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ケンスケがトウジと親友になったのは、「おまえ、どこ出歩いとんじゃい。ちゃんと
学校出てこんかい」と、ド突かれたことで、自分の存在価値に気がついたことがきっかけだった。
――作戦中、偶然に碇シンジと出会う。いや、偶然ではこんな所で出会うはずがない。第一、
碇はネルフの訓練施設にいるはずではなかったのか?
碇シンジは何も話そうとしないけど、暗い顔をしているところを見ると、恐らくネルフから
脱走してきた、というところか。何か理由があって、無理矢理にロボットに乗せられているというのは、
本当らしい。やはり殴られたことを、まだ恨んでいるのだろうか。
トウジの妹のことに話を振って探りを入れるが、反応はない。せっかく人があいだに入って仲直り
させてやろうとしているのに、碇という男は無神経な奴だ。それに、殴ったのは俺じゃないんだぜ。
すかさず話題を変えてみたら、返ってきた答えは、ミサトさんのことだった。
ふーん。ミサトさんねえ。なんだ、碇はそんなことで悩んでいたのか。それじゃ以前の俺と同じじゃないか。
碇は、ミサトさんに必要とされているのを実感できないでいるのだ。恐らく敵をやっつけたのに、命令違反
をしたことを怒られて、自分でどう対処すればいいか、わからないのだろう。怒られたり命令
されたりするってことが、ミサトさんから必要とされていることの証だってことが、碇はまだ
理解できないでいるのだ。要するに、まだお子様ってことさ。
母親のいないケンスケは、子供の頃から怒られるという経験がなかった。子供は、親に甘えたり、
反抗したり、すねたりして、母親の小言を耳にしながら育つものだが、ケンスケにはそれがなかった。
父はケンスケの才能に惚れこみ、やりたい事はなんでもやらせてくれたし、学校を休んで戦艦を
見に行くときも、先生に根回しをしてくれていた。また、頭脳明晰で、他人に暴力をふるったりすることがない
ケンスケが、学校で怒られるなど考えられないことだった。
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それだけに壱中でトウジに初めてド突かれたときは、大きなカルチャーショックを受けた。だが
ケンスケは、それは他人から自分が必要とされていることの証しだ、と気づくのに時間はかからなかった。
いまでは、うるさいことをいうのは委員等だけになってしまったが、ケンスケはむしろそのことを
嬉しく思っていたのだった。
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碇シンジとケンスケ
――次の朝、転校生はネルフの諜報部に連れて行かれる。ということは、畜生、わざと
泳がせておいて、だれと接触するかを調べていたんだ。
恐らく、碇がここに立ち寄ることも織り込みずみのことだったんだろう。他にも武器を持った
人間が退路を塞いでいるはずだ。いや、前の事件で俺の方がマークされていたのかもしれない。
くそっ、パパもグルだったってことか。いや、パパのコネがなければ、こっちの方がとっくに
消されていたかもしれない。そういうことなら、今度はこちらからネルフの情報をハッキング
してやる。武力なら負けるけど、情報戦なら十分に勝算はあるんだ。これからは、
正確で速い情報を持たないと生き残れないということだ。
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――結局、碇シンジはこの街を出ることになった。というより、ネルフに追い出されたと
いうことか。命令に違反したり、任務から逃げ出すような男の居場所は、ネルフにはないというわけだ。
トウジを連れて、碇シンジの見送りに行く。碇の忘れものを返さなくてはならない。トウジも
謝ることができないままでは、気持の整理がつかないようだ。碇に、殴ってもらうなどと恥ずかしい
ことをいっている。碇が逃げ出したのは、自分のせいだと思い込んでいるようだ。
しかしこの野蛮な儀式が、碇シンジにとっては壱中においての、たった一つの心の触れ合いだったとは、
皮肉なものだ。碇は生涯の友を得て、そして失ってしまうのか。俺は碇がネルフに連れて行かれるのを
黙って見ていただけだし、碇には何も与えることができなかった。せめて、トウジの本当の心を
伝えてやる事が、俺が碇にしてやれる唯一のプレゼントというわけだ。
しかし、どうして碇シンジは自分を責めるのだろう。内罰的というかペシミズム(悲観主義)
というか、碇の心のなかに何があるのか俺たちにはわからないが、それは碇自身が自力で解決
しなければならない問題なのだ。原因を他に押しつけることは卑怯者がすることだ。
碇シンジの言葉は、トウジの心に一生消えない傷をつけてしまった。「殴られなあかんのは、わしの方や」
――またもや、せっかくの苦労が台無しになってしまった。
碇シンジを見送りにミサトさんがやてきた。「ネルフは碇を見捨てたのではなかったのか?」
ネルフはまたしても僕の目の前で、碇シンジという少年の世界から大人の世界へと連れ去ってしまった。