匿名と記名の差異はどこにあるのかな、、、
名前を記すことで自分の利益に差し障りが
あるか否か責任の所在を明確にするか否かで
使い分けるということを前提とすれば、匿名掲示板
と記名掲示板というように分類したときそれらの
差異は感想表明なのかそれとも意見表明なのかな?
感想とは自分の動きのモチベーションを規定する
最初の出発点だと思うの、、、好悪の感情として
表されることが主になるとも思うのよ、、、
一方意見とは何かしらのリアクション・動きを
他者に要請しているものだともと思うのよ、、、
他者に求めることだから自分の動きの行動
指針を規定することもするかもしれないけど
要請ということを主とすると他人を説得するためには
なんらかの説得材料(論理的裏づけとか)が
あることが望ましいとも思うわね、、、
だったら、責任の所在とまでは言わないけれど参照
するために記名にならざるを得ないかもしれないわね、、、
感想は「ウザイ・無責任・書くな」と指弾する人も
いるかもしれないけど、責任の所在のはっきりした
意見にしか口にすべきでないというのは世間一般
の社会人としては確かに常識なのかもしれないけど、
それでも世の中のサイレントマジョリティの意思を見る
には匿名による感想を眺めることは極めて重要だとも思うわね、、、
責任の所在が希薄であるが故に流言飛語に陥りやすい
のは確かかもしれないけど、自分の背景に捕らわれない
本音の表出ということにおいて匿名掲示板の意義は
大きいと思っているの、、、
コテハンと「名無しが氏んでも代わりはいるもの」
の書き込みで一つだけはっきりとした差異がある
んだけどそれは「声」だとも思うのよ。
自然とそのコテハンの声が聞こえてくるのよ。
でもその声は自分の勝手なイメージに過ぎない
んだけどね、、、
あたしの中で何人かのコテハンは
それぞれの声が出来上がっちゃってんのよ
まあでもリアルじゃあたしのイメージした声とは
だいぶ違ってると思うんだけど、、、
たぶん、あたしのリアルとここのあたしはだいぶ
違ってると思うわね、、、
「名無しが氏んでも代わりがいるもの」には
声のイメージが沸かないのよ。
それだけにあたしには、
「名無しが氏んでも代わりがいるもの」が怖くもあるのよ。
あたしが、穏やかに、無難に過ごしているうちは、
イイのかもしれないけど、暴言とか、非難・中傷
を1、2回したら、あたしのイメージは、暴落して、
あたしは逆に非難・中傷のやりだまに挙げられるの。
そう思うと恐ろしくて夜も眠れないわね、、、