恥ずかしながら、初投稿です。
なかなか話が進まず、まだ序章といったところですが……
お手柔らかにお願いします。
残暑もようやく和らいだ九月下旬。台風一過で雲ひとつない青空の下、
庭の掃除に勤しむ少女。台風のおかげで大量に落ちた落ち葉を竹箒で集める
作業はかなり大変だ。そう暑くもないのに30分もしていると、次第に
汗ばんでくる。そういえば、去年の11月頃だっただろうか、落ち葉の山に
さつま芋を入れてみんなで焼き芋を焼いたのを思い出す。お昼ご飯までは
まだずいぶん時間があるのに食べ物のことを考えてしまうのは、育ち盛り故か。
落ち葉の山が出来ると、チェインバーの早苗様が近づいてくる。その涼やかな
表情には汗一つ浮かんでいない。
早苗「唯さん、この辺りの落ち葉は全部集められたようね。
そうしましたら、落ち葉をビニール袋に入れて焼却炉まで運びなさい。」
唯「分かりました。早苗様。」
両手をお腹の前で合わせて、肘の角度は45度にして、お辞儀は60度。
早苗「いいお辞儀ね。でも、竹箒はお辞儀する前に地面に置いてから。」
唯「はい。申し訳ありません。」
早苗様に指摘されて、慌てて竹箒を地面に置く。慌ててしまうと、
今度は竹箒を地面に置く仕草が見苦しくなってしまう。そうすると
また「申し訳ありません」と早苗様に謝るのだが、気持ちが焦って
しまうせいで、今度はお辞儀が崩れてしまう。
早苗「ふふ、いいのよ、そんなに恐縮しないで。でも、普段から意識して
いないと。いざご主人様の前に立った時、失礼があってはいけないでしょ。」
早苗様に優しく言われると、同性ながら頬がぽぉっとしてしまう。
それと同時に『ご主人様』という言葉を聞くと、それだけで胸が熱くなって
鼓動が高鳴ってしまうのだ。
早苗「それから、そこの落ち葉を焼却炉まで運んだら、ここはもう終わりに
していいわ。皐様がお呼びよ。」
今度こそきちんとお辞儀をしてから、仕事に戻ろうとすると、まだ早苗様の
話は終わっていなかった。『皐様がお呼びよ』という言葉に、はしたなくも
「えっ」と言葉を漏らしてしまう。静かに歩み去ろうとする早苗様の背中に
「早苗様っ」と声をかける。
唯「――お待ち下さい。皐様がお呼びとは……?私、何か粗相を致しました
でしょうか?」
早苗「私は、皐様のご用件までは伺っていないわ。ごめんなさい。」
早苗様は微笑を残して立ち去って行った。――皐様が、私に……何の用かしら。
唯が鎌倉市の郊外にあるこの屋敷にやって来たのは約一年半前のことだった。
高い塀に囲われた敷地の内側には庭と言うより森に近い木々が生い茂り、
ボートが浮かべられる池さえあった。門から木々の間の石畳の上を5分ほど
進むと、木々の抜けた先に二階建てのコの字形の洋館が建つ。
欧羅巴の小さなホテルを思わせるその建物は、戦前にとある財閥の当主が
建てたものであり、『本館』と呼ばれる。そして、本館の奥には渡り廊下で
繋がる平屋の日本家屋が建てられ、『離れ』と呼ばれる。本館と離れと
少し距離を置いたところには『寮』と呼ばれる三階建ての簡素な建物が
建っている。
この三つの建物には約80人の男女が住むんでいる。と言っても、男性はこの屋敷の
当主である桐原真ただ一人である。その他は全て女性であり、真に仕えるメイド達
であった。唯もその一人である。敷地内でメイド達は名字を名乗ることはなく、
ただ名で呼ばれる。メイドとして仕えるに至る理由は様々であるが、唯の場合は、
両親が真に援助を受けてその見返りとして差し出されたのであった。唯は中学卒業を
待ってから、期待と不安を胸に屋敷への門をくぐった。
最初はメイドとしての見習い期間で、トレーニーと呼ばれる。その期間は1〜2年
に及ぶ。ここで、メイドとしての礼儀作法や仕事、心構え、主人に対する忠誠を学ぶ。
また、徹底した食事制限や運動カリキュラムでメイドに相応しい体型を作り上げる。
トレーニーとして仕えるメイドは15〜19までの少女とされ、処女・非処女
は問われていない。このトレーニーとしての期間に、少女たちは篩にかけられ、
見込みのない者は暇を告げられる。
トレーニーの仕事は、屋敷の下働き全般であり主人の視界に入ることは許されない。
8年前、遥というトレーニーの少女が本館の中で迷ってしまい(広いと言っても
慣れれば迷うことはないのだが)、偶然真の目に止まり、トレーニーになってから
僅か半年でレディに取り立てられるということがあった。それ以来、そんなチャンス
を狙ってか、トレーニーの中には主人の目に留まろうと画策する者達も増え、
今では、故意にせよ過失にせよ、トレーニー期間に主人の目に触れた者は即刻
暇を出すという規則が作られることになった。
唯は、屋敷に来てから一年三ヵ月後、無事トレーニー期間を終了し、ウェイティング
となった。ウェイティングになって初めて正式なメイドと認められ、メイド服が支給
される。ウェイティングになると、一気に仕事が増える。トレーニー達と共に
下働きをするだけでなく、チェインバーやレディといった先輩メイド達の世話も
しなくてはならない。
さらに、メイドの本分である主人への奉仕の仕事もウェイティングになると
与えられることになる。まだ、自分から話しかけたり、目を合わせたりする
ことは許されないが、主人の視界に入ることは許される。ウェイティングに
任される仕事は、二つ。朝当番と入浴係である。
朝当番とは、ご主人様を起こす仕事である。真は普段離れで寝起きしている。
朝当番を命じられた者は6時半に離れに行き、カーテンを開け、天気によっては
窓を開けて新鮮な森の空気を部屋に入れる。レコードに針を落としてから、静かに
真の寝台の上に上がる。ここで真が起きてしまえば、朝当番の仕事は「おはよう
ございます、ご主人様」と挨拶をし、真にバスローブを着せて浴室に案内するまで
となる。真が起きなかった時は……真の性器に口で奉仕をすることが許される。
真はいつも裸で寝ており、下穿きを脱がせる必要はない。いや、朝当番の奉仕を
受けやすくするために、裸で寝ているのだ。真は性器に絡みつく舌と口腔の柔らかな
温かい感触で目を覚ます。真が「おはよう」と言ったら、朝当番はすぐに奉仕を
止めなくてはならない。真が黙っていれば奉仕を続けることが出来る。そして、
真を絶頂にまで導けば、精を飲むことが許される。これは朝当番を命じられた者に
とって最高の栄誉であり、ご褒美であった。唯は、ウェイティングになってから、
三ヶ月。朝当番は既に五回経験しているが、未だ精を飲ませてもらえたことは
なかった。同じ時期にウェイティングになったメイドが嬉しそうに、ご主人様の精を
飲ませて頂いたという話を聞くと「おめでとう」と微笑みながら言うものの、
心の中は複雑だった。しかし、嫉妬という感情はご主人様に仕えるメイドにとって、
もっとも忌むべき感情であり、唯はその感情を押し殺す。自分も次こそはと心に
誓っているが、まだ次の朝当番の日は決まっていなかった。
入浴係とは、言葉のとおり、真の入浴を担当する係である。真は屋敷にいる時は
毎日二度入浴する。浴室は離れにあり、朝担当の浴室係は真が起きる前から準備をして、
真が朝当番に案内されて浴室に来るのを待つ。ウェイティングが任されるのは
ほとんど朝の入浴である。二人一組で担当し、真の身体と髪を洗い、きれいに
肌を拭いて服を着せるまでが仕事だ。この時、ウェイティングのメイド達は
真の肌に直接触れ、身近に接することが出来るが、あくまでも冷静に仕事を
こなさなければならず、決して欲情してはならない。真の性器も丹念に洗うのは
当然であるが、射精にまで至らせる必要はない。むしろ、風呂場で真を射精させ
貴重な精を浴室に吐き出させることは、無作法とさえ言えた。入浴係の仕事は
職人的なテクニックを要し、訓練は欠かせないが、入浴係の訓練はウェイティング
になってから始まるため、唯はまだ訓練中の身であった。
ウェイティングの期間は1年から3年。文字通り、真に選ばれるのを待つ期間で
ある。真に選ばれると、レディと呼ばれる真の傍で仕えるメイドとなり、本館に
部屋が与えられる。現在のレディは10人。約80人のメイド達の中から選びぬかれた
美姫達だった。彼女達は、ウェイティングの期間中に主人に見初められ、レディ
として選ばれる。その瞬間から、本館に移り、全ての下働きから解放され
真の身の回りの世話に専念することになる。すなわち、もっとも近くで奉仕する者で
あり、夜伽もほとんどレディ達の中から指名される。
チェインバーは自ら志願、あるいはキーパーに薦められて就くことになる。
ウェイティング期間が1年を過ぎ、2年が過ぎ、自分より後にウェイティングに
なったメイドがレディになると、ウェイティングのメイド達は次第に自分は
レディには選ばれないのではないかという不安に襲われる。たとえレディに
なれなくても、メイドとして主人に仕えることの喜びに変わりはない。
ウェイティングの期間が長くなればなる程、メイドとしての技量は上がり、
屋敷にとっては必要な人材になっていく。そうするとウェイティングとしての
下働きやレディの世話などに時間を費やすことは人材活用の点から非効率となる。
そこで、これらの仕事を免除し、トレーニーやウェティングの指導・教育、
自分の得意分野を活かした仕事に特化して主人のために働くのがチェインバーである。
チェインバーになると、寮内に個室が与えられ、トレーニーやウェイティングからは
レディと同じく『様』付けで呼ばれることになる。また、真に直接接する機会も
多いことから、夜伽や夜の入浴係として指名されることも稀にあり、さらには、
これまで二例しかないが、チェインバーになってからレディに指名されることも
ないではない。
現在、屋敷には、10人のレディ、18人のチェインバー、31人のウェイティング、
23人のトレーニーがいる。平均年齢は、22.7才。その全てが自らの主人であり
屋敷の当主である桐原真を尊敬し、深く慕ってした。10人のレディ達の年齢は
一番上が34才、一番下が18才である。そして、レディのうちの一人はキーパーと
呼ばれ、82人のメイド達の指導監督にあたっている。その人物こそが唯を呼び出した
皐であった。
皐は、34才。この屋敷に来て真に仕えるようになってから17年。今となっては
数少ない真が屋敷の当主になった時に集められた最初のメイド達の一人である。
5年前に四代目のキーパーとなった皐は、チェインバーからレディになった二例の
うちの一人でもある。この五年間で屋敷の運営方法を改革し、メイド達の教育や管理も
より効率的かつ合理的なものへと変化させた。それまで曖昧だった休暇についても
制度化し、退職金制度も充実させた。労働条件の改善に尽くしながらも、主人に仕える
というメイドの本分については、些かの妥協も許さなかった。先に挙げたトレーニー
期間中における主人の視界に入らないようにすることの徹底もその一つである。
これにより、トレーニー達は誰かが抜け駆けするんじゃないかという疑心暗鬼に
捉われることなくメイドとしての仕事の習得に専念することが出来るようになった。
その一方で視界に入ったら即暇を与えるという罰については、よく事情を聞いた上で、
それが本当に不可抗力であれば、ごく軽い罰で済ませた。このように厳しいながらも、
硬軟併せ持った柔軟な姿勢から、メイド達には笑顔を見せない厳格なキーパーとして
恐れられながらも、主人からの信頼は篤く、メイド達からの人望も集めていた。
唯は、その皐に呼び出されていたのだった。唯達、ウェイティングの指導は、
チェインバーによって行なわれるので、キーパーに直接呼ばれることはこれまで
なかった。皐の世話をするのはウェティングの中でもベテランやチェインバーが
しているので、直接お世話することもない。唯はなぜ皐に呼ばれたのか不安で
堪らなかったが、仕事中はムダ話は厳禁であるため、同じウェイティングの親しい
仲間達のところに行き相談することも出来ず、一人煩悶していた。
――もしかして、お暇を出されるのかしら……。唯はそのことを考えるだけで
背筋が凍りつく思いだった。ウェイティングになって、ご主人様のより近くで
お仕えすることが出来るようになった。そして、朝当番では短い時間では
あるがご奉仕もさせて頂いている。唯は今の仕事にとても充実を覚えていたし
喜びも感じていた。この屋敷を出されたら、一体何をしたらいいのか……考える
だけで途方に暮れる思いであった。
粗相があったとすれば、昨日の朝当番の時だろうか。まだ一度も精を頂けて
いないということもあり、少し気負ってしまったかもしれない。ご主人様に「おはよう」
と言われた時、また駄目だったと少し落胆してしまった……。ご奉仕の最中に
自分の気持ちを優先させてしまうなんて、メイドとして失格だ。その後、どうした
だろうか……。確か、ご主人様が水を飲みたいと仰られて、それを準備して……
初めて頼まれたことだったので、少し動揺してしまったかもしれない。ご主人様の
部屋の中に何があるかというのは、予め研修で教わっていた。冷蔵庫から地下水を
くみ上げた清水をコップに注いで、お渡しした。あの時、何か言われたような……
自分が何と答えたかよく覚えていない。直接お声を掛けて頂いたのは、屋敷に
上がった日にご挨拶した時以来だったから、気が動転してしまったのだ。
――もしかすると、あの時粗相をしてしまったのではないか……。
早く皐様の部屋に行かなくてはいけないと思いながら、気が重く、自然と
落ち葉をビニール袋に詰める作業がスローになる。気持ちもどんどん重くなって
いった。そんな唯の堂々巡りの思念を遮ったのは同じウェイティングのメイドの
声だった。声の主は莉子。唯よりも10cmは背の高い伸びやかな手足の健康的な
美少女だった。
莉子「唯、どうしたの?手が止まってるわよ。」
唯「莉子さん……ダメよ、お仕事中に。早く仕事にお戻りになって。」
莉子「私の担当している所は、もう済んだのよ。それで、ぐずぐずしてる
唯のところを手伝いに来たんじゃない。感謝しなさい。」
唯「ありがとう。でも、お仕事中は『さん』付けよ。」
莉子「唯ったら、ホント生真面目なんだから。誰も聞いてないわよ。
……でも、分かったわ、唯さん。」
ぺろりと舌を出す仕草がとても可愛い。莉子は軍手を付けた手で落ち葉をビニール
袋に押し込んでいき、みるみる落ち葉の山が減っていく。莉子は唯より一つ上の
18才。屋敷に来たのはほとんど同じ時期で、ウェイティングになったのは莉子の
方が一月早かった。寮では同部屋でメイド達の中では一番仲のいい相手といって
いいだろう。
莉子「何かあった?ほら、また、手が止まってる。こんなんじゃ日が暮れてしまうわ。」
唯は少しの間逡巡した。早苗様から皐様に呼ばれていると言われたが、このことを
秘密にするようにと言われたわけではない。莉子に話してもいいものだろうか。
莉子が、唯の顔を覗きこんで「どうしたの?」と聞くと、唯は思い口を開いた。
莉子「皐様に!?一体、何のご用かしら……」
唯「私にも分からないわ。莉子さんは、皐様に呼ばれたことってある?」
莉子「んー、一人で呼ばれたことってないわね。」
唯「……そう。」
――やっぱり、普通にあることじゃないんだ。大抵のことなら、わざわざ私を
呼ばなくても、早苗様に伝言すればいいだけのことだ。誰かを介してでは伝えられない
ことなのかしら……。
莉子「ほら、そんな顔しないで。まだ悪いことって決まったわけじゃないんだから。
私たちの想像のつかないようないいコトかもよ。ここは、私がやっておくから、唯は
皐様の部屋に行きなさい。これ以上、遅くなったら、それこそお叱りを受けるわよ。」
確かに、そうだ。唯は、作法どおりに丁寧にお辞儀をして「ありがとう」と莉子に
言ってから、本館に向かう。この敷地内で走ることは運動カリキュラムの時か泥棒を
追いかける時しか許されていない。唯は早歩きで本館へと急いだ。
本館に着くと、化粧室に行き身だしなみを整える。ウェイティングの服装は全て
規定どおりに定められ、他の人と差異を出せるのはせいぜい髪型くらいだ。
唯のショートボブの髪型は屋敷に来た時から変っていない。鏡を見て、リップを
塗り、カチューシャの位置を整える。服装の乱れは、皐様が一番嫌うところだ。
爪も清潔に磨かれていることを確認し、化粧室を出た。
本館の右棟(入り口玄関から向かって右側を右棟、左側を左棟、真ん中は真ん中と
メイド達は呼ぶ)には、食堂に厨房、洗濯室や教室などがあり、主としてメイド達の
働くエリアだ。その一階の奥まったところに、キーパーの部屋がある。来るのは
トレーニー期間を終えた時以来だ。唯は、もう一度、自分の身だしなみを確認してから、
ドアを三回ノックする。
唯「唯です。早苗様から皐様がお呼びと聞いて伺いました。失礼します。」
皐様はキーパーの執務室では大抵デスクに向かい膨大な事務作業をこなしている。
「わたしに、わざわざ返事をさせる手間を取らせないで」とウェイティングになった
時言われており、ノックして名を名乗ったら返事を待たずにドアを開けて部屋に
入るのが決まりだ。作法どおりに丁寧にお辞儀をする。この時も、60度以上に
傾けてはいけない。メイドがそれ以上深くお辞儀をする相手はご主人様だけだからだ。
皐様は、キーパーというウェイティングのメイド達からすれば、雲の上の地位に
ありながら、メイド達が自分に必要以上に媚びることを嫌っていた。
お辞儀をして顔を上げると、大きなマホガニー製のデスクに向かい、本を読んでいる
皐様の姿があった。その本は表紙を見ると外国語のようだ。豊かな黒髪に切れ長の
瞳、通った鼻筋に、薄い唇。いかにも和装が似合いそうな容姿ではあるが、シンプルな
シルクの白いシャツに黒の細いパンツという姿もとても似合っていた。唯から
すると、なぜご主人様はすぐに皐様をレディにしなかったのかと、皐様がチェインバー
からレディになったという話を聞いた時は不思議に思ったものだ。しかし、この話には
続きがある。皐様は、ウェイティングになってから一年も経たないうちに、自ら
チェインバーに志願したそうなのだ。その時、皐様はこういったと伝えられる。
レディになってご主人様のお近くに仕えるのに相応しいメイドは他にもいる。
自分が、チェインバーになれば、ご主人様に接する時間は少なくなるが、その分
より多くの時間を自分にしか出来ないご主人様のための仕事に使える、と。
それから程なくして、そのことを他のレディから聞いたご主人様は、慌てて皐様を
レディに指名したということだ。だから、レディになりたかったら、二年でも三年でも
ウェイティングにしがみ付きなさい、チェインバーからはレディになるなんてほとんど
ありえないんだから、とチェインバーの先輩メイド達はウェイティングの後輩達
に言うのだった。
皐「唯さん、ご苦労様。少しそこに腰掛けて待ってもらえるかしら。」
皐様の柔らかな声が耳に心地よく響く。唯はお辞儀をしてソファには座らず、立って
待っていようとすると、皐様が此方を見る。その視線に気付き、ソファに座った。
皐の視線が本に戻ると、唯は控え目に目だけを動かして室内を見回した。本が隙間
なく積まれた天井にまで届く本棚、壁に掛けられた過去三人のキーパーの写真、
本館の前でご主人様を中心にメイド達が並ぶ写真、座り心地のいいふかふかのソファ。
ここは代々のキーパー達が守ってきた歴史を感じさせる部屋だった。
どのくらい経っただろうか。皐様が本を閉じて、唯の方を見た。唯は背筋を伸ばし
その視線を受け止める。
皐「台風でずいぶん葉が落ちたでしょう。ご苦労だったわね。私が思っていたよりも
いくらか早く来たみたいだけど、仕事はしっかり終ったのかしら。」
唯「はい。莉子さんが手伝ってくれましたので。」
本当は、莉子に途中で任せてきてしまったのだが、ウソにはなっていないはず。しかし
皐様はウソがとにかく嫌いだ。皐様が口を開く前に、もう一度口を開いた。
唯「申し訳ありません。正確には、莉子さんが後はやってくれると言ってくれたので
お言葉に甘えてしまいました。」
皐「そう。唯さんはずいぶん仕事が遅いのね。それとも、唯さんの周りだけ他のところ
よりも葉が多く落ちていたのかしら。」
唯「いえ……申し訳ありません。早苗様から皐様がお呼びと聞いて……正直
言いますと、少し気が動転してしまいました。初めてのことでしたし、何か粗相を
してしまったのではないかと……。」
皐「そうだったの……確かに、突然怖い怖いキーパーに呼び出されては、驚いて
しまうわよね。ごめんなさい、そこまで気が回らなかったわ。」
唯「いえ……そんな……申し訳ありません。」
皐から頭を下げられると、思わず立ち上がり、両手を前に出して大きく振る。そんな
唯の仕草がおかしかったのか、皐の顔にこの日初めて笑みが浮かぶ。釣られて、
唯の顔も綻んだ。
皐「唯さんにとって、悪い報せじゃないのよ。少し、というか、かなり異例なこと
ではあるんだけど……。」
唯は微かに首を傾げて、皐様の言葉を待つ。
皐「今夜の夜伽、ご主人様が唯さんにお命じになったわ。今日の後の仕事は全て
免除するから、今夜の夜伽に備えなさい。細かい作法については、恵麻さんから
説明させるわ。」
皐はデスクの上の電話の受話器を手に取ると、恵麻の部屋に電話をかけている。
唯は、頭が混乱して返事すら出来ていなかった。――ヨトギ、ヨトギって……
もしかして、夜伽のこと!?
皐「もしもし、恵麻さん。私の部屋に来て下さる。」
皐が受話器を置くと、改めて唯の方を見る。皐の表情と声はいつしか厳格なキーパー
のものに戻っていた。
皐「唯さん、ご主人様からの直々の指名よ。返事はどうしたの。」
唯「はいっ。つ、謹んでお受け致します。」
唯は、立ち上がり作法どおりにお辞儀をした。