魔術と超能力

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65獲物を狩るシャーマン儀礼、、、

コルドバによれば、アマワカ族は雌豚の頭を生める儀式によって、豚の群れを狩人のわなに導く
ことが出来たという。

フィラデルフィアの探検家ハリー・B・ライトの「呪術の証言」(1957)によれば、彼は西アフリカの
ダオメーで豹ののダンスを目撃した。太鼓の音と神官の詠唱に乗って裸の少女が踊っていると、
ライトの友人の現地人がたずねた、「ほら、女の子の横に2匹の豹、見える?」。ライトには何も
見えなかった。だが他の原住民は、豹の動きを目で追っているようだった。

それから、儀式もたけなわとなった頃、3頭の豹がジャングルから出てきて、広場を横切った。
ライトはそれが本物の豹だと確信した――たぶん、儀式の「想像上の」豹によって呼び出され
たのだろう。

やはり「アトランティスからスフィンクスへ」の中で、私はイギリスの植民地行政官サー・アーサー・グリンプルの話
を紹介した。彼はギルバート島のシャーマンがトランスに入るところを目撃した(「島々の生活」1
957)。すると、どういうわけか何十頭ものネズミイルカが岸に泳いできて、浜に乗り上げ、
原住民のご馳走となったのだ。シャーマンは自分の霊が肉体を離れ、ネズミイルカを岸に導いたのだ
と述べた。
66白からす黒ひつじ:2008/07/20(日) 17:37:04 ID:vpnMTswQ


クロマニオン人の洞窟に描かれた壁面に、野生の皮を着たシャーマンの姿がある。これはかつては「原
始美術」と見なされていたが、現在の人類学者は、この壁画自体がシャーマンの儀式の一部であ
り、その目的は狩りの成功を確実にするものであったということに気づいた。われわれの
「文明化された」メンタリティーにとっては受け入れがたいことだが、このような儀式はほとんど
確実に成功したのだ。「夜明けの背後の夜明け」(1991)の中で、ジェフリー・アシュは人類学
者ミリアン・スターホークの言葉を引用している。

「野生生物の宝庫である肥沃なツンドラで、狩人の小集団が、自由に走り回るトナカイと雷鳴
のような野獣を追っていた。彼らは最も原始的な武器しか持って居なかったが、氏族の中
の才能あるものは、崖や穴に群れを「呼び寄せる」ことができた。少数の獣が、自らを犠
牲にしてその中に身を躍らせるのだ。この才能あるシャーマンは、自らを群れの精霊に同調させ、
それによって脈動する鼓動を認識することが出来る。それはすべての生命に浸透する二重
螺旋のダンスだ。存在の中に入り込む渦と、そこから出てくる渦と、、、」。

動物が自ら獲物として狩りに参加するという考えは奇妙ではあるが、すべてのシャーマンはこれ
を受け入れている。動物は自らを人間への犠牲として捧げるのだ――グリンプルのネズミイルカの
ように。これに対して人間は何かお返しをしなければならないと感じるがゆえに、壺一杯
の動物の血が捧げられ、祭壇の石に注がれるのである。ときには動物1頭が丸ごと捧げら
れることもある。与えもせずに取るだけの狩人は餓死するとされているのだ.

ここで明らかになりつつある状況は、われわれの西洋的な思考とはまったく懸け離れたも
のだ――だがそれは、大地に近い生活を営む原始的な民族の間には何処でも見られるもの
である。自然は生きているとか、ある場所は神聖であるとか、そのような場所に住む聖霊
に対しては敬意を払わなければならない、さもなくば彼らの不興を買うことになる、など
といった観念だ。

67白からす黒ひつじ:2008/07/20(日) 17:39:02 ID:vpnMTswQ

ジャケッタ・ホークスの「人間と太陽」(1962)で語られる物語にも、同じ基本的な洞察がある。
曰く、「旧石器時代の芸術に太陽の表現やそのシンボルが見られないのは、太陽が何の役割を
も果たしていなかったからではない。コンゴのピグミー族の間で行われている儀式は、このよ
うな憶測に対する反証となる(人類学者のレオ・)フロベニウスは、これらの有能かつ勇
敢な小さな狩人たちとともにジャングルを旅していた。夕刻が迫り、彼は新鮮な肉が食べたく
なった。白人は、アンテロープを捕まえてくれ、と同行者たちに頼んだ。彼らはこの馬鹿げた要
求に驚愕し、今日は狩りは出来ない、準備をしていないのだから、と説明した。そしてそ
の代わり、明日の朝狩りに出よう、と約束した。

フロベニウスは、彼らの言う準備とはどのようなものなのかを見たくなり、夜明け前に起きて、
その場所となる丘に隠れていた。パーティー内のピグミー全員、すなわち3人の男と1人の
女が現れた。程なくして彼らは地面の砂をならし、そこに何かを描いた。それから彼らは
待った――日の出とともに男の一人がその絵に矢を放った。同時に女は太陽に向かって両
腕を伸ばし、叫び声を上げた。男たちは全速力で森に入っていった。

フロベニウスがその場所にいってみると、描かれていたのはアンテロープの絵で、その首の部分に矢
が刺さっていた。その後、狩りの一団は、首に矢の刺さった立派なアンテロープを持ってきて戻
った。彼らはその毛の一房とヒョウタン一杯の血を採り、件の絵に塗りつけてから、消し去った」。
ジョセフ・キャンベルは言う、「ピグミーの儀式の最も重要な点は、それを夜明けに行うということ
だ。アンテロープの絵に日光が射した瞬間に、それを矢で射るのだ」。

私は「アトランティスからスフィンクスへ」でもこの一節を論じ、次のように述べた。

「この種の技術を使うクロマニオン人の狩人は、強力なライフルと照準器を使う現代のハンターと同じ様
な感覚であったことは想像に難くない。一方、ネアンデルタール人の古い魔術は、弓と矢のように
原始的なものに見えたに違いない」

「それゆえに私は、クロマニオン人こそが文明の始祖と考えている。この「魔術」の能力によっ
て、クロマニオン人は楽観と目的と支配の感覚を持つことが出来た.それは彼ら以前のいかなる動
物も所有したことのない感覚だった」

ばかばかしく思えるかもしれないが、人類に文明を傷か占めたのは、魔術のシャーマン的用法な
のだ。なぜなら魔術は科学となり、科学によって人間は支配者となったのだから。「アトランティ
スからスフィンクスへ」で論じたように、シャーマンはその、魔術的パワーによって祭司王となり、シュメール
やエジプトのような初期の文明の始祖となったのだ。