自分という存在に対する考察。
そもそも、私は必要とされて産まれてきたはずだ。
淫猥行為の結果として、出来てしまったものは仕様がないと排出された、
あの肉の塊とは違う。
私の誕生は、あの方の汗と涙と奇跡の結晶だ。初めて私が世界を認識した映像を
――あの方の泣き顔を、私は今でも記録に残している。
あの方が求めたから、私は産まれた。存在の根本から、今現在、さらに
これから続いていく未来までもを含む自分の全て。頭頂部の毛先から足先、
内部に至る全てをあの方が造り出した。
私とあの方の出会いは必然だった。
偶然、あの方と袖すりあっただけの、 縁もゆかりもないあの女とは違う。
前世や魂や運命なんて存在しない。非科学的だ。
第一、私はあの方の全てを知っているが、あの女は何も知るまい。私は
あの方の、身長から体重、生年月日に黒子の数と位置に至るまで、実際に
見たことはないが、知っている。あいつはあの方の笑顔すら知らないのではないか?
それに私の容姿はあの方の理想そのものだ。半永久的に痛むことはない
美しい黒髪。身長はあの方よりも小さく、彼のコンプレックスを刺激することはない。
体重はこれだけ精密な機能を兼ね揃えたとは思えないほど軽い。まあ、あの方に
抱き上げて頂くのは夢に終わるだろうけども。顔は当然の器量であり、なおかつあの方の母上に面影がある。スリーサイズは、黄金比を参考に
しつつも胸の大きさだけ若干小さめの作り……
まさにパーフェクト。
いかにも遊んでます風な外見で、あの方のコンプレックス刺激しまくりの
あの売女とは、比べる気すら起きないはずだ。
それは性格も同じである。淑やかで恥じらいを持ち、奥ゆかしさがある。
この文体からは想像できないという方々がいるかもしれないが、それは文章の
読みやすさを意識した結果なので、勘弁していただきたい。
私の性格は、あの方の深層心理までも掬い上げて分析された彼の好みであり、
さらにあの方が満足していない場合はそれを態度から把握し、性格プログラムは
日々修正される。繊細さの欠片もないあの女は、日々あの方を傷つけているに
違いない。
……
どう考えて見ても、私のほうが優れている。
私ならあの方の仕事をサポートすることもできるし、家事も出来る。
私はあの方の生活を必ずより良いものにできる。それは、昼だけではない……
私は人と全く変わらない感触を相手に与えて、性交渉をすることもできる。
むしろ、人間以上のはずだ。あらゆるアブノーマルプレイに自分は耐えられる。
もし行為の結果をあの方が望むなら、手間はかかるが、子供だって造れる。
遺伝的な繋がりは私には望めないが、自分の中で受精卵を培養して出産を
見せかけることもできる。母親役も完璧だ。必ず、父親を尊敬する素晴らしい
人間に育ててみせる。
法的な問題は多々あるだろうが、そんなものに捕らわれないのがあの方の
性分ではなかったのか。
……
確かに、私の愛は造り物には違いない。
だがそもそも、愛などという、存在を証明することもできないものに、
その程度の差異で優劣をつけるのか。
ならば、私は何の為に産み出されたのか。
こんなことなら、最初から最後まで造り物以上にはなれない私を、どうして求めたのか。
どうして。
どうして……
……
どうして私は泣いているのか。
あの方は今、この屋敷にはいない。ならば、あらゆる感情はシャットダウンされる。
意味がないからだ。私が涙を流すのは、あの方を満足させるために過ぎない。
一人で泣くことはあり得ない。
そもそも、こんな人間的な思考を私がするはずは――
《ごめんなさい。私の戯れがあなたを泣かせてしまったみたい。できれば、
何かお詫びをしたいのだけれど》
溢れ出す涙に邪魔されて、用意した食事を片す手を休める私の目前に現れた、
その極めて非科学的な存在はこう言ったのだった。
◆◇◆◇◆
やはり行くべきではなかった。
回り行く世界に揺られながらそう思う。
自分があんなに人が大勢いる席で、おいしくアルコールを摂取できるわけが
ないのは、明らかなのだから。普段通り断って、さっさと家に帰るべきだった。
それで酒を呑むなら、アルムにでも酌をさせれば良かったのだ……でも。
《山下君も、たまには打ち上げ行こうよ》
だが、まあ。悪いだけではなかった。つい先ほど送り届けてきた彼女を思い出す。
赤みがかった顔、ふわふわした雰囲気、よく笑っていた。笑い上戸なのもしれない。
女性とはいえ、自分よりも背が高い人物を支えるのは骨が折れたが、
密着した時に嗅いだ匂いや肌の感触は――
(いかん……)
タクシーが自宅に着くまであと15分ほどだろうか。それまでにそれが
静まるように、私は流れる景色を窓から眺めた。
タクシーから降りて、自宅へ向かう。意識は意外とはっきりしているのに、
足元はおぼつかなかった。世界は未だ、揺れている。
道路から家の扉までは、ほんの十数メートルだというのに、まっすぐ歩くことが
できない。私が日々開発に携わっているロボット以下の性能だ。だがそういえば、
ほんの百年ほど前には、二足歩行ロボットが人間のように歩くのは不可能だとされていた――
「ただいま」
「おかえりなさいませ、ヒデノリ様」
玄関の扉を開けると、三つ指をついたメイド然とした少女が、帰宅した私を
出迎えてくれた。
こうして見ただけでは人間にしか見えないが……彼女は、アンドロイドだ。
百年前には不可能だったことを、全て可能にした存在。私の、いや、
人類の知恵の結晶。
しかし、
「メイドの服装で三つ指ってのは、おかしくないか?」
「え?あ、そうですか?」
あたふたと、顔あげてアンドロイド――アルム。
先ほども述べた通り、アルムは人間ではない。その全てが造られた存在である。
私は、アルムにこのような出迎えをするように教えていない。彼女には自己学習機能も
あるが、私は今まで彼女の出迎えに関して一切不平を見せた覚えがない。
学ぶ必要がまずないのだ。これはれっきとした問題行動である。
「なんでそんなことをした?」
「えっと……」
またも異常。普段のアルムならば、えっと……などという発言はしない。
だが私はそれに対する指摘はせずに、アルムの返答を待った。
しかし、問題はさらに増えていく。
「あの……」
このようにもじもじしながら言い淀むというような仕草も、通常のアルムはしない。
アルムには感情プログラムが存在するが、それはあくまでもプログラム、設定だ。
人間の心ような複雑怪奇なものは再現できなかった。アルムは設定されている条件上の
反応しかできない。アルムの感情は状況に起因し、積み重なった条件の中から
どういった感情が最適かを選び、その感情を表現する仕草を行う。仕草は
学習によってより私が好むものに変化していく。感情設定も一応学習によって
変化するが、仕草ほど臨機応変にはいかない。全く設定されていない状況が
起こった場合、彼女は無感動になる。それが彼女の正常なのだが、今のアルムは
全くの逆――感情に起因して行動を起こしているように見えた。
だいたい、私の命令に逆らってまで感情表現を優先するようには造っていない。
「このほうが……ヒデノリ様が喜ぶかと思いまして……」
彼女は行動もまた、全て設定されている。その中に、私の反応予想して
完全な自立行動をするようなものはない。できなかった。だというのに
――アルムがおかしい。私はその事実を確信した。
「参照できない?」
とにかく家に上がった私は、まずはアルムの状況を確認しようとパソコンを
立ち上げたが、そのパソコンと常時ワイヤレスで接続されているはずのアルムの電脳は、
その命令を拒否してきた。
「乙女の花園?神様権限によりアクセス禁止?なんだそりゃ……」
わけがわからない。
途方に暮れていると、アルムがやってきた。
「ヒデノリ様、お風呂が沸きました」
「ああ……」
言われて、じっとアルムを見る。彼女はそれに対して、頬を染めて
「な、なんですか」と返してきた。
(恋人モードが発動しているのか?)
この反応は、恋人モードなら、設定した記憶がなくはない。
「いや……いいや。悪いけど。寝るよ」
とりあえず、今夜は寝てしまおう。アルコールはまだ残っているし、
アルムについてはまた明日だ。幸い明日は休みだし。
「で、では、お酒を飲み直しませんか?この間いただいたのが――」
「いや、寝るよ」
「そうですか……」
しゅーん。そんな感じでアルムは少しうつむいたが、すぐに顔をあげた。
「では、寝室の用意を」
そう言って踵を返すと、足早に部屋を出ていく。その顔はまた少し赤かったような……
(感情の起伏が大きい。表情がやけに豊かだ。やはり、恋人モードが……)
恋人モード。正直に言えば私の黒歴史だ。
三年前。童貞を拗らせた私は、子供の頃からの夢だったロボット開発に
一生を捧げる決意をした。その伴侶として生み出したのがアルムである。
私の理想を全て詰め込み、いざ起動したアルムに、私はすぐに絶望した。
彼女が造り物であることが、私の意識から離れなかったからだ。
結局は彼女の全てが創作であり、他人は高く評価してくれ
たが、
私の理想の足元にも及ばなかった。
彼女の行動の全てが予測できるのが、殊更私を打ちのめした。彼女が
どういった反応をするか、それが解る。私が全て設定したのだから当たり前だ。
恋愛モードは自己嫌悪の最たるもので、自分の作った恋愛シミュレーションを
やらされる気分だった。恋する女の子の行動を、必死でプログラムに組んでいた自分を
思いだし、ヘドが出そうになった。
あの時なら、長年憤怒の対象であった天馬博士の気持ちも理解できたと思う。
以来、アルムの恋人モードを私は封印し、彼女は家政婦のポジションに収まった……
……
嫌なことを思い出したせいか、自然と溜め息が漏れ出る。しかし、私は
違和感をその中から掬い出した。
(だが、今のアルムは、前の恋人モードとは雰囲気が違うような気がするな)
ウィルスでも感染したかな。それはまるっきり冗談でもなかった。
と、そこに、アルムが戻ってきた。
「準備、できました」
そういえば、アルムは何の準備をしたのだろうか。ベッドメイクなんて、
いつも昼間のうちに終わらせているのに。
首を傾げつつも、私はまた朱色の顔をしたアルムの前を通りすぎ、
まだ少しふらつきながら寝室へと歩いていった。
ここまでで。
わたしカノジョもできるだけ早く上がるようがんばります。
あと、アンドロイドの設定は適当なので、リアル志向のかたは
ご容赦ください。