「シンちゃん、桜を見に行かない?」
春休みの午後、昼食の後片付けをするシンジにビールを飲みながらミサトが提案する。
サードインパクトから3年、平和に湧く日本は春になると人工的に桜を開花させるという
遊び心を持つまでに回復していた。昼のワイドショーで流れるお花見中継は確かに気分をそそる。
「お花見ですか?」
「そ。地軸が狂ってから本格的な花見は経験してないんじゃない?」
「えぇ、、そっか、人工桜を今年からやってるんですよね。行きたいんですか?」
「行きたいわぁ、桜の下でシンちゃんの手料理を食べつつビールを飲んで、、楽しそうじゃない」
「楽しそうですね…………ミサトさんが」
「良いじゃない、たまには外に出て『楽しい』を周りから分けてもらいましょ♪」
「………………良いですよ、あとでお弁当の材料を買ってきますね」
「やっりぃー!ありがと、シンちゃん」
「桜………か、ドイツでも見られるんですかね」
「え?……あ…………どうかしらね、アスカと一緒に見たかった?」
「いえ………でも、いつか見られると良いかな」
「………………そうね……」
アスカはドイツへ帰っていた、3年前に。
必死で引き止めようとしたシンジの努力も虚しく、幼い少女は固い決心で日本を離れた。
少なくともシンジにとって 『恋』 と表現できそうな感情は、その時に1つの終わりを告げていたのだ。
その後、シンジは普通の学生と同じ生活を送り、表面上は成長著しいものであったが、
ミサトには時折見せる物憂げな表情が痛々しくも感じられていた。
両親を無くし、好きになって欲しかった女の子も目の前から消えて、『勝った』と言えるのだろうか。
世界は平和になったかもしれない、でもこの少年の心には想像を絶する傷が残ったはず。
支えになる、恋人が残してくれた『平和』を、きっとこの少年にも感じてもらう。
ミサトが自ら立てた誓いは今も破られる事なく、色んな手段を講じてシンジの心を癒そうとする。
今回のお花見計画も勿論そういった事を考えた上での提案である。
無論、ミサト自身が行きたかったのは言うまでも無いが。
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「じゃあ、後は僕がやっておきますからミサトさんは飲んでて良いですよ」
「そぉ?んじゃ、そうさせてもらうわねん」
「あんまり飲んで起きられないなんて事はやめてくださいね」
「分かってるわよ、明日はお花見デートだもんね〜」
「デート…………良いんですか?僕で」
「良いのよ…………加持くんだってそうしろって言ってると思うわ……」
少しばかり感慨に耽った様子で言葉を濁し、冷えたビールを喉に流し込む。
大切な人を失ったのはミサトも同じであり、心の傷も残っている。
今のミサトにとっての生きる目的は、シンジの傷を癒す事。
それが自身の傷も癒せるのだと、彼女自身は気付いているのかもしれない。
「い〜い天気じゃない、まさにお花見日和ねー」
「そうですね、でもこの時間から行って場所が空いてるかどうか……
ニュースだと朝から場所取りとかやってるみたいですけど」
「ま、まぁ大丈夫よ。いざとなったら……」
「ダメですよ、ネルフの権限なんてそんな事に使うものじゃないでしょ」
「う………」
「そもそもミサトさんが早く起きないから……何回も声かけたのに」
「しょ、しょうがないじゃないの。女の子は朝に弱いってのが常識なのよ」
「ミサトさんのは二日酔いでしょ、それに『女の子』って歳でも…」
「なんか言ったぁぁ!?」
「いえ…………なんでも……」
目的地は第二芦ノ湖、人工桜の試験場に選ばれた湖は、人でごった返していた。
春休みの今は連日のようにTVで報道され、県外からも多数の花見客が押し寄せている。
「…………………ね?だからもっと早く……」
「うぅ……これじゃあ流石に今からゆっくり花見ってわけにはいかなそうね……」
「……どうします?帰るっていうのは寂しいですよね?」
「シンちゃんはどうしたい?」
「うーん………桜をゆっくり見たいですね………………………ミサトさんと……
ま、まぁちょっと無理っぽいですけど……」
「……………あそこ、行こっか」
「ジオフロントですか?」
「前に見たのよ、ここを試験場にする為にジオフロント内で咲かせてたのを。
まだ残ってるかも…………残ってなかったら無駄足になっちゃうけどね」
「…………行ってみましょうよ、ここに居てもしょうがないですし」
賑わいを見せる湖畔を尻目に、歳の離れたカップルは一般人立ち入り禁止区域へと車を走らせる。
ジオフロントはサードインパクトで一旦地上を離れたが、その後同じ場所へ墜落していた。
その為にネルフ内部は衝撃にやられ、現在まで復旧作業が続いている。
ネルフ以外の場所は既に防衛都市の一環としての機能は無いが、様々な実験などが
行われる為に一般人の立ち入りは許可されていない。
春休みが関係無い場所である為、2人は車に乗ったまま身分証を提示する。
『お花見に来ました』などと言える筈もなく、硬い表情で挨拶を済ませて地下へと進んだ。
「シンちゃん!見て、あの辺ピンク色じゃない?」
「ホントだ!良かったですね、ミサトさん!」
ジオフロント内部へと降りる道路から、地面の一角に桃色が見える。
人工桜の実験場はそのまま放置されたのか、はたまた誰かが気を効かせたのか。
シンジは久し振りに胸が弾むのを感じる。桜のせいか、隣ではしゃぐ『女の子』のせいか。
「いやぁー、満開じゃない。しかも見物人が少ないし♪」
「やっぱりみんな考える事は同じですか、殆どネルフの職員みたいですね」
「まぁでも、これで遠慮はしなくて済みそうね、私達も楽しみましょ」
花見客は少なく、それぞれが一定の距離を置いてシートを敷いている。
シンジとミサトも近いグループからでも20mは離れているであろう場所にシートを広げ、靴を脱ぐ。
ミサトはそのまま仰向けに倒れて、満開の桜を見上げて口元を緩めた。
「キレイ、、懐かしい…………」
「………………昔は毎年咲いてたんですよね?」
「そうよ、大好きだったの。……………まるで平和の象徴、か……」
「そうですね。平和だった頃に咲いて、セカンドインパクトで散って、またこうして平和な世界で咲くんですから」
「人工、だけどね。人間はどこかで平和の象徴を求めてるのよ、自分一人じゃ、寂しさを消せないもの」
「………………キレイですね………」
「……そうね…………………………」
シンジの作ったお弁当を食べて、ビールを飲んで、満開の桜を無言で眺める。
まるで時間が止まったかのような世界、淡いピンク一色に染まるジオフロントの一角は、さながら桃源郷である。
「……ねぇ、ミサトさん」
「ん?なぁに?」
「僕は………もう大丈夫ですよ。心に傷を持っているのは僕だけじゃない。
この世界に生き残った人たちなら全員持ってます。そして、みんな必死に前を見ようとしてる」
「…………シンちゃん……」
「ミサトさんの『これから』を、僕で消費させてしまうのは辛いんです。
この3年間、ホントに色々と助けてもらいました、アナタが居なければダメになっていたかもしれない……
これからは、ミサトさんにも幸せになって欲しいんです。…………僕が支えに……」
「ねぇ、シンちゃん」
「…あ、、はい」
「私はね、シンちゃんの保護者である事を苦に思ったことなんて無いわ。
正直、使徒と戦ってた頃はあったかもしれない、、でも、今は楽しいの。
家族が居る喜び、シンちゃんはそれを私に与えてくれてる。
縛るつもりなんか無いし、縛られてるつもりも無いわ。
いつかシンちゃんに好きな子が出来て、子供が出来る、想像しただけで嬉しくってしょうがないの…」
「……………………」
「アスカの事、忘れられない?」
「……………………」
「大丈夫よ、きっと…………」
「……………ミサトさん」
「んー?」
「来年の桜が咲いたら……」
「?」
「……………………僕と結婚してください」
「…………!!…え゙ぇ!?」
「……ダメ…………ですか?」
「だ、ダメっていうか……………アスカの代わり?」
「違います!………その……アスカに対しては正直よく分からないんです。
あれが恋だったのか、それとも同じ匂いを感じた仲間だったのか………
でも、この3年間で、ミサトさんと暮らす事で、、僕にとって一番大切な人は………」
「…………私は『お母さん』に徹しようと思ってきたんだけどなぁー……」
「すいません……ずっと言えなくて…………」
「謝らなくても良いのよ、嬉しいけど………シンちゃんと私じゃ干支が一回り以上も離れてるわよ?
やめた方が良いわ。勿体ないもの、シンちゃんは若いし、周りを見てないだけよ」
「……何度も諦めようと思いました………でも、こんな近くにミサトさんが居て、どうしても比べちゃうんですよ!
こんなに素敵な人は居ないって……………この人に、愛されたいって………」
「………桜の下でプロポーズかぁ……………格好良くなったじゃない……シンちゃん」
「お願いします、努力しますから!ミサトさんに合うような男になりますから!」
「…………料理、あんまり出来ないわよ、掃除だって…」
「そんなの関係無いんだ!もう……もう子供じゃないんですよ!………好きなんですよ、、貴女を…愛してる……」
「………(なんで涙が出るかなぁ………お父さん、リツコ、加持くん、幸せになっても…良いの?………………)」
「…………………………ミサトさん………」
「…………幸せにしてくれるんだったら、愛してあげる。………たっくさんね!」
零れ落ちそうな涙を拭い、ミサトは明るく微笑んでみせる。
既に泣いてしまっているシンジの頭を優しく抱くと、そっと唇を重ねて、再び抱きしめた。
「…………さくら、か………平和の象徴よね」
桃色の花びらが舞い落ちるジオフロントで一つの幸せが誕生し、幾つかの傷を消した。
寂しい者同士が傷を舐め合っているだけかもしれない。しかし、確実に言えることは、
お互いがお互いを求めているという事、そして2人に必要なのは、それだけだった。
「孫を見るようなつもりで居たけど、シンちゃんとの子供かぁ……」
「え!?い、いや…………まだそんな……………」
「ふふ……そうよね〜、まだまだ『恋人気分』を味わいたいわよね〜」
「え、えーと、、はい……」
「……………変な話だけど、私より先に死なないでね……」
「!!……大丈夫です、もう………桜が咲いてますから………」
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