リツコがポケットの端末に向かって喋りかける。次いで執務室に入ってくる見慣れた、今は一番見たくない無精髭
「なぁんだ、うすうすは感じてたが、やっぱり付け入る隙なんか無さそうだな・・・」
「んなっ、どういうつもりよリツコ!」
「どうもこうも・・・だってこのままじゃ彼、生殺しよ?わかるでしょ?」
「フゥ・・・アンタ、どの辺りから聞いてたの?」
「展望台の一件、その夜になんかしてた、って辺りから」
もう怒りを通り越して笑えてくる。だけどやっぱり、加持君に関しては“けじめ”が必要かもしれない
「なにか、言いたい事、ある?」
「まぁ、あんな純朴な少年を誑かすなんて、葛城も隅に置けないな。それとも、シンジ君がプレイボーイなのかな、
ハハハ・・・」
実に加持君らしい、いつもの軽妙な憎まれ口。悪気があるわけではないのだろう。だが、身体は先に反応した。
執務室の壁に手刀を打ち込む。響き渡る鈍い音。あらん限りの憎悪を視線に込める
「アンタ・・・ここで手合わせしてみる? 生身を相手にしないと暗殺術も鈍るし丁度いいわ。容赦しないわよ?」
久しぶりに見せる修羅の私。二人の動揺が肌から伝わってくる。ただでさえ、元々気が長いほうではない性格に加え、
シンちゃんへの想いを盗み聞きされた事で腸が煮えくり返っている今の私に、どのような冗談も一切通用しない。
私の挙動を察してか宥めるような恰好で加持君が切り出す
「ハハ・・・すまんすまん、今のでよぉーく分かったよ・・・許してくれ」
「そう?・・・まぁ、そういう事だから。滅多な事は言わない方が身の為よ? 彼を愚弄するなら全力で潰すわよ?」
引き際を弁えている加持君の立ち回りの良さに免じて拳を収める事にする。何も言わずに一発殴っときゃよかった、と
チョッチ後悔
「・・・なァ、ちょっと待てよ葛城、こんな時に何だが、8年前に言えなかった・・・」
どさくさにまぎれて何を口走ろうとしてるのかしらね、この男は・・・ やっぱり一発殴っとこうかしら・・・
「シャーラップ! 言えなかったんじゃ無くて“言うつもりが無かった”だけでしょ? その場で思った事や感じた事を
口にせず、頃合を見計らって打算的に吐き棄てられるコトバに、どんな麗句が乗っかっていても全く価値は無いわね。
下手に過去を無理やり引き寄せる分お世辞よりもタチが悪いわ。どのみち、今言われても何も感じないわよ。何を言わんと
してるのか大方の予想が付くから。なんなら代わりに言ってあげましょうか?その『修正液でベッタベタの、継ぎはぎ
だらけの戯言』を。 残念だけどね加持君、コトバで縛り付けてそれが幸せだと錯覚していられるほど、今の私は莫迦
じゃないし、お人好しじゃないの。ただ餌を撒きに来るだけの人間に興味はないし、掛けるべき言葉もないわね。アンタは
精々自分の目的の為に生きなさいな。もうこれ以上私を巻き込まないで、お願い」
今の私は舌戦にも長けている。これもシンちゃんを想うが故だろう
「・・・何か散々ないわれ様だなぁ・・・」
「もういいわ、時間の無駄だし・・・とにかく、疲れるのよ、アンタと喋ってると。苛つくの、その顔見てると。本当に
ごめんなさいね、こんな事しか言えなくて。でもね、お互いの為にこれ以上喋らないほうがいいと思うの。だって、
これ以上アンタと喋ってると、アンタの事を一層嫌いになっていくだけだから。過去の自分を、否定したくなって
くるから・・・ シンジ君に・・・申し訳がないから・・・
それからリツコ、よくも私の大切な弁当タイムを台無しにしてくれたわね! この報いは高くつくわよ!?」
「なぁ葛城、せめて一言だけ・・・」
「じゃかまっしぃ〜〜〜っ!」
シンちゃんの愛夫弁当がカピカピになって怒りは頂点に達していた。仕方ないから食堂に行ってチンしてもらってくるかな・・・
その前に、こやつらのノルマを指示しとこうかしら
「リツコは左側の山!加持君は右側の束!分かったらさっさとやるっ! 時間は有限、手を動かすっ!」
勿論ここにも電子レンジぐらいあるが、お弁当箱を抱え弾けるように食堂へと向かう、こんな場所に一時たりともいたくはない
「「・・・薮蛇だった(な)わね・・・」」
「なぁリッちゃん」
「なに?」
「葛城、えらく強くなったな」
「それだけじゃないでしょ?」
「ああ・・・綺麗になってた・・・ “14歳の葛城ミサトが恋をしている”、信憑性は高いのかもしれないな」
「逃した魚の大きさが今頃理解できて?」
「ああ・・・リッちゃん程じゃないよ」
「まぁお上手ね、フフッ・・・ 生憎と売約済み物件よ、私。それに、自分のノルマは自分で捌いて頂戴ね」
「なんだよ・・・ どいつもこいつも付き合い悪いなぁ・・・」
やっぱり美味しいシンちゃんのお弁当。どんな状態でも、きっと美味しいんだろうなぁ・・・食べながら、涙がこみ上げてくる
加持君、このお弁当一つにしてもね、あなたはシンちゃんに絶対敵わない。このお弁当から溢れ出る愛の前では、あなたが幾ら
コトバを巧みに積み上げても、その身体を差し出してもね、全く無意味なのよ。いつかその事を、分かって欲しいけどね・・・
教えて上げれる人と一緒になれる事を、心の隅で祈ってるわ・・・
お腹と心が満たされていくシンちゃんのお弁当、ごちそうさま、シンちゃん
急速充電完了で足取りも軽く執務室へ・・・ 恐る恐る室内を見ると、書類の山が3分の1に減っている。ついでにあの2人も
撤退したようだ。首尾よくテイクアウトしてくれたようで、私のストレスはだいぶ軽減された
解けた緊張と滲みてくる愛情のおかげでまぶたが重くなる。こんな時はすかさず、暗証ロックされた引出しに仕舞われている
2つの写真立てを取り出して眺める事にする
ペンペンを抱きかかえている笑顔のシンちゃん、そんな彼を負ぶさるように抱きしめている笑顔の私。ずっと眺めていたくなる
写真。もう一枚は、A-310改のボンネットに腰掛けた私の前で、モジモジしながら立っているシンちゃんを後ろから抱きしめている。
私が、最も金をかけた存在と、最も愛を注ぐ存在の、2つが同時に収まった写真。仕舞いこんで、時々眺めるだけにしているのは、
常に見える場所に飾っておくと、仕事にならないから。笑顔のシンちゃんに見つめられてると、気恥ずかしいから
実際は自分で処理した訳ではないが、目減りすれば作業意欲が沸いて来るのが現金な私、残りの始末書を軽やかに片付けていく。
15時をまわった所でシンちゃんが学校から帰ってくる。「ただいま、ミサトさん!」と朗らかに執務室に入ってくる。
本来ならデスクを踏み越えてダイビングボディプレス〜ベアハッグを極めたい所だが、努めてクールに対応
「おかえんなさい、シンちゃん」
互いに絡み合う視線。彼の笑顔を長く照射していると業務に差し障るので目の前の書類に目を移す。鞄をソファの脇に置いて
彼は煩雑に散らかってる私のデスクを整理し始める。雑然としていた書類の山が綺麗に揃えられていく。空になっていたマグカップ
にコーヒーを注ぎ、山と盛られた灰皿を取り替え、手前にある観葉植物の葉に触れ、土を触り、適量の水をやる。あまりに自然
な振る舞い。彼はそれがごく当たり前のように出来てしまう。感嘆してしまうが、“褒められる為にやっていない”という彼の
信念に基づき、その都度謝意を表す事は控えている
「お弁当、どうでした?」
「とっても美味しかったわよぉ〜〜〜勿論!」
「そうですか、良かった」
“良かった”の辺りで発せられる彼の笑顔が眩し過ぎて直視できない
「ごめんねェ、あともうチョッチで終わるから待っててね」
私の執務室には“シンちゃんコーナー”と呼ばれる一角がある。職務中の私が構ってあげれない間退屈しないよう漫画や雑誌、
単行本、携帯用ゲーム等を買い揃えて置いてある。彼はソファに身を委ねてゲームを楽しんでいる。ゆったりと流れる時間
基本的に、ネルフ内ではあまり会話を交わさない。体外的な体裁もあるが、帰宅してアスカと会話する時に新鮮味がなくなる
からである。それよりも重要なのは、“一緒の場所に居る”という安心感、それだけで充分
ゲームに興じるシンちゃん、まだあどけなく少年の瑞々しさを湛えている。シューティングでもやってるのかしらね、嬉々と
したり落胆したり、凄く真剣になったり、コロコロと表情が変わって見ていて飽きない(暫し業務中断)。時折、ほけぇーっと
して見ている私に気付いてニッコリ微笑みを返してくれるシンちゃん、今の私ってば、相当無防備な顔してんだろうなぁ。
相田君に見られた日にゃあ、フレームに収まって「恍惚」とかタイトル付けられて売り捌かれちゃったりして。はぁ〜っ、
でも最近、益々シンちゃんに男を感じるようになった。何も「アノ時」ばかりではなく、日常のさりげない瞬間に垣間見る
端正な表情は、紛れも無く彼が“脱皮〜羽化”の時期にさしかかりつつある事を痛感する。自分の愛する人が、目に見えて
成長を遂げる時期に一緒に側で見守れる、女としてこれほどの幸せは他に無いだろう。保護者・恋人という二重の喜びに
満たされる贅沢
ただそれ以上に、重くのしかかる現実 〜エヴァのパイロット〜 スピーカー越しに聞こえる彼の悲痛な叫び『うわああああっ!』
『イタイイタイイタイッ!』『助けて、ミサトさんッ!』 何もしてあげられない己の無力さ、プラグ内で苦痛に顔をゆがませ、
懇願するように私の名前を連呼するシンちゃんに、ただ言葉で命令する事だけしか出来ず、彼の盾にも武器にもなれない。彼の
叫びを聞くたび、私の心はズタズタになる。発令所で、自分を見失いそうになる。そんな時、自分自身を叱咤する『一緒に同じ
痛みを背負うことが出来ないなら、私しかなし得ないない最善で、彼の痛みを少しでも和らげよう』。怪我をしてプラグから排出
されるシンちゃん・・・ ストレッチャーに固定され、呼吸も激しい中、私を見つけ、精一杯の笑顔で「ミサトさん、ありがとう」
と声を出す・・・ あまりにいたたまれなくなり、その場から逃げるように執務室へ駆け込み、声を上げて泣き叫ぶ。自分の不甲斐
なさ至らなさ、無力さから、彼が傷ついてしまった事にではなく、痛ましい姿になりながら、精一杯の笑顔で私を気遣い、労いの
言葉を掛けてくれる彼の神々しいまでの思い遣りに触れ、ただただ泣く事しか出来ないでいる。だから、せめて戦闘のない、普段
通りの日常は、作戦部長ではない、ありのままの葛城ミサトでいる時間、許されるだけの全ての時間を、彼の為に捧げると心に誓った