劇場版のアスカがかっこいい件

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497名無しが氏んでも代わりはいるもの
本来、子供に愛情を注ぎ子供を守る立場の両親が、
その役割をきちんと果たさないと子供の心は傷を負う。

コレを「アダルトチルドレン」という訳だが・・・
彼らは自分の感情を認めたり、表現することが苦手。
また彼らは、考え方に柔軟性を欠き、あるいは逆に他人に依存的で、
自分の人生を主体的に選択することができない。
しばしば罪悪感と恐れの感覚に脅かされ、抑うつ感に悩み、
他人を信頼する能力を欠いている。大人になったあとでも、
体験したことがない「正常な対人関係」を手探りで演じようとして、
失敗を重ね、疲れて挫折する。
498名無しが氏んでも代わりはいるもの:2005/09/06(火) 08:26:56 ID:???
シンジとアスカはこの「チルドレン」の典型として描かれている。

親の存在や周囲の意見に流され、自我を確立しようとしても潰され、
ウジウジしたまま「僕に優しくしてよ」と迷い続けるシンジ。
一見主体性を確立しているように見えて、実は脳内の母親の精神的奴隷で
「私を見て」と呼びかけるために虚勢を張るアスカ。
父親や母親としての責任や義務から逃避しているかのようなネルフのメンバー。

こうしたアダルトチルドレンの心の傷や甘えに対し無慈悲で無理解な悪役、
アダルトチルドレンとは対極の、フリーチャイルド+アウトローの権化として
「ゼーレの老人たち」は描かれる。
499名無しが氏んでも代わりはいるもの:2005/09/06(火) 08:34:22 ID:???
ガイナックスのスタッフは当初、
オタクのベースと言える「アダルトチルドレン」を
保護し励まそうとする立場だったのかも知れない。

しかしゼーレの存在は番組の後半不気味に変わり始める。
勝つ可能性を潰し、ネルフに対し一切の手加減をしなくなるのだ。
オタクとの会話を重ねるうちに
監督たちはその甘えにうんざりしたのかもしれない。
500名無しが氏んでも代わりはいるもの:2005/09/06(火) 08:38:18 ID:???
設定的にネルフはゼーレに勝てない。
アスカがどんなにかっこよくても彼女は引き裂かれ
シンジがどんなに強くても彼はシナリオどおりに生贄にされてしまう。
老人たち>果てしない差>アスカ≒シンジと言う公式が出来上がっているかのように見える。

補完計画は「成功」し地球は血の海の地獄となって物語は終わる。
議長は全人類の命を巻き添えにして退場。
与えられた環境に依存してバイタリテイを失い、
生存競争や弱肉強食の理論を受けいられず、エヴァが無ければ何の価値も無い人間に
「生きる価値は無いと」でも言わんばかりに。
彼らはまるでアダルトチルドレンの意思や存在を全否定し
「俺の身になってくれ俺の立場になってくれ」
と言う希望を踏みにじる事が世の中のためであり、正義と思っているかのようだ。

キールとシンジ・アスカの差は紙一重。
だがその差は永遠に埋まらないのだろうか・・・?