◆◆◆ DARK SIDE OF NEON GENESIS ◆◆◆
63 :
涼月:
錬金術の観点から言及する知識は無いんですが、生半可な知識を少々。
現状におけるパンスペルミア説の利点は、
生命が何らかの形で宇宙を渡ることが出来るという可能性を示す事により、
生命発生の場を『原始地球以外の何処か』に求める事が出来る、
これによりミラーの実験のような、原始地球をモデルにした実験とは
また違った状況の元での生命発生原理を想定する事が出来る。
という点であったかと思います。
この上で考えれば、例えば最初に出現したのがロボットのような珪素系生命体であり、
我々は彼等が実験的に播いた種であるというような可能性すら検証可能です。
しかし、これは可能性を広げる為の発想の転換であって、生命発生原理そのものを明かす物ではありません。
EVA考察でも、黒き月、白き月を空から落ちて来た種子とする説は確かに在りましたが、
その向こう側を見ようとしなければ、この説はただの思考停止で終わってしまいます。
64 :
涼月:03/11/08 16:32 ID:???
生命は受け継がれ、循環するものであり、起源など無いと言う循環論はこれに対する一つの反論です。
度々登場する繰り返しの描写、或いは魂を受け継ぐ綾波レイはその一端に見えない事もありませんし、
黒き月が宇宙から飛来したとすれば、
リリスのコピーと共に飛び立ったユイが新たなる種子であるとする見方はその完結とも見えます。
更に言えば、最も示唆的なのは、劇中でアダムとリリスが神、零号機が神のプロトタイプと呼ばれる事でしょう。
65 :
涼月:03/11/08 16:34 ID:???
言うまでも無いですが、聖書ではアダムもリリスも神の創ったものです。
強いて言えば、人よりは神に近いかもしれませんが、しかし神その物ではありえません。
本来ならば、アダムやリリスを作った存在が神と呼称されるべきでしょう。
しかし何故、アダムやリリスが神と呼称されるのか。
仮にユイが新たなるリリスになったのだとすれば、この謎に解答を与える事は出来ます。
この仮定で考えれば、あのアダムとリリスもまた同じ様な存在の筈です。
アダムとリリスが、EVAで描かれたような挑戦の末に神のような存在に至ったとすれば。
その前に存在するのは万物の創造主ではなく、人類と同じ様な種族に過ぎません。
神を目指してアダムとリリスを造り上げた彼等を神と呼ぶのは不可能でしょう。
66 :
涼月:03/11/08 16:35 ID:???
しかしながら、果たしてそれだけがEVAの提示した生命原理であったかは疑問の余地が残ります。
EVAにはもう一つ、神の座が存在するからです。
渚カヲルは、人は無からは何も創れないと言います。(ビデオ版第弐拾四話)
綾波レイはたった一人にしか魂が生じませんでした。(第弐拾参話)
こうした場面から想定されるのは、人とは違う、無から何かを創ることの出来る神です。
魂を創る、無から何かを創るというのは、零と壱の無限の断絶を乗り越える事であり、まさしく聖書で語られるような神の所業です。
少なくとも、使徒達や人類はそこに位置付ける事は出来ません。アダムやリリス、或いは碇ユイも同様です。
ではこの神は何処に位置付けられるのか(この辺から純然たる推測が増えますが、御容赦を)
一つの想定ですが、第25話冒頭の検証が鍵になるのではないかと思います。
67 :
涼月:03/11/08 16:36 ID:???
ゲンドウ
1「人は新たなる世界へと進むべきなのです、そのためのエヴァシリーズです」
SEELE
2「我等はヒトの形を捨ててまで、エヴァという名の箱舟に乗ることはない」
3「これは通過儀礼なのだ。閉塞した人類が再生するための」
4「滅びの宿命は新生の喜びでもある」
5「神もヒトも全ての生命が『死』をもってやがて一つになるために」
ゲンドウ
6「死は何も生みませんよ」
SEELE
7「死は君達に与えよう」
(フィルムブックp16〜17より)
68 :
涼月:03/11/08 16:38 ID:???
まず最初の二つの台詞。エヴァに乗り、新たなる世界へ進む事。
これはユイの求めた、新たなる種となる事と解釈する事が可能です。
しかし、それではSEELEの意図はどう解けば良いのか。
SEELEはこの場面で、明らかにゲンドウと対立しています。
SEELEは人類の現状を閉塞と言っています。人類の終末=閉塞と見る事も出来ますが、それだけでしょうか。
5番目の台詞で、SEELEは神の死をも求めています。
この神は生命体としての神、つまりアダムやリリスと読む事が出来ますが、
種を送り出す事を拒み、母たる神すら殺してしまう事は、それこそ閉塞に他なりません。
しかし、SEELEが単純な死を望んではいないのもまた明らかです。
もしこれが人類ではなく、一個の人間であればどうでしょうか。
子孫を残さねば全てが終わるだけです。そこには新生も何もありません。
これを打開する方法は一つ、不死になれば良いのです。
延々と子孫を残すのも一種の不死ですが、これはどうしても個体の死を伴います。
しかも、その循環は否定的に見れば、ただの繰り返しでしかありません。
69 :
涼月:03/11/08 16:41 ID:???
SEELEが閉塞と呼んだのは、やがては滅ぶべき人類であり、
同時にただ流れのままに誕生と滅びを繰り返すしかない生命達でしょう。
SEELEが殊更に次の種子を送り出す事を拒んだのは、その流れを断切りたかった。
つまりは人類という種族を不死へと変える事で、
永劫に巡る輪の外に出ようとしたのではないかと考えられます。
では輪の外に出る事にはどんな意味が在るのか。
輪は生命の始まりから存在した筈です。
生命を創った神が居るとすれば、輪を巡る事は神の定めた運命とも言えるでしょう。
その輪を出る事は、人の不老不死と同じく神に背く事、神を目指す事に他なりません。
SEELEの目的は恐らく、神を目指す事、
それもアダムやリリスのような神ではなく、更に上に存在する創造主たる神の領域です。
70 :
涼月:03/11/08 16:43 ID:???
しかし、その結果は失敗に終わりました。
しかもSEELEの求めた不死は、ゲンドウを始め、
殆どの人間がただの死だとして斬り捨ててしまいます。
循環する生命と、そこから脱しようとした者の敗北。
結局は神の領域に人が届く事は無く、
流れのままに生きるのが、EVAの語った人間の本分なのかもしれません。
書いてるうちに生命発生が結局神様の仕事になっていたりして、
まだ大分引っ掛かる点もありますが……
ひとまずこんなところで。