う〜ん
何ヶ月前のネタだっけかな・・・
お暇な方へ、
昔 エヴァが大好き な者ですが
(っていうか、ガイナ好き)
この板の初心者です、
お奨めスレ あったら紹介してください
「いいとも」なんて言うなよ。
とりあえず削除依頼よろしく。
5 :
ななしぢゃないもの:01/09/29 18:55
うっそぉぉ〜〜!!???
マジですかコレ?
マジならすっげぇうれしいけど絵がニセモノぽいな。。。
ネタだったらぬか喜びじゃん。。。
ぬか喜びと自己嫌悪をくりかえすだけはイヤ。
6 :
名無しが氏んでも代わりはいるもの:01/09/29 19:21
これはまた古いネタを・・・。
7 :
名無しが氏んでも代わりはいるもの:01/09/29 19:58
これネタなの???
シンジとレイがゲンドウとユイに似てきてて、
絵はすごく上手に書かれてると思うけど・・・
ネタです。
つーか何回目だ?こんなスレ立つの。
一番下の[DOLBY STEREO]ってロゴが時代を感じさせるね。
10 :
名無しが氏んでも代わりはいるもの:01/09/30 18:14
でも、よく、できてるNE
Q ちゃん 世界最高記録で ゴール!!
その後の TVでの 知人(友人)や著名人が 何人も
「おめでとう」 と言っていたのを聞いて
26話 を彷彿させられた。
いや〜 よかった。(w
>>7 君みたいな人もいるだろうから、こういうスレが半永久的に建つのも無理は
ないのかもしれないなぁ…。
この絵は、エヴァ板の有名な職人さんが書いたパロディだよ。
13 :
名無しが氏んでも代わりはいるもの:01/09/30 21:13
14 :
名無しが氏んでも代わりはいるもの:01/09/30 21:27
>>13
居れも このシンジ嫌だったんだけど
歳くって 言動 に似てきたと思えば納得してしまった
零 も 油井 にもっとにてきているし
ある意味 このイラスト すごすぎ!
15 :
名無しが氏んでも代わりはいるもの:01/09/30 21:46
アスカは将来どんな顔になるか分からないから下向いてるの?
>12
教えてくれてアリガト!
ゴメンナサイ ゴメンナサイ ゴメンナサイ ゴメンナサイ ゴメンナサイ ゴメンナサイ ゴメンナサイ ゴメンナサイ
『壊れたが故に見た夢、そして辿り着いた現実
〜No need to run and hide, It's a wonderful life〜』
今ではなく、少し昔の話。
心の暗闇の中でたった独り自らを責め続け、自らの存在を恥じ、
自らの生をリセットすることだけを願い、口にする言葉は死の願いだけ…。
過去を悔い、現在のすべてを呪い、瞳から悲しみが溢れ出しながらも、
明日への儚い想いだけに生き、ドグマチール、コンスタン、リーゼで心を眠らせ続けた日々。
エヴァにも出てきましたが、俗に言う「死に至る病」に私は陥っていました。
自らの「狭量な世界観」が「自分の真実」、その世界から逃げ出すのに、第26話のシンジ君と
同じく認知療法を繰り返す日々。ただ、私の場合には「一瞬にしてトドワラが消え青空が広がる瞬間」
はとうとう訪れませんでした。デストルドーに満ちた心には、「頭で分かる理屈」などは全く通りませんでした。
では、何が私に光を再び見せてくれたのか。
それは全てを受け入れてくれた友人と家族、そしてこんなダメな自分も評価して受け入れてくれた
周囲の人々の言葉でした。
「もう大丈夫心配ないと 泣きそうな私の側で
いつも変わらない笑顔で ささやいてくれた
まだまだまだ やれるよ だっていつでも輝いている
時には急ぎすぎて 見失うこともあるよ 仕方ない
ずっと見守っているからって笑顔で
いつものように抱きしめた
あなたの笑顔に 何度助けられただろう
ありがとう ありがとう Best Friend」
朝のテレビドラマの主題歌を聞いて、その頃の出来事を思い出し
涙をボロボロこぼしたこともあります。
自らの存在しか居ない心の闇の世界の主になった経験がある人間にとって、映画の最後のシンジ君は
他人を望むフリをしながらも、悟ったようなフリをしながらも、結局心の闇から抜け出すことが
できないままで終わっているようにしか感じられないのです。
あのエンディングは「現実に戻れ」というメッセージなどではなく、「死に至る病」の人間にとって
「だからお前はダメ人間なんだ!」という言葉と同じく、何にもまして強力な凶器だったと思うのです。
(所詮、アニメ映画の主人公という虚構の世界のことだから、知ったこっちゃないんですが)
当時はエヴァの評価として「壊れているが故にアヴァンでポップ」とか言われてましたが
もし作り手側の正直な気分が作品に反映されているなら、「THE END〜」とか銘打ちながらも
ちっとも「THE END」ではなく、発狂しそうになるくらい強烈な現実を突き付けられた瞬間に
衝動的に飛び下りるか、踏み止まるかの危うい選択肢の前で時間の流れが停止したような、
もっとも心が不安定な瞬間でストーリーが終わっていると思うのです。
「全てを壊して終わる」のか、「これ以上語らずに引きこもる」のか。
エヴァの最後で一番気になるのは、「壊れたままの自分」を肯定しすぎだということです。
ある意味ナルシズムさが強いというか、壊れたままの自分が続くことを願っているというか。
この苦しい世界から脱する方法はあるのに、それに目をつぶって自ら壊し続けるというか。
「ホントにいやなら逃げ出してもいいの」
そして逃げ出した世界はもっともっと苦しかった。
そこでエヴァは終わってしまっていると思うのです。
「苦しい」「逃げ出したい」と思い否定した世界、そこから離れた時、初めてその世界の
良い部分が見えた気がするのです。
その世界は実質、何にも変わっていないのですが、自らの視点が変わったのです。
ただ、そこには自らを認めてくれる数人の人がいて(全員が認めてくれる必要はないことに気付いた)
世界の全てはただただまわっていて(世界の全ては自分には関係ない)
自分の気持ちに正直になれて(攻撃されても、自分を壊す前に、自分を肯定する“ふてぶてしさ”を手に入れた)
涙が出る程世界は美しく、そして自分は何も知らなく(日々移り変わる自然の美にただただ感謝)
けど自分がいると笑ったり喜んでくれる人がいて。
この、以前となんら変わらない日常、ここに自らが願った理想の世界があったのです。
メーテル・リンクの『青い鳥』じゃないですが、自分の目の前に広がるこの「以前となんら変わらない日常」、
ここに広がる幸せに辿り着くのにどれだけ長い時間を要したか。
だから不安定なままで終わったエヴァンゲリオン、テレビ版で自己認識の変移の過程を描こうとして
中途半端で終わり、映画版では認知療法の入り口までしかたどり着けなかったこの作品で、
その後たどるべき「真の終焉」までを新たな作品として描いて欲しかったのです。
「Iは運命」。自らの運命を否定するのではなく、その現実の流れの中に「生きた証」としての
思い出は残り続ける。なぜか喜びよりも悲しみばかりが思い出されるけど、ありもしない理想の人生
に思いを馳せるよりか、目の前にある笑いや優しさに喜び、感謝できる幸せ。
「運命は死」。自らの生を断ち切るという意味での「死」ではなく、過去そして現在を悔やみ
親さえも恨む「自らが運命と思い込んでる現在」に「終止符」を打つという意味での「運命は死」。
心の暗闇の世界から抜け出し、嬉し涙を流しながら心から「ありがとう」と言えた自分。
心の暗闇を描いたエヴァンゲリオンに、もし続編ができるのなら、そのような「現実への再着地」という
カタルシスがある映画になって欲しいと思い、それを念頭に描いたのが
『THE REPRISE OF EVANGELION〜アイはさだめ、さだめはシ〜』。
社会に多大な迷惑をかけた時点で、「あの画像はただのネタ」というにはちょっとモラルに欠けてますが、
あの終局から五年後の世界で、再びシンジ、アスカ、レイ、そしてトウジやケンスケ、委員長といった仲間の
イキイキとした日常と、仲間同士が故の無償の優しい心の触れあいがあると信じたいのです。
それが私的『Epsode:27Wonderful life』。その名の通りです。
EVAの続編つくたらうれるど
アスカが大人の女になったって感じだね。じゅる
22 :
名無しが氏んでも代わりはいるもの:01/11/28 19:50
五.エヴァ2ポスターの話は雑談スレで。
真だし
test
てすと