日本は財政事情が厳しくなり、国債を発行しておけば何とかなるというこれまでのやり方も、
国際社会の中では通用しなくなってきた。
年金の支給額を削ったり、子ども手当を縮小したり、いろいろなところにシワ寄せが来ており、
生活保護の分野を聖域としておくことはもはやできない情勢になりつつある。
野田首相も、社会保障と税の一体改革などと言い、政権交代時に「生活第一」と言っていた民主党が、
生活保護を見直し対象に選ぶというところにまで来ている。
野党の側も、自民党が10%削減を打ち出した。
これから先、日本の労働力人口は減少していく。
国内の経済規模が縮小していけば、福祉を必要とする人口は増えても、福祉予算は減らさなければならなくなる。
この矛盾を解決するには「効率化」しかない。
もし国民年金が月7万円しか支給できないなら、7万円でどう生活してもらうのかを考えるしかない。
もし民間企業の賃金を上げられないなら、最低賃金労働でいかに蓄え、豊かな生活ができるのかを考えるしかない。
生活保護に関しては、単に「縮小すべき」という論だけを考えるのではなく、制度を工夫することにより、
消費を活性化したり、雇用情勢を改善させるきっかけにつなげることも必要ということだ。
今般の大震災、津波被害、放射性物質拡散により、未だに避難生活を余儀なくされている人々もおり、
被災者救済と復興は至上命題となっている。
そのような余裕のない中で、生活保護制度を怠け者に勝ち組と思わせる制度ではなく、
本当に必要な人だけが幅広く保護される制度にしていかなければならない。
財政難でも増税に甘んじることなく、実現可能な改善案を考えてみよう。
小宮山洋子厚生労働相は、お笑いコンビ「次長課長」の河本準一氏の母親が生活保護を受給していたことに関連し、
「扶養が困難と回答した扶養義務者には説明責任を課すことを検討する」
と述べた。また、自治体が家庭裁判所に申し立てて適正な扶養額を定める調停制度を積極的に活用するため、
手続きマニュアルなどを作成する方針も明らかにした。
その一方で、生活保護水準については、
「10%引き下げという自民党案も参考にして決めていく」
と述べ、支給水準を引き下げる可能性を示唆した。
河本氏の会見で、生保問題にますます注目が集まった。
本人は謝罪し、過去の受給分(本人が援助できた期間の分)を返金するという意思表明をし、
片山さつき氏が要求していたとおりの対応になった。
あとは国会内で、今回のような状態を招いた福祉事務所側の対応が追及されるのだろう。
生活保護問題を語る論の中には「廃止でいい」といった感情論もあるが、そのような対策は憲法違反である。
それらの論は、「働かないで生活保護で暮すのが勝ち組」などという風潮が引き金となって、それと感情的対立を作ってきただけだ。
雇用情勢の悪化もあり、モラルに配慮しないまま生活保護の受給方法を晒したところ、受給者が激増し、社会問題として認知されるようになった。
そんな中で今回の芸人事件がクローズアップされ、なんだこれはと納税者が怒り心頭、「全員死刑」などと称した極論に押され、
水際対策の強化など、切り下げ・厳格化のための法案が現実味を帯びてきた。
そうしたポピュリズム的な流れで対策を考えるのではなく、生活保護の本来の趣旨に立ち返り、受給者の自立支援になる制度を考えていくことが大切だ。
(もちろんこれは自立への可能性が残っている受給者に対してであり、寝たきり等の自立不可能な人は恒久的な保護でもやむを得ない。)
芸人の事例への反響を見るとわかるが、今の世論は、救済が本当に必要な人を保護することに反対なわけではない。
正直者がバカをみるようなズルいことをする人が許せないという傾向だ。
確かに財政のことはあるにしても、少なくとも生活保護に関する限りは、財政論よりも構造問題のほうが大きい。
年金、健保などの社会保険や、天下り問題、NHK受信料、東電のボーナス問題などと同じような性質だ。
また台風・・・
あるTV番組で、学者の先生が最近の生活保護問題についてコメントしていたのだが、
「生活保護制度自体には手を加えられないだろうが、ケースワーカーの増員等、運用面を改善しなければならない」
「自立支援が形骸化しているため、雇用状況の問題等、周辺の問題を解決することによって効果を出す」
などと言っていた。
これは、お笑い芸人以上に考えが甘いと言わざるを得ない、全くもって現在の市民感覚から取り残された古い感覚だ。
そんな生ぬるい意識では、見直しなど到底できないだろう。
確かに運用面の充実も大切ではあるが、それ以前に、
「ズルい人がズルいことをできないしくみ作り」
のほうが大切である。
雇用問題も大切であるが、そのような民間企業の経済状況次第なことのみに問題解決を委ねることは、
問題の先送り体質そのものと言える。
生活保護が制度として崩壊しているのはもう間違いない。
実際、ワーキングプアの生活水準よりも生活保護の待遇のほうがいいのだから、「よし俺も」と思う者が出てきても不自然ではない。
働かないほうが収入が多い状態では当然働かないわけで、そうかといってワーキングプア全員に保護費を支給すれば財政が破綻する。
働けるのに働こうとしない人間を働かせるためには、まず制度面からこの矛盾を解消しなければならない。
855 :
名無し不動さん:2012/10/04(木) 06:17:12.71 ID:WY/PG4sH
可哀想だから誰か捨て金持ってる奴、湾岸買ってやれよ。
オレは貧乏だから金捨てるなんて無理だから。
●生活保護制度の現状
現在は、生活保護を受けると勤労の義務もないまま以下の特典を享受できる。
≪生活扶助≫ 衣食住などを扶助、食費・光熱費など、現金支給
≪教育扶助≫ 学級費や修学旅行費など、現金支給
≪住宅扶助≫ 家賃や修繕費、リフォーム代など、現金支給
≪医療扶助≫ 医療費、健康保険料の負担はなし、窓口負担も原則なし
≪介護扶助≫ 介護保険を使った介護の費用、介護保険料の負担があるが、保険料相当額が上乗せ支給
≪出産扶助≫ 出産費、医療扶助の範囲外の部分も扶助、現金支給
≪生業扶助≫ 就労に必要な資金、技能取得費用、就業の為の準備金など、現金支給
≪葬祭扶助≫ 葬祭費、現金支給
通常、生活保護の“支給額”というと、生活・教育・住宅の各扶助の合計額を指す。
このうち、住宅扶助は少額なケースが多いが、公営住宅では家賃を踏み倒しても追い出されることはない。
このため、住宅扶助が事実上の「おこづかい」となっているケースもある。
医療扶助は保護費全体の半額を占める。健保の自己負担は一切なし、窓口負担も原則なし。
入院中は生活扶助費が浮くため、入院中の生活費用に相当する給付を自己負担金の形で回収するケースがあるが、
生活扶助の過剰分を差し引くだけで、受給者には実質何の損もない。
出産扶助にしても、一般の人は健保適用外の部分は実費負担となるが、生活保護受給者にはこれも現金支給される。
事実上、妊婦検診から分娩まですべて無料。帝王切開などの保険診療に該当すれば、その部分は医療扶助で捻出され、
どう転んでも本人負担はない。
そもそも母子家庭であれば通常は新たな出産はないはずであるが、なぜか妊娠・出産するシングルマザーが大量発生している。
一般家庭に同様の補助があれば、少子化はたちまち解消するのではないかと思えるほどだ。
これらを見ると、受給者の家計は今どきの若い夫婦のそれよりもはるかに裕福だ。
受給者が「支給額が少ない」と言う裏には、こうした数字上のトリック(支給額以外の扶助の多さ)が隠れているのだ。
生活保護法
http://www.houko.com/00/01/S25/144.HTM http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%B4%BB%E4%BF%9D%E8%AD%B7
台風で津波
−わが国の生活保護支給現場で起きていること−
○生活保護費を生活費以外の目的に使用した経験をもつ受給者は約67%。
その内訳は、約54%がギャンブル、次いでレジャー、そしてなんと風俗というものまである。
○大阪市の生活保護費は、市の税収の約半分である。
そして、その約7割は不正受給であり、一部は暴力団の資金源となっている。
○大阪市浪速区そして西成区の役所には、生活保護費支払いの月初めになると行列ができる。
そして、その大半は、いっせいにタクシーに乗り、パチンコへと直行する。
支給1週間でギャンブルですった後は、炊き出しで生活をするという。
○千葉県市原市の79歳の女性は、孫と毎週ディズニーランドに行きたいという理由で、
現在市を相手取り、生活保護の増額を争っている。もちろん、弁護士費用も生活保護費で賄っている。
○東京都足立区の44歳の男性は、生活保護受給者の特権である医療費無料を悪用して、
向精神薬を大量に処方。ネットオークションで転売し、420万円を荒稼ぎした。
その後逮捕されたが、精神障害者手帳1級を所持していたという理由で起訴猶予処分となった。
これらは生活保護受給者の悪行の氷山の一角であるが、これが生活保護制度問題の一面でもある。
彼らのような人間を、我々は必死で税金を払い、養っているのである。
止めるすべはないのだろうか。
−生活保護の危機−
凄まじい勢いで増え続ける生活保護世帯。
2010年の生活保護受給者は1年で20万人も増えた。
急増の背景には、09年秋に厚生労働省が生活保護の運用基準を緩和し、65歳以下の現役世代に対する生活保護の支給を認めるよう、
全国の自治体に通達を出したことがある。
生活保護も本来は全国共通解釈で施策をしなければならないが、実際には通達の運用とはほど遠く、
かなり自治体間や区内で差がある。
援助が何でも行き届いている地区は、自立して保護から脱却する率が低い。
むしろ、ある程度援助が不足している地区のほうが、自立する率が高いという皮肉な結果となっている。
巨額の生活保護マネーに群がる貧困ビジネスは悪質化、肥大化し、摘発が進まない。
また、受給者に職業訓練や就職活動を強制するしくみがない中で、不況下の再就職は困難を極めている。
「労働なくして尊厳なし」の言葉どおり、日本人の尊厳が日に日に毀損されていく状況はどうすれば止められるのか。
全国一受給者が多い大阪市では、市民の20人に1人が生活保護を受け、22年度に計上した生活保護費2,863億円は市税収入の半分近い。
財政破綻の危機感を抱いた大阪市は、「生活保護行政特別調査プロジェクトチーム」を設置。
徹底的な実態調査と不正受給防止にあたるとともに、受給者の就労支援に乗り出した。
大阪市の橋下市長は、国が市町村に対して生活保護受給者の就労に関する権限を与えないのであれば、
今後は生保認定業務を拒否することを表明している。
生活保護のからくりを知った庶民が、「それならうちももらえるはず!」 「俺にもよこせ」「額を増やせ」などと殺到している。
お笑い芸人の生活保護問題で、全国の福祉事務所に問い合わせが殺到しているのだ。謝罪会見でも騒動は収まりそうにない。
「私も同じケースなので支給をお願いします!」
「息子はあの芸人より給料低いんですから、当然受給できますよね?」
殺到しているのは受給に関する質問で、大阪のある事務所の職員は、
「電話での問い合わせは以前の5倍ぐらいに増え、業務に差し支えが出るほど」
と泣き顔だ。
今回問題視された芸人のうち、梶原本人は、「不正受給という感覚はありません」と断言。
これについてテレビのワイドショーに出演した大学教授も、「このケースでは受給が可能」と発言したため、
福祉事務所には問い合わせが殺到した。
「子ども名義のマンションに住んでもええなら、持ち家を息子名義にして生活保護を受けたい」
問い合わせをした60代の無職男性は以前受給申請をしたが、「自宅に約2,000万円の価値がある」と、不動産所有を理由に拒まれたという。
「息子の名義にすれば問題はないのやろ。これで受給できなければ訴えるで」
男性の申し立てに職員は、「条件さえ揃えば拒めない」と、前向きに検討する様子だった。
また、別の50代女性は、現在うつ病で働けないことを理由に受給者となっているが、
「住んでいるのが家賃5万円の汚いアパート。息子が投資用に持っているマンションがあるので、そこに引っ越したい」
と申し出た。
「今までどおり家賃補助が出るのなら、息子のマンションは家賃15万円ぐらいが相場なので、支給額を増やしてほしい」
こうなるともはや、生活苦による補助ではなく、財テクのようですらある。
都内の福祉事務所には、受給している母娘が、
「河本さんの親族のように別々に住むので、2世帯で受給したい」
という申し出があったという。
こうしてお笑い芸人の受給ケースに触発された申請の殺到で、また来年も受給者数の記録更新となりそうだ。
861 :
名無し不動さん:2012/10/05(金) 00:47:59.08 ID:hGVaFwfV
このタイトルが気に入らないのかな。
スレ荒らしまくるね。
埋立人が。(笑)
−生活保護問題で全国の福祉事務所に問い合わせが殺到中−
生活保護のからくりを知った庶民が、「それならうちももらえるはず!」 「俺にもよこせ」「額を増やせ」などと殺到している。
お笑い芸人の生活保護問題で、全国の福祉事務所に問い合わせが殺到しているのだ。謝罪会見でも騒動は収まりそうにない。
「私も同じケースなので支給をお願いします!」
「息子はあの芸人より給料低いんですから、当然受給できますよね?」
殺到しているのは受給に関する質問で、大阪のある事務所の職員は、
「電話での問い合わせは以前の5倍ぐらいに増え、業務に差し支えが出るほど」
と泣き顔だ。
今回問題視された芸人のうち、梶原本人は、「不正受給という感覚はありません」と断言。
これについてテレビのワイドショーに出演した大学教授も、「このケースでは受給が可能」と発言したため、
福祉事務所には問い合わせが殺到した。
「子ども名義のマンションに住んでもええなら、持ち家を息子名義にして生活保護を受けたい」
問い合わせをした60代の無職男性は以前受給申請をしたが、「自宅に約2,000万円の価値がある」と、不動産所有を理由に拒まれたという。
「息子の名義にすれば問題はないのやろ。これで受給できなければ訴えるで」
男性の申し立てに職員は、「条件さえ揃えば拒めない」と、前向きに検討する様子だった。
また、別の50代女性は、現在うつ病で働けないことを理由に受給者となっているが、
「住んでいるのが家賃5万円の汚いアパート。息子が投資用に持っているマンションがあるので、そこに引っ越したい」
と申し出た。
「今までどおり家賃補助が出るのなら、息子のマンションは家賃15万円ぐらいが相場なので、支給額を増やしてほしい」
こうなるともはや、生活苦による補助ではなく、財テクのようですらある。
都内の福祉事務所には、受給している母娘が、
「河本さんの親族のように別々に住むので、2世帯で受給したい」
という申し出があったという。
こうしてお笑い芸人の受給ケースに触発された申請の殺到で、また来年も受給者数の記録更新となりそうだ。
こうした現状、事例からもわかるように、国民は、現在の生活保護制度の運用方法に怒っている。
現在の杜撰な運用方法は転換をはかっていかなければならない。
そのためにはまず、誰にどんな支援が必要なのかを見極めることが大切である。
例えば、いささか極端な例になるが、刑務所出所者で考えてみよう。
刑務所出所者には生活保護が必要なのか。
支援が必要なのは、刑務所出所者のうちの「放任していると自立できない人」である。
(出所者でも出所後にきちんと自立できる人なら、特別な支援は必要ない。)
ここで過剰に全員を保護しようとして行き過ぎると、出所者の隔離政策につながってしまう。
この例からわかるのは、対象者の過去の状況だけを考慮するのではなく、現在の状態、つまり、
「放任していても自立できるかどうか」
が支援が必要かどうかの判断材料として重要ということである。
出所者のような極端な例ではなくても、放任していると自立できない人には特別な支援が必要であると言える。
(出所者でなくても、行き過ぎて人権侵害とならないように慎重を期す必要があるのはもちろんだ。)
自立できない人が放任のままであれば本人が不幸。そういう人が犯罪に走れば社会にとっても不幸である。
「特別な支援が必要な人」と「そこまで支援しなくても自立できる人」の住み分けができるようになれば、
ただ単に貧困に陥っただけという人も含めて受給者全員が非難の対象になってしまうという行き過ぎな状態から脱却できるきっかけとなる。
本来は、働けるのに働こうとしない受給者のみが非難されてしかるべきなのである。
・不景気のため整理解雇に遭い、職と貯蓄をなくして生活保護に陥った
・若年ワーキングプアで貯蓄もないまま薄給にあえがされた
・ケガで働けなくなって生活に困るようになった
・被災して家財と職場を流された
これらの人は、国が支援をしていかなければならない。
ちなみに、我が国の生活保護開始理由のトップ3は、
・「収入の減少・喪失」が約30%
・「傷病」も約30%
・「貯金等の減少・喪失」が約20%
こうした全うな生活者の生活を確実に保障し、不当な保護を排除する。
効率化で得られた部分は、全うな生活困窮者で保護を受けることができていない人たちにまわすことが必要である。
財産なし、仕事なし、住むところなし、支援者なし。
そういう人たちに対して、就職支援、住居等を提供し、ケースワーカーをつけるのが現在の生活保護制度だ。
現状は、財産あり、仕事あり、住むところあり、扶養者あり・・・、そういう状態の人が生活保護を受給している。
一部の受給者ではあるが、こうしたことを改めるべきなのである。
正当な受給要件を満たしていて、何とか自立しようとしている受給者や、
税金なんだから無駄遣いはしないようにしようと健気に生活している人は悪くない。
寿司ざんまい、ディズニーランドざんまい、酒ざんまい、パチンコざんまい、マッサージざんまい、
そしてパソコンざんまいの受給者が問題なのであって、
こうした輩が生活保護の状態から何とか抜け出したいと思うような処遇にしていくことが必要だ。
そんな輩がいなくなって、正当な受給者が幅広く受給できるようにするためには、
たとえ今以上にコストがかかるようになったとしても、正当な権利の保護のためなのだから、何らそれで問題はない。
稼ぐ能力、消費する能力等、個人の能力の問題は、普通に生活している人の感覚で判断してはならない。
特別な支援が必要なのはどういった人たちなのか、それがイメージできなければ適切な支援はできない。
仮に1学年300人の中学校に例え、支援が必要なのは5人程度としよう。
対人スキルに問題 1人
不登校引きこもり 1人
低成績ワースト3 3人
彼らは、通常の学級生活の中では、周囲のほぼ全員が自分よりも優秀で、自分自身はついていけないという過酷な環境での生活を余儀なくされている。
能力的に劣っていても積極的に生きることができ、
さらには個性を考えて、何種類かの特別支援が得られる環境を用意してあげることは、彼らにとってもベストなのではないか。
もちろん、支援を受けるかどうかは彼ら自身の意思にもよるところであり、周囲が判断をサポートしてあげることも時には必要である。
また、一部の分野で支援を受け、その他は一般社会と同様の環境で暮らすというケースも場合によっては有効であろう。
特別支援学級等の例でも、授業についていけない子に「支援に移りませんか」という声がかかるが、
強制ではないから、普通学級に留まりたい場合は普通学級に通える。
大抵は、いじめとかもあって、自ら希望して支援学級に移る。
普通学級に留まる決心をするのも悪くない。
大人の世界でいえば、生活保護に陥るのを拒み、会社をやめずに必死でしがみついている人みたいだが、
生活が成り立つのであれば、それも自由。むしろ、見上げた心構えだ。
能力が一定レベルに達しないために生活しにくくなっている人たちは、大抵の場合、支援を受けたほうが居心地はいい。
何も犯罪を犯していない人が犯罪者のように非難され、差別されることは避けなければならない。
最近のマスコミの論調、例えば大阪の通り魔の件にしても、
「仕事がない」「家がない」
という貧困者全般を通り魔のような犯罪者とごちゃまぜにして、
「無職は何をするかわからない」
とのレッテル貼りをしてしまう風潮になりつつある。
一方で、覚せい剤常習者や犯罪性向者(あくまでもパーソナリティといった範疇であるが)の一部は、
社会の枠組みの中で再犯防止のための手立てをとらなければならないことも確かであり、それはそれで難しい問題である。
生活保護制度の改善案を検討していく中でも、過剰な支援は隔離政策だとか、自由を無視しているとか、
どこまでも放任主義な主張を繰り返しているばかりでは、いつまで経っても問題解決にはならないことを認識し、
難しい問題から目を逸らすことのないようにしたい。
行き過ぎはよくないが、放任主義だけでは限界が見えてきてしまっている。
人権は尊重されなければならない。確かにこれは現行憲法下でずっと維持されてきた思想ではあるが、
ここにきて犯罪被害者やその遺族の人権を犯罪者の人権よりも重視すべきだという考え方も浸透してくるようになった。
何も犯罪を犯していない人の人権が侵害されないよう慎重を期しながらということにはなるものの、
無職・家なしの「支援が必要な人々」には、個々人のニードに応じた支援を見極めながら、
自立支援、社会教育などの実効力を持たせたプログラムによって、社会が主体的にかかわらなければならない段階に来ている。
今のご時勢、高級官僚が公務員住宅を作ろうとしただけで非難轟々となり、
共済年金の特権だとか、専業主婦の年金切り替え忘れ問題など、特権に対する国民の目がますます厳しくなってきている。
その反面、被災者などの本当に助けを必要としている人には多くの無償の支援が寄せられる。
このことから見ると、一部の怠け者が特権階級のようにぬくぬくする状況は看過できない世の中になってきているといえる。
酒も飲めず、ネットもできず、ボロアパートに住み、服装もみすぼらしい、冬には暖房も満足に使えない、
そんな困窮者であれば何とか手を差し伸べてやろうと思う反面、困窮を装って傲慢かましている連中は特権とみなして叩く傾向にある。
「働け!生活保護を受けるな」という感情論は、「生活保護は勝ち組だ」という傲慢さの裏返しというだけだ。
これらは互いに対立する立場ではなく、働きながら足りない部分は生活保護というのもありだと思う。
能力がないと、能力分以上には稼げないのだから。
法律や運用規則に抵触しない限りは、恥ずかしがらずに受給したっていい。
今回の一連の騒動も、一部の傲慢な受給者が納税者の感情を逆なでしたことに端を発している。
議員も納税者の声には弱いから、引き下げろ引き下げろの大合唱になってしまった。
国民の感情論とはいっても、「生活保護で生きることに感謝しなさい」ということではない。
他人の税金で援助してもらっていることに対して、その援助で生きたいと思うのならば、
援助してもらえることに感謝したほうが受給者のためにもいいということだ。
感謝したくなければ、感謝しなくてもいい。
それを見て、一般納税者がどう思うかは納税者自身の意思にかかっているから、
仮に納税者が「そんな奴に払う生活保護はねぇ」と思ったとしたら、今回のように国会で「引き下げ」が検討されるようになる。
それで納税者の人たちが受給者と同様に税金を払わなくなってしまったら、財源がなくなってしまう。
それを甘んじて受け入れるか、そうならないように感謝しておくか、天秤にかけて自分の判断で態度を決めることが必要だ。
生活保護を受給する権利は正当だ。しかし、受給者の気持しだいで、みんなが法改正に動き、これまでどおりには受給できなくなるかもしれない。
(参考)最低賃金と生活保護支給額との逆転現象
1か月の収入が10万円以下の人は、ワーキングプアなどではなく、短時間勤務の人など、何らかの制約が課せられた労働者の可能性がある。
なぜなら、時給750円で1日7時間、1か月に20日働けば、月約10万円になる。
1日の労働時間が3〜5時間程度のために1か月に数万円しか稼げない人が、生活保護受給者に不満を述べるのは筋違いの可能性もある。
実際に求人を探せば、時給1,000円の仕事や、月給制で1か月18〜20万円程度の仕事もある。
そういう仕事には求職者も多いが、10回以上面接してもあきらめず、努力を重ねていけばかなわぬ希望ではない。
(ただし、面接で適切に対応ができること、履歴書に致命的な欠陥がないこと等、ある程度の要件は求められる。)
これに対し、生活保護はみんな14万円〜17万円程度が支給されるといった思い込みのような情報もあるが、
月14万円も貰えるのは首都圏などの一部の都市だけであり、ごく一部である。
単身世帯の場合、実際は家賃込みで約9.5〜12万円程度のところがほとんどだ。
よって、実際には最低賃金の水準が生活保護の水準と逆転しているケースはそれほど多くはない。
(ただし、医療費自己負担ゼロなどの医療扶助を多く利用している受給者は別である。医療扶助は見直していかなければならない。)
しかし、一部の地域で逆転現象が起きていることは厳然たる事実であり、ここは早急な解消が求められる。
昨年の政策仕分けでの財務省からの報告によると、政府は既に生活保護費が厚遇すぎることを指摘、公表している。
@昭和59年に格差是正方式から水準均衡方式に変更
・生活保護費は年間収入階級第1/10分位の世帯の消費水準を参考にし、5年ごとに検証することになっている。
・前回、平成19年の検証時に10分位の最下位レベルを11%上回っていたが、その後もそのままになっている。
Aそもそも昭和45年厚生行政の長期構想で、生活保護費は一般勤労者世帯の消費水準の少なくとも60%程度を保障すると決めた。
現在は、78%にまでになっている。
厚生労働大臣の諮問機関、中央最低賃金審議会の小委員会は、最低賃金の引き上げの目安額を全国平均で7円とすることを決めた。
東日本大震災の影響を考慮した前年度の6円を1円上回ったが、2010年度の17円などと比べると上げ幅は小幅に留まった。
目安どおりになれば、最低賃金の全国平均は744円になる。
目安額は例年どおり、経済状況に応じて都道府県をA〜Dの4つのランクに分け、Aは5円、B〜Dは4円とした。
さらに、時給換算で生活保護を下回っている11都道府県については一定の幅を持たせた目安額とした。
(基本的には地域経済の状況に応じて各都道府県の地方最低賃金審議会の議論に委ねることとしているため、目安額としては幅を持たせた格好になる。)
11都道府県については、原則として2年以内での逆転解消を目指し、特に北海道と宮城、神奈川の両県を除く8都府県については「すみやかに解消すること」とした。
最低賃金は、この目安を基に地方最低賃金審議会が具体的な金額を決定するため、
更にある程度上積みされたり、一部では減額されたりする可能性もある。
10月1日をめどに改定される見通しである。
小委員会では労使が激しく対立した。
今年実施された中小企業を対象とする賃金改定状況調査によると、賃金引き上げ率の全国平均は0.2%(前年度0.0%)でプラスに転化。
このため労働者側は企業の状況が改善に向かっているとして、特に賃金の低いC・Dランクを大幅に引き上げて格差是正を図るよう求めた。
一方、使用者側は、円高や株価下落を理由に小幅の引き上げに留めるべきだと強調。
労使の見解が一致せず、最終的に中立的立場にある公益委員が結論を出した。
結果について使用者側は、「地方の経済状況の実態に即していない」との認識を示した。
雇用問題などの周辺問題は、生活者にとって悩ましい問題であり、同時に社会にとっても悩ましい問題だ。
生活保護制度の見直しを進めることも必要であるが、年金改革や最低賃金引き上げ等も順序立ててやっていかなければならない。
生活保護の水準は引き下げるべきという論も、現在の一部受給者の無駄遣いを見ている限り理屈としては正しいが、
労働条件も妥当なところに落ち着かせなければならない。
例えば、雇用の増加は完全に民間任せにせず、保護費を財源に簡単な公務でも作って希望者を雇うというような方策が考えられる。
公務は財源さえあればいくらでも肥大化してしまうという性質を持っている。
この性質を逆手にとれば、生活保護のための財源を利用することで、民間の手が追いついていない分野に雇用を作ることができる。
もちろん雇うのであれば雇用契約となるため、法定最低賃金以上の待遇となる。
そうやって公的雇用が増えれば、当然民間の雇用市場は今よりも「人不足」の傾向となる。
雇用環境は制度の問題というけれども、労働者が人たるに値する生活ができていないのなら、
今後は労働者側もそのような条件下で働くのは拒否するようにしていったほうがいい。
それで万一賃金労働がなくなっても、最後は生活保護で最低限度の生活は保障されるのだから。
人たるに値しないのを承知のうえで悪条件労働に応じるのであれば、それは問題のある制度とやらを自ら肯定してしまうのに等しい。
制度を変えよというのであれば、矛盾した行動をとっていては説得力がない。
一時的にでもセーフティネットを活用するなり、自営で頑張るなりして、そうした悪条件の雇用を駆逐していかなければ変わっていかない。
理不尽な条件を押し付けられそうになったら拒否する。これが大事である。
労働者が誰も応じなくなれば、市場原理で民間企業経営者も労働条件を上げざるを得なくなる。
そのためのセーフティネットでもあるのだ。
さて、生活保護のほうに話を戻そう。
母子加算がらみで、月27万円が妥当なのか22万円なのかといった生活保護受給女性の記事を見て思ったのだが、
現在の生活保護制度の現金支給主義という側面、そしてその基準額が派遣労働者や国民年金受給者から見れば現実離れしているという実態、
なぜそこに目をつむったまま、そのような水準ばかりが議論されるのか。
これまでの視点は本質からズレてしまっていると言わざるを得ない。
国民年金が月7万円弱、派遣労働者は月10数万円でしかない。
経験もない就職したての労働者に、初任給27万円を与える企業はめずらしいだろう。
もしそうした基準が妥当なら、年金や派遣の収入では生活していけないことを暗に認めることになる。
そうした年金生活者や派遣労働者は、一家心中するのか集団暴動を起こすのか、つまり生死にかかわる状況に陥っているはずだ。
中には実際にそのような行動に出ている人もいるが、大半の人はおとなしく生活しているのだろうか。
だとしたら、なぜ生活できているのだろう。
本来はそうしたところから議論を始めなければならない。
真の意味での生活保護とは何か、その対象者はどういった人なのか、それ以外の人は支援しなくていいのか。
コアな対象者(全く何もできない受給者で、医療を中心とした保護が必要)と、それ以外の要支援者、
ニートや高齢者、納税者と非納税者、さまざまな想定が必要であり、当然同一の待遇では語れない。
稼ぐということは、その人(稼ぐ人)が消費をするための資金を得ること。
何をどれだけ消費したいかは、それぞれの人が自分の好みで持っているだろうから、
それに応じてどれだけ稼ぐかをその人自身が思い描き、行動することになる。
働いて賃金を得るのも選択肢、農業をやるのもネットビジネスでも、その人の意向による。
いずれの場合でも、結果としてどれだけの資金が得られるのかは、その人の能力・行動次第である。
生活保護は、まずそうした行動を起こしている人が、能力その他の状況のために基準以上の稼ぎが得られなかった場合に差額を補てんする制度だ。
「私の能力ではここまでしか生活資金を得られませんでしたから、差額を補てんしてください」
と思うのは恥ずかしいことではない。
働いて最低賃金以上の報酬をもらうには、一定以上の能力が求められる。
そうでない人も含め、できるだけどんな属性の人にも不満が出ない制度にしていかなければ、現在の国民の不満はなかなか解消しない。
本来、生活保護支給額よりも低い収入で生活している人は、保護・支援等の対策が必要であるといえる。
生活保護は、憲法で保障する生存権の発露である。
つまり、日本人が日本国内で生活保護レベル以下で生活することは憲法違反という理屈になる。
このことからすれば、フルタイム労働で待遇が生活保護以下の求人は憲法違反の可能性がある。
これが最低賃金のルールにのっとっているのであれば、国政選挙の定数是正問題と同様、早急に改善すべきである。
問題点は、原因が何であれ現時点では稼ぐ能力が無いとみなされて受給できてしまうこと。
客観的な判定は難しいが、できるだけ主観が入らないように努め、保護するにしてもふさわしい保護方法に変えていく必要がある。
最も悪質な受給者は、なぜか医者のお墨付きを得ている傷病者や障害者で、現在でも問題視されている受給者の多くがこれに当てはまる。
放置していると、うつ病や精神を含めて傷病者・障害者が急増し、今以上に財政支出が増える。
どんな経済主体でも、かかる費用に対して収入が少なく、収支が赤字となっていれば、何らかの対策が必要となってくる。
個人でいうと、生活するためには衣食住が最低限のコストにあたる。
誰もが自らの知力体力を総動員して収入を得るわけだが、その結果が生活保護の支給額以下であれば、いくら努力しても赤字が累積していくことになる。
努力だけで収入を増やすことにも限界があり、人間誰しも老化で知力体力が落ちるという宿命もある。
赤字体質の垂れ流しは問題の先送りであり、経済活動としては必ずしも好ましい状態ではない。
それならば、生活保護を受けながら職業訓練を受け、資格などを取って自分自身に付加価値を付けて再起を図ることは、おかしな選択ではない。
むしろ社会のためにもそのほうが望ましい。
生活保護を受けるのが恥ずかしいとか、個人的な見栄で問題を先送りすることは、かえって社会に迷惑を掛け続けることになる。
現在、生活保護より下のレベルで生活している人は、早急に仕事をやめて生活保護を受けるべきである。
そうすれば、潜在失業者が失業者として数値として表れ、雇用問題としても政治に喝を入れることになる。
保護が必要な人が積極的に生活保護を活用することは社会にとっても有益な行動である。
現在の制度は“自称”傷病者・障害者に対応していない。
例えば、
・働けるのに適当な理由(精神含めた病気)をつけて就業拒否
・面接でわざと落とされるような仕草で不採用
・ヤクザ・チンピラ・年金未納の成れの果て
・アル中で働けない(でも保護費で酒は買う)
また、高齢者(65歳以上の年金受給世代)にも適切な対応ができていない。
確かに、このスレでたびたびターゲットにされる不正受給者やパチンコにあけくれる受給者が悪質なのは間違いないが、
もっと「根源的に」悩ましいのは高齢受給者のほうだ。
つまり、若い頃に年金保険料を滞納して、そのため年金を受け取れず、生活保護になっている高齢者である。
受給者に占める割合も大きいだけに悩ましいといえる。
高齢者は生活保護を受給していようがいまいが、一般的には高齢からくる身体等の衰えのため、働くことができない。
(元気で、力仕事もできる高齢者もいるが、ここでは一旦そういうのは考えないことにする。)
せっせと年金保険料を支払ってきた人が年金を受け取るのは当然として、未納を繰り返してきた人が生活保護で同等(ひょっとしたらそれ以上)の老後生活ができてしまう。
生活保護に最も不公平感や反感を持っているのが年金受給世帯である。制度が高齢の問題ある受給者に対応できていないからだ。
この構造はあきらかに不公平だと思うわけで、今の現役層が国民年金保険料を払わないのも、そうした構造を意識している面が大きい。
正直者がバカを見るはめに陥らないようにという動きが既に一部に現れてきているということだ。
かといって、セーフティネットとしての生活保護を高齢者から取り上げるわけにはいかない。
そして、高齢の生保受給者に「作業をしろ」と言うのも問題が残る。
これらを改善するには、
@能力に問題はあっても一応は体が動き、働く意欲の有る受給者はベーシックワークに携わってもらう。
A傷病等で一時的に働けない受給者は全寮制のリハビリ施設へ入居し、治療に専念してもらう。
B高齢受給者や回復不能の傷病受給者は専用の保養所に入居し、集団生活をしてもらう。
といったような方向で考えてみたい。
受給者の一部だけをターゲットに重い義務を課すのではなく、それぞれ内容は異なってもいいので、
個々人に応じた義務を課す制度にしないと失敗するだろう。
偽メンヘラの受給者は全員医療・養護系施設に移り、治療・リハビリ等を中心とした別の保護メニューとなる。
公立の医療施設に限定して移せばいい。
行政コストはかかるだろうが、偽メンヘラが民間の賃貸住宅で悠々と暮らすことはできなくなり、
医療・養護系施設しか選択肢がなくなるだけでも違ってくる。
内縁の配偶者に車を所有させ、ワーキングプア層よりも優雅な暮らしをしている現状のほうが問題が大きい。
治療なんかしなくていい、医療系施設に収容するだけで十分、もともと偽メンヘラなんだからという理屈である。
公立病院を増やすのではなくて、公立の「医療・養護系施設」を増やす。
実際は単なる施設だから廃校になった公立小学校等の建物で十分。治療も不要だから医療費もかからない。
偽メンヘラ達は、生活保護えお受けることで内縁の配偶者や車を手放し、あげくの果てそんな施設に収容されることを意識し、
それを避けいと思うのであれば、メンヘラを装うのをやめて生活保護を返上するか、単なる生活困窮者(健常者)として生活保護申請すればよい。
健常者にはどの道軽作業等の義務が待っている。このように、不正受給が減る分だけで見た場合、コストの削減にもなる。
一方、高齢受給者で働けない人は、集団生活という「制約」が加わることになる。
最低保証年金等の収入を元に、働ける働けないに応じて義務付きのメニューとなる。
「若年層」
・働きたくない人は軽作業等を伴った支援
・保護よりいい生活をしたい人は働く
「高齢者」
・年金未納者は最低保証年金を利用した集団支援
・保護よりいい生活をしたい人は任意加入年金や貯蓄を積み立てておく
という構図となる。
生活保護制度はお金を支給する制度だと言い続ける必要はない。受給世帯に現金を渡すだけの政策はもうやめたほうがいい。
本来の理念は、健康で文化的な最低限度の「生活」を保障するということであり、
そうした生活を送ることができれば、全てをお金に置き換えなくてもよい。
新しい制度は、セーフティネットとして諸外国で導入している制度も参考にしながら、発想の転換をはかっていく必要がある。
お金を支給するベーシックインカムなのか、それともベーシックワーク等を導入するべきなのか、受給は個人単位なのか世帯単位なのか、
資産はどこまで認められるのか、欲しいと手を挙げた人だけでいいのか、現金は最低どれだけあればいいのか、
働ける人に何か義務を課す必要はないのか、支援のための財源はどうするのか等々、視点はいくらでもある。
海外の用語をあげて丸のみするだけでなく、わが国の実情に合わせて適切な組み合わせを真剣に考えていくべきだ。
そもそも、健康で文化的な最低限度の「生活」とは何か。ここも整理が必要であろう。
みんな、さまざまな制約の中で、できることを楽しんでいる。
このことからすると、現行のいわゆる「普及水準7割ルール」の妥当性もあやしいわけで、実態としてパチンコに行ったり、
送迎付きでマッサージに通ったり・・・、と衣食住以外にあれもこれもやっている受給者が存在する現状は見直しの余地がある。
最低限度という絶対的なラインを割り込まないことを前提にして、ここらで支給額という基準にこだわり続けるのはやめ、
「生活」を送ることを第一に考え直したほうがいい。
先ごろブータンの国王が演説していたが、これからは何でも「カネ」という世の中ではなく、
カネでは解決できないような問題が噴出しているからこそ、対策もカネ一辺倒ではだめなのである。
貨幣経済の限界もり、通貨ですら信用がグラついてきている。
モノとサービスに価値を見出すことは有効であるものの、それらを提供したり利用したりする「ヒト」の側面からも、
価値観のモノサシを見直していくことが必要である。
いつまでもカネに執着していては、いずれ国際社会の流れからも取り残される運命になる。
障害者は、基本的に障害年金を貰っている。現状では障害者加算もある。
高齢者は、基本的に年金がある。
(無年金の高齢者は、保険料の負担をしてこなかったにもかかわらず一般の受給者と同等に保護される点で不公平感がある。)
母子家庭は、子供が保育所に行くことができるようにすれば働ける。
これらもふまえれば、働けない要保護者はベーシックインカム、働ける要保護者はベーシックワークという考え方になる。
働ける人で能力のある者は、雇用対策によって賃金を得る。雇用は最低賃金を守って処遇するわけだから、
ある意味ベーシックインカムとベーシックワークを併用した処遇と言えるかもしれない。
働けるのか働けないのかは、客観的に判断するのはある程度は可能にしても、
限界はあって、それを超える部分は本人の意思によらざるを得ない面があるから、
その意思確認の意味合いも含めて、選択肢の1つとすればいい。
つまり、水準としては低いが、現金を受け取るベーシックインカムの部分を導入するとともに、
ベーシックワークも、週当たりの拘束時間、1日あたりの拘束時間はごく短いものに限定する。
それを超える支援を受けたい者は、現物支給で賄うとか、ワークのレベルに達しない(働けない人でも可能な)義務などを法律で定め、
それらに応じた支援を与える。
こうしておくと、働けない人も働ける人も、
最低限度の支援+自分の意思で選択した支援
となり、現在よりも合理的になってくる。
忘れてはいけない視点は、こうした支援メニューは、あくまでも「自立支援」をサポートするものだということだ。
勤労、納税、教育は国民の三大義務。
さらに生活保護受給者は、生活上の義務として、
「被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、支出の節約を図り、
その他生活の維持、向上に努めなければならない。」
という義務もある。
何の義務も果たさずに保障をしろというのは、権利の主張ではなく、単なるタカリに過ぎない。
生活保護法第60条(生活上の義務)
被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、支出の節約を図り、その他生活の維持、向上に努めなければならない。
「支出の節約を図り」
酒、煙草、パチンコなどは節約生活になじまない。節約をはかるため、きちんと指導されなければならない。
「その他生活の維持、向上に努めなければならない。」
これが自分でできる能力がない場合は、施設でサポートを受けながら生活した方が本人のためにもなる。
働ける(体に問題がない)のに働かないで酒やパチンコで浪費ばかりする体質が身に付いた人の自立支援をするのが集団保護施設。
施設は生活保護から抜け出せる生活力をつけてもらうためにある。
病気で働けない人は、上記のような自立支援のための集団保護施設への入居は不要。メディカルケア付きの施設で生活保護を受ければよい。
復興に関しては、被災地の自治体は国と連携しながら、もっとPRすればいいと思う。
復興要員として被災地に来ると、生活を保障しますよと。
被災地は、津波等で街が更地同様になり、事業所がなければ雇用もない。
いすれ就業支援も必要だが、今は仮設住宅で当面の生活を確保することが優先となる。
仮設住宅ということからもわかるとおり、あくまで一時的な住居だ。
生活保護受給者のように、そこを生活の本拠とするために支援するわけではない。
そのような復興計画だけでは、復興はおろか、地域経済の活性化には到底結びつかない。
大阪市は市長交代で今後生活保護の認定が厳しくなる可能性がある。
生活保護難民が発生しかねない状況だ。
生活を支援して欲しい人は、居住地にこだわらず、地域の要請に応じて移住をすることも視野に入れてもらいたい。
生活保護受給者と被災者は、救済するにしても別の視点になる。
単に、片方でこれだけのものを支援しているから、もう片方にも同じ支援が必要ということにはならない。
被災地の住居は、今後仮設が空いてくるから、当面はそこで十分。
お年寄りの相手ができるよう、そこのコミュニティに参加するもよし。
そして、いよいよ復興に向けて本格的に瓦礫処理と除染をスタートするタイミングが来たら、
あらかじめ生活の保障をしていた人々を一斉に雇用する。
そうなると、復興に応じて住居等の整備もできてくる。
なんといっても瓦礫処理と除染はマンパワーによるところが大だ。
応じるも応じないも個人の自由であるが、生活の保障とセットになるということであれば、復興だけでなく地域経済にも寄与することになる。
(参考)国と地方の見直し案
厚生労働省は、生活保護の受給者が「求職者支援制度」の職業訓練を受講できるのに拒否した場合、
生活保護の打ち切りを可能とする方向で検討に入った。
実務を担う地方自治体側も大筋で合意した。
生活保護の受給者は過去最多の200万人超を記録。
働ける現役世代の増加が目立ち、就労支援が急務となっている。
求職者支援制度が整備されたことから、制度を活用できるのに仕事に就く意欲をみせない受給者には厳しく対処する。
年3兆円規模の保護費を抑制したい意向もあるとみられる。
指定都市市長会等で議論されている改正案を組み合わせると、
生活保護が増え続け地方財政を圧迫しているとして、
▽稼働可能層(16〜65歳)に対し期間を切って集中的・強力に就労自立を促し、
就労できるまでの間は、ボランティアや軽作業を義務づける。
▽ボランティアへの参加回数、態度、欠席率などをみて3年または5年ごとに、
受給の可否を判定する。
▽医療扶助に対する自己負担の導入。
▽稼働能力を判定する第三者機関の設置。
などを求めることになる。
事実上の「有期保護制度」にするもので、関係者から「生存権を保障した憲法25条に反する」
と批判が上がっている。
厚生労働省は法改定の背景として、地方自治体が「国に対して早急な対応を求めている」ことをあげており、
改定のための検討会で指定都市市長会の提案が論点となることを認めている。
(参考)生活保護をめぐる最近の動向
○社会保障と税の一体改革を議論する集中検討会議で、厚生労働省は、20代から生活保護を受け続けた場合、
国と自治体の損失額を合わせると1人当たり最大で1億5,000万円に上るという試算結果を明らかにした。
厚生労働省によると、生活保護の受給者は、今年2月の時点で事実上200万人を超えていると見られている。
このうち、3年前に雇用情勢が悪化してからは、働き盛りの20代で生活保護を受給する人も増えていることから、
厚生労働省は、働くことができる若者が生活保護を受け続けた場合の国や自治体の損失を試算した。
それによると、男性が25歳から80歳まで生活保護を受け続けた場合、保護費の総額はおよそ8,700万円に上る。
さらに、生活保護の受給期間は税金や社会保険料も徴収されないことから、国と自治体の損失額を合わせると1人当たり最大で1億5,000万円に上るとしている。
厚生労働省は、失業した人の再就職支援や生活保護費の不正受給の防止策を検討し、今年度中に生活保護法の改正を目指すことにしている。
○小宮山洋子厚生労働大臣は、増加する生保医療費の不適正受給を防止するため、
受給者が受診できる医療機関の絞り込みを検討することを表明した。
これでますます生保受給者はジェネリック推奨病院にしか行けなくなることが予想される。
○維新の会は、次期衆院選向けの公約骨子を表明した。
この中には、社会問題化している生活保護制度の抜本改正が盛り込まれ、
現金給付からクーポン券などの「現物支給」に切り替える政策を検討している。
具体的には、
(1)現行の現金給付から現物給付に変更
(2)受給期間の限定
を検討するという。
関係者は、「受給者の中には『生活保護を受けている方がいい』と公言し、働かない人もいる。これでは国が滅ぶ」
と話した。
現金を渡さないことで、労働意欲を取り戻させようという狙いだ。
○野田首相は、社会問題化している生活保護の不正受給に関して
「生活保護の裏付けは国民の税金だ。真に困窮している人には必要だが、つけ込む動きがあるなら対策をしっかりやらなければいけない」
と述べた。
(参考)米国の生活保護基準
@一般低所得者の生活保護(SNAP)・・・フードスタンプ
フードスタンプは期間6ヶ月、通算2年で打ち切り。
毎週、就業・就学訓練を20時間課している。又は指定する公共市民サービスに従事する。
違法取得すると、罰金2,500万円または20年の禁固刑。
A母子家庭一時扶助(TANF)・・・月額 2人家族 532ドル=42,500円、3人家族 663ドル=53,040円
通算5年で打ち切り。
母親は毎週職業訓練等の就業活動プログラムを受けなければならない。
17歳以上は高校生でも就業活動、アルバイト等の就業活動義務あり。
これらの活動をさぼったり、やる気がないと判断された場合、支給を停止される。
B障害者の補足的保障(SSI)・・・月額908ドル=72,800円
期間の制限なし。
盲目・身障者・寝たきり等の障害者を対象としている。
これらは、市民権を得て10年間納税実績がないと適用されない。
米国は基本的に生活保護目的の移民はできない。基本的に、10年間納税した人、第三者による身元保証義務がある。
国が払ったコストは、身元保証した米国市民に請求が行く。
その他の国にも、さまざまな制度がある。
2009年フランスは、従来型の生活保護制度を全廃し、新しい制度に移行した。
生活保護制度に代わって「連帯活動手当て」という制度を作り、生活困窮者を積極的に雇う企業やNPOを国が支援する。
外国人労働者が増え、生活保護にたかる外国人が増殖することに対応した思い切った政策だ。
純粋な生活保護費だけなら日本はGDP比0.3%、イギリスドイツは0.2%だ。
(日本は住宅扶助の実質的利益は上記の保護費に含んでいない。)
スウェーデンは高福祉国だけあって0.6%だが、現物支給もあるし、受給者でも高額の消費税を支払う。
●生活保護の基本原則
1. 無差別平等
要件を満たす限り、保護を無差別平等に受けることができる。
2. 最低限度の生活
健康で文化的な生活水準を維持することができる最低限度の生活が保障される。
3. 受ける側の努力
保護を受けるためには、各自がその持てる能力に応じて最善の努力をすることが必要である。
最低限、一生懸命働いて何とか自立しているワーキングプア層よりも、
怠けぐせのついてしまった一部の生活保護受給者の方がいい生活ができてしまう状態は変えていかなければならない。
(必ずしも、低いほうに揃えるというわけではない。)
意思に反して長時間労働から脱出できない者と、労働なんてしない怠け者受給者。
働くのがばからしくなるような待遇を放置するのは制度の趣旨からも外れることになる。
雇用の確保を実現する一方、生活保護のほうは、
「生活困窮者は誰でも受けられるが、セーフティネットなので旨みはない」
という制度にしていくべきである。
パチンコなどのギャンブルや、過度の飲酒などの無駄遣いをさせない。
税金をできるだけ有効に使う(無駄なことには支給しない)という観点から議論していけば、
もっと現実的な改善案になっていくのではないか。
なお、保護する対象が「個人」なのか「世帯」なのかという議論もあると思う。
生活の主体は世帯だという至極まっとうな流れも否定しないが、
そのため抜け道もあって、偽装世帯や逆に生活保護受給者が内縁関係で同棲していたり、
有利な受給条件を勝ち取るため、事実と異なる申告をする温床になっている。
そういう実態をふまえると、ここは既婚・未婚や子ありなしにかかわらず、「個人」として保護するほうがわかりやすいのではないだろうか。
健康で文化的な生活とは
健康で文化的な最低限度の生活、この「最低限度」という用語には一定限度という意味合いも含まれている。
ここの定義を決めようとして、厚生労働省にも「貧困」を視点として定義付けの議論が始まっている。
検討していく際は白紙から議論していくわけだから、あれがどうだから、これがどうだからは関係ない。
したがって、現在あるような中央値の何割未満といった相対的な定義にする必要もない。
例えば居住生活の定義は、住生活基本計画のような国民の一般的な生活モデルを視点にする必要もなく、
健康で文化的な最低限度の生活というものにどんな居住環境があてはまるかということだけを明確化すればよい。
生活保護だから、生活できさえすればいいのか。
世の中には、障害を持っている人など、一部の自立支援施設などで集団生活を余議なくされている人がいる。
それは、最低限ではあるが、健康だし、文化的な生活だ。
最低限ではないものを求めたい人は、自立のための努力をしていく必要がある。
たとえ努力が報われなかったとしても最低限の生活はできる。
みんな生活困窮は避けたい。貧困になっても努力次第で貧困から脱出できる社会が望ましい。
(それを望まない人は、社会主義国のほうがいいのかもしれない。)
1人でも多く、一刻でも早く生活困窮から抜け出し、自立できるように支援しよう。
ちなみに生活保護の根拠となっている憲法第25条(生存権)については、
最高裁でプログラム規定説に立った判決を出している。(1982年7月7日最高裁大法廷判決)
実質的には国の努力目標や政策的方針を規定したというレベルにとどまり、
直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではないと判決されている。
簡単に言えば、生存権は先進国という肩書きを得るための国の体裁ということだ。
かといって単なる政策目標に過ぎないわけではない。広範な裁量権があるということだが、
裁量権を逸脱すれば司法審査の対象になる。
能力や障害などのため、生活していくうえでの制約がある人もいる。
運転免許も取れない、就職もできない。
たまたま親が裕福で面倒を見てもらえる人は施設ではない生活ができる。
そういう普通の生活をしている人の中には、
周囲のサポートが行き届かないことが間接的な原因となって犯罪を起こしてしまったりする人もいる。
監視するわけではないから、自分の意思で行動することは防ぎようがない。
けれども、結果として犯罪を起こしてしまった人の生活が幸福だったかと言えば、そうとは言えないだろう。
自立できない人は集団生活をやればいい。
やはり、福祉政策として、
「保護されるべき人」(働けない人)は保護され、
「不正受給者等」(働ける人)は就活せざるを得ないようにし、
「不幸にも就活しているのに就職できていない人」には最低限の生活保障という体系がいいのではないか。
生活保護を受けるのに、専用風呂、専用トイレが必須ということはないのである。
トイレ・風呂が共有の生活している人は、世の中から見放されているわけではないし、人権を侵害されているわけでもない。
健康で文化的な最低限度の生活以上の生活を送っているのである。
それを生活保護受給者より低い生活水準などというのは、そうした生活をしている人に失礼と言える。
さらには、銭湯を経営している人にも失礼。存在自体を否定していることになる。
この先部会等で10%切り下げが検討されるとしたら、憲法の精神から見て、
健康で文化的な最低限度の生活水準というものを単純に切り下げるという決断は、行政としてはしづらいだろう。
しかし、世論の動向を受けた政治の圧力(例えば自民の政局戦術)も無視するわけにはいかない。
苦肉の策として、10%の切り下げと生活水準の維持の両方を満たす道は、現金支給部分の縮小と、
現金支給以外の決済経路をとることによる生活水準確保。
これにより、たとえ10%切り下げとなっても、事実上は切り下げを回避し、憲法に反しない道がとれる。
今の世の中はモノ溢れ社会であり、0円でも最低限の生活を送ることは不可能ではない。
まず、最低限「住居」は確保しなければならない。
居住地はどこでもいい。沢が流れているような里山の土地でもいい。
食物は土地さえあれば一定程度は何とかなる。
海の近くのほうであれば、網や種ぐらいを支給すれば収穫がある。
着る物をはじめ、その他のモノはリサイクル用品の中からいくらでも調達できる。
公共料金などの費用は免除でいい。里山生活に電気代なぞさほどかからない。
医療費負担も、国が医療機関に支払って終わり。
テレビなんかなくても、文化的な生活は可能だ。
電化製品は新品じゃないとダメなのか。
別に中古でも全然構わない。
昔ならテレビがなくても文化的生活と言えたが、現代ではそうではないのか。
決してそうとはいい切れない。今ではむしろ、テレビも売れない、ついでに言うと車も売れないという世の中であり、
特に若年層の消費マインドは冷え込んでいる。
つまり、消費が多様化している現代では、テレビがどうといった一律横並び的な発想は適当ではない。
高価な車の所有が認められないのはともかく、テレビが買えるだけの生活が必要という理屈はないし、
それを言えばいろいろ出てきてキリがない。
「ゴルフは文化」「旅行は文化」などと言っても、実際には可処分所得の制約があり、何でも好き放題にできる人は例外でしかない。
健康で文化的な“最低限度”の生活を送ることさえできればいいわけで、世間が「テレビは文化」「酒は文化」「車は文化」
などという生活を送っていても、制約を受けながら何かができれば文化的な最低限度の生活になるのではないか。
みんな、さまざまな制約の中で、できることを楽しんでいる。
親族間の扶養義務について
親は子を一人前に自立させる義務があるため、未成年者は既婚者でもない限り生活保護の対象外である。
親のない子どもには里親や福祉施設等による養育システムがあり、その枠組みによる保護が基本だ。
成人ニートは、生保の受給条件を「個人」の資産と収入が無いことだけに限定した場合、
平等に保護するという趣旨から、実家への同居を解消することを含め、親の援助をやめることを条件に、
希望すれば対象としてもよいのではないか。
親に愛想を尽かされ、追い出される成人ニートに、自立支援の道があってもよい。
実際には、子どもべったりの親は、子が成人しても援助し続けるケースが多く、生保に移るニートは少数と思われる。
よって、制度が親の背中を押すかどうかという視点になってくる。
親が保護する以上は実家で生活を送ればよいが、そうした半人前の者が仮に交通事故等で賠償責任を負うこととなった場合、
保護責任者という枠を超え、未成年者に準じて親にも責任を負わせることを検討する。
なお、成人の学生等で、まだ個人の資産や収入が無い人は、学業がある限り親の側も卒業までは援助するだろう。
これからの制度は、職業訓練等の自立支援メニューが必須だ。親の援助から生活保護に切り替えるとなれば、
学業によって自分が思い描く道を曲げてまで生保に頼る、つまり学業から自立支援の道に切り替えることになる。
また、逆のパターン、つまり子が親を扶養するケースでも類似のことがいえる。
正直、生活保護の判定を行ううえでは、扶養義務のところは廃止でもいい。
親族に実際に扶養されている人は生活保護の対象外でいいが、
親族がいても関係が破綻しているところにまで無理に扶養を求める必要はないのではないか。
目指すのは、申告頼みではなく公平に生活保護を行うということ。
受給のためにわざと扶養を隠すといったズルい受給をなくすということだ。
受給すると施設に入るといった条件整備ができれば、扶養を求めることを廃止することができ、自己申告によらない判定ができる。
河本氏のケースも、親が貧困なのは事実だから、援助しない子の収入と切り離す道ができるが、保護を受ける以上は親子の縁を切るだけの覚悟が求められることになる。
母子分離(父子分離)について
子どもの件は、その子にとって何が一番よいのかという視点で決める必要がある。
仮に、親が集団保護施設には入所しないという意思表示をしたのなら、
その子にとって、あとは親子同居か親子別居のどちらがいいかという選択肢になる。
しかし、同居しても親1人ですら食べていけない状況だから、その子にはまともな食事が与えられないことは間違いない。
親に収入がないのだから。
そうなると、別居(施設で保護)が、その子のためにもいいのではないか。
基本的に、生活保護受給時は母子分離(父子分離)でいい。
子供は児童養護施設等で養育する。
母親(父親)が自立したら、同居も可能。それが自立への励みにもなる。
もっとも、子どもと同居したくない親は自立を渋るだろうが、それはやむを得ない。
そのような親が子どもと同居して、子どもが虐待されるよりはマシ。
虐待をする親は、確信犯として虐待する者もいるが、自分がなぜ虐待してしまうのか、
子どものことが大切なのはわかっているつもりなのに他のストレスから気付かないうちに虐待に走っているケースも多くある。
そういう人たちを社会から孤立させたままではいけない。
外部からの支援、特に人と人とのつながりを持たせることが重要だ。
どこに相談していいのかわからない人もいるし、相談すること自体に気付かない人も多い。
民生委員や保護司が介入してはじめて、肩の荷が下りたり今までのことを後悔したりする人もいる。
介入を拒否する人も、つい虐待してしまう状況を何とかしたいという思いはある。
単に、外部の人が信頼できないから拒否しているだけだ。
人間、自分自身だけの管理能力、判断力が、本人のために常に最善の結果をもたらすとは限らない。
そういう弱者にお金を与えるだけで、子どもも親のもとで親からの保護に任せ続けるだけでは、
何の解決策にもならない。
判断を間違えた際、親は自らまいた種とあきらめても、子どもに責任はない。
ニートについても同様。現状ではニートは親の援助があるからこそ自立しないでも生活していける。
これは親の意向もあるから、いくら他者が「自立しろよ」と言っても無意味だ。
甘やかす親のほうにも問題があるが、親のほうも葛藤を抱えている。
その背中を後押しする制度が必要だろう。
とりあえず、親が勘当しても、他者が支援してくれる制度の構築が急務だ。
現状では親が勘当すると、ニートは野たれ死ぬか、犯罪に走って刑務所行きになるか、
そこらが関の山、これでは親の方も思い切って勘当できない。そこの葛藤を取り除いてあげる必要がある。
葛藤をかかえたままでは、そこからもたらされる結果は、親にも子にも幸福なものとはならない。
そうしたことを解決するための制度、それが生活保護。だからそれは恒久的なものではなく、一時的なものなのだ。
一時的なものであるからこそ、早く手を差し伸べることが必要。熟慮している時間はない。
手を差し伸べた結果、支援の手があってよかったと思う人もいるのだから。
親子の縁、兄弟の縁を切っている人に、いまさら扶養しろと持ちかけても、
うまくいくはずがない。
また、10年間も音信普通だった人を、いまさら扶養しろと言われても納得がいかないだろう。
扶養義務はやたらと押しつけるものではない。
しかし、扶養をする気があるのなら話は別だ。
親孝行したい、そのような息子にまで、扶養義務はないからと言って扶養を切り離す必要はない。
一番問題なのは、養う気持ちがあるのに、「お金は出したくないから貰えるものは貰っておけ」
というズルい連中だ。
河本氏の例は、最終的に本人が母親を扶養することになった。だったら最初から扶養しておけ、となる。
あれは、扶養する気がないのなら、最後まで扶養しないという姿勢を貫くべきだ。
室伏氏のように「誰がなんと言おうと絶対援助しない」という姿勢こそ筋が通っている。
だから、親族に援助して貰えない人は、生活保護を受給し、住居も現物支給(施設)で親族と切り離せばいい。
中途半端に現金(住宅扶助)なんか与えると、親族の近所に住んで、裏で援助をしてもらっているまま、
国からお金だけ巻き上げるという不正がまかり通る。
収入がないのだから税金を払わない。
財産もない、であれば生活保護でも受給すればいい。
日本国民はみなその点で平等。
他の人も、収入がなければ税金払わないし、財産もなければ生活保護だって受ける。
そして、そのための財源は「税金を払っている人のお金」だ。
税金を払っている人は、欲しくもないサービスのために金を払いたくはない。
そこで、税金を払っている人たちは、受給者に聞きたいだろう。
「私たちの税金で生活できて、どう思いますか」
率直な気持ちを述べてもらえれば、税金を払っている人が、生活保護というサービスが納税者の立場から見て必要だと思うサービスか、
納税者自身が受給者の反応を見て判断するだろう。
もし他の納税者も、「そんなサービスはいらない」と判断したとしたら、
他の納税者の人も、きっと税金は払いたくないと思うことでしょう。
生活保護の受給は正当だ。しかし、受給者の気持しだいで、みんなが法改正に動き、受給できなくなるかもしれない。
●生活保護制度改善案
@受給条件を、“個人”の「資産と収入が無いこと」だけに限定し、希望者には原則全員に認める。
・暴力団等の構成員・準構成員や特定団体等の例外を除き、基本的に個人の属性の違いを考慮しない。
・現住所不定でも受給を希望することを可能とする。(基本的に自治体間で認定基準に差を設けず、住所は受給開始時に施設入所等で確定する。)
※在日外国人等は、例えば移民が大量に押し寄せて日本の生活保護で暮らすなどというモラルリスクを考慮し、
単に外国人登録のみを要件とするのではなく、帰化するための要件を満たしているかといったレベルで、一定の条件を課すことを検討する。
※ニートもあえて対象候補にしておく。家族による支援を断ち切るきっかけ、職業訓練等による自立支援の道に進むきっかけにすることで、
ニートの減少にもつなげる。
A給付にあたっては、現物支給等を織り交ぜ、保護費の無駄遣いをなくすしくみを構築する。
・住居に関しては、受給者に提供する自立支援メニューの内容に応じ、必要があれば共同生活とする。
・共同生活以外の場合、公営住宅への入居を原則とし、家賃は受給者を経由せず、直接支払いとする。
・その他の光熱費、水道、食料品などの生活必需品は、可能な限り現物給付でまかなえるようにする。
B高齢、病気、障害等の回復不能な受給者に対する支援と、自立できる受給者に対する支援とを分けて考え、特に自立支援のための方策を充実させる。
・自立支援メニューとして、職業訓練も兼ねたベーシックワークを導入する。
・さらに基礎的な生活能力を養う方策として、共同生活における軽作業等により、自立支援のための道を拓く。
基本的に、生活保護制度は、「自分であらゆる努力をしたが、それでも生活ができない」(生きていけない)ため、
主権者である国民に向かって「助けてください」と叫ぶ人を助けるための制度とする。
保護メニューは基本的に現物支給でいいが、現金支給も一定程度残しておいてよい。
例えば、施設や寮などの住居にしても、1つの選択肢でいい。
そういうところは柔軟に考えればいいのではないか。
そのうえで、現金支給と比べて、現物支給のほうが受給者にとって魅力的なものにすればいい。
例えば、現金だと1万円、同じ趣旨の現物は1.5万円分の価値があるものを支給する。
住居にしても、通常の家賃補助だと2.8万円、しかし寮だと5万円の部屋以上の個室が提供されるといったことである。
そうすると、たいていの受給者は有利なほうを選ぶから、あえて不利なほうを選ぶ受給者は何か理由があると考えるのが自然だ。
そうしたところにはやましい意図が隠れている可能性もあるから、そこを重点的にチェックしていけばいい。
個人的には、現物支給のほうが水準的に有利なら、そちらのほうを選ぶ。
さらに言えば、別にすべてを現物支給にしなくても、住宅は現物とか、食べものは現物支給とか、
水道光熱は現物支給とか、生活に必要なもののうち、できるところから現物支給を導入していけばいいわけで、
残りは当面現金支給のままでも構わない。
受給者によっていろいろ考えはあるから、大半で現物支給を選ぶ者もいれば、
あくまでも現金支給だけにこだわる者もいるだろう。
要は、社会的に非難されるような不正を抑止するように持って行けばいいわけで、
たいていの受給者は、正当に受給している限り、現物支給を選んでも全く困らない。
そうすることで、不正のチェックを今の体制でもしやすくなるというわけだ。
●現物支給の拡大
現物支給をやる意義は、パチンコやギャンブル等に消える無駄遣いをなくすためである。
単純に考えると、その分だけ今の現金支給額よりも待遇が下がると見られがちであるが、
その無駄だった分は本来の保護に回されるから、低くはならない。
つまり、現物支給を拡大することによって、食べていけなくて餓死しそうな本当に保護が必要な階層へ保護を拡大し、
裾野の拡大につなげるわけだ。
理不尽なワーキングプア労働に巻き込まれている不幸な人も、ギャンブル等で無駄遣いさえしなければ、
現物支給によって生活は保障されるようになる。
本来、自力では生活していけない不幸な人々は、憲法の規定によって救済されるべきなのである。
きちんと働いて、食べていけるだけの給料が貰えるようになったら、余裕分はギャンブルに使おうが寄付しようが自由だから、
これまでどおり勤労への報酬は現金でいい。
働いても食べていけない不幸な人は、躊躇しないで現物支給の保護制度を活用すればいい。
そんな理不尽な仕事はサッサとやめて、支援を受けながら暮らせばいい。
世の中に条件のよい仕事が多く出回るようになり、応募できるようになれば就活をすればいい。
それまでは、最低限の生活が保障される。
しかし、パチンコや酒をやり続けたいのなら、いつまでも理不尽な仕事をしているしかない。
無駄遣いを正当化するような人は、保護を受けられない。
天下り役人の肩書きで見られるような、無駄遣い役人のポストを仕分けするのと同じだ。
食べていけるのに十分な給料をもらえるようになったら、給料は現金だから、
現金をたくさん稼いで、税金もたくさん支払ってほしい。
増収分は社会保障制度の拡充にも使われることになる。
現物支給で提供しきれない品目については、これまでどおり現金支給部分でまかなうことになる。
ただし、パチンコなどの無駄遣いをする受給者を無くすためには、受給した金を何に使ったかを透明にすることは必要だろう。
その前提で、こうした不適切な受給者をどう指導していくかということが課題になる。
現金であれば、お金に色はついていないから、完全に透明化することはできない。
そこで、現金に準じたものとして、専用の決済用カードを与えるという方法が考えられる。
使用履歴が記録されるのであれば、デビットカードや電子マネー等のしくみを利用してもよい。
カードは月毎に使用限度額が定められ、限度額に達すると使用できなくなる。
さらに、一般のクレジットカードよりも使用可能なショップが限定されており、
それらのショップで買い物をする限り、衣食住+α程度の物しか買えず、
キャッシング機能などは付いていないため、ギャンブルはできない。
酒ばかり買っていると履歴が残るから、ケースワーカーから指導を受ける。
とりあえず、マネーを適正に使用している人にとっては、何の問題もない。
酒だって買おうと思えば買える。要は、度を越しているかどうかの問題。
ただ、パチンコ屋に行ってもカードは使えないから、そこは防げる。
馬券しかり、カジノもちろん。
適正に使用している品目の範囲も、事情は人によって異なるわけだから、
例えば、幼稚園児がいる場合は、ランドセルを買っても無駄ではない。
しかし、独身ならば、「なんでランドセル買うの?換金目的?」となる。
暖房器具だって、ワンルーム住まいなのにエアコン3つも4つも買っていると同様に追及が入る。
そこはケースワーカーの裁量。
よって、この辺の議論が進むとケースワーカーの体制を強化しようという話にもなってくる。
●集団保護施設(生活保護受給者寮)
生活保護受給者用の住居として、共同生活用の施設を提供する。
行政のスリム化により全国で不要になった施設(簡保の宿等)に入居していただく。
(入居地は、本人の希望と施設の空き状況に応じて決定する。)
部屋は既婚・独身にかかわらず、個人単位での個室。
避難所みたいなイメージではなく、障害者自立支援施設みたいなイメージだろう。
電気はあるし、水道も出る、遊技場だってある。(タバコはすえない、車は持てないけど。)
個室があるから、避難所よりも高待遇である。
冷暖房もあれば、ベッドだってある。もちろん食べ物だって調理されて出てくる。
高級フランス料理を食べる余裕はないというだけだ。
外出は自由だし、門限もない。
日頃からこうした施設を用意しておけば、災害のときは被災者の一時受け入れ先にもなる。
(被災者用の仮設住宅が確保できるまでの間だけ。)
集団保護施設は、1人で暮らす生活スキルがない人の生活を支援するところ。
孤児(未成年)は、1人で暮らす生活スキルがないから、スキルがつくまでは保護してあげなければならない。
これと同じ理屈だ。(大人でも1人で暮らす生活スキルがない人は、自立支援が必要ということ。)
孤児の場合と同様、施設暮らしの期間は自立のための教育が大切だ。
本当は、何の罪もない孤児たちこそ、施設の集団生活から抜け出したいのであれば何とかしてあげたい。
そういう人たちは、現状では選択肢が施設しかないのだから。
それに比べれば、生活困窮なだけの大人の住みかは、基本的に施設でいい。
あくまで一時的なものだし、大人なんだから入らない自由も抜け出す道もある。
家族の支援が得られたり、1人で暮らす(自立する)スキルがある人は入らなくてもいい。
1人で暮らせる生活スキルがある人は、自己判断で住居を決めることができる。
孤児(未成年)は、何かあっても責任がとれないから保護者(後見人)が必要。
なお、集団保護施設での生活は軽作業付きであるため、病気の人は入居対象外となる。
(病気のため保護が必要な人は、治療を目的とした別メニューで。)
集団保護施設(寮)での生活は、できるだけ自給自足でいくのがいい。
例えば、
・遊休農地の一部を国が買い上げ、そこで野菜を収穫する。
・電気は、自家発電(自転車こぐやつ)で発電させる。
・水は、近くの沢から水汲み。
・ガスは、オール電化にすれば不要。
・各部屋での電気代は上限を決めて超過分は実費。
(ベーシックワークや軽作業等を怠けたために実費が出せなければ、電気が使えなくなる。)
このようにしておけば、施設内の軽作業のネタには困らないし、施設自体も大地震等の災害発生時などにはすぐに被災者の仮拠点に転用できる。
食糧も、野菜などは自分たちの食べる分ぐらいは自らで耕して可能な限り自給自足すればよい。
これは入所者が共同で行う軽作業との兼ね合いにもなる。
将来の自立に向け、できるだけ福祉に頼らず、自分達でできることは自分達でやるようにする。
家庭菜園レベルの農業とか、間違って分別されたゴミの再分別とか、ゴミ袋を持ってゴミ拾いとか。
それですら難しいなら平日昼間は電力節約のためにエアコンの効いた集会所に集合し、その日に食べる昼食と夕食を支給食材で調理する。
これも施設内では指導員の調理指導により、自炊能力をつけることで、将来の節約スキルの醸成になる。
高齢のため体が動かないという状態であればともかく、何もできないから身の回りの世話は全て訪問ヘルパー等で全て面倒を見るといった支援は過剰である。
自由な時間があり余るほどあるという環境では、怠惰な生活に陥ってしまう。
作業等で適度に拘束時間を設けることは、将来に働けるようになる生活習慣をつける意味でも重要である。
いわゆる生活保護ニートや不正受給者、ヤクザやチンピラ、怠け者等にとって居心地のいい環境であってはならない。
ちなみに、施設では電気や水道も基本的には供給される。
エアコンで冷暖房したければ個室のエアコンを使うことができる。
ただし、これも先ほどと同様、一般の人でも稼ぎに応じて使える電気には限りがあるのだから、
24時間冷暖房を使いたいとか、常識外れな嗜好を持っている人は、その望みをかなえるためには相応の努力が必要だ。
例えば、基本部分から超過する電気は、施設内の自家発電機(自転車こぐ方式)で自ら電気を生産したうえで使えばいい。
世の中には、暖房つけたいけどお金が無く、エアコンの無い部屋でがまんしたり、
自家発電機すら買えない人もいる。それでも自立している。
それに比べれば、施設に自家発電機が用意されているだけでもありがたい。
水だって、超過して使いたければ井戸があるし、貯水施設から水汲みもできる。
集団保護施設は自家発電だから、計画停電も関係なし。
電気はともかく、行政の立場からすると、水道のほうは市の水道局自身が供給しているものだから、
極端でなければ井戸とまでいかなくても供給することは可能。水を分けてあげるだけだから、経費はかからない。
電気にしても水道にしても、供給はできるようにしておく前提でよいし、最低限の生活に必要な範囲であれば使うのも構わない。
最近では、一般家庭も節電節電で、あれこれ努力している。
そういう姿勢を身につけてもらう(浪費をしないクセを身につけてもらう)ことが実現できれば、集団生活の目的は達成できる。
例えば、夜間の照明は23時までとか、食事を作るための電力、気温が30度以上のときの冷房とか10度未満のときの暖房とか、
それらは通常の電力供給等でまかなえばいい。
しかし、深夜にコウコウと照明をつけたり、エアコンをガンガンに利かせたりするような、
努力によって節約できる範囲のものに外部の電力を使うのは一般家庭からの理解が得られない。
どうしてもやりたければ、自家発電なら理解は得られるだろう。
水道にしても、共同浴場とか個室の一定量までは水道局の水でいい、それ以上水を使うのであれば井戸水汲みあげるぐらいの労力があっていい。
エアコンガンガンや水ジャブジャブを禁止するわけではないから、個人個人の生活スタイルに応じて選択肢の中から手段を選べばいい。
集団生活では入所前後で悲惨さは変わらないのか。
いや、食べるものがない、電気が止められたなどという心配がなくなる。
物事は段差のあるところで線引きするのではなく、滑らかに 徐々に状態が変化していく中で、
「この辺りで線引きしよう」という感じでラインが決められる。
このため、生活保護寸前の人と生活保護の受給者とでその差がほとんどなくても不思議ではない。
そういった人が飢え死にや凍え死にをしないよう、不衛生な環境で病気にならないよう助けるのが生活保護である。
ライン以下の人をラインまで引き上げるだけの制度である。
決して生活保護を受ける者が遊んで暮らせるようにする制度ではない。
保護を受けても、食べるものや電気が制限されることは変わらない。
避難所生活と集団保護施設の生活のどちらがマシなのかはいろいろな見方があると思うが、
集団保護施設のほうが避難所生活と決定的に違うのは、「申請によって認められれば入所」という個人の意思によるものであるということだ。
集団生活で確実に食べ物にありつけるほうがいいか。
食べる物が心配でも、プライバシーがある方がいいか。
他にも判断基準はあるだろうが、総合的に考えて本人が選べばいい。
水の使い過ぎをなくすため、受給者からも従量制で水道料金を徴収したりすることは可能だ。
水はタダだと思って、施設内の清掃作業や洗濯・配膳作業中でも、あまりにも水を多量に使う。
軽作業として公用車の洗車もあるが、水は出しっぱなし。
しかし、そもそも収入がないことから生活保護になっているわけであり、金を取るような制度にしても、
ないところから金は取れない。(有料化しても踏み倒す人が多くなるだけ。)
むしろ、水ぐらいは行政の裁量で金を取らずに現物支給としていい。
水を使い放題にするという意味ではない。
制限を課したければ、ポリタンク支給でもいいし、井戸つきの施設でもいい。
そもそも適正な使い方を教えなければならないわけだが、課金をすることが教えることにつながるわけではない。
限りあるものだということを身を持って感じさせることが必要だ。
使い過ぎると断水して困るという体験をさせることのほうが効果的である。
●集団保護施設(寮)における自立支援メニュー
集団保護施設(寮)という制度は、一義的には自立支援のためのものである。
生活保護でなくても、例えばプロ野球選手が高額の契約金をもらっているのに、なぜ入寮なのか。
社会人として自立できるような社会生活を身につけてもらう意図もあるかもしれないが、
学生ではないのだから、普通の感覚だと「早く能力実績を挙げて、退寮してやる」
と思うわけで、そういう意識を後押しできるかどうかだ。
誰も好き好んで寮なんかで集団生活を送るよりも、自分の好きなところに住居を構えて生活したいと思うだろう。
プロ野球選手だって、西武の某投手のように女に恥ずかしい写真を取られるとか、
私生活がダラダラして努力を怠ったり、酒や博打にハマっていったりとか、
およそ一人前の社会人からかけ離れてしまうのを防ぐための入寮である。
公務の報酬は貯金して備えるもよし、能力向上のための努力に使うもよし、
寮は家賃などはかからないし、光熱費も個人負担ではないし、食べ物も報酬から多少の天引きで賄いが出る。
集団保護施設では、早期に就職、経済的に自立できるための支援を行う。
・各施設とも軽作業後の15時より、資格講座等の社会復帰カリキュラムを受講できる。(希望者のみ)
・軽作業の休日は週2日希望日に取ることができ、就職活動を計画的に行う。
・就職が決まった場合、新生活に必要な敷金、礼金、初任給までの生活費を支給する。
(ただし、新生活応援支給金は3回まで。金額は施設入所期間や軽作業の従事状況などによって決まる。)
経済的に自立していないという時点で、単独では生活していけないわけだから、共同生活で他人の助けが必要だ。
年金受給者も、例えば現金での受給を辞退することで施設等への入居ができるようにすれば、
消費生活を送るための判断力が減退していたとしてもリスクを回避でき、生活していく際の支援も受けやすくなる。
(生活保護と違い、こちらは所有財産の処分は不要、所得との相殺も当然なし。)
年金で食べていけるようにし、生活していくうえでの支援を受けられるようにするのが主目的だ。
国民年金受給者+生活保護受給者による施設等での集団生活ができれば、プラスの効果が期待できるかもしれない。
生活保護からもれた低所得者の希望者も、月5万円程度の自己負担で受け入れていいかもしれない。
最低賃金×所定労働時間でも月7〜8万円の蓄財ができれば、5年で500万円。起業のための自己資金を貯めることも不可能ではない。
入寮というのは、社会教育という面もある。
人間誰しも、現金を持つと自堕落なほうに流れてしまう傾向がある。
生活保護受給者も、現金を貰うと酒やギャンブルに走る人がいる。
どの程度の規模の「寮」にするかにもよるけど、おそらく食事は食堂でとなるわけで、
そうなれば年金現物支給の人たちとも顔を合わせる。そうした人たちは、それまでの蓄財や所得で旅行に行ったり外で旨い物を食べた話もするだろう。
そこには小さな格差が存在し、それを目にして「やっぱり働こう」と思えば動機づけにもなる。