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名無しが氏んでも代わりはいるもの:
2000系は1961年地下鉄日比谷線に乗り入れるために造られた通勤用で初めての「高性能」電車です。
当初4両で造られましたが、後に2回にわけて6両→8両化されています。
製造当初から日比谷線乗り入れ用に使われたほか一部は地上運用に使われたようです。
8両化後は日比谷線直通専用になり長らく活躍しました。
地下鉄は長いトンネルを走る特殊な路線であり、地下線を走行する電車が冷房を稼働させると排気熱がトンネル内に篭もってしまうという難点がありました。
このため乗り入れ先の電車が例え冷房車でも地下線に入る途端に冷房を切らなければなりませんでした。
これは利用者にとって、特に混雑が集中する朝のラッシュ時には過酷なことでありました。
地下鉄業者も手をこまねいていたわけではなくトンネル内の冷房化などをやりましたがそれでも焼け石に水、車輛の冷房稼働に勝るものはありませんでした。
このためまず車輛の制御方式を熱の出る抵抗制御から熱の出ない方式に変えることにより発熱を極力抑えるようになりました。
しかし、製造が古い2000系は耐用年数を過ぎて制御方式を変えて冷房化するよりも新しい車輛を造ったほうが得策となり後継車の20000系に譲ることになります。
引退車輛は単編成化して地方線区に送ると思いきや、一部を除いて廃車の憂き目に遭っています。
その一部は後述する野田線用の2080系です。
せめて、走り装置だけでも更新車の5000系に譲ることはできなかったんでしょうかね。
また、地方私鉄にも送られず台車が伊予鉄道に行ったくらいで惜しいところです。
同僚の営団3000系や東急7000系が今でも地方私鉄で見られるのに東武ファンとしては残念です。
2080系は1988年20000系登場により余剰になった2000系のうち比較的新しい中間車を改造して造られた形式です。
野田線の3000系の置換用で造られたため6両固定で2編成が登場しており、先頭車は運転台を取付の上電装を解除しています。
しかし冷房を搭載しなかったのが致命症となり、乗客の評判はよろしくなく、早晩に消えてゆきました。
なんか知らんが2ゲットだぁぁあアッー
エアコンは至宝
2080系 登場時に新型車輌と間違えられたエピソードがある