我輩は人鳥ではあるがたいていのものは食う。主人のようにヱビスビールばかり飲んだり、
碇少年のように手前でこさえるような芸当は出来ないので、ぜいたくを言える身分ではない。
したがって存外きらいは少ないほうだ。主人の食い残したつまみも食うし、和菓子の餡もな
める。生の肴が最高ではあるが、食ってみると妙なもので、たいていのものは食える。あれ
はいやだ、これはいやだと言うのはぜいたくなわがままでとうていずぼらな女の家にいる人
鳥などの口にすべきところでない。しかしこの今我輩の眼前にある即席のライスカレーに嘴
をつける度胸が生まれてこないのである。見るとうまそうにもあるし、また少しは気味が悪
くもある。鼻先を近付けてかいでみると世に出回っているライスカレーのにおいがする。食
おうかな、やめようかなと逡巡しておるこの刹那に、我輩は人鳥ながら一つの真理を感得し
た。「得難き機会はすべての動物をして、好まざることをあえてせしむ」我輩はじつをいう
とそんなに腹が減っているというわけではないのである。否皿に盛られたライスカレーを熟
視すればするほど気味が悪くなって、食うのが嫌になったのである。この時もし碇少年でも
様子を見に来てくれたなら、主人が呼んだなら、我輩は惜しげもなく皿を見捨てたろう。
ところがだれも来ない、いくら躊躇していてもだれも来ない。早く食わぬか食わぬかと催促
されるような心持ちがする。我輩は皿の上のライスカレーを見ながら、早くだれか来てくれ
ればいいと念じた。やはり誰も来てくれない。我輩はとうとうこのカレーを食わなければな
らぬ。最後にからだ全体の重量を皿へと落とすようにして、あぐりとカレーのルーを一すく
いばかり飲み込んだ。このくらい覚悟をして飲み込んだのだから、どんなに不味い料理であ
ろうと驚きはしないと思っていたが、驚いた! そのカレーの味は我輩の想像をはるかにこ
えていたのである。主人の料理は魔物だなと感づいた時は既におそかった。加持君がかつて
我輩の主人を評して君は食えない女だと言ったことがあるが、なるほどうまいことを言った
ものだ。このカレーも主人と同じようにどうしても食えたものではない。この煩悶の際我輩
は覚えず第二の真理に逢着した。「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」ほとん
どの食事当番を碇少年が担当するというきまりはまさに天啓であったのである。真理を発明
したことはたいそう愉快であったが、とうとう我輩は気絶してしまった。