕事につかなければならないのである。
セカンドインパクト後に生まれた子供が大きくなり学校が再開されれば、
リタイアした老教師しか先生のなり手がいないのではないかということも考えられる。
シンジたちを担当している老教師が、シンジたちに向って、
「父や母がセカンドインパクト後の日本を支えている」
という内容を語っていることから、この老教師が教師の職
を失ったあと、肉体労働に従事していたことがうかがわれる。
このように何げないフィルムの描写の中から、この時代の
厳しい様子が見えてくるのではないだろうか。
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EVAをどう見るか――フィルムの中にある現実を見つけよう
連続大河TVアニメーション「新世紀エヴァンゲリオン」は、本来はとても
難しいテーマを、短い時間の枠の中で、見事に編集してくれている。専門家が
素人にも理解できるように説明してくれている側面があると思う。これは報告としては
、非常に貴重なものではないだろうか。
現代は情報社会である。インターネットは世界の情報を限りなく提供してくれる。
新聞、雑誌、電信電話、ファクシミリ、テレビ、ラジオなどマルチメディアは日進月歩
どころか、秒速で情報を流し続けている。
まさに情報の洪水。大洪水である。だが、情報の洪水のなかで、溺れかけているのが
現状ではないだろうか。
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われわれが普通に生活していて、TVやラジオをつけていれば、だれにでも
情報は入手できる。しかし、その情報をいかに選択し、利用するかが重要
なのだ。それに気づいている人ときづいていない人とでは、生き方に差が
でてくるのではないだろうか。生き方の差といっても、何も点数で優劣を
つけるつもりはない。いかに上手に生きるか、と言い換えてもよい。
必要な情報を、選択するかの問題でもある。現代人に必要なものは、いかに
情報を選択するかである。
そのためには、不必要な情報はどんどん捨てていかなければならない。
「見ない」「聞かない」という選択肢が必要になってくる。
エヴァンゲリオン(EVA)は難しい専門書を読まなければ理解できない
だとということはほとんどないと思う。難しい専門書をたくさん読まなければ
解説できない、というのはすでにナンセンスなのである。
映画やTVでもそうだが、みんなが同じようなものを見ているはずなのに、
感じ方によってそれが有効に使えるか、ムダに時間を過ごしてしまったかの
差が出てくる。その差はかなり大きいような気がする。
エヴァンゲリオンを見て、わかる人とわからない人が出てくる。なぜだろうか。
同じ作品を鑑賞しながら、人それぞれによって評価も異なるし、感動や印象も違う。
難しい書物を読まなければ理解できない内容のものを作ったとすれば、それは
偉大な駄作というべきである。よい作品とは、まず第一に面白く、大人でも子供でも、
その面白さに引き込まれてしまう。それを見た人、読んだ人が永い月日を経ても
やぱり面白いと思う。それこそすぐれた作品といえる。
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われわれは通常、日本にいるわけだが、海外の情報、もしくは日本の過去
の情報はほとんど入ってこない。これだけ情報が氾濫している状況でありながら、
よくよく注意してみれば、それはとても狭い範囲での情報でしかないことに気づく。
世界のどこかで凄い事件が起こっていても、その情況の詳細はまったく認知できない
状況にいるのではないだろうか。
エヴァンゲリオンは、過去のことがわからなければ解けない、という側面は
あるかもしれない。だがしかし、どうなっているんだと質問を発するより、
どうなんだろうと検証する処理能力が問われているのだ。昔、起った事件に関しては、
われわれはすでに接することはできないわけだが、数少ない情報の中から
検証していくとか、比較討論するとか、その情報選択の能力さえあれば、きちんと
処理できるのではないか。その意味ではあくまで比較論にしかならないが、
いま現在、身近にあるものを検証していくことで比較材料になるであろう。
エヴァンゲリオンの場合、登場するのは主に少年少女。物語の中で、
彼らは何を考え、どのように行動するのか。それを見るのは、同年代の
少年少女である。
作家と呼ばれる“芸術家≠ヘリアルタイムな対象(登場人物)に何を、
どのように表現するのか。方法論は違っていても、表現しようとしている
こと、伝えようとしていることは、他の多くの作品とあまり変わらない
のではないか。そういう視点で捉えれば、同時多発的なアーティストの
感情をもっと注目してもいいのではないか。現に私自身、参考文献
など難しいものはいっさい読んでいない。TVを見て、マンガを読んで
いるだけで、一般的な本、小説すら読んでいない。このような私でさえ、
エヴァンゲリオンのを解くことができる。
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エヴァンゲリオンのの世界は、すべて身近な近似体験の事件の連続である。
観ている人が体験できるものばかりである。戦場に行って体験しなければ
戦争がわからないとか、病院に入らなければ重病の意味がわからないとか、
宗教団体に入って修行しなければ理解できないとか、そんな話とは無関係である。
むしろ、そんな事柄とくっつけて話をすることがナンセンスなのである。
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本書を使っての補完計画発動!
エヴァの答えを見つけられない人の間違った考え方に、自分の欠けた
部分を補完するというものがある。
それは、なぜ間違っているのか。
欠けた部分はある意味で、その人の個性である。欠けた部分を補完する
ということは、その個性をなくすことになる。あるいは、できもしない
部分をどうにかしろということになる。これは、アイデンティティや
プライドの否定である。違うものを除外してしまうことである。
そうではなく、自分の優れたところを伸ばしていき、足りないところは
コミュニケーションという手段で補えばいいのではないか。
エヴァを見て満足した人間でも、実はそれとあまり変わりはない。
「ああ、面白いアニメだったな」と思う、また次のアニメを見るだけである。
しおれを見たことで何かが変わったわけでもなく、自分が進歩(変化)
するわけでもない。
しかし、ここが大事な点だと思うが、半年一年経てば、人間はどう進歩
したのかを必ず問われるはずだ。エヴァはこれを見て、これを体験した
ことによって、いままでの自分ではない自分を発見することができるのだ。
自分史の発見である。本来ならば、自分の力で見つけなければならないのだが、
エヴァはそのお手伝いをちょっとだけしましょう、というのだ。
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一人の人間が何回見ても、その都度に違った印象を与える。自分の浅はかさ
を知るということでもあるが、それがわかっただけでも十分価値があり、
それは同時に自分の成長を意味する。
自分が分からなかった部分は他者の見方と互いに補完することによって
コミュニケーションが広がり、自分もまた大きくなれるのではないか。
そして本書によって完全に理解できるようになってほしい。
補完計画とは、コミュニケーションそのものななのではないか。見知らぬ者
同士が話をするためのネタがエヴァにはたくさんある。
会話に使ってくださいというように考えた場合、こんな素晴らしいネタは
ないであろう。
エヴァは本来、完結した話であり、作品中にある個性をどうやって
生かしていくかを語るはずだったのだ。
つまり、話しの出発点が間違っていたのではないか。エヴァで語られる
コミュニケーションは、もっと具体的で実用的なものになるはずだった。
子育てをどうするか、会社での上司と部下のつき合いをどうするか、
同僚との関係をどうするか、恋愛etc‥‥。しかし、そういった表面的にしか
語られないのである。しかもメディアは、きちんと解説するのを放棄してしまった。
本来あるべき補完計画がまったく発動しない。したがって、これを知った
人間が大きく成長するとか、飛翔するといったことがない。私はそれが嫌いだった。
だったら補完計画は、われわれが発動しよう。
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この本を読んで、ただ感動したというだけではいけない。人間が生きて
いくために必要な話を、具体的に、エヴァを通してできる状況を作って
いきたいのだ。
セカンドインパクトの日に、この本をぶち上げたのには、私のこの願いが
込められている。「補完計画」はコミュニケーションであり、いかに友人
をたくさん作るかということである。「エヴァンゲリオン」を見ていろいろと
考え、語りあうこと、それが補完計画なのかもしれない。
〔注〕
本書は、九月十三日完成予定だった未発表同人誌用の原稿に加筆修正を
加えたものです。なお本書出版にあたり、同社より出版の『死海文書の謎』
の筆者浜洋先生より、貴重なアドバイスをいただきました。この場を借りて
御礼申し上げます。
未発表同人誌は声優の清川元夢氏に捧げられる予定でした。
本書のタイトルは一九九三年に庵野秀明監督が製作した、
伝説の同人誌を意識してのものです。