123 :
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、、、、 ハワイ古来の呪術フナ 、、、
1917年、一人のアメリカ学校教師がハワイに渡った。そこで彼はハワイ先住民の古い宗教である
「フナ」を学び始める。それは「カフナ」と呼ばれる神官に守られている。彼はその秘密が言
語にあることを見出した。
彼の名はマックス・フリーダム・ロング。後に「奇跡の背後にある秘密の科学」(1948)という驚
くべき著書で、その体験を綴ることになる。1890年に生まれ、UCLAを卒業後、政府の
役人の弟子の教育プログラムの一環としてハワイに渡った。辺鄙な渓谷に暮らしながら、彼は古
のフナの教えを学はじめた。白人のキリスト教権力によって禁じられていたのものだ。
ロングは博物館の官長であるウィリアム・タフツ・ブリガムと出会った。彼によれば、カフナは「死の祈り」
によって人を殺すことが出来るという。ロングはまた、祈りの勝負でカフナに挑んだキリスト教の聖
職者の話を聞いた。だが彼の信者がひとりまたひとりと奇妙な麻痺で死んでいき、聖職者
は狼狽した。そこで聖職者は誰かに頼んで死の祈りを教えてもらった。それから3日もし
ないうちに魔術師は死んだ。また、ある若者は自分の勇気を示すために禁断の神殿に入っ
たが、足が動かなくなってしまい、担ぎ出されることになった。そして結局はカフナに直して
もらったという。
正しい善が憎く思え
狡賢い悪が可愛く思える
即ち邪の手管
125 :
,:2008/10/15(水) 20:50:40 ID:wlUHfbZB
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E5%B7%9E%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 アメリカに戻った彼は、カフナの基本的な秘密は、その言語を通じて解き明かすことの出来るので
はないか、と思いついた。ハワイ語の単語は、より短い単語同士をくっつけて作られるので、
その宗教用語を見れば、重要な手がかりが得られるはずだ。彼は「霊」という単語を調べ、
それにあたる単語が2つあることを知った――「ウニピピリ」と「ウハネ」だ。そしれ彼は、キリス
ト教の宣教師が人間には二つの魂があると教えていることを思い出した。後にロングは知るこ
とになるが、フナ信者は実際には人間異は3つの魂があると信じている。ウニピピリとウハネの
ほかに、アウマクアと呼ばれるものがあるのだ。彼の理解によれば、ウニピピリとはフロイトの言う無
意識――人間の「低次の自己」もしくは「超意識」とでも呼ぶべきものだ。つまり、人間
は無意識のほかに超意識があり、それは日常的意識よりもはるかに上にある。
心霊研究家のF・H・マイヤーズもまた、その古典的著作「人間の人格とその死後生存」(1
906)の中で、同様の仮説を述べている。マイヤーズは、未知の力を駆使することの出来る
「自己」を、「意識下の自己」と呼んだ。1961年にマイヤーズの著作を復刊したオールダス・ハクスリー
は、その序文の中で次のように述べている。フロイトの言う無意識は地下室のようなもので、
その上に意識的自己があり、さらにその上に屋根裏部屋というべき超意識があるのだが、
われわれはそれを完全に無視している。この3つの「自己」は、フナの言う3つの自己の
対応しているようだ。フナによれば、低次の自己は太陽神経叢にいる。その目的はマナと呼
ばれる生命力を作ることだ。
マナという生命力は食物から作られ、その振動率が上がると、上位二つの自己によって使
われる。
低次の自己は中間の自己の下僕であるが、」しばしばその制御を無視し、反抗する。わが道
を行くのが好きなのだ。甘やかされた子供のように、粗暴で感情的だ。中間の自己(すな
わち「われわれ」)は、低次の自己を躾、引き上げなければならない。だがわががま勝手な
人はしばしば、自分がそのレベルまで降りていく。低次の自己のわががまを放置している人
は、自ら災いを溜め込んでいるのだ。これはほとんどの犯罪(特に性犯罪)に見ることが
できる。
126 :
,:2008/10/19(日) 21:38:21 ID:kqgg9Cv/
127 :
,:2008/10/19(日) 22:14:18 ID:kqgg9Cv/
精神の病いと奇怪な現象との関係 [メンタルヘルス]
正攻法で立ち上げる現代の正規の精神医療スレッド [メンヘルサロン]
世界史に記されている超常現象 [世界史]
、、、、、、つながるな、、、、、。
低位、中位、高位の自己、、、、。
128 :
,:2008/10/19(日) 22:15:59 ID:kqgg9Cv/
ロングが言うには、ジョージと接触し、会話することは可能だ。このような関係性をジョージと
の間に築き上げることができれば、高次の自己と実りある関係を作るうえでもはるかに有
利だ。高次の自己は、すでに見たように、未来を見ることができる。J・W・ダンが「時間
の実験」(1927)で書いている未来予知に関係しているのは多分この人格だ。
プリガム博士によれば、カフナもまた未来を見て、それをクライアントのために変えることが出来る。
だがそれが可能なのは、クライアントが低次の自己に支配されていない場合だけだ。なぜなら低
次の自己は気まぐれで、目的や対象をころころ変えていくからだ。ロングは言う。「このメカニズ
ムの作用秩序については明らかではない。というのもそれは次の意識の高次のレベルに属する
からだ。だがカフナは「種子」と呼ばれる状態について語っている。アウマクア(高次の自己)は
これを取り、育てることで未来の出来事や状況を作る」
「カフナによれば、各人にとって重要なのは、頻繁に休憩を取り、自分の人生について考え、
自分のやりたいことや起こって欲しいことなどを正確な言葉で決定することだという。普
通の人は低次の自己に実権を握らせすぎていて、ゆえに極めて危険な状態にあるという。
というのも、低次の自己は動物界に所属しており、そこではものごとは非論理的に、偶然
に起こるものだからだ。低次の自己のガイドたる中間の自己の仕事は、その帰納的推論の能
力と(低次の自己を統制する)意思の力を用いて、人生の責務に関する計画を立て、その
計画に従って適切な努力がはらわれるように監督することである」
さらにロングは言う、「かつてカフナの魔術の大半は、クライアントに待ち受ける未来を実現させるも
のは何かを見極め、未来を寄り好ましいものにする変化を起こすことだった」。
129 :
,:2008/10/19(日) 22:22:38 ID:kqgg9Cv/
ロングは実際にカフナの魔術師――女性だが――の力を借りたことがある。大恐慌の最中の1932
年、彼が経営していたカメラ屋が倒産の危機に瀕したのだ。彼女によれば、まず重要なのは自
分お望みをはっきり視覚化することだった。次に高次の自己に対する祈りの方法を教わっ
た。それをますます確固たるものにするためだ。彼女の助言により、ロングはカメラ屋を満足す
べき値段で売却することが出来た。最後に彼女は、ロングは8冊の本を書くことになると予
言したが、まさにそのとおりになった。
このような体験を経て、ロングはフナというものはもともと何処から来たのか、そしてそのよ
うな魔術は他の場所では知られていないのか、というようなことを知りたくなった。だが
それは簡単なことではなかった。「死の祈り」への恐怖のためだ。死の祈りをかけられると、
まず始めに足が動かなくなり、次に脚部が麻痺し、それから麻痺は徐々に上に広がってい
って、ついには死ぬ。
プリガム博士は、彼と一緒にマウナ・ロワ山に登ったハワイ人の少年の話をした。植物採集のためだ
ったのだが、半分ほど上ったところで少年は足が麻痺し、次に脚部が麻痺した。一行の中
にいたほかのハワイ人たちは、彼が死の祈りをかけられたのだ、と断言した。本当かとたずね
ると、少年は答えた、白人とかかわってはならないと村の老カフナがお触れを出した、この禁
を犯したものは死ぬと。
一行の中にいた老人が、死の祈りを跳ね返してくれとブリガムに頼んだ――彼もまた魔術
師と見なされていたのだ。ブリガムは自分には魔術的な力などまったくないと確信していた
が、結局承諾せざるを得なかった。彼は、カフナの命令を実行しているのは死霊――死によっ
て分離された「低次の自己」であることを知っていた。だがこれらの霊は言うことをよく
聞くのだ。
プリガムは倒れた少年の上に立ち、霊たちとの話し合いを試みた。君たちは善良で知的な霊
だ、その君たちがカフナの奴隷にされているのは実に残念だ、と。君たちの本当の運命は天国
へ行くことだったのに、この少年を殺したりすれば、悪人の意志に従属することになって
しまう、と。これを聞いていたハワイ人たちは泣き出した。プリガムの話に感動したのだ。
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,:2008/10/19(日) 22:31:48 ID:kqgg9Cv/
最後に、プリガムは霊に命じた、帰ってカフナを襲え、と。長い沈黙の後に、ブリガムはその場の
空気に充ち満ちていた緊張がすべて解けたように感じた。その瞬間、少年は脚を動かすこ
とが出来るようになった。それから間もなく、プリガムが少年の村を訪ねると、件のカフナは死
んだと聞かされた――しかも、ブリガムが霊を説得した後の日の夜にだ。カフナはいきなり悲鳴
を上げて目を覚まし、霊は追い払おうとしたが、わが身を防御することが出来なかった。
朝になるまでに彼は息絶えていた。
ロングがカフナの教義や死の祈りについて学ぶのを躊躇した理由はこれかもしれない。ロングはま
た、前述したように、虚勢を張った少年が森の中の「禁断」の神殿に脚を踏み入れ、腰か
ら下が麻痺してしまったという話を紹介している。カフナの神官が呼ばれ、彼の「呪い」を解
いたのだった。
この話を読んでしばらくしたところ、私はフランスのエジプト学者クリスチャン・ジャックの書いた小説「闇
の帝国」(2003)と出会い、突然の洞察を得た。これは「自由の女王」シリーズ三部作の1
作目で、テーベの女王アアヘテプの物語だ。彼女は紀元前17世紀、「牧羊者の王」ヒュクソスと呼ばれ
る異国の侵略者に対する叛乱を率いた。
その第7章で、アアヘテプはアモン神官団の忠告を無視し、カルナックのムウト女神の神殿に入る。侵略者
との戦いに助力を乞うまめだ。ジャックは言う――「そう、確かにこの神殿は鮮烈な生命を持
っていた、、、、神殿それ自体が力を放出していたのだ、、、、」。だが死を覚悟しながらも、彼
女は雌ライオンの姿をした女神像のある聖域に入った。大声で祈ったが、「返って来たのは静寂
だけだった。だがそれは何もないがゆえの静寂ではなかった。アアヘテブは魂に語りかけるよ
うな風景と同じ、何らかの存在を感じたからだ、、、、」。だがアアヘデブが女神像から力の宝し
ゃくを取ろうとすると、それは彼女の手を焼き、彼女は意識を失った。
神殿が生命を持っていた、という一文を読んだとき、私は突如として、それは文字通りの
意味であり、エドフの神殿でエミル・シェイカーが言っていたのもまさにこのことだ、とわかったの
だ。これらの神殿は、現実の力を持っている。ハワイの神殿に入った少年を打ち倒したのと同
じ力だ。これは未開人の迷信などではない。ハーナーとナーバイが南アメリカでその存在に気づいた、
「不可視のもの」の力と同じものなのだ。
私は生まれて初めて、古代エジプトの宗教を理解したように感じた。
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,:2008/10/19(日) 22:41:17 ID:kqgg9Cv/