名も無き詩

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264某スレの7(仮名)
「貴方のために歌いたい」

みなさんこんにちは、森村アユミです。
今日はあたしの話を聞いてください。
…え?そんなヤツ知らないって?…そうかなぁ…そうかも知れないなぁ。
あんまり有名じゃあなかったからなぁ。えへへ♪
ま、それは置いといて(よいしょ)始めましょう。

出身地は四国の徳島です、阿波踊りで有名ですよね?
「踊る阿呆ゥに見る阿呆ゥ同じ阿呆ゥなら踊らにゃ損々♪」
ってこうやって踊り続けるお祭り。
でね、その徳島から声優になりたくて東京に出てきたのが2000年の4月。
夢と希望に燃えていた18の頃…あぁ恥ずかしい。
業界にコネなんて無かったから専門学校に「入学」したんですよォ!
それからはバイトと授業とでテンテコ舞いの日々でした。
うんとね。あたしってホラ、あんまりルックス良くないでしょう?だからあんまりナンパ
とかコンパとか縁が無かったんですよ。御蔭で発声練習とか演技練習とかに時間をかけら
れたんですけれど。…あんまり自慢になりませんよね、こういうのって。
ううう不憫な私。

おっとまた脱線しちった。緊張するなぁ。
そんな毎日を繰り返しながら約4ヶ月、我ながら良くがんばったと思うのね。
そしたら…本当にひょんなことからプロダクションに拾われて研修生になれたの。
それで貯金をはたいてレッスンして…さぁこれから、って時にアレが来ちゃったの…。
2000年9月13日午後7時。
…セカンド・インパクトであたしの人生はすっかり変わってしまった…と思う。
265某スレの7(仮名):04/05/17 01:40 ID:???
バイト先の…喫茶店のウェイトレスやってたのね…有線放送がいきなり音楽を流すのをや
めて総理大臣が演説を始めた時には驚いたけれど、詳しいニュースが流されたときにはも
っとびっくりした。
だって信じられなかったんだもの。
いきなり「世界的な規模の災害」だとか「南半球では既に数億人の被害」とかなんだもの。
でも映像が…えっと途中からお客さんが居なくなったから皆でテレビを見ていたのよね…
流されると本当にそれが特撮映画みたいで「スゴイっ!」ってなっちゃって。
で、店長が店じまいするから君達も帰れ、って言って…。
葛飾のアパートに帰ってはみたものの、何をしていいか解らなかった。
とりあえずプロダクションに電話してみたら疎開の準備で大忙しだったみたいで。
立川辺りで適当な物件を探すから、騒動が落ち着いたら連絡してくれ、って言われて電話
を切られちゃった。
仕方がないからマネージャー…あたし専属じゃないわよ、研修生担当ね…に連絡してみたの。
そしたら八王子にマンションがあるから、一旦全員そこに集合しろって…。
ね!これ、どう思う?
緊急事態とは言え、男のヒトのマンションに住め、って言うのよ!
…もちろん皆一緒、ってのが前提だったし、マネージャーさんは良いヒトだったし…
って何言ってんだろ、あたし。
まぁそう言う訳で疎開する人で満員になった電車に揺られて八王子まで行ったら…!
あたし以外、誰もいないの!
皆、故郷に帰ったんだって。本州に故郷がある人がうらやましかったなぁ…。
だって交通規制があるとは言え、移動そのものはなんとかなったし、津波の襲来後のこと
もわりと楽観できたから。
でも四国はねぇ…橋はダメになったし、港だって水没しちゃってて残ったのは空路だけだったでしょう?
しかも便数が極端に抑えられて…。
それが解っていたから帰るに帰れなくて…。ま、帰らなくて正解だったかも、ね。
そうそう、それで結局マネージャーさんと同居することになったのね。
田舎とは言え3LDKよ3LDK!けっこう高給取りだったの!…って問題じゃあなくて…。
普通、独身ならそこまで広い部屋は必要ないんじゃあないかしら?
あたし、ちょっとだけ嫌な感じがしたの。
266某スレの7(仮名):04/05/17 01:42 ID:???
広河タイチロウさん。
それがあたし(達…過去形だけど)のマネージャーの名前。
30前の、あたしからみたら「オジサン」の部類に入る年齢の人。
不精ひげを生やして、いつもヨレヨレのネクタイとへろへろのシャツを着ている人。
過去の話は一切しない。
だからプライベートな話は一切が謎の人。
…そんな人といきなりひとつ屋根の下で生活しなくちゃあならないなんて!
そりゃあ確かにあのご時世で縁故の無い田舎者がたやすく住む場所を手に入れられたんだ
から幸運だったとは思うのよ?
でもね。
ものすごく不安だったんだから。
…え?そんな心配をするようなルックスだったのかって?
しッつれーしちゃうわねぇ!
それとこれとは関係ないのッ!それに芸能界の片隅にいたから自分の外見にコンプレック
スがあっただけなの!…十人並みなんだからねッ!
…まぁいいわ、話を続けるわね。
タイチロウさんはぶっきらぼうだけど、一応はあたしに気を遣ってくれてたみたい。
部屋だって一番広い寝室を使わせてくれるって言うし。
…でもこれはあたしが辞退した。
理由は三つ。
荷物が少なかったこと…だってボストンバッグ1個とリュックだけなんだもん。
貧乏性で狭い部屋の方が落ち着くのが二つ目。
そしてこれが一番重要なんだけど…ベッドがタブルだったの。
あたしだって子供じゃないからその意味は解っていたつもり。
シーツだってキレイにクリーニングされていたし空気の入れ替えもこまめになされていた
みたいでいい匂いもした…だけど…。
「そこ」でどんなコトが行われていたか?なんて考えたら眠れないじゃないの?
だからあたしは六畳間の洋間を借りたわけ。
ホントは和室の方が良かったんだけど、そういったらタイチロウさんがものすご〜く嫌な
顔をしたの。タイチロウさんも和室が好きなんだって。だからあたしが折れました。
だって居候なんですもの。
267某スレの7(仮名):04/05/17 01:43 ID:???
そして迎えたカンド・インパクトの瞬間…。
あたしはマンションのベランダから、都心の方をただただ見ているだけだった。
サイレンの音が響き渡り、街の灯りが一線を境にして消えていく瞬間を見ていただけだった。
何も出来なかった。
なぜか悔しくて泣いてしまった。
パソコンをいじっていたタイチロウさんが、どうした?って言うから素直に答えたら
「君はそんなにエライ人間だったのか?」ですって!
もうね、アタマにきちゃったから言い返してやったの。
「貴方はあの光景を見て何も感じないんですか!」って。
そしてらタイチロウさんが真顔で言ったの。
「オレは『森村アユミ』を守る事で精一杯だ」って…。
あんな状況でこのセリフよ?あたし、ちょっと赤面しちゃった。
でもね、後で聞いたら意味がちょっと違ってたの。
当時、あたしとタイチロウさんの関係はあくまでマネージャーと研修生とは言え一所属
タレント。
その安全を守るのが「仕事」だったんですって。
本当なら後四人の面倒を見なくちゃならなかったからずいぶん助かったみたい。
だからパソコンで情報を集めてきちんと計画も立てて準備も整えていられたんだって…
一週間は。
もう知っていますよね?一週間後に何があったか?
そう、どこかの国が東京に新型爆弾を落として自衛隊と政府の緊急災害対策本部もろとも
百万人以上の人命を奪っていった事件…。
あの事件でタイチロウさんが作った一ヶ月間の避難計画も水の泡になったし、プロダクシ
ョンも潰れちゃったの。
森村アユミ最大のピンチ!…だったんだけど…。
タイチロウさんが意外にもマジメな人で助かりました。えへ♪
前にも言ったけれど、タイチロウさんにとってあたしはプロダクションから預かった「大
切な?」タレントだったはずなのね。当然プロダクションがなくなれば…「仕事」を放棄
しても不思議ではなかった。でもタイチロウさんはそれをしなかった。
だから私は今まで生きてこられた…幸せなままで。
268某スレの7(仮名):04/05/17 01:45 ID:???
爆弾投下事件直後からタイチロウさんの行動は素早かった。
パソコンをものすごい勢いでタイプしてたかと思うと、あちこちに電話をしたり無線機で
がなり散らしたりしていた。
外では自衛隊のヘリやトラックが引っ切り無しに行き来して騒々しいし。
あたしがご飯を作ってあげても掻き込む様にさっさと済ませてあちこち飛び回って…。
三日後くらいかな?いきなり「箱根に疎開する」ですもの!
理由を聞いたら、マンションを国に買い取って貰いそのお金でしばらく生活するんだって。
立川が壊滅したからその現場に近い場所に対策本部を作る必要もあったし、それを理由に
して民間人を遠ざけたかったみたいだってタイチロウさんが言ってた。
だからお互いに利害が一致して「取引」はスムーズだったって…。
そして八王子から民間人がほとんどいなくなり東京一円は交通規制…ううん「封鎖」された。
そこで何があったのかあたしは知らないけれど、知ったら無事ではすまないんだろうなぁ、
と思っている。そんな気がするの、あたしのカンは良く当たるんだから。
それより驚いたのはタイチロウさんの手際よね。
芸能人のマネージャーって仕事上、色々とウラ事情に詳しいのは解るけど、こんな事態に
どうしてあんなに冷静に対応できるんだろう?…やっぱり謎の人よね。
そしてあたし達は自衛隊の徴発した慣行バスでスゥイート・ホーム(恥ずかしいなぁ、コレ)
を後にした。目的地は箱根、温泉で有名よね。
恥ずかしながらあたし、森村アユミは観光気分たっぷりでした…到着するまでは。

箱根からは観光客の姿が消えていた。
その代わりに、あたし達みたいに不動産を政府に売却して疎開して来た人たちや「本当の」
避難民がたくさん居た。
立ち並ぶホテルは高級なものからビジネスホテル、果てはシティ・ホテルまでそういった
人達で一杯だった。
あたし達に割り当てられたのは「素泊まり5千円」って感じのビジネスホテル。
温泉は引いているらしいけど、広い湯船でのんびりしたかったなぁ。
タイチロウさんに言ったら、でかいホテルのレストランで晩御飯を食べたらサービスで
お風呂にも入れる、って。やったぁ♪早速準備しようっと。
こうして箱根での1日目は終わった…のだけれど。
269某スレの7(仮名):04/05/17 01:46 ID:???
ドアをノックする音で眼が覚めた。
寝ぼけ眼で周囲を見回し、箱根に来たことを思い出す。
慌てて浴衣からだぶだぶトレーナーとジーンズに着替えてドアを開ける。
不精ひげのタイチロウさんがお出迎え。寝呆けて浴衣姿でドアを開けなくて良かった。
どぎまぎしているあたしを放って事務的なタイチロウさんの声。
「朝メシを喰いながら今後の計画を立てよう」
え?しばらく温泉地で観光じゃないの?
「…残念だが観光気分は昨日でおしまい。今日からは業務再開だ」
え?え?タイチロウさん、人の心が読めるの!?…業務再開って?
戸惑うあたしには目もくれず歩き出すタイチロウさん。
慌ててバッグを持って後を追う私。

タイチロウさんは朝食の場所に高級ホテルのレストランを選んだ。
静かなので話に集中できるし、何より熱々のご飯とお味噌汁が食べられる。
これは絶対にあたしのためではなくて自分の好みのためね。なら遠慮はいらない。
2人して日本の朝食を堪能し、熱い日本茶で人心地つく。
お茶を飲み終わる頃にタイチロウさんが口を開く。
「我がサンシャイン・プロジェクトは先日の爆弾事件で社長以下重役幹部は全て行方不明
となった。所属タレントも生存が確認されているのは数名のみ。その中で我が社で活動を
再開もしくは契約希望をしているのはゼロ。…君はどうする?」
あの、タイチロウさん、それって、どういういう意味ですか?
「簡単に言えばサンシャイン・プロジェクトは無くなった、と思っていい。君の芸能活動
に関して我が社は一切の権利を放棄する。…つまり、君は自由なんだ」
タイチロウさん、それって…私、クビになっちゃったんですか?
「もちろん一定期間我が社の研修生だった君にも退職金…というかお見舞金も用意してい
る。今後の生活費にして欲しい」
タイチロウさんがバッグをテーブルの上に置いてファスナーを開き、中身をそっと私に見せる。
封印されたままの一万円札の束が見える…これって…タイチロウさんのマンションを売っ
たお金じゃあ…ないの?タイチロウさん、どうして?
270某スレの7(仮名):04/05/17 01:48 ID:???
タイチロウさんが難しい言葉で何か話している。
コヨウキヤクだとかロウドウキジュンホウだとか何かそんな話。
でもアタマがぐちゃぐちゃになった私には良く理解できない。
解っているのは、それなりに夢を持って入った世界から「用済み」の烙印を押されたって事だけ。
あ、鼻の奥が痛くなってきた。泣いちゃうのかな私。…いいや、泣いちゃえ。
どうせみっともないところばっかり見せてるんだし、いまさらよね。
お化粧してなくてよかった。してたならもっとみっともない顔になってただろうな…。
ん、待てよ?待て待てアユミ!良〜く考えるのよ。
頭の中で冷静なあたしが囁く。
タイチロウさんはどうするんだろう?だってコレ、タイチロウさんの全財産じゃあないの?
バッグからハンカチを取り出して急いで涙を拭く。
視界をタイチロウさんの右手が横切っていく。
レシートを持っていった!
ちょっと待ちなさいよタイチロウさん!話はまだ終わっていないんだから!
慌てて立ち上がったせいで膝を思いっきりテーブルにぶつけてしまった。
痛い。でも追いかけなくっちゃ。あ、また涙が出る。
…周りの人達、何か誤解してなきゃいいな…何考えてんだろ、あたし。
エントランスに出ると、右肩に上着を乗せて坂道を降りていくタイチロウさんが見えた。
思わず叫ぶ。
「タイチロウさん!」
あ、振り向いてくれた。よし勝負!
「あたし、こんなもの要らない!」
ずんずん。多分足音も重々しく歩いてるんだろうな、あたし。
「あたし、こんな中途半端なもの、要らない」
ずんずん。ゆっくり近付いてくるタイチロウさんの姿。
つまらなさそうな表情で咥えタバコをしているタイチロウさん。
うんこれだ。このタイチロウさんだな、一番好きなのは。
…おいおいアユミ、何言ってんの?
冷静なあたしが横槍を入れる。
271某スレの7(仮名):04/05/17 01:49 ID:???
タイチロウさんの眼前にバッグを突き出す。
「あたしが欲しいのはタイチロウさんの全部!」
…それはまた誤解を招く発言だと思うよ?
頭の中で冷静なあたしが忠告してくれる。
…ありがと、でも興奮してるから上手く言葉にならないの!
もう一人の、激情家のあたしが怒鳴っている。
「違うのッ!そう言う意味じゃなくって、タイチロウさんの経験と智恵が欲しいの!」
…よしよし、これなら通じるだろう。
「この世界に片足だけ突っ込んで!何も出来ないまま!お払い箱に!なりたくないの!」
あ、タイチロウさんの目が笑ってる。
「どうしてもこのお金を受け取ってくれないなら、このお金でタイチロウさんを雇うわ」
携帯用灰皿にタバコを押し込んで…新しいタバコに火を点けるタイチロウさん。
ま、いいわ。話は聞いてくれるんだから。
「このお金、タイチロウさんの全財産でしょ?こんな時にはお金が必要なんじゃないの?」
「…オレなら心配は要らないんだが…どっちかと言えば君にこそ必要だからなぁ」
もう!表情も変えずにそんなこと言わないでよ!
「…タイチロウさん、あたしって足手まとい?あたしがいるとタイチロウさん、迷惑?」
困ったなぁ、と言う感じで首を傾げて空中に視線を向けるタイチロウさん。
「このお金で厄介払いするつもりならはっきり言って欲しいの」
黙って頭を掻くタイチロウさん。
「もしそうじゃないなら、あたしと一緒にいて。あたしの夢を実現させる手伝いをして
欲しいの!そしたら、お金をもらうよりずっと嬉しい…」
「…このご時世では君の夢は厳しいモノだぞ?」
やった!
「大丈夫。おバァちゃんが言ってたもん。『独りでは出来ない事も二人でならできる』って」
そいつはまた、と行ってからタイチロウさんが黙り込む。
多分、楽天的だとか何とか言おうとしたんでしょう?
その通り、森村家は楽天家の家系なんだもの♪
こうしてあたし・森村アユミと広河タイチロウさんの関係は変化した。
マネージャーと研修生から、社長と専務(もち、あたしが社長ね)に。
272某スレの7(仮名):04/05/17 01:51 ID:???
えぇと、まずセカンド・インパクト直後のメディア…特にテレビとラジオについて話して
おきますね。
○○テレビ系列ってのは規模を縮小したけれど存在はしていた。東京から近郊の都市にそ
の機能を移転させたんだけど衛星を使った中継が出来なくて全国ネットの再開には時間が
必要だった。それに比べてラジオは比較的被害が少なくて情報の伝達に貢献していた。
だけどニュースや安否確認番組の御蔭でバラエティ番組なんかはずっと少なくなっちゃった。
皆ピリピリしていて、いつもなら笑い飛ばせる冗談も過剰反応されて…。
いわゆるタレントの出番はどんどん減少していったの。
タイチロウさんの言う「厳しい道」ってこういうものだったのね。
オマケに有名なタレントさんで外国に旅行中だった人達の中には亡くなった人もいて…。
ハワイやグァムなんて津波の影響がすごかったから…。
ほかにも外国で足止めを喰らったり、暴動に巻き込まれたり…。
作詞家・作曲家の先生も同様。
レコード会社も工場が倒壊して活動は困難。
かくして芸能人の仕事は減る一方でした、まる

…はふ…書いてて嫌んなっちゃった。
そんな状況の中であたし達(もちろんタイチロウさんとよ)は活動を開始したの。
…と言ってもあたしの基礎レッスンからなんだけれど。
とりあえずタイチロウさんはあたしの「声」に着目していたんだって。
しかも!歌を歌わせても面白い、って社長に言ってくれてたの!
そうかぁ…アレがなければ歌手としてデビューできてたかも知れないのかぁ…。
ん、白昼夢は置いといて、と。
そしてね!タイチロウさんのギターでレパートリーを増やしていったのよ。
このギョーカイにいるだけあって、タイチロウさんも昔はバンドをやってたらしい。
ただそのレパートリーって言うのが古い歌が中心で…結果的には正解だったんだけれど…。
どういう事かというと、要するに「誰がターゲットか?」と言う事。
セカンド・インパクト直後にまとまった財産を持っているのは中高年の人が多いと考えたのよ
タイチロウさんは。
273某スレの7(仮名):04/05/17 01:53 ID:???
だから演歌や唱歌を中心に情緒溢れる歌を覚えさせられたってわけ。
おまけに若者向けの音楽はアマチュアバンドがコピーしているし、その数も多いから出番
は少ないって…これも当ったのよねぇ…つくづく有能だわタイチロウさんって。
あの当時、どこの街に行っても人が大勢集まる場所ではそういったアマチュアバンドが
コンサートを開いていて賑やかだった。ちょっとうらやましかったのはジジツなのよねぇ。
だってそうでしょう?エネルギッシュで。
でもね、そんなあたしに意識改革の大波がやってきたの。
地道な営業(これはタイチロウさんの言葉。いわゆるひとつのドサ廻りね)で静岡に行った時
の話なんだけれど。
夜、海の見える公園で薪を照明にして「歌謡ショウ」が開催されたのね。で、その出演者
の一人としてあたしも呼ばれたの。
はっきり言って宴会の延長みたいなものだった。
お客さんはたいていが酔っ払っているし下品な野次は飛ぶし。
それでもリアクションは悪くはなかったのでタイチロウさんが「泣かし」に入ったの。
…もの哀しい曲のオンパレードで。
一生懸命に歌ったんですよあたしも。
そうしたら…そうしたら!
本当にお客さんがすすり泣きをし始めちゃって。
「ふるさと」で…えと、ウサギ追いしかの山♪って歌…その曲が終わって拍手が鳴り
止まなかったのでびっくり。
雰囲気のせいでもあるんだろうけれど、あの時は何ていうか…嬉しかったなぁ。
そしてラストに「上を向いて歩こう」を歌って。
…タイチロウさんって意外に年寄り臭いのかもしれないなァと思った。
でもその時の評判が良くて、仕事は一気に増えて、あたし達の会社は万々歳で。
そしてバレンタイン休戦臨時条約が締結され世界に一応の秩序らしきモノが再構築されて
日本も少しは落ち着いてきて。
人は娯楽って言うモノに飢えを感じていて。
普通なら二流止まりのあたし達にもどかどかとお仕事が舞い込んで来て。
そして…あたし以外にもタレントさんを抱えることになりました、まる
274某スレの7(仮名):04/05/17 01:54 ID:???
経営者としてのあたし達の基本姿勢は「地道な営業」と「可能な限り全年齢層へのサービ
ス」の二つ。
だって、ねぇ…美空ひばりさんの歌を歌えば、しょぼんとしていたおバァちゃんが急に
ニコニコして一緒に歌いだすんだもの。
そんなシーンを見たら、ウチのタレントさんも納得してくれた。
…うん、いい人達と仕事が出来てうれしかったな。
ただしこちらがトレントさんに無理を言った分「身の安全」は確保してあげてた。
だってあの娘達は歌を歌う芸人であって…その…そういう仕事の人じゃあないから。
あ!勘違いしないでね。別に夜の仕事をしている人達を見下ろしているんじゃ、ないのよ?
それが必要な仕事だと解ってもいるし感謝もしているの。
…あたし達は、その仕事は出来ないだろう、って事なの。
あたしはタイチロウさんの御蔭で今日まで無事に生きてこられたけれど、当時を思い出す
と、もしかしたら…とも思うのね。
「平気よアユミちゃん。人間はね、けっこう簡単に状況を受け入れられるものなのよ…」
そう話してくれたコールガールのお姐さんが、あたしの歌う「春おぼろ」を聴いて泣いて
いた事が忘れられない…。
だからね、あたし達はそういう仕事を断ってきた。
打ち合わせと称してホテルに呼びつける相手に水を引っ掛けてやった事もある。
仕事は頭打ちになっていったけれど、人は集まって来てくれた。
その中には、本当にもう「天才?」って思える子もいたの。
で、新たに…と言ってもごく当たり前の事なんだけれども「オリジナル曲」を創ろう!
って事になったの。
…恥ずかしながらそれまではリクエストに応じてその場その場で有名な曲を歌っていただけ。
著作権協会にはずいぶんお金を払ったと思う。
でもオリジナルなら!全部こっちのものよね?
作詞・作曲は「天才ちゃん」に任せて、あたし達は配布する媒体の調達に乗り出した。
…これがまた一苦労したんだけれども。
275某スレの7(仮名):04/05/17 01:56 ID:???
あの頃、皆はどうやって音楽を聞いていたかと言うと、手持ちのオーディオ機器が全てだった。
ウォークマンしか持っていない人はカセットだけ、CDプレイヤーしか持っていない人は
CDだけしか聴けなかった。
だって新製品なんて、発売はおろか製造さえされなかったもの。
ほとんどの資源を輸入に頼っていた日本にとって、あのセカンド・インパクトはジワジワ
とその影響を及ぼしていたの。
一時的とはいえ製造業は完全にストップ、在庫商品は闇値でどんどん売り払われていった。
修理しようにも部品が手に入らない、のでそれまで見向きもされなかった産業廃棄物処理
場に連日連夜人だかりがしていた…らしい。
それでね、有り金をはたいて…本当に全財産だった…S-DATで勝負に出たわけ。
皆でせっせとダビングしてパッケージして売り子して。
あのね、自慢になるんだけれど、現在でもS-DATが使用されてる原因のひとつはウチの
貢献度が大なんだから。
「貴方のために歌いたい」って曲、知ってる?
あの曲が大ヒットしてくれた御蔭なの。
それから立て続けに4曲が40万本以上のヒット!
S-DATのメーカーとの契約で二年間はS-DATでしか販売をしない、って決めてたから、
ずいぶん在庫が売れたみたい。
まぁ御蔭様でウチもVIP待遇を戴きましてですね、以後の芸能活動でかなり優位に立てました。
会社も着実に大きくなって、社会もだんだん平和になって、また娯楽が求められて…って
言う事で現在に至るわけなのです。
後は…そう、ドラマとか映画の新作をコンスタントに製作したいです。
今でも昔の再放送が多いでしょう?
アレをもっとこう…何とかしてみたいですね、他の会社の方とも協力して。
276某スレの7(仮名):04/05/17 01:58 ID:???
…え?タイチロウさんはどうしたか、ですか?
…うふ、うふふふ、ふひゃひゃひゃひゃ♪
じゃん♪
あたしこと森村アユミは!めでたく!広河アユミになりましたぁッ!
あたしとタイチロウさんの関係は三度変化しています。
…え、プロポーズの言葉、ですか…。
ちょっと酷いんですよタイチロウさんって。
「なぁアユミ、お前はそんなに歌が上手くないんだからそろそろやめないか?」
って言うの。そして、そしてね?
「これからはオレのためだけに歌ってくれ」
って言うのよー!あー恥ずかしい♪

そうです。
「貴方のために歌いたい」って曲の詩はあたしが書きました。
それを「天才ちゃん」がすらすら〜っと素敵に手直ししてくれました。

あたしは、色々な人に色々なものを貰って幸せになった。
だから、だから今度は、沢山の人を、ほんの少しでも幸せな気分にしてあげたい。

                                 <Fin>
277某スレの7(仮名):04/05/17 01:59 ID:???
えと、あとがきです。
実はこのお話は2月の時点であらすじが出来上がっていました。
多忙のために執筆が遅れただけなんです…。
元は林原めぐみさんをモデルに勧めていくつもりだったのですが、流石にそれはマズイ
だろうと私の中の何かが囁きまして…。
一人称、って言うのも決まっていました。「根府川先生〜」で味をしめたみたいです。
で、出だしで元気な女の子をイメージしたら自己紹介をする場面が浮かんで。
指が勝手に名前を書いていて…この時には気づいていなかったんですよ本当に。
ずいぶんと自然に出てきた名前だったから、自分でも感心していたんです。
でも「ヒロカワタイチロウ」まで出てきてやっと気付きました。
パクリやんかーーーーー!(出題・どなたの作品でしょうか?)
こうなったらもういっそあとがきまで全て真似てやろうと思いまして、はい。
毒喰らわば皿まで。

ではそろそろ行数も尽きて参りましたのでこの辺で電源を切ります。
この話、気に入って貰えるとうれしいんですが。もし、気に入ってくれたとして…そして。
もしもご縁がありましたなら、いつの日かまたお目にかかりましょう
                                      某スレの7(仮名)
平成十六年五月