128 :
相田:
エヴァンゲリオンが問い掛ける近代〜その視線の先にあるもの
エヴァンゲリオンの最大の功績と言えば「ホータイ萌え」「無口萌え」と言う、
萌えの未踏の領域を開拓したことにあると言うのは、現在では学会でも常識である。
ガイナックスはそれ以前にも、「色黒萌え」と言う誰もが不可能と思ったコンセプトを提示し、
その唱導に習うかのようにちまたを色黒女が闊歩したことも記憶に新しい。
しかし、残念ながら現実にそこらをウロウロしていた女どもは「萌え〜」とはまるで無縁の存在であった。
ガノタ派の社会学者はこれらを「ガングロ」とか「ドム女」とか名付けたが、
これはさすがに(;´д`)ハァハァ 歴の長い彼らの慧眼であると言えよう。
このことから類推しても、害名糞の萌え理論は現実が容易に模することの出来ないほど
先鋭化され、純化されたものであることが明らかであろう。
そのことの一つの証左として、あれから10年近くたって未だにホータイ姿の女性たちが
大手を振って世間を闊歩出来ていないことが挙げられる。
これは、未だに日本に残る儒教的・農本主義的な閉鎖性・退嬰性の強制力によるものと考えるほかない。
全裸にホータイ、せいぜい眼帯のみ、という開放的な姿の『若い』女性たちが誰憚ることなく
社会に進出することが可能になったときこそ、真の日本の近代化が始まると言えるのではないか。
今さらながら、「脱・近代」を問題にする前に、日本社会の真の「近代化」を問い直すべきではなかったか
と、私は思う。
はっきりとした構造がないところで「脱・構築」を求めるほど愚かしいこともないではないか。
今こそ我々はホータイとビーカーによるきつきつの「構築」を、『若い』女性に求めるべきではないのか。
それがbizarreになるのか、bondageになるのか、今はっきりと予測することは難しい。
しかし、それがどのような形を取って現れるにせよ、あるがままに受け入れるのが、
今はなき害名糞から忍従の思想を学んだ我々の取りうる唯一の姿勢ではないだろうか。
129 :
相田:03/06/13 00:07 ID:???
エヴァンゲリオンに於ける「萌え」の統一理論は可能か?
1)先日の私の発表について、「若い女にこだわりすぎだな」と言う意見が寄せられた。
的確なご意見に感謝したい。
さて、私が『若い』女性、とあえて強調していたことに気付いた人はいるだろうか?
当然私も『若くない』女性について閑却していた訳ではない。ただ、あの場では時間の余裕がなかっただけである。
決して私が『若い』女性ばかりに気を惹かれている訳ではないので、その辺お含み置きいただきたい。
害名糞と言えば、かつてオランダ妻に電気うなぎの夢を見させたほどの剛腕である。
そっち方面への目配りを欠いているはずはない。幼女から老女まで。
ありとあらゆる方向へ萌えの可能性を探るのが害名の真骨頂である。
現にエヴァでは腐女子への細やかな気遣いさえ見せてくれた。心憎い配慮である。
とは言え、エヴァ放送の頃にはすでに年下萌えの根が深く日本中に張り巡らされていたことは事実として
認めなければなるまい。
断じてロリコンではない私ですら一番好きなガンキャラがリィナであると言うことは、
一生背負い続けなければならない重い十字架である。
130 :
相田:03/06/13 00:09 ID:???
2)さて、この研究会の参加者なら、萌えの大家たるガイアックスにして、エヴァにおいては
およそ萌えジャンルに対するこだわりが見られないことにお気づきであろう。
今思いつくだけで、セーラー服、ウェイトレス、巫女さん、ょぅι゛ょ、眼鏡ッ子、ドジな先輩、
メイドロボ、朝起こしに来る幼なじみ、一緒に帰るのを嫌がる幼なじみ、盗撮ヲタクに脅されている幼なじみ、
義理の母、義理の妹、血のつながった妹、生き別れの妹、強化された明らかに年上の妹、婦警さん、
女教師、格闘技好きの後輩、宇宙征服を夢見る科学部長、アイドルの同級生、資産家の娘の同級生、
渦巻き眼鏡の同級生、血のつながらない妹の同級生、etc
ここに挙げたのはほんの一例に過ぎない。諸兄にはこれら以外にも人生を賭けている萌え対象があるはずだ。
しかし、gainaxはエヴァにおいて、これらの要素をことごとく排除した。
意図的に、である。
そのことは、トウジの妹がまったく画面に登場しなかったと言う一点において明らかである。
もし妹が登場していれば、エヴァの視聴率は数倍にまで跳ね上がったであろうことは疑いない。
では、何故? と言う疑問の答えもまた、綾波レイと言うキャラクターを見れば明らかであろう。
ガイナックスは、それまでになかった、新たな萌えの対象を創り出そうとしたのだ。
これは今や常識であり、ここで私が述べる必要もない見解である。では、なぜ述べなくてはならなかったのか?
それが、冒頭私に示された批判に対する答えにつながるからだ。
131 :
相田:03/06/13 00:11 ID:???
3)綾波レイは確かに成功だった。無口・無表情・無感動と言う丸太キャラが萌えの対象になると言うのは
それまで誰も考えつかなかった発見であり、それ以後一種のブームのように類似キャラが現れた。
しかし、真にガイナを恐るべき物とするのは、綾波レイの創造だけではなく、その逆の萌え対象をも
用意していたことにある。
誰のことか、と疑問に思う人も多いかも知れない。心当たりがない、と言う人も多いだろう。
それも無理のないことなのである。
もう一つの萌えとは、容易には萌えることが出来ないばかりではなく、気付くことすら困難なものだったのだ。
エヴァ第1話をご覧になって、諸兄は恐らく綾波レイというキャラクターに心奪われたことであろう。
その時点では、萌え〜♪とまでは行かなくても、その静かにして強烈な存在感に耳目を惹きつけられたはずだ。
しかし、ガイナッ楠はその同じ第1話において用意周到にも、もう一つの萌えの可能性を登場させていたのだ。
それが、赤木リツコ博士である。
132 :
相田:03/06/13 00:13 ID:???
…いや、物を投げないで欲しい。私の発言が多少奇異に聞こえるであろうことは充分自覚している。
しかし、これは根拠のあることなのだ。
…催涙ガスを撒くのもやめて欲しい。阪神ファンと中日ファンは退場願いたい。
133 :
相田:03/06/13 00:15 ID:???
4)よろしいか、諸君。赤木リツコが最初に登場したシーンで、どんな出で立ちであったか、思い出して欲しい。
…そう。水着だ。水着に、白衣。これである。
あの場面を目にした視聴者のほとんどは、硬直したことであろう。俗な言葉で言えば(゚Д゚)ハァ? 、である。
これが水着だけならまだ話は分かる。白衣だけだったらもっといい。
しかし、水着の上に白衣、では…
使徒襲来の報に驚いて、水着の上に白衣だけを羽織った、と言う説明に頭は納得しても、心は納得しない。
なぜならあまりに違和感がありすぎて、人間の脳の容量では処理できないからだ。
おまけに金髪。しかも眉毛は黒。これでなにをどうしろと…
それこそがガイナッ糞が我々に求めていたことなのだ。
この違和感を萌えに昇華させろ、この複雑な対象を萌えの要素に還元し、そしてもう一度組み直せ、と。
考えてみれば、赤木リツコと言うキャラクターは萌えの複雑系である。
水着、白衣、タイトミニ、ストッキング、インテリ、煙草、30才独身、レズ疑惑、女王様、牝犬、
全裸羞恥プレイ、親子丼、実に枚挙に暇がない。
ただ、これだけ萌え要素がてんこ盛りだとかえって対象が曖昧になり、萌えが難しくなる。
ブレヒトの言う「異化作用」である。「異化作用」と言うのは、独身男性の部屋がイカ臭くなると言うのとは
別で、萌えの対象が多すぎるとポイントがずれてむしろ萌えから離れてしまうと言うことである。
134 :
相田:03/06/13 00:17 ID:???
5)彼らがこんな初歩的なことに無自覚であったはずはない。明らかに製作陣はリツコに萌え要素を過度に
注入することによって、萌え難くした。
何故そんなことをしたのか。このことを考えることが重要である。
TV版エヴァの終盤の破綻、そして劇場版の有様を思えば、製作陣、あるいは庵野監督の言いたいことは
明らかであろう。
彼、あるいは彼らは我々に、レディメイドの、与えられた萌えから脱却しろと語りかけているのだ。
それも、言外に。
綾波レイと言う格好の萌え対象を創り出し、我々の萌えに対する情熱で商売している彼らが、
はっきりと萌えを否定するわけには行かない。
赤木リツコと言う、『若くない』女性にそのことを託したのは慧眼と言えよう。
なぜなら、『若い』女性なら、我々は多少の無理は乗り越えて萌えることが出来るからである。
綾波レイと赤木リツコと言う対照的なキャラクターを通して害名糞が語りかけるもの。
これまであまり語られてこなかったこの視点から充分考察することこそが、
これからの我々に課せられた使命ではないだろうか。