>>107 アスカ×シンジな作品としては、むしろ続編の方が好き。
あのだらだら感こそ、本編の二人の関係だと思う。
他人や、未来や現実という物が、不確定だからこそ迷走しているわけで。
二人が結婚するというゴールが決められていて、つまらないという話もあるけど、
むしろゴールを決めておかなければ、書き続けることが出来ないほど、
二人の関係が不確定だと言うこと。
多くのLASは、甘物におけるシンジ依存のアスカも、イタモノにおけるエキセントリックで
病的なアスカも、「シンジでなければ幸せに出来ない」という点で、LASを成立させるための
アスカといえるわけで、シンジにとってのアスカの存在意義というのが確定的になってる
んだよね。その意味でシンジにとっての本当の意味での他人ではないし、むしろ本編に
おけるレイに近い。王道をやるなら、ヒロインはレイで、だからこそ本編ではアスカが
残ったんだと思うけど。その意味で、ファーストアヤナミストが「本田のLASは、アスカを
綾波化している」と批判したのは、まるっきり正しい。
「ここから始まる」のアスカって、シンジにとって恋人になることが設定上運命づけられ
ている相手ではないんだよね。偶然の同居の延長上としてつき合っているわけで。
ただの他人で、これがマナに変わっても、マヤに変わっても、別に成立する話なわけ。
だから、「もしもシンジにフられたら」という仮定に対しては、「シンジを殺して私も死ぬ」
みたいなことは言わずに、「2,3日泣いたら、すっぱりあきらめる」といえるわけだし。
意外と毛深かったり、爪の形が変だったり、シンジとどうしても性格上合わない部分
があったり、というのも、アスカが確定的な理想の存在じゃないから。