私の小学生の娘が今年6月に死んだ。不治の病によって。
外科的手術が一切不可能な場所にできた、悪性腫瘍だった。
発生率10万人に3人、1年生存率50%。
一昨年の暮れに、病気が判明した時点で医師から出た言葉は
「早ければ半年、もって1年2年、3年は生きられないでしょう。」
という、非常に残酷な告知だった。
だが、そう言われて易々と娘の命を諦めるわけにはいかない。
病気とわかったその日から、我が家の長い闘いが始まった。
放射線治療・化学療法はもちろんのこと、退院後も食事療法、気功、栄養健康補助食品等々
病気の治癒に役立つと思われるものは、何でもやった。
お金もそれなりにかかったが、娘の命には代えられなかった。
食べ盛り・育ち盛りの子どもには、特に食事療法が一番辛く厳しかったが、それでも娘はひたすら耐えた。
それまで大好物だった食べ物も甘いお菓子も、駄目と言われたものは全て我慢した。
周囲が哀れに思ってこっそり勧めても、頑として口にしなかった。
すべては、病気を治したい。元気になって、また学校に行きたい。勉強したい。友達と遊びたい。その一心で。
いろいろと頑張った甲斐あって、一回目の退院後はかなり回復し、また学校にも通えるようになった。
林間学校や音楽会、秋の大運動会も少々ハンデつきだが、思いっきりグラウンドを走ることもできた。
月に一度の検査でも、目に見えて腫瘍は小さくなっていき
「もしかしたら、このままいけば腫瘍が完全に消えるかも・・・」
「奇跡は起きるんだ!」
娘の病気を知る人は誰も皆、そう思っていた。
だが、その期待は見事に裏切られた。運動会終了後しばらくして、腫瘍の再発が見つかったからだ。
同じ臓器内の離れた場所に腫瘍が逃げ延び、新しく大きな塊を作っていた。
新しい腫瘍の増大につられて、ほとんど消えかかっていたもとの腫瘍も再び活発化していく。
もう放射線治療はできなかった。初回の放射線治療で限界ぎりぎりまで照射してしまったから。
もう打つ手がなかった。どんなに手を尽くしても、亡き父や亡き祖父母、神仏に祈り願い乞うても、
複数の腫瘍の増大の勢いを止めることはできなかった。
何とか良くなってほしくてあれこれしたが、一向に効果は出ず日に日に娘の病状は悪化していった。
そして今年4月にもう自宅療養に限界が出て地元病院に入院、5月に昏睡状態に陥り、6月にこの世を去った。
病気発覚から1年半。二度目の入院から一度も家に帰ることなく、一ヶ月半の昏睡状態から目を覚ますことなく、
心臓の限界によって眠ったまま逝ってしまった。
昏睡状態であっても、生きていてくれるうちは頑張れた。生きていればいつか治せると信じていたから。
どんなに長い時間がかかってもいい、眠っている間に腫瘍が少しづつ小さくなり、いずれは消えて
目を覚ましてくれる日が来る。その奇跡を夢見て、日々看病し続けた。
でも、願いは叶わなかった。治らぬ病気のせいで、短い生涯の幕引きを強要されてしまった。
娘が旅立ってしまったその日から、私はずっと「時を戻す方法」を探し続けている。
闘病中も、ずっと時間を戻したい、やり直したいと思ってはいたが、それでも治るという希望に賭けていた。
だが、その希望が完全に絶たれてしまった以上、もはや私に残された手段はそれしかないのだから。
娘は、本当にいい子だった。かわいくて、優しくて、真面目で、礼儀正しくて。
でも、ちょっとしたいたずらも好きなお茶目さんで。正義感の強い、心のきれいな子だった。
そして何より親に似ず、本当に愛らしい、器量良しだった。
親の欲目抜きにしても、生まれたときから目鼻立ちがくっきりとした、愛らしい子だった。
「娘ちゃん、本当にかわいいねえ、将来が楽しみだねえ!」
などと、よく親戚やご近所、クラスメイトの保護者からも言われた。
将来大きくなって、今よりももっともっと美人さんになったら、ストーカーに遭うかも・・・と、幼稚園児の頃から
本気で周囲といっしょになって心配したものだった。
「鳶が鷹を生む」、この言葉も上の言葉とともによく言われたが、親である私が一番よく知っていた。
本当に、心身ともに将来がとても楽しみな子だった。
なのに。どうしてあんな理不尽な病気で、短い生涯を無理やり閉じられなければならなかったのか。
娘には、何の罪もないのに。罪があるとすれば、この親たる私にくるべきものなのに。
あんなに頑張って頑張って、治ると信じて一生懸命努力してきた子なのに、その思いは報われなかった。
私は、娘の奪われた人生を取り戻したい。娘が本来もって生まれてきたであろう夢、希望、明るい未来、
喜怒哀楽の長い道のり、すべてを取り戻し、娘の手に再び返してやりたい。
そのためには、今のこの悲しい記憶を保持したまま、娘が生まれる前、母親のおなかの中にいる時期
(1998年中頃)にまで遡らなければならない。
食生活を始めとする、生活習慣や住環境等の一切を改善し、徹底して「病気にかからない」生活をする。
スイミングスクールや体操教室等にも通わせて、身体も強くして体力強化に努める。
住む場所や入園する幼稚園や小学校も、この歴史とは違うものに変えなければならないかもしれない。
でも、それで娘の病気や死が回避できるのなら、何でもする。私の寿命が短くなってもかまわない。
娘が病気になってから、
「ああすればよかった」「こうしてやればよかった」「あのときこうしていれば」
「あんなことしなきゃよかった」「こんなこと言わなきゃよかった」「どうしてあんなことしたのか」
と、病気の前後関係なく思い出しては、後悔ばかりが頭を埋め尽くす。
「もっと○○してあげればよかった」「もっとずっと一緒にいたかった」
そして何より思うことは
「もっともっと、全力で愛してあげればよかった」と・・・・・・
金銭的・時間的な都合で、この世界ではやってこれなかったあらゆることを、次の世界では
上手に遣り繰りして、娘と家族にしてあげたい。
今までより何十倍何百倍も手をかけて、娘を病から守り抜きたい。
娘が死の病に襲われるという悲劇、娘の死によってもたらされる壮絶な喪失感を回避する。
そして、私たち家族が失った笑顔と大事な家族を取り戻したい。
**********
以上、長くなりましたが、これが私が時を戻したい理由です。