P3
〔序文〕
人間は誕生したばかりの時は、道具も言葉も満足に使えなかったはずである。
そんな最初の人類が、お互いに触れ合い、子孫を残して来られたのは、
人間の最初の心「まごころ」があったからではないだろうか。
人間が使う道具はすでに人の力を越え、地球をも滅ぼせるようになってしまった。
言葉は氾濫し、人々は「まごころ」をどこかに忘れてきたのではないだろうか。
エヴァンゲリオンは人類が失ってしまった「まごころ」を取り戻すお話だったのでは
ないでしょうか。そして補完計画は、そのためのステップだったのかも知れません。
みなさんも、本書とともに「まごころ」について考えてみませんか。
本書は、「新世紀エヴァンゲリオン」の人物に焦点を当て、心の触れ合いや
嫉妬・葛藤・人間の絆などを、作品中のセリフやフィルム上の顔の表情、
視線の向きなどから考察し、作品中の事件と照らし合わせて、登場人物の
嘘と真実を探り出していくことにより、みんなが現実を生きることをどのように考え、
行動しているのかを開設している。
そしてドラマを通して、現実に生きてゆくことの辛さを知ってもらい、
それを生きることの面白さに変えてゆくエネルギーに使ってほしい願う。
人生には必ず、初めての出会いがある。それはすべてが、未知で嬉しいはずだ。
しかしお互いが未知であるがゆえに、無用の衝突やいらぬ誤解も起こる。
その先にあるのは、全てを知ってしまったあとに起こる衝突だ。
妥協することができなくなってしまったその先にあるのは「絶望」、そして
悲しい「別離」である。
人生の「サードインパクト」を未然に防ぐためにも、本書を利用して欲しいと思う。
P10
エヴァンゲリオンとは
「新世紀エヴァンゲリオン」とは一九九五〜九六年に、テレビ東京で放映された
連続体がTVアニメーションドラマ。その斬新な映像と入魂の作品内容で、
多くの話題を提供してくれている。
しかしメディアで取り上げられるのは、経済効果やネタにしかすぎない
カルト用語だけ。はたまた便乗の記事というシロモノがほとんどで、
作品内容に真正面から取り組んだ記事を目にすることは皆無といって
いいように思われる。
われわれはキャラクターや設定に心を奪われ過ぎてはいないだろうか。
作品の本質であるテーマや脚本・演出の妙を見過ごしてはいないだろうか。
ドラマの流れ、エヴァと人物の動き、音や色彩などあらゆる角度から見すえる
ことではじめて「新世紀エヴァンゲリオン」の世界が見えてくるはずだ。
エヴァの演出で特筆すべきは、監督の庵野秀明が十四歳の少年になりきって
物語を創っていることではないかと思う。それでいて、カメラ目線は二十九歳の
お姉さんである。この両者のすれ違いがドラマを生み出していく。
エヴァの本当の主人公は、鈴原トウジを中心とした壱中の三賢者(三バカトリオ)
トウジ・ケンスケ・ヒカリではないだろうか。彼らは自分の将来の夢や恋愛、
そしてファッションにと、いつも希望を失わずに持っている。それは彼らだけの
ものではなく、人類の希望でもあるわけだが、二十九歳の女性はそのことに気づこうとしない。
見えているはずなのに認識できないでいる。
三人は当初から日本の将来を担う人材としての債務を背負わされている。
日本を統治する力、日本を建築する力、そしてそれを支える希望の光。
大人たちは、彼らにプレッシャーをかけないように、注意深く、温かく見守っている。
三人に与えられた課題とは、子供らしく生きること、人間らしさを取り戻すこと。
これこそが終局を迎えつつある人類の希望であり、「たったひとつの、冴えたやりかた」
なのではないだろうか。
P11〜12
三つの世代
物語は、おやじの世代・若者の世代・子供の世代の三つの世代によって展開する。
おやじの世代はセカンドインパクト後、たくましく生きていくために、きれい事
はいわない。新しい時代の基礎を作り、次世代の子供に夢を託す世代である。
若者の世代は、セカンドインパクトが大きなトラウマになっている。
生きることより死ぬことのほうが大きな価値観を持つ。生きることに前向きに
なれないのだ。罪を犯すより死んだほうがましだと考える一方で、ミサトのように
自分の目的を達成するために、他人に無理強いをさせることもある。
現実からの逃避と無責任さを持っている。したがって大人たちからは根本の
ところで信用されていない。
子供の世代は、悲惨な過去を知らないので、苦労や努力といったものがわからず、
おやじたちを理解できない。その一方で、若者のひたむきな姿勢に憧れを抱いている。
物語は、三者三様、それぞれの世代の立場から見ることによって、全然違う話しに
変化するだろう。この三つの世代のギャップは、見事に表現され、描かれている。
それぞれの世代は自分の主張をはっきりと言い、そこに埋め合わせのできない
深いギャップが出てくる。人生の深淵とでもいうべきか。
しかし作品は、どちらの世代が正しいかを問うているのではない。ここに主眼を置いて
注意深く見ていくと、ストーリーの面白さは倍加するだろう。少し離れた
立場から視線を注ぐと、各々自分なりの解答を導き出すことができるのではないか。
だれもが必ず、当事者になるのだから。