大東建太です ( 大東建託 part2 )

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401名無し不動さん
多くの国との、多極的な外交関係のチャンエルと枠組みをつくることが、日本にまず必要なことです
日本は、世界と利害を対立する国は少ないはず。
どこの国ともおおむね関係は良好です。
かつての交戦国である中国や朝鮮半島、ロシアとは過去の戦争の怨念があるがゆえに齟齬があるが、
冷戦も終わった新しい時代に入っているという現状認識に立てば、可能性はないわけではない。

アメリカ1国としか外交関係の枠組みがなく、しかもそれが強すぎる現状が、日本の動きの自由度を縛っている、
というより、自業自縛だといえる。

なんか、新しい友達をつくるのにいちいち親の顔を覗うこどものようなところが、
日本にはあると思う。
友達は多い方がいいのに。
というよりも、よく考えてみると、日本にそもそも「外交」というものがあるのかどうか。
外交とは、様々な国と関係を持って、意見と利害を調整しながら国際関係に対応していく
姿勢のことであるわけであって。
402名無し不動さん:03/11/06 16:01 ID:gVhsX2y2
イラク戦前は、シラクは世界中の国の首脳に電話をかけまくって意見の調整をしていたという
経緯が、たしか新聞で報じられていたような気がする。

日本の小泉の机の上には、ブッシュへ通じる電話しかないようだ。
アメリカという名の親分の動静をいち早くつかみ、日本の対応を考えるための電話。

他の国を首相や首脳が訪問しているが、どこの国が相手でも、言っていることは同じ。
「武力行使は遺憾で残念なことですな。我が国は早期の平和的解決とを望んでいる。
経済協力は惜しまない、云々」

こういうのを「外交」というのだろうか。
「お徳」なアメリカ。
「お徳」なことは特なのだからそれでいいじゃないかといってしまえばそれまでなのだが。
403名無し不動さん:03/11/06 16:02 ID:gVhsX2y2
20世紀は、「お徳」な社会の構築を目指してきた時代だったといえる。
ものが豊かになり、組織が整備されて、貧困や自由な政治活動の制限が解決されれば、つまり
社会的条件が整えば、人々の幸福が約束されると信じられていた。

その理想社会は、世界の中では、この日本で、80年代末に達成された。
経済の豊かさ、社会秩序の安定、教育水準の高さ、治安の良さ、みんなが豊かで国民の中の格差が
ほとんどない社会。
自由、平等、豊かさの3つが、世界の最高水準で、この国に実現した。

10年前に、日本人は理想社会を「見た」し、そこに「住んだ」はずなのである。

「お徳」な究極の形の社会を、日本は実現した。しかも、それは世界唯一のものだ。
404名無し不動さん:03/11/06 16:02 ID:gVhsX2y2
今は景気が悪いから、あの10年前の理想社会の再現を目指すことが、日本人の社会構築の目標なのだろうか。

そうではないように思うのだが、どうだろう。
自由、平等、豊かさの3つが、世界の最高水準で実現したにも関わらず、そこに欠けていたものについて、
考えてみることは、これからのこの国の未来を考える上で、ポイントになるのではないかと思う。

1人1人の個人の生の充実、つまり社会条件として整備されるような形ではない、個人の尊厳としての自由、
世界や地域の文化の固有性を許容する寛容さ、自国だけの繁栄は実は相対的なものにすぎないという国際的な
視点などだろうか。
405名無し不動さん:03/11/06 16:03 ID:gVhsX2y2
「お徳」なだけにこだわっていては、未来は開けないような気がする。
でも、なかなか「お徳は幸せだ」という錯覚から外に出ることができない私でした。
よいアイディアだと思います。
欧-露-日連帯の路線は、アメリカに対抗するという発想では、国際緊張が高まるだけで、
メリットはなにもない。

今の世界の問題は、アメリカが文化的にも軍事的にも大きすぎるという問題で、それに対する抑止力がない。
冷戦時代のソ連は、抑止力という意味では、世界にとって必要な存在だったと今にして思う。
ソフトな抑止力は、世界の安定の利益になると思います。
406名無し不動さん:03/11/06 16:04 ID:gVhsX2y2
もう一つの問題は、先進国各国が、国内の社会のフロンティアを見失っていること。
「自由」を手にした先進国各国は、それぞれの国がそれぞれの形で、この「自由」をどう扱ったら
よいのか手に余り、悩みを抱えている。豊かさゆえの悩みといったらよいのか。
このような時は、自国に閉鎖的になるのではなく、同じ問題を持つ国同士が、活発に文化交流と
情報交換をするのがとても有効だと思う。
そうやって国を開いておかないと、気がついたらアメリカのように極右政権が国を支配していた
なんていうことになりかねない。
「自由」であるがゆえに、どちらにころぶかわからないような政治状況がある。
民主主義が当たり前になりすぎて上手く機能していない。
「自由の行き先がわからない」というのは、成熟社会ゆえの特徴でしょう。