【俺の妹】伏見つかさエロパロ15【十三番目のねこシス】
それどころか、奨学金の申請と引き換えに、仕送りが減額されるんだぜ。
もう、親、特にお袋からは半ば見捨てられているに等しいよな。
『そんな京介氏を、拙者たちは励ましたいと思っておりまして。近日中、出来れば、次の日曜日あたりにでも、拙者と黒猫
氏とで、お邪魔させていただければと思い、先ほどはメール、そして今はこうして電話にてお伺いしておる次第でござる』
「そ、それは、まぁ、ありがたいけどよ……」
俺だって、正直、沙織や黒猫には会いたい。しかし、この下宿屋に押しかけられるのは、御免被りたい。あやせの時は、
どうにか『妹』ということでごまかせたが、沙織や黒猫が来た時まで、同じ嘘が通用するはずがないし、他にうまい言い
訳も思いつかないからな。それに、まさかとは思うが、桐乃がこの件に関わって居るのかどうかが気になる。
だが、聡明な沙織は、そんな俺の懸念を鋭く見抜いてくれたらしい。
『ご心配には、及びませぬぞ。先ほどのメールにしたためた京介氏の住所は、黒猫氏にも、きりりん氏にもお知らせする
ことはござらん。ただ、拙者が本気で京介氏にお会いしたいという決意の現れを示すために、僭越ながら貴殿の居場
所を調べ、それを先ほどのメールに記載させていただいた次第でござる』
「じゃ、じゃあ、こっちの下宿には来ないんだな? それと、桐乃は、今回は関わってこないのか?」
『京介氏の下宿の住所は、黒猫氏にも秘密にさせていただく以上、拙者も京介氏の下宿にお邪魔するわけには参りま
せぬ。それに、今回そちらへお邪魔するのは、黒猫氏と拙者のみでござる。きりりん氏も、おそらくは京介氏に会いたい
とは思いまするが、今はまだ、その時期ではござらん』
「そ、そうか……。そうしてもらえるなら、助かるよ」
状況を的確に判断したマネージメントには恐れ入る。これで、俺よりも年下なんだからな。末は、立派な実業家になり
そうだ。
『それでは、京介氏。今度の日曜日ということで宜しければ、当日は、午前中にそちらの中央駅に到着するように致しと
うござる。先ほど、黒猫氏とも相談致しましたが、朝八時頃に東京発の新幹線に乗れば、昼前には、そちらの中央駅に
到着するでござろう。しからば、中央駅前にあるアニメショップを見てから三人で昼食をして、その後は、市内を見物し
ながら互いの近況報告を含めたおしゃべりということでいかがでござろうか?』
「いいんじゃねぇか、俺も、みんなと久しぶりに会いたいからな」
しかし、駅前のアニメショップって、アキバにある店の小規模な支店なんだけどな。
見てもしょうがないと思うが、まぁいいか。
『おお、それはそれは……。では、黒猫氏ともスケジュールの詳細を詰めて、後日、改めてご連絡申し上げる』
「いや、そんなにしゃちほこ張らなくてもいいよ。当日、新幹線の中からでも到着一時間前くらいに電話かメールでもしてくれ。そうしたら、中央駅の改札まで迎えに行く」
『では、そう致しましょうぞ。それでは、今度の日曜日は、宜しくでござる』
「ああ、こちらこそ、宜しく頼むぜ。だがな……」
『おや、京介氏。何か、気になることが未だおありでござったか?』
「いや、念のために訊いておくが、俺の居場所をどうやって突き止めたんだ? それに、俺のパソコンのメアドとかも、
どうやったら分かったんだ?」
電話の向こうでは、沙織がからからと笑っていた。
『京介氏、それを訊くのは野暮というものでござろう。拙者、色々と人脈もあれば、年齢不相応な権限も持ち合わせて
おる次第にござる。京介氏の居場所を知るためとあらば、それらを行使することもやぶさかではござらんと、ご理解くだ
され』
「そうだったな……。お前だったら、俺の居場所を突き止められるだろうな」
そうはいっても、個人情報保護法があるんだから、簡単じゃねぇよな。沙織だって、それなりに本気で俺のことを心配
してくれているから、多少の無理は承知の上で、彼女が言う『人脈』とか『権限』とかを行使したんだろう。
沙織が具体的にどんなことをやったのか、下々の俺には分からねぇけどよ。
『では、拙者の用向きは以上でござる。拙者も黒猫氏も、当日は京介氏にお会いできることを楽しみしておりまするぞ』
「俺もだ。当日は宜しく頼むぜ」
通話を終えた俺は、自身の携帯端末の液晶画面に暫し見入っていた。
画面には、沙織の携帯端末の番号と通話時間が、角張った無機的なフォントで表示されている。
見たか、お袋よ。
あんたが、俺をこの地に追いやり、俺のことを半ば見捨てようとも、こうして俺のことを気に掛けてくれる奴は居るんだぜ。
あんたが、俺の居場所をどんなに秘匿しても、そいつらは、あやせや沙織は、おそらくは合法非合法の手段を問わず
に、こうして俺の居場所を突き止めてくるんだ。
ざまぁ見やがれ。
「落ち込んでいたけどよ……、ちったぁ元気が出てきたのかもな……」
誰も彼もから見捨てられては、人は生きてはいけない。
だが、遠くからでも、誰かが想ってくれるのなら、それが生きる上での励みとなるのだろう。
そんなことを思いながら、俺は、本来すべきであった判例の検索に取りかかった。
それが一段落しそうな頃合いに、下宿の女主人が、階下から俺を呼ばわった。夕餉の時間なのだ。
俺は、ダウンロードしたPDFファイルに適当なファイル名を付けて保存すると、飯を食うべく、のそのそと階下の
八畳間へと向かった。
* * *
昨日の予習のおかげで、刑事訴訟法の講義は、まあまあ楽勝だったが、英文読解はちょっと冷や汗ものだった。
語学系の講義は、どれもいつ当てられるかヒヤヒヤしながらの1時間半が常で、これがすこぶる心臓に宜しくない。
一応、予習はしてあったんだが、ちょっとでも言い淀むと、その辺を突っ込まれて、晒し者になるから気が抜けないのだ。
今日も、誰だか知らねぇが、講師の質問に答えられずに、大恥をかかされていた学生が居た。
俺が当てられなくてよかった。その質問には、俺もまともに答えられそうになかったからな。
そんなことを思い返しながら、俺は壁や天井が煤けた学食の片隅で、いつものようにコロッケをトッピングした不味い
ラーメンを食っている。
栄養学的には褒められたもんじゃないんだろうが、安くて腹が膨れるから、昼飯はもっぱらこれだった。
そんないかがわしい代物を学食の隅っこに引っ込んで、もそもそと食う。我ながら、どっから見ても負け犬っぽい。
俺は、ラーメンを食う手を止めて、ちょっとだけ周囲を窺った。大学生活を始めておよそ一箇月。一年生で、よそ者だと
いう遠慮が無意識に働いているせいなのか、俺は、決まって隅っこの方で飯を食う。
そのため、場末とでも言うべきこの場所は、俺の指定席みたいなもんになっちまった。
「しかし、俺の周囲の連中も、いつもながら似たような顔ぶれだよな……」
どいつもこいつも、高校生に毛の生えたようなガキっぽい感じがするから、その多くは新入生なんだろう。料理を受け
取るカウンターに近い便利な場所は上級生に遠慮して、こうして隅っこで大人しくしているのかも知れない。
「でさぁ……、午後の解剖学なんだけどぉ……」
声がした方に目線だけを送ってみると、目がパッチリとして、長い髪を一本のお下げにした、モデルばりに可愛い娘が、
弁当箱の蓋を持ち上げながら、差し向かいで座っている男子学生に話しかけていた。
「解剖学は、筋肉の一筋、末梢神経の一本一本に至るまで細かく分類されてっからなぁ……。たしかに面倒くさいよ
なぁ……」
「これって、全部、前期のテストに出るんだよね?」
「そりゃ、出るだろ。やる気のない奴や、記憶力のない奴をふるい落とすにゃ、こうした細々とした事項を訊くのが一番だ
ろうからさ」
「新入生のうちから、不適格者は排除って、ことぉ? 何げにひどくない?」
「しょうがないさ、いずれは人様の命を預かるんだから、無責任なヤブはまずいってこったろう。お前も、家業を継ぐため
には頑張るしかないだろうが」
「そりゃ、そうなんだけどさぁ……」
『解剖学』というから理学部の生物学科かと最初は思ったが、『人様の命を預かる』という台詞で、医学部生だと分
かった。二人とも、俺と同じ新入生のようだが、法学部と医学部とじゃ、同じ大学でも偏差値が段違いだ。法学部にぎり
ぎり滑り込みセーフだった俺(たぶん、そうだろう)なんかとは、違う次元の連中だぜ。
それもモデルばりに可愛い娘の実家は開業医らしい。
「まぁ、お互い必死こいて、この大学に入ったんだ。その勢いで、医師国家試験の合格まで頑張ろうぜ」
「……うん……」
その女子の相方である男子学生は、度の強そうな黒ブチ眼鏡のせいで、目元はよく分からなかったが、鼻筋が通り、
顎のラインがすっきりとしたカーブを描いていた。どちらかというと、イケメンに属するだろう。
『頭脳明晰でイケメン、おまけに才色兼備の彼女付きとはね……』
「おっ、この高野豆腐、上出来」
そのイケメン男子学生も自分の弁当箱を開けて、おかずに箸をつけていた。
何じゃこりゃ、弁当箱の大きさや形は違っても、その女子学生と男子学生とで、中身は全く同じじゃねぇか。
しかも、美観にまで配慮したセンスのいい盛り付けをしてやがる。
『彼女の手作り弁当かよ……』
無い無い尽くしの俺にとっちゃ、気分のいい光景じゃねぇな。
畜生、羨ましくなんかねぇぞ!!!! ………………………いや、本音は羨ましいよな……。
二人のことを努めて意識しないようにしていたが、それにしても、色とりどりのおかずが盛り付けられた弁当は旨そう
だった。
不覚にも、その弁当をまじまじと凝視していたらしい。それにお下げ髪の女子学生が気付いたのか、俺と彼女の目線
が交錯した。
「あ、あのぉ〜〜、な、何か?」
不幸にも俺と目線が合ってしまった女子学生が、肩をすくめておののき困惑している。
鏡で自分の顔を確認したわけじゃないが、この時の俺は、一昨日の起きがけに、あやせから「性犯罪者予備軍」と罵
られた時と似たような目つきだったんだろう。
そのお下げの彼女は、差し向かいに居る男子学生に救いを求めるような眼差しを送っている。し、しかし、
「……………」
イケメン眼鏡も、ドン引きして絶句してやがるのか?
俺って、どんだけ人相悪いんだろう。いや、こっちに来てから完全に負け犬モードの連続だったから、急速に悪化した
のかも知れない。
元々がよくはないけどな。
そのイケメン眼鏡は、俺が食いかけているコロッケ乗せラーメンを一瞥し、眉をひそめている。
そりゃそうだ、栄養学的には、お世辞にも褒められたもんじゃねぇからな。
そっちの彼女手作りの、おそらくは栄養のバランスも考えている弁当とは大違いだ。
食い物からして、リア充と負け犬とじゃ、こうも違うんだな。
俺は、今にも二人が席を立って別の場所に移動するか、リア充眼鏡が俺に抗議をしてくるか、そのいずれかを覚悟した。
『俺の女をガン見するんじゃねぇ!』
ぐらいは言われて、下手すれば、一発、二発は殴られてもおかしくはない。
だが、そのリア充眼鏡の行動は、斜め上を行ってやがった。
「よ、よかったら、ど、どうだ? 俺とこいつだけじゃ食べきれないほど作っちまったから、え、遠慮なく、く、食ってくれて、
い、いいぞ……」
「?!」
イケメン眼鏡は、おずおずと自分の弁当箱を俺の方に差し出してくるじゃねぇか。相方の女子学生を見れば、彼女も、
困惑しているような雰囲気は否めないが、それでも微笑していやがる。
これって、リア充の余裕?
乞食じゃあるめぇし、理由なく施しを受けるのは気が進まなかったが、差し出された弁当は、本当に彩りがよく、旨そう
だったんだ。
俺は、ラーメンの汁が染みた割り箸を、イケメン眼鏡が差し出した弁当箱に恐る恐る伸ばし、出汁巻き卵の一片を掴
み取って口に運んだ。
「旨い! すんげぇ旨いよ」
昆布か何かの出汁の味とともに、砂糖とは異なる嫌味のない甘さが印象的だった。
濃口醤油でどす黒く染まり、化学調味料と砂糖の入れ過ぎで後味が悪い、お袋が作る卵焼きとは大違いだ。
「そ、そうか、よかった……」
そう呟いて、イケメン眼鏡は、相方に頷いた。
「やったじゃん。やっぱ、亮一って、医者以外だったら、調理師になっていたかもね」
「え?!」
俺は絶句した。彼女と揃いの弁当は、彼女ではなく、亮一と呼ばれたその彼氏が作っていたのだ。
「俺は、陶山亮一、医学部の一年だ。こっちは、同じ高校の出身で川原瑛美、やはり医学部で俺の同級生だ」
陶山と名乗る男子学生に紹介されたお下げの女子学生は、「川原です」と言って、俺に対して軽く会釈をしてくれた。
「お、俺は、高坂京介、法学部の一年だ」
俺も、彼らに倣って、軽く自己紹介だ。
だが、他人の彼女をガン見した上に、弁当までおすそ分けされたバツの悪さがあって、どうにも緊張しやがる。
そんな俺に対して、陶山も川原さんも鷹揚そのもので、川原さんに至ってはニコニコと害のない笑顔を浮かべている。
うわ、やべぇ、人の彼女だってのに可愛すぎる。
「亮一は、料理が好きなのよ。で、作ったものを食べてもらって、それを褒めてもらえるのが純粋に嬉しいの」
男でも料理が好きな奴が居るらしいってのは聞いたことはあったが、実物を目の当たりにしたのは、これが我が人生
で最初だろう。
にしても、料理を褒めたぐらいで、あやせに『性犯罪者予備軍』と罵られたほど目つきの悪い俺を信用していいもの
か。今いち理解に苦しむよな。
「さ、さっきは、川原さんのことをジロジロ見て……。俺って目つきの悪い不審者だよな。それなのに……」
いじけて愚痴るように言っちまった。だが、陶山は苦笑し、川原さんは、「うふふ……」と笑っている。
「高坂くん、だったっけ? さっきの高坂くん程度の目つきじゃ、あたしは別に驚かないから……」
そうして、川原さんは、相方の陶山に、黒ブチ眼鏡を外すように促した。
「うわ!」
眼鏡を外すと、こうも印象が変わるものなのか。沙織もそうだったが、陶山の場合も驚きだ。
「びっくりしただろ?」
「ああ、格闘ゲームのラスボスみたいな迫力があるな……」
言われた陶山は、俺の一言にピンと来なかったのか、「ラスボス?」と呟きながら小首を傾げている。
どうやら、こいつはゲームなんかとは無縁であって、オタクではないらしい。
「亮一のは伊達眼鏡なのよ。本人は、目つきが悪いってコンプレックスを持っていてね。それで掛けてるの。あたしゃ、
別段、目つきは悪いとは思わないんだけどさ」
三白眼っぽいが、よく見れば柔和な印象もある。迫力はあるが、少なくとも悪党ヅラではない。
「ま、まぁ、事情が特別らしいのは分かったよ……。でもよ……」
その後は、『どこの馬の骨とも知れない俺みたいな……』と続けるつもりだったが、言えなかった。リア充のカップルを
前に、格好が悪すぎるからな。だが、
「何でかしらね……」
「うん、何でだろうな」
陶山も川原さんも、勘が鋭いらしい。こちらが言いかけていたことを見抜いているようだ。
「理屈とか、理由とかなんてのは、多分なくて、高坂は、何となく俺たちと似たような感じがしたから、瑛美の奴が声を
かけたし、俺も弁当を差し出した。そんだけの気がするな」
「うん、そうかも……」
本当に頭のいい奴、嫌味な言い方を許してもらえば、高等な奴ってのは、勘が鋭いだけじゃなくて、偏見や先入観も
変な風には持っていないのかも知れない。
「ところで、俺も瑛美も地元の人間なんだ。高坂、お前は?」
二人ともジモティだってのはイントネーションで何となく分かっていた。
それは俺の場合も同様で、この二人には、俺が関東出身だってのがモロバレだろう。
「千葉出身だ。千葉県の千葉市に実家がある」
「へぇ〜〜千葉なんだぁ〜。あたしも、中学二年から高校二年の五月までは、埼玉の親戚の家に居たんだよね」
川原さんの一言に陶山も頷いている。
地元出身のこの二人に、関東出身者である俺への偏見みたいなものが感じられなかったのは、そのせいだろうか。
それとも、こっちの人間が関東の人間をバカにしているというのは、俺が抱いていた根拠のない思い込みだったのか。
「何だかんだ言っても、首都圏が文化の中心なんだ。こっちの人間に、東京への憧憬がないかっていうと、そりゃ嘘だ。実際、俺だって、瑛美の奴が中学の途中で向こうに行った時は羨ましかったよ」
陶山が呟くように言った。こいつは、表裏のない正直な奴なんだろう。
そうした点は、馬鹿正直な俺と似通っているのかも知れねぇ。
俺は、腕時計で時刻を確認した。あとちょっとで、午後一時十分前になるところだった。
「そろそろ昼休みも終わりだな」
陶山と川原さんは、微笑みながら頷いている。
「高坂は、明日もここで飯を食うんだろ? よかったら、今度は首都圏での話を聞かせてくれよ。それと、法学部での
話とかも頼むぜ」
「そうは言ってもよ、大したことは話せないぜ」
「いや、瑛美はとにかく、俺は関東のことはロクに知らないんだ。何だって構わないさ。それに、医学部の連中だけで話し
ていると、息が詰まってなぁ。なんか純粋培養ってのは、俺の性に合わないんだよ」
そう言うと、陶山は川原さんを伴って、「じゃあな……」という一言を残して、医学部のある学棟の方へと歩み去って行った。
「純粋培養ね……」
医学部生らしい表現なのかどうなのか知らないが、妙なことを言うもんだ。
とにかく、陶山も川原さんも、物好きな変わり者なんだろう。
そうでなければ、俺なんかに声は掛けなかったに違いない。
しかし、それでも、保科さんに次いで、地元出身の学生と知り合うことができたんだ。
「俺にも居場所があるのかな……」
八方塞がり一歩手前だった状況も、少しずつだが、変わりつつあるのかも知れなかった。
* * *
『あと、一時間ほどで到着するでおじゃる』
次の日曜日の午前十時頃、相変わらずヘンテコな言葉遣いのメールを沙織から受け取った俺は、新幹線が停車
する中央駅に向かった。
いつものように、路面電車に乗り、終点で下車。そこからはこの街を南北に貫いている地下鉄に乗り換える。
「こんな骨董品ばかりで出来ている街に地下鉄とはね……」
恐ろしくミスマッチなんだが、渋滞に巻き込まれたら身動きがとれなくなる路線バスよりも断然便利ではある。
ただし、首都圏の地下鉄に比べて初乗りの料金が高めなのはいただけないけどな。
「ちと早めに来ちまったかな」
駅の時刻表を見たところ、沙織と黒猫が乗った新幹線は、あと二十分ほどで到着するようだ。
手持ち無沙汰な俺は、新幹線の改札口からコンコースをぶらぶらと所在無くうろついていたが、何とはなしに駅の
北口に出てしまっていた。
「そういや、こっちの方は、あんま来ないからな……」
この中央駅辺りに足を向けたのは、大学受験の時と、合格して今の下宿屋に手荷物持って引っ越してきた時と、この
前の連休であやせを見送った時と、それに奨学金の申請書を親元に郵送するために駅前の中央郵便局に行った時く
らいだ。
俺は、そんなことを思いながら、街並みをぼんやりと眺めていた。
何らかの規制でもあるのか、この街には高層建築らしいものが見当たらない。そのせいで、千葉や東京の街並みを
見慣れた目には、えらく大昔の景観を見せられているような気分になる。
「ビル自体も古くさいのが多いけどな……」
モルタルがねずみ色に変色した雑居ビルの一つに、原色を多用した、この街には場違いといえる派手な看板が
掛かっていた。
アキバにある著名なアニメショップの支店が、あのビルにあるんだ。
あの店があることは、大学受験を終えて、ひとまず千葉に戻る時に気が付いたが、未だに行ったことはない。
この街に島流し同然に隠遁させられたことで、オタク趣味を持つ沙織や黒猫、それに桐乃との関係がぷっつりと
途絶えてしまった。
もともと、積極的にオタク趣味にのめり込んでいなかったせいもあって、桐乃たちの影響がなくなってしまえば、
この種の店に足を向けようという気も失せてしまったようだ。
「それに、アキバを思い出させるような店は、あいつらのことも思い出させるから、辛いんだよな」
だが、今日は、そのあいつらがやって来るんだ。俺は、腕時計で時刻を確認した。間もなく、あいつらが乗った新幹線
が到着する。
「京介氏ぃーーーーーーーーー!!」
ぐるぐる眼鏡にバンダナ、それにチェックのカッターシャツの裾をジーンズに突っ込むという、相変わらずのオタク
ファッションの沙織が右手を高々と上げ、それをブンブンと振り回している。
その傍らには、黒を基調としたゴスロリファッションで異彩を放つ黒猫が付き添っていた。
「お前ら!」
本当に来てくれたんだな。首都圏から数百キロも離れたこの街に。
先日、メールと電話で沙織と連絡した時には、あまり気に留めなかったが、首都圏からここに来るってのは、時間的に
も経済的にも、そうそう簡単じゃねぇからな。
おっと、いけねぇ。不覚にも涙腺が緩みそうになっちまったぜ。そこをぐっとこらえて、改札口から出てきた沙織、それに
黒猫と、がっちりと握手をした。
「あら、もっとしょぼくれているかと思ったけど、意外にも元気そうなのね。肩透かしだわ……」
赤いカラコンを嵌めた瞳を瞬きもさせずに、辛辣なことをさらっと言う。こいつも相変わらずだ。そのくせ、不意打ちの
ようにキスをしたり、『付き合ってください』とかをのたまうんだから、女ってずるいよな。
「まぁ、まぁ、黒猫氏も、不器用な照れ隠しはほどほどに……」
「照れだなんて、そんなことあるわけがないでしょう?」
抗議しかけた黒猫に、沙織は、「チッ、チッ、チッ、チッ……」と、軽く舌打ちしながら、右の人差し指を振って見せた。
「そういう素直でないところが、黒猫氏の個性ではありますが、ここは素直に京介氏との再会を喜ばれた方が宜しかろ
うと思いまするぞ」
「……余計なお世話よ」
恨めしげな半眼を沙織に向けていやがる。
だが、沙織は沙織で、後頭部をポリポリと掻きながら、「いやぁ〜。この黒猫氏のリアクションも、久方ぶりでござる」
なんて、余裕をかましていた。
でも、本当に久しぶりだな、こんなやりとり。これに桐乃がいれば完璧なんだが……。
「それよりも、まずは、この街にあるアニメショップに行こうではありませんか。帰りの電車のことを考えますと、時間は限
られておりますからな」
「そうだな……」
場を仕切るのは、いつだって沙織なんだ。サークルの主催者であるし、その正体は大富豪のお嬢様だからな。帝王学
とでも言うんだろうか。マネージメントのコツとか極意みたいなもんを、既に教え込まれているか、教えられなくても、沙織
自身が家族とのやりとりで自然に身に付けてきたのかも知れない。
おそらく、保科さんもそうなんだろう。下々の俺には、想像も出来ねぇや。
おっと、それはさておき、
「しかし、その店なんだが、思った以上にしょぼい感じだぜ」
前述のように行ったことはなかったが、ちっぽけな雑居ビルの一角にあるってだけで、おおよその規模は分かるからな。
「それでも、ご当地特有のものがあるかも知れないでしょ? 遠路はるばるやって来た私たちを落胆させるようなことを
わざわざ口にするなんて、本当に気配りに欠けているのね」
そりゃー、お前に言われたくねぇよ、と言ってやりたかったが、まぁ、やめておいた。
こんな痛い台詞も、こいつの個性なんだからな。
で、肝心のショップだったが、見事にアキバにある本店の劣化版だった。
売り場の面積が本店よりも限られているから、どうしても売れ筋というか、メジャーなものばかりで、本場を知っている
俺たちには物足りなかった。
「う〜〜ん。まぁ、こんなもんでござろうか……」
沙織も黒猫も、それほど落胆していないようだ。
黒猫も口ではああ言ったものの、この店自体には、さほどの期待はしていなかったと見える。
「まぁ、東京とかに比べると、ちっぽけな街だからな……」
「拙者たちは、この店を目当てにこの街へ来た訳ではござらんから、お気になさらずに……」
そうだよな。何だか面はゆいが、こいつらは、俺に会うためにやって来てくれたんだ。
俺も、こいつらが楽しめるようなところに案内してやらないといけねぇ。
だからと言って、これからどうするかはノーアイディアなんだけどな。
「とにかく、食事にしようぜ。ちょっと早いけど、今のうちなら、どの店も空いているだろう」
何を食うかって? そりゃ、オタク連中にはジャンクフードが似合うのさ。
俺も沙織も黒猫も、ひとまずは駅前のハンバーガーショップに入ることにした。
「で、午後はどうする?」
この前のあやせのように、寺社を訪ねるってのも考えたが、沙織や黒猫が喜んでくれるかどうかは微妙だった。
それに、保科さんと出くわした禅寺は微妙に行きづらい。
保科さんの級友だってだけで、拝観料も、茶代も茶菓子代も受け取ってもらえなかったのが、何だか引け目になってしまっていた。
どうしたものかと内心思案していた俺をよそに、沙織も黒猫も、黙々とハンバーガーと付け合わせのポテトを平らげ、
沙織に至っては、最後にコーラをストローでズウズウとすすり上げて、やおら、にんまりとした。
「もし、宜しければ、拙者にお任せあれ。以前から行ってみたかったエリアが、この街にはござる」
「あ、そ、そうなの?」
ホスト形無しだな。まぁ、下宿と大学を往復するのが関の山の毎日じゃ、この街のことを何も分かっちゃいないも同然
だから仕方がない。
「あまり期待は出来そうにないけれど、沙織のおすすめが何なのか、少しだけ気にはなるわね……」
黒猫も異存はないらしい。
「では、参りましょうぞ。まずは、駅前の七番のバス乗り場でバスに乗るのでござる」
「バスで行くのか?」
沙織は、この街のガイドブックのバス路線網のページを開いて頷いている。
市内のバス路線は、とんでもなく複雑で、渋滞にも嵌りやすいから、俺は滅多に乗ったことがなかった。
「まぁ、見知らぬ街を探訪するには、バスが一番でござるよ。地元の人がよく利用されるから、その街の個性というか
匂いというか、そんなものをじかに感じ取ることが出来るのでおじゃる」
「たしかに、そうかも知れないけどよ……」
一つ路線を間違えただけで、バスってのはとんでもないところに行っちまうからなぁ。
しかし、沙織は、自信たっぷりだから、こいつを信じて行ってみるか。
こういう自信ありげなところも、サークルとかの主宰者に必須の資質なんだろうな。
「それでは、いざ、参ろうではござらんか」
沙織に促されて俺たちはバス乗り場に向かうことにした。
細長い島状のプラットフォームには、鉄パイプの先端に『市営バス 7番乗り場』とだけペンキで手書きされた丸い