魔術と超能力

このエントリーをはてなブックマークに追加
68,苦行に満ちたシャーマンへの道



シャーマンというものの存在に始めて気づいた西洋人は、ロシアの首司祭アヴァクムだ。彼は古儀式派
(ラスコーリニキ)の一人で、1652年、ロシア正教をギリシア正教に近づけようとする新総主教ニコン
に反抗した――そして1666年に宗派ごと破門されてしまうことになる。だがその5年
前の1661年、アヴァクムは皇帝の命令でシベリアに追放され、そこでシャーマンの存在を知ったの
だ。1667年にシベリアから帰還した彼は、15年間を獄中で過ごし、そこで「自伝」を執
筆する。これはロシア文学の最初の古典だ。

当然ながら、このドグマ的な古儀式派は、シャーマンを悪魔の使徒と見なした。彼の話に登場す
る遠征隊長のパスコフは、モンゴル人との戦いに次男のイェレミヤを送り込むことに決め、地元
のシャーマンに相談に行った。「この悪辣なる魔術師」は羊を生贄に捧げ、その首を切り落とし
た後、「飛び跳ねて踊り、悪魔どもを呼んだ」。最後に、耳をつんざくような叫びを上げて
地面に倒れ、口から泡を吹いた。それから、遠征は大勝利に終わり、大いなる富がもたら
されるであろう、とパスコフに告げた。

アヴァクムはただちに神に祈った。「彼らのうちのひとりたりとも、二度と生きて戻りませんよ
うに。悪魔の元にお送りください!」。

その後、イェレミヤはただ一人の仲間とともに帰還し、残りの者たちは全員虐殺された、
と伝えた。当然ながらパスコフはアヴァクムを非難し、息子の取り成しがなければその場で彼を殺
すところだった。アヴァクムは1682年に火刑に処せられた。

シャーマンに対する彼の態度は、その後も2世紀半にわたって探検家たちに受け継がれることに
なる。「時を越えるシャーマン」(2001)という論文集の中で、ジェレミー・ナーバイとフランシス・ハクスリ
ーは18世紀の探検家や合理主義の言葉を数多く引用しているが、彼らは一致してシャーマンを
ペテン師、手品師と見なしている。
69,:2008/07/27(日) 08:51:57 ID:sYVGVhaR
70,:2008/07/27(日) 08:54:48 ID:sYVGVhaR

実際には、シャーマンは基本的には治療師だった。アフリカのシャーマンを指す「呪術医」という名称は
伊達ではない――シャーマンは医師なのだ。だが、シャーマンと西洋の医師の主たる違いは、その修
行にある。西洋の医師は4年間、医大に通い、ローマの医師ガレノスが集大成した知識の最新版
を学ぶ。だがシャーマンの修行はむしろ、自らを鞭打ったり、断食をしたり、板の上で眠ったり
した、中世の苦行僧のそれに似ている。さらに、彼は自らシャーマンになることを「選ぶ」ので
はない。彼は聖霊によって選ばれるのであり、もしもこの召命を拒めば命を失うことにな
るのだ。

彼が果たさねばならない苦行は恐るべきものだ。まず始めに、普通の人生に対する欲求の
すべてを捨て去る。不孝のどん底に陥り、家を捨てて放浪者となる。物質的幸福には無関
心になる。名著「シャーマニズム」の中で、ミルチア・エリアーデはチリのアローケニア人の魚師の娘の言葉を引
用している。「浅瀬で貝を集めていたときです。胸を殴られたような感じがしました。それ
から、私の中で凄くはっきりとした言葉が聞こえたんです。「マチになれ!それが私の意志
だ!」。同時に、激しい腹痛がして、私は意識を失いました。私の中に入ったのは、間違え
なく、人間の主であるゲンチェンでした」。

それからエリアーデは、長期にわたる失神の発作と昏睡状態について話を進める。手足を切断
することで、仮想的な死を体験する儀式もある。参入者は瀕死になるまで飢えさせられた
り、冷凍寸前まで寒さの中に放置されたりする。人類学者ヴァルデマール・ボゴラスによれば、こ
の期間は長期にわたる重病に比せられるという。その状態から回復することができれば「霊
感」が降り、太鼓を打って歌う技が身につくのだ。

1930年、クヌート・ラスムッセンはエスキモーのシャーマンから聞いた話を書き残した。「シャーマンになるとき、
人間にとってこの上なく危険な2つのことを体験した。飢えと寒さだ。まず5日間断食を
して、それから湯を1口飲んた、、、それからさらに15日間断食をして、一口の湯を与え
られた。その後、また10日間の断食が続いた、、、」。

「このような「知識探求」の日々は実に骨の折れるものだ。なぜならその間は、ずっと歩
き続けなければならない。天候もお構いなしにだ。休むのはほんのひと時だけだ」

このような苦痛と苦行は、中世の苦行僧の場合と同様古い自己とその習慣のすべてを捨て、
グルジェフの言う「エッセンス」を獲得するためのものだ。それは鍛鋼のような、不動のリアリティだ。
71,ミジンコ:2008/07/27(日) 09:08:10 ID:sYVGVhaR
72,:2008/07/27(日) 09:11:43 ID:sYVGVhaR

だからシャーマニズムでは、聖霊の存在をまったく当然のこととして受け入れる。この点におい
て、彼らの姿勢はほとんどの西洋人のそれとは異なっている。西洋人の場合、「霊」(すな
わち幽霊)の存在を信じる人も信じない人もいるが、いずれにせよそれが自分自身の存在
の基盤となることはない。一方シャーマンは、単に聖霊の存在を信じているというだけではない
――彼らは実際にそれを見、それと話すのだ。それは空想でもなければ、自己欺瞞でもな
い。彼らに言わせれば、われわれの西洋的なリアリティこそ修正の必要があるのだ。

「時を越えるシャーマン」のような論文集を読み、シャーマニズムに対する西洋人の態度の変化を研究
して驚くのは、初期の人類学者たちのあまりにドグマ的・懐疑的な態度だ。

1880年代後半に、英領ギアナマクシ族の中で暮らしたエヴェラルド・F・イム・トゥルンの記録があ
る。地元のシャーマン(ペアイマンと呼ばれる)が魔術で熱病を治療しようと申し出たところ、トゥルン
は喜んで承諾した。日没後、彼はペアイマンの家を訪ねた。大きな家だが、壁も煙突もなかっ
た。大勢の人がこの治療を見るために詰かけていた。まったくの暗闇の中でトゥルンはハンモックに
横になった。マクン族の少年が、隣のハンモックで通訳に当たった。

そしてシャーマンは、一連の「信じがたい、恐ろしい怒鳴り声、うなり声、叫び声を上げ始めた。
それは家中に満ち、家屋全体を揺さぶり、時にはリズミカルに轟き、また時には遠くから聞こ
える低いつぶやきとなり、それが6時間の間、途切れることなく続いた。問いかけが響い
たかと思うと、それに対する返答が怒鳴り返された、、、」。

「ときおり、その狂騒の中に別の音が混じる。それは最初は低く、判然としない音で、そ
れから次第に音量が上がった。まるで、羽のある大きなものが遠くからこの家にやってき
た、天上を通り抜け、床の上にずっしりと腰を据えたかのようだった。それから、しばら
くした後に、その羽のあるものが飛び上がり来た時と同様に去って行ったような感じがし
た。この謎のものがやってきては去っていくたびに、その空気が、その羽根であおがれた
かのように、私の頭にかかった。やってきて、また去っていくのはケナイマ(悪霊)だった」

「いずれの場合も、その鳴き声は始めは何となく遥か遠くから聞こえたが、どんどん大き
くなっていって、家の床に着地すると、最大になる。最初にすることは、床に置かれたヒョウ
タンから、仰々しい音で、タバコ水をぴちゃぴちゃと飲むことだった。だがそれが飲んでいる
間、ペアイマンは叫び続けており、ケナイマは返事をする準備ができる。それぞれのケナイマは自分の
名を告げ、それから私を苦しめないことを約束して、がさがさ音を立てて飛び去っていく。
彼らは虎や鹿、猿、鳥、亀、蛇、アカウォイ族やアレクナ族の姿で現れた、、、」
73,:2008/07/27(日) 09:17:53 ID:sYVGVhaR

その後、信じがたいことに、トゥルンは次のように言う、「実に巧みな腹話術と演技だった。恐
ろしい音のすべては、ベアイマンの喉から生じたものだ。あるいは、たぶんその一部は彼の妻
からだろう。悪霊が床に降りた時に聞こえた音は、後から気づいたのだが、葉のついた技
を巧みに振り、地面に叩きつける音だった、、、、一度、多分偶然だが、その枝が私の顔に触
れた。それが枝だと気づいたのはそのときだ。私はその枝の一部に歯で噛み付いたのだ。」

トゥランは半トランス状態になり、目覚めたときも頭痛は続いていた。彼はシャーマンに謝礼として4ペ
ンスの鏡を与えたが、すべてはペテンであったと信じていた。ペアイマンの声が遠くから聞こえ
たり、天井を通り抜けたりしたカラクリについて彼がどのように考えているかははっきりしな
い。どうやら彼は、腹話術とは「声を投影する」技術だと考えているらしい。そして――
プロの腹話術氏なら誰でも認めるだろうが――腹話術が声が人形の口から出ているという
観客に錯覚させる技なのだから、明るいところで演じなければ意味がないということには
気づいていないようだ。

1870年代にシベリア流刑となったヴェンツェスラス・シエロシェフスキーは、このような疑いは抱かなかっ
た。ヤクト族のシャーマンに関する彼の話はまったく肯定的で、彼らを「自由なる野生の魂」と呼
んでいる。

同じくシベリア流刑者であるヴァルデマール・ボゴラスも、やはり、シャーマニズムを肯定的にとらえた。
彼によれば、聖霊の「召命」に従う決意が遅い場合、彼らはしばしば当人の前に姿を現し
てその理由を尋ねるという。ボゴラスによれば、若者がそれに従わないことはしょっちゅう
ある。「「霊感を運命づけられた」若者の親たちの反応はさまざまである、、、、子供に下ろさ
れた召命に反抗し、「聖霊」の要求を退けて普通の生活をするように説得する場合もある。
これは、それがひとりっこの場合に起こる。シャーマンの召命、特にその初期の苦行における危
険を恐れてのことだ。とはいうものの、親の反対は何の役にも立たない。「聖霊」を拒絶す
ることは、その召命を受け入れるよりも遥かに危険だからだ。召命を邪魔された若者は病
気になって早死にするか、聖霊の導くままに家を捨てて、妨害されることなく召命に従う
場所まで出奔することになる」。
74,:2008/07/27(日) 09:23:13 ID:sYVGVhaR

さらに、彼の知るシャーマンのほとんどは師を持たず、独力でその力を獲得したという。また、
シャーマンの力は世襲でもない。この点で、それは「魔女」の力とは異なっている。「魔女」の
力は子孫に継承されたり、弟子に教えることも出来るからだ。とはいうものの、だからと
いってシャーマンの家系がないというわけではなく、シャーマンの息子がシャーマンになることもある。だ
がその場合でも、師となるのはあくまでも聖霊であって、父ではないのだ。

シャーマンの招霊に用いる最も基本的な道具は太鼓だ。それは精神の状態を、聖霊との交感が可
能な状態に導くらしい。オガラ・スー族のシャーマンであるブラック・エルクは、人類学者のジョン・G・ニー
ハルトに次のように語った。「4度叫ぶ、「ヘイ・アー・アー・ヘイ」。(世界の聖霊)に呼びかけながら、
太鼓を打つ。これをしていると、力が脚のほうから上がってくるのが感じられる。こうし
て病気の子供を助けることが出来るようになったのがわかる」。

ノース・ネヴァダの北パイウーテ族の中で暮らしたアメリカの人類学者ウィラード・Z・パークは、シャーマニズムの
もうひとつの側面を強調している―獲物を魅惑する力だ。見張り役が獲物の群れの位置を
突き止める(シャーマン自身が夢で突き止めることもある)と、柵が作られる。そしてシャーマンは
「魅惑の儀式」を執り行う。全員が踊りに加わり、それは一晩中続くこともある。そして
シャーマンは、アンテロープの聖霊の導きの下に、トランス状態に入ってアンテロープの歌を歌う。そして男た
ち、女たち、さらに子供たちまでが、アンテロープの追跡に加わる。その目的は、動物を柵に追
い込むことだ。

「時を越えるシャーマン」に収録された諸論文は、実に興味深い発展の跡を示している。シャーマン
に対する完全な懐疑主義に始まって、バークのような人類学者による客観的な観察を経由し、
最終的にはより深く関与する姿勢にいたるのだ。初期の学者なら、非科学的だと一蹴して
いたような姿勢である。

シャーマニズムが突如として広く世に知られるようになったのは1957年。R・ゴードン・ワッソンと
いうアメリカ人が、メキシコのシャーマンとともにマジック・マッシュルームを摂取した体験を体験を「ライフ」
誌に発表したときだ。

敷物に座ったワッソンと友人が見守る前で、マリア・サビナという女シャーマンは、樹脂香の煙の向こう
で、20人くらいの人にキノコを準備し、分け与えた。それを食べると、ヴィジョンが始まった。
75,:2008/07/27(日) 09:34:37 ID:sYVGVhaR

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%A5%B3  魔女

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%82%A6 アンテロープ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AC%E5%96%9A%E9%AD%94%E8%A1%93 招霊

シベリアのシャーマンは、彼らの大事な太鼓を手にもち、それを打ち鳴らすことで意識を完成させる。

76,:2008/07/27(日) 09:36:15 ID:sYVGVhaR
「鮮明な色で、常に快いものだった。まず、芸術的なモチーフで始まった。絨毯や壁紙のよう
な四角い形、、、、続いて、方庭ときょう廊、庭園を備えた宮殿が現れた――宝石に飾ら
れた華麗な宮殿だ。王の戦車を牽く神話の獣。それから、家の壁が消えたようになって、私の
霊は飛び上がり、気がつくと空中を漂いながら山々を見下ろしていた。ラクダの隊商がゆ
っくりと斜面を進んでいた。山々は列を成して連なり、天まで届いていた」

そして彼は言う、「私はいま、本当にものを見ているのだと感じた。通常の視野は不完全な
ものでしかないのだ。私の見ていたのは元型であり、プラトンのイデアだった。それは日常生活
における不完全なイメージの基盤にあるものだ。ある考えが心をよぎった。この聖なるキノコこ
そ、古代の秘儀の背後にあった秘密なのか?北ヨーロッパのおとぎ話や民話の中で重要な役割
を果たしている空飛ぶ魔女は、私が今体験している奇跡の能力を持っていたのか?」

この記事を見たアメリカ人観光客が、メキシコに殺到した。退屈な日常から逃避し、ランボーの言う「合
理的な感覚攪乱」(「地獄の季節」)を体験したと言う人々だ。

マリア・サビナは、突如として自分が有名人になっているのを知った。門前にアメリカ人が列を成し、
神を見たいと懇願したからだ。メキシコのジャーナリストによるインタヴューに答えて、彼女は物憂げに言
う、「ワッソン以前には、神と会うためにキノコを食べる人など誰もいなかった。それは病気を治
すためのものだったのだ」。

だがいったん有名になってしまったものはどうしょうもなかった。地元の市長は、外国人
の集団の言うことを聞くように彼女に命じた。問題は、若いグルーピーが聖なるキノコをいつで
もどこでも摂取したことだ。実際にはそれを摂取するのは夜間と決められていたのである。
さらに、これらの外国人たちとの接触によって彼女自身の力も失われていった。

だが、マジック・マッシュルームはすでにブームとなり、時計を逆戻りさせることは誰にも出来なかっ
た。ブームの仕掛け人はオールダス・ハクスリーで、彼は、1954年、自らのメスカリン体験を綴った「近
くの扉」でキノコに言及した。ハーヴァードの教授であったティモシー・リアリーとリチャード・アルパートは、6
0年代初頭にこの言葉を撒き散らした。「意識を変える」と言う意味の「サイケデリック」と言う
言葉を作ったのは、リアリーの友人であるラルフ・メツナーだ。リアリーとアルバートはまもなく学会を去り、
リアリーは若者たちに「ターン・オン、チューン・イン、ドロップ・アウト(クスリをやれ、自己環境に同調せよ、
落伍せよ)」を説いたのだった。