短編で
「冷たい風、温かい肌」
国語の教科書に書いてある俳句とか詩とかには、冬という季節の寒い中に暖かいものに触れたり、熱い
ものを飲んだり食べたりすることがどれだけ感動することか書いてあるものが多い。暑い時にアイスキャンディー
をかじる様なものか、と想像してはみるけど、いつも冷たいものを食べているような気がする。
昔、季節の移り変わりというのがあったそうだ。いつもそこらじゅうでセミが鳴いているけど、セカンドインパクトの
前はそれは一年のうちの、ほんの2、3ヶ月の間だけだったそうだ。その後で秋という季節が訪れて、セミはみんな
死んだらしい。木の葉っぱは茶色くなったり黄色くなったりする。そして少しづつ寒くなり、葉が全部落ちた頃に
冬になる。雪というものが降る。
なんてことが教科書に書いてあっても、それがどういうものだか僕に分かるはずがない。ミサトさんに聞いたら
「ど〜せ私は20世紀生まれですよーだ!!」
といって、夕食も食べずにずっと飲んだくれていた。オペレーターの人たちに聞いてみても、
「ちょっと口では表現できないな」
というばかりだ。
ヤシマ作戦で九死に一生を得て以来、綾波と少し仲良くなった…と、思う。誰とも話さないから、誰とも
仲良くなりたがらないと前は思っていた。あの時彼女の笑顔を見て、もしかしたら普通なのかもしれないと
少し思うようになった。それ以来学校とかで話しかけるようにしてはいるけど、
「そう」
とか
「そうなの」
とかしか答えてくれない。トウジやケンスケには、それが付き合っているようにしか見えないそうだ。
「一年の時に転校してきて以来、誰とも話さへんし、話しかけられても無視してばっかだったしなー。反応する
ってことは、センセに気があるっちゅうことで間違いないやろ」
委員長に至っては
「碇君は綾波さんと付き合ってるんだから、私なんかに話しかけたりしちゃダメよ。ああいう娘って意外と
嫉妬深いんだから。碇君どころか私まで逆恨みされるかもしれないし。くれぐれも、大切にしてあげなさいよ。
これは学級委員としてのお願い」
一体何を考えているんだろう。
朝から冷たく速い風が吹いていた。空を埋め尽くした雲の色は濃い。空気も湿っぽい匂いがする。
「雨降るかも知れないから、傘忘れないで下さいね」
「ジオフロントだから問題ないわよん」
「ああ、そうでした…僕のほうこそ、忘れないようにしないと」
「いい旦那さんになれるわよ。碇司令も、昔はこうだったのかしら」
「…ひどいことをいうんですね」
「…ゴメン、マジでゴメン」
折り畳みを一本鞄に入れて学校まで歩く。ミサトさんがそんなこというから、父さんのことを思い出した。
いつもは忘れようと努力してるのに。
…綾波が笑顔を見せたのは、僕だけだと勘違いしてた。父さんとも笑いながら話してたのに。
二人とも僕のことなんかどうでもよくて、勝手に僕だけが舞い上がってたんだ。
昼休み。たまに綾波の机まで行くこともある。いつも錠剤とかカロリーメイトとか、マシな時でもパンだけしか
食べていない綾波に弁当のおかずを分ける。最初は見向きもしなかったけど、ここ2,3日は一口か二口食べて
くれることもある。それで、僕に気があるかもって、仲良くしてくれるかもしれないって、勘違いしてたんだ。
それで今日はケンスケの机にいって、エヴァのこととか色々話しながら食事した。こういうのも楽しいかもしれ
ない。トウジも一緒で、あれこれ話が盛り上がる。
…僕は馬鹿だ。それでも未練があって綾波のほうを見てしまった。いつもと同じように黙々とパンを食べている。
やっぱり、綾波にとっては僕がいようがいまいが、関係ないんだ。
「センセ、今日は綾波とは食事せえへんのか?」
「ふぇっ!?」
ちらっと綾波の方を見た。自分が話題に上がっても、別に動じたそぶりはない。
「い、いや…。綾波と僕とは、別にそういうんじゃないから」
その事実を改めて直視するのが痛かった。
「そうやったんかい?」
「パイロット同士の友情、ってヤツだろ。お前は色々と勘繰り過ぎなんだよ」
「ふん、納得できんのう」
「ホントに、そんな想像してるようなんじゃないから」
食事を終えた綾波が立ち上がって歩き出した。僕のいる机の前を通り過ぎた。表情はいつもどおり。
5時間目の途中から、朝予想したとおり雨が降り出した。帰るころにはドシャ降りになっていた。傘を広げ
ながら出ようとしたら、不意に心拍数が上がった。
綾波がすれ違った。
傘も持たずに。
「傘持ってないの?」
「持ってきたわ。誰かに取られたみたい」
「だったら、止むまで待ってればいいのに」
「1430(ヒトヨンサンマル)から零号機の試験なの。今すぐいかないと間に合わないわ」
「だからって…まだ体も治りきってないんだろ?無茶しちゃいけないよ」
「碇司令が怒るわ。…どうして私の事気にするの?」
「え!?だ、だって…それは」
「私とは、 別 に そ う い う ん じ ゃ な い ん で し ょ 」
そういうと綾波は、大雨の中をずぶ濡れになりながら歩いていった。僕はその姿を見て、即座に駆け出していた。
「綾波、これ!」
「え…碇君?」
「体調悪くしたら、シンクロ率に響くよ」
そんなことを言いたかった訳じゃない。でも何が言いたいか分からなくて、変なことをいった。
強引に傘を握らせると、僕は駆け出した。泥が跳ねてズボンを汚すのも構わず、ただそこから遠ざかりたかった。
気が付いたら、人気のない公園の東屋にいた。雨脚は弱まってきてるけど、相変わらず強い。鞄をベンチの横に
乗せて、僕は固まったように座っていた。空の色も僕も憂鬱だ。体は濡れて冷え切っている。
不意に、後ろから声がした。
「…碇、君…」
「どうしたんだよ…さっさとネルフに行けよ、父さんが怒るんだろ!」
僕の言うことを無視して、綾波は僕に近づいた。突然、僕の手をとる。
「碇君の手、冷たい。あの時はとても温かかったのに」
「えっ?あ、あの時って…?」
言ってからヤシマ作戦の時のことを思い出した。絶望的な挑戦のあと、やっと掴んだささやかな温もり。
「あ、あのちょっと…!」
気が付いたら、綾波は僕の横に座って、もたれかかっていた。肩と腕に感じる体温が変に気持ちよかった。
「体調を悪くしたら、シンクロ率に響くわ。…もう少し、このまま」
「う、うん…」
この世で一番大切で貴重な宝物を預かっているような、誇らしくて心細い気持ちになる。綾波は目を伏せたまま
僕の肩に頭を乗せている。
彼女の華奢な肩がとても淋しそうで、腕を回したくなった。
暴走する心臓に振り回されながら迷った。意を決して腕を動かす。何もない。綾波が立ち上がった。
「上がったわ。行きましょう」
そういうと何事も無かったかのように東屋をでて、公園を横切りだした。
「遅れちゃったね。父さんに怒られない?」
「構わないわ」
振り向いた彼女の顔は、ちょっとだけ笑っていたような気がする。
僕はついさっきまで確かに感じていた温もりを思い出して、これが冬に感じる暖かさの良さなのか、と理解できた
気がした。