冷たく堅い何かを膝に感じた時には、もう遅かった。
意識が完全に覚醒するよりも早く、朦朧とする視界で状況を把握する。
一見して、見慣れない廃墟…内装や雰囲気から、恐らく教会だったところだろう。
朱い瞳の彼―――ジャックは、疑念と絶望を抱く。
生きている。
しかし、任務には失敗した。
任務に失敗したら、やる事は一つだけ。
…だが、それを実行しようにも出来ない。
何故なら、口には猿轡。
四肢を後ろ手に拘束され、上半身は起こされ、跪いているからだ。
殺されずに連行され…言うなれば「捕虜」という状況だろうか。
そして雇い主についての情報などを問い質され、応じなければ拷問。
そこまで考え、項垂れた。
拷問が怖いわけでは無い。
ただ、今まで失敗した事など無かったために悔しかった。
そのうえ自害も許されない。
肩を落とした瞬間…真正面から突如、気配が現れた。
「気が付いたか。」
はっ、と息を飲んで見上げると、そこには先程の敵がいた。
戦闘の際には見られなかった深紅の瞳をジャックに向ける。
標的だったこの男の名は、ヴィルヘルム。
鋭い眼光で睨むジャックを意に返さず、ヴィルヘルムは言葉を続ける。
「常套句だが、まずは依頼主について問おうか。」
そんな風に問われ、誰が簡単に口を割るものか。
奴の喉を掻き切ってしまいたいと思うジャックだったが、拘束されている上に噴火機もナイフも銃も無い。
ガスマスクすら奪われており、些細な表情の変化も相手に見られてしまう。
全くもって不愉快だとジャックは胸中で吐き捨てる。
「先程の戦いからして、プライドが高いと見た…単純に聞いても応えないのは分かっている。」
「………自ら言いたくなるまで、待ってやろうか?」
―――待つ…というのは、こちらが死ぬ寸前まで、という事だろうか。
そう捉えた瞬間、布を裂く甲高い音が響いた。
ヴィルヘルムが持っていたのは、ジャックが戦闘に使っていたナイフだ。
息もつかぬ間にジャックが着ていたシャツを正面から切り裂いたが、肌は傷一つ付けていない。
目を見開くジャックに対し、ヴィルヘルムは薄ら笑いを浮かべていた。
「そうだな…
それまでは"遊戯"でもして愉しむとしよう。」
言っている事の意味が分からない。
混乱するジャックを無視して、ヴィルヘルムは先程裂いた服を掴み、ジャックの上半身を露わにする。
何事かと身を捩るジャックの腹から胸へと、白い手袋に包まれた掌が這う。
手袋越しの体温があまりにも冷たく、捩る体がビクリと跳ねた。
「よく鍛えられている、無駄の無い体だ…だが、場数はあまり践んでいないな。」
無遠慮に体を弄って、いちいちこちらの神経を逆撫でる物言いに血が昇る。
そして、目の前に近付いてきた赤い髪めがけて頭突こうとした瞬間だった。
「っ…!?」
ヴィルヘルムの指先が、ある意図を持って、ジャックの乳首を捏ねた。
痛いのかこそばゆいのかよく分からない感覚に、思わず体を引く。
それを見たヴィルヘルムは唇に弧を描き、戦闘にてジャックを伏した際に使用したネックレスを再び輝かせた。
条件反射でジャックは目を固く閉じる。
…しかし、あの時のような苦しみや圧迫感などは無く、何故か体の奥から急激な熱を感じた。
その熱は瞬く間に体中を巡り、先程触れられた箇所がむず痒くなってゆく。
轡を噛まされている口からは荒い吐息が漏れる。
「どうした?苦しいか?」
愉悦を滲ませる顔を、潤んだ朱の瞳は敵意と殺意で映す。
映された相手は喉を鳴らして嘲笑う。
「良い顔だ…そうでなくては面白くない。」
そう呟くと、ジャックの脇腹に手を添え胸に舌を這わせた。
「あっ…!?」
背筋を走った衝撃に喉を反らせ、轡越しに声が漏れる。
何だ、今の感覚は…?
「ん…っ、ぐ…!」
殺す標的だった奴に、自分と対して歳も変わらないような男に、今、一体何をされてる…?
胸中は屈辱と嫌悪と羞恥が渦巻いているというのに、与えられる熱に焦がれる―――これが、快楽というのだろうか。
こんな愛撫じみた行為も、男と女がするものだと窺っていたが。
「従来の拷問では、つまらんだろう。」
まるでこちらの考えを読んでいるかのような言葉に、ジャックは思わずヴィルヘルムへ顔を向けた。
「貴様が考えている事くらい、手にとるように分かる。
ちなみに、私はこう見えて齢四百は越えている。見くびるなよ。」
「ぁ、あっ…!」
読心術でもあるのか…。
また心を読まれるのは癪だと思い、思考を巡らせるのはやめた。
この「遊戯」と称した「拷問」から、ひたすら堪える事に専念しよう。
体勢を整え居直るジャックを見て、ヴィルヘルムは目を細めた。
「…いいだろう。」
艶かしく動くヴィルヘルムの手が、固く主張し始めたジャックの陰茎を撫でた。
「くっ!…ぅ……」
腰に来る鈍く甘い刺激に、敏感になっているジャックの体は大きく跳ねた。
撫でられながら下履き全てを下ろされると、ジャックは肩と膝に布を引っ掛けただけのほぼ全裸という姿になってしまった。
外気と視線に晒された下半身はぶるりと震え、陰茎は更に昂ぶりを見せる。
ヴィルヘルムは手袋を外し、冷たいその手で直接ジャックの陰茎を包み込み、緩く擦りあげた。
「う…!んんっ!!」
轡を噛んで堪えようにも、どうしても声が出てしまう。
甘い蜜のような何かが脳髄に広がって痺れる感覚が、とても気持ちいい。
「はっ…あ、ぁあ…」
がくがくと太股が震え、無意識に腰が動く。
気持ちいい―――とにかくそれしか頭に浮かばない。
きっと今、己は浅ましくだらしの無い顔をしているのだろう。
それでも熱は爆ぜそうな程に増していく。
「うぁ、あぁぁ…っ!!」
甘い蜜が波となって迫ってきて…果てる、と思った瞬間。
出口を塞がれるように陰茎を強く握りこまれた。
痛み、閉塞感、逃げ場の無い快楽が一気に篭って、ジャックは潤む瞳でヴィルヘルムを見つめる。
「どうした?縋るような眼だな。」
笑いを堪えているのが分かる。
かつてこれ程の屈辱を味わった事があっただろうかと、ジャックは目を伏せると頬に一筋の涙が伝った。
その様を見てもなお、ヴィルヘルムは喉を鳴らして笑う。
「貴様、淫売の才能があるぞ。」
お前が俺の体に何かしたくせに、何を言うか。
それよりも…体内で暴れるこの熱を、早くどうにかしてくれ――
「イキたいか?」
地に響く声での問い掛けに、ジャックは小さく頷いた。
すると上体を押し倒され、ジャックは膝立ちの姿勢から仰向けにされた。
足の拘束が外されズボンを取り払われる。
今なら蹴りを見舞う事が可能だろうが、力が入らずまともに動かす事すら出来ない。
足首を掴まれ大きく開かれると、あられもない姿となった。
「良い格好だな。」
こうなる前から痴態を晒しているので、今更どうというわけでは無い…もはや諦めている。
だというのに、燻るような熱が引かないのは何故だろう。早く触れて欲しくて仕方が無い。
「ん…んぅ…っ」
陰茎は萎えぬまま、先走りの蜜を溢れさせ脈を打つ。
ヴィルヘルムは尖った爪先でジャックの尿道を突くと、ジャックは背を反らせて悲鳴のような声をあげた。
「ああぁぁぁっ!!」
その衝撃のせいか呆気なく達してしまい、ジャックの腹に精液が滴る。
「う…くっ…」
孕んでいた熱が引いたと思いきや、下腹部がじりじりと痛んでまた熱を帯びてゆく。
意識も霞んで、ジャックはもう何がなんだか分からなかった。
ヴィルヘルムは滴る精液を指に絡めると、ジャックの後腔の周りを解すように撫でた。
そこまでされて、次に何をされるかようやく把握出来た。
急速に意識が浮上する。
「んっ!ぐっ…!!」
「落ち着け、痛くはしない。」
もう散々玩ばれたが、それだけは…!
非難めいた眼でヴィルヘルムを射抜くが、やはり一笑されて
「なんだ、こちらの経験は皆無か?」
当たり前だ。
そんな所、何かを入れる場所じゃない。
鋭い爪を立てないのはせめてもの優しさか、それでもぬるぬると滑る指は後腔へ侵入を始めた。
「―――――!!」
息を詰めて堪えようとしたが実際の感覚は異物感だけで、想像していた痛みは無かった。
「痛くはしない、と言っただろう?」
そういえば、事の初まりからずっと痛くは無かったとジャックは思う。
全くタチの悪い拷問だ。
ジャックは抗う気力を失いかけていた。
円を描くように、探るように指が蠢き、空気の抜ける音や粘着質な水音が響く。
内臓が圧迫されているようで気持ちが悪い。
「ぅ、ぐっ、ぅう」
轡を噛む唇から漏れる弱々しい声が情けない。
しかし、ヴィルヘルムがある箇所を押し上げた時、情けない声に艶が入る。
「はぁ…っ、んっ!」
「あっ、ん、あぁっ!」
ヴィルヘルムは目敏くそこを突き、ジャックは声を上げ身悶える。
瞳は虚ろで焦点は合ってない。
体中の血液が沸騰しているみたいに滾っている。
そんなジャックの様子を見て、ヴィルヘルムは自害を防ぐ為だったはずの轡を外した。
「うぁっ!あぁぁぁ!!」
轡が外された事により、より大きな嬌声が響きジャックは白髪を振り乱す。
「あ…ッ!ぐっ―――!」
だが、またもヴィルヘルムは栓をするかのように、きつくジャックの陰茎を握り込んだ。
「痛っ…な、んで……!?」
せき止められながらも、かつてない程の快楽へ導いてくれるヴィルヘルムに、ジャックは泣き出しそうなくらい弱々しい声を漏らす。
堕ちたジャックを見据えたヴィルヘルムは口許を歪ませる。
そして、ヴィルヘルム自身の熱く脈打つ陰茎が取り出された。
色素は薄いが質量は大きく、ジャックは息を呑む。
「力を抜け。」
「ぁ…、」
そそり立つその先端をジャックの後腔に押し付ける。
思わず歯を食いしばったその時。
「ひ……!!」
肉を押し退けて侵入してくるそれは、今にも内臓を潰してしまうのではないかと錯覚してしまう程だった。
しかしジャックに休む隙も与えず、ヴィルヘルムは律動を始める。
「ぐ…っ!、ぅ…あっ…!!」
苦しい、と嘆願しようとしたが、握り込まれていた陰茎を律動に合わせて激しく扱かれる。
萎えかけていたジャックのそれは再び堅さを取り戻す。
「あ、あッ…」
腰から下が灼けるようだ。
「っ、は…うっ!」
腰を打ち付ける激しい衝撃音が響き、掠れた悲鳴を上げるジャックの口からは涎が滴り、汗と共に肌を伝う。
更にヴィルヘルムはジャックの脇腹や胸へと舌を這わせ、その度にジャックは体を痙攣させた。
「や…もう…あ゙っ…!」
「何だ、やめてほしいのか?」
気付けば自ら律動に合わせて腰を振っていたジャックに、ヴィルヘルムはわざとらしく首を傾げて問いかける。
「違っ…ぃ、イキた…い…
……な…でも…………から…」
消え入りそうな声で呟いた瞬間、緩やかになりかけていた律動が再び激しいものに戻った。
「あッ!!い、気持ちい…!」
「ぅ、んっ、あ…もう…!
イクッ…――――!!」
背を弓なりに反らし、全身の筋肉を硬直させて、ジャックは直ぐさま果てた。
直後の締め付けを利用し、ヴィルヘルムは自身が果てる為になおも腰を打ち付け、後にようやくジャックの後腔から陰茎を引き抜いた。
「…なかなか、楽しめたぞ。」
「―――――……」
未だ快感の余韻に浸っているジャックは、虚ろな瞳にヴィルヘルムを映す。
「依頼主についても、貴様の口から聞けると誓った事だし…」
その後は、本来ならば用済みであり始末するところだが…それでは勿体なさ過ぎる。
「…これからも楽しめそうだな。」
静かに囁かれた言葉にも、ジャックは他人事のように目を伏せた。
とりあえず以上で終了です。
誤字脱字あったらすみません。
久しぶりにえっちぃのキター
強気っぽいキャラがこうも辱められるのがいいですなぁ
生気を失った瞳のジャック…ムフフ
乙
凄く良かった
続きがあったら読みたい
65 :
名無しさん@ピンキー:2012/06/10(日) 06:25:04.59 ID:82WFH2xO
保守あげ
66 :
名無しさん@ピンキー:2012/07/20(金) 12:45:05.65 ID:rl9IG/UJ
今更だけどロケテがあったみたいね。
行けた人もし良キャラが居たら是非報告よろしく。
ついでにあげ
67 :
名無しさん@ピンキー:2012/09/17(月) 09:59:14.57 ID:ezfeCXbH
保守
68 :
835:2012/09/23(日) 07:49:27.22 ID:2s3osFvU
>>37 八月の終わりが近付いていた。
中学生となったハヤトにとっては初めてこの夏休みと言う長期休暇が大切なものだと思い知った。
中学生を中心とした全国的な大会を最後に翔は部活を引退し、残った休日は殆ど一緒に過ごした。
公園で翔にバスケットボールを教えてもらったり、逆に自分がスケートボードを教えたり。
翔の家で一緒に宿題を片付けた事もあった。
その翔の兄であり高校教師であるハジメと、同じく姉である硝子の助けにより、既に宿題は全て消化済である。
それでも、自分の中にある欲求は随分と肥沃らしい。
(何だか、今なら薬物乱用する気持ちが分かる気がする…)
夏休み直前に体育館で訪問警察官に聞いた話と今の自分が重なり過ぎていて、正直形容し難い苦笑いと寒気がハヤトを襲った。
一度快楽を知ってしまうと、それが無くてはいられなくなり、更なる刺激を求めてしまう。
翔への想いと言う麻薬は恐ろしい程に中毒性が強いらしい。
(何だか、物足りない…)
会えば会う程に“次”を望んでしまう。
事実毎日会っていたとは言え、その日の昼前から夕方までのほんの数時間足らずで別れてしまうのだ。
「これってやっぱり我が儘かなぁ…」
「何が?」
「はぅあ!?」
「うぉ!?」
お互いが予想外な奇行に奇妙な反応を示す。
振り返ると翔の両手にはクリーム色のシャーベット飲料が注がれたグラスが持たれていた。
「あ…う…」
「びっくりしたなもう。どうしたんだよ一体」
グラスを自分に手渡すと、翔はベッドに座っていた自分の隣に座る。
今日も今日で翔の家に遊びに来ていたが、翔は冷たいものを持ってくると言って翔の部屋には自分だけだった。
翔が集めているバスケットボールを題材にした漫画を流し読みしている内に、毎度の事ながら変な長考に囚われていた。
「度々ハヤトのそーいう様子見るけど、今度は何を考えてたんだ?」
「あ、うん。いつも僕達遊んでるし、楽しいんだけどさ。でもせっかく夏休みなんだから、もっと夏休みじゃないと出来無いようなコトもやってみたいかな…って」
「夏休みじゃないと出来無いようなコト…?」
見事に鸚鵡返しな返答が戻って来てしまった。
何か具体的な例でも挙げた方が良いだろう。
とは言え、己の欲望を悟られない様にかなり包み隠すのだが。
「そうだなぁ。例えばちょっと遠出してみたり。他にも、お泊まり会みたいな事やっても良いんじゃないかな」
「遠出かお泊まり会か…。楽しそうだな」
「おいおい。だったらどっちかじゃなくてどっちともやれば良いじゃねぇか」
「ハジメ兄ぃ?」
そういえば翔の両手は塞がっていた為部屋の扉は開いたままになっていた。
どうやら自分達の会話を途中から聞いていたらしい。
「どっちも…って、もう休み殆ど無いんだけど」
「だからどっちも一気にやるんだって。丁度ギリギリお誂え向きな話が来たんだ」
「え、何なに?」
興味をそそられる話題に翔は目を輝かせている。
それを見ると、ハジメも可愛い弟を見る目で小さく笑う。
69 :
835:2012/09/23(日) 07:51:32.19 ID:2s3osFvU
>>68 「翔は小さい時に一回会っただけだから覚えてるかどうかは分からないが、俺の従弟が旅館の息子でな。さっきそいつからメールで連絡来たんだ。夏休みの残り数日空いてる部屋が出来たから泊まりに来ないかって」
「旅館?」
「そ。おまけにそいつ、近場の海で海の家の手伝いやってるらしいから飯も困らないそうだ」
「すっげぇ。海かぁ…」
海の家があると言う事は、恐らく砂浜なのだろう。
もう翔の瞼には雄大な海原が広がっているのかも知れない。
「ハヤトも一緒に行くだろう?」
「え…良いんですか?」
「なに言ってんだよ。当たり前に決まってるだろ。元々お前と一緒にって話だったんだからさ」
「ありがとう、翔先輩…。じゃあハジメさん、お言葉に甘えて御厄介になります」
ぺこりとハヤトはハジメに頭を下げる。
(お父さんとお母さん、多分許してくれるよね)
若干不安にはなったが、結局はさして問題にはならないだろう。
なにしろいつまで経っても子供心が抜けないような両親なのだから。
寧ろ自分達も連れて行けとすら言い兼ねない。
「じゃあ残りはあいつだけか」
「あいつ…? あぁ無理。今部活で合宿中」
「そうか。だったらどうしようも無ぇな。つー訳だ。二人ともちゃんと準備しておけよ」
「りょーかい」
「はい。ありがとうございます」
軽く頷き、ハジメはゆっくりと扉を閉めた。
「海かぁ。久しぶりだなぁ」
「僕も楽しみ。ところで、あいつって?」
「あぁ、オレの幼なじみ。ま、無理なもんはしょうがないさ。その分オレ達が楽しもうぜ?」
「うん、そうだね」
この時ハヤトが“あいつ”と言う言葉を気に留めなかったのは、まだ翔と出会ってからの日数が僅かばかりに少なかったからだろう。もう少し後であれば、気になって仕方が無いに決まっている筈だ。
「そうと決まれば、まずは買い物だな」
「何で?」
「だって、オレ水着持ってないんだもん」
「学校のは?」
「海でか?」
「………僕も一緒に行く」
70 :
835:2012/09/23(日) 07:52:50.30 ID:2s3osFvU
>>69 思惑通り両親からOKを貰い、翔と一緒に近所のショッピングセンターで買い物を済ませた。
手早く済ませたつもりだったが、建物を出ると既に空は暗くなり始めていた。
決行が翌日に決まってしまった事もあり、二人はその場で解散する羽目になってしまった。
渋々家に戻ると、何と既に母親が荷造りを済ませてくれていた。
これは本当に付いて来るつもりなのではと不安が募りつつも、翌日には自分の見送りに翔の家まで付いて来るだけだった。
とは言え何が入っているのか分かったものでも無い為、結果的にもう一度自分で中身を確かめてはいる。
二度手間感は否めなかったが、案の定何に使うか分からない袋が隠されていたので徒労では無かった。
一際気になったのは、薬品の様に密封されたゴム状の輪だった。
結局、それが何だったのかは聞く機会を失ってしまったが。
(まぁ別に良いか。そんな事より…)
「どうやって海まで行くんですか? それに、ハジメさんは?」
隣で本を立ち読みしている硝子にこれからの経緯を確かめて見ると、「待ってればすぐに分かる」と一言で済まされてしまった。
そしてその数分後、確かにそれはハジメの到着と共に判明する。
「よ、お待ちどおさん」
「ふえぇ…」
余りの納得のいく結果に、思わず奇妙な声が出てしまう。
玄関先に乗用車が停車すると、中からハジメが姿を現したのだ。
しかも運転席の窓から。
「ハジメさん、免許持ってるんだ」
「おうよ。高校卒業してからすぐにな」
「でも、この家には車…」
「仕事仲間に時々運転させてもらってんだ。だから紙じゃ無いから心配すんな」
「い、いぇ…そんなつもりじゃ……」
「良いから、兎に角トランク開けてくれる? 荷物さっさと入れたいから」
得意気なハジメの前に硝子の冷たい一言が鋭く貫く。
対するハジメも「へいへい」と馴れた様子で車のトランクの解錠に移行した。
(この二人って、仲良いのか悪いのか…)
等と微妙な空気が漂ってはいたものの、迷わずに助手席に乗る硝子を一度見てしまえばその考えは邪推だとすぐに解った。
「6時半…。今から出発すれば大体昼辺りには到着出来るかしら?」
「ま、道路次第だわな。んじゃ、お前ら忘れ物無いだろうな?」
「当然!」
「はい。大丈夫です」
「そんじゃ…」
『レッツゴー!!』
その威勢の良い切り出しから5分後、レンタカーショップからハジメの免許証を預かっていると言う電話でおめおめと引き返す事になるとは誰も予想していなかった。
因みに「普通車はATに限る」。
71 :
835:2012/09/23(日) 07:55:49.75 ID:2s3osFvU
>>70 車内を爆笑に包んだタイムロスが災いしてか、高速道路の道中で渋滞に巻き込まれた。
車なのに分速100メートル弱という徒歩と同程度の進行具合で(一般的には分速80メートル)、運転手のストレスは徐々に募っていく一方だった。
こちらから直接ハジメの表情を伺う事は出来無いが、バックミラーに写る一部分だけでも微妙な心境は伺えた。
自分で巻いた種なだけに、発散手段が無い。
非常に肩身の狭い立場がハジメにのし掛かっていた。
もう片方に至っては時折肩が震えていた。
その光景がこの上無く不気味なモノに見えた。
兎にも角にもそんな紆余曲折が続き、漸く目的地まで半分となる場所まで辿り着いた。
自分と同じ携帯ゲームで遊んでいた翔の手が止まったのだ。
翔とワイヤレス通信で共用していた為、ハヤトはすぐに気付く事が出来た。
「翔、先輩…どうしたの?」
「翔?」
自分の言葉で前二人も感付き、硝子も後ろへと振り向く。
ハジメもバックミラー越しに翔の様子を伺っていた。
「先輩、大丈夫?」
「あ…え……?」
携帯ゲーム器を支える指先は小刻みに震え、目線もどうやら定まっていない様だ。
残暑の真っ只中に、まるで翔の周りだけ真冬が囲んでいるのではないかとすら思えた。
「兄さん!」
「解ってる!」
「うわぁっ!?」
一瞬だけ開いた隣の車線の車間をハジメは見逃さなかった。
最小限の小回りで更に車線を跨ぎ、一気にサービスエリアの車線に車を潜り込ませた。
建物に一番近いスペースを見付けると、ハジメと硝子は素早く翔を車から降ろした。
「おわっ?」
アスファルトに降り立った途端、翔の身体はふらふらと揺れ、遂にはハジメの方に倒れてしまう。
ハジメはそれをしっかりと受け止めた。
「先輩!」
「はぁ…。誰かなるんじゃないかなって思ってはいたんだけどな」
「え?」
「乗り物酔い。長距離長時間運転だから、それなりに覚悟はしていたの」
(今の…が?)
「揺れる中でゲームなんてやってるから。ハヤトも暫く控えておきなさい」
「は、はい…」
「ん〜悪いな、ハヤト」
「僕は別に…。それより、もう平気?」
「ん…。大分落ち着いたみたいだ」
「んじゃ、せっかくサービスエリアに止まったんだ。まだ先は長いし、少し休憩して行こうぜ。特に翔」
「わぁってるよ」
「取り敢えず、翔は温かいお茶でも飲んで来なさい。ハヤト、悪いけど翔に付いてくれる?」
「はい。行こ、翔先輩」
72 :
835:2012/09/23(日) 07:58:45.74 ID:2s3osFvU
>>71 翔の手を取り建物へと足を運ぶ。
学年が二つ上でも、翔の手は自分と同じ大きさしかない。
その小さな手は未だに震えが治まっていない。
(二人は車酔いだって言ってたけど、こんな症状になるものなのかな)
一見もう大丈夫に見えるが、敏感な部分で触れてしまえばその恐怖が、文字通り手に取る様に分かるのだ。
そう、“恐怖”。
自分が知る限り、翔の今の症状に近いのがこの言葉。
(そんな事二人とも気付くと思うけど、何で車酔いだって言ったんだろ…)
車の外で、ハジメと硝子は険しい顔付きで何かを話している。
踵を返し、翔を連れて建物へと入る。
室内は休憩や買い物の客で賑わっている。
まだまだ午前中ではあるが、フードコートも沢山の客で埋まっていた。
何処か落ち着ける場所を探してはみたものの、この状態で翔が休憩するには少々状況が悪いだろう。
「いっぱい、だね」
「そうだなぁ。ま、お茶だけでも飲んで行くか」
やはり給湯器の前にも人だかりが出来ているが、どうやらこちらはサイクルが速い様だ。
「僕が注いでくるよ。ちょっと待ってて」
「おう。悪いな」
「こんな時はお互い様だって。じゃあちょっと行ってくる」
最早列にすらなって無い人混みに紛れ、ハヤトは給湯器に辿り着く。
もみくちゃにされながらも二人分の紙コップを手に入れ、何とかお茶を注ぐ。
他人にお茶をかけてしまわないように細心の注意をはらい、翔の元へと戻る。
「あ、あれ…?」
およそ五分と掛かっていないというのに、元居た場所には翔の姿は無い。
「嘘、どうしたんだろ…。先輩!翔先輩!?」
だがこれだけ人だかりが出来ていると、ハヤトの声では掻き消えてしまう。
何よりお互いが小柄な為にお互いの姿が目認出来無い。
「ハヤト、どうしたの?」
「硝子先輩…。翔先輩が……」
「落ち着きなさい。貴方を見て状況は把握出来たから。わざわざサービスエリアから、何処かその辺に居る筈でしょう」
「そ、そうですね。ハジメさんは?」
「今到着先に電話してる。まだまだ時間が掛かりそうだからね。全く…」
73 :
835:2012/09/23(日) 07:59:52.90 ID:2s3osFvU
>>72 額に手を付き、硝子は肩を竦めた。
どうやら硝子には翔が居なくなるのは想定の範囲内だった様だ。
流石姉弟と言いたいところだが、この場合は何か根拠があるのだろう。
論理的な思考に基づいて硝子は言葉を紡ぐ。
それはこの夏休みでハヤトなりに硝子を見てきたからそれなりに解る。
「不思議そうな顔してるけど、あなたもすぐに解るわよ」
「え…?」
「あれ、もう戻って来てたのか?」
驚きと安堵が入り雑じった、奇妙な感覚がハヤトにまとわり付く。
振り返ると、何事も無かったかの様に翔がそこに立っていた。
更に両手には何処かの店で買ってきたらしいカップアイスが握られている。
昨日の光景を再現しているのかとも思えた。
(そっか…。だから硝子先輩…)
「あんたねぇ、ハヤトが待っててって言ったのに何処かに行ったらハヤトが心配するでしょう」
「そうだよ。びっくりしたじゃないか」
「うぅ、ごめん…」
「まぁそれだけ元気ならもう大丈夫でしょ。ハジメ兄ぃも待ってるから、アイスは車で食べたら良いでしょう?」
「そうだな。じゃあそのお茶だけでも貰おうかな」
硝子にカップアイスを手渡し、代わりにハヤトの手にあったお茶を翔は受け取る。
「んじゃ、いただきます」
「硝子先輩は?」
「私は自分のお茶は車に置いてるから。それに貴方が持ってきたんだから、貴方が飲むべきでしょう」
「じゃあ、遠慮無く…。いただきます」
とても熱くて一度には飲み干せなかった筈のお茶を、二人は苦もなく飲み干してしまう。
それだけ時間が過ぎてしまったのだと気付くと、ハジメを車を随分と待たせてしまっている事を明示していた。
「急いで戻ろう。ハジメ兄ぃずっと待ってるからな」
「あんたがそれ言う?」
「あぅ…」
「ま、まあまあ…」
車に戻る途中、ハヤトは一人足を止める。
何事も無かったかの様にハジメの元へと戻る二人を、ハヤトは一人眺めていた。
(誰かに心配されるのが申し訳無い…違う。怖い、か…)
ハヤトには翔の今の明るさはただの空元気にしか見えなかった。
(ううん、それだけじゃ無い)
翔だけで無く、ハジメと硝子の二人にも何か違和感を感じていた。
三人揃って蒼井家の兄弟である筈なのに、何処かに亀裂が見える。
無論、それが不仲な関係を現している訳では無い。
寧ろその逆で、必要以上に“兄弟であろうとしている”様に見えてならないのだ。
(そんなの、当たり前なのに。当たり前、だから…?)
「ハヤト〜何やってんだ? アイス溶けちゃうぞ!」
「あ、ごめん。今行く!」
(僕の考え過ぎ、だよね?)
74 :
835:2012/09/23(日) 08:03:14.48 ID:2s3osFvU
何と前の投稿からほぼ1年…
これも夏休みに合わせて書いてたはずなのにもう夜寒いし。
恐ろしい位筆が遅いんで、まだ前半も終わってませんがとりあえず投下。
過疎だし。
書き終わるのも何時になるかと考えると震えが止まんない。
うぇるかーむ!&ビューチフル青春!
遅筆、過疎はキニシナイ
カーステ
「ラジオネーム『六の背中のパンダはどーなったの』さんのリクエスト―…」
76 :
835:2012/10/20(土) 03:02:20.42 ID:sxONPjZx
>>73 高速道路を降りた時点で既に時刻は午後の前半部分を終了仕掛けていた。
更に国道から逸れた山道を右に左に揺られながら走る事一時間半。
林の隙間から見える日光が橙色に変わり始めた頃、ハヤトはその隙間の奥に小さな光を見付けた。
「わぁ…」
木々の隙間が少しずつ広がるく。
その度に、橙色の光は強くなっていく。
その正体を、ハヤトは遂に目の当たりにする。
山道を抜けると、そこは小高い丘の上。
その目と鼻の先には果てしない水平線に煌めく太陽が沈み行く直前の、昼と夜の境目が写真の様に広がっていた。
「凄い、きれい…」
「これぞ海って感じだな」
「そうね。この時間にこの道を通った事は無かったから、私も始めて見るわね」
「だな。もうすぐ目的地だぞ」
「本当?」
「旅館…って言ってましたよね。きっと眺めも良いんだろうなぁ」
様々な期待が自分の中で膨れ上がるのが分かる。
それは翔も同じだった様で、自然と顔を見合わせて笑い合った。
「おー楽しみにしておけ。絶対にお前ら気に入るだろうからな」
ハジメのその言葉で、旅先の期待値は一気に跳ね上がった。
「結局、海は明日と明後日になってしまったけどな」
「しょうがないですよ。時期も時期ですから」
「そーそー。それに、遅くなったのは俺のせいもであるからさ」
「………サンキュ」
ハジメが肩を竦めてみせると、硝子からクスリと小さな音が聞こえた。
「…波が小さいわね」
「波?」
道路が砂浜に近付くと、ポツリと硝子が呟いた。
「そうだな」
ハジメはどうやらその意味を知っているらしい。
もう一度翔と顔を見合わせるが、翔も怪訝そうな表情を浮かべていた。
「やっぱ翔は覚えて無いか」
「ん?」
「ま、それもすぐに分かるさ。よし、着いたぞ」
「おぉすげえ!」
玄関口を真っ直ぐ進んだ先に、正に楼閣と呼ぶに相応しい五階層の建物が見える。
先刻目の当たりにした夕陽が建物の窓にいくつも映り、更に建物その物も夕陽に照されている為、建物全体が金色に染まっていた。
「本当に海に近いんだ」
「そうね。地元のカレンダーに使われたりしてるみたい」
「ふぇ〜」
「さ、荷物持ってさっさと部屋行こうぜ。かなり待たせてしまってるしな」
「おー」
トランクから自分の荷物を取り出すと、ぱたぱたと旅館の方へ駆けて行ってしまった。
77 :
835:2012/10/20(土) 03:06:40.35 ID:sxONPjZx
>>76 「アイツ、自分が病人だった事忘れてんな」
「待ってよ先輩、僕も行く!」
「あ、おいコラ手伝えお前ら!」
「良いじゃないの。“オニイサマ”」
「別にお前には期待してない」
「じゃあお言葉に甘えて」
両手が塞がっているハジメの首に自分の荷物を引っ掛けて、硝子は手ぶらで二人の後を追った。
「あのやろ、いつか潰してやる」
右に左によろめきながら、ハジメは一行の殿を強制的に務めるのだった。
その頃ハヤトは何とか翔に追い付き、二人で外観を見て回っていた。
「海に近いけど、裏は結構森の奥まであるみたい」
「本当だ」
「外から見ると結構不気味だね」
「そ、だな…」
「何でそこで咬むのさ」
「いや、別に…」
「まぁ良いや。そろそろ戻ろう。ハジメさん達着いてるかも」
「だな」
下ろしていた荷物を持ち上げ、二人は正面に戻る。
すると何故か手ぶらな硝子と逆に手荷物で達磨状態になっているハジメが待っていた。
「ちょ…どんな状況?」
「ハジメ兄ぃが快く荷物を引き受けてくれたから。さぁ、入りましょう」
「コノヤロ…」
「て、手伝いましょうか?」
「ここでハヤトに頼んだら多分俺の負けだな」
最早兄妹間の争いは勝ち負けの問題にまで発展していた。
流石にそれには苦い笑いを浮かべるしか無い。
結局現状は何も変わらないまま、ハヤト達は自動扉を通り抜ける。
その瞬間、涼しげな空気がハヤト達を出迎えた。
「す…げぇ……」
「きれいとかそんなんじゃなくて、とにかく凄い…」
玄関ロビーの先の景色に二人は目を奪われる。
身体中に伝わる涼しげな清涼感の正体は、吹き抜けの回廊に沿って流れる小川によるものだった。
どうやら最上階の噴水から各階層に流れる様に設計されているらしい。
もう少し奥を覗いてみると、小川の行く先には中央の大階段があり、その両端を囲む様な滝になっている様だ。
宛ら自然にある水の芸当を全て取り込んだ、水の美術館と言った所か。
「ようこそ。遠路はるばるご苦労さん」
景観に見とれていると台車の車輪の音と共に、明るい声の少年がハヤト達の前に現れた。
台詞から察するに、彼がハジメの言っていた親戚なのだろう。
「翔クンはボクの事覚えてないかな〜? 昔一緒に遊んだ事あるんだけどな〜」
「え〜っと…。あ、あーっ! 思い出した、タロ兄ぃ!!」
「イエース!」
ややオーバーなリアクションを取ると、息も吐かせぬ間に少年は翔に勢い良く抱き付いていた。
78 :
835:2012/10/20(土) 03:07:26.95 ID:sxONPjZx
>>77 「おわ!」
「ん〜やっぱり翔クンカワイイねぇ!」
「え…ちょ…」
「相変わらずだな、タロー」
「それ、そっくりそのままハジメチャンに返すよ。硝子チャンも相変わらず、美人サンだねぇ」
等と言いつつもタローと呼ばれた少年は翔から離れようとはしない。
「随時年寄り染みた物言いじゃない。私と同い年のくせに」
「硝子チャン相変わらずきびしー」
「あはは…。えっと、タローさん…は、この旅館の仲居さんなんですか?」
「違うよ〜。大体仲居サンっていうのは女の人を指すから、ボクじゃどうしてもなれないよ」
「あ、そうなんだ。ごめんなさい…」
思わぬ所で自分の無知が露呈してしまい、ハヤトは自分の顔が熱くなるのを感じた。
「ま〜ま〜気にしない。皆結構間違えるんだよ。それにボクはただ手伝っているだけだから、従業員も正解じゃ無いかな〜?」
「そ、そうなんですか…」
どうにも翔とは違ったベクトルの明るさに、ハヤトは対応出来無い。
分かり易い翔と違い、このタローという人物が全く見えない。
「そんな事より、君がハヤトクンだね?ハジメチャンから君の事は聞いてるから、遠慮せずに何でも気軽に言ってくれちゃって良いよ〜」
「は、はい。宜しくお願いします…」
「そんじゃー早速お部屋の方へとご案内致しましょうかね〜。ハジメチャ〜ン、も少しだからガンバってね」
「てめぇは手伝いなんだろが。少しは手伝え!」
「ん〜手伝っても良いけど、それでハジメチャンがどんな目に遭ってもボクは知らないヨ〜」
「………自分で運ぶ」
取り敢えず只者では無いとだけは判明した。
底の見えなさは硝子並み。
否、なまじ表面が明るい分硝子以上に底が見えない。
(翔先輩の周りって、ホント両極端…)
79 :
835:2012/10/20(土) 03:10:25.25 ID:sxONPjZx
>>78 「じゃ、気を取り直して…。四名様ごあんな〜い!」
そう言って迷わず中央階段を登り始めたタローを、ハジメは獲物を射落とさんとする程の形相で睨み付けていた。
まぁ睨み付けただけで文字通り手も足も出なかった訳だが。
「部屋はこの階段を登って更に奥にある廊下の一番奥だよ。端っこだから覚えやすいよね?」
「へ、へぇ〜。凄く良い場所なんですね」
「そうだね〜。丁度キャンセルが入ってたから、おじさんが開けておいてくれたんだ。ほらほら、ハジメチャンもう少しだよ〜」
「……………」
とうとうハジメの反論は完全に潰えてしまう。
実際言い返すだけ無駄なのもまた事実なのでどうしようも無いのだから。
(ハジメさん…ごめんなさい……)
一応心の中で謝っておく。
一足先に駆け上がっていた翔が上から手を振っていた。
「お〜い、早く来てみろよ」
「あははは、翔クン元気だね〜」
「あれで昼までは病人だったんだから。弟ながら毎回感心するわ」
「若さってやつだね〜」
「タローってたまにじじむさいな」
「何か見付けたのかな?」
「ハヤトクンも行けば分かるよ」
タローが階段の上を指す。
かく言う自分も興奮を押さえきれずにいる一人であり、言われた時には既に階段を走っていた。
「何かあったの?」
「良いからあれ見てみろよ」
そう言って翔が指したのは、この吹き抜けの中心部分となる場所だった。
「わぁ…」
そこには天井に吊り下げられた揺り籠の様な浮島があり、フロアの水路の起点となっているらしい。
「行ってみようぜ」
「あ、病み上がりなんだからあんまり走らない方が良いよ」
「もう大丈夫だって。ハヤトも心配性だよな」
(それが無理してる様に見えるから心配なんだってば)
「………とにかく、先輩一人で突っ走らないでよ」
「へ〜いへい」
「全く…どっちが先輩でどっちが後輩なんだか」
「むぅ、それは聞き捨てならないな」
やはりこの言葉は釘を指すのに最適らしい。
特に翔は敬語こそ苦手としていても、自分が歳上である部分はかなり意識している節がある。
「あれ、虹が見える?」
「本当だ」
「あれは…?」
連絡階段を登ると、水の音がより一層大きくなる。
80 :
835:2012/10/20(土) 03:13:00.55 ID:sxONPjZx
>>79 「わ、すげ…」
翔の言葉が途切れる程の光景がそこにあり、ハヤトに至ってはその言葉すらも出なかった。
二人が口を噤む程の光景は、正に圧巻と呼ぶに相応しい。
外周から渦巻く様に観葉植物が立ち並び、更にその中心となる位置に有るのは壮大な噴水。
それも一つの大きな噴水だけで無く、宛ら水の壁が何層も取り囲んでいた。
根元が濡れていない所を見ると、どうやら中心に立つ事も可能な様だ。
「何だか僕ゲームの世界に飛び込んだ気分だよ…」
「あ、それオレも…」
「あの…ラスト出前のお城とか、正にこんな感じだよね」
(と言うか…何で外から見たら東洋風なのにここだけ西洋風なんだろ)
確かにスケールは壮大ではあるが、どうにもアンバランス過ぎる。
水の芸術性を魅せる造りになっているのは理解出来るので、恐らく水のアートの象徴である噴水は外せなかったが場所を他に選べなかった…と言った所だろうか。
(芸術家のプライドってやつ…かな?)
「先輩、そろそろ戻ろうか」
「そうだな。タロ兄ぃ達待ってるだろうし。どんな部屋なんだろうな」
「そう言えば…タローさん翔先輩知ってたみたいだけど、翔先輩はここに来た事あるんじゃないの?」
「あるかもだけど…随分昔だろうから覚えてないんだよな。タロ兄ぃの事は覚えてるから、親戚の家に行った時に会ってるのかも知れないし」
「そっか…」
(昔の事って、そんなに覚えてないものなのかな?)
引き返して階段を降りると、丁度タローと出会した。
やはりハジメと硝子は先に部屋に行ったらしい。
「この旅館って色んな所で水が流れてますけど、何か意味があるんですか?」
「そうだね〜。ボクもそんなに詳しい訳じゃ無いけど…。ほら、ここは海水浴場が近いから夏が一番人が多く来るでしょ? でもエアコンで温度調節すると人によっては本当に寒かったりするから、自然な涼しさを取り入れたかったんだって」
「へぇ〜」
「後は、防火用かな? 場所が場所だから、もし火事にでもなったら後ろの森まで一気に燃え広がっちゃうからね。あ、そうそう。あの空中庭園はね、実はあれそのままスプリンクラーになるんだよ〜」
「へ、へぇ…凄いですね」
(………無駄に)
「あははは、変形ロボットみたいだよね〜」
「ゴメンタロ兄ぃその例え分かんない」
ハヤトと翔の苦笑をよそにタローは相変わらず陽気な笑みを浮かべながら廊下を進む。
紅に染まった日差しに照らされ、廊下の最奥へと進む。
「ここだよ。一番上の一番端だから覚えやすいよね」
「………まさか、お高い?」
「こらこら子供がそんな事考えない。それにぶっちゃけ微妙な値段だからノープロノープロ」
「そーそー。ってか出すのはハジメ兄ぃだし、ハヤトが気にする必要無いって」
「あ、あはは…」
「随分好き勝手言ってくれるなテメーら」
「あ…って!」
玄関先でブラックな話が盛り上がり始めた矢先に堪えられなくなったハジメが遂に顔を出す。
ついでに翔は後頭部に一発食らっていた。
ちなみにタローの方は貰う前に身を翻して鉄槌をかわしていた。
81 :
835:2012/10/20(土) 03:15:17.55 ID:sxONPjZx
>>80 「ったく…。ほら、さっさと中に入って荷物下ろしてしまえよ。晩飯あるんだろ?」
「一階の食堂でバイキングやるよ。もち、この部屋でコース料理一式だって出来ちゃうけど」
「あら、随分豪華そうじゃない」
外が賑やかになった為か硝子も姿を現す。
余りにも含みのあるその冷たい言葉に、ハジメは額に手を付きながら首を横に振る。
「後生だからやめてくれ。俺だって自分の身は可愛いからな」
「え〜。旅館の醍醐味だよ〜?」
「だったらさっき硝子から受け取っていたどどめ色の物体を破棄してもらってからだ」
「あら、見てたの」
「ちったぁ誤魔化せ」
(あれ…今ひょっとして身の破滅の危機だった?)
「ダイジョブダイジョブ。ボクがハジメチャン以外の口には入らない様にあれこれ工夫してくるから」
「おい」
「それより〜ごはんまではまだまだ時間あるから、皆先に温泉に行ってみたら良いよ。おっきな露天風呂がオススメだよ〜」
「温泉!?」
釣り上げた魚の勢いで食い付いた翔の目はらんらんと輝いていた。
かく言う自分はというと、顔面に熱が籠り始めているのを感じていた。
(温泉…お風呂……翔先輩と………っっっ!)
以前翔とプールに遊びに行った時の光景が脳内再生される。
当然ロッカーで二人して並んでいたので翔は隣で着替えていた。
腰回りにタオルを巻き付けて隠していても、隙間から覗かせていたのだ。
言わずもがなそれは翔のー
82 :
835:2012/10/20(土) 03:16:35.37 ID:sxONPjZx
>>81 「ハヤトも楽しみだよな?」
「ふぇっ!? うん、そうだね…」
「俺はパス。全員部屋出ちまったらどっちか片方が部屋に入れない状況になり兼ねないからな。それに、いつでも入りには行けるしな」
「そう。じゃあお願いするわね。一応鍵は私が持っていった方が良いかしら?」
「だろうな」
「ほんじゃー改めて…ハヤト行こうぜ」
「ちょ…先輩まだ荷物」
「あ…」
「全く、どっちが先輩なんだか」
「うぅ〜」
ロビーでの会話が再び再現されようとしていた。
一頻り着替えをまとめて、ハヤト達は温泉のある旅館の一角まで足を運ぶ。
すると、独特の芳香に先頭に立っていた翔が足を止めた。
「何かここだけ変わった匂いがする」
「本当だ。何だか前授業でこんな匂い…」
「多分檜の香りじゃない? いよいよ高級旅館って感じね。じゃあ二人共、あまりはしゃぎ回っちゃ駄目よ。特に翔」
「うっ…分かってるよ」
暖簾を手で払い退け、硝子は先に女湯へと入っていった。
「オレ達も入ろうぜ」
「うん…」
(大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫……)
その呪詛レベルで唱えているおまじないが既に危険信号である事にまだハヤトは気付けないまま、悶々とした生殺し状態を一時間以上味わう羽目になるとは知る由も無かった。
83 :
835:2012/10/20(土) 03:20:57.69 ID:sxONPjZx
お宿紹介にやったら時間掛かったんでここで一区切り。
片思いの人と旅行なんか行った時ほど生殺しの時は無いよねって話。
文化祭の季節だけどネタに出来そうなのは来年以降かな…
>>75 言われてみれば確かにw
84 :
835:2012/11/15(木) 02:27:28.90 ID:sasmuLf+
>>82 「いや〜いい湯だったなぁ」
「そう、だね…」
「明日は女湯の方が男湯になるらしい」
「へぇ…楽しみだね」
(うわわわわ…。見ちゃった見ちゃった見ちゃった先輩の見ちゃったよぉ…っ!)
無防備にもあられもない姿を隠しもせずに翔はハヤトに見せ付けてくれたのだから、様々な意味で翔に想いを寄せるハヤトにはたまったものでは無い。
その上ようやくその拷問から解放されたかと思えば、当の翔は旅館の浴衣以外は下半身の下着しか身に付けていないのだ。
その為いい加減な着付けで翔の正面は簡単にはだけてしまう。
ほぼ隠せていない胸の突起も、ちらちらと覗かせる真っ白な下着も、一糸纏わない時とはまた別の性的魅力を無尽蔵に振り撒く。
おまけに…
「悪いハヤト、オレじゃどうも上手く帯結べないからやってくれないか」
「ぅえ!?」
何よりとどめにそう言って思い切り浴衣を自分の眼前で広げた時は、流石に卒倒するかと思った。
純白の下着もその布一枚越えた先にある“モノ”も、言葉のまま目と鼻の先に晒された訳である。
「じ、自分のを結ぶ時と違うから僕も上手く出来るか自信無いからね。…はい、一応完成」
「構わないって。サンキュ」
本当は帰り道の途中にでもまた解けてしまえばいいと怨念を込めていたが、大勢の人前でまた同じ事を強いられるのは幾ら何でも身が持たない。
結局自制心が勝っていた様で、部屋に戻るまで翔の浴衣が着崩れる事は無かった。
「おう、お帰り。風呂どうだった?」
「は、はい。とても気持ち良かったです」
「ってか、スゲー楽しかった。露天は広いし海見えるし、中も色んな風呂があって飽きないし。何かやたら深い所もあって首から上しか顔が出なかったしそれに…」
「おいおい、余り楽しみを奪わないでくれ。…まさか泳いだりしてないだろうな?」
ハイテンションで語っていた翔だったが、ハジメの一言で電池を抜き取られた様に静止する。
「まさか」
「せめて目を合わせて返答しろ」
あさっての方向を向いて片言な返事を翔は返す。
「だってあんなプールみたいになってたらそりゃ…」
「って事はハヤトもか。…まぁお前達だったらそこまで変に見えなかっただろ。ったく、明日からは大人しく入れよ?」
『は〜い』
二人の返事にハジメ吹き出してしまう。
翔とハヤトも思わず顔を見合わせて、気が付けば笑いが込み上げていた。
それと同時に扉が開き、三人はそちらに振り向く。
「ただいま…何二人して反省してるの? お風呂で泳ぎでもした?」
丁度その場面に硝子が部屋に戻って来た。
(うわ…)
二人していい加減に着ている自分達とは違い、硝子は完璧に浴衣を着こなしている。
特徴的な水晶色の真っ直ぐな髪は今は束にして肩の前に纏めている。
無駄の無い美貌は湯船に浸かっていた為だろう、やや桃色に紅潮していた。
今の硝子を表すならば、大和撫子と言う言葉が正に相応しい。
85 :
835:2012/11/15(木) 02:28:20.75 ID:sasmuLf+
>>84 「そんなに見詰められると流石の私でも照れてしまうわよ」
「あ、すすすみません!! ただ、その…綺麗だなって…」
「あら、正直ね」
「じゃなくて! えっと…」
「何だ違うの?」
「い、いや…違わないんですけど!! あの………ぁぅ」
「そこまでだ。余りハヤトをいじめるなよ」
「良いじゃないの。折角さっぱりしたんだから気分良いままでいたいじゃない?」
生まれて初めてハヤトは異性の容姿を称賛する事の気恥ずかしさを思い知る。
思わず口走った言葉が余りにもむず痒く、顔から火が出る勢いで真っ赤に染まっていた。
「ま、何はともあれ時間も丁度良くなったし…ハヤトも一つ経験した所で晩メシ食べに行くか」
「折角旅館に来たのにバイキング料理なんて」
「お前がそれ言うか」
「良いじゃん。好きなもの選んで食べれるんだからそっちの方が嬉しい」
「………まぁ翔はそうだろうな」
我が弟ながらと言わんばかりにハジメと硝子はがっくりと肩を落とす。
「今度テーブルマナーの教室にでも行った方が良いかしら? 私もちょっと自信無いし」
「真剣に検討しておく」
「…何なんだよ」
「あんたが…いえ、もう良いわ」
またこの話題になるのは本日何度目だろうか。
いい加減に二人も諦めが付いたようだ。
取り敢えず翔に対する教育方針が見直されたのはまず間違い無い。
「あ…」
一度だけ、他人の容姿を誉めた事があった。
それは他でも無い翔に言った言葉であり、翔と付き合う切っ掛けとなった言葉でもある。
単純明快な言葉。
「あの時可愛いって言ったけど…」
確かに翔は可愛いと今でも思っている。
ただし、今の“可愛い”はまるで小さな子供を見る時と同じ。
決して目上の人物に対する意味合いとしては使えない。
(もう少しがんばりましょう…)
心の中でひっそりと、翔に採点評価を下した。
(でも、それって僕も同じだよね。“大人になる”…か)
86 :
835:2012/11/15(木) 02:30:05.52 ID:sasmuLf+
>>85 海の潮騒がはっきりと聞こえた。
窓の向こうには青白く光る月が部屋全体を青色に染めている。
ゆらゆらと波に反射した光の網が天井に張り巡らされ、照明という照明は何一つ点灯していない。
(何も、無い…?)
それだけでは無い。
(誰も居ない…どうして……?)
並べている布団は人数分敷かれている。
それなのに、誰一人としてその場に居ない。
それどころか、この旅館。
もっと言えばこの地球上には自分だけしか居ないのではないかとすら思えてしまう程、この空間は静まり返っている。
「先輩、どこ…っ!?」
不安になった矢先、翔を真っ先に探してしまう。
夏はまだ終わっていない。
それなのに、異様な寒気がハヤトを捕らえて離さない。
「違う…っ!」
本当に釘で打ち付けられた様に身動きが取れないのだ。
右腕左腕右足首左足首。
何もないのにこの四ヶ所は全く動く気配が無い。
感覚は残っている。
それでも自分の命令には従ってくれない。
これでは糸を切られたマリオネットも同然。
「…先輩?」
僅かに床の軋む音が聞こえ、辛うじて言う事を聞いてくれる首をその方向に向ける。
月明かりに照らされて心なしか自身も青白く光っている様に見える翔が、ハヤトを呆然と見下ろしていた。
「翔…先輩?」
「…」
(どうし…っ!?)
布擦れの音がハヤトの耳を捕らえた。
我ながらこの表現は的を射ていると思う。
聞こえたのでは無く“聞かされている”のだから。
「先輩…何してっ…!」
言葉の一つ一つが上手く発音出来無い。
何しろ翔は自ら浴衣を着崩しているのだ。
あっという間に浴衣は肘の高さまで落ち、帯の結び目で固定される。
反れでも前面は完全に開き切ってしまっているので、衣類としての役目は全く果たされていない。
当然隠すものは何一つ無い今の翔は、下着一枚も同然の姿なのだ。
否。
無意味に残った衣類があるからこそ、余計に今の姿が際立つのかも知れない。
「ハヤ、ト…」
「ひぁっ」
87 :
835:2012/11/15(木) 02:31:25.54 ID:sasmuLf+
>>86 頭の中に直接翔の声が届く。
ほんの一瞬だけ、写真のフラッシュ程の間意識が途切れる。
その次の瞬間には翔が自分の目の前に居た。
自分の身体を覆う様に四つん這いになり、頬に翔の手が添えられる。
もうそれだけで顔面が爆発してしまいそうなのに、翔の手は頬から首筋を通過してハヤトの浴衣へと進軍する。
「んっ…」
翔の指先がハヤトの胸の突起部に掠り通ると、全身に麻酔が掛かった時の様な電撃が走る。
それでも翔は無遠慮にハヤトの上を滑る。
胸から腹部を通り過ぎ、遂には自分の下着の中へまで侵入する。
「あっ…せん、ぱい……」
もう触覚だけで状況を受け入れる。
翔が自分の性器を弄っているのだという現状だけが、ハヤトに残された意識で理解出来る限界だった。
生まれて始めてこの身で味わう快楽。
抑え切れない高揚。
そこに何故と言う疑問符はもう浮かばない。
「せんぱい…」
只ただ想い人と身体を重ねる至福に浸るだけ。
始めての快楽に、何処までも何処までも溺れ続けるだけ。
88 :
835:2012/11/15(木) 02:33:59.51 ID:sasmuLf+
>>87 「…んぁっ!」
恐ろしくはっきりと聞こえた自分の声に驚き、ハヤトは意識を取り戻した。
窓の外には相変わらず青白く光る月が真円を描いて部屋中を自身の色に染めている。
波の音はここからは遠過ぎて聞き取る事が出来無い。
どうやら此処は普段自分の知る世界で間違い無い様だ。
ただ違和感があるとすれば、腹部の異様な圧迫感だろうか。
「先輩、重い…よっ!」
圧迫感の正体は、翔の足が自分の腹に乗せられているためだった。
当の本人は幸せそうな笑みを浮かべ寝息を立てている。
今度こそ普通に動く自分の四肢を確認すると、ハヤトは翔の足を彼の布団に戻す。
「っ…!」
やはり寝相が悪いのか、翔の浴衣は夢の中と同じ様にはだけていた。
(そう、夢…だよね。当たり前か)
翔を元の体勢に戻し、布団を掛ける。
「そう言えば、硝子先輩とハジメさん…居ない?」
と言うより、自分がいつ床に着いたのかすら記憶に無い。
一応四人でトランプを使って遊んでいた所までは覚えている。
それ以降が全く思い出せない辺り、ゲームの最中に墜ちたと考えるべきだろう。
(迷惑、掛けちゃったかなぁ…)
一日を振り返ってみると、日中翔と暴れ回っていた記憶しか浮かんでこない。
明日はもう少し大人しくしていようと布団に戻ると、またハヤトは勢い良く身を起こした。
率直に言えば、陰部に違和感を感じたのである。
「う、そ…」
恐る恐る下着越しにその部分に触れてみる。
死んでも肯定したく無い事実を突き付けられた。
「ぬ、濡れて…え……この歳で………?」
必死に頭の中を整理しようと総動員するも、現状が現状だけに兎に角否定しようとする働きに処理が追い付かない。
「き、きが…着替え…!」
替えの下着にはまだまだ余裕がある。
幸い浴衣も布団も濡れた様子は無かった。
無我夢中で自分のバッグを漁り、下着を片手に洗面所へと駆け込んだ。
洗面台に替えの下着を置き、改めてハヤトは今穿いている下着に目線を落とす。
「何か、気持ち悪い…」
さっさと下ろしてしまおうと震えた両手で下着に手を掛けるが、形容し難い不安が怒涛の様に押し寄せる。
気持ちが悪くて早く着替えてしまいたいのに、その後の近い未来を目の当たりにする勇気がどうしても出て来ない。
(でも、誰か来ちゃったら…)
89 :
835:2012/11/15(木) 02:35:23.75 ID:sasmuLf+
>>88 何処に行ったかは知らないが、ハジメと硝子が戻って来ると間違い無くこの場を確認に来る筈だ。
そうで無くても翔が何かの拍子に起きて来る可能性もあるのだ。
今の自分の醜態を晒すか、不安を乗り越えて着替えてしまうか。
となればもう答えは明白だ。
「………っ!」
意を決し、ハヤトは布団から起き上がった時よりも更に勢い強く下着を下ろす。
「な、何…コレ……」
目の前の光景に、ハヤトは力無くその場に崩れる。
膝を折り両足も抜かないまま、ハヤトは茫然と常時股間に触れ合う布地に目を奪われる。
予想していた通り、その部分は酷く濡れ渡り、前面に広がっていた。
それだけなら、まだ…まだ想定の内で幾分余裕はあった。
だが、布地と自身の性器を不気味に伝う半透明な異物が、ハヤトの平静を奪う。
「いつもと、違う…。ナニ、コレ……」
震えた指先でそっと触れてみると、想像していた以上に気味の悪いぬめぬめとした感触が全身を駆け巡った。
何より信じ難いのは、その気味の悪い液体…基、物体が自分の性器から出て来たモノと言う事実。
肯定なんて出来る筈が無い。
就寝中に粗相をした現実。
それよりも自分の知らない何かが自分の身体の中にある事に対する不安と恐怖の方が、ハヤトを蝕む要因として全てを占めていた。
「やだ、やだよ…。僕の身体、どうなってるの……」
自分で自分の身体を抱き締める。
拒絶からの慰めも、震える自身への制止も含めての行動だった。
当然それだけでは何も解決せず、ただ刻々と時間が過ぎるだけである。
「うっ…ぅくっ、うぇっ……」
もう自分が解らなくなり、終には声を圧し殺して嗚咽する一番楽な道を選んでしまう。
出来る事なら大声を出して、力の限り泣き叫びたかった。
だがその時扉の向こうで床が軽く軋む音が耳を突き、ハヤトは一度だけ小さく痙攣する。
「ハヤト、そこに居るのか?」
「ぅ、ぁ…」
ただ「はい」とだけ言えば済む筈なのに、締め付けた様な声しか出ない。
これでは“明らかに異常のある自分”を晒しているも同然だ。
「ハヤト、大丈夫か? …入るぞ」
「やっ…だっ…」
言葉として成立していない声に、相手を制する能力は働かない。
遠慮がちに開けるハジメに反して、扉は無遠慮に開かれた。
「ハヤ……ト………?」
「み、見な……」
90 :
835:2012/11/15(木) 02:36:57.16 ID:sasmuLf+
>>89 どう考えても予想外な光景だったろう。
何しろ下着を膝まで下ろし下半身を晒して座り込んでいる人間が目の前に現れたのだから。
その上幼い陰茎からは得体の知れない物体がだらしなく垂れ下がっていては、普通混乱程度では済まない。
「う…うえぇぇ……」
「待て待て待て! …泣かなくても大丈夫だ。な?」
目線を自分の高さまで下ろし、ハジメは自分の頭を柔らかく撫でる。
小さな頃、洒落では済まない悪戯をして酷く叱られた事がある。
その後大泣きしてしまった自分を、母親は優しい顔で今みたいに撫でてくれた。
同じ安心感。
それだけでハヤトは救われた気分だった。
「そんな風になったの、初めてか?」
黙ってハヤトは頷く。
すると、なぜかハジメは小さく笑い出してしまった。
「悪い、笑い事じゃないよな。だけどなハヤト、『それ』は別に病気でも何でも無い。怖がる必要なんて無いんだ」
「本当…?」
「あぁ。その…ヘンな夢見て起きたらそうなってた。多分こんな所だろ?」
「は、はい。何で分かったの…?」
「その前にだ。その格好どうにかしようぜ」
「あぅ…」
便所を指してハジメはまた溜め息一つ。
あれから少々時間が経つが、何も処理をしていなかった。
促されるままハヤトは便所に入り、今度こそ濡れた下着を脱ぐ。
続いて手元のトイレットペーパーを数回巻き取り、先端に残ったモノを拭き取る。
「んっ…」
これがまた奇妙な感覚だった。
ほんの少し先端に触れただけなのに、まるで身体全体を誰かに触られている様なくすぐったい感覚。
普段触れる場面が無いだけに、敏感になっているのだろうか。
使い終わったトイレットペーパーを便器に捨て、替えの下着に穿き変えるとついでに乱れていた浴衣を直した。
「病気じゃ無かったんだ…」
「少しは安心したか?」
「は、はい…」
扉の向こうから聞こえるハジメの声。
ほんの少し前は気配だけでも気圧されたのに、今では逆に安心する。
水を流して洗面所に戻ると、思っていた通りの優しい表情のハジメが出迎えてくれた。
先刻のハジメと同じ様に、ハヤトも小さく吹き出す。
91 :
835:2012/11/15(木) 02:38:11.81 ID:sasmuLf+
>>90 「ん、何だ? 安心したら笑えてきたってか?」
「あ、そうじゃな…そうかも」
「かも?」
「ちょっと、翔先輩が羨ましく思えちゃって。僕兄弟居ないから、ハジメさんみたいなお兄さんが居たらな…って。まぁ、僕の場合お父さんがお兄さんみたいなものですけど」
にやけた我が少年親父の顔が浮かび上がる。
言ってしまったら最後、夫婦揃って何かと大盛り上がりするのは目に見えていた。
「それに…こんな事両親に言えないです」
「だわな。んじゃ、麗しのお兄様から一つ御口授。さっきのお前のアレはな、無精って言うんだ。精通って聞いた事あるか?」
無言でハヤトは首を横に振る。
どちらも聞き慣れないし聞いた事も無い言葉だった。
「詳しい事はいつか…多分二学期の半ば辺りに体育の授業で習う筈だから省くけどよ、覚えて貰いたいのはそれが出たなら大人に“近付いた”って事だ」
「近付いた…」
「そうだ。決して大人になった訳じゃ無い。それだけは履き違えるな。良いな?」
「はい…」
「俺が今教えられるのはそれだけだ。本当は何で出るのかとか色々あるが、それはいずれ知るだろ。だけどな、不安にならなくて良いんだからな」
くしゃくしゃとハヤトの頭を撫でながら、ハジメはまた優しい微笑みを見せてくれた。
「はい。ありがとうございます」
「うっし、良い顔になったな。しかし、あれだな。弟よりも先にお前にこんな相談されるとは思ってもいなかったな」
「え?」
「あいつももう中三だってのに、未だにそんな兆しが無いんだよ。翔の場合、解決済みって可能性はほぼ無いからな」
「あははは…」
不意に風呂での光景が頭に浮かぶ。
傍目から見ても、翔の身体は明らかに未発達のままだろう。
(それって翔先輩より僕の方が成長してるって事…?)
92 :
835:2012/11/15(木) 08:43:16.20 ID:sasmuLf+
>>91 「んじゃ、明日も早いんだ。今度こそ寝れるだろ」
「は…た、多分」
またあの夢を見てしまったら同じ結果になるような気がしてならない。
何よりそもそもの発端が自分の隣の布団で幸せな寝息を立てているのだから。
「…なぁ、ハヤト」
「何でしょう?」
「お前が見た夢に出て来たのは…」
「え?」
「いや…」
合わせていた目線を切り首を横に振ったハジメは、何かを諦めた様に肩を落とし立ち上がった。
「んな事訊くのはいくら何でも野暮ってもんだよな」
「………はい?」
「…っくしゅ! やだ、湯冷めかしら?」
肩に湯を当て更に身体を沈めると、硝子は遠くの海を眺める。
ライトアップされた露天風呂は、上空に昇る湯煙を照らしている。
「翔は、覚えている……?」
誰に言う訳でも無く、硝子はぽつりと呟いた。
93 :
835:2012/11/15(木) 08:48:41.08 ID:sasmuLf+
連投は8回までかいな。
シチュエーションの一つとして書いていたつもりだったのに何故かやたら高密度な旅行に成り果てやがりました。
その上異常に筆が遅いって言うね。
オレ達の夏はまだまだ終わらない!!(翔談)
94 :
390:2013/01/20(日) 14:42:15.84 ID:+mpG3Dao
規制解除された?
ほしゅ
96 :
835:2013/03/22(金) 04:00:47.46 ID:+NP60D4N
>>92 朝目覚めると、昨日と同じ場所に翔の足が置かれていた。
今更になって翔が一番端の布団に寝かされていた理由が判明した。
「昨日の時点で気付くべきだった…なっ!」
起きてみると今度は両足とも乗せられていた事が更に判明し、掬い上げる要領で翔の足を元の場所に放り投げた。
盛大な音を立てて布団に叩き付けられたにも拘らず、一向に翔が目覚める気配は無い。
(人の気も知らないで…)
一晩経った今でもあの夢は鮮明に覚えている。
着物を着崩した翔が自分に覆い被さり…。
「…っ!」
思い出すだけでも顔から火が出そうになる。
何より、夢の通りになってしまえば良いのにと思う自分を自覚出来るのは驚きを誤魔化せ無い。
(好きだから、あんなコトされたくなるのかな…)
ここで少し思い違いに気付く。
それは、翔に夢の通りにされたいのか。
はたまた、翔に“したい”のか。
この二極端の違いは余りに大き過ぎる。
どちらが本当に自分が望んでいるのだろうか。
(…やだな。こんなの)
途端に自分が汚い人間に思えてくる。
想い人を自分の思うがままにしてしまいたい支配欲が、自分の中で渦巻いている。
紛れも無い、それが本当の自分。
「ん〜?」
「あ、おは…っ!?」
「い゛っ!?」
『ってぇ〜〜』
何が起きたのかほんの一瞬理解出来無かったが、額が唸るように悲鳴をあげている事から何が起きたかは明白だった。
とか何とか回りくどい言い方だが、早い話勢い良く身体を起こした翔と額同士をぶつけたのだ。
「あううぅ…」
「ってて…何だよハヤト、何でんな所に頭があるんだよぉ」
「翔先輩が勢い良すぎなんだって…」
本当は翔の寝顔をずっと覗いていたとは間違っても言えない。
言葉に出来無い微妙な音が頭の中で響きながらも、ハヤトは何とか顔を上げる。
「うぅ、まだくらくらするぅ」
「オレも…」
「ただい…何愉快に二人して座り込んでるの?」
何処かへと出掛けていたらしい硝子が怪訝な表情で見下ろしていた。
「じ、状況でお察し…」
「右に同じ」
「朝から仲の良いこと。ほら、早く起きて布団畳んでしまいなさい。後着替えもね」
『はぁい…』
97 :
835:2013/03/22(金) 04:02:45.09 ID:+NP60D4N
>>96 ユニゾンで返事をする二人に肩を揺らし、硝子は隣の部屋へと入っていった。
恐らく彼女も着替えるのだろう。
「えっと、着替え着替え…」
「そう言えばさ、昨日の夜ハジメ兄ぃと何か話してたよな」
「え、えぇ!?」
「あれ、違ったか?何か二人の声が聞こえてちょっと起きたんだけど。結局そのまま寝ちゃったし、何て言ってたかは全然解んなかったから」
「えっと、その…。うん、ちょっと話してた」
「何の話?」
「それは…」
「2学期の授業の話、だろ?」
『ハジメさん(兄ぃ)…』
これまた見事にハモって見せた二人に、ハジメも小さく笑って返す。
「中学で2学期は初めてだから、どんな事するのかって話になったんだよ。成り行きでな」
「うっへぇ…ハヤトってもうそんな事気にしてるのか」
「もうじゃ無ぇだろ。宿題終わったからって遊んでばっかりの受験生」
「うぎゅ…」
最も痛い部分を突き付けられると、翔は何か変な擬音を発してまだ畳んでいない布団に崩れ落ちた。
「先輩、だから片付けるんだってば」
「ほっとけ。これ位ヘコませた方が良いんだよ。帰ったら少しは身に染みるだろうさ。んな事より、飯食ったらすぐに行かねえとかなり混むぞ」
「あ、はい」
「そうだった。もうここに居る間は思い切り遊ぶって決めてるんだからな」
「ほぅ、そりゃ丁度良い。そんなお前の為にわざわざ数学の問題集持ってきた甲斐があるってもんだ」
「なっ…おーぼーだ!」
(教育者の前でそんな事言うから…)
朝からフルスロットルな兄弟に眠気は吹っ飛ばされ、目覚ましとしては中々効果的だった。
きっと、これが彼等の日常的な風景なのだろう。
(やっぱり、兄弟って良いな…)
昨日の夜の様に、親に話せない事を一番気軽に相談出来る相手が居るのは心強い。
ましてやそれが教育者と来れば、ハジメ程に適任な人物は中々御目にかかれない。
そんな恋心に近過ぎる感情を隅に起き、今日の支度を整える。
すると、まるでそれを見計らったかの様に扉が叩かれる音が聞こえた。
「ぐっも〜にん。君タチ、昨日はぐっすり眠れたかな?」
こちらが扉を開ける前に陽気な挨拶と共にタローが部屋に入ってきた。
勿論誰もその点に突っ込まない。
「お…おはようございます、タローさん」
「おはよーサンハヤトクン。えっと…ゆうべはおたのしみでしたね、だっけ?」
「へ? 昨夜って…?」
(まさか、昨日のコト知って…)
98 :
835:2013/03/22(金) 04:05:09.93 ID:+NP60D4N
>>97 「おいタロー。そのネタ分かる人間はここには居ないぞ」
「なんだ残念」
「あら、私は知ってるわよ」
「お〜ナイス硝子チャン。そういう所は流石だねぇ」
「最っ高に嬉しくない誉め言葉ね」
「何の話なんだ?」
「さぁ…。余り突き詰めて良い話でも無い様な気がするけど」
根拠は何も無い。
ただ不思議とそんな気がした。
これが第六感と言う奴なのかも知れない。
「そうそう。そんな事より、皆の朝ごはんの用意出来たから食堂においでよ。ちゃんと席も確保出来てるから」
「おう、サンキューな」
「何かオススメなメニューはあるかしら?」
「そーだねぇ。夏野菜のコンソメスープが良い味出してて一押しだよ」
名前の響きからして間違い無く微妙なメニューを推薦され、硝子は肩を竦めた。
「多分それ出す時期を間違えてるわよ」
「どうして? ここら辺で採れる野菜美味しいんだよぉ」
「売りにしたいのだったら頭文字の『夏』はプレートから消しておく事ね」
「どゆこと?」
「もう食えりゃ何でも良いさ。少し急がないと、マジで海岸埋まるぞ」
室内に設置されている針時計をハジメが目線で指す。
既に彼等が普段朝食を取る時間は過ぎていた。
「りょーかい。それじゃ四名様ごあんなーい」
タローを先頭に、水のせせらぎが優しく響き渡る廊下を歩く。
今思うと、初めてこの心地よさを全身で感じているのが分かる。
一日目が箱詰め状態のまま過ぎていっただけに、ゆとりを持つ大切さを改めて実感する。
何せ風呂の中ですら二人して暴れまわっていたのだから。
「この宿って、いつもこんなにいっぱいお客さん居るんですか?」
それとなくタローに聞いてみる。
「ん〜いつもはそこそこって感じ。目立った観光地がある訳じゃ無いからね。ま、基本は温泉旅館だから際立ったピークは今位なもんだよ」
偶然近くを走り去って行った水着姿の小さな子供達を指差し、タローは笑ってみせた。
(やっぱり大変なんだなぁ…)
「お、ハヤトクンは旅館の仕事に興味おありかにゃ?」
「えっと…まぁ、少し」
「うんうん。将来が気になる年頃だねぇ。そー言う翔クンはどうだね?」
「オレ? オレは…」
この時、ハヤトの頭にはきらきらとした瞳で将来の夢を語る翔の姿が映っていた。
何事も純真に見つめる翔だからこそ、彼が次に語った言葉が信じられなかった。
99 :
835:2013/03/22(金) 04:06:28.62 ID:+NP60D4N
>>98 「オレは…そう言うの解らない。本当に自分が何をしたいのか、どんな風になりたいのか。何だか考えられない」
「翔先輩…?」
それは実の兄弟であるハジメと硝子も同じだった様で、少し先を歩いていた二人は立ち止まり、目を丸くしていた。
「…バスケットボールは、違うの?」
「好きな事と将来の自分とは違うだろ」
夢と現実の違いを、翔らしからぬ冷たい言葉で淡々と片付けてしまう。
割り切っていると言うよりは、何もかもを諦めているとしか思えない口振りだった。
(翔先輩は解らないって言ってたけど…きっと、少し違う)
中途半端に将来を考えている自分とは違い、色んな自分を思い描いている。
その度に、本当の自分を見失っている。
「解らなくても良いじゃない」
「タロ兄ぃ…?」
「今はまだ解らなくても、取り敢えずでも。理由なんて考えずに思い描いた自分真っ直ぐに向かって。それで駄目だったら…なんて考えてたら、きっと何も決まらないよ」
「タローさん…」
廊下を流れる水の音が耳の近くまで聴こえた。
同情から来る慰めでは無く、紛れも無いタローが正しいと素直に信じている言葉だと思った。
「ま、その話はまた追々しっかり話し合うとしてだな。いきなり選択肢を潰すのだけは勘弁な」
「ん…分かった。諦めるのは、止めてみる」
「だね。僕も、もう少しだけ真剣に考えてみようかな」
「そーだよぉ。少年少女よ大志を抱けって言うからねぇ」
「タローさんそれ少し違う…あれ、でも何か聞いた事あるような…?」
止まっていた足が何時しか自然と再び動き出していた。
先刻の冷たい空気はもう目の前には無かった。
だからこそ、いつの間にか最後尾に居た硝子の声がはっきりとハヤトには聞き取る事が出来た。
100 :
835:2013/03/22(金) 04:08:39.54 ID:+NP60D4N
>>99 「…気に入らないわね」
「し、硝子先輩…?」
他の三人は硝子の言葉に気付かずにどんどん先に進んで行く。
廊下に残されたのはハヤトと硝子の二人だけ。
「気に入らないって、何がですか?」
「気が付かなかった? タローのあの言葉」
「タローさんの…って、今さっき翔先輩に話してた事ですか? 前向きな感じで、翔先輩も安心出来たと思いますけど」
「前向き、ね…」
とんだ思い違いだ、と言わんばかりに硝子は肩を竦めた。
胸の前で両腕を組みながら、ハヤトの隣に並ぶ。
昨日は微かにでも自分の胸に熱いものが込み上げてきたその美貌が、今はこの上無く無機質で冷たいガラスの様に思えて仕方が無かった。
「だったらこう言いましょうか。“自分は夢を叶えられないから、翔には諦めないで欲しい”」
「なっ…」
頭の内側を鈍器で殴られた様な気分だった。
ひとつの言葉の受け止め方。
違う。
ひとつの言葉の示す方向が、自分と硝子とでは真逆だった。
そう。
鏡と向き合う自分と同じ様に。
「硝子先輩は、何でそんな風に思うんですか?」
「さぁ…ただそんな風に感じただけ。別に深く考えなくて良いわ」
「それって、深くなくて良いから少しは考えろって事ですか?」
また硝子の足が止まる。
それでも、彼女の身体がこちらに振り返る事は無かった。
「それこそ深く考え過ぎよ。そう思う様に仕向けたのは確かに私。だけど、貴方に気付いて欲しかったのはそっちじゃ無いから」
「え…あの、それってどう言う…」
「ハヤト〜ショーコ姉ぇ〜何してんだよぉ!」
廊下の端から端までどころか吹き抜けを通じてホール全体に響き渡る声量と共に、翔が階段からモグラの様に顔を出して手を振っていた。
少なくとも今同じフロアに居る人間には自分達がその「ハヤトと硝子姉ぇ」と認識されたのは間違い無い。
側で荷台を押していた女性の従業員が手で口を押さえてクスクスと笑っていた。
101 :
名無しさん@ピンキー:2013/03/22(金) 04:10:22.01 ID:+NP60D4N
>>100 「私が話せるのはここまでね。答えは貴方が見付けないと意味が無いから」
そう吐き捨て、変わらない足取りで硝子はまた歩き始めた。
「ハヤト〜?」
「分かった分かったってば! 分かったからこんなトコでそんな大声出さないでよ!」
硝子の言葉が胸に突き刺さったまま離れない。
本当は今でも硝子に問い詰めたくて仕方が無い。
タローの事も勿論だが、硝子のあの冷たい瞳に映っていたのは―
(僕…)
冷たい鏡の中に閉じ込められたかの様な、背筋の凍るあの視線。
蛇に睨まれた蛙。
(じゃなくって、何かこう…)
「ハ〜ヤ〜…もががっ」
「はいはいはいお客様ぁ〜他の方へのご迷惑になりますのでシャラップ」
「わっ…い、今行くから!」
中々朝食にありつけない二日目の朝は、未だ前半すら終わらないまま既に疲れがどっと押し寄せて来た。
(旅行って、息抜きや気分転換で来るものだよね…?)
息も吐かせぬ展開がこれから先続くのかと思うと、ハヤトは盛大な溜め息を吐かずにはいられなかった。
「はぁ………あれ?」
102 :
835:2013/03/22(金) 04:16:28.58 ID:+NP60D4N
あれ、名前欄消えてる…
相変わらず季節感ゼロで申し訳ない
>390
お久しぶりです!
まとめwikiが更新されてたんでまさかと思って来てみましたが…
スレの住民が一気に減っちゃって殆どワンマン状態だったんで、また多くの作家さんが戻ってくればいいなぁ。
103 :
名無しさん@ピンキー:2013/05/23(木) 21:43:14.53 ID:kavi4Iv5
ほしゅあげ
104 :
名無しさん@ピンキー:2013/09/03(火) 02:57:07.21 ID:WA6DMkSt
ほっしゅ
だれかデフォクプロがアッーっとなるような話かいてくれまいか
105 :
名無しさん@ピンキー:
ほ…しゅ……