うしお そうじ氏(うしお・そうじ、本名鷺巣富雄=さぎす・とみお=、漫画家、テレビ映画製作者)
28日午後11時15分、急性心不全のため東京都三鷹市の病院で死去、82歳。東京都出身。
告別式は4月1日正午から杉並区上荻2の1の3の光明院観音ホールで。
喪主は長男で作曲家の鷺巣詩郎(さぎす・しろう)氏。
東宝の特撮技師を経て漫画家となり、「どんぐり天狗」「おせんち小町」などの作品を発表。
その後、映像製作会社ピープロダクションを設立し、アニメーション「ハリスの旋風」や
特撮テレビ番組「マグマ大使」「スペクトルマン」「怪傑ライオン丸」などを製作した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040329-00000189-jij-soci
2 :
名無しが氏んでも代わりはいるもの:04/03/30 03:24 ID:Vx/6Wz7S
2
喪
鷺巣タソのお父さんってテレビの人だったんだ
へえ…
何か大物だね。鷺巣タンってボンボン?
7 :
名無しが氏んでも代わりはいるもの:04/03/30 19:01 ID:80pvb+QM
ぽいよね
マグマ大使ならCSで見たことあるな・・・・
特撮版とアニメ版があったが・・・これって手塚作品だよな、確か
っていうか、結構有名な人っぽいな
9 :
名無しが氏んでも代わりはいるもの:04/03/30 19:34 ID:H8se/q3S
うしおそうじ先生はすごい。
戦争直前に東宝の線画課(アニメ部門)に所属、
アニメーターになるが、そのときの上司が円谷英二。
戦時中は陸軍航空隊で写真兵となり、航空写真を撮る。
このときの上官が三船敏郎。
戦後、東宝に復帰するも大労働争議が起きて失職。
生活のために漫画家となるが、これが売れっ子に。
「漫画少年」で人気漫画を連載していると、ある日、
ひとりの若い漫画家が訪ねてきた。これが手恷。虫。
以降二人は親友になり、有名なトキワ荘の部屋も、
最初は手怩ニうしおが共同で借りていたのだそうだ。
その後ピープロを立ち上げアニメと特撮の世界に復帰するが、
ピープロ作品として「マグマ大使」ができたのも
手怩ニうしおの友情のたまものだったという。
で、その息子が「エヴァンゲリオン」の作曲家。
まさに存在そのものが伝説の人だった。
この親にしてこの息子ありだな、因果なものを感じる・・・詩郎先生もアニメの仕事してるし、親孝行だね!
つまりアニメ界の5本の指に入る天才だったわけだ、
じゃあ、残りの4つも考えてみるってのは無しよw
経営者としてはダメダメだったらしいがな
マグマ大使製作20周年パーティーに招いた当時の出演者に
未払いのギャラを払えと囲まれたという嘘のような話がある
20年もギャラ滞納する方する方だし、覚えている方もいる方だw
訂正
20年もギャラ滞納する方 も する方だし、覚えている方もいる方だw
ビープロ製作の特撮はマニアには人気あるんだよな