○月某日
あれから一ヶ月。
私はすっかり回復した。これが若さというものかしら♪
ひとまずミサトさんのマンションに戻ってきたんだけど、迷ってるのがこれからの身の処し方。
いつまでもミサトさんの厄介になるのも気が引けるし、かといって
親無しの身で戦自の職も失った今、一人で生きていくことができるかどうか。
そうやって考えを巡らしていたところ、
「ね、マナちゃん」
ミサトさんが声をかけてくれた。
「これからのことなんだけど……。ずっとウチに居てもらってもいいのよ」
「そう言っていただけると、すごくうれしいんですけど、これ以上ご迷惑おかけするわけには……」
「やぁーねー、迷惑なわけないじゃない」
「でも、金銭的なこととか……」
「だいじょーぶ。ネルフから退職金たっぷりもらったから」
私も、本音はこれからもここでシンジやアスカたちと暮らしていきたい。
でも、ミサトさんもいずれお嫁に行かなくちゃいけないだろうし、
私たちみたいなコブ付きで本当に大丈夫なんだろうか。ちょっと心配。
同時に、彼女もやはり孤独を恐れているのではないか、とも感じた。
「もう少し考えてみます……」
とりあえず、そう答えておいた。
「ねぇ、アスカはどうするの?」
シンジが尋ねる。
「あたし?あたしはもうしばらくミサトのところにご厄介になるわよ」
「へぇ、ちょっと意外だな。アスカのことだからすぐドイツに帰っちゃうのかと思ったよ。
もしかして、日本のことが結構気に入ったの?」
「まーね。日本のゲームって割と面白いのよ。洋ゲーにはない味があるわ」
「洋ゲーって、アスカ、ドイツ人でしょ。すっかり日本のゲーマーだね」
ゲームがどうのと言ってるけど、本当はシンジと別れたくないのに違いないわ。
アスカは好きだけど、ちょっとライバル心が頭をもたげる。
「あたしが居なくなったら、ペンペンが寂しがるし」
「それに……、お義母さんとしっくりいかなくて、ね」
その言葉でちょっと場の雰囲気が湿っぽくなる。
「ま、そんなことはどうでもいいっか。ね、ミサト、いいでしょ? お金ならあっちから送ってもらうわ」
「もちろん、OKよ。で、シンジ君は?」
「ぼくは………」
「父さんが、一緒に暮らさないかって言ってるんです」
「えっ?」
あの髭を生やしたこわーい顔のお父さんがそんなこと言ったとは。
でも、考えてみると肉親と暮らすのが一番いいのかもしれない。私にはもういない、血を分けた家族……。
「どうしようか、迷ってるんだ。あの父さんとうまくやっていけるかどうか……」
「迷うことないじゃない。お父さんと暮らしなさいよ」
私は心とは裏腹にそう言った。本当はこれからもシンジと暮らしたいんだけど。
「マナの言うとおりよ。ってか、この家はあたしとマナでいっぱいいっぱいよ。
さっさと出て行って欲しいもんだわ」
アスカも、とても素直じゃない言い方で促す。
「そうだよね。うん、決めた。ぼく、父さんと暮らすよ」
○月翌日
結局、私はアスカとミサトさん宅に居候、シンジはミサトさんのマンションを出て、
彼のお父さんと暮らすことになった。
そうそう、綾波さんは、今まで通りマンションで一人暮らし。
遠い親戚が仕送りをしてくれるのでお金の心配はないらしい。
よく分からないけど、彼女は三人姉妹の末っ子だそうだ。やっぱり、ご両親は亡くなったのかな……。
ミサトさんはネルフを退職後、国連軍事参謀委員会・日本代表の副官に就任した。
さすが、できる女は違うわね。
できる女と言えば、リツコさん。
NERVは解体され、軍事部門は消滅、研究部門はMAGENとして再編されたんだけど、
そのMAGENの所長としてリツコさんが抜擢されたそうだ。
そして、さらに驚くべきことに副所長は碇ゲンドウ氏、つまりシンジのお父さんなんだって。
かつての部下であるリツコさんの下で働くことになったわけだけど、
シンジの話ではお父さんは別に気にする風でもないらしい。
ま、もともとポーカーフェイスだしね、あの人。
こうして、私たちの新しい生活が始まった。シンジが引っ越して行っちゃったのは寂しいけど、
彼にとってお父さんとの和解がすごく大切なことだと思うから……。
それに、毎日学校で会えるしね♪
って、今は夏休み、当分会えないかもしれない。とほほ。
夏月盛日
山岸マユミちゃんは私が入院している間にアメリカに引っ越して行ってしまった。
せっかく仲良くなれそうだったのに残念。他にも、ネルフ解体に伴って親が転勤になった等の理由で
何人かのクラスメートが去っていったみたい。
それから、あのエヴァンゲリオン初号機と弐号機。あれは戦自が専用長距離輸送機ごと接収して、
三沢基地に持って行ったらしい。「研究目的」、だそうだ。
アスカが、あの弐号機はあたしのなのにと悔しがっていた。
でも、あんなもの、パイロット無しでどうするつもりかしら。
第一、「使徒」が居なくなったこの世界でエヴァンゲリオンなんて無用の長物のはずなのに。
でも、こんなこと私が気にしても仕方ないわね。
夏月15日
お盆。
ミサトさんは国連軍事参謀委員会・日本代表の副官とは言っても、
目立った軍事紛争の無い今、「別命あるまで待機」とのことで、案外暇らしい。
と、いうわけで家の中でゴロゴロしている私たち三人娘………。
「うん、じゃ、夕方6時、鳥居の前でねっ」
さっきから、アスカは寝っ転がったままあちこちに電話をかけている。
「アスカ、どっか出かけるの?」
「何言ってるのよ、あなたも一緒に来るのよ、マナ」
「どこへ?」
「夏祭りへよ。お盆と言えば、盆踊りでしょ。マナ、浴衣持ってる?」
「へ、? 持ってないよ」
「そっか。あたしも持ってないから、今から一緒に買いに行きましょ」
さすが、アスカ。行動力のある子だわ。それに、お盆と言えば盆踊り、って。
来日して日が浅いのに、一体どこでそんな知識仕入れてきたのやら。
「いいけど、私、着付けできないよ?」
「ミサトがいるじゃない」
「あたしもできないよ〜」
元気よく答えるミサトさん。
「困ったわね。そうだ、試着してそのまま着て行っちゃえばいいのよ」
なるほど。
「ねぇ、誰が来るの?」
「ん?誰に声かけたかってこと? えっとね、ヒカリとシンジとファースト。
それと、おまけで鈴原と相田も呼んじゃった」
ちゃんと綾波さんを呼んだのは感心感心。仲悪いのにね。
計画通り浴衣を買って着せてもらい、そのまま街をぶらついて、夕方、待ち合わせ場所へ向かった。
「ここでいいんだよね?」
「ええ、じきみんな来るはずよ」
アスカの言葉どおり、参道の入り口で待っていると、まずヒカリちゃんが来た。
「ひさしぶりね」
「うん、おひさしぶり」
挨拶をかわしているうちに、鈴原君や相田君も来た。
「よっ。シンジはもう来よったんか?」
「ううん。まだ」
「なんや、女待たせてしょーがないやっちゃな」
と言いながら、二人は勝手に屋台の方へ向かった。やっぱり女の子に囲まれると恥ずかしいのかな。
「遅いっ」
シンジと綾波さんがなかなか来ないのでしびれを切らすアスカ。いやーな予感がする……。
「ごめん、遅くなって」
「…………………………」
予感的中、シンジと綾波さんは一緒に来た。
「なんで、あなたたちが一緒にくるのよ」
ご機嫌ナナメのアスカ。と、私。
「綾波が浴衣の着方分からないって言うからさ、リツコさんに聞きに行ったんだよ」
「ふーん、それでアンタが着せてあげたわけ?」
「そ、そんなわけないだろっ。からかわないでよ、もう」
リツコさん……、少し意外。なんだかリツコさんって怖そうな印象のある人だけど。
それに、かつてネルフで一緒に働いた仲とはいえ、
現在、綾波さんとどういう接点があるのかもよく分からない。
「まあ、まあ、いいじゃない、アスカ。さ、屋台を見て回ろうよ」
ヒカリちゃんは、形ばかり取りなすと、人混みに消えていった。ははーん、鈴原君ね。
結局、シンジとアスカと綾波さん、そして私の4人で夜店を回った。
アスカがぐいぐいシンジを引っ張っていってしまうので、自然、私と綾波さんが一緒になる。
「その浴衣、素敵ね」
「………ありがとう。あなたのも素敵だわ」
「あの、少し息苦しそうだけど大丈夫?」
「ええ、人混みが苦手なの。ごめんなさい、ちょっとあっちで休んでくるわ」
と言って、人気のない方へずんずん行ってしまう。
「待ってよ、綾波さん」
心配になってついて行く。ガラの悪い人にからまれたらどうするつもり?
「少し帯をゆるめたらどうかな」
綾波さんがあまり苦しそうなので、少しだけ帯をゆるめてあげる。
思えば私もいらぬ世話をしてしまったものだわ………。
突然、雷鳴がとどろき、にわか雨が降り出した。それはもう土砂降り。
キャー、ワーとみんな軒下や木陰に走る。中には傘を差す用意のいい人もいる。
わたしも急いで木の枝の生い茂っているところを見つけ、その下に入ったのであまり濡れずにすんだ。
と、綾波さんの方を振り返ると、びしょ濡れになっている。要領の悪い子……。
雨はあっというまに止み、人々は何事もなかったかのように歩き出す。
「すごい雨だったね。マナ、綾波、濡れなかった?」
間の悪いことに、シンジがあたし達を心配してこっちへやってくる。
「………………!」
綾波さんを間近で見て、急に黙り込むシンジ。薄暗いけど赤くなっているのが分かる。
綾波さんは………濡れそぼり、浴衣の裾をしどけなく乱れさせている。
もう、色っぽいにも程があるよ、綾波さん。そんなの反則!!
案の定、シンジは彼女を気遣い、もう帰ろうと言い出した。
仕方がない。帰るとしますか。
アスカは家に帰って床につくまでずーっとぶーたれていた。
私はもっと重症で、すっかり凹んでしまった。
夏月Σ日
綾波さんは、あんなに濡れて風邪をひかなかったかしら。つい心配になって電話してみる。
「………はい、綾波です」
「えっと、霧島です。綾波さん、もしかして具合悪い?」
「ええ。ちょっとね。でも大丈夫だから……」
弱々しい声。言葉とは逆に、本当に具合悪そう。
「待ってて。すぐ行くから」
「…………………………」
彼女は、別段断る様子もない。
「じゃ、着くまで寝てて。ね」
私はそう言って電話を切ると、綾波さんのマンションへ向かった。
途中で氷嚢と風邪薬を買う。場所は、昨日送っていったので分かっている。
「入るわよ」
鍵を開けておいてくれたようなので勝手に入った。
部屋の様子に愕然とする。
打ちっ放しのコンクリートの壁、汚れた床、粗末なベッド。
とても失礼だけど、殺風景としか言いようがない。
「大丈夫?」
おそるおそる声をかけながら、洗面台でタオルを濡らし、絞る。
彼女はベッドの上で苦しそうな息をしていた。
タオルで顔を拭いてあげる。そして、冷蔵庫から氷を出し、
氷嚢に入れて綾波さんに手渡す。
「それで、額や腋の下を冷やしてね」
「ありがとう…………」
「それじゃ、お粥作るから、お米ある?」
「うちにはお米も鍋も炊飯器もないわ」
「困ったな……。じゃ、コンビニで買ってくるわ。なにがいい?」
「アイスクリーム………」
「オッケー。じゃアイスクリームとインスタントのリゾットを買ってくるね」
「うん…………」
戻ってきて、アイスクリームを一緒に食べ、薬と水を枕元に置いてあげた。
さて、そろそろ帰ろう。
「リゾットはチンして食べてね。お薬、ここに置いておくからね」
「うん…………」
「それじゃ、お大事にね」
そう言って玄関を出ながら、思い出した。
シンジもこの部屋に来たことがあるらしく、殺風景なので驚いたと聞いたことがあるのを。
そのときは、シンジが綾波さんの話をするだけで腹が立ってきてよく聞いてなかったけど。
乙女の部屋がこれじゃあんまりよね。今度、お花でも持ってきて飾ってあげよう。
夏月Τ日
シンジとアスカがなにやら言い合っている。
「ね、決まり。ちゃんとお父さんにミサトんちに泊まるって言っておきなさいよ」
「もう、勝手に決めないでよ」
「せっかく呼んでやってるんだから、黙って来りゃいいのよ」
「なんだよ、それ…。なんでだよぅ」
「だから、久しぶりにあんたの手料理が食べたくなったって言ってるでしょ。
ペンペンもあんたに会いたがってるわよ」
なるほど。シンジに泊まりに来いって言ってるのね。アスカ、ナイス!と心の中で叫ぶ。
それにしても、ペンペンまでダシにつかうとは。
「いいわね。明日は夕食を作りにくること。以上、決まり」
「しょうがないなぁ」
いつものように、シンジが折れる。ちょっと頼りない………。
でも、やっぱりシンジが来てくれると思うとうれしい。思わずニヤついていると、
"Der Wülfel ist gefallen."
アスカがドイツ語でなにやら呟くのが聞こえた。
夏月翌日
「オーッス、シンちゃん、ひさしぶり」
約束どおり、シンジが来て夕食を作ってくれた。いつぞやの思い出料理、ギョーザ。
ミサトさんと私、そしてアスカで大喜びして食べる。
夜。みんなで花火を見に行く。シンジ、私、アスカ、そしてもちろん綾波さんも。
アスカが行楽を計画するときは必ず綾波さんも呼ぶことに決めているようだ。
たぶん、抜け駆けしたと思われたくないからかな。
あるいは綾波さんに勝つ絶対の自信があるのかもしれない。
いずれにしても、プライドの高いアスカらしい。
でも、私だって負けるわけにはいかないんだから。
この前買った浴衣を着ていく。着付けは、本を買ってきてアスカと猛練習の末、マスターした。
川縁の土手に左からアスカ、シンジ、私、綾波さんの順で陣取る。ようし、シンジの隣ゲット。
綾波さんごめんね、と右の方を向いた途端、パッと煌めく花火の光に彼女の顔が照らされる。
あまりの美しさに、思わず息を呑んでしまった。
そして、またもやちょっぴり落ち込む。彼女は神々しいまでに「美しい」のに比べて、
私はどんなに頑張ってもせいぜい「かわいい」のレベルだもんね。
「どうしたの、霧島さん。」
「えっ?」
「なんだか元気がないみたい。大丈夫?」
「ううん、なんでもないの。心配してくれてありがと」
「………………………」
「………………………」
「あなた、ギョーザ食べたでしょ」
「えっ? うん。食べたけど。分かる?」
「ええ。……ふふっ」
綾波さんがなんとも言えない表情で微笑む。
「もうっ、いじわる」
「この前はありがとう」
「えっと、なんだっけ?」
「看病しに来てくれて」
「ああ、あれね。どういたしまして」
綾波さんの美貌はちょっと罪作りだけど、綾波さん本人には罪はないもんね。
私は妙に納得した。
綾波さんとは途中でお別れ。シンジは今晩うちに泊まるわけだから、当然一緒に帰宅する。
帰ってくるなり、アスカが、
「汗かいちゃった。お風呂入りたーい」
とのたまう。
「どうぞ。でも、こういうときは殿方から先に入れるものよ」
とミサトさん。シンジが先に入ることになった。
アスカは日本の馬鹿馬鹿しい風習とかなんとかぶつぶつ言っている。
ところが、シンジは風呂場へ行ったかと思ったらすぐに戻ってきた。
「お風呂、水じゃないですか。」
「あ、ごめーん。沸かすの忘れてた」
「そ、それに………」
「それに?」
「いや、なんでもないです………」
シンジ、顔が赤い。
「あ、ごめーん。あたし達の下着も干しっぱなしだったわ」
「大中小のブラが並んでるの見て興奮してたんだ。いやらし〜」
アスカがからかう。
もうシンジったら、大中小のブラが並んでるのを見て……
って、「小」が私?………orz.
不月吉日
今日も街に繰り出してショッピングやら、食事やら。
ただし、綾波さんは「暑い」と言って来なかったので、私とアスカとシンジの三人のみ。
交差点で信号待ちしていると、突然となりのシンジがガクガクと震えだした。
何!? 日射病?
数秒後、何と、アスカまで慄然として道路の向こうを見ている。
二人ともどうしちゃったの?
信号が青になるやいなやシンジは飛び出していき、向こう側の歩道にいる男の子に大声で呼びかけた。
「カヲル君!!」
「誰だい?君は」
カヲルと呼ばれた少年は青い髪に赤い瞳(近寄ってみると分かった)、
そう、綾波さんと似た風貌だった。
ただ、綾波さんに比べてなにか冷たい感じがする、私にはそう見えた。
「僕のことを忘れたの?シンジだよ。碇シンジだよ!」
シンジの顔がひどく青ざめている。
「あんた、シンジに殺されたんじゃなかったの」
アスカがギクリとするようなことを言う。
「ああ。ごめんよ。覚えていないんだ。僕は二人目だから」
シンジの目に衝撃が走る。
「なにわけわかんないこと言ってんのよ!」
「いや、アスカ。いいんだ。」
シンジは、今にもカヲルという人につかみかかりそうなアスカを腕で制し、
「ごめん、アスカ、マナ。僕は気分が悪くなったんで帰るよ」
と、片手で頭を抱えながら言った。
「あんた、大丈夫?」
「ああ」
そして、気がつくと、そのカヲルという人もどこかへ行ってしまった。
家に帰ってカヲルという少年に会ったことを報告したときの
ミサトさんの険しい表情が忘れられない。なんというか、とてもイヤな感じのする、
今までわたしに見せたことがない表情だった。
「なんですって!? 渚カヲルに会った?
………そう。分かったわ。ちょっと一人にさせてちょうだい」
ミサトさんはそう言うと、シンジと同じように頭を抱えて自分の部屋へ入っていった。
不月快日
珍しい人が訪ねてきた。赤木リツコ博士だ。
「久しぶりね、ミサト」
「夕ご飯食べていくでしょ、リツコ」
ミサトさんはもう平常に戻っている。もっとも、外見だけかもしれないけど。
「ええ、よばれていくわ」
「じゃ、買い出しにいってくる。ここで、この子たちと待ってて」
「あたしも、一緒に行くわ」
アスカもついて行くと言う。もしかすると、ミサトさんがいない場所で、
リツコさんと長時間一緒にいるのが気詰まりなのかもしれない。
しばし、リビングでリツコさんと二人きり。
私はふと思い出して聞いてみた。
「あの、デア ベルフェル イスト ゲファーレンってどういう意味ですか?」
「あら、マナちゃん。難しいこと聞くわね。"Der Wülfel ist gefallen." は
英語に直訳すると "The cube is thrown." よ」
「すみません。突然変なこと聞いて。前にアスカが言ってたものだから……
ザ キューブ イズ スローン……、賽は投げられた、ですか?」
「そういうことね。参考になったかしら?」
「は、はい。ありがとうございます」
たしか、アスカがこう言ったのはシンジに泊まりに来るように誘った時だった。
私は、アスカに対する醜い感情が芽生えたような気がして、必死にそれを打ち消そうとした。
不月安日
最近、気が滅入ることばかりでいけない。
私は、気分直しに初めてシンジの家に遊びに行くことにした。
(前にも書いたけど、シンジは今、ミサトさんの家を出てお父さんと暮らしている)
「どうぞ」
シンジが照れながら迎えてくれる。
「おじゃましまーす」
ミサトさんのマンションより立派かも。ミサトさん、車貧乏だからね。
「今、お茶淹れるから」
「あっ、おかまいなくー」
ままごとのように応対する私たち。
「お父さんは、今日、いないんだよね?」
「うん」
「二人きりだね、私たち」
「うん。…………そうだね」
「シンジの部屋見せて」
「い、いいよ。散らかってるけど……」
私はシンジの部屋に入るなり、机の上に置いてあるペンダントを見つけた。
これは初めて会った頃、私があげたペンダントだ。
「まだ、持っててくれたんだ、うれしい」
「実は、あのとき…………」
あのとき?
私はフラッシュバックのようにムサシが私を守って死んだことを思い出した。
「マナが、そ、その……死んだと思っちゃって……
これ、芦ノ湖の畔に埋めに行ったんだけど……
マナが生きてると分かって、もう一度掘り返しに行ったんだ」
うれしくて、涙が出そうになる。
「…………埋めた場所探すの大変だったでしょ」
「うん。でもマナからもらった大切なものだからね」
「うれしい、シンジ。ありがとう。」
そう言って、彼の胸に顔をうずめた。
彼は、いったん強く抱きしめた後、
私の頬に手を添え、顔を引き寄せて優しくキスしてくれた。
幸福感に浸る。
しかし、アスカのことを思い出し、少し胸がチクリとした。
戦月争日
抜け駆けみたいなことをしてしまって、ちょっと反省。でも、後悔はしていない。
恋の戦いには仁義はないんだもんね。
いつもの面子で新熱海海岸に海水浴に来ている。
私の水着はオレンジ無地のホルターネックワンピース。アスカは赤いビキニ。
綾波さんは白のワンピース。シンジは……、シンジの水着はどうでもいいよね。
ヒカリちゃんも誘ったんだけど、来なかった。
アスカの話では鈴原君とデートらしい。うぐ………。
そのかわり、今日はミサトさんが一緒。ただし、
トシを考えて水着はやめとくって。まさか、太ったのかな?そうは見えないけど。
突如、新熱海海岸に轟音が響き渡る!!
「何事!?」
焼きイカを取り落として叫ぶアスカ。
あちこちで悲鳴があがり、海水浴客たちが散り散りに逃げていく。
この独特の作動音は、まさか…………
激しく波を涌きたてながら、水中から巨大な物体がせり出してくる。
なんと、それは、私も昔乗っていたトライデント、戦自の陸上軽巡洋艦だった。
なぜ?今、ここで?
やがて耳をつんざく轟音が止むと、ハッチが開き、パイロットが降りてきた。
彼は…………。
彼は、そう、あまり親しくはなかったけど確かに見覚えがある。
パイロット候補生時代の戦友だ。
「マナ!!」
そのパイロットは私の名前を呼んで、そして、砂浜に倒れ込んだ。
急いで駆け寄って、かかえ起こす。ひどい怪我をしている。
「しっかり!」
「マナ、モニターに君の姿が映ったので浮上したんだ」
「ごめんなさい。あなたの名前を思い出せないの」
「いいんだ。聞いてくれ、マナ」
彼の話はこうだった。
戦自の一部が軍事クーデターを起こそうとしたのだ。
反乱軍はエヴァ初号機及び、弐号機を駆り、まずは現状でエヴァに対抗しうる
唯一の兵器であるトライデントをすべて破壊せんと部隊を急襲。
仲間はほとんどやられたが、彼だけがかろうじて逃げてきたのだという。
「でも、エヴァは……チルドレンにしか動かせないのよ?
いったい、どうやって?」
私が尋ねると、
「ダミープラグね」
ミサトさんが口を挟んだ。
「詳しいことは分からない………
ただ、二機のエヴァンゲリオンが動いているのははっきりと見た」
そのパイロットは苦しそうに言った。
「マナ、連中を止めてくれ。もう、君だけしか残っていない……」
それだけ語って、彼は息絶えた。
ミサトさんは車から持ってきた携帯無線機でしきりにどこかと通信している。
「やはり、ゼーレのダミーシステムは破壊されずに戦自に引き継がれていたのね」
「畜生、胸クソわるい!」
「ええ、渚カヲルが再び現れたときに全てに気がつくべきだった」
「彼らはどこかの工場でまだ作り続けているのよ。魂のない肉体を」
数時間後。
反乱軍のエヴァ2機は、いまや首都となった第三新東京市に迫っている。
要求が通らない場合には住民の巻き添えも厭わないという。
政府はJA改というロボットで対抗しようとしたが、ほとんど足止めにもならなかったらしい。
私は、命を弄び、命を踏みにじる反乱軍、そして戦自そのものへの怒りが心の底からこみあげてきた。
「私、行きます」
「だめだ!」
私に飛びかかってでも止めようとするシンジの手をかわし、
トライデントのハッチへと走る。
「マナ、行っちゃだめだ!だめだぁぁっ!!」
ミサトさんに腕を引っ張られ、私を追ってこれないシンジは狂ったように叫んでいる。
ごめん、シンジ。
私は、コックピットに滑り込むと、全ジェットノズルを作動させ浮上しつつ、
全速で第三新東京市を目指した。
震動は相変わらずで、内臓すべてを揺さぶられるようでとても気持ち悪い。
「マナちゃん、聞こえる?」
ミサトさんの声だ。
「はい、聞こえます」
「目標現在位置はN35°14’ E139°01’よ」
「了解。目標現在位置N35°14’ E139°01’予想会敵時刻は6分03秒後です」
「了解。目標を視認したら必ず弐号機、赤い方ね、のケーブルが繋がったビルを破壊して」
「了解。弐号機の電源ビルを第一ターゲットに設定します」
「それからね、弐号機自体には脇目もふらずに周囲の電源ビルを全て破壊していくの」
「わかりました。外部電源を断って、活動停止に持ち込むんですね」
「そうよ。で、問題は初号機。コイツはS2機関を搭載してて活動限界がないから、
トライデントで停止させるのは不可能よ。今、対策を審議中だから、ちょっち待っててね」
「了解。弐号機撃破に専念します」
あっという間に目標を視認できる距離まで到達した。
作戦どおり、電源ビルをミサイルでロックオンし、破壊していく。
周囲の全ての電源ビルを破壊し、しばらく遠巻きにしていると弐号機は停止した。
「ナイス、マナちゃん。ま、所詮、なーんにも考えてないダミープラグだからねー」
ミサトさんは何故、戦いの最中にこんなに明るいんだろう。
そっか、私を勇気づけるために決まってるわよね……………。
「弐号機活動停止。初号機撃破に向かいます」
「待って、マナちゃん!初号機はムリよ!」
ミサトさんが叫ぶ。
しかし、初号機はさきほどからほとんど暴走状態で、
第三新東京市を手当たり次第に破壊している。なんとかして、止めないと。
「マナ、連中を止めてくれ。もう、君だけしか残っていない……」
そう言って死んだ戦友の顔が脳裏に浮かぶ。
私はポジトロン砲にエネルギーを充填する赤いスイッチの蓋を開け、押した。
「命令よ!攻撃を中止しなさい!」
コックピットにミサトさん声が響き渡る。
ブゥーンと音を立てて砲身が青く光り出す。オレンジ色の光がゲージを登っていき、
数秒後、発射可能のインジケーターが点灯した。
「発射!」
トリガを引く。
青い光線がエヴァ初号機へと伸び、一瞬の閃光の後、轟音が鳴り響いた。
濛々と立ちのぼる爆煙が消え去ると…………。
そこには、全く損傷を受けていない初号機の姿があった!
「ぐおぉぉぉォォーーーーーー」
雄叫びを上げなら初号機がこっちへ向かって来る。逃げ切れない。
死んだ。
そう思った刹那、
赤い巨人が私の前に立ちはだかり、ガキィーンと金属音をたてて初号機を受け止めた。
「遅くなってゴメン、マナ」
…アス…カ………?
「よっしゃー、間に合ったー!」
無線機から再びミサトさんの声。
「説明してる暇はないわ。アスカ、初号機のATフィールド中和を開始して!」
「了解!まかせといてっ!」
アスカの弐号機は初号機の前で分厚いビニールを引き裂くような動作をしている。
「マナ、ポジトロン砲のエネルギー再充填急いで!」
と、アスカ。
「いい、マナちゃん。初号機胸部中央を狙い撃ちするのよ!」
「了解!」
ブゥーン。再び青い光が集まり出す。
「今よ!」
「発射!!」
青い光芒は、今度は初号機の胸を貫き、遙か彼方まで伸びていった。
「やった!胸部装甲板を貫通したわ!」
「コア破壊を確認。初号機、完全に沈黙しました」
ミサトさん以外のオペレーターの声まで聞こえてくる。一体どういうこと?
「マナちゃん、アスカ。おつかれさま」
「マナちゃん、びっくりしたでしょう。あのね、今、旧ネルフの発令所からなんだけどね」
へ?ネルフってなくなったんじゃなかったっけ?
指定された駐機スペースへと飛行しながら聞かされた話はおよそ次の通り。
政府の要請でジオフロントに結集した旧ネルフスタッフが弐号機を一旦回収し、
アスカが搭乗して電源を再接続、出撃したのだった。
エヴァを失った反乱軍は包囲され、全員投降。意外に少人数だった模様。
とにかく、任務は無事果たせた……ということかな?
肩の荷が降りて安心すると、私の困った体質が戻ってきた。そう、乗り物酔い!
「うっぷ…………」
「大丈夫?マナちゃん」
「気持ち悪いです。吐きそう……………」
「あちゃー。でも、もう任務完了したし、別にゲロちゃってOKよ?
どばぁーっていっちゃいなさい、どばぁーって」
無責任なことを言うミサトさん。
駐機スペースに到着し、なんとか機体を停止させると、駆け寄ってくる人影が見える。
シンジだ!
シンジは外からハッチを開け、グロッキーになった私を抱き上げ、機体からおろしてくれた。
これが、お姫様抱っこというやつね!天にも舞昇るような気持ち………。
「よくやったね、やっぱりマナは凄いや」
シンジがそう言うのを聞いたアスカはなにか言いたそうだったが、ぐっと飲み込んだようだ。
「エヴァのコア、バラバラになっちゃったもんね」
ミサトさんも褒めてくれた。
「初号機のコアには母さんの魂が入ってたんですよね………」
ミサトさんがしまったという顔になる。
「そうだったわね。ごめんなさい、無神経なこと言って」
「いいんです気にしないでください」
「ねぇ、どういうことコアに魂って?」
気になって尋ねる。
「エヴァにはね、人の魂が埋め込まれてるんだって。
それでエヴァは動けるんだってさ。で、初号機の魂は僕の母さんのものだった」
「それじゃ、私はあなたのお母さんの魂を破壊してしまったの?」
わたし、なんてことを……………。
身体が震える。
「そうかもしれない。でも、いいんだ。母さんは、僕の心の中にいる。
僕には初号機のコアなんかよりマナの方がずっと大事だ」
シンジ……………。
このとき、自分がどんなにこの人が好きか、はっきりと分かった。
私、やっぱりシンジが好き。もう迷わない。
私は、私を見つめるシンジを、晴れ晴れとした顔で見つめ返した。
完