17時00分。
16時40分に最後の授業を終え、HRを終え、帰宅しようとする俺にメールが来た。
言うまでもなく琴姉ぇだ。
********************
From:琴姉ぇ[
[email protected]]
Subject:ひーでーくーん?
本文:
一緒に帰ろ?
正門で待ってるね!
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俺はしばし、思慮した上、返信せずかつ裏門から帰ることにした。
やっぱり、5時間目のことを思い出すと琴姉ぇと普通に話せる自信がなかった。
あの体育倉庫の薄暗い中、差し込む日差しに照らされた琴姉ぇの白い肌。
とてもきめ細やかで綺麗だった。
だがその反面、見てはいけないものを見た気がして、自分がとても汚れたものになってしまった気がした。
田上にゲーセンにも誘われたが、睡眠不足を理由に俺はまっすぐ帰宅した。
琴姉ぇに見つかることもなかった。
家に帰り、玄関の鍵を閉める。
……今朝のことを思い出し、チェーンも閉める。
これでピッキングできたとしても琴姉ぇは家には入れないだろう。
リビングに入り、テレビを点ける。
17時30分。
ワイドショーが今日のニュースを取り扱っていた。
俺は洗面所に向かい、顔を洗い、制服を洗濯機に放り込んで家着に着替えた。
ソファに座り、ニュースを見るが、全く頭に入ってこない。
頭の中では琴姉ぇとの今日の出来事を思い出していた。
そのまま疲労感に包まれ、俺は浅い眠りに落ちた――
「ねぇ、起きて」
誰かが俺を呼んでる。
「ねぇ、起きてよぅ」
ダメだ、眠い。
「こうなったら……えい」
俺の頬に温かい吐息が触れた後、柔らかいものが触れた。
そしてそれが、琴姉ぇの唇だと気付いた瞬間俺は覚醒した。
「ちょ、琴姉ぇ?!」
「おはよう、ヒデ君。
おはようのキスはどうだった、ふふ」
琴姉ぇは少し頬を染めて言った。
そこにいたのは私服に着替えた琴姉ぇだった。
5時間目に一旦ほどけたおさげは二つともいつもの三つ編みに戻っている。
一旦家に帰ったのか、と俺は了解した。
「玄関の鍵を閉めてチェーンもかけて全部窓は閉めてるんだぞ?!
一体どこから……」
「えへへ、それはね……」
琴姉ぇは台所を指さす。
「床下を通って、台所の床下収納から入ってきちゃった♪」
……あれか、琴姉ぇはルパンの血でも引いてるのか。
これなら美術館にでも忍び込めるだろう。
「メール、見なかった?」
「メール?
……いや、すまん。
今日は一緒に帰る気分じゃなかったから……」
「ううん、そっちじゃないよ?
18時のメール」
俺は携帯を開く。
受信済みメールが1件。
********************
From:琴姉ぇ[
[email protected]]
Subject:ヒデ君、4つ目の3の倍数の時間だよ!
本文:
ヒデ君、18時だよ!
一緒に晩御飯食べようよ!
朝も昼も作ってあげたし晩ご飯も作ったげるよ。
外食したりせずに家で待っててね( ´ー`)
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「……このためにわざわざ忍び込んできたと?」
「……ダメ?」
「いや、もちろんありがたいんだけど……」
体育の時間のことを思い出して少し気まずい気分になる。
「ははーん、さてはヒデ君疲れてるな?
そういうときにはおいしいものに限るよ!」
「え、ああ、まあそうだな」
昼あんなことがあったのにも関わらず、琴姉ぇは俺との接し方は全く変わらない。
俺は少し安心した。
「じゃあお願いしようかな、よろしく」
「うん!」
琴姉ぇは嬉しそうに台所に走っていった。
OKしてよかった、そう思ったのもつかの間。
琴姉ぇが台所の陰に消えて聞こえてきたのは衣擦れの音だった。
「おい、琴姉ぇ。
何に着替えてるの?」
「んー?
エプロンだよぉ」
そう聞こえてきた直後、リビングのソファに座ったまま見ている台所。
琴姉ぇのスカートが床に落ちるのが見えた。
「ちょっ、琴姉ぇ!
エプロンに着替えるのにスカート脱ぐ必要はないだろ!」
「そんなことないよー?」
言いながら着替え終わった琴姉ぇが台所から出てきた。
確かにエプロンだ。
これでもないくらいにエプロンだ。
紺色のエプロンに、真ん中にチューリップのアップリケが見える。
疑いようもなくエプロンだ。
但し、エプロンしかない。
素肌の上にエプロン。
古い偉人の言葉を借りると『孔子謂ひて曰はく、「裸エプロン也」と』としか言いようがない。
琴姉ぇの白い素肌の上にギリギリ見えるか見えないかくらいの紺色の裸エプロンが生々しい。
「えへへー、男の子ってこういうの好きなんでしょー?」
「ちょっと刺激が強いって!」
俺はまた目を背ける。
「とりあえず晩ご飯頼む!」
「あいあいさー」
琴姉ぇが台所に消えてちょっと安堵する。
少なくとも料理する間は琴姉ぇの肌を見なくて済む。
トントントントン……。
まな板に包丁の音が響く。
ネギでも切ってるのだろう。
「ヒデくーん、冷蔵庫にコーラ冷えてるよー?」
「ああ、サンキュ」
流石は幼馴染み。
俺の好みも完全に把握してる。
俺は早速冷蔵庫に向かい、
(あ……)
琴姉ぇが裸エプロンだったことを思い出す。
極力見ないように、と思いながらもどうしても目に入る。
真横から見える琴姉ぇの裸エプロン姿。
申し訳程度に隠れた状態の横乳に、真横からラインが完全に見えるお尻。
(いかん、また硬くなりそう……)
俺は大急ぎでコーラを取り出し、退散する。
琴姉ぇは俺をからかうでもなく、料理に集中してる。
(やっぱり家事には熱心なんだな)
リビングに戻った俺はコップにコーラを注ぎ、コップから溢れそうな泡を一飲み。
「うん、よく冷えていてうまい」
そのままソファに戻り、テレビを点ける。
テレビでは野球の中継があっていた。
そこで気付く。
(……俺、完全に所帯じみてないか?)
これがコーラじゃなくてビールだったら完全に昭和のお父さんじゃねーか!
ビール飲みながら野球を見て、奥さんが台所で料理を作って……。
いやいやいや、と俺は首を振る。
今日は幼馴染みの琴姉ぇが料理に来てくれてるだけだ。
それだけだ。
……でも俺と琴姉ぇが結婚したら……なんてふと考える。
「ただいまー」
「あなた、お帰りなさい。
今日の仕事はどうだった?」
「うん、なんとか新規のプロジェクトがうまく行ったよ」
「ふふ、それはよかった」
「お腹すいたー。
琴音、今日のご飯は何?」
「今日の晩ご飯はシュールストレミングのパスタと、ホンオフェのサラダ、それにくさやだよ♪」
「って、悪臭放ちまくりのディナーじゃねぇか!」
妄想終了。
ダメだ、どう考えても毎日琴姉ぇにツッコミ入れてる毎日しか思いつかない。
これは夫婦生活と言えるのだろうか。
「……くん」
そもそもなんで琴姉ぇはこんな賑やかになったんだ。
小学校までは図書室で本読んでるのが似合うような女の子だったろ。
「ねぇ、ヒデ君」
それがいつの間にかバラエティ芸人みたいな体張ったネタやったり人をドッキリで驚かせたりするようなキャラに……。
「どうしたの、あなた?」
「え、ああ、何?」
琴姉ぇに呼ばれていたのに気付かず、俺は振り向く。
「……ヒデ君、名前呼んでも振り向かなかったのに、あなた、って呼ばれたら振り向いたー!」
「ちょ、違うって!
最初の方聞こえなかっただけなんだって!」
「そうなの?」
「そうです!」
俺は念を押す。
「そうそう、ご飯できたよ?
食卓について?」
「ああ、ゴメン」
俺はソファから立ち上がって食卓についた。
「うわ、豪華……」
昼のお弁当もだったが、しっかりした食卓だった。
朝のもある意味しっかりした食卓だったと言えるけど……。
「あのね、最初に謝らないといけないことがあるの」
少しもじもじしながら琴姉ぇが言う。
「え、料理失敗したようには見えないけど……」
「ううん、あのね、朝の残り使ったからちょっと微妙かも」
言われて気付く。
水餃子のスープがあるが、中に入ってるのは一旦焼いた餃子だ。
おそらく朝の残りを入れて炊き直したんだろう。
そしてこちらの野菜炒めにはおそらく朝のものと思われる素揚げのニンニクが刻んで入っている。
「できたてのものやきちんとしたのに比べたらおいしくないかもしれないけど、朝作った料理をそのまま捨てるのは気が引けて……」
流石琴姉ぇ。
女子高生だけど主婦の鑑。
「ありがとう、琴姉ぇ。
俺も朝作ってもらったの全部は食べれなかったから無駄にしなくていいのはありがたいよ」
「それならよかった。
さあ、たーんとお食べ!
お残しは許しまへんで!」
琴姉ぇは胸を張る。
「いただきます」
俺はそう言って席に着いた。
……のだが、流石に気になる。
テーブルを挟んで向こう側、にこにこしながら琴姉ぇが俺がご飯を食べるのを見てる。
もちろん裸エプロンのまま。
「……琴姉ぇは食べないのか?」
「私はヒデ君がごちそうさましてからいただくよ。
それから片づけするから」
「一緒に食べないの?」
俺は尋ねながら水餃子のスープをすする。
「だって……旦那さんより先に食べちゃいけないんでしょ?」
「ぶふっ!」
今日何度目かわからないが今度は俺はスープを吹き出した。
「ちょっと、ヒデ君汚いよ!
ご飯を粗末にしちゃいけません!」
「今のは琴姉ぇが悪いだろ!」
言いながら台拭きでこぼれたスープを片づける。
「……そういや琴姉ぇも今日の昼休み行儀悪かったじゃねぇか」
「ん、どこが?」
「あのバナナとアイスキャンデーの食べ方はねーだろ。
食べ物で遊んじゃいけません」
「えへへーそっかそっか。
これは一本取られたわい、はっはっは」
……至極いつも通りの琴姉ぇだ。
とても今日体育倉庫で俺とあんなことをしたとは思えない感じだ。
……ああ、思い出したらちょっとムラムラしてきた。
俺が先に食べ終わったので、琴姉ぇにお茶を入れてやった。
琴姉ぇはいたく感動して『なんちゅうもんを……なんちゅうもんを飲ませてくれたんや……』なんて言ってるけどそれスーパーで買った茶葉で入れただけなんだけどな。
そのうちに琴姉ぇも食べ終わり、食器を片づけに台所へ向かう。
俺はこの後のことを考えていた。
とりあえず、今回はこれで乗り切ったと見るべきだろう。
琴姉ぇが片づけてくれて着替えたら家まで送っていこう。
その後、帰宅したらまた玄関の鍵を閉めてチェーンを閉めて、台所の床下収納の蓋の上に重い物でも置いておけば今度こそ琴姉ぇは来ないだろう。
次は21時、何を企んでるかはわからないが次第に内容もエスカレートしてるし、俺も理性を保てる自信がなくなってきた。
「琴姉ぇ、食器洗い終わった?」
「うん、終わったよー」
そう言いながら琴姉ぇが台所から出てきた……のだが、食器を洗って濡れた手をエプロンまくり上げて拭いてるし!
太股が露わになってもうちょっとでシークレットゾーンが見えそうだし!
「ここここ琴姉ぇ!
エプロンで拭いたら不衛生的だから!
台所にタオルあるから!」
「あ、そうなの?
ありがとー」
琴姉ぇは台所に戻っていった。
どうやら計算ずくじゃなくて素らしい。
恐ろしい破壊力のエロスだった。
「で、改めてことね……」
「ねぇ、お風呂にする?
それとも、私?」
俺の言葉を遮って、満面の笑みで、でもどこか艶っぽく琴姉ぇが尋ねる。
こんな新婚シチュエーションみたいな展開は予想外だった。
「いやっ、いいからっ!
送ってくから!」
俺が琴姉ぇの服を拾いに台所に行こうとすると後ろから抱きつかれた。
やっぱりむにゅ、と胸が当たってる。
「ねぇ、あ・な・た」
吐息が届くくらい耳元で囁かれる。
ぞくり、と寒気にも似た快感が耳から首筋までを伝う。
「最近私、寂しいの……」
そう言いながら俺に抱きつく手の力を少し強くして、よりしっかり俺に身を寄せる。
「そろそろ……二人目、欲しいなぁ……」
もうこの時点で俺の血流の大半が下半身に集結しているかと錯覚するくらい俺の陰部はズボンの中でパンパンで、めちゃくちゃ硬くなっているのがわかった。
だがここで屈してはいけない、と自分を奮い立たせる。
「まだ一人目いないから!
つーか俺童貞だから!」
乱暴にならないように気をつけながら琴姉ぇをふりほどく。
そして急いで台所に行き、琴姉ぇの服と下着を拾う。
流石に下着はドキドキしたけど。
「はい、琴姉ぇ、あっち向いてるから着替えて。
送ってくよ」
「別に見ててもいいけど?」
いたずらっぽく笑う琴姉ぇ。
「いや、とりあえずいいから!
もう今日は十分役得だったから!」
服を全部渡して反対側を向く。
「ちぇー、もう少しでたまごクラブの読者になれそうだったんだけどなー」
とか言いながらも衣擦れの音が聞こえたので、ちゃんと琴姉ぇは服を着てくれたようだった。
「もういいよー」
俺が振り返ると琴姉ぇはすっかり着替え終わっていた。
「それじゃヒデ君。
エスコートお願いね」
この時時刻は19時を回っていた。
本格的に暗くなる前の夜の道を二人で並んで歩く。
琴姉ぇの家は本当に近いのだが、流石に一人で帰すのはどうかと思ったし、家まで送っていく。
街灯の鈍色の光の中に俺と琴姉ぇの長く伸びた影が俺らに少し遅れてついてくる。
「……今日はいろんなことがあったな」
黙って二人で並んで歩くよりは、と思い自分から話題を振る。
「その……ドキドキした」
少し俯きながらも正直に話す。
俺、なに言ってるんだろ。
「私も……またちょっとヒデ君のこと、知れて嬉しかったな」
そう言いながら琴姉ぇは遠慮がちに俺の腕に腕を絡めてくる。
俺は黙ってそれを受け入れた。
家に着くまでのほんの数分だけ。
琴亜ねぇの腕と時折触れる肩の温もりを感じていた。
「じゃあ、またな。
明日は休みだから休み明けに学校で」
俺は軽く手を挙げて立ち去ろうとする。
そのとき、後ろから琴姉ぇの声がかけられる。
「……ヒデ君」
静かに、でもどこか意を決したような声。
「……なんだ」
「今日、家、誰もいないの……」
次に来る言葉は容易に予想できた。
「その……泊まってって……くれない?」
俺と目線を合わさずに、少し伏し目がちに琴姉ぇが言った。
「……そうしてやりたいが、ダメだ」
俺はきっぱりと言った。
……大分逡巡したけど。
「俺は間違いを起こさない自信がない」
これは間違いなく本音だ。
「琴姉ぇのお父さんとお母さんにも申し訳ない」
……もう何年も顔を見てないけど、これも半分くらい本音だった。
口には出さなかったが一番の本音は琴姉ぇと俺の関係が悪い方向に動かないかが心配だった。
幼い頃から仲のいい男女が思春期を経て、お互いを意識しながら疎遠になると言うケースは俺の周囲でも沢山見てきた。
だから俺は琴姉ぇとそんなことになりたくなかった。
体育の時間に欲情しといてこんなことを言うのもなんだけど。
「そっか……」
琴姉ぇは俯き、今にも涙をこぼしそうなくらい切なそうな表情をしていた。
何か声をかけないといけない、俺がそう思っていたら先に口を開いたのは琴姉ぇだった。
「じゃあさ、ヒデ君の家に泊まっていいかな?」
いつもの琴姉ぇの明るい声だった。
「は?」
つい頓狂な声を出してしまう。
「あちきの家に泊まれないんなら、ヒデ君の家に泊まれば解決でありんすね!」
「それじゃ何の解決にもなってねぇだろうがあ!」
つい外にいるのも忘れて全力でつっこむ。
「琴姉ぇとなんか一緒にいられるか、俺は家に帰る!」
くそ、心配して損したぜ。
俺は琴姉ぇに背を向けて家に向けて歩き始める。
「ひーでーくーん!
まだ21時と24時が残ってるからねー!
楽しみにしててねー!」
後ろから琴姉ぇの声が聞こえるが俺は決意を新たにしていた。
断固阻止してみせる。
家にはアリ1匹入れさせない。
そらには月が昇り始めていた。
欠けた三日月。
それは不思議の国のアリスの笑い猫のようで、俺の今日一日の努力をあざ笑っているかのように思えた。