真尋があまりにもつれないのでニャル子が可哀想におもえて投下。
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ピピピ! ピピピ!
「…ん…あ…あれ…」
八坂真尋は珍しく、目覚まし時計のアラームで目覚めた。
いつもならシャンタク鳥のシャンタッ君の顔舐めか、ニャルラトホテプ星人のニャル子の夜這いならぬ朝這い未遂か、
もしくはクトゥグア星人のクー子とニャル子のけたたましい声で目が覚めるのが通例なのだが、今日に限っては八坂真尋は
目覚ましで平和に目を覚ますことができた。
「…くっ…ふああああ」
真尋は大きく伸びをする。
「……平和だなあ」
窓の外の鳥の鳴き声。表を走る朝刊配達のバイクの音。いつにない静かな朝に真尋は安らぎと、どことない寂しさを感じる。
「いや、寂しくなんかないぞ」
地の分にツッコミを入れながら真尋はパジャマを脱ぎ、身支度を整える。
「それにしても今日はみんなやけに静かだな」
そう思いながら真尋は階段を降りる。
台所には母親の頼子しかいない。
「おはよう母さん。ニャル子たちは?」
何気なくそう問いかけた真尋に、意外な答えが返ってきた。
「おはようヒロくん…なんですって?」
そんな母親の声に戸惑いつつも真尋は重ねて尋ねる。
「あ、いや、ニャル子たちはまだ寝てるの?」
「にゃるこ…ってなんのことかしら?」
歳に似合わぬかわいらしい首の傾げ方の母親に真尋は言う。
「いや、だからニャル子だよ…母さん、…え?」
まったく意味がわからない、という母親の表情に真尋は心の底に冷たいものを感じる。
まさか。
「ニャル子だよ!ニャルラトホテプの!クトゥグアのクー子と、ハスターのハス太たちのことだよ!」
そんな真尋の声に、母親は心配そうに見つめ返してくる。
「みんなって?
ニャル子…さん?それって、だれの事?」
まさか。
真尋は階段を駆け上がる。
廊下を走り、ニャル子たちの部屋のドアの前に――物置のドアは、ただの物置のドアだった。
そこを開けてもただの物置で。
普段ニャル子たちがいる亜空間の部屋なんてのはそもそも存在しなかったかのように、そこにはただのガラクタが
詰め込まれていた。
嘘。
嘘だ。
悪い夢だ。
いや、なにが夢なのかわからない。
これが夢なのか、それともニャル子のことがすべて夢なのか。
「母さん、今日はご飯いらない。学校行くよ」
心配そうな母親の目から逃れるように真尋は家を出る。
早足で。駆け足で。
全力疾走で学校に向かう。学校に行けば。もしかしたら。
「え? 転校生? うちのクラスどころか学校全体でも転校生なんていないけど?」
暮井珠緒はそんなことを言う。
「八坂君、どうかしたのかい?」
余市健彦が心配そうに言ってくる。
「嘘…だろ…」
真尋は心のどこかで判っていた。
どちらがより非現実的なのかということが。
ニャルラトホテプ星人の女の子が普通の高校生の自分のところにやってくるのが現実的にありえることなのか。
その可愛くてうるさくて卑怯で最強な女の子が自分を好いてくれるのが現実なのか、
それともそんな女の子なんか存在しないこの世界が本物なのか。
「ごめん…僕、体調が悪いから早退する…」
返事を聞かずに真尋は教室を飛び出す。
そして行く当てもないまま走る。
この現実世界にはニャル子がいない。ニャルラトホテプ星人なんかいない。
常識的なそんな事実が真尋を苛む。
『真尋さん』
そんな可愛い声の生き物なんて存在しない。
『さあ!二人で愛の結晶を作りましょう真尋さん!!』
そう言いながら裸エプロンで迫ってくる美少女なんてものは幻だ。
当たり前だ。
なのに、なんでこんなに欠けているんだろう。
なぜこんなに胸の中が空っぽになってしまったような苦しみを感じなきゃいけないんだろう。
自分の大切なものが存在しない。
内臓がいくつか消えてしまったような喪失感。
ニャルラトホテプ星人なんかいないのが当たり前のはずなのに。
真尋は当て所も無く走った。
こんな世界はイヤだ。ニャル子がいない世界なんかイヤだ。
そう思いながら走る。
どこを走っても、どの角を曲がってもニャル子はいない。
真尋は世界のすべてが灰色のモノトーンの世界になったかのような感覚に陥る。
走りつかれた真尋はひざをつく。ここはいつかニャル子と来たことのある公園で。
「ニャル子…ニャル子っ……ニャル子ォッ!!!!!!」
真尋は叫んだ。
誰もいない公園にその叫びが空しく響く。
「真尋さん、やっぱり私がいないと寂しいですか?」
ぐふふふふ、というようなくぐもった笑い声。
真尋は目を覚ました。
ベッドの上。目に映るのは自分の部屋の天井。
そして枕元から覗き込むようにして微笑んでいるのはニャルラトホテプ星人のニャル子。
ベッドの中の真尋の顔を覆い被さるように覗き込んでいるのは這いよる混沌こと、
宇宙的犯罪組織から真尋を守ってくれている宇宙公務員のニャル子だった。
口をωの形にしたニャル子が愉快そうな顔で真尋のことを覗き込んでいるのを真尋の目は捉えた。
喪失感が一瞬にして埋まる。
ニャルラトホテプ星人のニャル子。
自分のことを好きだとくどいほどに言ってくるニャル子。
そんなニャル子が確かに存在した。
「夢…?」
ニャル子がいない世界。それは夢だったのだ。
安堵の暖かい波が真尋の胸の中を満たす。
そして、それと同時に生まれてくるのは怒りだった。
毛布をはねのけ、上半身を起き上がらせた真尋の体が勝手に動く。
そして高らかな乾いた音が真尋の部屋に響いた。
ニャル子は呆然としている。
フォーク攻撃ならば何度も受けているので慣れている。むしろその刺突の一つ一つが快感ですらある。
しかし、今受けた痛みはそれまでのものとは違っていた。
熱い。頬が焼けるように熱い。
それは頬を真尋に全力で叩かれたのだ、ということを数瞬の後にニャル子は理解した。
痛みと熱さと、生の怒りを直接ぶつけられた困惑でニャル子は呆然としていた。
そんなニャル子の身体を熱いものが抱きしめた。
困惑しきった這い寄る混沌は何が起こったのかすぐにはわからない。
真尋が。
八坂真尋が。
全宇宙の中で一番愛しくて、一番大切で、一番大好きな男の子。
その男の子が自分を抱きしめていてくれてる、ということに気づいたニャル子は瞬時に脳がスパークする。
「なっ、にゃっ、ま、ま、ままままま真尋さん!?」
その腕の力強さに胸の奥がキュンとなる。
「くそっ…とんでもない夢、みせやがって」
ニャル子の耳元で真尋は囁くように言う。
「あんな夢…」
その真尋の声は苦しそうで。
「お前が…お前らが、いなくて…どこ探してもいなくて…勝手にいなくなっちまいやがって…」
震える声。
「お前、可愛くて、柔らかくて、いい匂いして……僕がどんだけ我慢してると思ってんだ」
「が、我慢なんて、してくださらなくてもいいのに」
「僕はお前のこと、好きにならないように努力してたんだ。
好きになっても、お前はきっと、現れたときみたいに突然いなくなっちゃうから」
搾り出すような真尋の声。その声にニャル子は身動きひとつできない。
「ニャル子を好きになっちゃったら、きっといつか悲しい思いをするから…」
でも。
真尋は叫ぶ。
「でも、ダメなんだ。お前がいないともう、僕はダメなんだ。だから――」
真尋はニャル子を抱きしめた腕に力をこめた。
「……二度と僕の前から、勝手にいなくなったりするな」
半ば涙声まじりの真尋に、ニャル子は実感する。
自分の悪戯がどんな結果を招いたかを。
愛する人の心をどれだけ傷つけたかを。
ほんの悪戯気分で幻夢境を使って「自分たちのいない世界」という夢を真尋にみせてみたのはひとえに
真尋の気持ちを知りたかったから。自分がいなくなったら真尋はどうするだろうかという疑問と、
真尋に必要だと思われたいという気持ちがその悪戯をさせた。
「真尋さん…ごめんなさい」
ニャル子の瞳から涙があふれ出る。
好きだから。好きなあまりに。自分がした悪戯が大好きな人を傷つけてしまった。
涙でグジュグジュの声で、ただニャル子は真尋に謝り続ける。
「ごめんなさい…真尋さん、ごめんなさい…」
真尋の腕がニャル子の細身の身体をきつく抱きしめている。
ニャル子は言葉がうまく出てこない。
いつものニャル子ならいくらでも言葉が出てきた筈。
『さあ子供を作りましょう真尋さんの遺伝子をください野球チームが作れるくらい愛の結晶をたくさん産ませてくださいね』
普段ならほいほいとニャル子の口からでてくるそんな言葉は言葉にならない。
大好きな男の子に抱きしめられると言う幸福。
体の一番奥底から湧き出てくる至福の本流に這いよる混沌(おとめ)は抵抗できない。
ただ荒く浅い息を重ね、「真尋さん…真尋さん…」と切ない声を漏らすことしかできないでいる。
ニャル子の心臓は胸郭の中で激しく暴れ回り、顔は火を吹きそうなくらい熱くなっている。
背筋を駆け上がってくる気持ちよさでニャル子の運動神経は迷走している。
身体がうまく動かせない。
必死に真尋の背中に回す手のひらの握力がまるでない。
名状しがたいバールを超音速で振り回しても平気なニャル子の手が、今はまるで赤ん坊のそれのように力を失っている。
「真尋さん…」
涙を溜めた瞳で微笑みながら、ニャル子は真尋に囁く。
ニャル子はもっとたくさんの言葉を言いたかった。
『大好きです愛してます真尋さんの子供を産みたいです好きなように蹂躙してください私の邪神(おとめ)の純潔を散らしてください』
でも、そんな言葉はひとかけらもニャル子の口からは出てこない。
もどかしくて、切なくて、幸せで、嬉しくて。
裸で抱きついて一緒の湯船に入ったときよりもずっと嬉しい。
だから恋する混沌(おとめ)ニャルラトホテプはただひとつの言葉しかいえない。
「キス、してください」
潤んだ瞳でまっすぐに見つめられ、その紅潮した頬と真っ赤な耳は真尋の中の何かを突き崩した。
ニャル子はとてもいいにおいがする。
お日様にたっぷり当たった布団のような。
甘い綿菓子のような。
嗅いでいるだけで幸せになれそうな、可愛くて小さな女の子の匂いがする。
火照っているすべすべの頬に手を当てる。
手のひらから伝わってくるニャル子の体温。
ニャル子を初めて見たときのことを真尋は思い出していた。
自信満々で胸を張りながらコイツは現れた。
高らかにその形の良い胸を張り、唇からは真っ赤な嘘をちりばめて。
それは現実なのか夢なのかあいまいな光景で。
昼間のことだったが、周囲は夜になってしまったそんな光景のなか、誇らしげなニャル子の表情は
真尋のなかの一番大事なところに保管されている。
こんな気持ちがあるということをニャル子は教えてくれた。
ニャル子が嬉しそうに笑うと真尋は心の底から嬉しくなる。
自分のことは判っていたつもりだった。
でも、その理解は間違っていた。
自分が女の子をこんなに好きになれるだなんて思ってなかった。
一人の女の子のことが好きで好きで、たまらない気持ちになれるだなんてことはニャル子が教えてくれた。
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真尋がデレたところで唐突に終わる。
続き書けたら書く