【田村くん】竹宮ゆゆこ 30皿目【とらドラ!】

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1名無しさん@ピンキー
竹宮ゆゆこ作品のエロパロ小説のスレです。

◆エロパロスレなので18歳未満の方は速やかにスレを閉じてください。
◆ネタバレはライトノベル板のローカルルールに準じて発売日翌日の0時から。
◆480KBに近づいたら、次スレの準備を。

まとめサイト3
ttp://wiki.livedoor.jp/text_filing/

まとめサイト2
ttp://yuyupo.dousetsu.com/index.htm

まとめサイト1
ttp://yuyupo.web.fc2.com/index.html

エロパロ&文章創作板ガイド
ttp://www9.atwiki.jp/eroparo/

前スレ
【田村くん】竹宮ゆゆこ 29皿目【とらドラ!】

http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1266155715

過去スレ
[田村くん]竹宮ゆゆこ総合スレ[とらドラ]
http://sakuratan.ddo.jp/uploader/source/date70578.htm
竹宮ゆゆこ作品でエロパロ 2皿目
http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1180631467/
3皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1205076914/
4皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1225801455/
5皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1227622336/
6皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1229178334/
7皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1230800781/
8皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1232123432/
9皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1232901605/
10皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1234467038/
11皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1235805194/
12皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1236667320/
13皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1238275938/
14皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1239456129/
15皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1241402077/
16皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1242571375/
17皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1243145281/
18皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1244548067/
19皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1246284729/
20皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1247779543/
21皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1249303889/
22皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1250612425/
23皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1253544282/
24皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1255043678/
25皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1257220313/
26皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1259513408/
27皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1260805784/
28皿目http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1263136144/
2名無しさん@ピンキー:2010/03/15(月) 18:46:17 ID:IDLjQluZ
Q投下したSSは基本的に保管庫に転載されるの?
A「基本的にはそうだな。無論、自己申告があれば転載はしない手筈になってるな」

Q次スレのタイミングは?
A「470KBを越えたあたりで一度聞け。投下中なら切りのいいところまでとりあえず投下して、続きは次スレだ」

Q新刊ネタはいつから書いていい?
A「最低でも公式発売日の24時まで待て。私はネタばれが蛇とタマのちいせぇ男の次に嫌いなんだ」

Q1レスあたりに投稿できる容量の最大と目安は?
A「容量は4096Bytes、一行字数は全角で最大120字くらい、最大60行だそうだ。心して書き込みやがれ」

Q見たいキャラのSSが無いんだけど…
A「あぁん? てめぇは自分から書くって事は考えねぇのか?」

Q続き希望orリクエストしていい?
A「節度をもってな。節度の意味が分からん馬鹿は義務教育からやり直して来い」

QこのQ&A普通すぎません?
A「うるせぇ! だいたい北村、テメェ人にこんな役押し付けといて、その言い草は何だ?」

Qいやぁ、こんな役会長にしか任せられません
A「オチもねぇじゃねぇか、てめぇ後で覚えてやがれ・・・」
3名無しさん@ピンキー:2010/03/15(月) 18:46:50 ID:IDLjQluZ
813 名前: 名無しさん@ピンキー [sage] 投稿日: 2009/01/14(水) 20:10:38 ID:CvZf8rTv
荒れないためにその1
本当はもっと書きたいんだがとりあえず基本だけ箇条書きにしてみた

※以下はそうするのが好ましいというだけで、決して強制するものではありません

・読む人
書き込む前にリロード
過剰な催促はしない
好みに合わない場合は叩く前にスルー
変なのは相手しないでスルー マジレスカッコワルイ
噛み付く前にあぼーん
特定の作品(作者)をマンセーしない
特に理由がなければsageる

・書く人
書きながら投下しない (一度メモ帳などに書いてからコピペするとよい)
連載形式の場合は一区切り分まとめて投下する
投下前に投下宣言、投下後に終了宣言
誘い受けしない (○○って需要ある?的なレスは避ける)
初心者を言い訳にしない
内容が一般的ではないと思われる場合には注意書きを付ける (NGワードを指定して名前欄やメ欄入れておくのもあり)
感想に対してレスを返さない
投下時以外はコテを外す
あまり自分語りしない
特に理由がなければsageる

4名無しさん@ピンキー:2010/03/15(月) 21:37:37 ID:vQ07RjNw
1乙です。
前スレ355も当然、GJですわ。

それにしても三十路突入か。感慨深いな、ゆりちゃん
5名無しさん@ピンキー:2010/03/15(月) 23:39:42 ID:8Bx0A7RI
1乙です。

早いもんですねぇ(´・ω・`)
6名無しさん@ピンキー:2010/03/16(火) 01:17:14 ID:K6x5UvBL
>>前スレ338
またアンタか。GJ
亜美ちゃん積極的で良し。
奈々子様は底なしのエロースだな、最高。

>>前スレ335
>一人相撲の泥沼状態
ああ、木原もかわいいなあ。絵が浮かぶ。
そして北村ができる男、なんだこの空気の読みよう、なにこの機転。GJだ。


>>前スレ316
おおおお。。。リセットかけたんだ!
脱落したふたりが敗者復活戦で救済される、そう。

ホワイトデーに好意を見せられたと期待してしまった三人に味見役として呼ばれたのが分かったところからのドタバタがとても面白かった。

>「高須君?亜美ちゃんさ、味見に来るほど暇じゃないんだよねぇ?プレゼントをもらう時間はあるんだけどさ。」
死ぬね、俺は亜美ちゃんの毒で死ねるのならば本望。GJ


>>1
亜美ちゃんに蹴られる権利をやろう。
7 ◆9VH6xuHQDo :2010/03/16(火) 02:09:39 ID:0d3brV4U
>>1スレ立てご苦労様です。

先月投下させて頂いた。M☆Gアフター6(チョコレート篇)の続きです。

題名 * M☆Gアフター6(マシュマロ篇)
時期 * 二年生の二月。
設定 * 竜×実付き合って八ヶ月。
物量 * 十レスになります。
注意 * 原作とカップリングが違うので、みの☆ゴン未読ですと不快かもしれません。
     今回はエロなしです。次回M☆Gアフター6(鳳凰篇)で描写する予定です。

宜しくお願い申し上げます。
8M☆Gアフター6(マシュマロ篇)1 ◆9VH6xuHQDo :2010/03/16(火) 02:11:04 ID:0d3brV4U

 何もしなくても時間というやつは無情にも川の流れのように過ぎ去っていくもので、高須家
の居間の壁にひっそりと引っ掛けてある掛け時計の針は気付けば午前四時を廻っていた。

「おうっ、もうこんな時間か。そろそろ泰子が帰ってくるな……」
 日付はバレンタインデー翌日の月曜日。唯一日射しが零れるキッチンの小さな窓もまだ黒く
塗りつぶされていて、家の中だというのに吐く息は白く、吸う空気は冷たく、パーカーにジャ
ージを穿いただけの竜児の眠気は寒さで吹き飛び、五感は研ぎ澄まされていく。
 だから、という事ではないのだが、昨晩、恋人の櫛枝実乃梨を家まで送って家宅した後も竜
児は寝るに眠れず、キッチンやらトイレやら風呂場やらの水回りの掃除をついさっきまでこな
してしまい、夜明け前であるこんな時間にも関わらず、居間のちゃぶ台の前に座り込み、実乃
梨から別れ際に渡された謎のDVDのケースを開ける事もなく手の中でクルクル回しながら、
頭の中でもクルクルある考えを巡らせているのであった。

 ……竜児の頭を占領しているその案件は、実乃梨とのバレンタインデーの甘い秘め事ではな
く、同級生でお隣さんの女子、逢坂大河の転校の事であった。
「引っ越すったって……突然過ぎるよな。しかし送別会に草野球でいいのかよ」

 大河の引越しは今週の日曜日。それを知った昨日の夜、じゃあ土曜日にクラスのみんな集め
て送別会でもするかという話になったのだが、それより先に竜児は、贔屓にしているカフェ、
須藤コーヒースタンドバー、通称スドバのオーナーに懇願され、週末の土曜日に草野球をする
約束をしてしまっていた。北村と大河にその旨を打ち明けると、その草野球大会が大河の送別
会を兼ねる、という事で話がまとまったのだが、もっと良い対処方法はなかったのかと、考え
あぐねていたのだ。

「……まあ、考えたら切りねえな。よしっ、少しでも寝るか」
 乾燥した空気に水分を吸い取られ、カサカサになっている唇をひと舐め。竜児は冷めきった
緑茶の残りをグイッと飲み干し、あぐらを解いて片膝を立てる。と同時、玄関からガチャリと
解錠音が静かな居間に鋭く響いた。

「竜ちゃん、たらいま〜。ありゃりゃ〜? 起きれたのぉ〜☆」
 錆びた鉄の扉が軋む音と共に、母親の泰子がご帰還。居間に入るなり畳の上にバタッ! と、
竜児の膝元へヘッドスライディング。その拍子にミニスカートがフルオープンしてしまい、泰
子の白く、丸く、そしてでかい尻がペロンとご開帳! と、あいなるのだ。
「おうっ、泰子お帰り。てか、なんかいつもより酒くせえぞ……どれくらい呑んだんだ?」
 オンナ臭さと酒臭さがミックスされた、泰子独特のパフュームが竜児の鼻腔に充填されてい
く。一部のマニアにはたまらないのだろうが、実の息子にとっては違う意味でたまらない。
「んっふ〜、え〜っとお、ん〜……これっくらーい☆」
 と、泰子は寝そべったまま頭の上に両手で大きな輪を作る。まるで伸びたカエルのような格
好をする母親に、竜児は頭の上に両手で大きなバッテンを作る。
「だらしねえ! いくら家ん中だっていっても、もう少しちゃんとしろ! あーあー、もうし
 ょうがねえな。ったくほら、部屋まで運んでやっから。立てるか?」
 竜児はひざまずき、自分の肩に泰子の腕を廻すと、ゆるーいデコルテのカットソーから高低
差二十センチオーバーを誇る泰子のFカップの谷間が出現。健全な実の息子である竜児はそん
な凶乳なんぞに動揺する事無く凶眼を光らせモクモクと介抱するのだが、その凶乳の持ち主、
泰子が甘い声を漏らす。
「ふにゃ〜……ひぃっ、く……竜ちゃんってばぁ、やしゃし〜んだぁ〜☆ムチュ〜〜ッ」
 泰子の酒臭い唇が、竜児の頬を襲う。全身に鳥肌が勃つ竜児。虚ろな三白眼も更にギラリと
輝きを増し、胴体にタコのようにまとわりつく泰子の四肢をひっぺがす。
「おうっ、ちょっとやめっ……おう泰子、おとなしくしろって! おうっ!」
 するとちゃぶ台の上に置いた実乃梨から貰ったDVDのケースが、ガチャっと音を立て、畳
の上に落ちた。
 その尖った音に、泰子はちょっぴり理性を取り戻す。

9M☆Gアフター6(マシュマロ篇)2 ◆9VH6xuHQDo :2010/03/16(火) 02:11:53 ID:0d3brV4U
「ふえ〜? なあにこりぇ? 映画〜?」
 泰子は畳に落ちたDVDを拾い上げて蛍光灯にかざす。そのDVDのラベルには実乃梨直筆
で『りゅうぢくんへ』と可愛らしい文字が踊っていた。まだ指先がおぼつかない泰子から竜児
はDVDをスパッと取り戻す。
「違えよ。今日実乃梨から貰ったんだ。実は今度の土曜日にスドバの須藤さんと草野球する事
 になったんだが、昨日の別れ際に実乃梨がこのDVDを観てトレーニングしろって渡されたん
 だ……まだ観てねえんだけどな」
 それを聞いて泰子は童顔フェイス全開でクネクネおねだりモード。自動的に凶乳もタップン
タップン自己主張する。

「みのりんちゃんが〜? ふえ〜、やっちゃんもこのDVD観た〜い☆」
 ドタバタと地団駄を踏む泰子。酔っ払いが暴れるもんだから肩を貸す竜児はバランスを崩し
て泰子と一緒に畳の上に雪崩式に倒れ込んでしまった。まずい。これ以上騒ぐと一階の大家さ
んが起きてしまう……仕方ねえ、己の母親だけにワガママ聞いてやるか……というダジャレも
思い浮かんだのだが、それは置いといて、竜児は承諾、折れるのである。

「あーもーわかった。……観たらちゃんとメイク落としてから寝るんだぞ。どれ、待ってろ」
 竜児は立ち上がり、DVDデッキを操作する。そして泰子の隣に戻ると同時、DVDの再生
が始まりテレビの液晶画面がパッと、明るくなる。

 そして竜児の視線は画面に釘付け。そこには衝撃的なシーンが映しだされていた。スピーカ
ーからは深夜にしては結構な音量で、こんな声が流れ始めるのだ。

『やあ、諸君! みのりんズ・ブートキャンプへようこそ! 今日は基本プログラムだ アー
 ユーレディー?』

 なっ……と漏らし、そのまま絶句する竜児。無駄にデカい高須家のテレビ画面の中ではタン
クトップ&ショートパンツ姿の愛しの彼女、実乃梨が潑溂とした掛け声と共に軽快なテンポに
乗り、足踏みをしていたのだ。そして画面の中の彼女は拳を振り上げた後、スクワットを始め
る。

『全身の筋肉に血を巡らせるんだっ! まずはこのままスクワーット。ワンッ、トゥッ! 声
 が小さ〜いっ! ファイヴッ、スクウィ──ッズ! セブッ、エイッ、ワンモッセッ!』

 ……明らかにこれは数年前に流行った黒人のおじさんによる短期集中型レジスタンストレー
ニング……のパクリだ。画面に映る実乃梨の跳ねる髪、飛び散る汗、揺れ動くバスト……こん
な動画、健全な青少年としてはトレーニング以外の用途に使い兼ねない。ハッキリ言って、エ
ロティック。しかし泰子は違う印象を受けたようだった。

「わあ〜! みのりんちゃんカッコイイ〜! やっちゃんも〜っ☆いっしょにとれーにんぐ!」
「……やめろ泰子。なんか、それ違っ……まあいい、もうこれ位でいいだろ? 泰子、寝るん
だ」
 えー! と駄々をこねる泰子の意見を振り切り、竜児はリモコンをテレビに向け強制終了。
だいたいこれ以上流すと竜児の下半身がトレーニングされてしまう。すると泰子は、何かを思
いついたようで、人差し指をピンッと天井に向ける。

「じゃあ竜ちゃ〜んっ! やっちゃんもぉ、後で竜ちゃんの為に野球☆必勝☆祈願のお守り!
 作ってあげるね? 朝にはお部屋のテーブルにおいとくからぁ〜、ガッコー行く前にお財布
 に入れて持っていって〜? ね☆」
 キラン☆とウインクする泰子。自分がマザコンなのではないかと軽く自戒している竜児だっ
たが、お守りというからには素直に泰子の好意を承認する。
「お守り? 分かった泰子、ありがとうな。てか、早く寝ろよ。俺はもう寝るぞ」

 そして互いの部屋に引っ込み布団に入るのだが、しばらく竜児は、さっきの実乃梨のとれー
にんぐDVDを脳内再生。……こそこそと何かのトレーニングを始めてしまうのである。

***
10M☆Gアフター6(マシュマロ篇)3 ◆9VH6xuHQDo :2010/03/16(火) 02:15:26 ID:0d3brV4U

「おっはよー高っちゃ〜ん。なぁにそれ〜、お守り〜?」
 朝のホームルーム前。竜児が登校し、2ーCの教室に入り自席に着くと、アホの匂いをプン
プンさせた春田浩次が、ドスンッと、竜児の背中に覆い被さって&ぶら下がってきたのだ。そ
の春田が指摘したのは、竜児の手の平の上でこねらせていた今朝、泰子から貰った小さく折り
畳んだ包み紙で、そこには『お守まもり☆』と泰子のかわいい文字で書いてあるのだが、とり
あえず春田は誤字である『おまもまもり』を『おまもり』と、正しく読んでしまうのである。
つまり泰子と春田は同レベルという事なのか……。

「ああ、泰……母親がな。土曜日に野球やるって言ったらお守り作ってくれたんだ。そうだ春
 田、その野球の事なんだが、お前も……っおうっ! なんだよ能登、いきなり登場すんなよ!」
 春田のヘラヘラした顔面をグイッと押し退け、能登久光が黒ブチ眼鏡をキラリと光らせなが
ら唐突に割って入ってきた。竜児の持ってるお守りに、能登は瞑らなカワウソ眼を接近させる。
「俺が登場したくらいでそんなに驚かないでくれる? なんか凹んじゃうよ俺。それよりさ、
 高須。このお守りの中身って、もしかしてアレ、じゃないかな。その……アレ」
 眉間に深すぎる縦じわを寄せまくり、能登がお守りを指差してミステリアス発言。別にお守
りの中身など気にしていなかった竜児だったのだが、その意味深な発言に食指を動かすのだ。
「お守りの中身だと? なんだ能登。何か知ってんのか?」
 すると能登は何故か周囲をキョロキョロ確認してから竜児に耳打ちしようと顔を近付けてき
た。能登の鼻息がくすぐったくて竜児は少しよけ、距離をとる。
「アレだよアレ。ヒントはね、勝負事には、効くっていうアレ……昔からよくあるじゃん。高
 須、分かった?」
「さっぱりだ。なんだよ能登、そんなもったいぶるような事なのか? まあいい、それより能
 登、春田もいるし、丁度いい。お前たちに話す事あるんだ。今週の土曜日、頼みがあるんだ
 が……おうっ?」
 竜児は肩を叩かれ、振り返ると、そこには職員室から戻って来たばかりのクラス委員、北村
佑作がいた。
「おはよう高須、その件なんだが、俺に言わせてくれないか?」
 北村の神妙な顔つきに、竜児たちは揃って口を噤む。そして北村は踵を返し、そそくさと教
壇の前に立ち、パンパンと手を鳴らしてクラスの注目を集めるのだった。朝のざわつく教室に
いる連中は北村に気付くと、ピタリと話すのをやめる。

「ああ、すまないみんな。大事な話があるんだ。今朝のホームルームには恋ヶ窪先生は諸事情
 により来られない。逢坂もだ。その諸事情、なんだが……」
 北村は、ただでさえその生真面目な面を、さらに深刻な色を深め、唇を真一文字にして二度
ほどグルリと教室を見渡した。諸事情をうすうす理解している竜児は胸をグッと押さえると、
北村と一瞬、目が合い、そして北村は頷き、重い口を開く。
「今、先生と逢坂が姿を見せないのは、来賓室に逢坂のお母様がいらっしゃっていて、急遽、
 三者面談をしているんだ。実は逢坂が家の事情で引越しなくてはいけなくなって……今週限
 りでこの学校を辞める事になった」
 言い切った。すると、ええええ〜〜〜っっ!!! うっそ〜〜〜!! 悲鳴に近い声が一斉
にあがる。驚きすぎて声も出せずに凍り付くヤツもいた。そんな中、凛と真正面を見据える北
村の態度は立派で、唇を噛み締める竜児。しかしよく見れば北村の頬には一筋、熱いものが流
れていて眼鏡もうっすら曇らせている……だが北村は、そのハキハキした口調を崩さなかった。
「それでだな! 今週の土曜日、大橋の土手沿いのグラウンドで逢坂の送別会兼、草野球大会
 を開催する事になった。突然でなんなんだが、是非奮ってご参加頂きたい! 以上だ! み
 んなよろしく頼むっ!」
 深々とクラスメートたちに頭を下げる北村。シーンと静まり返る教室。その中で、イの一番
に立ち上がったのは反射神経だけはクラスで一番の春田だった。
「もちろんいく〜〜〜!!! でもなんで野球なの?」
 そして能登。
「いいじゃん別にそんな事! 俺も野球大会に行くよっ! タイガー恐いけど、なんだかんだ
 言って仲良かったし!」
 さらに木原。
「ねえ、あたしも別にいいんだけどさ、あたし野球ってあまり知らなんだけど」
11M☆Gアフター6(マシュマロ篇)4 ◆9VH6xuHQDo :2010/03/16(火) 02:16:29 ID:0d3brV4U
 すると実乃梨。
「ふっふっふ……麻耶ちゃん、私のことをお忘れですかい? まっかせなさ〜い! 歩くルー
 ルブックと呼ばれた私が今日からみっちり、みんながメジャーのアンパイヤ級になるまで野
 球のルールを叩き込んでやんよ!」
 で、竜児。
「……いや、草野球だろ? とりあえず最低限のルールだけ覚えてもらえばいいだろ」
 香椎は、
「そうだね。遊びなんだし。みんなで楽しめたらいいんじゃないかな?」
「んじゃあ、今日の昼休みにでもみんなにレクチャーすんよ。あ、竜児くんは、スタメンなん
 だから、放課後も軽く練習しようよ」
 実乃梨は竜児に指でウェーブを作り、カモンの仕草。竜児は吸い寄せられるように席を立つ。
「練習? ……ああそうだな。お前からトレーニングDVD貰ったしな。……ちなみに実乃梨。
 あのDVD俺以外に公開するんじゃないぞ。その……刺激が強すぎる」
 えー! ソフト部の連中に渡そうと思ってたのに〜! それは絶対ダメだ! 俺が没収する!
と、竜児と実乃梨が周囲の呆れた目を省みず、イチャイチャ騒ぎ始めると、大河の転校を知り、
呆然自失としていた亜美はやっと現状復帰したようで、可憐な唇を開く。
「……で祐作っ。その野球大会ってのに、高須くん以外にいったい誰が出場するわけ?」
 そんな幼馴染の質問に北村は銀縁眼鏡に手をやり、 
「いい質問だ亜美! 安心してくれ、実はもう決めている! ピッチャーは、スドバのオーナ
 ー須藤氏にやってもらうんだが、早速他のメンバーを発表するぞ!」
 最前列のやつらに唾を盛大に撒き散らし、大声で答えた。さらに注目っ! と北村は委員長
ヅラを全開にしてよく通る声を張り上げ、2−Cのスタメンを黒板に板書きしていく。

「キャッチャー! 時代遅れの鉄腕コメディアン! 櫛枝!」
「いやー、軟球とか久っしぶりでござるよっ! 燃えて……きた───っ!!」
「ファースト! 短距離走と追試のプロフェッショナル! 春田!」
「あはは〜☆面白そ〜。で、ふぁ〜すとって何すんの?」
「セカンド! 奇跡の暴言製造機! 逢坂!」 
「おい北村、お前がそんなこと言っちゃだめだろ……」
「ショート! マニア受けする眼鏡マン! 能登!」
「てか大先生! 出場してもいいけど、俺の事フォローしてよ! セカンドのベースカバーだ
 けでいいよね?」
「レフト! おしゃれ好きな最終おしゃべり兵器! 木原!」
「ねえまるお〜! 能登はどうでもいいから、あたしの事フォローしてよねえ! てかマジな
 んであたしがやんの? 超意味分かんないんだけど」
「センター! 地球にやさしい顔だけ破壊神! 高須!」
「……なんか外野の両翼が頼りなさそうで、すっげえ守備範囲が広くなる気がするんだが……」
「ライト! 消極的な美少女鉄仮面! 亜美!」
「どーせあたしは、頭数合わせなんだろうから何もしなくていいのよね?」
「そしてサード! 炎のストリッパー! ……いや、ストッパー北村! つまり俺だ!」
 ……それは訂正しなくても良い気がしたのだが、竜児は口にチャック。黙って席に戻るので
ある。指名された面々は、特に異論はないようで、北村法案は無事にクラスメートたちの間を
通過したようだった。

「よし! ありがとうみんな! 来月はもう終業式だ。この最高のクラス、2−Cでのイベント
 も多分これで最後だっ! 最初で最後の野球大会。よろしく頼んだぞ!」

 オーッ! と、北村の放った掛け声に2ーCの教室は勝ちどきのような喚声が湧き上がる。
そうやって大河の送別プロジェクトはめでたくクラス全員の賛同を得られたようで、丁度ホー
ムルームもタイムアップぎりぎりになったその時、竜児はふとお守りの事を思い出す。席に戻
らず竜児の机の横に突っ立ったままだった能登に話し掛ける。
「……そうだ能登、さっきのお守りの中身の話なんだが。教えろよ」
 竜児は一度ポケットにしまったお守りを取り出し能登に突き出し問いただす。能登は驚いた
ように眼鏡の下の瞑らで小さな瞳をユラユラ揺らした。
「ええっ高須、いまさら? タイガーの事ですっかり忘れてたよそんな事! だからアレだっ
 てアレ。毛っ!」
「毛? こん中にか?」
 アングリ開口する竜児。このシーンを写真に撮って見知らぬ人が見れば、バイオのゾンビ犬
がカワウソを喰らうように見えるかも知れないがもちろんそうではない。唖然としているのだ。
12M☆Gアフター6(マシュマロ篇)5 ◆9VH6xuHQDo :2010/03/16(火) 02:18:29 ID:0d3brV4U
「そーそー、勝負事する時にさ、アンダー? 大事なところ? その……アソコの毛をお守り
 にするんだよ。間違いないね。エヘン」
 毛……竜児はリピートし、怪光線が出ちゃうほどお守りを凝視。手は微妙にバイブオン。
「こ……この紙の中に泰子のマン……ヘアーがぁ? ふおおおおっっ!! どどどどうしよう
 能登! 俺さっきから素手で触っちまってたよ! でも捨てるに捨てられねえよっ!」
 ガタガタウルサい竜児に対し、所詮、他人事の能登はクールに対応。
「どうしようったって、持っていればいんじゃない? 捨てたらお母さん可哀想じゃん」
「だってよ! 何が悲しくて泰子のイン……ヘアーなんか持ってなくちゃいけねえんだ!」
 竜児が熱くなるほど能登は冷めていく。そんで竜児を黙らせるべく痛恨の一撃。

「差別するなってば。だって高須。もしその中身が櫛枝氏の毛なら平気なんでしょ?」
「おうっ? ……ぉぅ……そうだな……」
 実乃梨の名を出されるとなにも言えなくなる竜児。ライフがゼロになる。そしてその会話を
ちょっと離れた席からレーダーで捕捉し、思わず股間を押さえる女子がいたことなど、知る由
もない。

***

「太陽が乾いている……」
「なんだ実乃梨、喉乾いたのかよ。ほら、水筒に焙じ茶入ってるぞ。飲むか?」
 試合当日、土曜日の朝。竜児は、修学旅行にも持っていったボストンバッグを待ち合わせ場
所である公園で広げ、水筒を取り出し、既にユニフォーム姿に着替えている実乃梨に手渡した。
「おおこれはっ、ブリタで濾過された高須家自慢の焙じ茶ではないかー! んじゃー頂っきま
 ーす……って違うよ竜児くん! そんな乾いた雰囲気だなーって事だよ。かくいう私も意味
 分かんないんだけどさ」
「意味分かんない事言うんじゃねえよ実乃梨。まあ空気は乾燥しているけどな……おうっ!
 やめ……な、なにすんだ実乃梨っ! 男はリップクリームなんて塗らねえんだよ!」
「んーにゃっ! だみだこりゃ。前から思ってたんだけど、竜児くんの唇ってカサカサじゃん
 か。ほれほれ神妙にしろ〜いっ! オラオラオラオラオラオラオラオラ……オルアアア!!」
 嫌がって暴れて反り返ったものの、唇に塗り絵のようにグニグニとリップクリームを塗りた
くられ屈辱感にさいなまれる竜児だったが、すぐさま実乃梨も自分の唇にそのリップクリーム
を塗るのを見て、ポワンとしておとなしくなってしまう竜児なのであった。そして実乃梨は、
リップクリームをスポーツバッグにしまうのだが、代わりに小さく折り畳んだ、かわいらしい
柄の包み紙を取り出した。
「……竜児くんこれあげる。お守りっ!」
「おうっ、サンキューな! 俺知ってるぞ。これ髪の毛入ってんだろ? 泰子からも貰ったん
 だ。ほら」
 と言って、ポケットから例の『お守まもり』を取り出した。すると実乃梨の顔は、急激に真
紅に染まる。
「髪の毛? この中身って髪の毛なの? なんでなんでどうして?」
「ち、違うのか? 実は月曜日に能登が変な毛が入ってるって言うから、家に帰ってすぐ、泰
 子に問いただしたら、ただの髪の毛だって……も、もしかしたらお前の、お守りの中身は……」
 真っ赤な実乃梨は、今度は真っ青になる。信号機のようだ。
「ギャース!! な、なんでもないっす! やっぱイイ! イイや、忘れて? だってお守り
 二つもいらないもんね? っぶねー!!!」
 実乃梨は大至急お守りをバッグに戻そうとするが、竜児はその手を取って引き止める。
「せっかく作ってくれたんならくれよお守り! いや、欲しい! 死ぬまで大事にするから!」
 頼む! と、竜児も負けずに真っ赤になって懇願する。と、信号機実乃梨は再び赤に変わる。
「ほ、ほんと? 竜児くん迷惑じゃない?」  
 実乃梨は、今にも泣きそうな瞳で竜児を見つめる。そして竜児はお守りをそっと受け取り、
「迷惑なわけあるかよ。実乃梨、ありがとうな」
 二人はこのままチューでもしそうなくらいに見つめ合うのだ。そこに駆け寄る影二つ……。

「みっのり〜ん! おっはよ〜! だっこ〜〜〜っっ!」
「うおっしゃああっ、大河ーっ! ユニフォーム似合ってんじゃねーかー! バッチこーい!」
 ガシッと抱き合う実乃梨と大河。竜児も一緒だった北村とハイタッチする。
「おはよう北村。なんだお前もユニフォームに着替てんのかよ。てっきりお前の事だから球場
 で裸晒しながら着替ると思ってたんだがな。想定外だ」
13M☆Gアフター6(マシュマロ篇)6 ◆9VH6xuHQDo :2010/03/16(火) 02:20:16 ID:0d3brV4U
「その手があったか! いやいや何言ってるんだ高須。勝手に人の事を変態扱いするんじゃな
 い。まあ高須がどうしても俺の肉体を見たいのなら、やぶさかではないがな。はっはっは!」
 と笑い声を上げる北村だが、キラリと光る銀縁眼鏡の奥の目は、残念そうにひくついていた。
「……そんな趣味、俺にはねえよ。まあ今日は大河の送別会だ。北村、気合入れて頑張ろうぜ」
「そうだな。勝って、笑って、逢坂を見送ろう! ではいざ参ろう、出陣!」
 そういって右手をすらりと上げ、北村はグラウンドがある土手へと颯爽と歩き始めたのだが、
実はさっき竜児は北村の唇がカサカサに乾いていたのを見つけてしまい、気になっているのだ
った。

***

 気持ちいい青空の下、試合時刻の十五分前。土手のグラウンドには2−Cの連中が既に半数
近く集まってくれていて、今日の主役である大河の周りにみんなが輪になって固まっていた。
 その輪の端っこのほうで亜美はじめ美少女トリオはキャンキャンと甲高い声を上げ、エール
の交換をしている。
「きゃあああ、亜美ちゃんユニフォーム姿チョー可愛いーッ! なんでも似合っちゃうんだー?
 さっすがモデル!」
「えー? やだあ麻耶そんなことないってー。麻耶だってぇ、元気少女〜って感じですっごく
 似合ってるよ?」
 そんな様子に熱く視線を注いでいた竜児。実は北村のカサカサ唇から今度は、亜美の腰辺り
が気になっていたのだ。堪らず竜児は口を出した。
「どうでもいいが川嶋……なんでお前のユニフォーム。ベルトがシャネルなんだよ」
 亜美が着ているシンプルなデザインのユニフォームの丁度ヘソの辺りで、チャンピオンベル
トのようにシャネルのロゴマークがギラギラと光り輝いていた……ミスマッチにもほどがある。
そんな竜児の指摘に亜美は舌を出して可愛く頭をポカリ。しまった嵌められた。誰かの指摘を
亜美は待っていたのであろう。この目立ちたがり女は確信犯だ。
「あは? 高須くんバ・レ・た? だってー! ソフト部に貸して貰ったユニフォームにベル
 ト付いて無くってぇ! あたしこれしか持って無かったんだも〜ん! あ、高須くん今、天
 然って思わなかった? 思ったでしょ〜? もー、全然違うのに〜! やだなー?」
 本当だ〜! すっごーいっと言う声を浴び、上機嫌になる現役人気モデル。しかしその歓喜
は束の間、悲劇に変わるのであった。
「ばかちーは天然でも天然ハゲでしょ? あーっ、今日でしばらくお別れだっていうのにあん
 た結局最後までばかちーね。威嚇よね」
 亜美の甘ったるい声を聞きつけ、人の輪の中から大河が躍り出るなり毒舌を吐いた。亜美は
可憐な面は一気にひん曲がり、暴言製造機を指弾する。
「ハゲてねえよクソチビ! 誰のために野球なんかすると思ってんのよ! 今日が最後だって
 んなら、あんたも少しくらいしおらしくしろっての!」
 暴言製造機はお互い様か。大河は腰に手を当て、薄い胸を精一杯張る。
「ふん? わかったわばかちー。あんた今日はいつにもなく可愛いいわね。……ハゲが」
「だからハゲてねーよ!」
「ハゲろ!」
「ハゲるか!」
 身長差をものもせず、大河は亜美とがっぷりよつ。いつもの醜い小競り合いが開幕したのだ
が、そんな宿敵同士に虹の架け橋となる仲裁の女神が降臨するのだ。
「こらー、試合前なんだから仲間割れするんじゃなーい! これ大河! あーみんの髪の毛引
 っ張らない! あーみんも大河の耳、引っ張っちゃダメ! もーっ! 今日の試合は大河の
 事がメインだけど、それだけじゃなくって、みんなのスドバのコーヒー無料サービス権もか
 かってんだから仲良くやっておくれやす〜!」
 と、実乃梨がレフリーよろしく二人の間を取り直す。しかしその内容を耳にしたスドバの須
藤氏が慌てて口を挟んで訂正してきた。
「あれ? 高須くんの彼女さん? みんなって約束した覚えないんだけど……」
 口髭を燻らせながら、須藤氏の眼鏡の下は困り顔。だが申し訳ないが、言い出しっぺの竜児
としても、ここは譲れないのだ。
「ここまできて何言ってんすか須藤さん。去年の雪辱晴らすんすよね? ウチのクラスのみん
 な、須藤さんの為にこうして集まってくれてんすよ? プライド無いんすか? 試合に勝っ
 たらクラス全員に、一ヶ月間一杯無料サービスしてくださいって!」
 多少のウソが混ざっているのだが、どうやら竜児の一言は、須藤氏のウイークポイントを的
確に衝いたようだった。
14M☆Gアフター6(マシュマロ篇)7 ◆9VH6xuHQDo :2010/03/16(火) 02:21:40 ID:0d3brV4U
「ううっ、スカイツリーより高い私のプライドが揺れ動く……わかった高須くん。クラス全員
 は勘弁だけど、出場した選手だけというのならなんとか承知するよ。それでいいよね?」
 すると、そんな交換条件を今まで知らなかった能登は俄然奮起して、眼鏡の下の小さな瞳を
目一杯見開く。
「マジでスドバのコーヒー無料なの? マジで? いやったー俺、頑張っちゃうよ俺! も〜
 こんなグッドニュース聞いて木原ってばなにボーっとしてんのよ! もっと気合入れろって!
 無料だよ?」
 中腰にして、亜美のシャネルを羨ましいげに覗き込んでいた木原だったが、バシッと、肩を
軽く叩かれ、振り向き様に眉を吊り上げ、セクハラ男子を撃退するのだ。
「ってーな! 誰かと思ったら能登かよ! ウザ! つーか何? 気合い? なんであたしが
 あんたにそんなこと言われなくちゃなんないわけ? だいたいあたしはタイガーの為に野球
 やるんだからっ、知らねーっての! ねー奈々子?」
 するとお嬢様系純情ワンピに着飾る香椎が、木原に同意。能登に同情。
「私は応援だけだからなんだけど、そうよね麻耶。今日はタイガーがメインヒロインよね。で
 も能登くんさ? 試合中、麻耶のサポート、よろしく頼むわね?」
 ニッコリ首を傾げ、微笑む香椎。その魅惑的な素振りにデレデレ蕩けてしまう能登なのであ
るが、それに浸る間もなくツンツン木原にビシビシ容赦ないローキックを喰らってしまうので
だった。……そこへ相手チームに挨拶していた北村が戻ってきた。

「おーいみんな、集合だー! 始めるぞ!」
 ほーいだのへーいだの緩んだ返事が飛び交い、やがてホームベース前にずらずらと選手集合。
竜児がベンチの裏へ目をやると、いつの間にか応援のクラスメートたちもほぼ全員集まってき
ていた。もうすぐ始まる。大河と一緒にやる、最初で最後の野球の試合が。

 ──そして、プレイボールの声が二月の澄んだ空に響く。

***

「うお〜しっ! 俺も打つぞ〜」
 既に試合は三回裏、竜児たちのスドバチームの攻撃。この回の打順は春田からで、春田はヘ
ルメットからはみ出したロン毛を気にしながらバッターボックスへと入っていく。それを竜児
は三塁側のコーチャーズボックスから眺めていた。
「おいアホ毛! 死んでもいいから塁にでろ!」
 と吠えるのは、ネクストバッターズサークル内で次に打順を控える今日の主役、大河。その
大河に春田は振り向き様に、イエ〜ス☆とウインク。それをダイレクトに受け止めてしまった
大河は本気でゲエッ! と、吐き気をもよおし口を抑え、崩れ落ちてしまった。
 そして主役を撃沈したのにも気付かず、バッターボックスに入った春田は上段にバットを高
々と構えた。そこで球審の声がグラウンドに響く。
「プレイッ!」
 それを受け、ピッチャーがサインを確認し、第一球振りかぶって、投げた。

 カキン!
「大ほ〜むら〜ん☆」
 快音と共に春田が打ち上げたボールは、放物線を描いて遠くへ伸びていくのだが、惜しくも
打球は大きく右にフックしてファールラインを割り、土手を乗り越えてしまう。
「ホームランじゃねえっ、大ファールだ! けど春田、惜しかったな! よし、俺がボール取
 ってくる!」
 タイミングが合っていたら確実にホームランだったろう。アホの底力を垣間見て、感心しな
がら土手へと駆け出す竜児。グラウンドでは予備のボールでプレイは続行されていく。

 土手の斜面を駆け上がり、上まで辿り着いた竜児は、春田が打ったと思われるボールを手に
しているアラフォーと見受けられる淡い栗色の髪をアップにした女性とばったり鉢合わせにな
る。互いの目線が合い、竜児は帽子を取り一礼。顔を上げると女性の虹彩、瞳はグレーだった。
「あ、あの……すいません! そのボール、俺たちの……おうっ、怪我無かったっすか?」
 よくみれば女性は妊婦だった。日本人離れした端整な顔の下には、お腹のふくらみがぽっこ
り目立っていた。その大きさから、いつ産まれてもおかしくない、臨月を迎えているのであろ
う。
「ううっ……ショックで、子供が産まれそうだわ……」
15M☆Gアフター6(マシュマロ篇)8 ◆9VH6xuHQDo :2010/03/16(火) 02:24:21 ID:0d3brV4U
 ひーっ! と、バンザイする竜児に、嘘よ。をクールにあしらう女性。竜児はずっこけそう
になる。しかし……悪い事してないのに叱られているこの感じ。女性の嬲るように歪む唇……
どこかで体感したような……勘違い、だろうか?
「そこの草むらに落ちたのを拾っただけだから、私にボールは当たってないわ。平気よ。出産
 もしないわ。これ、あなたのよね? はい、受け取りなさい」
 ペコペコ頭を下げ、竜児は川臭い土手には不釣合いなマタニティドレスを纏う女性からボー
ルを受け取るのだが、美しいがどこか底知れないその女性に興味を惹かれてしまい、なんとな
く話かけてしまうのだった。

「ありがとうございます。あの、野球。お好きなんすか?」
 すると女性は竜児の胸中を探るように大きなグレーの目を凝らす。辺りはいつの間にか川の
臭いから女性の香水の香りにすり替わっていた。
「ええ、ちょっとね。あなたは野球好きなの?」 
「いや、その……実は友達が転校するんで、今日は送別会を兼ねて、クラスメート全員集めて
 野球大会しているんです。そう、今ちょうど、バッターボックスに入ろうとしている女の子
 がそうなんですが」
 土手から見下ろしたグラウンドでは、顔面にデッドボールを受けた春田のケツに、思い切り
ケリを入れてる大河の姿があった。ベンチからの笑い声がここまで聞こえる。
「あらそう。みんな楽しそうね。あの娘……別れを惜しんでくれる仲間がたくさんいて、なん
 というか……幸せなのね」
 女性はしばらく大河を眺めているうちに、次第に冷たい表情へ血が通っていくように竜児に
は見えた。もしかしたら今日の草野球大会に出ている誰かの知り合いだろうか……そう勘ぐる。

「あいつ……初めて会った時は周りのやつらに威嚇しまくっていて、あんな感じに笑う事なん
 て全く無かったんですが、二年生になってからいい友達に巡り合えて、たくさんの仲間が出
 来て、丸くなったっつーか、優しくなったっつーか。すっごい変わったんです」
 何故だか竜児の舌は滑らかになっていた。土手の上に吹く風に巻き上げられた、頬にかかる
髪を耳まで掻き上げ、女性は熱弁を振るう竜児にまた視線を合わせた。
「……あなたもあの娘のいい友達なの?」
 ドキリとする。竜児にとって、大河はどんな存在だろうか。少し考え、竜児は答えた。

「いいかどうかはあいつに聞かねえと解りませんが、そうっすね。はい、大切な友達です。仲
 間なんです。だから転校すんのはすっげえ淋しいすけど、そんな事言って、あいつに心配さ
 せたくないんです。あいつの覚悟を無駄にしたくないです」
 渡されたボールを固く握り、竜児は自分に言い聞かせるようにそう呟く。やがて香水の匂い
に竜児の鼻が慣れたと感じたその時、女性の口元からふうんと、漏れる。

「……そう。大切な友達、ね。……これは、考え直す必要あるようだわね……」
 女性は視線を宙に泳がせ、思慮深い、儚い表情に変わる。それはまるで女神のように神秘的
に見え、見蕩れそうになるのだが、女性の言葉の意味が気になり、竜児は女性に問うた。
「あの……考え直すって、何をすか?」
 すると女性は慌てたように虚空をぼやりと見ていた焦点を竜児の顔へと合わせる。
「あ、いえこっちの話。……あなたお名前は?」
 不思議とこの女性に見つめられると、竜児は饒舌になっていく。
「高須竜児……すけど」
「そう、高須くん。多分だけど、私の予見では、高須くんはまたすぐにあの娘と逢える気がす
るわ。きっとすぐね。あんなに気持ちのいい友達がたくさんいるんだもの……あの娘の親も考
え直すと思うわ。親は子供に一番幸せな環境で、幸せになって欲しいものですもの……それに
親の都合でこれ以上娘に嫌われたくないしね」
 そう言って妊婦の女性は新しい命が宿る大きなお腹をさすった。そして竜児。
「そうっすかね。その予見が本当ならクラスのみんなも喜ぶと思います。もちろん俺も、そし
 て、あいつの彼氏も……」
 ふと見たグラウンドでは北村がベンチから、ここまでこだまするほど大河に大声援を送って
いた。大河はそれに照れたのか、真っ赤になって、ど真ん中に飛び込むボールを見送ってしま
っていた。……ったく、と声を漏らした竜児だったが、いつの間にか女性が真横に並び立って
いるのに気付く。
16M☆Gアフター6(マシュマロ篇)9 ◆9VH6xuHQDo :2010/03/16(火) 02:25:36 ID:0d3brV4U
「高須くん。試合頑張ってね。あと、大河によろしく言っておいてね。さようなら」
「は、はい。ありがとうございました! 失礼します!」
 女性は土手を降りて、河川沿いに路駐した漆黒のポルシェへと向っていった。その後ろ姿を
暫く見送り、竜児も反対側の土手を下っていく。そしてグラウンドに戻りながら、不思議な事
に気付いた。そういえば、なんであの女性は大河の名前を知っていたんだろう……竜児はハッ
と閃き、振り返るが当然女性は土手の上には居らず、そのかわりさっきのポルシェが低いエキ
ゾースト音を轟かせ、去っていく音が聞こえた。

***

 九回裏。スドバチームの攻撃。点差は僅か一点。
「うおおっ、なんだこの燃え展開! 熱すぎるっ!」
 ベンチに戻り、興奮する実乃梨をなんとか落ち着かせようとする竜児。
「しかしだな。確かに一点差なんだが、三十対二十九だと、あんまり緊張感ねえよな、実乃梨」
 その横でやっと最終回になり、ベンチで思い切りリラックスするのは亜美。逆転すればもう
亜美の出番はない。
「ぶっちゃけ、延長戦とか面倒臭いからチャチャっと得点入れてサヨナラ勝ちしようよ。って
 ことで麻耶〜、ヨロシクね?」
「えー! ヨロシクしないで亜美ちゃん! 無理無理だって! あのオッサンマジなんだもん!
 怖えーし!」
 この回、先頭打者の木原は、亜美にプレッシャーを掛けられ、絵に書いたように動揺してし
まう。それを見たリーサルウェポン香椎が遂に動きだした。 
「仕方ないなー麻耶。私が手伝ってあげる。とりあえずバッターボックスにいってらっしゃい」
 すると、しなやかに香椎はバックネット裏へ移動。熱いなぁ……と呟きながら肩に掛けたボレ
ロをはらりと脱ぎさり、抜群の破壊力を誇る胸の谷間を群衆に露わにする。そしてその思惑通り、
香椎山脈に気を取られてしまった相手チームのピッチャーは、木原以下、そのまま三人連続フォ
アボールを出してしまい、仲間のブーイングの嵐を受けつつ、ノックアウトされマウンドを降り
てしまうのだった。

 そしてこの時に、バッターボックスへと向うのは、実乃梨だ。

***

「ノーアウトフルベース、しかもサヨナラのチャ〜ンス! うおーい大河〜っ! 私がここで
 一発打って試合決めっからよ? しかとその麗しき瞳に焼きつけるがよいぞっ! てか、こ
 こで決めなきゃ女が廃るっての! マジで!」
 大きくバットを振りかぶる実乃梨。ソフトボールと比べてスイングのタイミングが遅い野球
に実乃梨はやっと、馴れて来たところであった。そしてマウンド上には交代のピッチャーが投
球態勢に入っている。

 バシっ!
 捕球音。実乃梨は初球の内角寄りのストライクを見逃した。そして確信する。この試合は勝
ったと。次も詰まらそうとして同じコースに投げてくるだろう。実は得意のインコースを出力
全開でフルスイングして、センターオーバーのヒットを狙う。私なら出来る。そう言い聞かせ、
バットのグリップを捻るように握りこんだ。そして、放たれた第二球。

 キン!!
 その打球は実乃梨の予想と違い、ぐんぐん飛距離が伸び、センターの頭上を遥かに超えて、
大橋の川に着水。目線で打球を追っていた塁審がこっちへ向き直り、全力で腕をグルグル回し、
グラウンドにいる全員に、グランドスラムだということを伝えていたのだった。

 ***


「高須くんありがとーっ! 約束通りコーヒーサービスするから、みんなと毎日でも店に来て
 おくれ!」
 試合が終わってからすでに小一時間過ぎていたが、興奮冷めやらぬ須藤氏は、すでに相手チ
ームも解散しているのにも関わらず、土手を散歩している全く関係ないオバちゃんにまで握手
をして大喜びしているのである。
 2ーCの連中も喜びを分かち合い、胴上げなんかもして騒いでいたのだが、主役の大河がお
腹空いたというので、みんなでファミレスへ移動していて、もうグラウンドには須藤氏待ちだ
った竜児と実乃梨の二人きりになっていた。
 とりあえず須藤氏の約束の確認も出来た事だし、竜児も実乃梨を連れてファミレスに行こう
としたのだが、今日のMVPである実乃梨は、ペタンとベンチに座り込んだのだった。

「いなくなちゃうんだね、大河……あいつの前じゃ言わないけど。私、本当は嫌だよ」
 実乃梨はヒザを抱え、顔を伏せた。竜児はその隣に座る。
「……大河は、どっか行っちまうけど、必ず帰って来る。その為に、ずっと俺たちと一緒にい
 る為に転校したんだ……実乃梨、分るよな?」
 そう言い聞かせたのは自分自身のためにも。実乃梨はダルマさんが転んだで鬼になった子の
ように、そのまま顔を見せなかった。
「うん、分かってる。もちろん分かってるんだけどさ……あのね、竜児くん。大河ってさ、私
 にとって、素の自分を曝け出せる、唯一の存在だったんだよ。きっと大河もそうだったんだ
 と思う……私たちってなんていうか……特殊でしょ?」
 否定も肯定もしにくい台詞。しかし竜児は黙って頷く。頭を上げ、再び顔を見せた実乃梨は、
焦点が定まってなく、視線は虚ろ。親指の爪を噛みながら、言葉を続けた。
「だからさ。大河と北村くんの事、信用してない訳じゃないけど、このままどっか行っちまう
 んじゃないかと心配なんだよね。その……私は貴方がいてくれるから、平気なんだけれども」
 途中で竜児を気遣い、実乃梨はわずかに頬を染めそんな事を言う。竜児はそんな実乃梨の頭
を撫でた。
「なあ実乃梨。大河にとってもお前は唯一無二の存在だろ。今までの自分に自信を持て。俺だ
 って悲しくねえ訳じゃねえけど、お前が側にいてくれてるし、なんてったって大河には今、
 北村がいる。だからみんな、きっと平気だ」
 頭に乗せられた竜児の手を取り実乃梨は竜児を見上げた。
「んっ、そだね……ありがとう。私も強くなんなきゃね。大河みたいに」
 実乃梨の大きな瞳に映りこむ竜児の姿が揺らいでいた。繋いだ手に力をこめる。
「ああ、……だな」
 そして将来の伴侶に選んだ彼女はゆっくり立ち上がる。二人は見つめ合い、どちらともなく、
唇を合わせていた。チュッ……と、湿る音。今日の竜児の唇はリップクリームのおかげで潤ん
でいた。そしてその唇は、愛しい存在を確認するように絡みあう。
 昼下がりの土手沿いのグラウンド。誰かに見られても……知らねえ、止まらねえ。そして、
なぜか胸を掻きむしるような衝動に駆られる。気付けば竜児の手は実乃梨の柔らかくて、熱い、
胸に触れていたが……実乃梨は抵抗しなかった。
 チュパッ……離れた唇に、光る糸。

「実乃梨……愛してる」
「うん……私も。グスッ……竜児くん」
 未来は判らない。だからこそ、今のこの感情を大切にしたい。刹那主義だと吐き捨てられる
かも知れない。だけど……竜児はしたいがままを実乃梨へぶつけたのだ。それが許されるであ
ろう竜児の唯一の存在、実乃梨へ。

「実乃梨、そろそろ、俺たちもみんなの所へ行こうか」
「もう少し。泣いたってバレちゃう」
 手を繋ぎ、二人は大橋へと目をやる。そこでは何故か須藤氏が、犬にお尻を噛まれていた。


 ──そうして、今日が終わり、次の日。大河はこの町からいなくなった。



──To be continued……

18 ◆9VH6xuHQDo :2010/03/16(火) 02:27:17 ID:0d3brV4U

以上になります。お読み頂いた方有り難うございました。
次回、スレをお借りさせて頂くときは、職人様のお邪魔にならなければ来月
完結編である続き、M☆Gアフター6(鳳凰篇)を、投下させて頂きたく存じます。
失礼いたします。
19名無しさん@ピンキー:2010/03/16(火) 02:34:35 ID:K6x5UvBL
>そこには『お守まもり☆』と泰子のかわいい文字で書いてあるのだが、とり
>あえず春田は誤字である『おまもまもり』を『おまもり』と、正しく読んでしまうのである。
>つまり泰子と春田は同レベルという事なのか……。

泰子の毛の下りから勘違いして自身の下の毛を入れたお守まもりを用意する実乃梨。
勘違いだと気づいて恥ずかしげに引っ込める実乃梨に対して死ぬまで大事にするからという竜児。

・・・くそうバカップルめ・・・死ねば良いのに。

野球という祭りとその祭りのあとの静けさもラブラブだねえ。
>そこでは何故か須藤氏が、犬にお尻を噛まれていた。

なぜだ。

次回完結編も待ってます。そしてエロSSも好きなのですよ(`・ω・´) シャキーン>>18
20名無しさん@ピンキー:2010/03/16(火) 07:28:09 ID:hsy2XNCY
>>18
GJ
くぅ……相変わらずのイチャラブに顔面崩壊が止まらん、会社に遅刻する。
高校になって送別会をしてもらえる大河がちっくと羨ましくなったぜよ。

かなりどうでもいいことだが、みのりんって大河のこと「あいつ」じゃなくて「あの子」って言わない?
……ごめん、スルーして下さいw
続き待ってます
21名無しさん@ピンキー:2010/03/16(火) 07:58:14 ID:Qq0iR4lL
>>18
GJ。
やっぱりみのどらはたまらん!
レーダーで捕捉して、実行しちゃうみのりんにもうメロメロっす。
そして、DVD観てみてぇ…

来月の完結編も楽しみにしてます。
22名無しさん@ピンキー:2010/03/16(火) 13:29:04 ID:z0TMYOzT
>>18
gj
みのりん結構単純バカなんだな。可愛いからいいが…
おい、もう竜児ポジション俺と変われよ!
DVDもお守りも俺がもらっといてやるから
完結編期待してます!


それから前スレ埋めgj&>>1乙!
23名無しさん@ピンキー:2010/03/16(火) 17:59:33 ID:2G0OPWaz
>>18
うぅ、やっぱみのりんはええのう
24名無しさん@ピンキー:2010/03/16(火) 18:34:34 ID:1mT/BoN6
>>前スレ埋め

独身は何気にちゃんと愛されてるな
一番気を使われていた気がするし、この場合一番本命に近い存在かも?
2598VM ◆/8XdRnPcqA :2010/03/16(火) 23:11:20 ID:tMBgTPXZ
こんばんは、こんにちは。 98VMです。

後半戦開始です。後半戦では前半戦のテンプレ(3レス、「どこ?」「○○○だ」、結びの言葉)
のうち、レス数については解除します。 ストーリー重視ということで。
今回は全体のストーリーとしては必要な話と思っていますが、キャッキャウフフが見れればいい!!
という益荒男な方は「* * * * *」まで読み飛ばしても問題ありませんw

前提: とらドラ!P 亜美ルート90%エンド、ローマの祝日シリーズ
題名: ローマの平日6
エロ: なし
登場人物: 竜児、亜美、あみママ
ジャンル: 覚悟完了!
分量: 6レス
2698VM ◆/8XdRnPcqA :2010/03/16(火) 23:12:13 ID:tMBgTPXZ

フィウミチーノを飛び立って11時間と30分。
シベリアの大地はまだ凍てついているのか、雲間から覗く地上は灰色だった。
しかし、日本海が見える頃には、眼下には茶色の大地が広がる。
やがて見えてくるはずの故郷の大地は、季節柄か、厚い雲に覆われていた。
晴れていたなら、きっと萌黄色の山々と、すっかり緑が濃くなった里の様子が見えただろう。
やがて機内アナウンスが流れ、シートベルトのサインが点灯する。
AZ784便が高度を下げ始めた時、予想外に緊張している自分に気付く。
念の為言っておくが…。
別に雲に突入した時に機体が揺れたのが怖かったわけじゃない。
いくら俺でもそこまで小心じゃ無い。
かといって、一人前になるまで、この国の土は踏むまいという意志を曲げるのが残念だったからでもない。

機体にあたる雨は激しく、最近あやふやになってきた季節感を思い出させてくれる。
梅雨時の日本は、たしかこんな空だったはずなのだ。
ところが愚かにも傘を忘れてきた。
今回の帰国は泰子には知らせていない。 もちろん大河にも。
だから、空港で傘を持って待っていてくれる人は居ない。
すこし気鬱になったところで、突然、窓の外が明るくなった。
遠くに灰色にくすんだ街が見える。

それは… およそ3年ぶりの東京だった。


      ローマの平日 sei


空港の到着ロビー。
誰も迎えの居ない帰国。
こころなし、自分の居場所じゃないような気さえする。

飛行機を降りると、ますます緊張してきた。 へんな汗が出ているし、よほどヤバイ顔をしているのか、先ほどから
空港警備員が緊張した表情で行ったり来たり。
俺の周りは空白地帯になっている。

そもそもなぜ、俺が日本に帰ってきたのか?
それは一通の手紙だった。
亜美が長い休暇を終えて日本に帰り、一月ほどたったある日、突然届いた手紙。
内容はいたってシンプル。
『ぜひ一度お会いして話がしたい』
かいつまんで言えばこうだ。
特段、問題の無い内容だ。 別にとんでもない要求って訳でもない。 ローマに来てくれるなら、だが。
しかし、違った。
呼びつけられたのだ。
飛行機代はもちろん持ってくれたが、それにしてもわざわざイタリアから呼びつけるとは不遜極まりない。
…が。
それが川嶋安奈となれば話は別である。 いくら腹立たしくとも、会わない訳にはいかないよな…。
そうだ。 そういう事なんだ。
俺がここまで緊張しているのは、これから亜美のお袋さんと会わなくちゃいけないからなんだ。
そして更に、今から電話をして、次に何処に向かえばいいのか聞かなくちゃなんねーんだよ!
なんで手紙に書かないんだよ… ぜってー意地が悪いだろ…これ。
俺は意を決して、手紙にあった番号を震えながらダイヤルした…。

27ローマの平日6 2/6  ◆/8XdRnPcqA :2010/03/16(火) 23:13:18 ID:tMBgTPXZ

『はい、川嶋です。』
呼び出しがなるや否や出た。 ええ。びびりましたとも。
「あ、お、た、たっ、たっ」
『高須さんね?』
「…ハイ。 タ、タカスリウジデス」
『ごめんなさいね、どうしても都合がつかなくって、遠くから呼びつけてしまって…。』
いやー、絶対悪いと思ってないですよね? ね? ね?
「イエ、ソンナコトハ…」
『荷物、無くならなかった? 私、一度アリタリアにはやられたのよね。 直通だからって、舐めてたわ。 アリタリアクオリティ。』
あれ? 意外とフランクな感じ? ってか、親しみやすい?
「あ、手荷物のみにしましたので。」
『ああ。 なるほどね。 男の人はいいわよね… 荷物少なくって。』
「ええ、まぁ。」
『でもね、エールフランスも酷いのよ。 東洋人をバカにしてるのよね、きっと。』
「はぁ…」
『やっぱり、ヨーロッパ行くならフィンランド航空がいいわよー。 でも、ローマ直通はないのよね。』
「あの…」
『ん? なーに?』
「いえ、それでお…私はどちらに伺えばいいんでしょうか?」
『あら? 言ってなかったかしら』
やっぱり親子だよなぁ… 絶対確信犯だよな、これ。
『そうねぇ… 高須さんは、日本、久しぶりなのでしょう? そしたら… あそこがいいかしらね。』
「はぁ…」
『ちょっと待ってね。』
「………」
なんだか、別な電話に持ち替えて誰かと話をしているようだ。
少しだけ声が聞こえてくる。
やがて…
『よかった。 とれたわ。 じゃ、よろしくね。』
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
『はい?』
「いや、場所聞いてませんが…」
『あら♪』
絶対からかってるだろ……。
「…どこですか?」
『えーっとね、箱根♪』

28ローマの平日6 3/6  ◆/8XdRnPcqA :2010/03/16(火) 23:14:11 ID:tMBgTPXZ

箱根の駅に着いたら電話をすることになった。 
先に着いてるはずだから、との事。
どうやら、川嶋安奈は伊豆の別荘に居たらしい。
俺は電車を乗り継いで、箱根に辿り着いたのは午後3時近かった。
箱根湯元駅を出ると…
電話をするまでもねぇ。 ライトブルーメタリックのオープンツーシーターがこちらにケツを向けて停まっていた。
こんな梅雨の時分におもいっきりルーフを開け放って、駅前で目立ちまくっている。
まぁ、確かに緑の匂いが心地よい季節だし、薄日も差してきてはいたが。
そして、普通の車には必ずあるはずの物が無い、独特のリア。
並んだアルファベットは『TESLA』
『ママって、変な所にこだわりあるから、あたしから見たらすっげー無駄遣いばっか。』
亜美がこんな事を言っていたが、その言葉に説得力を与えるには十分すぎる。
ルームミラーで俺を見つけたのか、振り返りもせずに、真上に伸ばした手がひらひらと振られた。

「…始めまして、高須竜児です。」
車の横に行って直立不動の体勢で挨拶する。
彼女は高級そうなサングラスに、セレブ臭バリバリの服、どう見ても7桁ですよねって感じのアクセに身を包み…
…DSi LLで脳を鍛えるトレーニング理系編を楽しんでいらっしゃった。
…わからねぇ…どんな人なのか、いまいち掴めねぇ。 
亜美がそのまま母親になったと思えばいいのか? 

サングラスを外して微笑む、とても4○歳には見えない綺麗で若々しい顔立ちは、確かに亜美とよく似ている。
「始めまして、亜美の母親の安奈です。 こんな所までお呼びたてしちゃってごめんなさいね。 都内じゃ目立っちゃうから。」
ここは笑うところなのか? つっこむべき所なのか? 
すでに車からしてめちゃくちゃ目立ってるんだが…
……いや、ここはあくまで俺のペースで常識的にいこう。
「いえ、私もお話がしたいと思っていました。 お母さんのお仕事を考えれば、私が帰ってくるほうが現実的です。」
普段使い慣れない言葉遣いだが、練習した甲斐があって、スムーズに喋れた。
「うふふふ。 そう言っていただけると助かるわ。 とりあえず、お乗りになって。」
「は、はい。」
かなり緊張して右側の座席に乗り込む。
「この車ね、英国の友人を経由して注文したのだけれど、3年も待たされたのよ。 しかも間に人をはさんだから中古扱いだし。」
「はぁ。」
想像よりもハデなモーター音を上げて走り出す。 さすが、加速感は並みじゃない。
「この車、とってもエコなのよ♪」
そう言って嬉しそうに笑う彼女を見て、可愛いと思ってしまったのは、既に俺が川嶋安奈の術中に嵌っているからなのか…
いやいや、呑まれちゃいけない。
あの亜美をして、『意地悪な魔法使い』と言わしめる川嶋安奈だ。
どんなに警戒しても、警戒しすぎという事は無い!

「高須さんは、車はお好き?」
「私はオープンカー好きなのよね。 ほら、なんだか風になったような気がしない?」
「は、はぁ…」
「私、力も体力もないから、オートバイの免許は諦めたのよ。」
「でも、オープンカーだと周囲の空気が感じられるでしょ? ヘルメットもしなくて良いし。 バイクよりかえっていいかもしれないわ。
…ねぇ、そう思わない?」
「は、はぁ…そ、そうかもしれないですね。」
…というか、とりあえず、なるべく前を見て走ってほしいなー。

だが、その願いは叶えられる事なく。
俺はそれから暫くの間、箱根のワインディングをキュンキュン駆け登る車の助手席でシェイクされていた。

29ローマの平日6 4/6  ◆/8XdRnPcqA :2010/03/16(火) 23:15:02 ID:tMBgTPXZ

「早速だけど、高須さん。 亜美と別れて欲しいの。」

和風モダンにしつらえられた高級旅館の一室。
デザイン家具で統一されたリビングの木製チェアーに腰掛けて俺達は向かい合っている。
俺に先に座るように促し、俺にコーヒーと、自身に紅茶を淹れて腰掛けた彼女の第一声がそれだった。
予想通りといえば予想通り。
彼女は穏やかな笑顔を浮かべている。 とても台詞には似つかわしくない、穏やかな、笑顔。

―― テラスの向こうには鮮やかな緑につつまれた箱根の山々 ――
―― 部屋つきの露天風呂に注がれるお湯の音と、ホトトギスの鳴き声 ――

胸の鼓動を落ち着ける為の短い沈黙の後、微かに息を吸い込んで俺は答える。

「それはできません。」

ともすれば頷いてしまいそうになる笑顔の重圧の中、俺は力強く、明瞭にそう答えた。
何故なら、ある一つの予測があったからだ。

日本に帰ってくる飛行機の中、考える時間は十分にあった。
別れさせるだけなら、俺をわざわざ呼びつける必要なんてない。
大体、なんの話なのかも告げずに、イタリアから会いに来いとは、さすがに非常識な話だし、それが判らない人とも思えない。
それでも俺を呼びつけなければならないとしたら… いや、実際、俺は『会いに来た』…
どうして、俺は亜美のお袋さんに会いたかったのか? 
……おそらく、その答えが、彼女の思惑でもあるに違いない。 つまり、『別れろ』というのは話の入り口に過ぎない。

俺の答えを聞いても、彼女の表情は全く変わらない。 まるで感情の読めない、穏やかな笑顔。
だが、彼女の第一声が『別れてくれ』だったことで、俺の予測は確信に変わった。

「絶対に、できません。」
「…ふぅ。 いいこと?高須さん。 これは貴方にとっても悪い話じゃないのよ?」
「貴方のこと、色々調べさせてもらったわ。 失礼だけど、正直、亜美に相応しい家庭環境にあったとは思えない。 判るかしら?
世の中には分相応、っていう言葉があるの。 御伽噺ならいざ知らず、現実には階級差っていうものは実際にあってね、それを
乗り越えるのは… それはもう、大変なことなのよ。」
「………」
急に冷徹さを滲ませる視線に変わる。 表情一つで相手を飲み込んでしまう。 これが女優の力なのか。
「お母様、泰子さんだったかしら。 随分と苦労なさったのね。 そうね…貴方が亜美を諦めてくれれば、あるいは貴方のお母様も
もっと楽になれるかもしれなくてよ?」
「………」
ほんの少しだけ、彼女の眉が動いた。
「それと、貴方のお父様… ああ、お父様の事はすでに私の方が詳しいかもしれないわね…。 でも、判るでしょう? 血は争え
ないって言葉もあるってことは。」
「………」
今度は明らかに、眉が動いた。
「なにも、タダで別れろと言うつもりはないわ。 それなりのものは用意させてもらうし、…そうね、なんならキャッシュでもいいわよ?」

それから、川嶋安奈の口撃は延々と続いた。 辛辣で、俺を馬鹿にしきったような台詞の数々。
亜美を見慣れていたお陰で助かった。
普通なら怒ってしまうであろう言葉でも、彼女の心の裡を想像すれば、むしろ可哀想にすら思えてきた。
そのせいだろうか?
どうやら俺は微笑んでいたらしい。
「怒らせようとしてもムダですよ。 亜美は母親似なんじゃないかって思ってたんですが…… どうやら当たっていたようです。」

…そんな俺の台詞を耳にすると、彼女はなんとも微妙な表情を浮かべて、木製チェアーに沈んだ。

30ローマの平日6 5/6  ◆/8XdRnPcqA :2010/03/16(火) 23:15:52 ID:tMBgTPXZ

「はぁ…… 私もヤキがまわったかしら? 普通はこんなに簡単に見抜かれないんだけれど……。」
「いやぁ… 亜美…さんに鍛えられていますから。」
「…似てるかしら?」
「似てる…と、思いますよ。 わざわざ悪役をかってでるのが好きなところが特に。」

一旦目を伏せた後、外の景色を眺めながら彼女が話し出す。
「……亜美ね、気がついていると思うけれど、すこしばかりカウンセリングが必要な状態なのよ……。」
「……はい。」
「…どうして……こんなことになってしまったのかしら……ね。」
死んだ紅茶の入ったカップを口元まで運んで……口を付けずにまたテーブルに戻す。
なんとなく解る。 この人もまた、傷ついているのだろう。
きっと亜美が心の病になるほど追い詰められてしまったのは自分に責任があると思っているのだ。
「あの子のためと思って、いろいろ手を尽くしてきたけれど…」
「………」
「悔しいけれど、母親の私に出来なかったことが、貴方には出来てしまうのね。」
「それは…判りません。 ただ、亜美さんと一緒に歩いていくのは、並大抵の覚悟じゃ出来ないって事は判っているつもりです。」
「そう……。 さっきはごめんなさいね。 酷いこと沢山言ってしまったわ。 当初予定の3割増しくらい。」
「いえ、気にしてません。」
「ふふふ。 有難う。 大人も子供も、ここの中身はあんまり変わらないのよね… 可愛い一人娘を盗られちゃうと思うと頭の中
ぐっちゃぐっちゃで。 素人にもすぐに見抜かれちゃう演技しか出来ないなんて…だめねぇ……。」
自分の胸を指し示しながら、すこし情けない笑顔で彼女は言う。
そして、そんな子供っぽい表情は一瞬の後には消える。
亜美同様、本当にころころと表情を変えるのはわざとなのか、それとも天然なんだろうか?
そして、そんな余計なことを考えると、すかさず不意打ちしてくるのも、亜美同様だ。
「結婚、するつもりなのかしら?」
「うぉ、お、俺は、そうしたいと思って…います。」
あ、やべぇ、少し地がでちまった。
「愛する事と、結婚することは違うわよ?」
「結婚ってね、ミニマムの社会を作ることなの。 愛が無くてもその社会は破綻しないわ。 けれどね、計画性が無いと簡単に破綻
したりするの。 どんなに愛し合っていてもね。」
「家族構成、収入、支出、将来の展望。 若い貴方たちにこんな事を言うのは酷だけど、亜美はもう、事実として『普通』じゃないから
……難しいわよ。」
「だからこそ! だからこそ、俺は今日ここに来たんです。 その覚悟を決めるために。」
「そして、恥ずかしい話ですが、お母さんや、お父さんの力も貸して欲しいんです! …俺は、私はまだまだ半人前で、お母さん
が言われる通り、将来にはなんの保証も無く、社会的ステータスでは到底亜美さんには釣りあいません。 でも、一緒に生きて
いきたい。 亜美さんが夢を叶える姿を見守りたい。 そして、私が夢を叶える姿をあいつ…亜美さんにも見せてやりたい…。」
「それが正しいことなのか、亜美さんにとっての幸せと言えるのか、それはまだ判りません。 単なる私のエゴに過ぎないのかも
しれません。 けれど、それでも私はその先の未来を信じたいんです。」
「もしも、亜美さんが応えてくれるなら、たとえどんな困難が待ち受けていても、私はそれを乗り越えて行きたい。 自分達だけの力で、
なんて事は言いません。 その時は、力を貸して…欲しいんです。 私は今まで多くの人に助けられて生きてきた。 私の知人には
実の親からすら力を借りることが出来ずに、苦しんでいた人がいます。 だから、判るんです。 一人じゃ、自分達だけじゃ駄目だって
ことが…。」
「これはまた……あの子も難儀な男に捕まっちゃったみたいね。 ふふふふふ。」
つい熱くなってしまった俺をさえぎるように安奈さんが、明るい声をあげた。
「あ、そうそう。 もう一つ結婚生活で大事なのはね、『我慢』よ。 どんなに相手の事理解してたつもりでも、必ず合わない所って
出てくるから。 両手の指では足りないくらいにね。」
「そこは… 結構自信があるっていうか… あいつと、亜美さんと一緒にいると、合う合わない以前に『我慢』は必須ですから…。」
「ぷっ。 確かに高須さんの言う通りかも。 あの子、根っからのお姫様体質ですものね。」
そうなった原因の一端は自分自身にあるっていうのは…まぁ、自覚しててなお、こう言うんだろうけど…
「…それと、言葉遣い、あんまり無理しなくっていいわよ?」
それからは急に機嫌がよくなった安奈さんに、俺はからかわれっぱなしだった。

31ローマの平日6 6/6  ◆/8XdRnPcqA :2010/03/16(火) 23:16:35 ID:tMBgTPXZ

結局、川嶋安奈は、旅館で俺と一緒に夕食を楽しんでから、帰っていった。
「今日はこんな立派な宿を取っていただいてありがとうございます。」
「いーえ、こちらこそ楽しかったわ。」
「近いうち…とはいかないかもしれませんが、いずれまた改めてご挨拶に伺いたいと思います。」
「もっとも、亜美さんがOKしてくれればですが…。」
「まぁ、あの子、変に頑固で意地っ張りだからねぇ… タイミングは計ったほうがいいと思うわ。」
結局、安奈さんは、俺にどれほどの覚悟があるのか問い質したかったのだろう。
どうやら、俺はそのテストに合格できたようだった。
「あ、そうそう。夫は割合紳士的だから、取り乱したりはしなけれど、とりあえず、一発殴られると思うわよ。」
「え?」
「さ○まさしのファンなのよね……。 小芝居うっても笑わないで殴られてやってね。 なんか楽しみにしてるようだから。」


* * * * *


それから約2ヵ月後。
俺はフィウミチーノ空港の到着ロビーに来ていた。
もうすぐ、4ヶ月ぶりであいつに合える。

思えば、この街で再会してからおおよそ一年が経とうとしていた。
亜美の乗った便の到着を掲示板が告げてまもなく、綺麗な黒髪が人ごみの中に翻る。
両サイドに黒のリボンで結わえられた髪が、亜美をいつもより幼く見せた。

「りゅーじ♪」
手荷物制限ぎりぎりの大きさのキャリーバッグが先ず俺に向かって突進してきて…
「うがっ」
脛に痛打を与える。
一瞬遅れてのフライングボディーアタックは、キャリーバッグより大質量だったが、十分なクッションが二個も備わっていた。
潤んだチワワ眼。 身長差はあまりないので顔がすぐ近い。
同時に、むせ返るような『亜美の匂い』が鼻腔を刺激する。
「りゅーじ♪」
もう一度名前を呼ばれる。
何かを期待するような表情に、俺は必死で正解を探った。
「えっと、おぅ……今日の髪型、可愛いな。 ツ、ツインテールっていうのか?」
一瞬喜色を現すが、すぐにむくれ顔になる。
「ち、が、う。 これはツーサイドアップっていうの。 ほらっ!」
そう言って回れ右をする。 たしかに後ろ髪は下ろしたままだ。
だが、まぁ、不正解だったが、正解だったらしい。
もう一度向き直った亜美の表情は… なんともいえない優しげな笑顔だった。
「…会いたかった…。」
時々電話では話していたし、最近俺達はスカイプを導入し、お互い離れていても顔を見て話すことは出来ていた。
けれどやっぱり…
「おう。 俺もだ…。」

すると亜美は腰の後に手を組んで、ちょっとだけ前かがみになり、顎を上げて…
おもむろに眼を閉じる。

ここが人が溢れかえる空港のロビーであっても、そんな天使のキスのポーズに俺があがなえる筈も無く。
気恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じながら
……俺はそっと、俺だけの天使に…口付けた。

それは……最高に幸せな、そんなローマの点描。


                                                                    おわり。
3298VM  ◆/8XdRnPcqA :2010/03/16(火) 23:18:11 ID:tMBgTPXZ
お粗末さまでした。
前回、本作の作風はライトノベルにはちょっと合わないんじゃないか、という趣旨の意見を
いただきました。 実は、こういう具体的な意見がいただけるととても嬉しかったりします。
意見を下さった方は、重箱の隅とおっしゃっていましたが、実は核心と思っておりますw
いつもけっこう気にしているんですよね〜 「あー、なんかカラーが違うなぁ」と。
でもまぁ、ニッチ作家を自覚しておりまして、こういう芸風もいいのかな、と思っております
ので、本作は大体こんな感じでいこうかと。 コメント有難うございました。
では、また ノシ
33名無しさん@ピンキー:2010/03/16(火) 23:32:52 ID:WGp8Hppr
>>32
GJです。
作者の数だけ色々なあーみんが読めるわけで個人的にこのような雰囲気も大歓迎です。
例え一般的な(というのがよくわからんけど)ラノベ風と違ってたとしても。
34名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 01:57:14 ID:hdQf0q6H
エンドレスあーみんと勇者の続きはどうなったんだ?気になってるんだけど
35名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 03:13:52 ID:vbY3Ve9p
「りゅーじ♪」と叫びながら飛び込んでくるキャリーバック萌え。
「りゅーじ♪」と叫びながら飛び込んでくるクッション萌え。

>>32
雑食なのであなたの芸風も好きです。GJ
36名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 03:41:05 ID:qNKMsV1D
GJ
あなたの作品は大好物です。
徹夜仕事の疲れた心がリフレッシュできました。

>>34
同感だけど、無理は言えねーよね。
楽しみにはしてるけど。
37名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 06:08:42 ID:Id65qquM
>>32
>前回、本作の作風はライトノベルにはちょっと合わないんじゃないか、という趣旨の意見を
>いただきました。 実は、こういう具体的な意見がいただけるととても嬉しかったりします。

でも言わせて貰う。
ラノベに合ってなくたって、俺はあンたの芸風が好きだ!

あと望むのは、どうかあーみんをシアワセにしてやっておくれ。
シアワセすぎて死んじゃいそうになるくらい。
38名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 08:08:01 ID:BpuSxIbv
>>32
超GJです。

>>37
同感
あーみん必ずシアワセにしてもらえると
確信しております。
39名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 12:38:03 ID:tQod6wjw
GJでした。正直ラノベ調と云々と宣ったのは、今回ですとアリタリア航空とか、ロードスタ
ーとか、十代の子が普通知らないような単語や、散りばめた巧みなレトリックの事で、キャ
ッキャウフフが見れればいいという益荒男な方向けではないかな、という私個人の杞憂です。
文章にはお人柄が出るものですし、私の寝言など気になさらず今後もお得意の格好良い文章
で是非続きを読んでみたいと存じます。因みに私なら5レス目と6レス目の間で、気苦労多
い亜美ママへのご褒美に竜児のお尻くらいタッチさせてあげるかもしれません。すいません。
最後に余計な一言。最近の若年層の方は「初めまして」が主流で「始めまして」と書く方は
年齢層が高い方なのだそうです。本当に余計でした。申し訳ございません。失礼いたします。
40名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 16:02:52 ID:7KXTZeEC
小ネタ投稿しまーす。

竜×nanaco

今更ホワイトデーですみません。2つもらいます。
41名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 16:03:42 ID:7KXTZeEC
「んー…」
ある日の午後、スーパーの片隅で、万引きより更に恐ろしい何かを
ヤッてしまったのではないかと思われる顔で、高須竜児は唸っていた。
「普通のクッキーを焼くだけじゃ面白くねぇ…か?」
当然その周りに人はいない。いや、いなかった。
「でも、あまり凝ったものじゃなくてもいいんじゃない?」
香椎奈々子を除いて。
一見してみれば、男に何か弱みを握られて一緒にいるのかと思われるが、
実際は竜児がホワイトデーに何をあげるか悩んでいたところを、奈々子が発見したのである。
「そうか?…まぁ、女子がそういうんなら、そうなのか」
「そうよ。さ、早く帰って作っちゃいましょ」
「おぅ、わりぃな。わざわざ」
42名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 16:04:10 ID:7KXTZeEC
とあるマンションの一室で、竜児と奈々子はクッキーを作っていた。
もちろん高須家はマンションではないので、香椎家ということになる。
「よし、ちょっと味見てくれるか」
「えぇ」
焼きあがったクッキーを1噛みすると、練りこんだ紅茶の香りが口の中に広がる。
「おいしい…」
「お?嘘はついてねぇな」
「…っ、嘘なんてつかないわよ!」
「いや、香椎は本音をどうも隠そうとするからな。まぁ、最近じゃ、顔見れば
 嘘かどうかくらいはわかるけどよ」
「……」
顔を見られるのが嫌になったのか、香椎は下を向いてしまった。
まぁ、この顔にガンつけられたら…怖いか。
「さて…オーブン、ありがとな。長居しても悪りぃし、この礼は、また今度にでもするから」
「ぁ……、うん、じゃあまた。楽しみにしてるわね」
「おぅ」



竜児がいなくなった部屋で、奈々子は一人つぶやく。
「全然わかってないじゃない…」
43名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 16:05:02 ID:7KXTZeEC
おーわり。

書きたかったから書いた。
44名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 16:11:11 ID:6PgYt5LU
良いぞ
実に良い
45名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 18:28:01 ID:CEsb93dk
GJ
ひさびさの、ななこぉ〜
46名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 21:17:23 ID:pKvdDgvh
>>41-42 GJだ!

奈々子は意外と需要あるからな〜
47名無しさん@ピンキー:2010/03/17(水) 22:38:23 ID:PYWePPGl
>>46

当然のように、といってほしい。
妙な特徴のあるヒロインキャラが入り乱れる現代、「ヒロインよりもサブヒロインの方が好み」、「主役級のキャラよりもモブキャラの方がかわいい」
なんてことはざらにある。

なんかラノベにしても、エロゲにしても、アニメにしても、ヒロイン級のキャラにいろんなゴテゴテしたもの(髪形であったり、リボンであったり、キャラ全体であったり)が付き過ぎて、もう飽食状態。
その点、とらドラなんかは多少は安心して楽しめた。
48356FLGR ◆WE/5AamTiE :2010/03/17(水) 23:24:24 ID:VIfzVF5c

356FLGRです。
「きすして7」が書き上がりましたので投下させていただきます。

概要
「きすして6」の続編です。「2」〜「6」の既読を前提としております。
 未読の場合、保管庫の補完庫さんで読んでいただけると嬉しいのですが、相当な物量
ですし、これだけ読んでも、まあまあ楽しめるかもしれません。

 基本設定:原作アフター・竜児×大河
 注意事項:シリーズ全体としてシリアス傾向です。
      時期は高校三年の12月末(「6」の数日後)から3月末まで。
      今回は「エロ有り」です。
 
 本作は三部構成(上・中・下)となっております。
 規制が無い限り、本日一括で投下します。
 >補完庫さま 「まとめ」の方には(上・中・下)分割で掲載していただきたく。

 投下レス数は以下の通りです。
 上:14レス / 中:14レス / 下:20レス トータル48レス

 まずは「きすして7(上)」、14レスの投下を開始します。
 
49きすして7(上)01:2010/03/17(水) 23:25:27 ID:VIfzVF5c

 ん、あ、あっ… あんっ、

 キシキシとベッドが軋む。
 
「…ぅくっ、あんっ、っああ…」
 大河の小さな身体がぐっと仰け反り、次の瞬間、
「はぅんっ…」
 ぐったりとベッドに沈む。肩をゆらしマシュマロの様なやわらかく慎ましい乳房を震わ
せてがら息をつぐ。竜児は大河の細い腰に手を添えて、ずり上がってしまった大河の身体
を自分の方へと引き寄せた。
「大河…もう、いっちまう」
「…うん、きて。私も…もう…」
 
 ずちゅ… 淫らな音を立てて竜児の固いモノが大河の熱く蕩けた肉を貫く。

 …んあぁっ 

 一番奥を叩かれて大河の視界は白く濁る。竜児が腰を引くと掻き出された蜜がぴったり
と竜児をくわえ込んでいる桃色のヒダをとろとろに濡らす。頭のところが露わになるギリ
ギリまで引き抜き、そして一気に突き入れる。

 …うぐっ、くふっ、あんっ、あっ、んんっ、んあ…

 竜児はペースを上げていく。二人は意識のヒューズを焼き切るように激しく愛し合う。
ぬらっと愛液で光るモノがぐちゅぐちゅと淫らな音を立てて幾度も大河の中を探りかき混
ぜる。

「だ、だめ、…っく… りゅ…」

 ぐんっ、と大河の背中が仰け反る。その動きの所為で深々とつながった部分からさらに
強い刺激が生み出されて意識が飛ぶほどの快感が頭蓋の中で暴れ回る。ひくんひくんと竜
児を締め付け、きて、きて、と催促する。

 うっ… 竜児は低く呻き、腰を一気に沈めて大河の一番深いところまで突き入れた。

 高い喘ぎ声と低い呻きが重なりあう。精液をコンドームの中に吐き出しながら竜児は大
河の中で跳ねて暴れる。
「…くぅっ、あっ…」
 大河の小さな手が竜児の腰を自分の方に引き寄せる。もっと奥に、もっといっぱい、と
でも言いたそうに大河は潤んだ瞳で竜児を見る。はぁはぁと辛そうに息を継ぎながら頬を
上気させて竜児を眇める。

「りゅぅ…、だぃ…て」

 それに応えて竜児は大河の身体を包むように覆い被さり、器用に肘で自分の身体を支え
ながら大河の背中を抱いた。余韻にびくびくと暴れる華奢な身体を抱きすくめると汗で
しっとりと湿った肌と肌が貼り付いて驚くほどの熱が伝わってくる。
 大河も細い腕で竜児の身体を抱きしめる。そうしていると徐々に大河の身体はおとなし
くなり、そして、竜児を抱きしめていた腕から力がぬけて、ぱたんとベッドの上に投げ出
された。竜児は大河を抱く腕をゆるめて身を起こし、ゆっくりと大河の中から引き抜いて
ゴムを外した。
50きすして7(上)02:2010/03/17(水) 23:26:05 ID:VIfzVF5c

「きつかったか?」
 大河はふるふると首を振る。
「ううん、大丈夫。けど、なんかすごかった」
 それは竜児にとってもそうだった。
「そうか。俺も」
「ふふ、もう一回する?」
「いや、もう無理。できなかないけど、やってるだけになっちまう」
 今のが三回目だった。二回目の後、抱き合ってイチャついていたら盛り上がってしまい
ラウンド3になだれ込んだのだった。
「そうよね。私ももう無理。くたくた」
 試験があったり女の子の日がやってきたり陸郎が来襲したりで三週間ほども間があいた
所為で今晩の二人の行為はまるっきり貪り合うみたいだった。二人が二人ともそんな風に
愛し合いたいと思っていたからこそ、そうなったのだがこんな事は、つまり一晩に三回も
してしまう事は希だった。

「すっかり汗かいちまった」
「私も。ね、お風呂、追い炊きにしといて正解だったでしょ」
「ああ。先に入ってこいよ」
 そう言うと竜児はベッドから降りてドレッサーの引き出しからヘアクリップを取り出し
た。その様子を見ていた大河はおずおずと身体を起こして、腰の下に敷いていた愛液のし
みこんだバスタオルで胸を隠す。
 竜児は部屋の灯りをつけてベッドに戻り、大河の粟栗色の髪をアップに整えた。
「一緒に入ろ。もう、眠いでしょ?」
「まあ、そうだけどよ。狭いだろ?」
「いいわよ。狭くても。つかるだけなんだから」
 大河はベッドから降りて、竜児の手を引いた。


 二人は並んで湯船に浸かった。休息を求める身体にぬるめの湯が心地良い。特別大きな
バスタブでは無いから湯舟の中で裸の身体と身体が触れ合い重なり合う。けれど流石に三
回もした後とあっては二人ともそういう気分にはならなかった。大河は竜児の胸に身体を
あずけて気持ちよさそうに息を漏らした。

「ふーっ、たまんねぇな」
「へへっ。でしょ。やっぱシャワーよりこの方が気持ちいいもん。一緒に入れるしね」
「ま、効率的だな」
「分かってないわね」
 ぷいっと大河はそっぽを向いて竜児にうなじを見せた。
「へ?」
「ホントはさ…」
 横顔を竜児に見せてぽそぽそと話し始める。
「エッチの後って朝起きるまでずぅーっと一緒にいたいのよ。けど、順番にシャワーを使
うと竜児が後でしょ。竜児が出てくるのを待ってるのがさ、結構、寂しいんだよね」

 きゅんとした。

「お前、かわいいな」
 竜児は赤く染まった可愛らしい耳に囁いた。
「ばか」と小さく言って大河はもう一度竜児の胸に身体をあずけた。
51きすして7(上)03:2010/03/17(水) 23:26:58 ID:VIfzVF5c

「なあ、大河」
「うん?」
「やっぱ、結婚式って挙げるのが普通なんだな」
「奈々子のクリスマスカードのこと?」

 終業式が終わったあと奈々子から渡されたクリスマスプレゼントにメッセージカードが
添えられていて、それには、

『メリー・クリスマス&結婚、おめでとう。
   二人がずっと一緒にいられるように祈ってるよ』と綴られていた。

 二人とも奈々子が祝福してくれた事は素直に嬉しかった。秘密にしてはいるが、でも本
当は親しい友人達には結婚したことを知らせたかったというのが二人の本音でもあるのだ。
しかし、メッセージには続きがあって、

『結婚式には絶対に呼んでね』と。

「ああ。なんか、フツーやるでしょ的な感じだぞ。あの書き方」 
「まあね。普通、やるもんでしょ」
「だよなぁ。川嶋も結婚式を挙げるもんだと思ってんだろうな」
「でしょうね」
 
 むぅ… と、竜児は唸ってしまう。
 大学受験を間近に控えていて式の準備をする暇なんてないのである。少なくとも前期試
験の結果が出る二月下旬まではお勉強と体調管理に努めなければならないのだ。
 それ以前に、結婚したとは言え、高校生、高須竜児は無収入である。それでも夫婦で生
活できるのは二人の母親達が経済的に面倒を見てくれているからだ。賃貸マンションの家
賃は大河の母親が負担しているし、生活費は泰子と大河の母が半分ずつ負担している。こ
れまでの二ヶ月の経験からいけば、それは二人が暮らすには十分な金額ではあったけれど、
結婚式を挙げられるほどの経済的な余裕も蓄えもないのだ。

「でもさ、別にすぐじゃなくてもいいでしょ。竜児が稼いでくれたお金で式を挙げられる
ようになってからでいいじゃない」
「随分先になっちまうぞ」
「五年ぐらいでしょ。五年経ってもまだ二十三だもん」
 それでも今のゆりちゃんより全然若いんだから、へっちゃらよ。なんて言いいながら大
河は微笑んだ。竜児は微笑んで応えたけれど、その表情は冴えなかった。

「ねぇ、竜児。あのさ、サムシング・フォーって知ってる?」
 横顔を見せながら大河は言った。
 竜児は彼女の意図が分からず怪訝な表情。
「サムシング・フォー? フォーって数字の四か?」
「そ、数字の四。F、O、U、R」
 大河は『ちゃぷ』と音をさせて湯の中から広げた右手を出して親指を曲げた。そして、
人差し指から一本づつ指を折り数えながら説明する。
「何か一つ新しいもの。
 何か一つ古いもの。
 何か一つ借りたもの。
 何か一つ青いもの。
 あわせて四つ。だからサムシング・フォー」
52きすして7(上)04:2010/03/17(水) 23:27:36 ID:VIfzVF5c
 それに何の意味があるのか竜児には全く分からない。
「全然、わかんねぇ」
「だめねぇ」言いながら大河は横目で竜児を見る。
「サムシング・フォーは結婚式のおまじないよ。その四つを花嫁が身に着けると幸せにな
れるっていうおまじないなのよ」
「へぇ、そんなのがあるのか」

 新しい物、古い物、借りた物、青い物。
(Something new, Something old, Something borrowed, Something blue)

『何か一つ古いもの』

 竜児はそのキーワードである出来事を思い出した。
 それはゴールデンウィーク前の事だった。

『やっちゃん、古いアクセサリー持ってない?』

 大河にそんな事を聞かれたのだ。竜児は泰子から園子の指輪を譲り受け、それを大河に
渡した。アクアマリンがはめ込まれた銀色のリングは今も大河のお気に入りだ。

「古いものって泰子の指輪か? ひょっとして」
「うん。あたり」
「当たりって、お前…」
「新しい物はコットンのパジャマ。借りた物はレースの飾りがついたシュシュよ」

 そこまで言われて竜児は確信した。大河は『初めての夜』の事を言っているのだと。
 おいおい、冗談じゃねぇぞ。竜児は心の中で呟く。

「後は青い物なんだけど…」そこまで言って大河は口ごもった。
「青い物だろ。青いもの、青いもの…指輪の石か? でもあれは青っていうより水色だ
もんな」
 竜児は目を閉じてあの夜の大河の姿を必死に思い浮かべる。
「ダメだ。わっかんねぇ」
「でしょうね。青い物は目立たないところにつけなきゃだめなのよね」
「目立たないって言ってもなぁ」
 そこまで言われても分からない。全部、脱がせたんだから目立つも目立たないもねぇよ
な、と竜児は心の中で呟く。
「あのね。正解はショーツの刺繍」
 恥ずかしげにぽそぽそと大河は言った。
「そんなのアリかよ?」
「アリなのよ。あれでサムシング・ブルーはオッケーなの」

 そろってしまった。
 サムシング・フォーが結婚式のおまじないなら、それはつまり、あの日、大河はその決
意を固めて自分のところにやってきたと言うことだ。『ちゃんと、彼女になる』どころの
話ではない。初めて身体を重ねたあの日、大河は妻になる決意をしっかり固めていたのだ。

「てことは。あれは、結婚式だったんだな?」

 大河は竜児に表情を見せずに頷いた。
53きすして7(上)05:2010/03/17(水) 23:28:35 ID:VIfzVF5c

 ウェディングドレスはコットンで…
 タキシードはリネンで… けれど、

「ったく。全然、気がつかなかった」
 大河は、ふふっ、とはにかんで、
「でしょうね。いいのよ。言わなかったしね。でも竜児はさ、ちゃんと約束してくれた
もんね。ずっと私と一緒にいてくれるって」
「ああ、したさ」
 竜児ははっきりと答えた。
「どんな時でも。楽しい時も、辛い時も、ずっと傍にいてくれるって…」

 それは宣誓以外の何物でもなく…

「約束してくれたもの。
 それだけでね、もう十分よ。
 結婚式って、そういうものでしょ」

 それは確かに結婚式だったのだ。

 大河は身体を捻って、竜児にかるくキスした。
「あがろ。のぼせちゃうわ」
「お、おぅ。そうだな」
 湯船から出た大河の桜色に染まった肌を水滴が滑り落ちていく。
 華奢で小さな裸体は、肩から背中、細い腰からきれいな形のヒップへと連なる美しいラ
インで構成されている。くるりと振り向くと、小さな顔、小振りだけれどきれいに盛り上
がった乳房、滑らかな肌で包まれ無駄のないラインで描き出される胴が露わになる。
 竜児の目は彼女の姿に釘付けになる。何度見ても見飽きない。
 しかし、困った事に、

「ジロジロ見ないでよ、恥ずかしいから。あっち向いてて」

 相変わらず、明るいところでじっくりとは拝ませてもらえないのだった。
 竜児がそっぽを向いている間に大河はそそくさと脱衣所に逃げ込んでショーツとパジャ
マを身につけた。「いいわよ」という大河の声に「おぅ」と応えて竜児は湯舟の栓を抜い
た。
 それから、二人は床につき、ものの数分で大河はすぅすぅと寝息を立て始めた。大河の
寝息を聞きながら竜児は目を瞑ったまま眠れずにいる。

 眠れずに、物思いにふけっている。

『結婚式…か』

 大河は『稼げるようになってからでいいよ』なんて言ってくれているけど、それが本音
じゃないことぐらいは分かる。そんな豪勢な式を挙げるわけじゃないから義母さんに頼め
ばそれぐらいのお金は融通してもらえるだろう。でも、大河はそうしない。
54きすして7(上)06:2010/03/17(水) 23:29:06 ID:VIfzVF5c

 きっと、俺に金の話をさせたくないのだろう… 竜児はそう思った。

 それでなくても金がかかることばかりなのだ。受験にしろ、大学に通うことにしろ、祖
父母の家への引っ越しも、なにから何まで金がかかる。仕方の無いことだし、それだって
自分で選んだ事なのだ。それなのに、竜児はそれに負い目や罪悪感を感じてしまう。
『ありがたいことだ』で済ませれば良い物を、『俺はダメだな』にしてしまう。どうにも
そのダメっぷりが自分の父親に重なるようで、竜児はそれが情けなくてたまらないのだ。

 大河はそんな自分の気持ちを察して金の話を避けてくれている。竜児はそう思う。

 金の事だけじゃない。結婚して、それを皆に隠して過ごし、受験を間近に控え、そんな
さなかに陸郎が現れて… もう、竜児的にはギリギリだった。
 それを大河に悟られてしまっていることも情けないのだけれど、それでもその心遣いが
竜児には嬉しかった。

 耳を澄ますと安らかな寝息が聞こえてくる。

 もっと、上手く出来たら… もっと、上手に自分と付き合えたら… 
 気を使わせてばっかりで、ごめんな… と、竜児は心の中で呟いた。

『結局、結婚式が挙げられないのは俺の気持ちの問題なんだよな。
 結婚式はアレだけど、指輪はなんとかしてやんねぇとな。それぐらいなら…』

 そこまで考えたところで竜児の意識は眠りに落ちた。

***

 翌日、竜児は家の掃除を大河に任せて泰子のアパートを訪ねた。
 竜児は週に一、二回、泰子のアパートに行き掃除や洗濯をしているのだ。竜児がそんな
ことをしなくても泰子はそれなりに家事をこなせるのだが、それでも竜児は街を離れるま
では泰子の身の回りの世話をしたかったのだ。
 竜児はアパートの外階段を上がり部屋の鍵を開けて中に入った。泰子はまだ寝ているら
しく、部屋の中は物音一つせず、インコちゃんのカゴにも布が掛けられたままになってい
る。

「ったく、もう九時半過ぎだってのに。まあ、しゃあねぇか」
 泰子は根強いファンからのラブコールに応えて今でも月一回ほどのペースで魅羅乃
ちゃんをやっていて、昨夜は毘沙門天国のクリスマスパーティーを手伝っていたはずなの
だ。本業もあるからそんなに遅くなることは無いのだが多少の寝坊はしかたない。それに
今朝は竜児もお寝坊さんで泰子に偉そうに言えた義理じゃ無かったのだ。

 竜児は台所や風呂場を一通り見て回った。洗濯物は溜まっていないし部屋もきれいに保
たれている。気になるところも無くはないが、それは竜児の要求レベルが不必要に高いた
めだ。

 まずは朝飯だな。
55きすして7(上)07:2010/03/17(水) 23:29:53 ID:VIfzVF5c
 竜児は冷蔵庫を開けて中身をチェック。豆腐発見、冷凍ご飯発見、鮭の切り身に、卵も
ある。マイエプロンを身につけたら準備完了。朝食作りにとりかかる。
 静かだった部屋の中がにわかに賑やかになる。鍋の中で湯が煮立ち、まな板を包丁がた
たく。フライパンの上に落とされた卵が派手な音を立て、グリルの中で炙られた鮭の切り
身がぷつぷつと油の粒を浮かばせる。

「おはよ〜、竜ちゃん。来てたんだ」
 ジャージ姿の泰子が眠そうに目をこすりながら部屋から出てきた。
「おぅ、おはよう。すぐ出来るから顔洗って来いよ」
 竜児は背中を向けたまま言った。同時進行している味噌汁と切り身と目玉焼きから目が
離せない。
「は〜い」ぱたぱたと足音をさせて泰子は洗面所へ。
 電子レンジがピーピーと鳴いてご飯の解凍が終わったことを知らせてくる。

 泰子が居間に戻るとすでに一人分の朝食がちゃぶ台に並べられていて、竜児は鍋やフラ
イパンの後始末をしていた。
「あれ〜、竜ちゃんの分は?」
「ああ、食ってきた。ちょっと寝坊しちまってな」
 泰子は一瞬きょとんとして、それから溶けるように微笑んだ。
「ふふふっ。ラブラブだね。竜ちゃん」
 ぼっ、と燃えるように竜児の顔は赤くなった。
「ばっ、バカ言ってねぇで、さっさと食え」
 竜児はぶっきらぼうに言って泰子に背を向けると鍋を洗い始めた。
 泰子はそんな竜児の背中に微笑んで、「いっただっきま〜す」と明るく言った。


 朝食を済ませた泰子と後片付けを終えた竜児が玄米茶をすすっていると、アパートの前
にトラックが止まる音がした。さすがの安普請、悲しいぐらいに外の音が良く聞こえる。
カンカンと外階段を上がってくる音に、「あっ、宅急便くるんだった」と言うが早いか泰
子は立ち上がり玄関へ向かった。呼び鈴が鳴ると同時にドアを開けると配達員が一抱えも
ある段ボール箱を抱えて立っていた。
「竜ちゃ〜ん、手伝ってぇ」
 泰子に呼ばれて竜児は玄関へ。
「随分でっけぇ荷物だな」
 竜児は表情を強ばらせている配達の青年から段ボールを受け取った。泰子が伝票に印鑑
を突くと、青年は「あ、ありがとうございましたぁ」と言い残し逃げるように去っていっ
た。
「見た目の割にすげぇ軽いな」
 竜児は泰子がすっぽり納まりそうなほどの箱を軽々と抱えて言った。
「これ、何なんだ?」
「えー、竜ちゃん知らないの?」
「知るわけねぇだろ」
「でも、これ、竜ちゃん宛てだよ。大河ちゃんのお母さんから」
「え?」竜児は箱を床に置いて貼り付けられている伝票を見た。
「本当だ。俺宛だ」と竜児は呟く。
 しかし頭の中は疑問符だらけ。荷物を送るなんていう連絡もなかったし、どうして泰子
のところに送ってきたのかも分からなかった。
「開けてみたら? 手紙とか入ってるかもしれないし」
「そうだな。眺めててもしょうがねぇよな」
56きすして7(上)08:2010/03/17(水) 23:30:37 ID:VIfzVF5c
 竜児はカッターで丁寧に梱包テープを切って箱を開けた。中には真っ白い化粧段ボール
の箱と、見覚えのある文字で『高須竜児様』と書かれた封筒が入っていた。封筒には二枚
の紙が入っていて、一枚は手書きの便箋、もう一枚はプリンターで印刷されたものだった。
竜児は便箋を手にとり広げた。

 ―――――

 竜児君。大河との生活にはもう慣れましたか? なんて、聞くまでもありませんね。
私の方はあなた達がいない生活にちょっと戸惑っていますが、私も主人も息子も元気で
過ごしています。

 まずは先日の陸郎の件について、あなたにお礼と謝罪を。
 ありがとう。大河を守ってくれて。
 これから先、陸郎があなた達に関わってくることはもうないでしょう。

 ―――――

 手紙には陸郎の債務や事業の失敗について調べたことが書かれていて、竜児と大河に害
が及ぶことは無いだろうと書かれていた。
 そこまで読んで竜児は一息ついた。陸郎の失敗は竜児にとって最大の心配事だったのだ
が、それがようやくクリアになったのだ。竜児は冷めかけの玄米茶を一口飲んで、手紙を
読み進めた。

 ―――――

 ここからが本題ですが、あなたにお願いがあってこの荷物を送らせてもらいました。
 卒業式の後、清児さんの所に引っ越すまでに大河と結婚式を挙げて欲しいのです。
 
 そして、皆にあなた達の結婚を祝って貰いたいのです。
 清児さんに、園子さんに、あなたの友人、大河の友人、
 そして泰子さん。皆に祝って貰いたい。
 私も主人も、皆と一緒にあなた達を祝福したい。
 あなた達の夫婦としての門出をみんなで祝福したいのです。

 大学受験を控えて忙しい時期なのは分かっています。二人だけで準備するのは無理で
しょうから私の友人のブライダルコーディネーターに会ってみてください。式場探しや
予約といった事は全て彼女がやってくれます。細かいことは受験が終わってからでも間
に合うでしょう。

 ただ、大河のドレスだけは間に合いそうにないので私の方で準備して送らせてもらいま
した。勝手なことをしてごめんなさいね。クリスマスプレゼントだと思って受け取ってく
ださい。

 ―――――

 竜児は手紙をちゃぶ台に置いて段ボール箱から白い箱を取り出した。白い箱を開け、表
面を覆う白い紙をめくると中身は純白の布地で仕立てられたウェディングドレスだった。

「うわ〜。すごいね」
57きすして7(上)09:2010/03/17(水) 23:31:33 ID:VIfzVF5c
 横から箱の中をのぞき込んだ泰子が声を上げた。確かに凄い。生地の質感もすごいが飾
りのレースや刺繍といった細工も手が込んでいる。それは触れただけで汚れてしまいそう
なほどに繊細で、竜児はそれを箱から出すこともできず眺めるだけだった。

「いくらするんだよ? これ」
「う〜ん。四十万円ぐらい、かな。良く分かんないけど」
「よ、よ、よ…よんっ」動揺して咽せた。
 一回しか着ないドレスに四十万!
「それぐらい特別なんだよ。一生に一度だもん」
 お古のジャージ姿でドレスを見つめる泰子の瞳が輝いていた。その様子は、純白に輝く
ドレスに込められた、あるいは込められる想いの大きさや重さを竜児に伝えた。
「一生に一度か…」
 小さく言って、竜児は手紙を手に取り読み進める。

 ―――――

 それから、式の費用ですが、これは私の我が侭ですから私が負担します、なんて言うと
竜児君は困ってしまうでしょうね。ですから竜児君が働いて返せるようになるまで私が立
て替えておくという事でどうでしょうか? 勿論、全て私の負担でもかまいません。

 本当に勝手なお願いだと思います。
 でも、結婚式だけはどうしても挙げてもらいたいのです。 
 そして、みんなの前で夫婦として生きていくことを誓って欲しいのです。
 
 どうか、よろしくお願いします。
 
 ―――――

 竜児は便箋を泰子に渡し、同封されていたA4サイズの紙を手に取った。それには義母
の友人であるブライダルコーディネーターのメールアドレスや電話番号、ファックス番号
といった連絡先とウェブサイトのURL、それに彼女の写真が印刷されていた。

 手紙を読み終えた泰子は便箋を竜児に返した。

「どうするの? 竜ちゃん」
「いくらぐらいかかるんだろうな?」
 竜児は便箋に目を落としたままで言った。
「結婚式だけなら三十万円もかからないんじゃないかな」
「式だけでも結構かかるんだよな」

 竜児は表情を曇らせる。竜児が調べた時もそんなものだった。勿論、派手にやればいく
らでも金をかけられることも知っている。

「でも、竜ちゃん。式は挙げようよ。大河ちゃん喜ぶよ」
 泰子はそれが当たり前の事のように、簡単なことのようにさらりと言った。

 竜児は唸った。
 確かに大河は喜ぶだろう。結婚した事実を隠さなければならない大河にとって、結婚式
で友人達に祝福してもらうことは一つの夢だろう。それは分かる。
58きすして7(上)10:2010/03/17(水) 23:32:23 ID:VIfzVF5c

 義母にとって百万円ぐらいはどうとでもなる事もわかる。
 大河のためだけに仕立てられた特注ドレスがここに有る事も分かっている。
 義母が義母なりに気を遣ってくれていることも分かる。

 分かる。分かっている。分かっているけれど、それでも…

「ったく、これからもっと金がかかるってのに三十万だって大金だろうが。おまけに一回
こっきりのドレスに四十万ってどんな金銭感覚だよ。そりゃ義母さんは金持ちだけどよ、
だからってそれにおんぶに抱っこかよ?」

 義母との金銭感覚のギャップは時に竜児を苛つかせる。百円単位で食費を切り詰めるよ
うな日々や、時給千円程度のバイトのために無茶をして倒れた母親の事をバカにされたよ
うな気分にすらなるのだ。義母には悪気なんて一つも無いのに。

「竜ちゃん…」
 眉根を寄せてひどく悲しそうな表情で泰子は竜児を見ていた。
「あ、いや」
 その表情に竜児は口ごもる。言葉が出てこない。

「ごめんね。竜ちゃん」
 泰子は泣きそうな声で言った。
「やっちゃんが竜ちゃんにお金の心配ばっかりさせてたからだよね」
「いや、そうじゃねぇし」
 竜児がそう言うと、泰子はふるふると首を振った。
「そうだよ。絶対そうだよ」
「違うって」
「違わないもん!」
「そりゃ、金の心配はしてたけどよ、貧乏は泰子のせいじゃねぇだろ」
 悪いのは自分の親父だ。
 竜児には泰子を責めるつもりなど一つもない。なのに、泰子は首を振り、 
「ううん、やっちゃんのせいなんだよ」と辛そうに呟いた。
 
「やっちゃんはね、やっちゃんが納得するためだけに竜ちゃんに辛い思いをさせちゃっ
たんだよ。
 もっと早くお父さんやお母さんに頼っていれば竜ちゃんに辛い思いをさせないで済んだ
のに、私が竜ちゃんを育てるんだって意地になって、意固地になってそれが出来なくて、
やっちゃんは竜ちゃんに辛い思いばっかりさせちゃったんだよ」

「やめてくれ」絞り出すように竜児は言った。そんな話は聞きたくなかった。
「やめない! だって、このままじゃ竜ちゃん、やっちゃんと同じ失敗しちゃう」
 縋り付くような必死さで泰子は言った。
「なんだよ。失敗って」
59きすして7(上)11:2010/03/17(水) 23:33:06 ID:VIfzVF5c
「やっちゃんは頼らなきゃいけない時に頼らなかったんだよ」
 泰子は諭すような口調で話し始めた。 
「それで一番大切な竜ちゃんを傷つけちゃったんだよ。
 それにね、お父さんもお母さんもやっちゃんに頼りにしてもらいたかったんだよ。なの
に、やっちゃんは怖くて逃げちゃったんだ。そうやって、お父さんもお母さんも傷つけて、
やっちゃんは自分に言い訳ばっかりしながらみんなを傷つけちゃったんだよ。
 やっちゃんにはやっとそれも分かるようになったんだよ」
 泰子はそう言って、すんと洟をすすった。

 女手一つで息子を育てた。育てて見せた。それは半分意地だった。
 無茶だと言われ、堕ろせと言われた。けれど、堕胎なんて、殺す事なんてできなかった。
 そして、幾つもの幸運が重なって、産み、育てることができた。出来てしまったのだ。

 今になって泰子は思うのだ。やはり間違っていたのだと。幾度も、もうダメだ、無理だ
と、諦めかけた事があったのだ。その度に不思議と幸運に恵まれて乗り切ってきたけれど、
本当はその時に親を頼るべきだったのだ。母も父も待っていてくれたのだから。
 そうしていれば、竜児の心をあんなに深く傷つけてしまうこともなかったのだ。
『生まれてこなければよかった』なんていう悲しすぎる思いを抱えさせないで済んだのだ。 

 でも、出来なかった…

 自分以外の誰かが竜児を幸せにしてしまうのが怖かった。そうして竜児に捨てられてし
まうのが怖かったのだ。それが間違いだった。竜児の幸せよりも、自分の幸せを優先して
しまったのだ。『竜ちゃんのことが一番大事!』そう思っていたのに…。

「ねぇ、竜ちゃん。竜ちゃんにとって一番大切な人は誰?」

 泰子はじっと竜児の目を見た。

「…大河に決まってるだろ」
 そうなのだった。いつしか一番大切な人は泰子から大河に変わっていたのだ。

「そうだよね」
 泰子は目を閉じて小さく頷いた。何かを噛みしめるように間を置いて、泰子は瞼を開け
て竜児を見た。そして精一杯の言葉を紡いでいく。
 
「竜ちゃん。その手紙に書いてあることって本当は大河ちゃんの望みなんじゃないかな。
 一緒に過ごした友達に祝福されて、みんなの前で竜ちゃんと一緒に誓うの。夫婦として
一緒に頑張って生きていくって。大河ちゃんは竜ちゃんにみんなの前で誓って貰いたいん
だよ。
 きっとね、大河ちゃんのお母さんは大河ちゃんと一緒にいてそれが分かったんだよ。だ
から引っ越す前に結婚式を挙げて欲しいってお願いしてるんだよ」

 竜児は手元の便箋に目を落とした。
 確かに、そうだろう。この手紙に書かれているのは義母が大河から少しずつ聞き出した
言葉や大河との日常の中でこぼれ出た気持ちの断片を義母がまとめたものなのだろう。
60きすして7(上)12:2010/03/17(水) 23:33:40 ID:VIfzVF5c
「それにね、大河ちゃんのお母さんにとっては償いの意味もあるんだよ。
 もっと一緒に過ごして、教えてあげたいことがいっぱいあって、でもそれが出来無くっ
て、大河ちゃんを竜ちゃんに託したんだよ。
 きっとね、大河ちゃんのお母さんも、みんなの前で竜ちゃんに誓ってもらいたいんだよ。
『大河ちゃんと一緒に生きていく』って。それを大河ちゃんに聞かせてあげたいんだよ。
そのための竜ちゃんへのお願いなんだよ。大河ちゃんの願いを叶えてあげるために、竜
ちゃんに頼ってもらいたいんだよ」

 義母さんの償い。大河の願いを叶えるためのお願い。その言葉が竜児の心に響く。

「竜ちゃんは大河ちゃんの願いを叶えられるのに、それを諦めようとしてるんだよ。そん
なの絶対ダメだよ。一番大切な人の願いなのに、竜ちゃんが大河ちゃんの願いと天秤に掛
けているモノってそんなに大切なの?」

 俺が天秤に掛けているモノ…

 一つは大切なもの。母親と積み重ねた日々から生まれた価値観。
 もう一つはくだらないもの。安っぽい、本当に安っぽいプライド。
 自分では何も出来ず、頼り、寄生することでしか生きられない自分への憤りや焦り。
 それを認めたくない心の狭さ、弱さ、薄さ … そんなモノ。

「俺は……、俺が何にも出来ねぇのが気に入らないんだ。結局、義母さんやじいちゃんの
助け無しじゃ何にもできねぇ自分が情けなくて嫌なんだ…」
 絞り出すように竜児は言った。
「それから目をそらしたかっただけだ…。情けない話だよな」  
 そう言って竜児は白い箱の前に座り込んだ。

「竜ちゃん。何も出来ないなんて間違いだよ」
 泰子は言った。 
「竜ちゃんが居なかったら、みんな救われなかったんだよ。みんな竜ちゃんに助けて貰っ
たんだよ」
「…俺に?」
「うん、そうだよ」
 泰子は竜児の後ろに座って、竜児の肩を柔らかく抱いた。
「やっちゃんがお父さんたちとやり直せたのも、大河ちゃんのお母さんが大河ちゃんとや
り直せたのも、竜ちゃんのお陰なんだよ。
 ずっと昔に失敗しちゃって、上手くできなくて、ずっと償いたくても償えなかったけど、
竜ちゃんのお陰でみんな償っていくことができるようになったんだよ。
 だから、みんな竜ちゃんのこと大好きなんだよ。一生懸命だから。優しさが溢れちゃっ
てるから。だからみんな竜ちゃんのこと助けてあげたいって思ってる。竜ちゃんにとって
大切なモノを守るためなら、いつだって頼って欲しいって思ってるんだよ。それだって
みんなの願いなんだよ」

「だって、竜ちゃんだって本当はそうでしょ。大河ちゃんの為だったら、ね?」

 ああ、そうか… 確かに、そうだ。そうなのだ。
 自分も知っていたはずなのに、好きな人から頼られることの喜びを、嬉しさを知ってい
たのに、意固地になって自分の事しか見えなくなっていたのだ。
 大河の為なら、自分がそう思うように、泰子もじいちゃんも義母さんも、俺たちの為に
なら、とそう思ってくれているにちがいない。それを意固地になって受け取らないなんて、
逆の立場なら、それは酷く切なく辛い。
61きすして7(上)13:2010/03/17(水) 23:34:35 ID:VIfzVF5c

 自己否定に沈んでいた竜児の瞳に力が宿る。

 大河の願いを叶えたい。誰かの力を借りてでも。
 自分独りで出来なくてもいいではないか。独りで生きていくことなど出来ないのだから。

 伝えたい想いがある。彼女の心に響かせたい誓いがある。

 その誓いを、これからも世話になる泰子や義母さん、じいちゃんばあちゃんに見届け、
聞き届けて貰いたい。その誓いを、自分達の姿を、一緒に過ごしてきた大切な友人達に
見届けて貰いたい。

 そのために、今の自分をちゃんと受け入れて、お願いしよう。
 助けて欲しい、と。
 それこそが、今の自分に出来るもっとも誠実な振る舞いなのだから。

 竜児は溢れかけた涙を手の甲で拭い、白い箱に納められたドレスを見つめた。
「これ、きっと似合うよな」
「うん。絶対に最高に似合うよ。きっとすっごく綺麗だよ」
 竜児の耳元で泰子は言った。

「じゃあ、みんなに見てもらわなきゃいけないよな」
「うん」
 泰子は竜児の肩をきゅっと抱いた。
「そうだよ。竜ちゃん…」
 そう小さく呟いて、竜児に気付かれないようにそっと下唇を噛みしめた。すっと天井を
仰いで、こぼれ落ちそうな涙を押しとどめた。切なかった…

 竜児の心を傷つけてしまっていたことも、
 その傷が、自分が思っていたよりもずっとずっと深いということも、
 嫁の親に頼ることを後押しすることぐらいしか出来ないことも、全て切なかった。

 けれど、自分が竜児の母親なのだという事実は誇らしかった。

***
62きすして7(上)14:2010/03/17(水) 23:35:24 ID:VIfzVF5c

 昼下がりの街を竜児と大河は手をつないで歩いている。

 竜児は大河をアパートに呼んでウェディングドレスを見せ、「やっぱり結婚式を挙げよ
う」と言った。「お金はどうするのよ?」と聞く大河に竜児は「そりゃあ、もちろん全部
義母さんに持ってもらうさ」と言って笑って見せた。大河はドレスを見てもさほど驚くそ
ぶりを見せずに「いいって言ったのにホントに完成させちゃうとはね」と呆れ気味に呟き、
随分前に仮縫いまで済ませていたことを竜児に白状した。

 そして二人は泰子に紹介してもらった店に向かっている。その店は泰子の知り合いが経
営しているジュエリーショップで、今も大河の指で輝いている古い指輪のサイズ直しをし
てくれたのもその店だった。

「ねぇ、竜児。ホントに大丈夫なの?」
「何が?」
「指輪に十万円もかけちゃって大丈夫なの、って聞いてるのよ」
「心配すんな。指輪は買うつもりだったから貯金もしてたし。ただし二人分で十万円が上
限な」
「そう…。なら良いんだけど。私はこれでも全然オッケーなんだけどね」
 言いながら左手を顔の前で広げて薬指に嵌めている古い指輪を眺めた。
「けどよ、それ、サムシング・オールドなんだろ?」
「うん」
「じゃあ、結婚指輪は別に必要だろ。それに俺の指輪がねぇ」
 あら? とでも言いたげに大河は竜児の顔をのぞき込む。
「へぇ、竜児、指輪してくれるんだ」
「するだろ」
「男の人って普段はつけないって人が多いみたいだから。まあ、でも、竜児がマリッジ
リングをつけててくれた方が安心できるわ」
「なんだそりゃ?」
「さあね」
 ぷぃと大河はそっぽを向く。
「ちぇ、ま、いいけどよ」
 竜児は不満げに言いつつ、まあ、俺もそうなんだけどな、と心の中で呟く。
  
「ねぇ、竜児。指輪、どんなのがいいかな」
「シンプルなのがいいんじゃねぇか。毎日するもんだし」
「そうだね。毎日だもんね」

「ずっと、だもんね」
 噛みしめるみたいに言って、大河は竜児に微笑んだ。

(つづく)
63356FLGR ◆WE/5AamTiE :2010/03/17(水) 23:36:21 ID:VIfzVF5c
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64きすして7(中)01:2010/03/17(水) 23:37:29 ID:VIfzVF5c

 年が明け、受験勉強の追い込みに明け暮れ、そして今日、志望校の受験を終えた二人は
泰子の実家でくつろいでいた。

 二人が過ごしている部屋は二階の客間をつぶして造られた十二畳ほどの洋室だ。竜児は
こんなことになっているとは思いもよらなかったのだが、いつの間にやら元祖高須家はリ
フォームされていたのである。正確に言えば、十一月末から正月にかけて耐震補強と外壁
補修をしたという話は聞いていた。それは聞いていたのだが、二階の間取りがまるっきり
変わってしまっているとは思わなかったのだ。想定外の事態におろおろとする二人に、

「二人で暮らすには広すぎるし、二階建ては不便だから売ることも考えてたんだけどね、
竜児君と大河ちゃんが来てくれるなら賑やかになるしリフォームしたのよ」

 と満面の笑顔で園子は言ったのだった。
 
 そのあまりにも劇的すぎなビフォーアフターっぷりに、竜児も大河も喜ぶより先に青ざ
めた。高須家の二階部分は完璧に作り替えられていて、トイレは言うに及ばず、ユニット
バスやミニキッチンまで備えた『ほぼ二世帯住宅』と化していたのだ。そんな二人の様子
などまるでお構いなしに、園子は「ちいさいけどお風呂もあるのよ」とか「温水洗浄便座
もつけたのよ」とか、それはもう嬉しそうに説明し、「防音もバッチリだから、遠慮しな
いでね」と言って微笑んだ。

「う、うれしいよ。ばぁちゃん。な、なぁ、大河」
「う、うん。ホ、ホ、ホントにありがとう」
 笑顔を引き攣らせながら二人は思った。これで落ちたら洒落にならない…

「やるっきゃねぇよ」「だ、だよね」と二人は決意も新たに決戦に挑んだのである。

 ともあれ、そのプレッシャーで気持ちが引き締まったのか、とにかく二人とも試験の方
は十分な手応えを感じていた。もちろん試験の結果に対する不安が無いわけではないが、
やるだけのことはやりきったという実感もあって、今はとにかく開放感を満喫したい二人
だった。

 ベッドも机もない真新しい部屋にはとりあえずの小さな座卓と布団が二組、それに石油
ファンヒーターが一台あるだけだった。リフォームで断熱が改善されたお陰か、外はしん
しんと冷えているのにファンヒーターから吹き出す温風で部屋の中は随分と快適だった。
 パジャマ姿の竜児は布団にうつ伏せになって携帯電話を弄っている。自分と大河の受験
が問題無く済んだことを北村に伝えておこうと思ったのだ。大河は竜児の背中を枕にして
布団に寝転がり、竜児と同じように実乃梨宛てのメールを打っている。
 竜児は五行ほどの短いメールを送信して電話を閉じて、また開いた。受信ボックスを開
き、二日前に届いたメールを選んで返信ボタンを押して『こっちはうまくいった。香椎も
がんばれよ』と打ち込んで送信した。それと同時に北村からのメールが着信。たった一行
の返信をチェックして竜児は電話を畳んだ。背中から聞こえてくる大河の鼻歌に耳を傾け
つつ、携帯電話のサブディスプレイを見ると時刻は二十三時半。あと三十分もすれば、日
付は二月十四日。バレンタインデーである。
 大河はメールを打ち終えて実乃梨に送信。すぐに返信が来て、大河はそれを確認してか
ら電話を畳んだ。
65きすして7(中)02:2010/03/17(水) 23:38:02 ID:VIfzVF5c
「ねぇ、竜児」竜児の背中に頭を乗せたまま呼んだ。
「ん? どうした」背中に大河の頭を乗せたまま応えた。
「明日、バレンタインだね」
「そうだな」
「一年、経ったんだね」
「そうだな。ずいぶんいろいろ有ったけど、まあ、あっという間だったな」

 二人が本当の気持ちをぶつけ合ってから丸一年。駆け落ちにこそならなかったけれど、
雪の降りしきるバレンタインの夜に交わした言葉は現実になり、大河は竜児の嫁になった。
そして嫁になってからすでに三ヶ月が経っている。

「うん。ホントだね」
 そう言って大河は身体を起こし、布団の上にひざを抱えて座った。
 
「竜児。本当に今更なんだけどさ、ずっと言えないでいたことがあるのよ」
「んん? なんだよ」
 竜児も身体を起こし、大河の正面で胡座をかいた。

「実はね、ずっと前からあんたに謝らなきゃいけないって思ってたことが一つ残ってて、
一昨年の年末に、あんたインフルエンザやって入院したじゃない」
「ああ、櫛枝に撃破されたときだな」
 淡々と竜児は言った。もう、丸一年以上も前の事だ。すっかり消化している。
「そう、そのとき…」
 小さな声で大河は言った。
「お前、見舞いに来てくれてたもんな。あれは正直、助かった。いろんな意味で」
「うん。それでね…、竜児が、その…」
 大河は何かを話しかけて口ごもった。抱えた膝に口づけするように俯いて瞼を閉じた。
 竜児はそんな大河を黙って待つ。大河は小さく「うん」と言って、顔を上げた。

「クリスマスにさ、私のところに来てくれたでしょ」
「ああ。行ったな」
「すっごく嬉しかったんだけどね、私、あんたを送り出した後で気付いちゃったのよ。
 私は竜児が大好きなんだって。
 あんたがいないと生きていけないんじゃないかってぐらい、私はあんたの事が大好きに
なってたのよ。でも、気付いたときには手遅れで、私はあんたを引き留めようと思って追
いかけたんだけど間に合わなかったのよ」

「大河…」竜児は呟き、彼女を見つめた。

「一晩中ずっと泣いてた。もうね、本当にずっと、ずっと泣いてた。
 でも、竜児から『うまくいったよ』って言われたときには絶対に笑ってあげなきゃいけ
ないって思って、諦めなきゃ、諦めなきゃ、っておまじないみたいに何回も自分に言い聞
かせてた。明け方までそんな感じだったけど、いつの間にか寝ちゃってたのよね。
 そしたら、やっちゃんから電話がかかってきて、あんたが入院したって聞かされて…。
もう、大慌てで病院にぶっ飛んでいったら、やっちゃんはパニクっちゃってるし、どうし
てそんな事になってるのかワケわかんないし…」
「あれはすまんかった」
 それだけ言って、竜児はきまずそうに目をそらした。
「でも、よかったよね。ちゃんと治って」
 言いながら大河は竜児の頭を撫でた。
「ホント、そうだな」
 そう言って竜児が視線を大河に戻すと、今度は大河が小さく頷いて視線をそらした。
 僅かな沈黙のあと、大河はぽつぽつと話し始める。
66きすして7(中)03:2010/03/17(水) 23:38:39 ID:VIfzVF5c

「それでね、やっと話せるようになったあんたから『だめだった』って言われて……思っ
てもみなかったから、最初は訳がわかんなかった。けど、」

「けどさ…」
 大河は苦しげな表情を浮かべた。
 そして、そんな辛そうな表情のまま話を続ける。

「あのときマスクしてたからあんたは気付かなかっただろうけどさ、

 私、笑ったんだよ…。

 どうしてそんな事になったのか全然わかんなくて、信じられなかったけど、ああ、良かっ
た。これでまた竜児と一緒に居られるんだ、ってそう思ったら…嬉しくて嬉しくてたまら
なかったのよ。嬉しくて、ぶわぁって鳥肌が立って、身体が熱くなって、けど、さ、酷い
じゃない。好きな人が傷ついて泣いてるのに…竜児は辛くて泣いてるのに…さ、」

「私は、それを、喜んだんだよ」
 大河は大きな瞳を潤ませて、苦しげにそう言った。

「それに気付いたら、結局、自分の事しか考えてないんだって。酷く恥ずかしくて、惨め
で…。私には人を好きになる資格なんか全然無いんだって。竜児に優しくしてもらう資格
なんて無いんだって。
 もう、自分が嫌で嫌で堪らなくて、そんな自分を竜児に見られるのが嫌で、怖くてたま
らなくて、竜児の傍になんていられなかった。
 それで、竜児のこと、諦めよう、好きって気持ちも棄てよう、忘れようって。それで、
北村君を拝ませて貰ったりもしたんだけどね、まるっきりダメだった。もう、あんたが好
きって気持ちには歯止めがかかんないのに、そんな資格無いんだ!っていう気持ちもどん
どん強くなって、離れなきゃいけないって思って自立宣言してみたけど、どうにも、辛く
てね。辛くて、辛かった…
 そのころから、ポストに変な手紙とかが投げ込まれるようになって、お金がどんどん無
くなって。ああ、これは天罰なんだ。私があまりにもいっぱい求めた所為で全部壊れちゃ
うんだ。結局、私に居て良い場所なんて無いんだなって。
 もう、本当にボロボロでさ、スキー場でドジって滑り落ちて、必死に隠してた本心を
あんたに知られちゃったんだよね」
 大河は膝の上で組んだ腕に頬を乗せてため息をついた。そのまま潤んだ瞳を竜児に向け
て「まあ、結果的にはそれでよかったんだけどね」と言った。

「幻滅した? ごめんね、でも嫌いにならないで。勝手だけど」

 竜児の胸は大河の濡れた視線に締め付けられた。
 確かにそれは大河にとって重い罪だったのだろうけれど、それほどまでに彼女は自分を
好いてくれたのだ。欲しいと思ってくれたのだ。

「幻滅しねぇし、嫌いにもなんねぇよ」
「ありがと」
 潤んだ瞳のままで大河は微笑んだ。微笑む大河に竜児は小さく首を振った。
67きすして7(中)04:2010/03/17(水) 23:39:21 ID:VIfzVF5c
「俺の方こそすまなかったな。全然わかってやれなくて。それなのに、俺はお前のことは
あらかたわかってるつもりでいたんだ。俺がもっとお前をちゃんと見てれば、もっと早く
お前を救えたかもしれねぇのに」
「しょうがないよ。言わなかったもん。怖くて、言えなかったもん」
 そう言って大河は俯いた。

『あんたなんかに、いわない気持ちなんて、死ぬほどあるんだからっ!』

 竜児はそんな事を真っ白いゲレンデで言われたことを思い出した。あの時は、その言葉
にそれほどの意味があるなんて思わなかった。売り言葉に買い言葉なんだと思っていたけ
ど、あれは大河が苦しくて堪らず吐露した本心だったのだ。
 あのクリスマスの夜に壊れ始めた大河の世界は、それからほんの数週間でガラガラと崩
れ去っていった。それがどれほどの痛みを、恐怖を彼女に与えたのか。どれほど傷つけ苦
しめたのか。
 なのに、そのことを大河は一言も言わなかった。
 そして、それに気づけなかった。一番近くで見ていたのに気づけなかった。竜児はその
事実が怖かった。

「言えよ。そういうことは。言ってくれなきゃ、わかんねぇよ」
 縋り付くような気持ちで竜児は言った。
「苦しいときは苦しい。痛い時は痛いって言ってくれ」
 そうしてくれなければ本当の事は分からないのだ。
「頼むから、俺にだけはちゃんと伝えてくれ。お願いだから」
 大河は「うん」と小さく言って、膝で立って竜児の背中に抱きついた。広い肩に細い腕
をショールでも掛けるみたいに柔らかく巻き付けて「今はそうしてる」と竜児の耳元で囁
いた。

「でも、それが言えないくらいさ、あの頃は弱かったんだよ。今だから言えるんだよ。
 あたしはこんな女なんだよ、って」
「だった、だろ」
「今だって、大差ないわよ。きっと」
 竜児は右手で肩に添えられている大河の左手を握った。
「けど、俺はそんなお前が好きなんだよ」
 言いながら小さく身体を前後に揺すった。まるで、背負った大河をあやすみたいにゆっ
くりと。
「なあ、大河」
「うん」
「俺だって自慢できるような男じゃない。結婚したってのに稼ぎもねぇし、夫婦でじい
ちゃんの家に居候だし。得意なことは家事と勉強ぐらいのもんだ。面白い話ができるわけ
でもねぇし、ツラにいたってはこの有様だ。けどよ、」
 ゆっくりと二度、三度と竜児の身体が揺れる。
「けど、なによ?」
 竜児は大河の手を取って、自分の肩を抱いている大河の腕をほどいた。胡座をほどいて
膝で立ち、大河の正面に向き直る。俯き加減の大河の頬に右手を添えると、大河の細い肩
が微かに揺れた。左手でやさしく顎を上げさせて、潤む瞳を見つめた。

「なに…よ…」
 大河のふっくらとした桜色の唇がふるえる。
 竜児は大河を見つめる。甘い痛みが胸に広がり、心がはち切れそうになる。
 唯々、抱きしめたい。けれど、その前に伝えたい。
 一つの事実を彼女に…
68きすして7(中)05:2010/03/17(水) 23:40:09 ID:VIfzVF5c
 
「俺は、お前を愛してる。誰よりも、ずっと」

 竜児は穏やかに抱きしめるように言った。 
 竜児を見つめる大河の目に涙があふれだし、それは光る粒になってぽろぽろとこぼれて
いく。粒は滑らかな頬を走り、滴りおちてパジャマの胸の部分を小さく濡らした。

「そんなの知ってるわよ。私だってあんたのこと、愛してる」

 ピンク色の可愛らしいくちびるが緩くひらき、白磁のような歯がのぞく。

「りゅーじ…。きす、して」呟いて、大河は瞼を閉じた。

 竜児はゆっくりとやさしく唇を触れ合わせた。
 確かめ合うように、長い長い口吻を、幾度も息を継ぎながら…
 いつしか大河の細い腕は竜児を身体を抱きしめていた。
 竜児がゆっくりと唇を離すと、大河はうっすらと瞼を開けて、
「もうちょっと…」と切なげに呟いた。
 大河はくちびるを緩くひらいて竜児をさそう。女の表情で『きて』と訴える。

 竜児は花びらのような唇の感触をもう一度自分の唇で確かめる。
 触れ合う部分から伝わる熱は、ほんのりとあまいスープのように互いの胸の内を暖めて
いく。胸を内側からくすぐるうずうずとした感覚は二人の鼓動をじわじわと加速させ、触
れ合うようなキスをはむようなキスへと変えていく。

 ん、ふ… 

 上唇を触れ合わせたままで息を継ぐ。濡れた大河の吐息が竜児の下唇をくすぐる。竜児
の唇が大河のふっくらとした下唇を啄む。緩く開いた唇を重ね合わせて、熱く湿る吐息を
混ぜ合わせる。
 竜児は少しだけ強く大河の華奢な身体を抱きしめた。それに応えるように、大河の細い
腕にも力がこもって竜児の身体をきゅっと抱く。
 
 ああ、ダメ… やばい。大河の理性が警告する。

 このままでは竜児を求めずにはいられなくなってしまう。なのに、もうちょっと、もう
ちょっとだけ、と女の部分が大河を誘惑し続ける。
 
「ダメ…」大河は竜児の胸を両手で突いて押し戻した。

「こんなキスしてたらしたくなっちゃう」
 俯いて言った大河の目はすっかり蕩けて潤んでいた。
「…したいんだけど」
 大河から目をそらして竜児はぼそっと呟いた。
「だって、無いでしょ。こんどーちゃん」
 結婚したとはいえ、自分達のことだけで精一杯なのだ。まだまだ『こんどーちゃん』の
お世話にならなければならない二人である。
69きすして7(中)06:2010/03/17(水) 23:41:04 ID:VIfzVF5c
「えぇと、実はだな…」
「まさか、あんた持ってきてるの?」
 大河はジトッとした軽蔑の眼差しを向ける。
「…んなわけねーだろ」と、竜児は無実を訴える。
 いくらなんでも受験のお供に『こんどーちゃん』は有り得ない。
「そうよね。じゃあ、ダメ」
 大河はきっぱりと言った。大河がダメと言ったらダメなのである。

「いや、持って来ちゃいないんだが…」
 ぼそぼそと言いながら、竜児は園子が昼間のうちに洗っておいてくれた下着類を入れた
ビニール袋から小箱を取りだした。
「ばあちゃんが、こんなものを…」
「えっ」
 大河は竜児の手から小箱を取り上げて、
「こ、こんどーちゃん。六個入り」
 いつも竜児が買ってくるモノとはブランドが違っていた。大体、六個入りなんていう半
端な物は買ってこない。
「これ、おばあちゃんが?」
「たぶん」
 言いながら竜児は思った。さすが泰子の母だと。妙な感慨にふける竜児にお構いなしに、
大河は小箱を包むフィルムをピリピリとはがしていく。
「受けて立つわ…」
 大河は箱をじっと見つめて言った。
「なんだそりゃ?」
「ここまでされてしないで帰るわけにはいかないわ。
 これは、きっと、そうよ。おばあちゃんからのメッセージだわ。ここはあなた達の家なん
だから、この部屋でえっちしていいわよっていうメッセージなのよ。だったら、そのメッ
セージをちゃんと受け取ったっていう意味も込めて私達はここでしなきゃいけないんだわ」
「…素直にしたいって言えよ」
 
 ぼっ、と大河の頬が赤く染まった。

「あ、あんたがしたいって言うから付き合ってあげてんのよっ!」
 口を尖らせて大河は言った。それでも頬は染まったまま。
「…そうだったな。ありがとよ」
 言いながら竜児は大河の髪を撫でた。
「わ、わかればいいのよ」
 俯いてブツブツと言いながら、大河は小箱を竜児に渡した。竜児はそれを枕元に置いた。
「灯り…消して」

 竜児はゆっくり立ち上がって天井灯を消した。視界が暗闇につつまれるが、すぐに常夜
灯の薄明かりに目が慣れてくる。座卓の置かれているスタンドのスイッチを入れると部屋
全体が暖かみのある仄かな光で照らされた。竜児は掛け布団を畳んで、敷き布団の上にバ
スタオルを敷いた。こうしておかないとシーツや布団が大河の愛液で濡れてしまうのだ。

 床の準備を終えて、竜児は布団の側に立って様子を眺めていた大河の前に立った。
「おまたせ」
「ばか」と大河は呟いて、瞼を閉じて顎をくいと上げた。
70きすして7(中)07:2010/03/17(水) 23:41:35 ID:VIfzVF5c
 竜児はゆっくりと屈んで、微かにひらいて待ち構える唇に優しくキスした。柔らかい感
触が、リップクリームの甘い香りが竜児の胸をくすぐる。鼓動が徐々に早まり、そのまま
押し倒してしまいたい衝動にかられる。けれど、竜児は唇をゆっくりはなす。離れようと
する竜児の顔を大河の手が捕まえる。耳を掌で塞ぐように捕まえて竜児を引き戻してキス
をする。

 ちゅ… と湿った音がする。

 互いのくちびるをはむように、じゃれ合うようにキスを味わう。二人は互いの吐息を混
ぜ合わせながら、さらに鼓動を加速させる。

 竜児の舌が大河のくちびるに触れる。大河は口を緩くひらいて竜児を受け入れる。
 目を瞑り、つながり合い、絡み合っている部分に意識を集中させて互いの身体を味わう
行為に二人は没頭する。セックスの予行のようなその行為は二人の感度を上げていく。

 竜児は左腕で大河の身体を抱えるように抱きながら、右手で愛らしい耳朶を優しく撫で
る。触れるか触れないか、産毛を撫でるような繊細さで彼女のカタチをなぞるように愛撫
する。普段ならくすぐったいだけのその行為が、キスで高まった感度によって性的な行為
に変容する。

 ん、 ぁん…

 かくん、と崩れ落ちそうになる大河の身体を竜児は抱いて支えた。それでも大河は絡め
た舌を止めようとはしない。小さなやわらかな舌は竜児を誘うように淫靡にうごめく。竜
児は振りほどくように大河の中に押し込んでいた舌を引き抜き唇をゆっくりと離した。混
ざり合った唾液が一瞬だけ糸をひいてすっと消えた。

 大河は恨めしそうに蕩けた瞳で竜児を見上げている。

「大河、脱がしていいか?」
 竜児が聞くと大河はこくっと小さく頷いた。
 竜児は大河のパジャマのボタンを首の方から丁寧に一つずつボタンを外して大河の白い
肌を露わにしていく。竜児は全てのボタンを外し終えると、大河の首筋をなぞるようにパ
ジャマに手を差し込んでするりと脱がせた。淡いブルーのパジャマが布団の上にぱさりと
落ちて、大河の華奢な肩、そこへと走る鎖骨のライン、きれいにふくらんだ二つの乳房、
滑らかな線を描く腹部と綺麗な臍、そういった全てが露わになる。

「もう聞き飽きたかも知れねぇけど、やっぱ、お前は綺麗だよ」
「ありがと」俯いたままで大河は言った。
 
 竜児は膝立ちの姿勢になって、大河の背中から腰をなでるようにパジャマのパンツに指
を差し込んでするすると脱がせていった。大河は竜児の肩に手を添えてパンツから足を抜
き取った。もう、大河が身につけているのは淡いピンクのショーツだけ。それもはぎ取っ
てしまいたい衝動を抑えて、竜児はそそくさとパジャマを脱いだ。大河だけ裸にさせてお
くのはちょっと気が引けたのだ。
 竜児は背中の方から大河のショーツに指をすべりこませて、それをちいさなヒップから
剥がすようにして脱がせた。パジャマのときと同じように、大河は竜児の肩に手をかけて
ショーツから足を抜いた。竜児もトランクスを脱いで、完全に裸になった二人はもう一度
抱き合いキスをした。隔てる物は何もなく、互いの肌の感触や肉や骨の様子までが体温と
一緒に伝わるようだった。
71きすして7(中)08:2010/03/17(水) 23:42:19 ID:VIfzVF5c

 竜児は右腕で大河の背中を抱き、左手で大河の乳房に触れた。ふわふわとした柔らかい
肉に竜児の指が優しく沈む度、大河のくちびるから蕩けるような吐息が漏れる。竜児は繊
細に指を動かして乳房を可愛がりながら、ぷっくりとふくらみ始めた淡いピンクの乳首を
指先で優しく撫でる。

 んっ… ぁん… んふぅ… 大河の吐息は切ない喘ぎに変わり竜児の心をくすぐる。

 竜児は窮屈に身体をかがめて大河のくちびるを自分の唇でふさいで、舌を彼女の中へと
侵入させた。大河の狭い口腔で、二人の唾液は混じり合い、その中で二つの舌が互いを貪
るように絡み合う。その間も、竜児の指は大河の乳房と乳首を不規則に可愛がる。その不
規則に焦らすような愛撫と口の中で繰り返される咬合はじわじわと大河の理性を溶かして
ゆく。

 竜児の指が大河の乳首を撫で上げるたびに、大河の身体はかくんとその場に崩れ落ちそ
うになる。でも竜児は右腕で彼女をしっかりと抱きかかえてそれを許さない。裸身を密着
させるように二人は抱き合い、愛し合う。
 大河は自分の臍の近くに押し当てられている竜児のモノが少しずつ大きく固くなり始め
ていることを感じる。その感触だけで、もう、中に彼が入ってきているように錯覚する。
口の中で絡み合う舌が、その錯覚に強い現実感を与えてくる。

 それが、どうしようもないほどにもどかしかった。

 大河は竜児を抱く腕をほどいて竜児の胸に手を当てた。それは二人だけのサインで、意
味は『ちょっとまって』。幾度も身体を重ねるうちに出来上がったルールの一つだ。
 それに気付いた竜児は指の動きを止め、名残を惜しむように舌をゆっくりと引き抜いて
唇を離した。

「どうした? 痛かったとか」
 竜児は心配そうな表情を浮かべて大河に聞いた。
 大河はふるふると首をふり、
「そうじゃなくて、もっと、してほしいんだけど、もう立ってられないし…」
 大河は布団の上に敷いたバスタオルの上に、竜児に背を向けてぺたんと座った。
「ね、りゅーじ、抱いて」
 大河は小さく呟くように言ってから、首を捻って竜児に微笑んだ。
「おぅ」と竜児はいつもの様に応えて大河の背後に座り背中から彼女の肩を抱いた。大河
は竜児の胸に身体を預け、肩に添えられた竜児の手に自分の手を重ねて目を瞑った。

 竜児は大河の華奢な肩を抱きしめて自分の方へと引き寄せて、赤く染まった耳をはむよ
うなキスをした。

「ぁん…」と、大河は声を漏らして微かに肩を震わせる。
 
 竜児の唇は耳の縁を啄みながら耳朶へと降りていき、そこから赤みを増した首筋へと
進んでゆく。首筋をはむように、柔らかい彼女の肉を味わうように口づけを繰り返す。
 竜児は両手で大河の乳房を包むように触れた。やわらかいふくらみを包む滑らかな肌の
上で竜児の指が蠢く。なぞるように滑らせ、柔らかさを楽しむ様に指を沈める。
 竜児の人差し指がピンクの突起のまわりをすりすりと撫でまわすと大河のくちびるから
焦れた喘ぎが漏れだす。大河が昂ぶっていくのを楽しみながら、竜児はピンクの乳首を中
指と人差し指で軽く挟んだ。
72きすして7(中)09:2010/03/17(水) 23:42:51 ID:VIfzVF5c

「あぁんっ」大河の肩がぴくんとゆれる。

「痛かったか?」
「…ううん、きもちいい」
 頬を桜色に染めた大河は潤んだ瞳を竜児に向けた。ふわっと香るような色気に誘われる
ように、竜児は小さく頷き乳房に触れた。

 …んふ、

 大河は小さく喘いで自分の身体を挟んでいる竜児の太股をきゅっとつかんだ。
 竜児の掌が乳房を包み、指が軟らかい肉を揉みほぐしていく。ピンクの突起が撫で上げ
られ、微かに摘まれる度にちりちりとした快感が大河の首筋を灼いていく。昂ぶっていく
小さな身体は熱を帯び、その熱が竜児の胸を焦がしていく。

 …っん、あ…、くふっ、ぁあっ… … …

 大河の腰が切なげに揺れる。綺麗な足が不規則に、小さく足踏みするように、膝をこす
り合わせるように動いて竜児に合図する。 

 さわって… と。

 竜児の指先が大河のなめらかな肌をなぞっていく。みぞおちから臍のすぐ側を通り、薄
い陰毛を撫でて柔らかな桃色のヒダに触れた。

 はあぁんっ… 大河は喘いで首をがくんと仰け反らせた。
 竜児は指先のぬめりでそこがすでに潤い、蜜をにじませていることを知る。
「ひざ、立てて」
 竜児が囁くと、大河はおずおずとひざを立て、わずかに足を広げた。
 竜児は右手の人差し指と薬指で柔らかなクレバスをわずかに開き、そこに中指をゆっく
りと沈めた。ぬちゅ、という微かな音に大河の喘ぎが重なる。竜児の指がクレバスの底を
撫でるたび、熱く蕩けた秘肉からくちゅくちゅと淫靡な音と愛液があふれ出す。

 あ… 竜児の指先が膣口から大河の体内へと滑り込む。 

 くふぅっ… うぁ… 
 
 竜児はそこをほぐすように指先を出し入れする。透明な蜜があふれ出して竜児の指先に
からみつく。竜児はたっぷりと濡れた指を膣口から抜き取ってクレバスの底を撫で上げい
く。左手の人差し指と中指で陰裂を広げ、たっぷりと濡れた右手の中指で露わになった陰
核に愛液を塗りつける。

 あ… ああっっ …はぅ… っっん… 
 
 大河は肩を震わせて息を荒げる、喘ぐ、仰け反る。
  
 あっ… あん、 ぁん…
73きすして7(中)10:2010/03/17(水) 23:43:23 ID:VIfzVF5c
 竜児の濡れた指が充血して紅くふくらんだ陰唇をぬるぬると撫でる。ぬぷりとクレバス
に沈み、ぬちぬちと膣口をまさぐり、クリトリスに優しく触れる。
 大河は激しく喘ぎ、苦しげに息を継ぐ。 

「…め、りゅ… じ、もぅ、…」

 竜児の太股に大河の指が食い込む。

「いいんだぞ。イッても」竜児は囁いて、左手の指で陰核の包皮をめくるように陰裂を開
いた。たっぷりと濡れた竜児の指がクリトリスに触れる寸前、大河の左手が竜児の右手を
押さえつけた。

「だめ…いかせないで」大河が呟き、竜児は指を止めた。

 息を荒げた大河は、ひくひくと身体を震わせながら竜児を横目で見た。
「指で、いきたくないの。
 今夜は、いけなくていいから、…なんて言えばいいのか、分かんないけど、愛して、も
らってるの、感じながら、抱かれていたいから…。りゅーじので、して」
 息を切らせながらそう言って大河は竜児の胸に身体をあずけて微笑んだ。
 竜児は一瞬だけ戸惑い、
「…おぅ。ちょっと待ってろ。準備すっから」と言った。
「うん」と大河は言って竜児の胸にあずけていた身体を起こした。

 竜児はすでにレディ状態になっていた自分のモノにラテックスのコーティングを施した。
いつも使っているゴムとは違うためか装着感がちょっと違う。だからどうしたという事も
ないのだが、ちょっとだけ新鮮だった。

「おまたせ」
 竜児は大河の隣に腰を下ろした。
 大河は「ううん」と静かに言い、顎をくいと上げて目を閉じた。竜児が軽く触れ合わせ
る様なキスをすると、大河はゆっくりと瞼を開けて、「きて」と呟き仰向けに寝た。
 竜児は大河のすらりと伸びた足の間に腰を下ろし大河のひざを持ち上げた。右手の人差
し指でクレバスに触れるとそこはまだたっぷりと潤っていた。竜児は愛液で指先をたっぷ
りと濡らして赤みを増した桃色の肉襞にそれを塗りつけた。

「入れるぞ」
 竜児は固く強ばったものを大河の小さな性器に押し当てた。
「うん」と大河は呟き目をつむる。

 竜児は入り口を探り当て僅かに押し込む。頭の部分が狭い入り口を押し広げて大河の中
へと侵入する。ぬるっとした感触に竜児の背筋はぞわぞわと粟立つ。

 んふぅ… 喘いで大河は肩を震わせた。先端の二センチほどが入っただけで大河の身体
はひくひくと震えだした。イク寸前まで昂ぶっていた大河の意識はあっという間に途切れ
そうになる。

  …はあ、 んっ… ぁん… 

 竜児はゆっくりと腰を沈めていく。大河の喘ぎ声を聞きながら、ぬるぬると蕩けて締め
付ける肉を竜児は押し広げ貫いていく。奥へ奥へと沈めていき、一番奥の部分に先端が触
れたところで動きを止めた。
74きすして7(中)11:2010/03/17(水) 23:44:11 ID:VIfzVF5c

 大河は薄い陰毛の上に手を置いて「はいってる…」と紅くそまった頬をほころばせて嬉
しそうに呟いた。確かに、その手の下、大河の体内に竜児はいる。
「ああ、奥まで入ってる」
「きもちいい?」大河は聞く。
「ああ、すげぇよ」と竜児は答える。
「お前は?」と今度は竜児が聞く。
「うん、すごく」大河は答える。
 竜児は大河の頬に触れて、親指でふっくらとした下唇をなでた。

「いいか?」「うん」

 愛液でぬらっと光るモノが引き抜かれていく。その動きで透明な蜜が掻き出されてあふ
れ出す。先の部分だけ残して引き抜き、そしてまた押し込んでゆく。ゆっくりと、ゆっく
りと奥へと押し込んでゆく。長いストロークで蕩けた蜜で満たされた膣の中をかき混ぜる。

 引き抜いて …ぬちゅ… 押し込む …ぐちゅ…  
 …はぅ…んっ… 引き抜かれ …はぁあんっ… 押し込まれる
 …くちゅ…ふぁっ…じゅ…あんっ…ぷちゅ…あっ、ぁ…ちゅっ…んくっ…はんっ… 

 竜児はカリ首で膣口をくすぐるように、ぬちぬちと浅いストロークを繰り返す。濡れ光
る肉襞がこすられる度に大河は可愛らしく喘ぐ。掻き出された透明の愛液がつながってい
る部分から溢れて白いヒップへと垂れていく。

 竜児は大河のひざ裏に手をかけて持ち上げ腰を浮かせた。そのまま、ずぶずぶと大河の
中へと突き入れていく。

「っはぁああんん…っ」眉根をよせ、苦しげに喘いで小さな手でシーツを握りしめる。

 竜児はその深さを狙って膣の前側に先端をこすりつけるように突き上げる。細かく速い
ストロークで大河を攻め立てる。

 …あ、あ、ぁふ… 大河の口は大きく開いて酸素を貪る。
 奥歯を噛みしめて仰け反り、 …んあぁぁ… くぅっん… 喘いで、 …は、はぁ… 
息をつなぐ。

「たい…が…、大丈夫、か?」竜児は息を切らせながら聞く。
「…っ…ぅん… ぃ…じょう、ぶ…、も…っと」
 
 竜児を咥え込んでいる部分からぬちゃぬちゃという音と女の匂いが溢れる。つながり、
こすれあう性器から溢れ出す快楽が、生の、性の、悦びで理性を塗りつぶしていく。
 唯々、こうして愛し合っている事実を躯の全てで感じ悦びあう。

「…ぃ、ぃくっ…」びくん、と小さな身体がはぜる。仰け反り、のたうつ。

 シーツをつかんでいた手が中を泳ぎ彷徨う。小さな手は竜児の頭に触れ、髪の毛をつか
む。そして力任せに引っ張るように竜児の頭を自分の方へと引き寄せる。
 竜児は大河の胸に飛び込むようにして彼女の躯を押さえつけるように抱きしめる。暴れ
る身体に自分の身体を重ねる。
75きすして7(中)12:2010/03/17(水) 23:44:41 ID:VIfzVF5c

「ぅ、ぐぅっ… ぅはぁつっ、っんん …」小さな身体が爆ぜる。

 竜児は息を継ぎながら、ひくん、ひくんと震える身体を抱きしめる。小さな身体が震え
る度に竜児を包む柔肉もひくひくと蠢き果てさせようとする。竜児はそれに必死に、否、
力を抜いて耐える。深く呼吸して持ちこたえる。この甘い時間が過ぎていくことが惜しく
て惜しくて仕方がない。

「…ごめん、いっちゃった」
 ふっ、と竜児は小さく笑った。そして、「謝るこっちゃねぇだろ」と。

「もうちょっと大丈夫だよね?」
「ん、まあ、今のところ持ちこたえてるな」
「ふふっ。ねぇ、抱いて。いっつもしてくれるみたいに」
「おぅ。じゃあ、つかまれ」
 大河は竜児の首に腕をまわす。竜児は大河の背中を抱いて持ち上げた。つながったまま
竜児は胡座のような姿勢をとり腰の上に大河を乗せた。そして彼女の細い身体を抱きすく
めた。しっとりと汗ばんだ肌と肌がひたひたと貼り付き熱が伝わる。
 ずん、と下から突き上げられて、大河は熱い吐息を漏らす。

「きす、して…」竜児の耳元に囁く。竜児は抱きしめる腕をほどき、彼女を見つめる。

 桜色のくちびるが小さくゆれてねだる。
 竜児は… 苦しかった。愛おしすぎて。

 口づけを交わす。二度、三度と。ちゅっ、と音をさせて触れ合わせ、舌を絡める。

 …んふっ… 二人の吐息が混ざり合う。

 竜児は大河の腰に手を添えてグラインドさせる。つながっている部分から、ぬちゃっ、
ぬちゃっと音がして、愛液がしたたる。それは竜児の陰毛にまとわりつきぐしゅぐしゅと
音を立てる。
 奥を突き上げられ、蕩けた内蔵をかき混ぜられて、大河は喘ぐ。喘ぎながら、貪るよう
に腰を前後にスライドさせる。

 …ぅあっ、あんっ… 

 大河の愛液で濡れた肌と肌がぶつかりびちゃびちゃと音をたてる。泡立ち微かに白く濁っ
た液体が糸を引く。

「ぐぅっ…」竜児も限界に近づいていく。

 竜児はゆっくりと大河を布団に押し倒していく。すらりと伸びた大河の足を持ち上げて、
小さな身体を屈曲させる。竜児はねっとりと蜜がからみついたペニスをずぶずぶと濡れて
光るヴァギナに沈めていく。一番奥を叩かれて、大河は喘ぐ…歌うように、啼くように。

 竜児は呻き声を漏らしながら、それでも果ててしまわないように堪えながら抽挿を繰り
返す。抜けてしまう寸前まで引き、そこから一気に挿入する。
76きすして7(中)13:2010/03/17(水) 23:45:37 ID:VIfzVF5c

 ぐちゅぐちゅと濡れた肉がこすれる音。
 大河の切なげな喘ぎ。
 竜児の苦しげな呻き。
 淫靡な大河の愛液の匂い。 
 互いが互いにとって掛け替えのない存在であることを証明しあう悦び。
 そういった全てが二人の心を焦がしていく。

「…ぁん、 りゅー…んっ…じっ… りゅ…じ… ぁん…」
「たいが、…ぃが」
「…りゅーじ… ぃく…ぃ…ちゃう…」
「お…れも、いっちまう」
「うん… ぁん」 

 さらに数回のストローク。竜児は奥歯を噛みしめ、低く呻き、奥まで突き入れた。

 どくん…

 ねっとりと熱く絡みつく大河の中で竜児は脈打つ。どくどくと精液を迸らせながらびく
びくと跳ねる。その最後の動きが大河を追い込む。

「…ぅくっぅ…」 ぐんっ、と大河は身体を仰け反らせた。意識が…飛ぶ。

「…うっ、はんんっ、…ぃく…っ…ぃ……」

 ひくっひくっと脈打つように華奢な身体が震える。細い腕で竜児の身体を抱きしめ、白
い指をほとんど贅肉のない竜児の背中に食い込ませる。つながったまま、二人は抱き合う。
胸と胸を、頬と頬と合わせて、どれほどの熱量で愛し合ったのかを伝え合う。
  
「…んっ…ぁ…」余韻に大河の身体はひくんと震える。
 その小さな身体を竜児は抱きすくめる。

 やがて、大河の腕が緩み、二人は見つめ合う。
 竜児は大河のくちびるにやさしくキスして髪を撫でた。

「りゅーじ」「大河」

 二人は互いの名を呼びあう。
 それは互いの心に素敵に響く。
 そして二人は、今思っていることを、今伝えたいことを言葉にする。

 シンプルに、真っ直ぐに、「「あいしてる」」と。

***
77きすして7(中)14:2010/03/17(水) 23:46:07 ID:VIfzVF5c

 シャワーを浴びた竜児が部屋に戻ると、パジャマ姿の大河が窓から外を眺めていた。

「何やってんだよ? そんなところに突っ立ってたら風邪ひくぞ」
「あ、竜児」
 大河は『こっちこっち』と手で合図する。
 竜児が近づくと、大河はおもむろに窓を開けた。
 冷え切った外気が一気に部屋へとなだれ込む。

「うぉっ、さっみぃ。何すんだよ」
「いいから! 見て。ほら、」
 そう言って大河は窓から身を乗り出すように外を見た。

「ゆき!」 大河の言葉が白く煙った。
 
 竜児は大河のすぐ隣に立って外を見た。
 夜空から音もなく次々と白い結晶が舞い降りてくる。厚い雲に覆われて空は墨を流した
ような闇に包まれているのに、街はうすぼんやりと輝いている。家々の屋根を、街路を、
庭木を、静かに舞い降りる小さな氷の華が白く浄化してゆく。

 大河は窓から手をのばした。白い小さな掌にひとひらの雪が舞い降りて、すっと解けた。
もう一粒、少し大きな結晶が掌に降りてきて、すぅっと解けてしずくになる。二つのしず
くは引かれ合い、抱き合うようにして一つになった。
 その様子を大河は愛おしそうに眺めて、一つになった滴にふっと息を吹きかけて澄みわ
たる夜の大気へと送り出した。

 大河は竜児に微笑んで、ぶるっ、と肩を震わせた。
 そんな大河の肩を、竜児は無言でそっと抱き寄せる。
 大河は寄り添う竜児のぬくもりを感じながら、彼の胸に、すっと頭を預けた。

 なんて安らかなのだろう。大河は思う。
 この先の人生に何が控えているのかまるで分からない。絶望に打ちのめされてしまう時
が再び訪れるのかも知れない。でも、彼となら、竜児と一緒ならどんなことでも乗り越え
られる。そう信じてる。だからこんなにも心強く日々を生きられる。
 
「竜児」大河は竜児の顔を見上げた。
「ん?」
「きれいだね」大河は呟く。
「お前もな」窓の外を眺めながら、ぼそっと竜児は言う。
「ばか…」恥ずかしそうに言ってうつむく。

 ぱさりぱさりと雪は舞い降り、降り積もる。
 二人の息が白く煙る。

「大河、もういいだろ。風邪ひいちまうよ」
「もうちょっとだけ。ねぇ、竜児…」

 大河は竜児を見上げて優しく微笑んで、それからすっと瞼を閉じた。


(つづく)
78356FLGR ◆WE/5AamTiE :2010/03/17(水) 23:47:03 ID:VIfzVF5c
 以上で「きすして7(中)」の投下を終了します。
 引き続き「きすして7(下)」、20レスを投下します。
79きすして7(下)01:2010/03/17(水) 23:47:57 ID:VIfzVF5c

 志望校に無事に合格した竜児と大河は数ヶ月ぶりに訪れたのんびりと流れる時間を味わ
うように日々を送っている。

 竜児は特待生に選考され、無論それを受けた。これで学費の負担はぐっと減る。在学中
に資格剥奪なんてことにならないようにしなければならないが、高校二年の頃のワイルド
な日々が再現される様な事は無いだろう。
 大河も無事合格。二人そろって同じ大学で学ぶことになった。もっとも、大河は自分が
大学に行くのは竜児をサポートするためよ、と端から言い切っていて、竜児が税理士試験
の勉強を優先できるように支援することに専念するつもりでいる。

 友人達の進路もほぼ定まった。能登は前期試験で失敗し後期試験の結果を待っていると
ころだ。なので、『ほぼ』である。
 実乃梨は志望していた体育大学に合格し、大学の女子寮で暮らすことになった。受験で
なまった身体を鍛え直す! と自主トレに励んでいる。
 奈々子は亜美と同じ大学に合格し亜美を喜ばせた。奈々子は亜美と同じ大学を受けるこ
とを隠していたからそれは結構なサプライズだったのだ。都内に部屋を借りて二人で住ん
じゃおうか、なんて言って盛り上がっている。
 祐作も第一志望にしっかりと合格を決めた。無論、超ハイレベル校である。
 摩耶は祐作と同じ大学を受験すら出来なかったが、そんなことでへこたれるハズもなく
祐作の通う大学近くの専門学校に進むことになった。そこを卒業したら働いて部屋を借り
て祐作と同棲して、二人のめくるめく愛の日々が…、というのが摩耶の野望。
 春田は家業を継ぐための職人修行で父親に罵倒される日々を過ごしている。

 皆、それぞれに選んで進んでいく。出会って、別れる。幾度も幾度も。
 その中で、出会うのだろう。

「ねぇ! 何、ぼけーっとしてんのよ?」

 一緒に生きていく相棒に。

「ん? ああ、ちょっと考え事。先生に言われたことを反芻してた」
 そう言って、竜児は傍らを歩く大河を見下ろした。

 二人は小さな教会から最寄りの駅へと歩いている。来週の土曜日に行われる卒業式のさ
らに一週間後、二人はその教会で結婚式を挙げる予定で、そのための勉強会をつい先ほど
終えたところだった。

 教会での式を望んだのは大河だった。
 彼女にもたらされた一つの出会いは、彼女にとっての奇跡だった。だから大河はそれを
もたらしたであろう存在にその奇跡のお礼として一つの誓いを届けたかった。中学までカ
トリック系の女子校に通っていた大河にとって、もっとも身近なそういう存在というのは
『天に在す我らの父』だった。だから結婚式を挙げる場所は結婚式場ではなく教会でなけ
ればならなかったのだ。
 とは言え、教会というのは本来信者同士の式以外は挙げないのである。竜児は信者では
ないし、大河も通っていた学校がカトリック系というだけでクリスチャンでは無いのだ。
そこで大河は自分達の式を挙げてくれる教会をコーディネーターに探して貰い、紹介され
たのがその教会だった。プロテスタント系の教会には勉強会への参加を条件に式を挙げて
くれるところがあるのだ。
80きすして7(下)02:2010/03/17(水) 23:48:39 ID:VIfzVF5c

 竜児は結婚式に関しては大河の希望を可能な限り叶えたいと思っていたし、彼女が語っ
た彼女自身の思いに竜児も共感する部分もあって、だから本物の教会で式を挙げることに
は賛成だった。
 しかしである。竜児はクリスマスにケーキを食べて、その翌週に神社で初詣をするよう
な典型的な日本人である。去年、『生まれて初めて』墓参りに行ったときはお経を聞きな
がら墓石の前で南無南無などとやっていた典型的な日本人なのである。プロテスタント=
宗教改革=マルティン・ルター、ぐらいの知識しかないのである。
 そんな具合だったから竜児は『勉強会』と言われて身構えるような気分だった。けれど、
いざ牧師先生の話を聞いてみれば、それはいたって常識的で道徳的な話であり、普通にい
い話だなぁ、などと感心することも多かったのである。

「ふーん。まあ、確かにいい話だったよね」
「思い当たるところも多かったしな」

 ふふっ、と大河は小さく笑う。

「なんだよ?」
「そりゃ、あんたが苦労しすぎだからよ」
「お前だってそうだろ」
「かもね」
 そう言って大河は半歩前に出て振り返り、

「でも、しあわせだよ」

 くすっと、そして竜児を眇める。
 その可憐さに竜児の足がぴたりと止まる。

 なんてね。寒いんだから、ほら、行くわよ。と大河は竜児の手を引いていく。

 その幸せを守っていけるだろうか。竜児は不安になることがある。
 何かで躓いたり、間違ったりもするだろう。
 圧倒的に経験が足りていないのだ。たかだか十八年しか生きていないのだから。でも、
経験の不足分を知識で補強することぐらいはできるのだ。牧師先生の話はそんな事に気付
かせてもくれたのだった。
 生きることは誰にとっても試行錯誤なのだと牧師先生は言った。ずっと昔から人は幸せ
でありたいと願い、そのためにはどう生きたらいいのかを追求し探求してきた。思想や文
学といった形で蓄積されてきた試行錯誤の成果には、自分達が上手くやっていくためのヒン
トもたくさん含まれていてるハズなのだ。無論、知っていたからと言って聖人君子のごと
く生きられるはずもないのだが、でも知っていて損はない。知らないよりはずっと良い。

 そして、竜児が抱えている一つの問題のヒントもその中にあるはずなのだ。

 ―― 父親を知らない自分が、果たして良き父になれるのか ――

 父親がどういうものなのかすらも竜児には分からない。お手本どころか反面教師もいな
いのだ。とにかく身近に大人の男が居たことが無い。祖父、清児から仕事以外にも多くの
事を学ぶことになるだろう。そのための同居でもあるのだ。
81きすして7(下)03:2010/03/17(水) 23:49:14 ID:VIfzVF5c

「ねぇ、竜児。ゴハンどうする?」
「こんな時間だしな。食ってくか。何がいい?」
「お好み焼き! やっちゃんのところで」
「おぅ、いいんじゃねぇか」

 昼間の日差しは春のそれだけれど、夜の冷え込みはまだ冬の名残を感じさせる。
 二人はコートのポケットの中で抱き合うように手をつなぎ、青白い街灯に照らされた路
地を歩いて行く。

***

 三月中旬の土曜日。大橋高校の卒業式は無事に終了した。
 卒業生代表、北村祐作の答辞は見事なぐらいにその場のニーズにがっちりと嵌っていて、
巣立っていく若者のすがすがしさに満ちあふれている感じだった。さすがに元生徒会長、
大勢の前で話すのも手慣れたものだった。

 すでに全てのクラスが最後のホームルームを終えて、春の麗らかな日差しが照らす校庭
はいくつもの語り合う姿や別れを惜しむ姿で埋め尽くされている。

 祐作は昇降口を降りたところで下級生の女子数人に囲まれているところだった。その様
子を摩耶は少し離れたところから少しだけ不機嫌そうに眺めていて、その傍らには奈々子
が立っている。
 亜美は男女問わず十数名の下級生に取り囲まれて、プレゼントだの花束だのを渡されて
は笑顔を振りまいている。
 同じ規模の取り巻きを作っていたのは実乃梨。ソフト部の後輩たちから花束と寄せ書き
されたバットを渡されて目を潤ませている。

 竜児は人気のない教室の窓からその様子を見下ろしている。
「竜児。お待たせ」
 教室の出入り口から大河が声をかけた。
「おぅ。行くか」
 二人は教室を出て廊下を歩く。
「卒業しちゃったね」
「だな。無事に卒業できて良かったよ。卒業証書、どうだった?」
「うん、ちゃんと出来てた。高須になってる」
 卒業証書授与で担任教師・恋ヶ窪ゆりが呼んだ名前は『逢坂大河』だった。隠蔽は最後
の最後まで徹底して行われたのだ。
「今日、みんなに、言うんだよね」
 微かに不安を感じさせる声で大河は言った。
「ああ、みんなにきっちり報告する」竜児は静かに言った。
 きっちりと報告して四ヶ月も抱え続けた秘密を終わりにするのだ。

 二人は昇降口から校庭へと出て行った。気付いた奈々子が二人に駆け寄り声をかける。
「高須君、大河」
「おぅ、香椎」
「とうとう卒業しちゃったわね」
「だな」
82きすして7(下)04:2010/03/17(水) 23:49:40 ID:VIfzVF5c
「二人ともお疲れ様。無事に隠し通せたわね」
 奈々子は二人に微笑んだ。
「奈々子もね。ホント、助かったわよ」
 大河は小さくため息をついて微笑んだ。二人は結婚していることを隠し通し、ついに今
日までそれは露見しなかったのだ。亜美と奈々子には知られてしまったが、その二人も秘
密を守り通した。

「たーいがー」
 後輩に囲まれている実乃梨がぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振っている。
「みのりーん」
 応えて大河も手を振る。

 下級生達に取り囲まれていた祐作も竜児達に気付いて駆け寄っていく。
「高須。逢坂」
「よ、北村。大人気だな」竜児は片手を挙げて挨拶。
「冷やかすなよ」
「北村君。答辞、かっこよかったよ」
「ありがとう。逢坂」祐作は爽やかに微笑んだ。

「き、北村先輩。高須先輩」
 眼鏡をかけた一年の女子生徒が二人に駆け寄って声をかけた。眼差しは真剣そのもの。
「ん?」「へ?」
「竜児になんか用?」大河は後輩女子を睨み付ける。
「あ、あ、逢坂先輩。そ、そ、そ、その…」
「大河、何やってんだよ。無駄にビビらせてんじゃねぇよ」
「ふーんだ」ぶん、と音がしそうな勢いでそっぽを向く。
「あ、あの。お二人と写真を撮らせてもらっていいですか?」
「俺たちと?」
「ああ、かまわないぞ。なあ、高須」
 やっぱり祐作はさわやかだった。にこやかに勝手に快諾してしまう。
「まあ、写真ぐらいならいいわよ」
 口を尖らせてぶつぶつと大河は言った。
「なんでお前が答える」
「いいじゃない。ちゃっちゃとリクエストに応えてあげなさい」
「あ、ありがとうございます。逢坂先輩」と言って大きくお辞儀。
 眼鏡っ子は友人に携帯電話を渡して祐作と竜児の間に立った。祐作はにこやかに、竜児
はちょっと力の抜けた表情で頬を染めた後輩と一緒に写真に収まった。

「ふふっ、優しいのね。逢坂先輩」
 奈々子は冷やかし気味に言った。
「ふん。それにしても竜児と写真が撮りたいなんて変わった趣味ね」
「あんたに言われたくないんじゃね?」
 両腕にたくさんの花束を抱えた亜美が言った。
「だよね。彼女にそんなこと言われたら高須君傷つくよ〜」
 亜美の隣には亜美が抱えきれなくなった花束を抱えている摩耶がいた。
「ねぇねぇ、自分のダンナがモテちゃうとヒヤヒヤする? それとも嬉しい?」
 意地悪そうに亜美が言う。
「う、うっさいわねっ」
 そう言ってまたそっぽを向いた大河の頬はちょっと赤い。
83きすして7(下)05:2010/03/17(水) 23:50:24 ID:VIfzVF5c

 二回、三回と一年生が握りしめた携帯電話から電子音が響いた。眼鏡女子は同級生から
携帯電話を受け取って撮影された写真を眺めると満足した様子で祐作と竜児に礼を言って
深々とお辞儀をして去っていった。

「さてと、いつものメンツになったね」と亜美。
 竜児の隣には大河。祐作の隣には摩耶。亜美と奈々子。そして、
「櫛枝みのりーぬ、ただいま見参ッ!」
 取り巻きの後輩に荷物を預けて実乃梨は大河に駆け寄りガシッと抱き合う。
「いたいた。高っちゃ〜ん」
「待てよ、春田」
 春田と能登もドタバタと駆けつける。

「よっしゃぁ、記念撮影だぁ」実乃梨が叫ぶ。
「だあね」と亜美。
「みのりん、あたしカメラ持ってきたんだ」
 大河はポケットから薄型のコンパクトデジカメを取り出した。
「おおっとぉ、ナイスだよ大河。うぉーい、部長」
「はいっ!」
 ソフト部の現部長が実乃梨に駆け寄った。
「撮影よろしく!」
 実乃梨は大河から受け取ったデジカメを後輩に渡した。
「了解しましたぁ」
 
「はいはい、整列整列」
 当たり前の様に亜美はセンターポジションを確保。
 亜美の右に摩耶、祐作、春田、能登が並び、亜美の左には奈々子、竜児、大河、実乃梨
が並んだ。後輩部長はカメラを構えて液晶画面をにらみながら前後に小刻みに移動しなが
ら構図を決めた。
「は〜い。撮りますよ〜。イチ、ニー、サン…」
 一同、それぞれにいい顔を作ったのだが、
「ダーッ!」
 実乃梨だけ拳を振り上げてダーのポーズ。実乃梨以外は全員吹き出してしまい、
『カシャッ』
 変顔で写った。
「みのりん、なんなのよ。今のかけ声」
「えー。ソフト部じゃこれがフツーなんだけど」
「全然、普通じゃないって」
「とにかく、『ダー』は無しでもう一回だ」
 竜児がそう言うと一同はもう一度ポーズと表情を整えた。
「じゃあ、しょうがないから『ダー』無しでもっかい頼むよ」
「了解です! 先輩。 撮りますよ。イチ、ニー、サン…」

 疑似シャッター音が響き画像がメモリーに書き込まれる。

「もう一枚、お願い。今度は『ダー』有りで」と実乃梨。
「アイアイ。 もう一枚いきま〜す。イチ、ニー、サン…」
 全員で拳を振り上げて、「ダーッ!」

『カシャッ』
84きすして7(下)06:2010/03/17(水) 23:50:51 ID:VIfzVF5c

「ねえ、女子だけで撮らない?」
「ナイス、あーみん。じゃあさ、卒業証書広げて撮ろうよ」
 いいねいいね、と言いながら筒から証書を出して各々広げる。
「大河、どうしたの?」実乃梨が聞いた。
「え、うん…」
 大河の手だけが止まっていた。じっと竜児の顔を見る。
 竜児が小さく頷くと大河は紙筒から証書を取り出して広げた。
「部長、カメラバック。高須君、撮影よろしく」
 実乃梨は部長からカメラを受け取り竜児に渡した。

「じゃあ、撮るぞ」
 竜児はデジカメのディスプレイを見ながら構図を決めた。
「はい、ポーズ、と」 
『カシャ』
 竜児は撮影された写真を表示して、
「うん、いいんじゃねぇか」
「どれどれ」言いながら実乃梨は竜児が手にしているデジカメの画面をのぞき込む。
「いいねいいね。そうだ。高須君も撮ってあげるYO」
 そう言うなり実乃梨はデジカメをひょいと取り上げて竜児の背中を押した。
「大河とツーショットね」
「ありがとよ」
 竜児は肩にかけたバッグから筒を取り出して祐作にバッグを預けた。
 筒から卒業証書を取り出して広げて大河の隣に立った。

「撮るよー。イッチ…」
「ダーはいらねぇよ」
「あ、そうだったね。撮るよー。せーの」
 シャッター音がして並んで立つ二人の姿がメモリーに書き込まれた。
「ん?」、とカメラを下ろした実乃梨が声を上げる。
「んんんん?」
 実乃梨は大河の持っている証書を凝視する。引き寄せられるように大河の近くへ。
「みのりん…」
「な、な、なんじゃああ。こりゃああ」
 実乃梨はいきなり大声を上げて卒業証書と大河の顔を交互に見た。
「た、た、た、たか…ふ…ぃが」
 亜美は背後から実乃梨の口を塞いで、
「実乃梨ちゃん。ここじゃちょっとマズイのよね」と耳元で囁いた。
 実乃梨は素早く身をよじって振り返り亜美を睨み付けた。
「あーみんっ!」
「だーかーらー、待ってって言ってるでしょ。ちゃんと高須君が説明してくれるだろうか
らさ。そうなんでしょ?」
 亜美にそう言われた実乃梨は振り返って竜児を見た。竜児は落ち着いた表情で小さく頷
き、「ああ、川嶋の言う通りだ。けど、場所を変えていいか」と静かに言った。

***
85きすして7(下)07:2010/03/17(水) 23:51:36 ID:VIfzVF5c

 一行がやってきたのは駅前の喫茶店だった。そこは竜児と大河が陸郎と対峙した場所で
あり、亜美と奈々子が二人の結婚を知ってしまった場所でもある。一同が陣取った店の奥
にある大きなテーブルにはすでに人数分の水とブレンドコーヒーが置かれている。話の腰
を折られるを嫌った実乃梨が全員分のコーヒーを有無を言わさずオーダーしてしまったの
だ。

「大河。卒業証書、もう一回見せて」実乃梨が言った。
「うん」
 大河は紙筒から証書を取り出してテーブルの上に広げた。
 卒業証書に書かれている名前は『高須大河』だった。

「どういうこと?」実乃梨が言った。
「まんま、そういうことだよ。結婚したんだ」
 竜児は静かに言った。竜児の横で大河が小さく頷いた。
「高須、いつの間に…」
 祐作がそう聞くと、
「去年の十一月」
 竜児は落ち着いた声で答えた。
「十一月って、もう四ヶ月も前じゃん。二人とも、どうしてこんな大事なこと、言ってく
れなかったんだよ」
 実乃梨は泣きそうな顔で大河に言った。大河は俯いて静かに「ごめんね」と呟いた。
「櫛枝。すまない。こればっかりは仕方なかったんだ。騒ぎにならないように完璧に隠し
とかなきゃならなかった」
 竜児は実乃梨の目を見ながら言った。
「だよね」と亜美は静かに言った。 
「だってさ、考えてみなよ。高校生だよ。結婚したなんて知れたら大騒ぎになるって」
「そりゃそうだけどさ。あーみんはなんで知ってるのさ?」
 実乃梨は不満げに亜美の顔を見る。
「事故だよ。川嶋と香椎にはばれちまった。俺が黙っといてくれるように頼んだんだよ」
 竜児は言った。そのまま言葉を続ける。
「俺たちだけならともかく、先生にまで迷惑がかかっちまうからな。とにかく、騒動にな
ることだけは避けなきゃならなかった」
「なるほどな」と祐作は頷いた。
「そりゃ、理屈はわかるよ。わかるけどさ…」
 実乃梨は絞り出すように言った。
「ごめんね。みのりん」
「すまねぇな。大事な時期だったから気を遣わせたくなかったんだ。それに本当にバレち
まったときに、やっぱり気まずくなるだろ。それもイヤだったんだ」
「水くさいよ。二人とも」
「実乃梨ちゃん。気持ちはわかるけどさ、二人だってみんなの事も考えて秘密にしてたん
だからさ。それに、あたしだってみんなには言わなかったんだから」
 亜美に言われて、実乃梨はため息をついた。
「櫛枝。もういいじゃないか」
 祐作は実乃梨にそう言ってから竜児と大河に、
「今更かもしれないけど、おめでとう」と言って微笑んだ。

「おぅ。ありがとな」
「ありがとう、北村君」
 二人は照れくさそうに礼を言った。
86きすして7(下)08:2010/03/17(水) 23:52:00 ID:VIfzVF5c

「そうだね。ごめん、大河。先に『おめでとう』だったね」
 実乃梨はそう言って微笑んだ。
「ありがと、みのりん」
「でも、ホントにビックリしたよ。卒業証書、高須大河、だもん。そりゃ驚くって」
 実乃梨はテーブルの上の卒業証書を眺めながら言った。
「卒業証書に本当の名前が入ってるってことは学校には届け出てはいたんだな」
 祐作は竜児の顔を見て言った。
「ああ、けど知らない先生の方が多いんじゃねぇかな。そこは恋ヶ窪先生がすごく上手く
やってくれてさ。これ、もういいよな?」
 竜児は大河の卒業証書を丁寧に丸めて紙筒にしまった。
「ひょっとして学生証も?」
 摩耶が聞くと大河は小さく頷き、ポケットから生徒手帳を出して開いて見せた。
「新品じゃん。ホントに名前変わってるし」
「そりゃそうよ」
 言いながら手帳をポケットにしまい込んだ。
「しっかし、すげーな。結婚してたなんて」
 能登は呆気にとられた様な表情で言った。
「でもさ〜、高っちゃん、なんで急に結婚しちゃったの〜。ひょっとして、にんし…」

「バルス!!」

 実乃梨の目つぶしがぶっすりと春田に炸裂。春田は目を押さえて「目が〜、目が〜」と
もがき苦しむ。そんな春田を一同放置。
「そんなんじゃないわよ」
「じゃあ、どうして?」
 実乃梨が尋ねた。
「まあ、ちょっといろいろあってだな…」
 竜児は口ごもる。亜美や奈々子の時は洗いざらい言ってしまった方が良いと思ったのだ。
だからこそ全てを話した。秘密を共有するためにはそれがフェアだと思ったから。でも、
今は違う。結婚している事実だけを明かせばそれでいい。なぜ、そうしなければならなかっ
たのかを語る必要も、それを大河に聞かせてしまう必要も無い。
「高須君、それじゃ全然わかんないよ。いろいろって何?」
 実乃梨は不満そうに言う。
「いいでしょ。高須君が言いたくないんだから詮索するべきじゃないわ」
 奈々子は実乃梨を睨み付けるように言った。そういう詮索が不愉快だということを奈々
子は知っている。そんな奈々子の様子を見て、亜美も口を開く。
「実乃梨ちゃん、あたしも奈々子に賛成。高須君と大河は結婚するっていう結論を出したん
だからそれでいいじゃん」
「けどさ〜」
 実乃梨は納得できない。
「みのりん。私さ、ずっと竜児と一緒にいたいんだ。だからだよ。それだけ」
 大河は囁くように言った。
「大河……」
 実乃梨は照れくさそうに俯いて竜児に寄り添う大河の、親友の姿を見た。
 ずっと彼と一緒にいたい。結婚にそれ以上の理由なんて存在しない。そして、そうすべ
きだったから二人はそうしただけなのだろう。そこに彼が語りたがらない状況があったの
だろうけど、それを自分が知る必要なんて無い。実乃梨はそう思った。
87きすして7(下)09:2010/03/17(水) 23:52:39 ID:VIfzVF5c

「…そうだね、うん、ごめんごめん。また櫛枝暴走特急が発車オーライするとこだったよ」
「みのりん。内緒にしててごめんね」
「いいって事よ。それにしても、『ずっと竜児と一緒にいたいんだ』か〜。く〜、惚気て
くれるねぇ。こいつぅ〜」
「み、み、…もうっ! からかわないでよ」
 ぼっと頬を染めて大河は俯いた。

「うっ、なんか、すっげータイガー可愛いんだけど。なに、このフィーリング。ひょっと
してこれが萌えってやつなのか?」
 能登が本音をついポロリ。
「能登君よ。そーいう事は思っても言わないもんだよ」と実乃梨。
「そーそー、何よ、萌って? おたくってオタク?」
 摩耶はジトッとした視線で能登をぷすぷすと突き刺しながら言った。
「うるせー。どーせ、俺はひとりぼっちのミスターロンリネスだよ。進路未定で先行き不
透明だよ」
「なんでそうなる」と竜児が突っ込む。確かにメンズでフリーで先行き不透明なのは能登
だけなのだが、そこはさらっと否定するのが友情ってものである。
「大丈夫だよ〜。ちゃんと合格してるって」春田がフォロー。
「そう言えば明後日だったよな。合格発表」祐作が言った。
「ああ。これでダメだったら…」
「心配するこたぁねぇよ。出来も良かったって言ってたじゃねぇか」
「そ、そうだよな」
「ま、合格してもロンリネスだけどね」
 摩耶に言われて能登はがくりと頭を垂れた。
「大丈夫よ、能登君。亜美ちゃんだってロンリネスなのよ」
「な、奈々子、あんた何言ってくれちゃってんのよ」
「そーだよ、あーみんもこの櫛枝めもロンリネス! そして奈々子様もロンリネス!」
「ちょ、実乃梨ちゃん」
「ハッ!」と実乃梨は閃いた。カッと目を見開き立ち上がる。
「女三人よればクラブ・ロンリネス。またの名を高須竜児被害者の会」
「ちょっと待ってよ。どうして私まで高須君の被害者になってるのよ!」
 奈々子は頬は赤く染めて身を乗り出す。
「まあまあ、奈々子。この際だから一緒にどう?」
 亜美はそう言ってにやぁっと笑った。
「こ、この際って、意味分かんないわよ!」
 ロングヘアからわずかにのぞく奈々子の耳は真っ赤だった。
「おい、コラ。勝手に盛り上がってんじゃねぇよ。大体、被害者の会ってなんだよ?」
 竜児は腕組みをして頬をひくつかせながら実乃梨を睨む。 
 大河も腕組みをして頬をひくつかせながら実乃梨を睨む。 
「お、おおっとぉ、またやっちまいましたよ」
 いかん、いかんと額を叩きながら実乃梨はおずおずと腰を下ろした。

「ったく、脱線しすぎだろーが。肝心な事を忘れちまうとこだったぞ」
 そう言って竜児は軽く咳払い。
「えー、去年の十一月一日に大河と結婚しました。報告するのが遅くなっちまってホント
すまなかった」
「ずっと隠しててごめんなさい。入籍して竜児のお嫁さんに、高須大河になりました」
 大河は顔を赤く染めて小声で言った。
88きすして7(下)10:2010/03/17(水) 23:53:06 ID:VIfzVF5c

 そして一同小さく拍手。大河は照れくさそうに顔をほころばせた。

「それと、もう一つ報告があって…」
 竜児は鞄から二つ折りにしたカードの束を取り出して配った。
「結婚式を挙げるんだ。なんにももてなすことは出来ないけど、できたらみんなには来て
欲しい。それとカードにも書いといたけど、ご祝儀とかそう言うのは禁止な」

「普通の教会?」
 カードを見た亜美は不思議そうに言った。
「あら、結婚式場とかじゃないのね」
「うん。普通の教会なんだ」と大河は答えた。
「ひょっとしてジミ婚ってやつ?」と能登。 
「質素と言え、質素と」
「え〜、せっかくなんだからさ〜パァーッと…」
 脳天気に言いかけた春田に、
「いくらかかると思ってるんだよ」と竜児。

「北村。俺、結婚式って行ったこと無いんだけど、何着てけばいいんだ?」
 能登は不安げな表情で祐作に話しかけた。
「普通は礼服かスーツだな」祐作は平然と答えた。
「そんなのもってねーよ」
「俺ももってね〜よ」
「俺も自分じゃ持ってないけどな。兄貴のスーツを借りようかな」と祐作。
「いや、着るもんなんて拘んなくて良いぞ。来てくれるだけで大歓迎だ」
「そうは言ってもなぁ」
 能登はさえない表情で言った。
 
「奈々子はどうするの?」と摩耶は言った。
「え? 私だってよく分からないわよ。お母さんに聞いてみたら? 礼服も借りられるん
じゃない」
「そっか。その手があったね」
「私も摩耶のお母さんに相談に乗ってもらおうかしら。お父さんに聞いてもイマイチ参考
にならないだろうし。亜美ちゃんはどうするの?」
「あたし? うーん、みんなとあんまり違っても困るし。黒のワンピにボレロとか、そん
な感じかな」
 亜美は上目遣いでクローゼットの中身を思い出しながら頭の中でコーディネートを検討
する。アクセサリーや靴、バッグも脳内でシミュレーション。
「ねぇ、大河。あんたは当然ウェディングドレスだよね?」
「うん」と頷いて亜美に答える。
「じゃあ問題なし。何を着ていってもあんたより目立っちゃう事は無いもんね」
「ウェディングドレスかぁ。ねぇ、どんな感じなの?」
 身を乗り出して摩耶は言った。
「どんなって言ってもねぇ…。一言で言えば…」
「うんうん」
「ゴージャス!」ほぼ平らな胸をぐんと反らして大河は言った。
「…」←摩耶。「…」←奈々子。「…」←亜美。
「あんた、それじゃ全然わかんないって」
「まあ、いいでしょ。当日のお楽しみって事で」
「ふふっ、それもそうね」奈々子は微笑み、亜美と摩耶は肩をすくめた。
89きすして7(下)11:2010/03/17(水) 23:53:59 ID:VIfzVF5c
 盛り上がる三人組とは対照的に、
「ふふっ…ふっふっふっ…」実乃梨は引き攣った笑いを浮かべている。
「み、みのりん?」
「あたしなんざ、着ていけそーな服をひとっつも持ってねーっすよ」
 実乃梨は能登以上にさえない表情で言った。
「実乃梨ちゃん、どうせ必要になるんだから一着ぐらい買っておきなよ」
 亜美は呆れ気味に言った。
「あーみんっ! いやっ、川嶋大先生!」
 いきなり呼ばれて亜美の肩がビクッとはねた。
「な、何よ? いきなり」
 実乃梨は縋るような目で亜美を見た。
「買い物付き合って。何をどうすりゃいいのかあたしにゃ見当もつかないよ」
「わかったわかった。明日でも良い? だったら付き合えるけど」
「あー、私も行く」と摩耶。
「亜美ちゃんに見立ててもらえるなんて贅沢の極みだもん」
「そうね、私も一緒に行こうかしら」と奈々子。
「はいはい、もう、まとめて面倒見ちゃうから」
 ヤケ気味に亜美は言った。

 それからあれこれと話は盛り上がり、一同が解散したのは一時間半も後の事だった。
 翌々日、能登は無事に合格し、『行き先未定のロンリネス』から『唯のロンリネス』に
クラスチェンジした。 

***

 三月下旬の日曜日。
 住宅街にひっそりと佇む小さな協会は春の柔らかな日差しに照らされていた。敷地には
協会と幼稚園、それに牧師先生の住居が建てられていて、残りのスペースは二十メートル
四方ほどの小さな運動場になっている。
 協会の建物はまったく質素なもので、外観に装飾の類はほとんど無く、こげ茶の屋根の
上に控えめに掲げられた白い十字架と、両開きの大きな扉の上に設けられた小さな丸窓に
はめ込まれたステンドグラスだけがこの建物の協会らしい部分だった。
 その建物のあまりの平凡さ加減に、祐作をはじめ式に参列するためにやってきた友人達
は思い切り拍子抜けさせられてしまったのだが、そんな外観に似合わず、八十人ほどが入
れる礼拝堂の内部は質素でありながらも厳かなのだった。
 高い天井と飴色にしっとりと光る木張りの床、ずっしりとした重さを感じさせる長いす、
簡素な祭壇の奥に掲げられた十字架、そういった全てが、此処が敬虔なる学びと祈りと反
省のための場であることを参列者達に無言で告げ、これから行われるのが賑やかなパーティ
などではなく、静かで清らかな祈りの儀式であることを彼らに認識させた。

 開始時刻の五分前。式次第の最終確認を済ませたモーニングコート姿の竜児は牧師先生
と共に礼拝堂に入り祭壇の前に立った。その表情は硬かったが強ばるほどでない。礼拝堂
にいるのはほんの十人ほどの友人たちと数人の親族ぐらいのものである。緊張はするけれ
どテンパるほどの状況ではない。

「竜ちゃん」新郎側の最前列に座っている泰子が小声で話しかけた。
「ん? おぅ」
「リラックス、リラックス」と、顔を強ばらせて泰子は言った。強ばっているのに笑おう
とするものだから顔面がちょっと妙なことになっている。
「くっ…、お、おぅ」吹き出しそうになりながら竜児は応えた。おかげで緊張はどこかに
飛んでいった。
90きすして7(下)12:2010/03/17(水) 23:54:37 ID:VIfzVF5c

「竜児君」今度は新婦側の最前列に座っている大河の母が声をかけた。
「はい?」
「大河の様子はどう?」
「大河は、まあ、緊張してましたけど大丈夫だと思います」
「あの人は?」
「ガッチガチでした…」
「やっぱりね。まあ、でも大丈夫でしょう。彼、本番には強いのよね」
 そう言って微笑んだ。

 礼拝堂の扉が小さく開いて黒いスーツ姿の女性が姿を見せた。彼女は大河の母が竜児に
紹介したブライダルコーディネーターで、この式の仕切りも全て彼女が担当してくれる事
になっている。彼女は牧師先生にお辞儀をして再び礼拝堂の外に出た。それは花嫁の準備
が整った合図だった。

「では、始めましょう」
 牧師先生は小さな声で竜児に言った。竜児は小さく頷き、それに応える。

 牧師先生は参列者の方を向いて、
「只今より、高須竜児、逢坂大河、両名の結婚式を執り行います」
 朗々とした声を礼拝堂に響かせた。

「まず最初に、この婚姻に異議のある者はこの場で申し立てなさい」

 沈黙が流れる。
 この場に二人の婚姻に異議を唱える者など存在しない。

「意義無きものと認めます。では、ご起立ください」

 牧師の声が礼拝堂に響き、それに続いて礼拝堂の両開きの扉が開かれた。参列者全員が
立ち上がるのを待ち、牧師先生はオルガンの前に座っている礼服姿の女性に目で合図した。
 年季の入ったオルガンの素朴で優しい音色で行進曲が奏でられる中、礼拝堂に差し込む
春の日差しに二つのシルエットが浮かぶ。小柄なドレス姿は大河。その隣に立つ男性は大
河の母親の再婚相手だ。叶わなかったけれど、彼は大河の家族になろうと本気で考えてく
れたのだ。だから大河は彼に父親役をお願いし、彼もそれを快諾したのだ。

 二人は静かに礼拝堂の中央通路に造られた純白の道をゆっくりと歩く。

 シルクオーガンジーで仕立てられた純白のドレス。
 繊細なレースで飾られた上身頃。
 柔らかに透ける生地を幾重にも重ねて仕立てられたふわっとしたスカート。
 華奢な肩と細い腕を包むのは気品を漂わせるオーガンジーとレースのボレロ。
 綺麗に整えられた粟栗色の髪とそれを飾る白い花のコサージュ。 
 長い睫。伏目がちに足元に落とした視線。
 滑らかなミルク色の肌と桜色に染まる頬。
 濡れているかのように輝くローズピンクの唇。
 それらを優しく包み込むロング丈のフェイスアップベール。
91きすして7(下)13:2010/03/17(水) 23:55:07 ID:VIfzVF5c

 その美しすぎる姿に誰もが瞬きを忘れ息をのむ。
 
 モーニングコート姿の義父にエスコートされ、大河は一歩一歩、純白の道を進んでゆく。

 二人は祭壇の近くで待つ竜児の前で立ち止まり、竜児は義父から大河の手を受け取った。
竜児と大河は並んで進み祭壇の前に立つ。オルガンの演奏が終わり、ドアが閉じられると
礼拝堂は再び静寂に包まれた。 

「お手元の冊子をお開きください。賛美歌三百十二番 いつくしみ深き」

 オルガンが奏でられる。讃美歌三百十二番は賛美歌の中でも特に有名なものだ。それこ
そ教会に一度も行ったことがない人でも一度や二度は耳にしたことがあるだろう。それぐ
らいポピュラーな歌である。

 オルガンの傍に立つ礼服姿の三人の女性が歌をリードする。

『いつくしみ深き 友なるイェスは
 つみとが憂いを とりさりたもう…』

 祐作を筆頭とする男子チームは表情を堅くしていたが最初のフレーズを聞いて『ああ、
これか』という表情に変わり戸惑いながらも歌い出す。事前に情報をチェックしていた亜
美、麻耶、奈々子は綺麗な歌声を響かせている。実乃梨の歌は微妙にコブシがまわって演
歌調になっているがそれも味だ。

『…祈りにこたえて 労りたまわん』

 歌が終わり、オルガンの伴奏も終わった。

「ご着席ください」
 牧師先生の良く通る声が礼拝堂に響き、参列者達は長椅子に腰を下ろした。
 牧師先生は聖書を開き、その中の一節を朗読する。

「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。
 愛はたかぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、
 いらだたない、恨みを抱かない。
 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
 そして、全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てを耐える。
 愛はいつまでも絶えることがない…

 …このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。
 このうちで最も大いなるものは、愛である」

「祈りなさい」

 竜児は目を閉じ、静かに祈った。
 大河は目を閉じ、静かに祈った。
 皆、目を閉じ二人のために祈った。
92きすして7(下)14:2010/03/17(水) 23:55:46 ID:VIfzVF5c

「夫たる者よ。あなた方も同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識
に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共々に受け継ぐ者として尊びなさい…」

 牧師先生は聖書の言葉を引用しながら竜児に夫としての生き方を説く。妻が自分よりも
繊細な存在であることを忘れずに思いやりの心を持ち続けなさいと。物理的な力では無く、
知の力をもって家族を導いて行きなさいと。

「妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとえ御言葉に従わない夫であっても、妻
のうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって救いに入れられるようにな
るであろう…」

 同じように牧師先生は大河に妻としての生き方を説く。夫を立てて子供達に父親を敬う
ことを教えなさいと。夫に夫としての自覚を持たせるのも妻の役割なのですよと。
 妻たる者よ、と語りかけながら、それは自分に対しても送られているメッセージなのだ
と竜児は思う。大河に慕われ、愛され、立ててもらえる男になれと、ならなければならな
いと、そういうメッセージなのだろうと竜児は思う。

 夫婦は一体である。『一対』ではなく『一体』なのだと牧師先生は説く。

 大河は思う。
 将来授かるだろう自分たちの子供から見れば、自分たちは、自分と竜児は一体でなけれ
ばならないのだと。子供から見れば、自分たちは一つの揺りかごなのだから、そこには、
いつでも暖かな優しさが溢れていて、安らかに身も心も預けられる場所でなければならな
いはずだ。

 けれど…

 けれど二人は知っている。

 それが難しいことなのだと知っている。容易い事では無いと知っている。
 生きていくという事がきれい事では無いことを知っている。
 幸せが儚い物だと知っている。
 大河の揺りかごは壊れてしまったから。
 竜児の揺りかごは最初から歪だったから。

 でも、だからこそ、自分と竜児は出会えたのだと大河は思う。

 互いに心の深い部分に傷を抱えているからこそ、いたからこそ、自分達は愛し合うこと
ができるのだ。幸せの脆さや儚さをその身に心に刻み付けて生きてきたからこそ、いまこ
こにある幸いの大切さが分かるのだ。

 だから…
 私はこの幸せを守りたい。
 彼と共に生きる喜びを手放さない。
 尽きることなく彼から愛されたい。
 それ以上に、命の限り彼を愛したい。
 果てることなく尽きることなく愛したい。愛し続けたい。
93きすして7(下)15:2010/03/17(水) 23:56:22 ID:VIfzVF5c
 そしていつか、その時が来たら、
 彼と共に新たな命の健やかなる揺りかごとなりたい。
 大河は静かにそう願った。

「宣誓を行います」

「汝高須竜児は、この女、逢坂大河を妻とし、
 良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、
 共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、
 愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、
 神聖なる婚姻の契約のもとに誓いますか」

 竜児は小さく息を吸い、顔を上げた。
「誓います」
 朗々とした声で誓いを立てた。
 その声は大河の心に春の日差しのように降り注ぎ、彼女の胸を暖かさで満たしていく。

「汝逢坂大河は、この男、高須竜児を夫とし、
 良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、
 共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、
 愛を誓い、夫を想い、夫のみに添うことを、
 神聖なる婚姻の契約のもとに誓いますか」

 大河はすっと顔を上げた。
「誓います」
 凛とした澄んだ声で誓いを立てた。
 その声は竜児の心に春の風のように吹き渡り、彼の胸を生きる勇気で満たしていく。

「指輪をこちらへ」

 牧師先生が言うと黒いスーツ姿の女性が小さな箱を持って竜児に歩み寄った。女性は箱
を開けて竜児に差し出し、竜児は箱から小さなホワイトゴールドの指輪を取り出した。

 大河は両手を包むグローブを外して女性に預け、小さくて柔らかい左手をゆっくりと竜
児の前に差し出した。竜児はその手を左手でかるく支えるようにして握り、ゆっくりと指
輪を大河の薬指にはめた。竜児が手を離すと、大河は自分の左手を愛おしそうに眺めて手
を下ろした。
 大河は差し出された小箱から指輪を取り出した。竜児が左手を大河の前に差し出すと、
大河は竜児のすこしごつごつとした手を取って肌荒れがちょっと気になる無骨な指にシン
プルな指環をはめた。

 スーツ姿の女性は大河にグローブを返し静かに下がっていった。
 二人は再び正面を向いて並んだ。

「祈りを捧げなさい」
94きすして7(下)16:2010/03/17(水) 23:56:54 ID:VIfzVF5c
 牧師先生が差し出す聖書に竜児は左手を、大河は右手を置き、目を閉じて静かに祈った。
 死に分かたれるまで寄り添い共に生きたいと。

「結構」
 
 大河は再びグローブをつけた。

「ベールを」と牧師先生は小声で言った。

 二人は向き合いベール越しに見つめ合った。
 それから竜児は半歩前に出て大河に歩み寄り、丁寧にベールを持ち上げて大河の顔を露
わにした。白い小さな顔。大きな瞳は僅かに潤んで竜児を見つめ、微かに開いている濡れ
ているように光る唇から白磁の様な歯が覗く。あまりに大河が美しすぎて竜児は一瞬自分
が何をしなければならないのか忘れかけたが、なんとか踏みとどまって掌を上に向けて両
手を大河の前に差し出した。
 大河は少しだけ上を向いて竜児を見つめ、彼の手のひらに自分の手を載せた。竜児はグ
ローブに包まれた彼女の華奢な手を優しく握った。

 竜児は牧師先生の宣言を待った。が、牧師先生は大河を見ていた。ちょっと微妙な表情
で彼女を見ていた。竜児には牧師先生がどうしてそんな表情をしているのか、なんてこと
はとっくに分かっていた。
 大河は目を瞑って顎を持ち上げて、明らかにそれを待っていた。打ち合わせでは、この
教会での結婚式の一般的な作法に従って、花嫁のベールを上げて互いの手を握り、牧師先
生の宣言を受けて式は終了、となるハズだったのだ。ところがだ、大河は可愛らしい顔を
くいと竜児の方に持ち上げて、あきらかに、誰がどう見たってキスを待っている様にしか
見えないのだ。無論、竜児から見たってそういうふうにしか見えないし、牧師先生から見
たってそうなのだ。

 どういうつもりだよ? 竜児は心で呟く。 
 いや、つもりはわかってる。そして牧師先生からも、まあ、君に任せるよ的な視線を送
られてしまっている。そしてお集まりの皆さんはフツーするもんだと思ってる。

 まったく… なんでおまえはいっつも唐突なんだよ。

 本当に、全く、いつでも、最初っからそうだった。いきなり現れて俺の生活を滅茶苦茶
にかき回した。あれはまるで侵略だ。そう、
 
 風の様に現れて、
 火のように侵略し、
 山のように俺の心のど真ん中にどっかりと居座った。
 林の如き静けさだけは無かったけどな。

 そうやって、あっという間に、それに俺が気がつかないくらいにあっという間に、大河
は俺にとって一番大切な女になっていた。理由はいくらでもあるのだろう。

 生まれることで母親の人生を壊し、母親の両親の幸せを壊し、
 ツラの凶悪さで恐れられて疎まれて、
 親の仕事を蔑まれたり、
 けれど、全ては大河とこんな風になるために必要な事だった。
95きすして7(下)17:2010/03/17(水) 23:57:24 ID:VIfzVF5c

 こんな俺だからそんなお前を受け止められる。
 そんなお前だからこんな俺を受け入れられる。
 だから俺たちは並んで歩いて行ける。
 ただ並び立つのではなく、並んで共に、手を携えて生きてゆける。
 こんなにも力強く、それこそが真理だと、
 俺たちの世界はそういうふうにできているのだと、そう信じられるほどに……


 俺はお前を愛している


 竜児は軽く膝を曲げて屈み、待ち構えている可愛らしい小さな唇に、自分の唇を軽く触
れあわせた。やわらかな感触。体温。甘い香り。ほんの三秒間だけ。竜児が顔を上げると
大河の目尻から小さな粒がこぼれて頬を伝った。

 大河はゆっくりと瞼を開けて、静かに優しく微笑んだ。竜児も精一杯の微笑みでそれに
応えた。互いに小さく頷いて、二人は牧師先生の顔を見た。

 牧師先生は小声で「お幸せに。今の気持ちを忘れてはいけないよ」と二人に言った。
 二人は頷いて、そのさりげない祝福に応えた。

「二人は神と会衆との前において夫婦となる誓約をいたしました」

 朗々とした宣言が礼拝堂に響く。

「全員、ご起立ください。賛美歌四百三十番、妹背を契る」

***

 礼拝堂の外、両開きのドアの脇に竜児と大河は並んで立ち、大河の隣に母親と彼女の夫、
竜児の隣に泰子が並んで立った。
 ドアが再度開かれて参列者が順番に出てくる。と言っても数えるほどの人数だ。親戚は
清児と園子ぐらいのもので、後は友人達と功労者である恋ヶ窪ゆり、他数名ぐらいのもの
だった。

「だぁいぐぁぁ…」
 最初に出てきた実乃梨はもう壮絶にボロ泣きだった。ひしと大河の手を握り、「よかっ
たよ〜、よかったよ〜」とポロポロと涙をこぼしながら何度も頷いた。
「うん、ありがと、ありがとね。みのりん」
「櫛枝、大丈夫か?」
「だ、だいじょーぶ。モーレツに感動しただけだから。高須君も格好良かったよ」
「お、おぅ、ありがとよ」
「大河のこと、よろしく頼むよ! じゃあ、後でね」
 今日のために新調したダークグレーのスーツに身を包んだ実乃梨は名残惜しそうに大河
の手を離した。
96きすして7(下)18:2010/03/17(水) 23:57:57 ID:VIfzVF5c
「はいはい、実乃梨ちゃん。交代交代」
 実乃梨に続いて出てきたのは亜美、奈々子、摩耶の三人。 
 黒のワンピースとボレロでシックにまとめた亜美は二人の前に立った。大きな瞳は僅か
に潤んでいる。
「おめでと。ホントにさ…」
 亜美は竜児と大河を優しく抱いて二人に囁いた。
「ホント、あんたたち最高だよ」
「川嶋…。ありがとよ」
 大河はすっと優しく亜美の背中を抱いて、
「ありがと。亜美、だいすきだよ」と。
「うん」亜美は腕をほどいて目尻を指で軽く拭い、奈々子と摩耶に場所を譲った。

「すっごく可愛かったよ。タイガー」と摩耶。
「ホント。高須君にはMOTTAINAIわね」
「へへ、ありがと。二人とも」
「本当に今日ばっかりは亜美ちゃんも形無しって感じよね」
 奈々子はそう言って微笑んだ。
「まぁ、今日ばっかりはしゃあないね。でもさ、」
 亜美はニヤッと笑みを浮かべて、

「かっわいそうな高須君。これでもう亜美ちゃんとは結婚できなくなっちゃったもんね。
これから亜美ちゃんってばもうチョー絶イイ女になっちゃうのにねぇ。ま、楽しみにしてて
ね、た〜っぷり後悔させて…」

「ア・ゲ・ル」と言いながら竜児の胸を綺麗な人差し指で突いた。

「するか!」秒殺だった。
「ちぇ、つまんねー男。やっぱ、いらねー」
 亜美がそう言うと摩耶がケラケラと笑い出して、奈々子もそれにつられて笑い出した。
「じゃ、また後でね」

 続いて出てきたのは北村、能登、春田の三人。
「高須、逢坂…じゃなかった、大河…さん。おめでとう」
「おぅ、北村。ありがとな」
「二人ともおめでとう。なんか、俺、結構感動したかも」と能登。
「だぁ、だかっぢゃ〜〜〜ん」何故か春田は泣いている。
 
 竜児と大河は村瀬、狩野さくら、親しかった同級生達から祝福をうけた。さくらは二人
とはさほど面識は無かったが、すみれの代役として祐作に誘われたのだ。

 最後に出てきたのは独神・恋ヶ窪ゆりだった。
「おめでとう。高須君、逢坂さん」
「ありがとうございます」竜児はお辞儀して言った。
「先生、本当にありがとう。それと、ごめんなさい。最後まで迷惑ばっかりかけて」
 大河はそう言って恥ずかしそうに頭を下げた。
「どういたしまして。ふふっ。きっと二人の事は一生忘れられないわね」
「恋ヶ窪先生、ほんとうにお世話になりました」
 大河の母と彼女の夫は深々と頭を下げた。
「いいえ。とんでもない。私こそ素晴らしい経験ができました」
 そう言ってゆりは微笑み、「これからも頑張ってね」と竜児と大河に言った。
97きすして7(下)19:2010/03/17(水) 23:58:29 ID:VIfzVF5c

 参列者達は礼拝堂を出たところにある幼稚園の運動場でのどかに歓談している。街中の
教会で結婚式を挙げているのが珍しいのか、通りすがりの人や、近所の人達が敷地の外か
ら花嫁を眺めたり指さしたりしている。

「ブーケトスは?」
 大河の母がそう言うが早いか恋ヶ窪は駆け出してベストと思われるポジションを確保し
た。両腕を広げて、『さあ、かかってこい』とでも言わんがばかりの姿勢をとる。
 恋ヶ窪の様子に気付いた奈々子が、
「あら、ブーケトス、やるのね」と言ったときには麻耶はとっくに駆け出していた。
「うっわ、摩耶、チョーマジじゃん。こわ」
 呆れ顔で亜美は言った。

「やっちゃんも!」
 大河は泰子に微笑んだ。
「え〜、やっちゃんはいいよ〜」
「行けよ。泰子だって独身だろ。ほらほら、行けって」
 竜児にぐいぐいと背中を押されて泰子は礼拝堂のポーチから運動場へ。
「ひぇ〜、はずかしいよ〜」などと言いながら恋ヶ窪の後ろに立った。
 そんな泰子にはお構いなしに、恋ヶ窪と麻耶は互いに目をあわさずにジリジリとしたポ
ジション争いを展開している。
「木原さん、お引きなさい。あなたにはまだまだ早いわ」
「そんなことありません。ぜーったい引きませんから」

 それを傍から見ていた能登は隣に立っている北村に話しかける。
「北村。木原の奴、やるき満々なんだけど…っていうか、殺気を感じるんだけど」
「うーむ。そういう予定はまったくないんだが」と、祐作はそっけなく答えた。
 能登はニヤリと笑って、
「つもりが無いってワケじゃないんだ」
「まだ付き合い始めたばっかりだぞ。そんな、結婚だなんて」
「な〜んか、木原はそうじゃないみたいだけど〜」
「結婚式を見て興奮してるんだろ」
 祐作は冷静に言いながら、でもポジション争いを繰り広げる摩耶を優しく見つめていた。
「摩耶! がんばれよ!」祐作は声を上げて手を振った。
「まかせて、祐作。ぜぇぇったい取るから」
 恋ヶ窪とドカドカと身体をぶつけ合いながら摩耶は手を振り祐作に応えた。
 小競り合いを続ける恋ヶ窪と摩耶を中心にして女性陣が集まり、
「しまっていこー」と実乃梨が両手を挙げて声を出す。

「大河、もう投げろ」
「えーっ。だって、おもしろいんだもん」
「いや、なんか殺気を感じるし。いいから投げちまえ」

 ポーチから眺める女の争いは徐々に遺憾な状態になりつつあり、大マジで摩耶と競り合
う恋ヶ窪が気の毒というか、いたたまれないと言うか、竜児はそんな気分になっていた。
 
「そ、そうね」
「よーし、いくぞ!」
 竜児が手を振って合図する。
98きすして7(下)20:2010/03/17(水) 23:59:11 ID:VIfzVF5c
 大河の手にはホワイトローズが可愛らしくまとめられたトスブーケ。
 レースとチュールで華やかに飾られた小振りな花束は、大河のドレス姿を思わせる。

 大河はそれを胸元まで持ち上げて、くるりと運動場に背を向けた。
 軽く瞼を閉じて、ふっと小さく息を吐く。
 そうして、ブーケがあの人の手に舞い降りるようにと願いを込める。

「ねぇ、竜児」 
「おぅ、どうした?」

 大河はゆっくりと瞼を開けて蕩けるように微笑んだ。
 二人は慈しみに溢れた眼差しで見つめ合う。
 キラキラと輝く花びらの様な唇が綻んで微かに揺れる。呟くように、囁くように…
 

『きす…して…』と。 


 大河は白いブーケをペイルブルーの空へと放り上げ、竜児の胸に飛び込んでゆく。

 降り注ぐ柔らかな日差しの下、白い花束のように、
 
 春風のように…


(おわり)
99356FLGR ◆WE/5AamTiE :2010/03/17(水) 23:59:53 ID:VIfzVF5c

 以上で「きすして7」、投下完了です。これでシリーズ完結です。
 
 相変わらず物量多くてすみません。
 ここまで読んでくださった皆様、前作にレスつけてくださった皆様、
 ありがとうございました。
 おかげさまでなんとか完結させることができました。
 補完庫管理人さんにも感謝です。

※作中に「新約聖書」からの引用を含んでいます。
 聖書の解釈については登場人物達の解釈とお考えください。それなりに調べて書いてい
 ますが、まあ、それなりってことで。
100名無しさん@ピンキー:2010/03/18(木) 00:26:18 ID:LJe7kHfa
完結おつかれさまでした。文体がすごく親しみ易く、読み易いので、毎回
物量が気にならないのが不思議です。内容は斜め読みしただけなので、後
でじっくり読ませて頂きたく存じます。どうしても私はみのりんのシーン
をチェックしてしまうのですが、アントンネタやラピュタネタといい味だ
してました。因みに木原の名前『摩耶』は『麻耶』なんです。すいません、
正確に言っておきたいので。是非また新作読みたいと存ます。失礼します。
101名無しさん@ピンキー:2010/03/18(木) 15:21:23 ID:z+5d1kie
ブーケ争奪戦の勝者はいかに!
102名無しさん@ピンキー:2010/03/18(木) 15:38:33 ID:bQwb5DHa
>>99
GJ!おつかれさまでした!
もうずっと泣きっぱなしでした。
大河のドレス姿を想い浮かべながら、当分ニヤニヤさせてもらいます。
ありがとう!
103名無しさん@ピンキー:2010/03/18(木) 20:12:59 ID:2vXPfD/+
>>99 GJです! ほんとお疲れ様です。
あなたの作品をずっとまってました。
もう何ていうか感動しました!

できればまた新しい新作を気長に待ってます。
大河と竜児が幸せになれてほんとよかったです!
104名無しさん@ピンキー:2010/03/18(木) 20:32:45 ID:GS/yajb/
これだけ、長い話を、ちゃんと最後まで、破綻なく書き終えた
貴方と貴方のとらドラ愛にGJ。シリーズ一連楽しませてもらったっす。

それにしても、本スレに入って、連日の力作投下の流れ。すさまじいな。
もっとやれ!
書き手様方、よろしくお願いいたします。
10598VM  ◆/8XdRnPcqA :2010/03/18(木) 21:38:28 ID:NRNaMt+R

こんばんは、こんにちは。 98VMです。

埋めネタ、なかなかタイミングが合わずに落とせず。
あんまり放置しておくと間違って消しそうなので投下します。

この間のバレンタインネタで気に入ってしまいました…
『オリキャラ注意!』 です。

「それで?」
「……… だ、だから ……… すみませんでした。」

楽屋の壁にもたれたサングラスの男の手にはタバコ。
今時、楽屋も禁煙にしてほしい、と、八つ当たり気味に考える亜美。

たった5分遅刻しただけで、どうしてこんなに冷たく糾弾できるのだろう。
信じられない位に性格が悪い。
いくら、敏腕といっても、この性格の悪さ。 離婚の原因だって、絶対この男が悪いに決まっている。
あたしの事なんか、ただの金づるくらいにしか思っていないんだ…

その時、ボコンという間抜けな音が亜美の思考を中断させる。

テーブルには紅茶のミニペットボトル。 それは最近、新発売の文字に釣られて飲んでみたら気に入った商品だった。
そのペットボトルはハンカチで包んであった。
「すまん、もう冷えて無いかもしれんな。 ――― 今日はいい出来だった。」
確かに、遅刻したのはたった5分。 
……だが、今日で4回連続だ。

男はまるで興味を無くした様に、するりと亜美の前を通り抜け、楽屋から出て行く。
その男が、亜美に何かを与えたのは、おそらく初めてだった。
亜美は唇を噛み…
ドアから消えかけた男の背中に声を投げつけた。
「プロデューサー!」
男は立ち止まる。 しかし、振り返りはしなかった。
「なんだ。」
「遅刻して…すみませんでした…。」
「それはさっき聞いた。」
「…あ、あの……」
「 ……… ゆっくり休め。」
亜美にその言葉が届いた時には、もう、扉は閉まりかけていた。


     埋めネタ   〜亜美ちゃんのちょっぴり?な昼下がり〜


降旗P。
亜美には判らなかったが、なにかのゲームの影響らしく、業界内でもプロデューサーをそんな風に呼ぶのが流行っていた。
亜美の担当となったそのフリーランスのTV・映画プロデューサーの業界内での評価は両極端。
かたや、天才。
かたや、新人潰し。
亜美もデビューする際には、その名前を何度も耳にしていたが…。
よもや、自分が逆指名されるとは夢にも思っていなかった。
事務所の人間は『天才』の方を信じているのか、大喜びで受け入れた。
とりあえず、自身に決定権の無い亜美も大人しく受け入れるしかなかった。
だが、そのプロデューサーに付いて程なく、亜美は自分は間違いなく後者の方だと感じていたのだった。

親の七光りはデビューの時だけで、半年も経ったら同じ年頃の人気アイドルのセミヌードの話題で塗りつぶされた。
オーディションでは『ルックスは最強だし、演技もいいけど、優等生すぎる』なんてよくわからない理由ではねられた。
デビューして一年も経たないうちにスケジュール表には空白が目立つようになって…
人気はあるのに、仕事は無い。 そんな不思議な状態。 ……正直、きつかった。
そんな時に、かのプロデューサーがアポを取ってきたものだから、みーんな飛びついたのだ。
確かに、プロデューサーとしての腕は確かなのだろう。 それからは仕事が途切れることは無く、人気も確実に上がってきている。
だが、亜美にとっては、その男は悪魔そのものだったのだ…。


今回だって、遅刻してしまうのには訳がある。
別にたるんでいる訳じゃないのだ。

例の2−Cのみんなで集まった飲み会以来、亜美は表向きは元気でも、実は激しく落ち込んでいた。
大河と喧嘩して、危うく絶交しかけたが、それはまぁ、なんとか仲直りできた…と思う。
問題は、高須竜児だった。
完全に横恋慕なので、高須竜児の一番になりたい、なんて夢は諦めたつもりだ。
最初、奈々子の策略のお陰で、思いがけずいい雰囲気になって、亜美ちゃん、実はけっこう高須くんに好かれてる?なんて
思ってしまったのがいけなかった。
その後、大河が現れて、さらに実乃梨が現れて、自分の相対的なステータスがたちまち暴落するのを肌で感じてしまった。
亜美としては、かなり積極的にアプローチして、かなりぎりぎりの台詞も言ったはず。
ところが、当の竜児は亜美から逃げようとするばかり。
大河も亜美に攻撃してきたので、完全に亜美が淫乱悪女扱いになった。
半分はからかいだったから、それはある程度は仕方が無いと思う。
だが、二次会のカラオケで隣に座った亜美に、竜児は自分からは一度も話しかけなかった。
それどころか、結局解散になる間際まで一度も亜美の顔をまともに見ようとしなかったのだ。
せめて、別れ際くらいは…
実乃梨が帰るといったときの竜児の表情が、亜美の頭から離れない。
あんな残念そうな顔じゃなくてもいいから、バイバイしたなら、それらしい顔をして欲しかった。
けれど、ぎこちなく笑って手を振りかえして… 大河を待つ素振り。
悔しくて、苦しくて、歩き出せないで居るうちに、竜児と大河は喧嘩を始める。
それが飛び火して、今度は亜美が大河を罵ってしまうという最悪の連鎖になってしまった。
別に、本気で大河から竜児を盗ってやろうなんて思っているわけじゃない。
ただ、もう少しだけ、自分を見て欲しい。
一番にはなれないけれど、でも特別だったって、思わせて欲しい。
我侭だけど、それくらいなら望んだって罰はあたらないんじゃないか、と亜美は思っていた。

けれど現実はもっと残酷で…
最初のささやかな喜びだけを胸に秘めて、亜美は思いを封印する。
だって、もう自分にはなんの芽もないのだからと、悲しさを忘れ、微かな恋心をシャワーに流す。
あの日は楽しかったかと問われれば、みんな楽しんでいたのだからと、『楽しかった』と答えるだろう。
けれど、日々の仕事に疲れて、シャワーを浴びてベッドに潜れば…
どうしようもない劣等感にさいなまれ、まともに睡眠を取ることができないでいた。
これまでの人生で、こんな風に誰かに負けたと思わされる日々はなかった。
仕事ではライバルたちに負け、恋愛では同級生達に負けて…それでも毎日、馬車馬のように働かされる。

嫌で嫌でたまらない。
あの男の、サングラスの奥の怜悧な視線が、嫌で嫌でたまらない。
全てを見透かして、亜美の嘘も簡単に見透かしてしまうような、そんな視線が。

いつも、ビジネスライクな会話しかしない。
あくまで亜美を商品として、物として扱うような、そんな言葉しか投げてこない。
まるで人としての感情が欠落してしまっているかのようだ、と亜美は思っていた。
自分は傷ついているのに…自分の居場所が見つけられなくて苦しんでいるのに…
そんなのお構い無しに、『商品』として扱う男。
それは正に、悪魔そのもの…。


だが、今日は違っていた。
嫌な奴だという先入観があって気がつかなかった。
タバコの臭いが薄く消えた頃、男の言葉を思い返して亜美は違和感を感じた。
今日は、何かいつものやり取りと違っていた。
なんだろう?と会話の内容をもう一度振り返る。
………
………
数瞬後、亜美はハッとした表情で顔を上げた。
そうだ、降旗はこう言ったのだ。
「何があった?」と。
「寝坊した。」と答えても、「道が混んでいた。」と答えても…
「それで?」と。
慌てて、亜美は楽屋を飛び出し、降旗の背中を探す。
いつもなら、
いつもなら、彼はこう聞く。
「なぜ、遅れた?」と。
だから…

――彼が聞きたかった事は、言い訳じゃなかった。――

エレべーターホールまで走っても、その背中は見えなくて。
エレベーターのサインは、一機は一番下の階と、もう一機は今しがたこの階を通り過ぎて上へと向かっている事を示していた。
亜美は何度か下向きの矢印を押す。
だが、しまいに癇癪を起したようにボタンを平手で叩くと、近くに併設された階段を走り下りていた。

息を切らせて4階分の階段を駆け下りると、最近ようやく見慣れた背中が、今、正に建物から出て行くところだった。
「プロデューサー!!」
降旗は、特に驚いた素振りもなく、振り返る。
その落ち着きっぷりが小憎らしくも在ったが、それでも亜美はほっとした。
そのまま降旗は玄関口で立っている。
息を切らせて傍まで辿り着くや否や、
「どうした? 好みじゃなかったのか?」
「はぁ、はぁ… は、い?」
「確か『また買ってみよう』と言っていたと思ったんだがな…。」
紅茶の話かよ!と突っ込みたい気持ちを抑えて、亜美はもっと言わなければならないことを口にした。
「そんなことより、プロデューサー、済みませんでした…。 あたしのこと、信用してくれてたんですね……。 それなのに、あたし、
全然、気がつかなくて…」
「…何の理由もなく遅刻するとは思ってない。 だから、何か特別なことがあったんじゃないか、そう言ってくれてたんですよね…。」
「…別に、無理しなくていいぞ。 話したらもっと辛くなることだって…ある。」
「話さなくても、もう十分に辛いから… あたしも、プロデューサーを信じてみます…。」
「おいおい。 らしくないな。 明日は野外ロケだ。 雨は困るぞ。」
「ふふふ。 あたしは嬉しいかな。 だって、雨ならオフにしてくれるんですよね?」
「人為的な要素が絡む場合は約束は無効だ。 その場合、特別レッスンを組ませてもらう。」
「ケッ。 みみっちぃの… ってか、あたしが素直なのがそんなに珍しいってか?」
「まだTV局内だ。 地は出すな。」 「…はい。」 「よし。」
「………」
「………」
「………」
「…さて、ラーメン屋とそば屋と寿司屋、どれがいい?」
「そんなの…す「ちなみに寿司屋は回転寿司だ。」」
「…そば屋で…」
「いい心がけだな。 一番カロリーが少ない。」


クネクネと裏通りを辿って20分近く歩くと、ようやく目的の店に着いた。
小さな店舗には昼過ぎだからか、客はおらず、これでやっていけるのかと亜美は心配になる。
「昼は出前で繁盛してる。 夜は多少少なくなるが、まぁ、やっていけるくらいは客がある。」
亜美の心配を見通して降旗が口を開いた。
相変わらず、降旗は仕事以外は無関心といった風だが、こうして見ると、逆に何を話しても大丈夫そうな安心感があった。
しかし、それぞれ注文し、料理が揃うまで二人は沈黙のまま。
ようやく注文した料理が届いても…
「食え。 美味いぞ。」
またしても一言で会話終了。
そろそろソバが無くなるかという頃合で、ようやく亜美は観念して話し出した。
学校にいた頃の疎外感。
恋に破れた事。
その恋に未だに未練がある事。
そして、つい先日の飲み会での出来事。
最初亜美はそこまで話すつもりはなかった。
だが、一旦話し始めると、いつの間にか色々と喋ってしまう。
相槌といっても、「そうか」くらいしか言わない。
それなのに、その一言を聞くと、何故か安心するのだ。

そして全部話し終わってみると、なんだか昨日までの自分が馬鹿らしく思えてきているのに気付く。
くよくよしてても、なにもよくならない。 誰も助けてくれない。 何も変わらない。
そんな事は百も承知のはずなのに、自分の悲劇性に酔っていたのかもしれなかった。 
それは、簡単に言えば『僻み』だ。
「随分、すっきりしたような気がします。 有難うございました。」
「大切な商品は大切に磨くさ。 もっと高く売れるようにな。」
こんな台詞ですら、今は何故か腹は立たず、亜美は薄く微笑む。
すると…
降旗もまた、小さく笑った。
初めて見る笑顔に、亜美が驚いていると、降旗は更に驚くような台詞を口にした。
「お前はとびっきりのいい女だよ。 もっと自信を持っていい。 そうすれば今よりもっと輝ける。」
亜美は不覚にも頬を赤らめる。
「誰かと自分を比べても致し方あるまい。 人それぞれにいい所も悪いところもある。 お前が誰かに劣っているなんて
ことは無いさ。 その青年だって、間違いなくお前の事は好きだろう。 お前だけじゃない。 きっとその場にいた皆を、
それぞれに好いている。 そしてそれぞれ役割が違って、そしてその全部が必要なんだよ。 比べるなんて無意味だ。」
「そんな… それでも、やっぱり一番好きな人って…」
「そう思い込んでいるだけだ。 人生で一体どれだけの人と出会うのか? たかが20年やそこらで、『一番の人』と確実
に出会うのか? それとも未来のことが判るのか?」
「なっ、そんな事っ!」
「どうして一番だと決め付ける? どうして自分が劣っていると決め付ける? 本当に愛しているならそれでいいだろう?
本当に愛されているなら、…それでいい。 ………順番なんか、どうでもいい。」
「!!」
「だが、こういう事を言うと離婚するはめになるがね。」
…亜美は何も言葉を返せなかった。
きっと降旗の言うことは真実なのかもしれない。 けれどその結果、離婚するのもまた、真実なのだから。

「さて、そろそろ帰るか。」「はい。」
亜美を先に店の外に追い出し、勘定を精算する降旗。
なじみらしい年老いた店主がレジをいじりながら声を掛ける。

「珍しいねぇ、ふるちゃん。 ウチに『商品』連れて来るとは… よほど入れ込んでるね?」

「まぁ、な。 死に物狂いでも守りたい『商品』なんざ、久しぶりだよ…」

そう言って降旗は口の端を歪ませ、ゆっくりとサングラスを掛け直した。

                                                               おわり。
11098VM  ◆/8XdRnPcqA :2010/03/18(木) 21:43:36 ID:NRNaMt+R
お粗末さまでした。
アダルト分10%増しでお届けしました。
さて、どこまで許容範囲なのでしょうねぇ。
では、また。
111名無しさん@ピンキー:2010/03/18(木) 22:13:07 ID:uzU3ssUb
>>110
乙。

「アダルト」っていうか、雰囲気的にちょっぴりタバコ臭いけど、
悪くない話だと思います。
でも、「どこまで許容範囲なのでしょうねぇ」とか言われれば、
なんか怖いのが出てきそうで、これはこれは警戒せずにいられませんね。
埋めネタシリーズは好きですが、今回ばっかり「期待」というより、
「様子見」する気分です。
112名無しさん@ピンキー:2010/03/19(金) 00:12:52 ID:cCuyAAyM
GJ!!!!!
そして、おーつっっっ‼‼‼‼‼
これまでなんだかんだで感想をかけないでいたのですが、ありがとうございました。
もう泣きっぱなしでした。
これだけでは言い足りないけど、感動をありがとう!!!
113名無しさん@ピンキー:2010/03/19(金) 00:15:36 ID:cCuyAAyM
>>99が抜けてました
すみません。
もう一度、盛大にGJ!!!!!
114名無しさん@ピンキー:2010/03/19(金) 00:34:14 ID:rODOCCXm
>>99
完結お疲れ様です。
すごくいい作品でした。心が暖かくなるような。
竜虎が幸せになれてホント良かったです。

>>110
あーみんはこういうちょっとビターな話も似合いますねえ。
いやあーみんも幸せなのが一番だけれどもw
115名無しさん@ピンキー:2010/03/19(金) 00:48:38 ID:jpTCeZz5
>>99
お疲れさまでした!このスレは大河分があまりないから
すごい待ち遠しかったよ
竜虎と一緒に幸せになりましたわ
116名無しさん@ピンキー:2010/03/19(金) 03:10:06 ID:7IG2nAi1
>>99
大量投下&完結乙でした。
優しい文体がとても好ましく、落ち着いて読むことができました。
エロパートはスキンシップ重視の精神的な満足感を煽る描写で、
お互いを満たし合って幸せそうな二人を見られて良かったです。
次回作を密かに期待。
117名無しさん@ピンキー:2010/03/19(金) 10:59:17 ID:6Kod8cUQ
>>110
楽しく読ませていただきました。
VMさんの亜美ちゃんへの思いが溢れでるんで大好きです。

ただ出来れば亜美ちゃんとPの絡みに大河や竜児が直に絡んで
くると嬉しいかなー、と。このままでも脱線とは言いませんが
竜児×亜美の絡ませ方こそVMさんの真骨頂だと勝手に思ってます。
118ユートピア:2010/03/19(金) 14:49:38 ID:ADzmBW6j
お久しぶりです、ユートピアです。と言っても大部分の人が忘れていると思いますが……長い間作品投下しなかったですからね。
なので、久しぶりに作品投下したいと思います。
カップリング:竜児×亜美
題名「心のオアシス〜4〜」
ぶっちゃけ、繋ぎの回なので話の展開的には何もありませんし、物量も少ないです。
注意事項は特にないですが、続き物なので保管庫で1〜3を見ておいた方が話に入れます。
では、次のスレから投下します。
119ユートピア:2010/03/19(金) 14:50:25 ID:ADzmBW6j



心のオアシス〜4〜







今日は色々なことがあった。軽い溜息を吐きながら、川嶋亜美はそう思う。
高須竜児との初めてのデートだった。心の底から楽しみにしていて、まるで遠足前日の小学生のように、前の夜はよく眠れなかったほどだ。しかしそのデートは、ナンパしてきた二人の男に台無しにされた。
待ち合わせ時間より若干早めに来てしまい、亜美は一人で竜児を待っていた。そんな亜美に、声をかけてきた男が二人。その二人は自分たちの思い通りに行かないことに腹を立て、最後には強引に亜美を連れて行こうとした。
その連れて行かれる途中で竜児が来てくれなかったら、と思うだけで、亜美は恐怖で身体が震えてくる。
助けられた直後の亜美は、恐怖と不安と緊張、それらに解放された安堵から涙が止まらなかった。そんな亜美を慰めて、竜児が亜美を家に送っていった。


そして、今に至る。
夕食も食べ終わり、一日で一番幸せに浸れるお風呂も済ませ、今は自分の部屋のベットでくつろいでいる。そんな亜美に、電話がかかってきた。
電子的な機械音を鳴り響かせる携帯電話。
その携帯を手に取り、開いて、ディスプレイに表示された名前を見る。

「あっ」

表示された名前に少し驚いて、同時に頬を仄かに赤くする。
おずおずといった仕草で通話ボタンを押して、携帯を耳に当てる。

「も、もしもし?」
120ユートピア:2010/03/19(金) 14:50:53 ID:ADzmBW6j
緊張しているのが声を聞いただけで分かる。亜美本人にも自分の声が震えているのに気づいているが、どうにもならないので諦めることにした。

『おう、川嶋か?今、時間いいか?』

亜美に電話してきたのは、竜児だった。
亜美には何故竜児が自分に電話してきたのか理由は分からないが、かけてくれたこと自体は凄く嬉しく、自然と口が笑みの形を作る。

「別に忙しくはないわよ。何もやることが無かった分、暇だったしね」

『そうか、ならよかった』

「で、何で電話してきたの?」

『あー、まあ。その、だな……』

「?」

なんとも歯切れの悪い竜児に、亜美は首を傾げる。

「なに、あたしに言いにくいことなの?」

「いや、まあ……」

そこで竜児は一端言葉を切り、少しの間沈黙する。
そして、恐る恐るといった感じで亜美に問いかけた。

「……昼のことなんだが、あれから大丈夫か?」

「え?」

「ほら、あんなことがあった後だから、不安に思ってねえかな、と思ったんだが」

「…………」
121ユートピア:2010/03/19(金) 14:51:22 ID:ADzmBW6j
竜児の言葉を聞いて、胸に温かい何かが広がっていくのを、亜美は感じていた。
この感じは、今でも鮮明に思い出せる。
竜児や北村、大河に実乃梨がいる大橋高校に転校することになった大本の原因。モデルの亜美をしつこく付け回していたストーカー。そのストーカーを撃退したあと、素の自分を散々見せたにもかかわらず、今まで通り普通に接してくれた竜児。
そして竜児の家で御馳走になった、亜美のとって思い出の蜂蜜入りのホットミルク。
それを飲んでいる時に感じたものを、亜美は再び感じていた。

「……?どうした川嶋?やっぱりなんかあったのか?」

何も言わない亜美を疑問に思ったのか、竜児がそう聞いてきた。

「え?う、ううん、何でもないよ」

「そうか?ならいいんだが。あ、そうそう―――――」

そこから先は、たわいもない会話がしばらく続いた。
その会話も、竜児が亜美の不安を少しでも取ってやろうとしているのだと、亜美は気づいていた。
気づいていたのと同時に、その竜児の素の優しさが堪らなくうれしかった。
他の男子では、こんな感情は抱かない。まあ、亜美が竜児のことが好きだということは大いに関係しているのだが、それを抜きにしても竜児の優しさは亜美にとって素直にうれしいものだ。
打算も損得勘定も下心もない、心の底から相手のことを心配しているということが分かる優しさ。声の質や言動から、『相手の弱っている心に付け込む』という計算的な感情がまったく感じられなかった。
それが、竜児のいいことでもあり、また悪いことでもある。

「……っと、つい話しこんじまったな。じゃあ川嶋、そろそろ切るけどいいか?」

「うん、大丈夫だよ。高須くんのおかげで不安も恐怖感もなくなった。本当にありがとう」

「いや、礼を言われるほどでもねえぞ。じゃ、今日はぐっすり寝るんだぞ?」

「うん、分かったよ。おやすみ、高須くん」

「おう、おやすみ。また明日な」
122ユートピア:2010/03/19(金) 14:51:52 ID:ADzmBW6j
その竜児の声が最後となり、あとは『ツー、ツー』という単調な機械音に変わった。
余韻としてその音を少し聞いてから、携帯を耳から放し、通話終了のボタンを押す。

「はぁぁぁ……」

肺の中の空気をすべて出してしまうような長く深いため息をつきながら、亜美は枕に顔を埋めた。
照れと恥ずかしさと緊張を紛らわそうとしたのだが、逆に枕によって顔の熱さを余計に自覚してしまい、更に顔が熱くなる。

「我ながら情けない。いつものクールで大人な亜美ちゃんはどこ行ったのよ……」

枕から顔を上げ、両手を頬に添えながら、亜美は言った。さながら、世間一般の恋する乙女のように。
普段クールでどこか達観しているような亜美をここまで変えてしまったのが、他ならない竜児だ。
亜美だけではない。
大河も、実乃梨も、竜児に出会って大きく変わった。
竜児には、他者を変えるほどの底知れない魅力がある。その魅力に亜美は気づき、惹かれ、好きになった。

「なら、チビトラも実乃梨ちゃんも当然……」

竜児の魅力に気づいている。大河は北村に惹かれているので真意は分からないが、実乃梨は確実に竜児に惹かれていると確信している。
証拠は無いが、根拠ならある。
それは、

「女の勘、なんだけどね」

遥か昔から女性にだけ備わっている、何故か高確率で当たる第六感であった。

「だけど、例え高須くんの気持ちがあたしに向いていないからって、諦める気は毛頭無いんだけどね」

恋仇の顔を思い浮かべながら、不敵な笑みを零す亜美。負ける気はさらさら無いとでもいうような、そんな笑みだ。
方法は既に考え済み。後は実行に移すのみだった。
しかし、それも効果的とは言えない。大胆な行動に出るのではなく、ただただ単純に距離を縮めていくだけだからだ。
亜美には竜児の気持ちを自分に向かせる自信は無かった。
だが、先程の発言通り、亜美は諦める選択は絶対に選ばない。それはひとえに、竜児への想いゆえ。ありのままの素の自分を受け入れてくれる竜児と結ばれ、経験したことがないような幸せな日々を噛みしめるため。
そのために、亜美は本気になる。頑張ったらかっこ悪いとかみっともないとか、そんな体裁や世間体や外聞なんか関係ない。
一直線に、愚直に、亜美は走り出す。輝ける景色が待っているであろう未来へ向けて。

「んじゃ、今日はもう寝よっと。動き出すのは明日からでいいし」

そう言いながら、部屋の電気を消してベットの中に潜っていく亜美。
かけ布団を首元まで持ってきて体を覆い、目を閉じる。
昼間のことが原因の肉体的精神的疲労と、竜児との会話による安心感が、簡単に亜美を眠りの世界へ誘う。
こうして、亜美の一日は終わりを告げた。
123ユートピア:2010/03/19(金) 14:53:09 ID:ADzmBW6j





 ◇ ◇ ◇




「…………」

竜児は自室のベットに横になっていた。
予定していた亜美との電話を終え、あとは寝るだけである。
しかし、竜児は寝る前に考え事をしていた。見慣れた天井の模様を眺めながら、思考を流していく。
考えるのは、亜美のことだった。勿論今日の様なことがあったのだから心配になるのは当たり前なのだが、それとは少し違う。心配や懸念は先ほどの亜美との会話で消えている。
なら竜児は何を考えているのか。
それは、亜美自身と自分のことだった。
あの時、亜美が男二人に連れて行かれそうになった瞬間に感じた怒り。その怒りの源泉が竜児には分からなかった。友達が無理矢理連れて行かれそうになったのだ、怒ることは至極当然ではある。だが、その怒りの源が分からなかった。
未だに気持ちの悪いモヤモヤが胸の中に残留している。

「あー、もう!分からんものは分からん!考えるのはやめて、とっとと寝よう」

ついには考えるのを放棄して、夜なので迷惑にならないような声量で叫んでから目を閉じた。
胸のモヤモヤで寝つきが悪いと心配したが、意外と図太いのかすぐに眠気が襲ってくる。それに抗わずに、竜児は眠りの世界に旅立った。

竜児には知る由もないが、胸のモヤモヤの原因は、亜美が他の男に連れて行かれそうになった事への嫉妬心と独占欲からくるモノだった。
勿論心配する感情もある。正確に言うと胸中の大部分を占めたのは亜美への心配と男たちへの怒りだった。そして竜児は心の隅で、亜美が他の男に取られる、と思ってしまったのだ。その事への嫉妬心と、亜美への独占欲。その二つの感情が竜児にはあったのだ。
今の竜児に自覚は皆無だ。
そんな竜児が自身の気持ちに気づくのは、もう少し先の話である。
124ユートピア:2010/03/19(金) 14:54:55 ID:ADzmBW6j
以上で終了です。
一応、次回完結します。なるべく早く完結できるように頑張ります。
では、今回はこの辺りで。自分の稚拙な作品を読んでいただき、ありがとうございました。
125名無しさん@ピンキー:2010/03/19(金) 15:48:57 ID:LZQK/5ia
>>124 GJ!! 昔読んだのですが若干忘却してたので保管庫行ってきました。

原作がこの作品と同じ展開だったらどうなっていたのでしょうね・・・・

気長に続きをまっているので自分のペースで完成させてくださいw
126名無しさん@ピンキー:2010/03/19(金) 17:25:28 ID:7jiNubfh
GJ
次回で完結かぁ〜 モッタイナイ気がするの。
127名無しさん@ピンキー:2010/03/19(金) 20:44:49 ID:rODOCCXm
>>124
次回楽しみに待ってまーす。
128名無しさん@ピンキー:2010/03/20(土) 13:44:33 ID:FYpkUgvO
ここ数日は投下が相継いでいて嬉しい
書き手の皆様GJ
129名無しさん@ピンキー:2010/03/20(土) 18:35:27 ID:N5TdXDYq
書いてる途中で飽きてしまった。
長めの文章書くのってすごく辛い。
なので小ネタにぶった切ってみた。
2つもらいまーす。
130名無しさん@ピンキー:2010/03/20(土) 18:36:24 ID:N5TdXDYq
「ちょっとだけっ、ちょっとだけだから」
とある建物の前で、文字だけを見れば、勘違いされそうなセリフを言っているのは、男ではない。
最近はドラマの仕事も少しばかり入るようになった芸能人、川嶋亜美である。
今日は、大橋の工場跡でアクションの撮影があるということで、竜児と麻耶、奈々子たちが見物に来ていた。
「いや、でも…ほら、テレビに出ていい顔じゃねぇしッ」
ちなみにソフト部は部活、大河は私用でここにはいない。
「テレビに出ていいと思ったからあの七名さんが指名してきたんじゃん!ね?私と共演なんて
 したいと思ってもできないんだからっ!いいでしょ。はい、決定!」
なにやら必死になっている方向が違う気もするが、竜児がおぅおぅ言ってる間に、事は決まっていた。
竜児にとっては、条件としてセリフを無しにするのがやっとだった。

「じゃ次、悪役Fが亜美ちゃんを人質にとるとこからー」
現場が一気に緊張していく。悪役Fである竜児は悪役Aの命令で亜美を羽交い絞めにする。が、
「カーット」
「すいません。俺ですか?」
「そう。ダメだよ、亜美ちゃんの顔赤いよ!Fさん、もう少し力弱めてー?」
「?…すいません」
―あれ?そんなに力入れたか?
「川嶋、わりぃ、痛かったか?」
「んぇ?あ!…ゴメンゴメン。なに?」
亜美は息が若干速く、顔はまだ赤い。
「いや、顔赤いから痛かったのかって」
「あ、あぁ!痛くない!もっと強くても大丈夫だから!」
「なんでそんなニヤニヤしてんだよ…まぁ、大丈夫なんだな?」
「ごほんっ。大丈夫だよ。……あぶねぇ。」
―私ともあろう人が…んぅ…
131名無しさん@ピンキー:2010/03/20(土) 18:37:01 ID:N5TdXDYq
1度注意された亜美は、プロ根性なのか、ほんの少し休憩をとると、それからの撮影を完璧にこなしていた。
悪役Fは、人質を取るも流れ弾に当たり即座に死んでしまうので、竜児は現在、見物人となっている。
「にしても高っちゃんいーいなぁー。亜美たんに抱きついてさー」
「黙れ。でもあたしは別の意味でいいなーって思う。はぁ…こっちにもスカウト来ないかな…」
「つか、ここ見物に来たのって、それが目的だったのか」
「あったり前じゃん!あ、いや、違う。1番は友情だから!」
ついつい本音が出ているが、ここで追求するのも良くないので、竜児は話題を変える。
「はいはい、それよりまさかこの顔が役に立つ職業が別にあったとはな…」
「あ、そうそう!高須君はこのまま商会に入ったりするの?」
そこに、今日の分の撮影を終えた亜美もやってきた。
「なになに?高須君も芸能界入り?それなら亜美ちゃん、もっとがんばれるよっ」
やってきてすぐに、NGの仕返しとばかりに竜児の腕を自分の谷間に抱え込む。
「どぉ?この世の極楽の感触は。さっきは緊張でガチガチだったじゃない。今は充分堪能したら?」
そっと甘く耳元に囁くが、日ごろから慣らされた竜児は対処の仕方を知っている。
「はい堪能堪能」
数回髪を首に沿ってなでてやるのだ。
竜児は、胸を堪能すると通報されると思っているため、髪を堪能するのだが、
「んぁあん…っく、ふぁ」
しなやかな指が髪をくすぐり、首をなでられると、絶対に亜美が勝つことはない。
傍目には普通になでているようにしか見えないが、これが虎を人間に戻す技術なのである。
ちなみに本人は子供をあやす感覚で使っているため、大河が人知れずイっていることは知らない。
「あっ…くぅ、たか…んん、んぅ…んんんあっ」
「んはぁっ…はぁ…はぁ…はぁ…」
「お?やっと離れたか。やたら抱きつくなよな。勘違いされたらお前が困るだろ」
「はぁ…んっ…はぁ、ちょっと、それは…無理…かも?中毒性高いし…」
「で?高っちゃんは芸能界入るのー?」
「え、いや、まぁ需要があるなら…やりたいことも決まってねぇし」
これが、将来日本を代表する悪役俳優と美人女優の初共演作品となるのであった。
132名無しさん@ピンキー:2010/03/20(土) 18:38:26 ID:N5TdXDYq
おーわり。
設定書くの忘れてた。
竜×亜で悪人商会。
書きたかったから書いた。
133名無しさん@ピンキー:2010/03/20(土) 18:59:40 ID:1BTX6KVY
>>132 GJ! 斬新な設定ですな。
またの作品をお待ちしているので
気が向いたら書いてやってください。
134名無しさん@ピンキー:2010/03/20(土) 19:25:43 ID:DW+r1bQg
>>132
悪役という発想はなかったw
小ネタながら、面白うございました。GJです。
135名無しさん@ピンキー:2010/03/20(土) 20:14:15 ID:T4Bdxldw
さっきはガチガチだったってえ〜!?
136名無しさん@ピンキー:2010/03/20(土) 21:56:16 ID:dDClBzR0
触ってもいない大河を逝かすとはなんと言うテクの持ち主・・・
137名無しさん@ピンキー:2010/03/20(土) 23:09:32 ID:E/EoqAoO
>>132
需要はあるので、竜児、芸能界奮闘編を書いてくださいな
138名無しさん@ピンキー:2010/03/20(土) 23:58:37 ID:arzIf0+i
>>132
ものすごくこれの続きがみたくなった。
是非とも続きを書いてほしい!
139名無しさん@ピンキー:2010/03/21(日) 00:07:47 ID:eUV9QCXI
>>132
続き期待
140名無しさん@ピンキー:2010/03/21(日) 00:41:33 ID:QF2+GzU5
指技で亜美をイかす竜に萌えた>>132
もっとやれ
141名無しさん@ピンキー:2010/03/21(日) 02:21:24 ID:5tQXiSgX
>>132
ナイスです
142名無しさん@ピンキー:2010/03/21(日) 03:07:52 ID:BJQDMxTR
あと15分で生物兵器が……!
143名無しさん@ピンキー:2010/03/22(月) 00:31:56 ID:dhXoE/V9
あれ止まってる・・・?
144名無しさん@ピンキー:2010/03/22(月) 02:20:34 ID:zLnl8l32
145名無しさん@ピンキー:2010/03/22(月) 03:04:17 ID:kbAj36On
??
146174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:05:09 ID:SM95Xp8B
「×××ドラ!」の続きを投下
「×××ドラ!」終了後「×××ドラ! ─── ×××ドラ! × i ───」を投下しますが、蛇足だと思われるのでご注意ください。
147174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:06:09 ID:SM95Xp8B

瞼を透かして入ってくる光によって、沈んでいた意識が浮上してくる。
鉛のように重い目を開くと、何故か見慣れた居間の天井が見えた。
いつの間に自宅まで帰ってきたんだ。
目線だけ横に動かすと、窓から差し込む日差しが赤い。夕日だ。
ということは、もう夕方なのか。
俺、寝ちまって・・・いや、気絶してたのかよ。
かなりの時間が経過しているのは分かった。
最後に記憶にあるのはまだ午前中のことだ。
昨日からの立て続けに起こった出来事と、そのためにあまり寝られなかったためか、泥みたいに眠り込んでいたらしい。
疲れもそれなりに取れていた。
それにしても、教室の窓からほとんど紐なしバンジーで地面に着地したというのに、体のどこにも痛みがない。
おぶさったまま一緒に落下した大河は無事なのか。
そうだ、大河はどこに、

むにゅ

(・・・・・・むにゅ?)

俺を家まで運んだのは大河のはずだ。
近くにいるだろうと探そうとすると、畳からは絶対にしないような柔らかい感触がする。
そこで初めて自分が何かを枕にしていることに気付く。
不思議に思って手を頭の方へと回して触ってみると、スベスベとした手触りと共に温かさが伝わってくる。

「あん・・・」

「・・・泰子?」

声のした方に首を巡らしてみると、俺と同じく仰向けに寝そべっている泰子がいた。
かけた声で目を覚ましたのかノロノロとトロい動作で伸びをすると、上半身だけを起こして大きくあくびをする。
子供みたいに両手で目を擦ると、起き抜けの、まだ眠たそうなショボついた目で俺を見つけて、緩みきった顔を更に緩めた。

「おはよ、竜ちゃん」

「お、おぅ、おはよう」

自分でも間の抜けた声が出たと思うが、寝起きの頭では状況が今一よく掴めない。
夕方だというのにおはようもないが、泰子はこの時間に起き出すことも少なくない。
だから挨拶自体に驚いてるんじゃなくて、俺はなんで泰子に膝枕なんてされているんだ?
それが分からない。
大河がわざわざ寝ている泰子の上に意識のない俺を置いていった、なんてことはないだろうし。

「んん〜・・・竜ちゃんたらお昼からずっと寝てるんだもん、やっちゃん足痺れちゃった〜」

いつ頃から家にいたのかなんて知らないが、かなりの時間気絶したままだったようだ。
しかもその間ずっと泰子の膝に頭を乗せていたらしい。
まだ俺の頭が乗っかっているのに、泰子は膝をモジモジと動かして少しでも早く痺れた足を元に戻そうとしている。

「わ、悪い、すぐにどく・・・お、おい?」

「えへへ〜」

頭を浮かそうとする前に、上から降ってきた泰子の手で押さえつけられた。

「こうやって竜ちゃんと二人でゆっくりするのって、なんだか久しぶりだね」

グイグイ頭を押さえていることなんて微塵も感じさせない、やたら穏やかな口調な泰子。
観念して首に入れていた力を抜くと、泰子はそのまま俺の頭を撫で始めた。
148174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:07:12 ID:SM95Xp8B

「思い出すなぁ・・・小っちゃかった頃の竜ちゃんも、今みたいにやっちゃんの膝でよく寝てたっけ」

「俺はもう覚えてねぇけどな」

どれくらい昔の話をしているのかさえ俺には分からないから、相当昔のことなんだろう。
だが、一定の間隔で頭を撫でてくる泰子と夕暮れに、なんだか俺まで懐かしいものを感じてしまう。
きっと子供の頃はこういうことが日常的にあったと、そう思わせられる。

「そうなんだ・・・竜ちゃん、寝ぼけてやっちゃんのおっぱい吸ってたのも忘れちゃったんだぁ」

ホントにいつの話だよ。

「あっ、けどね? 多分すぐに思い出すと思うよ」

「・・・? ・・・なんでだ」

「えっとぉ、ちょっと待ってぇ・・・あ、あったぁ」

泰子は俺の頭を撫でていた手を、今度は自分の枕元に置いてあったバッグに持っていった。
少しの間待つと、泰子はバッグの中を探っていた手から一冊の小さな手帳を取り出す。
それを「はいこれ」と、とても楽しそうにこちらに手渡してきた。
その手帳は全体的に淡いピンク色をしていて、真ん中に可愛らしい赤ん坊の絵が描いてある。
下の方には名前蘭が設けてあり、既に泰子の名前が入っていた。
いたって普通の手帳だ。
上の方に目立つように「母子健康手帳」とさえ書いてなければ、少しファンシーなだけの手帳だ。

「今日ね、お医者さん行ってきてぇ、その足で貰ってきたの〜。でね、帰ってきたらなんでか竜ちゃんがいてぇ・・・
 待ってても竜ちゃんなかなか起きないから、やっちゃんもいっしょに寝ちゃった」

汗を流して震える俺が視界に入っていないのか、上半身を起こした泰子はその手帳を俺から取り上げると、パラパラと数ページ捲ってみせる。

「驚いた、竜ちゃん? 驚いたよね、やっちゃんもビックリ。だって三ヶ月前の一回だけでってなんだかすごいよね」

三ヶ月前・・・三ヶ月前!?
た、大河達はせいぜい二ヶ月前って言ってたのに泰子は三ヶ月前・・・え、じゃあそれって・・・

「きっとかわいいだろうなぁ、竜ちゃんとぉやっちゃんのぉ」

「泰子、ちょっと待っ・・・」

聞きたくない、その先だけは聞きたくない。
聞いてしまったら俺は立ち上がれない気がしてならない。
聞いてしまったらもう人間として終わる。

「あ・か・ちゃ・ん」

「うふ・・・・・・うふふふふふっふふふふふふ・・・・・・・・・・」

かつてこれほど不吉で、かつ不快だと思ったことがあっただろうか。
喜色満面の泰子が言うと同時に部屋の隅の方、鳥カゴの中から聞こえてきたインコちゃんの鳴き声。
いつもなら我が家の団欒をより明るくしてくれるそれが、今の俺には正直耳障りでならない。

「うふふ・・・こ、こここれっはりゅ・・・っりゅりゅうちゃんんと、い〜いん・・・い、いんっぽちゃんの・・・」

「・・・・・・・・・」
149174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:08:13 ID:SM95Xp8B

現実を受け入れたくないからか、まるで吸い寄せられるように、泰子の膝枕から立ち上がった俺はインコちゃんのカゴまで近づく。
カゴの中のインコちゃんは俺に背を向ける形で、それも何故か両羽をこれでもかと広げている。
このままいつまでもこうしている訳にもいかないし、どうしようかと立ち尽くしていたら、インコちゃんがこちらを向いた。

「かっかかわいいかわいい、りゅりゅりゅりゅうちゃんといんくぉちゃんの・・・くえぇ?」

ベロンベロンと、あの厚くて長い舌を這わせながら頬ずりまでしている時に、ようやく俺の存在に気付いたインコちゃん。
一体何をしてるんだ・・・そう目を凝らして見ていたら、インコちゃんはヨロヨロとした動きで「それ」がよく見えるように、
カゴの端っこへと移動した。

「・・・っ!?」

「あかちゃんたち・・・」

インコちゃんが今まで居た位置には1、2、3・・・計10個もの卵が転がっていた。
一体一晩でどうしてこんなに・・・あ、朝のあの酷いやつれ具合はこのためだったのか!? き、気付かなかった・・・
にしたって、普通は一日おきに1個のペースだっていうのに、いきなり10個なんて。
現にこうしてちゃんとあるんだから信じるしかないが、けどこれ、明らかに異常だろ。
今だって骨と皮しか残っていないほど痩せこけているインコちゃんは、俺が卵を凝視していることに満足したのか、
その見てくれとは正反対な張りのある声でクスクスと笑っている。
だが、やはり元気というわけじゃないのだろう、温めようとすぐそこの卵までにじり寄るのにも一苦労といった感じだ。
それでも、インコちゃんは止まろうとせず、時間をかけて少しずつ進み、そっと羽を広げて愛おしむように余さず卵を包み込んだ。

「うふふふ・・・ここ、このこたちは、ちゃっちゃんとおおきくするの・・・あのこのぶんまで・・・」

昨日の事は、インコちゃんからしてみれば悪夢以外の何物でもなかったんだろう。
だからそんなになってまで・・・

「インコちゃん・・・」

ダンダンダンダンダンダンダンッバンッッ!!!

母性本能に突き動かされるインコちゃんをただただ眺めるしかない俺の耳に、階段を駆け上がる慌しい足音と、
すぐに力任せに玄関をこじ開ける音が届く。
この時点でもう嫌な予感しかしない。
昨日、インコちゃんの記念すべき初めての卵が生のままスクランブルエッグになった時と似たような事が起きそうな、そんな予感が。
振り向けないでいると、家中をドカドカと走り回る、大河の荒い息遣いが響く。
意味不明な行動をしているんだろう大河は、泰子に何度もやめてくれるよう求められても一向にやめようとはしない。
やっと開けっ放しだった玄関が閉められると、そろそろと俺も振り返った。
そこには大きく息を吸っては吐いてを繰り返し、水道の蛇口を全開にしてコップに注いでは、何度も水を一気飲みしている大河がいた。

「ハァッ、ハァッ・・・・・・ただいま・・・起きたみたいね、竜児。気分はどう? どっか痛かったりしない?」

落ち着いた大河が、制服の袖で汗まみれの額を乱暴に拭っている。
その制服は土埃で汚れてしまっているし、左の肩口は縫い目が若干解れて下のシャツが露出していた。
髪にはどこで付けてきたのだろうか所々に葉っぱが刺さっており、顔は・・・鼻血を流し、目元なんて薄っすら青タンまでこさえている。
何をしてきたんだ、何を。

「お前・・・どうしたんだ、その格好・・・」

「・・・どうってことないわよ、こんぐらい。これからに比べればまだね・・・」

これからって・・・
疑問を口にする前に、大河は窓を指差した。

「・・・外がどうし・・・・・・・・・」
150174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:09:14 ID:SM95Xp8B

言葉を失った。
ベランダ越しに覗き込んだ窓の外には、櫛枝に川嶋、木原と香椎、会長、独身・・・教室にいた連中は軒並みがん首を揃えていた。
どうやらアパートの前の道路を占拠しているみたいだ。
通ろうとする度に、通行人が今来た道を早足で引き返していく。
なんてことを・・・ただでさえこの家は近所でも浮いているのに、そのうちを取り囲んで、あまつさえ近隣の住民を脅かすようなマネまでして。

「あっ、いたぁっ! やっぱりここにいた! お〜い! たーかーすーきゅーん!! 今助けにいってあげるからね! そこ動いちゃだめだよー!」

ちょうどこちらを向いていた櫛枝とバッチリと目が合う。見つかった。
ブンブン手を振りながら櫛枝が大声で叫ぶと、一斉に全員がこちらに顔を向けた。
俺が見たのはそこまでで、背中から伸びた大河の手によって、力任せにベランダから居間に引きずり込まれた。
だが、間髪入れずに今度は川嶋の怒声が。

「テンメェざっけんなドカスチビィッ!! ヒトん家に立て篭もるとか犯罪だろコラァ!」

た、立て篭もり!? 立て篭もりって、うちにか!?
そういえばさっき大河が家中を荒らして玄関で何かしていた。
外からじゃあ入れないようにするためだったみたいだ。
それのせいで川嶋達は家の中に入ってこれないのか。

「っさいばかちー! 私はずっとここん家の子だぁ──────!! そい! そい! そぉい!!」

勢いよく窓を開けてそう叫んだ大河は、そこに掛けてある鳥篭を抱え込むと手を突っ込み、中から卵を2〜3個いっぺんに掴んで、

クシャッ、クシャ、クシャァ・・・

眼下に並ぶ川嶋達に向かっておもいっきり投げつけた。

「キャアッ!? このっ・・・見た目よりもガキくせーこと言ってんじゃねぇよ! ゴミまで投げてきやがって!」

「うるさいうるさいうるっさぁ〜〜〜い! 文句があんならここまで来てみなさいよ! そしたら聞いてやるわよ!」

なるべく見つからないよう顔を出してみれば、アパートの前の道路にはいくつも割れた卵が散らばっている。
インコちゃんが文字通り身を削って産んだ卵が、それもゴミ呼ばわりまでされて・・・
あれだけあったインコちゃんの卵はものの一分もしないで、一つ残らず、全て大河に投げられてしまった。
篭の中にはインコちゃんのみとなり、投げる物が無くなってしまったそれには用がないと、大河は乱雑に篭を放り投げた。
床に衝突する寸前でなんとかキャッチすると、衝撃を与えないようテーブルにそっと置いておく。

「うふ・・・うふふふふふ・・・うぐ・・・ふっぐぅ・・・くえぇぇえ・・・ぐっ・・・ふふ、ふ・・・ぶふ・・・えぐ・・・ヴぇええええ・・・・・・」

篭の中でハラハラと涙を流し、涙が篭の底を濡らす度に羽毛までもが抜けていくインコちゃん。
ベランダでは、どれだけインコちゃんを傷付けたのかなんてこれっぽっちも考えていない大河が、まだ川嶋と壮絶な舌戦を繰り広げている。
そうでなくても近所迷惑だというのに、近所中に響く大声で。
自分の目つきを棚に上げるようだが、近所の目が恐くて俺は明日から引き篭もるかもしれない。
おあつらえ向きに大河が篭城の支度を整えていたし、叶うならいっそのこともう誰の目にも触れないところでひっそりと暮らしたい。
無事に明日が来れば、の話だけどな。
この調子じゃあ明日なんて来そうにねぇよ。

「だったら階段に積んであるベッドとか机とかどうにかしろぉっ! あれじゃテメェだって出れねぇだろうが!」

「あんたらが尻尾巻いて引き上げたあとでゆっくり片すからいいのよ! だからさっさと帰れ、バーカ!」

「ハァッ!? 高須くん獲り返すまで帰るわきゃねーじゃん!
 てかこのおつむまでミクロタイガー! テメェ亜美ちゃんの旦那に変なことしてみなさいよ、本気でぶっ潰すかんな!!」

「獲り返すぅ!? 旦那ぁ!? なんべん言ったらわかんのよ! 竜児は私のだぁあああ───っ!! お嫁さんも私だぁぁあああ!!」
151174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:10:14 ID:SM95Xp8B

そうか、階段にはベッドと机があるのか。どちらも俺の部屋の物だ。
あんなもんよく一人で運べたな、大河のヤツ。
さすがにそんな重たい物を足場のあまり良いとはいえない階段上でどけるなんてすぐにはできないだろう。
そこまで考えてやっていたとしたら、大河は相当マジだ。
マジで、本当の本気で立て篭もる気でいやがる。
当の大河は川嶋の一言一句が堪忍袋の緒を引き千切る以外の何物でもないようで、それは川嶋も同じらしい。
息継ぎすらしない勢いでどんどんヒートアップしていく言葉による殴り合い。
更に、大河と川嶋の喚き声に混じってこんなやりとりも聞こえてきた。

「ねぇ奈々子、なに一人でそっちのでっけーマンションに入ろうとしてんの」

「・・・・・・べつに・・・・・・」

香椎と木原の二人は大河のマンションの入り口付近で火花を散らしていた。

「ウソ、また抜け駆けする気なんでしょ?
 どうせどっかの部屋から高須くん家まで飛び移ろうっていう魂胆なんでしょ? みえみえなんだから」

「どうしてそこまで的確にわかるのかしら。まるで麻耶もしようとしてたみたいね、抜け駆け」

「・・・・・・・・・」

「あら、どうしたの麻耶、黙っちゃって・・・図星? ・・・まさかね。あたしにはあれだけするなって言ってたんだから」

「・・・オンナの友情ってそういうもんじゃね?」

「ええそうね、否定はしないわ・・・ふふ」

「でしょ? ・・・ふふ・・・」

「「 ふふふふ・・・なにが可笑しいのよ? 」」

オンナの友情って重いな・・・

「高須くーん! お願いだから出てきて、ちゃんと話し合いましょう! 先生間違ってたって気付いたの、式場とか勝手に決めるなんて・・・
一緒に選びましょう、並んで座って・・・ね? そういうのって先生したことなかったからわからなかったの〜!」

「一生独りで式場巡りでもやってなさいよ、この妖怪独身三十路ババア!」

「崖っぷちの人間がやっと掴んだ幸せなのよ!? あんた達まだ崖っぷちじゃないんだから譲りなさいよ!!」

「関係ないって! 独身だったらきっと他にお似合いの相手が多分見つかるはずだから、それまで独り身に耐えててくれって言ってんのよ!」

「ありがとうございますうっ! けどお断りですう、もう先生高須くんに貰ってもらうんです、決めたんですうっ」

「そういうのがキショがられてたからその歳になるまで独身だったのよ! よぉっく自分の歳思い出してごらんなさい?
 ほぉら、もう三十路じゃない。崖っぷちどころかとっくに転落してんのよあんたは! この三十路三十路三十路三十路ぃ!」

「いぃぃぃぃやぁぁぁああああああああああっ!? せめてアラサーって呼んで!
 たとえ三十路じゃなくなる訳じゃないとしても、それでも三十路はやめてえええええええ! 落とさないでぇ・・・!」

こっちの方はもっと重いな・・・それも別の意味で、しかも淀みまくっていて。
・・・そういえば会長はどこに行ったんだろう、見当たらない。
さっき顔を出した時は皆に混じっていたはずなのに。

「・・・ようやく見つけたぞ、竜児」
152174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:11:15 ID:SM95Xp8B

そう思った途端、会長はスタッとベランダに現れた。
俺の見間違いじゃなければ、よじ登るというよりは降ってきたように見えたが・・・まさか木原と香椎が言っていたことを本気で実行したのか。
ありえる、会長なら十分考えられる。
大河の部屋どころかどの階の部屋も窓が開いていないだろとか、それなら屋上から飛んできたのかと色々と思うところはあるが、
それでも会長ならやりかねない。
だって実際目の前にいるんだから。

「・・・あんたはなにやっても来るだろうと思ってたわ・・・」

突然会長が舞い降りたことによって大河は川嶋と独身との舌戦を中断した。
なおもがなり立てる川嶋を一瞥はするものの、一度瞼を瞑り、開いたその目で、俺を間に挟んで会長を睨みつける。
知らず喉が鳴っていた。
会長も、大河の抑える気のない怒気と、それを映す瞳に、心もち緩んでいた表情を引き締めなおす。
大河が背にするように俺の前に立った。
軽く手を広げ、俺に離れろと促すついでに、会長に向けてこれは自分のものだと主張する。
その行為が、会長の表情を更に硬いものにさせた。
大河と同じく敵意を剥き出しにし、胸に溜まる不愉快な感情を言葉に代えて口から吐き出す。

「散々邪魔してくれてありがとうよ。お礼にそのツラ、もう一発入れてパンダみてーにしてやるから動くんじゃねぇぞ」

居丈高な物言いに会長の本気が伝わってくる。
大河の顔をあんなにしたのは会長だったのか。
苦虫を噛み潰したような顔をした大河が袖で顔を拭う。
垂れてそのままだった鼻血も、滲んでいた汗も拭き取られたその顔は瞳同様に怒りに染まっていた。

「気にしないで、お礼なんて・・・借りがあるのは私の方よ・・・倍にして返してやるわ」

「・・・・・・上等だ」

関節を鳴らしていた会長が、一度深く息を吸い込む。
その一瞬に大河が背中に手を回すと、次に手が見えた時には北村を本物の大明神になる寸前まで叩きのめした、愛用の木刀が握られていた。
だから、どこからそんな物を・・・そもそもいつもそんな物騒な物を持ち歩いているのかよ。
そして今朝だって急いで出てきたのに、木刀だけは忘れずに持ってきてるのか。
ともかく、これには会長も面食らったらしい。
舌打ちを鳴らすと、前のめりだった姿勢を無理やり仰け反らせ、大きく後退し、距離を空けようとした。
だが、そこはうちのベランダだ、大したスペースがあるはずもない。
抜きん出た反射神経に従ったためにそこまで気がいかなかった会長は袋小路に捕まった。
訪れた好機を逃さず、一気に畳みかけようと、すかさず大河が木刀を振り上げる。

「チィッ!」

「クッ!?」

振り上げられた木刀が下ろされる前に、会長が体ごと大河にぶつかりに行った。
渾身の力を込めようと腕を伸び切らせていた大河は体勢を崩さぬよう踏ん張るのに精一杯で、木刀を奪いにきた会長にまで対応しきれない。
動きの止まった大河相手に、木刀に手をかけた会長はそのまま押し潰す勢いで覆い被さった。
押し潰されまいと押し返す大河と、その大河をなんとか押し潰そうとしている会長。
一進一退の様相。しかし、やはり身長差と、それまでだって全員を相手にしていた分、大河にとっては不利に働いた。
じりじりと少しずつ、だけど確実に会長が押し始める。
二人の口から漏れ出てくるのは荒い息だけだが、次第に会長に比べ、大河の呼吸が浅く小さなものになる。
そして力み続けることに限界がきた大河が再度力むために体中に張っていた緊張を緩めた刹那、今度は会長が仕掛ける。
乾いた音を俺の耳が拾った。
振り乱れ、汗で張り付いた髪の隙間から覗く頬が赤い。

「・・・卑怯だって思うでしょ」

拮抗状態による無言を破ったのは会長の張り手と、大河の場にそぐわない自嘲のようなセリフだった。
153174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:12:15 ID:SM95Xp8B

「なにをだよ」

「・・・これとか」

軋む音を立てながら、今にも真ん中からへし折れそうなほどしなっている木刀のことを言っているんだろう。
引け目はあったようだ。
だが、木刀なら何度も振り回しているところを見ているが、大河がそんなことを言うなんて初めてだ。

「今更なに言ってやがる。大体これのどこが卑怯だってんだよ」

伏せていた顔を、大河は会長へと合わせる。

「使える物を使って何が悪い。私がお前だって同じ事をするし、それを卑怯だなんて思わねぇ」

いつだって強気に満ちて吊り上がっていた大河の目は、けれど今は弱気が支配し、泣きだしそうに歪んでいた。
考える時間があったらとにかく行動を起こして、一人で頑張って、転んだって構うもんかと突っ走って。
だけど、それで良いのか悪いのか、それはもしかしたら間違ってるんじゃないのか。
そんな葛藤に苛まされているように見受けられた。
少なくともその瞬間の大河が、俺にはそう思えた。
でも、それでも。
大河の瞳に、また火が灯る。

「形振り構ってられねぇ時に形振り構っていられるほど人間できてねぇから、
 だからどんなことしてでも欲しい物は奪い取りにきてんだよ。私だって、下の連中だって」

お前だってそうじゃねぇか───最後の言葉は、囁くような小さな声で、俺にはハッキリとは聞こえなかった。
ただそう聞こえた気がしただけで、けれど、あながち間違ってもいないかもしれない。

「・・・・・・そう・・・そう、ね・・・・・・」

木刀を握る腕に力を込めなおした大河がこちらを向いた。
射抜くような視線で上から下まで俺を視界に収めると、なんとも言い難い表情を形作る。
怒っているようにも、悲しんでいるようにも、苦笑しているようにも、諦めているようにも。
見ようによってはいくらでも移ろう大河の顔には、その数だけたしかな感情が込められていた。
今度は自分の腹部を見つめる。
その横顔はとても穏やかに見えて、

「私が幸せになっても恨むんじゃないわよ。竜児も、この子も」

一瞬にして、勝利を確信したかのような笑みを浮かべた。

「それは私のセリフだ」

会長も似たような顔をしている。
お互い譲る気なんて欠片も無いという意思の表れなのだろうか。
激しく奪い合っていた木刀を投げ捨てると、大河と会長は───

ガラガラガラ・・・ピシャッ!

・・・そこから先は、いつの間にか窓際にいた泰子が雨戸と一緒に窓も、カーテンも閉めてしまって俺には分からない。
分かるのは、泰子は窓に鍵をかけただけでは飽き足らず、居間に置いてあったタンスを引き摺り、自室から衣装ケースまで持ち出してきて、
窓を塞ぐためにどんどん積んでいく。
もしかしなくてもバリケードだ。

「・・・・・・・・・はっ!?」

一瞬何が起きたか分からなかった俺は、窓が完全に塞がれた頃になってから我に返った。
微かながら入ってくるはずの夕日は完全に遮られ部屋の中は明かりも点いておらず薄暗く、台所の窓から入る光だけが唯一の光源になっている。
154174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:14:05 ID:SM95Xp8B

『竜児っ!? なんで窓閉めんのよ、開けなさいよ! 開けて!』

バシバシと雨戸を叩く音と共に、やけに遠くに感じる大河のくぐもった声が聞こえる。
更に遠くでは、会長が俺の部屋の窓を抉じ開けようとしているみたいだが、どうやら向こうも居間と同じ状態にされているらしい。
これも泰子の仕業と思っていいだろう。
暗い部屋の中に響くのが、自分を呼ぶ女の声と雨戸を叩く音というのは呪われているようで薄気味悪い。
しかも元凶の泰子は居間から消えてしまっている。
泰子の部屋の方からなにやら派手に物を引っくり返している音が聞こえるから、多分そちらに居るはずだ。
雨戸ごと割れるんじゃないかと心配になるが、俺を呼び続けながら窓を叩く大河を無視して、
抜けそうな腰と震える足を壁に手を付くことでなんとかまともに立たせて歩くと、

「や、泰子・・・? なにしてんだ・・・?」

ひっ散らかした部屋で、ばかデカイ旅行カバンに服、化粧品、アクセサリー。
それらをギュウギュウに詰め込み、入らなくなれば別のバッグを出してまた同じことを繰り返している泰子。
いくらなんでも枕は無理があるだろ。

「あっ、竜ちゃんも早く用意して。しばらくお出かけすることにしたから」

言いながらも泰子は荷造りをやめようとしない。
たまの贅沢で買った高価な下着とそうでない物を的確に選り分けていく様を見れば、手当たり次第に詰め込んでいるわけじゃなさそうだ。

「出かけるって・・・」

単に散歩や買い物に出るんじゃない、荷物の量からしても簡単な旅行ですらない事は明白だ。
それも俺込みでと言うんだから、この家を当分の間空けるつもりなんだろう。
なんでこのタイミングで、そんな夜逃げみたいなマネを・・・

「懐かしいなぁ、ずぅっと前もこんな感じで家出したんだぁ・・・けどぉ、今度は竜ちゃんがずっと一緒だもん、全然恐くないよ?」

夜逃げみたいなマネじゃねぇ、泰子は夜逃げする気だ。
それも本気で、至ってマジで。
夜逃げと違うのは人が寝静まった深夜ではなくまだ夕刻ってだけで、逃げることには変わりないんだから、それはやはり夜逃げの部類に入るだろ。

「ちょっ・・・と待て、いきなりなに言い出すんだお前・・・家出って・・・」

「・・・ね、竜ちゃん」

パタリと、動かしていた手を止めた泰子は立ち上がった。
すると、居間と同じで部屋の中が暗くてよく見えないが、なんだか違和感を覚えた。
目を凝らしてジッと見ていると、泰子のシルエットがいつもと違うことに気付く。
普段は仕事用の服を含め、家の中でも体のラインが浮き出る物や殆ど下着同然の格好でいる泰子が、
いつもとは異なり随分とゆったりとした服装に身を包んでいる。
暗がりに目が慣れてくると、少々の痛みやデザインその物にも古臭さが見受けられる。
少なくとも俺の覚えている限り、泰子がこんな服を着ているのなんか見たことはない。

「これね、もう着ることなんてないかなぁって思ってたんだけどね、でもどうしても捨てられなかったの」

尋ねてもいないのに、泰子はワンピースによく似た服を軽く抓み、ポツポツと喋り始める。

「いろんな思い出がたくさんあって・・・ほら、ここの染みね? これ竜ちゃんが急に蹴るからビックリして、お茶こぼしちゃって」

俺が泰子を蹴る・・・?
服同様、記憶にある限りそんな覚えはない。

「着回しだってしてたし、もう18年も前のだからけっこう傷んじゃってるけど・・・どう? おかしくなぁい?」

「あ・・・ああ。いいんじゃないのか、全然」
155174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:17:25 ID:SM95Xp8B

似合ってないわけじゃない。
ただ、見慣れた泰子とかけ離れてるっていうか、なんだか落ち着いているというか。

「よかったぁ」

俺の返答に、泰子は柔和な笑みを浮かべた。

「マタニティウェアってホントはもうちょっとお腹が大きくなってからでもいいんだけど・・・うん。
 やっぱりこれ着てよっと、竜ちゃんも気に入ってくれたみたいだし」

それだけ言うとしゃがみ込んで、カバンを太らせる作業に戻ってしまう。
マタニティウェア・・・マタニティ・・・あぁ、そういう人のための服だったのか。
どうりでそんなに胴回りに余裕が・・・

「って、そうじゃねぇ! それと出て行くのとどう関係があるんだよ!?」

「そんなに深い意味はないよ。ただ、さっきの娘も言ってたでしょ? 大河ちゃんとケンカしてた娘。
 使えるものを使ってなにが悪い、って。そうしてるだけだよ、やっちゃんも」

「・・・余計に意味分かんねぇよ・・・もういい、それよりも、なんでまた出てくなんてことになるんだ」

「それは大河ちゃんたちが竜ちゃん持ってっちゃうみたいなこと言ってたから・・・竜ちゃんはそれでもいいの? ・・・やっちゃんはヤだなぁ・・・
 でもぉ、大河ちゃんたち諦めそうにないし・・・ならね、大河ちゃんたちが落ち着くまではどこかに隠れてた方がいいと思うの」

「それはっ・・・・・・」

言葉に詰まった。
この家に留まるのは危ないと、耳元で誰かに囁かれている気がするくらい危険を感じてはいるが、かといって他所に移るというのも決めかねる。

「それにもう竜ちゃんのこと、ご近所に広まってるよ、きっと」

近所迷惑を通り越して近所災害と名づけてもいいレベルの騒動だ。
最早井戸端会議のネタにされることを止めるのは不可能だろう。
その程度で終わるとも思えない。

「もしもだよ? もしも、この家にいられなくなっちゃったら・・・竜ちゃんなら、どうする?」

答えられない。
今日だけでもここから追い出される理由は山のようにできた。
そしてそうなった場合、残っている道は多くはないということも頭では理解している。

ガシャ───ン!!

「竜児! なんで締め出すのよ、私勝ったのよ! ちゃんぴょんよちゃんぴょん! これでけけけ、けっこ、けっこ・・・」

ドカァッ!!

「高須くん! 迎えにきたよ、一緒に行こう! ・・・て、あれ? 高須く〜〜ん、どーこー? もう平気だよ、出といでよ」

「高須くーん、そいつ玄関の前に積んであったベッドとか全部階段の下に投げ捨てたのよ。一人でよ、一人で。
 タイガーといい、そんな中身がエイリアンや物体Xみたいなバケモンよりも、早く亜美ちゃんと二人で逃げよ」

「脳筋女や腹黒の世迷言なんかに耳を貸さなくてもいいのよ。さぁ出てきて高須くん、あなたのあたしはここよ」

「そうそう、体力バカと腹黒共の世迷言に騙されちゃダメだよ、特に奈々子なんてお腹ん中ありえないぐらい真っ黒なんだから。
 だからあたしと一緒になるのが一番いいって、高須くんならわかるよね? だから出てきてよ」
156174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:18:14 ID:SM95Xp8B

「先生は」

「「「「 オバサンはすっこんでろ!!! 」」」」

「まだなんにも言ってないわよ!?」

考えている合間に突如響き渡る、居間の窓を割る音と大河の興奮した声。
とうとう会長とケリを付けたのか。過激な付け方でなければいいが。
間髪置かずに蹴破られた玄関のドア。外から雪崩れ込んできた櫛枝達が喚き声を上げている。
先陣を切った櫛枝は、相対した大河には目もくれず家捜しを開始。
川嶋の言を信じるなら、櫛枝はたった一人で玄関の前に積まれた家財道具を撤去したのか。
だが、香椎が言うにはそれは世迷言だそうだし、木原は香椎の言葉すら世迷言と言い切る。
独身は全員にバッサリ切り捨てられ、憤慨しつつもしっかり後に続く。
隅から家の中を調べ終えた櫛枝が戻ってくると、みんなして一斉に俺の部屋へと向かっていったようだが、
ここに居る俺を見つけ出すのにそう時間はかからないはずだ。
どうする、どうすれば───

「ねぇ竜ちゃん」

のほほんとした泰子が肩を叩いてくる。
こんな時になんだよ。

「やっちゃん考えたんだけどぉ」

だからなんだよ。

「みぃんなお嫁さんにもらっちゃったらどうかなぁ。あ、もちろんやっちゃんはお嫁さんいっち号〜」

いい案だな、ここが日本じゃなくてどこか多妻が許される国だったらそれで丸く収まるかもしれない。
それと俺の気持ちとか倫理観とか、他一切合切も無視すれば、の話だが。

「・・・そんなのできるわけ・・・」

ガラッ

「そうよやっちゃん、そんなの認められないわ。だって・・・」

開けられた襖の向こうには、台所から入る夕日によってオレンジ色に染められた大河。



「竜児のお嫁さんは私だけなんだから!」



──────に続いて、

「それこそ認められるかあああ!」

「ちょっと!? あんた負けたんだから出てくんじゃないわよ! 恨みっこ無しじゃなかったの!?」

「不意打ちじゃねぇか! あんなんじゃさすがに納得いかねぇ、無効だ無効! 仕切り直しだ!」

「イヤよっ、勝ちは勝ちだもん! だから竜児のお嫁さんは私だもん! 誰にも文句なんて言わせないもん!!」
157174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:19:05 ID:SM95Xp8B

あっちでも。

「大河に勝ったらお嫁さん? ・・・ヨッシャ──! その話乗ったぁ! あらよっと!」

「へ・・・うっきゃああああ!? ちょ、ちょっと実乃梨ちゃん!?」

「なにをボサボサしてんのさ、あーみんもお嫁さんになりたいんなら、まずはこの老師櫛枝をへぶっ! ・・・いったぁ〜・・・」

「ホンっトマジでテメーといいくそチビといい、どっからバットなんて危ねぇモン出しやがんのよ!?
しかも今本気で当てにきやがったろ!? 薄々わかってたけど頭おかしいんじゃねぇの!?」

「あーみんこそ、その手に持ってるのはなんだよぅ」

「い・・・いイ、いぃぃぃィぃ・・・いっそコロして・・・・・・」

「・・・これはあれよ・・・こんなのよりも、亜美ちゃんと高須くんの赤ちゃんの方が百万倍プリチーだからぜんぜん平気だしー。
 なんてったって二人の愛の結晶なんだから、きっと世界一幸せで可愛い赤ちゃんに決まってるよね」

「その百兆倍は私と高須くんの赤ちゃんの方が可愛いけどねー。どんな子だろ、将来は家族三人でキャッチボールとかしたいな。
 ううん、いっそチームができるくらい・・・いいなぁそういうの・・・なんか、夢が膨らむっていうか・・・高須くんにも見せてあげたいな、この夢」

「ハッ・・・笑えないんですけど、そのジョーダンてか悪夢っつーか寝言。あ、けど今のフザケタ発言で亜美ちゃんヤる気出たかも。
 覚悟しろよこのエセ天然、明日からその作ったキャラ通せると思わないでよね」

「キャラ作るとかあーみんに『だけ』は言わしたくないなー・・・そんじゃま、あーみんこそ覚悟しな、私こっからは手加減抜きで行くよ。
 ついでに不幸にもあーみんの得物にされちゃった顔がアレなトリッピーも、怨むんならあーみん怨んでよ」

「ぐえぇ・・・ややや、やっ、ヤァァァ・・・やっぱりたす、たすけ───りゅうちゃぁぁぁぁ・・・・・・・・・」

こっちでも。

「麻耶、ここは・・・だから・・・で・・・・・・そうしない?」

「オッケ。じゃあまずあたしが・・・だろうから、奈々子はそこで・・・・・・にして・・・・・・で、どう?」

「完璧よ、それで行きましょ」

「うん、まかしといて」

「あと曜日の割り振りのことなんだけど、日月水はあたしで火木金は麻耶でってことでいいかしら?
 これならお互い休日も入ってるし、不公平にならないと思うんだけど」

「じゃあ土曜は一緒にって感じ? けっこういいかも、そういうの、なんか楽しそう」

「あ、あなた達まさか・・・さっきまであんなに仲違いしてたじゃない! なのに二人で!? それってズルくない!?」

「残念、二人じゃなくて四人よ。こんな簡単な計算もできないなんて脳みそまで老化し始めてんじゃないの、三十路」

「三十路にはわかんないよ、オンナの友情は時と場合によりまくるってことが。ま、歳じゃ仕方ないよね」

「くぅ・・・い、いいわよ、やればいいんでしょ!? やってやるわよ! 三十路三十路って、あんまり私を舐めないで!
 こんなの、就職氷河期真っ只中の、あの終わりが見えない恐怖に比べたら・・・周りが次々と結婚して置いてかれる、あの絶望感に比べたら・・・
 そう、ゴールは目の前なんだから! 私だって幸せになってやるんだから! 可愛い赤ちゃんと旦那さま付きで幸せになるんだからぁっ!」
158174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:20:24 ID:SM95Xp8B

───そして・・・

「ん〜しょ・・・竜ちゃんこれで最後〜、重いよ〜」

窓から乗り出した泰子から一際大きいカバンを受け取ると、他の荷物同様アパートの前に一纏めにしておく。
泰子がケータイで呼んだタクシーが来たら、すぐにトランクへと詰め込めるように。
それが済むと、最後の大荷物を受け取りに階段まで戻る。

「おい、気を付けろよ」

「う〜ん・・・きゃっ」

窓から階段へ降りようと、そろそろと足だけ出した泰子が案の定足・・・いや、尻を滑らせてずり落ちる。
多分こうなるだろうと思って待ち構えていてよかった。

「・・・・・・ふぇ?」

腕の中にスッポリ納まる泰子は、目を瞑ってプルプル震えている。
だが、今か今かと待っている衝撃と痛みが中々来ないことから薄目を開けると、強張っていた体から力を抜いた。

「はひゅ〜・・・こわかったぁ。ありがと、竜ちゃん」

「気を付けろって言っただろ、ったく・・・ほら、降ろすぞ」

「え〜・・・あ、そだ・・・こ、腰抜けちゃって歩けなぁい・・・かも」

無視して降ろした。
そのままぶーたれている泰子を置いて荷物の前まで来ると、適当な所に腰を下ろした。

「・・・・・・はぁ」

「なぁにぃ? 竜ちゃんどうしたの?」

「けちけちけーち、竜ちゃんのけーち」とぶつくさ言いながらノロノロ歩いてきた泰子。
膝を抱えて地面に座る俺の横に並んで座ると、体を預けてきて、頭まで俺の肩に乗っけている。
それだけでもう機嫌を直した泰子は、今度は楽しそうに行き先を考え出した。
やれ「やっぱりこういう時は北かなー」だの「でも寒いのはやだなぁ、じゃあ南の方にしよっか」だのと、
真剣に考えている泰子を見ていたら溜め息が漏れた。

「・・・これでいいのかって思うとなぁ・・・」

「竜ちゃんったら心配性さんだねぇ。大河ちゃんたちが落ち着くまでって、やっちゃんあんなに言ったのに」

俺が心配なのは俺が居なくなったことに気付いた後の大河達だけじゃなくて、帰ってこれるかどうかもなんだけどな。
それを言ったらやめりゃあいいじゃないかと思わないでもない。
だが・・・大河達が家の中で暴れ回っているために巻き起こる騒音が、外にいるとどれだけ酷いものか改めて分かる。
絶えず耳に入ってくるそれが、俺から思い直そうという気をみるみる奪っていく。
それに多分だが、あれだけ家の中をメチャクチャにされたんじゃもう人が住めないんじゃないだろうか。
いや、音しか聞こえないから、そんな気がするだけなんだけども。
少なくとも俺の部屋の家具はそこで粗大ゴミと化していたから、大家が見つけ次第業者を呼んで片付けさせるのはほぼ確定している。

パリーン・・・ゴン

また一枚窓が割られた。飛んで来たのは・・・炊飯器か。
さっきはテレビだったし、その前は電子レンジだったし、今に冷蔵庫でも飛んできそうだ。
・・・これ、帰ってきたとして、またこの家に住めるのか・・・?
中がどうこうじゃなくて、大家から入居拒否されそうだ。
159174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:22:18 ID:SM95Xp8B

「それにしても大河ちゃんも他の娘たちもすっごいねぇ、ず〜っとやってて疲れないのかな? 若いからかな」

「泰子とあんまり変わらねぇのもいるけどな」

「そうなんだぁ・・・あれ? じゃあやっちゃんも若いってことだよね? やったぁ」

そういうつもりで言ったわけじゃねぇよ、なにを喜んでやがんだ。
若いっていうよりも子供っぽいだけだが、言うだけ無駄か。
見た目だけならホントに若いし。
目には見えない頭の中身はもっと子供だろうしな。

「じゃあ若いやっちゃんと竜ちゃんは、手に手を取り合ってカケオチしちゃお〜う。
 二人の前には辛いこともいっぱいあるかもしれないけど、でもがんばろうね」

こんなことを素面で言うんだぞ、まず精神年齢は子供だ。
それも嫌な部分だけは知恵がついているからタチが悪い。
そうだな、具体的にいえば思春期辺り、ってそれじゃあ俺と変わらないか。

「・・・・・・なぁ、大河達が落ち着けば本当にすぐ帰ってくるんだよな? 店だってあるんだし」

「そうだぁ、やっちゃんね? 今度は女の子がいいなぁ・・・みんなで川の字になって寝たりしてね、きっと楽しいよ。
 でねでね、一人っ子じゃかわいそうだから、少しお姉さんになった頃にまた赤ちゃん作って・・・いや〜んなにこの素敵なかぞくけいかく」

「俺の話聞いてるよな? あと俺は泰子の何だ? お前が尻にしてるバッグに保険証が入ってるはずだから見てみろ。
 ・・・ふざけるのはもういいから、気休めでいいからすぐに帰るって言えよ」

「あぁっ!? た、大変・・・どうしよ竜ちゃん・・・」

「な、なんだ? 急にどうしたんだよ」

「大河ちゃんたちが赤ちゃん生んじゃったらやっちゃんおばあちゃんだよ?
 やぁんどうしよっ、やっちゃんまだそんな歳じゃないのにぃ」

何の心配をしてるんだこいつは。
これだけ心配事が転がっていて、先なんて全く見えない状態だというのに心配するのはそこなのか。
子供っぽい以前に、いろんな部分が人としておかしい。
そのおかしな泰子に手を引かれて、大河たちの喧騒から離され、
『このままここに残るひとぉ、それともやっちゃんと一緒にお出かけするひとぉ』
生きるか死ぬかの二択を持ちかけられ、悩みも迷いもしたが、
『んしょっと。はい、じゃあお出かけしようね、竜ちゃん』
と、泰子に持ち上げられ、結局「お出かけ」する方に手を挙げてしまった俺が言えることじゃないが。

ドガシャァッ!!

「ひっ・・・・・・き、きゃあー・・・やっちゃん、さすがに壁に穴空いちゃうの見るのはヒくなぁ・・・」

いよいよ本格的にヤバくなってきた。
アパートの外壁には屈めば人が潜れそうなくらいの大きさをした穴が空き、しかもどうやればそうなったのか、その穴から冷蔵庫が生えている。
ニョッキリと、どうだと言わんばかりに、それはもう立派に。
そして下向きになっていた扉が勝手に開き、中の物が地面目掛けて落下していった。
築年数が相当行っていてボロく、また安普請からかかなり薄いとはいえ、今まで家としての体裁を保ってきたそれをブチ破ったくらいだから、
家の中では筆舌に尽くしがたい事態にまで発展しているんだろう。
この上俺が逃げようとしていると知られたら・・・

「竜ちゃん、汗すごいよ・・・恐い?」

「・・・・・・・・・」
160174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:23:31 ID:SM95Xp8B

「だぁいじょうぶぅ、やっちゃんだけはずぅ〜っと一緒にいてあげるから」

「・・・泰子・・・」

人としておかしいとか思って悪かった。
今ほんのちょっとだけでも「唆されたんだ」なんて、捕まった時の言い訳を考えていた自分を心底恥じた。
そうだ、泰子だってあんなに言ってたじゃないか、大河達が落ち着くまでだって。
人生経験はそれなりに豊富なはずの泰子が言うんだから、その言葉を信じよう。
いつもは頼りなくって目も離せないのに、今は頼りがいがって、なんだか泰子じゃないみたいだ。

「だからもう恐くないよね、竜ちゃん」

「おぅ」

「よかったぁ、ならこれからはやっちゃんの言うことはちゃあんと聞いてくれるよね」

「・・・お、おぅ?」

「やっちゃん以外の女の子なんていらないよね、ねぇ竜ちゃん」

「えっと・・・や、泰子・・・?」

「うん? ・・・・・・あ、タクシー来たよ。ほぉらぁ竜ちゃん、行こ行こっ」

何だろう、だんだん誘導されていっていた気がする。
それもとても変な方向に・・・なんか、いつもの泰子じゃないような・・・
だが、深く考える前に俺は泰子の手を握って走り出した。
せっかく積んでおいた荷物もそのままに、タクシーとは逆方向に走り出した俺に泰子が何事か言っているが、
一心不乱に足を動かしていてそれどころじゃない。

(あれはまだ午前中だったから・・・あれからずっと待ってたとしたらかなり怒ってんだろうな・・・そうでなくても怒ってんだろうな、絶対・・・)

あのタクシーは泰子が呼んだものじゃない。
空車じゃなかったし、乗ってる一人が特徴的な格好をしていたから遠目でもすぐ分かった。
メイド服なんて着用してるのなんて、思い当たるのは一人しかいない。
あの光井という子が助手席に乗っていたのが見えた。
タクシー自体が近づいてくるにつれ、後部座席には大橋高校の制服を着た女子生徒二人も。
一体どこでこの家の住所を・・・生徒会の人間が二人もいるんだからやりようはいくらでもあるか。
しかしマズイ、今家には会長が大河と大暴れの真っ最中なはず・・・会長は妹のことを知ってるのか? 知らなかったら・・・
いや、そこはもう問題じゃないな。
遅かれ早かれそうなるだろう、だってあの二人は姉妹なんだから。
それにいつ帰国したのかは定かではないが、北村は今朝、会長を迎えに行っていたから遅刻してきたんだ。
ならその時点では家には居たんだから、既に話は通っているのかもしれない。
会長にありえないことはありえない、とは誰が言ったものだったか。
わりと平気で妹のことも受け入れていそうだ。
でも受け入れるのはあくまで事実だけで、他の諸々までも容認するということはさすがにしないだろう。
簡単に身を引くような人間じゃないんだ。
そうでなかったらあそこまで大河と張り合わない。

「竜ちゃん走るの早い〜、急にどうしたの〜?」

「いいから走れ!」

問題は、俺が表にいるところを目撃されたことだ。
それだけじゃない、泰子を連れて走り出すところまでバッチリと。
アパートの前に置いてきてしまった荷物も合わせて、俺が何をしようとしていたかなんてすぐに感づくはずだ。
それを考えるだけで泣きそうだった。
もちろん恐怖で。
161174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:25:06 ID:SM95Xp8B

「──────ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・・・・・」

「え? え? なに今の、竜ちゃんも聞こえ、きゃん」

「こっちだ!」

聞こえた瞬間、慌てて方向転換して狭い路地に入る。
それでも後ろから迫ってくる何かはスピードを弛める気配がない。
それどころか一段と速くなっていく。
激しいブレーキ音を掻き鳴らして、ゴミ箱やら何やらを吹っ飛ばし、
進入禁止の標識をガン無視して突っ込んできたそれが、背後にどんどん近づいてくる。

「───じぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・・」

「ま、待ってぇ竜ちゃん、踵取れちゃったぁ」

「ああぁもう!」

なんでヒールなんて履いてやがんだこんな時に!
靴を脱ぐ暇ももどかしく、俺は泰子を背負って走り出した。
一人で走るよりも体力がゴッソリ持って行かれるが、止まっていると今にも追いつかれる。
だけどこのままじゃどの道ジリ貧だ。

「りゅうぅぅぅぅぅぅじぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいい!!!!
 止まりなさぁぁぁぁぁい! 止まんなきゃ止まるまで追っかけるわよ、竜児ぃぃぃぃ!!」

チラッと目に入ったカーブミラーには、すぐそこまでさっきのタクシーが迫っていた。
この時にはもう片側のヘッドライトがお釈迦になっていて、それでも残った方のライトを強烈に明滅させている。
道ならいくらでも譲るからやめてくれ、と言っても絶対にやめてくれないだろう、俺が止まるまでは。
そして大河だ、大河。
あいつ、なんて所にいやがるんだ。
言ってることも無茶苦茶だが、やっていることはもっと無茶苦茶だ。
いくらなんでも度が過ぎている。

「どうしてお嫁さんの私に内緒でどっか行っちゃうの! 赤ちゃんだって・・・どうしてよ、ねぇ、竜児!?
 わかった、壁に穴空けちゃったの怒ってんでしょ? あれならちゃんと直すから、だから止まってぇ!! おねがいだから!!」

「そんなことよりも、危ねぇからそっから降りろぉ!」

「そんなこと!? そんなことじゃないもん、 大切なことなだもん! 私たちと、赤ちゃんのことでしょ!? どうしてそんな風に言うのよぉ!」

「そうじゃねぇ! 振り落とされたらどうすんだって言ってんだよ!」

「私が降りたら竜児も止まる? 帰ってくる? またギュってしてくれる?」

「・・・・・・・・・」

「止ぉ! まぁ! れぇええええええええええええええええ!!」

アクション映画のスタントシーンさながらに、大河は車の屋根にしがみ付いていた。
狭い道幅を、制限速度を超過したスピードを屁とも思わず疾走するタクシーは、可能な限り障害物を避けようとして小刻みに揺れていて、
しがみ付いている大河もブンブン揺すられている。
運転手はなんでそんな無茶なことを強要されて止まらないんだ。
違法運転以前の問題だろ。
162174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:26:22 ID:SM95Xp8B

「逢坂さ〜ん、高須くんがおんぶしてるのって、あれ高須くんのお母さんよね〜?
 先生まだご挨拶とかしてないんだけど、こんなことしてて印象悪くしたりしないかしら〜」

「そういやなんでやっちゃんが一緒なのよ!? やっちゃ〜ん、竜児に止まるように言ってぇ〜!」

あの暴走タクシーを運転しているのは独身のようだ。
窓を開け、頭上の大河とやり取りをしているが、二人とも自分の事しか言っていないため噛み合っていない。
持ち主の運転手はどうしたんだ。
・・・お、俺一人を追いかけるために、そこまでするのか・・・? 嘘だろ?

「大河ちゃ〜ん、インコちゃんのことお願いね〜、大家さんにも謝っておいてくれるとやっちゃん助かっちゃう〜」

「ふぇ・・・や、やっちゃん? 今なんて言ったの? よく聞こえなかったんだけど・・・と、とにかく竜児を止めて〜!」

「お店の娘たちにもよろしく言っておいて〜、あとぉ、あんまり真剣に探さなくっていいから〜、ばいばぁ〜い」

「竜児ぃっ!? やっちゃんなに言ってんの!? なんかおかしくない、ねぇ!?」

答えようがない。
俺だって泰子が何を考えてそんなことを言ってるのか、なんて理解できない。
ただ、おかしなことばかり並べ立てているのだけは分かる。
俺はひたすら聞こえないフリをして走り続けた。
思っていたほど泰子は重くはないが、それでも確実に限界は近づいてきている。
いつ足が縺れて転ぶか分からない。
この先の道は大通りに出るはずだから、捕まる可能性も高くなるっていうのに。

「高須くーん! キミはもう包囲されてるんだから大人しく投降しなよ〜! 元気でかわゆい女房子供が待ってるんだよ?
 私、いつまでも待ってるから・・・高須くんがシャバに出てくるまでずっと待ってるから。この子と、一緒に」

大河に変わって櫛枝が声を大にして言う。
包囲もなにもあったもんじゃないが、要は今すぐ逃げるのをやめろ、素直に止まれってことだろう。
刑事ドラマにでもありそうな泣き落としの演出まで用意して、けっこう凝ってるな。
まだ子供も生まれていないし、結婚しているわけじゃないんだから厳密に言えば女房というのも誤りなんだが。
それを口にするとどうなるか分からないほど俺はアホじゃない。

「嫁ほっぽってどこ行こうっていうのよ!? こんなのって・・・ひどいよ・・・今なら怒んないであげるから止まって、高須くん!
 ・・・あの、ていうかさ、まさかこれ、こんな健気で尽くすタイプな亜美ちゃんから逃げてるとか、そういうんじゃないよね? 違うよね?
 もしそうだったら、高須くん・・・亜美ちゃんから逃げられるとかマジで思ってんのかよ、あぁ!?」

今度は川嶋の胸を裂くような懇願と、直後に腹の底から搾り出した怒鳴り声が。
裏表の激しさは時も場所も関係なしに、相変わらず健在だった。
今の今自分の言ったことをよく思い出してほしい。
ちゃんと言ってたよな、怒らないって。
それに尽くすタイプ云々はどこに行ったんだろうな。
世界中探したってあんな女王様な尽くすタイプなんざ居やしねぇだろ、賭けてもいい。
にしてもあのタクシー、大河だけじゃなくて櫛枝と川嶋まで乗っていたのか、って、

「お前らもこんな狭い道でそんな乗り方やめろって!?」

「やめたら私のとこにくる? ずっと一緒にいてくれる?」

「なにバカ言ってんのよ、亜美ちゃんのとこに決まってんじゃない。ね、そうでしょ高須くん?」

「・・・・・・・・・」
163174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:28:08 ID:SM95Xp8B

「高須く〜ん? ゴメン私耳が遠くなっちゃったのかな、今なんて言ったか聞こえなかったの。だからもっかい大きな声でプリーズ。
 ついでに『大好き』とか『愛してる』とか『もう君しか見ない』なんてゆうアレンジが利いてるとなお良しとだけ教えておくよ」

「ねぇ、今のって怒ってる亜美ちゃんの方がいいってゆーフリだったりする? ちょっとMっ気あるんじゃないの、高須くん。
 ・・・いいよ、そういうの亜美ちゃんが全部受け止めてあげちゃうから、嫁として。むしろ高須くんも知らない高須くんを受け入れさせてあげる」

櫛枝の耳は遠くなってなんかないぞ、気にしなくっていいし、俺は何も言ってないからもう一回、というのは聞けない頼みだ。
それにアドリブも苦手なんだ、そういうセリフが臆面もなく言えたら今こんなことにはなっていない。
川嶋もそんな誤解を招くようなことを言わないでくれ、俺にそんなシュミはないし、知らないものは知らないままでいたい。
だからそんな鼻息を荒くする演技なんてしなくっていいから・・・演技だよな? それ。
本気でそんな危険な世界へ行ったりしないよな、川嶋。
面と向かって確かめる勇気は、そもそもからして逃げる俺になんてあるわけがなかった。
大河、櫛枝、川嶋と、背中に突き刺さる三対の視線は泰子を突き抜け、背中にビタッと照準を合わせられている。
後部座席のウインドウから身を乗り出し、俗に言うハコ乗り状態の櫛枝と川嶋。
車一台が通れる程度の路地だと、運転手が少しでもハンドル操作をミスしただけで大惨事だ。
これだけも警察に見つかれば大目玉なのに、屋根にしがみつく大河と併せたら、独身は免停じゃ済まないかもしれない。
危険行為極まる。万が一があったらどうするんだ、一人の体じゃないんだぞ。
だから、頼むから一刻も早く停まってくれ。
俺は止まれないけど。
・・・我ながら最低だ。

「竜ちゃん、まえっまえぇ!」

突然泰子が大声を張り上げる。
今度は何だ。
いや、違うな、今度は誰だ。
もう簡単なことじゃ驚ける気がしない。
なにがやってこようとこれ以上度肝を抜かれる事態にはなりはしないだろう。
そう思っていたが、そいつらは予想の斜め上を突き破っていた。

「こんな所にいたのか高須ぅぅぅぅぅううううう!!」

「街中探しましたよ!」

一体誰だろう、あいつらは。
いくら俺が不良やヤンキーに間違われるからって、知り合いにノーヘルでバイクに二人乗りする奴なんていない。
運転しているのが見覚えのあるメガネをかけているが、金髪で素肌に革ジャンという格好をするような奴じゃない。
タンデムしている方も、なんだか不幸そうな面構えをしているが運転してるソフトマッチョと同じで髪をまッキンキンに染めている。
妙に長くて角度のついたロケットカウルと三段シートと日の丸ペイントのタンクが目を引く、ちょっとクラシカルなバイクに乗っていても何の違和感もない。

「俺はお前のせいで死にかけたんだぞ!? なのにお前ときたら・・・この野郎、この野郎! この野郎おおおおおおおお!!」

そのわりにはケガらしいケガが見当たらない。
あれだけボロボロにされ、窓から落とされ、落ちてきた俺と大河のクッションにまでなったというのに、北村はピンピンしている。
にわかには信じられない、正直死んでもおかしくないようなダメージはいくつも貰っていた。
肉体的な意味でもそうだが、それ以上に精神的なものの方が遥かに北村には堪えているはずだ。
なのに、北村はとても満身創痍には見えない。
むしろレンズ越しに爛々と輝く双眸はやる気に満ちていて、全身からも並々ならぬ活力が漲っていて靄でも立ち上っているようだ。
その靄の色がドブ水みたいにどす黒く濁りまくっているように思えてならないのは何でなんだ。
164174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:29:12 ID:SM95Xp8B

「幸せを奪われた人間はどうなると思います? ・・・あんたも道連れにしてやる・・・俺と一緒に不幸になれえええええ!!」

こっちの方は逆にやつれまくってはいるが、北村と似たような、しかし厚みは段違いな負のオーラをそこいら中に放っている。
今朝会った時よりも不幸っぷりに磨きがかかっており、俺が寝ている間にどんな不幸が舞い降りたのかが端的ながら察せられる。
至って普通な、どちらかというと大人しそうでもあった後輩の劇的な変貌に戦慄すら覚えた。
そういうヤツがキレると何しでかすか分からなくって一番ヤバイっていうのは本当なんだな。
だって釘らしきものがぶっ刺さっているバットみたいなもんを手にしてるんだぞ。
それで俺をどうするのかも気になるが、そのバットがメタリックな鈍い光沢を放っているのがどうにも気にかかる。
しかも釘の尖端部分が飛び出してるのは一体なにをどうやったんだ、打ち抜いたのか?
・・・あれでも生徒会長と生徒会役員なんだよな・・・面影なんてもう微塵も残っちゃいないけど。

「そこを動くなよ高須、お前も俺と同じ目に遭ってもらうからな!」

「ちゃんと往生してくださいよ!」

大橋高校が誇る失恋大明神と疫病神が手を組み、前方から特攻してきた。
一層の唸りを上げるエンジン音。一気に加速し、疾駆する車体。
その後部では振りかぶられた、直撃したら痛みを感じる間もなくこの世の場外まで吹っ飛ばしてくれるだろうバットの形と名を借りた凶器。

「北村ぁ!」

「幸太くん!」

前門の虎、校門の狼よろしく一本道で挟み撃ちをされ、逃げ場がない。
このままじゃ後ろから迫り来るタクシーに轢かれるか、前からバイクに撥ねられるという時。
会長の凛とした声と、そしてもう一人の悲鳴が狭い路地に木霊する。
ゴムが焼ける鼻につく臭いと、鼓膜が破れるような甲高い音を立て、道路にくっきりとタイヤ痕を残して、北村の運転するバイクが急停止した。
その隙に横をすり抜ける。

「な・・・会長!? ど、どこから・・・・・・」

北村が動揺している。
振り返ると、停車したタクシーの助手席の窓からちょうど狩野の兄貴が身を乗り出すところだった。
狩野の妹は兄貴の両足を抱えて、窓から顔を出している。
さっきは分からなかったが、後部座席にもまだ誰か座っている。
あれは・・・木原と香椎か。
この分じゃあトランクに押し込められているヤツもいるだろう。

「なにやってんだ北村、テメェ死にてぇのか! ・・・お前にもしものことがあったら私は・・・」

「か、会長・・・すみませんでした、俺・・・そんな、会長にそこまで・・・」

先ほどの威勢はどこへやら、バイクから飛び降り駆け足で会長の下まで来ると、北村は自分の行いを心の底から悔やんだ。
会長も厳しい言葉の中に、なにやら思わせぶりなものを見え隠れさせている。
こうしていると在りし日の、まだ会長が会長で、北村が副会長だった頃のようだ。
ヤンキーそのものな格好をしていながら頭を下げて反省している北村と、車窓から飛び出している会長という図はかなり奇抜で、
事情を知らない者が目にしたら北村は何か問題を起こした下っ端で、会長は女だてらにあんな不良そうな外見をした男を従える、
もっとおっかない存在に映るかもな。
あながち間違ってもいないのと、どちらにしろ人の上に立っているというのがとても会長らしい。

「だめだよ幸太くん! いっつもケガしてるのに、そんなカッコでバイクになんて・・・心配、させないで・・・」

「さ、さくらちゃん・・・ごめん・・・」
165174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:30:26 ID:SM95Xp8B

こちらはこちらで甘酸っぱい青春の一ページを覗いているみたいだ。
それに心配されているというのが富家にとっては非常に嬉しかったらしい。
毒気が抜けたように、触れたら憑いてきそうな怨霊みたいな何かが霧散する。
後ろ手に隠していた凶悪なバットも覚られぬよう投げ捨てた。
あの二人がいる限り、北村も富家ももうあんな危ないマネはしそうにない。
図らずも会長たちに助けられた。

「わかりゃいいんだよ、わかりゃ・・・ホラ、今度はちゃんとそれ被ってけ」

会長はスッと伸ばして指で、北村がどこかの誰かから拝借してきた派手なバイクを差す。
その先には、使われなくとも一応はくっついていたヘルメット。

「竜児を頼んだぞ、北村。必ず生け捕りにしろよ、じゃねぇと私がお前をぶっ殺すからな。わかったらさっさと行け」

「はい! 命に代えても高須を生け捕りにします!」

それをしっかりと被った北村は、決して穏やかではない会長の言葉を真剣な面持ちで復唱した。
満足気によし、と会長が頷く。
おかしい、俺の記憶がたしかなら会長は北村のことを邪魔者扱いまでしていたんだが。
ああ、けどそういえば使えるものは何でも使うみたいなことも言ってたっけな、さっき。
本当に臨機応変で有言実行な人だ、目的のためには手段を選ばないってのはああいうのを指すんだろう。
なんていう男らしさなんだ。
とてもじゃないが教室内で垣間見せた、あの乙女みたいな仕草や表情が信じられない。
それすらも計算でやっていたんじゃないのかと、そんな疑惑がごく自然に首をもたげる。
そんな会長にいいように使われている北村は・・・あれはあれで幸せそうだから放っておこう。
迂闊に近寄れば生け捕られる。

「気をつけてね・・・じゃあ、がんばって幸太くん! 高須先輩のことお願い!」

「ありがとうさくらちゃん。俺がんばるよ、さくらちゃんのために」

会長は言うに及ばず、妹の方も約一名に非常によく利く人心掌握術みたいなものを心得ていたらしい。
姉仕込みだろうか。それじゃあ強力なわけだ。
思惑通りに、まんまと狩野姉妹の手先と化した北村達が颯爽とバイクに跨ると、アクセルをガンガンに吹かし、
タクシーを先導するように走り出した。
ラッパ管が奏でるけたたましい爆音が、追いかけっこ再開の合図みたいだ。
ヘルメットを被っただけで、あいつらがやる事は大して変わってないじゃないか。
とりあえずの危機は脱したが、追っ手が増えただけで何の解決にもなっていない。
状況は悪化の一途を辿るのみで、時間だけがいたずらに過ぎていく。
体力の限界なんてとうに迎えていた。
だが、それでも、止まりそうになる足に鞭を打つ。楽になりたいと泣き言をほざく肺に問答無用で酸素を送り込む。
捕まろうものなら何をされるか分からない。
だというのに、考えたくないのに脳裏を過ぎるその場合の映像。
言葉では言い表せないが、ただただ滝みたいに肌を流れ落ちる汗がいやに冷たくてベタベタする。
そうこうする内、路地を突っ切り、大通りへと入ってしまった。
左右を見回すも、歩道にはそれなりに通行人がいる。
迷っている間にも着々と大河たちは距離を詰めてくる。
勢いに任せ、信号も、横断歩道も何もない車線を突っ切った。
飛び出してきた俺に向かっていくつもクラクションや「死にてぇのか!」なんていう罵声が飛んでくるが、あそこで止まれば本気で死んじまう。
冗談じゃなくそんな予感がしたんだ。
肝が冷えたが無事渡りきれた、これで少しは時間が、
166174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:31:53 ID:SM95Xp8B

「高須くーん、待ってちょうだーい。先生の言うこときかないイケナイ子はお仕置きするわよー」

全然稼げてねぇ。
クソ、なんだってそう地味にハイスペックなんだよ。
あのタクシーは走っていようと止まっていようと関係なく、車と車の間をスルスルと縫うようにすり抜けて、
何の苦も無くこちらに向かってきていた。
小回りが利くはずの、北村の駆るバイクの方が四苦八苦している。
誤って反対車線にはみ出してしまったちょうどその時、不運にも前方から来たトラックと追突までした。
それなのに、大河達の乗るタクシーは楽々という感じに走行している。
ドライバーの意外な特技と取るべきか、この機をなにがなんでも、それこそ何をしようとも絶対に手放さないという怨念じみた執念のなせる技か。
前者であってほしい。
そうじゃなかったら、教師という立場までかなぐり捨ててまで、妊娠発覚と結婚とを直線で結ぶほどに積もり積もった結婚願望とその期待が、
俺の首根っこを鷲掴みにしようと忍び寄る幻覚さえ見えそうだ。
応えられる気がしない、荷が重すぎて。
決死の思いで行った交通違反は無駄に終わった。
反対側の歩道に入っただけで、別の、どこか入り組んだ道に入ろうにも、ゾロゾロと下校途中の学生がそれを阻む。
うちの高校の生徒だ。
一限の真っ只中で窓から落ちてった俺のことは、もうどの学年にも知れ渡っているらしい。
どいつもこいつも俺がこんな所にいるのが信じられないという顔をしている。
その原因となった騒動も行き届いてるな、この様子じゃあ。
そう理解した瞬間、帰る場所も、学校での居場所もいっぺんに消えたことを思い知らされた。

「あん? 高っちゃん? おーい、高っちゃーん」

「よ、よく無事だったな・・・俺、てっきりもう・・・」

と、通りの向こう、人波を割ってこっちに近づいてくる影が二つ。
出てきたのは春田だった。隣には目を見開く能登を連れている。
てっきりって何だ。

「なぁなぁ、あの後大変だったんだよ、落ちてったまま動かねぇ高っちゃんをタイガーが掻っ攫ってってさぁ。
 みんなしてそれ追っかけてっちゃうし、北村なんか救急車で運ばれてったんだぜ。
 しかもその後だってもう引っ切りなしに何があったのか聞かれまくってて授業どころじゃなかったしよ、俺らだってわけわかんねーのに」

「それにタイガーがなんか、私たちは赤ちゃんもいるしもうすぐ結婚するの、だからほっといてって校舎に向かって宣言までしてたから、
 だからもう高須はタイガーと駆け落ちでもしたんじゃないかって、学校じゃあその話題で持ちきりだったよ」

そんな事があったのか。
やっぱり何があったか、おおよそは学校にいたならば知られているのか。
しかも広めたのは大河自身。
もうもみ消せるわけがない。
それに救急車って、北村、本当に大丈夫なのかよ。
いくらヘルメットを被ってたって、ものには限度があるだろ。
今頃また搬送されてるんじゃないのか、富家も一緒に。

「・・・あれ? そういや高っちゃん何してんの、こんなとこでって、あっ、ちょ」

春田がそう声をかけてくるも、これ以上立ち止まってる暇も、説明している暇もないと、無言で走り出した。

「おーーーい、高っちゃ〜〜〜ん!? ・・・たく、なんだよ、シカトすることねぇじゃ」

「どきなさぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜い!!」

気を付けろとか、ここは危ないとか、早く逃げろとか、今までありがとうとか。
なんでもいい、せめてなにか、一言でいいから、春田に言っておくべきだったと後悔した。
先に立たないものを悔やむ時間すら惜しい俺には、人懐こい笑顔を浮かべていた春田を心の中で思い出す以外どうすることもできなかった。

「春田!? 春田ぁぁぁ!?」
167174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:33:12 ID:SM95Xp8B

一切しなかったブレーキ音と、代わりに何か相当な質量をしたモノが吹っ飛んでいく音と、そして能登の悲痛な叫び声。
それらが全てを物語っている。
これ以上の犠牲者はシャレにならないと、咄嗟に目に付いた建物に入った。
汗だくで息も絶え絶え、なにより泰子を背負っている怪しさ満点の俺を受付の係員が不審がるが、目を合わせると黙る。
ついでにどこか隠れられそうな所は無いかと尋ねた。
かなり迷惑そうな顔をされたが、ズイっと近づくと態度が軟化する。

通された、というか、怯えた受付に指示された通りに歩を進めていった先は随分と広い部屋だった。
いや、部屋というよりは天井も高いし、小さなホールと言った方がしっくりくる。
内装も白を基調にしたもので、柔らかい中にも清楚な雰囲気を醸し出している。
飾られた花も強く自己主張せず、室内に上手く溶け込み彩を与えている。
重厚なパイプオルガンの存在感が一際目を引く。
並べられた長椅子が右手側と左手側にそれぞれ対になるよういくつも並べられ、その真ん中は通路となっていた。
チリ一つとしてない赤い絨毯が真っ直ぐ布かれたその先には───

「こういうことだったの・・・も、もぉ・・・それならそうってちゃんと言いなさいよね、ビックリしちゃったじゃない」

世界一有名な人物を模した、厳かなステンドグラス。

「ほへー・・・初めて入ったけど、やっぱスゴイんだね・・・実はさ、こんなのってけっこー憧れてたんだけど、その・・・なんか照れちゃうな」

「亜美ちゃんならもっと良いトコ押さえられっけど・・・まぁ、高須くんがいいっていうんならここでもいいかな」

そこから差し込む光が、手前に供えられた十字架と祭壇をより神聖に、神秘的に飾り立てている。

「奈々子、こっからはもう出し抜こうとかナシだからね」

「いいわよ、でも・・・先に謝っておくわ。ごめんね、麻耶。年賀状くらいは出してね? 旧姓で、なんて嫌がらせしたら怒るわよ」

「お父さん、お母さん・・・人よりほんのちょっと時間かかっちゃったけど・・・私、今から幸せになるから・・・やだ、本気で泣きそう」

天井からは電球色の落ち着いた明かりを、見栄えは豪華なシャンデリアが灯している。

「私は神前式が理想だったんだが」

「だったらお姉ちゃんは神社にでも行ってきなよ、一人で」

「知ってますか? 引く所で引く、合わせる所で合わせるのが家内の鏡だそうですよ? ・・・失礼ですが、会長にはあまりそういうのは似合わないかと・・・」

「た、高須先輩、この中でなら私が一番尽くすタイプです、絶対そうです」

ここが、この空間が何をするためにしつらえられた場所なのかを把握する頃には手遅れだった。
俺と泰子が入っていくらも立たず背後から声がかけられる。
唯一の出入り口は大河を中心に、横一列に並んだ櫛枝や川嶋達によって封鎖が完了していた。
荒らされ尽くした我が家を考えると、篭城を選んだ時点で結果は目に見えていると思わないこともなかったが、
春田という犠牲を出してしまった以上最早他にどうしようもなく、しかも逃げ込んだ先は皮肉にも愛を確かめ合い、神様に報告するあそこ。
懺悔室送りにされた方がまだマシだ。
きっといない、いたとしても俺を嫌っているに違いない神様は迷惑がるだろうが、知ったこっちゃないし、それにあれは個室なんだろう。
同じ神様の前だっていっても、たとえ逃げられなくても、こことじゃ天と地ほどの差がある。
セレモニー的な色合いが濃いとはいえ、それでも今俺が立っているのが特別な場所には違いない。
それは大河も例外ではないらしく、しかも俺が故意にここへと連れてきたみたいなことをうっとりとしながらのたまっている。
他の面々も似たり寄ったりの反応を返している。
櫛枝は感心混じりに照れて、川嶋も文句を垂れながらもその顔は満更でもなさそうだ。
ウェディングチャペルっていうのは女性に対しては凄まじい効果があるらしい。
偶然ここに、なんて誰も信じちゃくれないほどに蕩けた顔ばかりだ。
内一名なんてあれだけ拘っていたのも忘れ、祝福する側から、念願の祝福される側に立てたことに涙ぐんでいる。
168174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:35:06 ID:SM95Xp8B

「わぁ・・・わぁ〜」

お前もかよ。
おぶさっている泰子が歓声を上げる。
背中から降りると踵の折れたヒールを脱ぎ捨て、夢遊病患者みたいなフラフラとした危なっかしい足取りで歩き回る。
そのくせ目だけはキラキラしていた。
あいつ、何気にこういうのに憧れてたのか。意外だ。
それにしてもマズい。

「あの・・・た、大河、ちょっといいか」

もう何が誤解かすら分からないくらい積み重なった誤解を、少しでいいから解かなくては。
・・・一気に崩れたとき、そこに転がってるのは物言わぬ俺・・・あ、悪寒と鳥肌がいっぺんに。
しかし、一度生まれた誤解は呼び水にでもなっているのか、新たな誤解を招き続ける。

「なぁに、そんな改まって・・・ああ、あれね、あれ。ここにはいけ好かないのしかいないし、神父もいないけど・・・まぁいいわ。
 赤ちゃんだけはママとパパをお祝いしてくれるもの、そうよね?」

誓いの言葉をかけてくれるもんだと、そう信じて疑わない大河が歩み寄ってくる。

「・・・ん」

いや、違った。
誓いの言葉もすっ飛ばし、大河は爪先立ちになり、頤を上げた。
そして最後に潤んだ瞳をそうっと瞑る。
何を待っているかなんて考えずとも分かる。

「ちがっ、そうじゃ」

「なにも言わないで。全部わかってるから」

全っ然分かってねぇよ。
お前は俺の言いたいことなんて毛先ほども分かっちゃいねぇ。

「あ、でも、そうね、これからはホントの夫婦になるんだもん、お互いの気持ちがきちんと伝わってなきゃだめよね。
 私だけなんでもわかってたってしょうがないわ」

こいつのパパだのママだの夫婦だの、要は家族とかそういう類のものに対する観念はどこで培われたんだ。
一度問い詰めたい気がするが、果たしてそれまで俺の首は胴体と繋がっていられるのか。

「だから、今度は私の番。聞いて、竜児」

空気がガラリと変わったのを肌で感じた。
それまで薄く笑みを浮かべていた大河。
しかし、微かに翳りが覆う。

「・・・竜児が赤ちゃんの父親は誰だって言ったとき、すごく悲しかった」

その時、その瞬間を思い出しているんだろうか。
広がる翳りは留まらず、ついには大河全体を覆いつくす。

「嬉しかったから・・・何度も何度も確かめて、夢じゃないって、ホントなんだって・・・私、本当に嬉しかった・・・けど・・・」

口にすれば、誰かに話せば楽になるものと、そうでないものがあって、大河が口にしているのはそうでないもの以外のなにものでもない。
苦悶に歪む顔は、そう悟らせるに十分な力を持っていた。
それでも、独白は続く。
169174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:36:09 ID:SM95Xp8B

「嫌われたって思った・・・喜んでくれる、竜児ならきっと・・・そうじゃなかったらって思うと怖くて、そんなの絶対ないって、
 信じたかったのに・・・あんなこと言う竜児がわかんなくなって、遠くに行っちゃったみたいで・・・
 いっそのこと、竜児のことなんてキライになれればいいのにって、そう思ったりもした」

大河が俺の手を取る。
そしてゆっくり、自分の方へ。

「でも、できなかった」

引かれていった手は、軽く握っていた。
それを、一本一本解くように、大河は丁寧に開いていく。
瞑っていた瞳も。

「竜児がいなくちゃ、なにもできないの」

瞼が上がりきり、抑えられていた雫がこぼれて頬を濡らす。
無意識に、空いていた手で拭う。

「竜児をキライになることも、竜児を諦めることもできない。なのに、竜児の傍にいるとそんな気持ちもどっかいっちゃう」

手の平に感じたのは制服の厚い生地、シャツの手触り。
奥へ奥へと押し付けられていくと、温もりと、柔らかな感触。
昨日と同じように、けれど昨日よりもほんの少し、だけど確かに大きくなっていく赤ん坊を宿した大事な部分を撫でる。

「だめになっちゃった、竜児と一緒じゃなきゃ」

その手に、大河の手が重ねられた。
両手で包みこむように、しっかり。

「・・・ねぇ、竜児・・・ここにね、赤ちゃんがいるの・・・あんたの・・・竜児と私の赤ちゃんなの・・・」

昨夜のやり取りをなぞる大河。
紡ぐ言葉もそのままで、押し当てた手に伝わってくる体温と、柔らかさもそうだ。
胎動は、きっとまだ始まってもいないんだろうけど、大河の鼓動と一緒にそれも伝わってくるようで。

「大切な・・・竜児と私の赤ちゃん・・・私一人じゃ、ママだけじゃなにもしてあげられない・・・だから、パパが、竜児が一緒じゃないとだめなの」

なぞる言葉に繋いだ新しい言葉には、紛れもない大河の本心があった。

「竜児が一緒にいてくれればなんでもしてあげられる。竜児も、赤ちゃんも守れるママになれる。
 だって傍にいてくれるだけで竜児が守ってくれてるんだもん。私も、赤ちゃんのことも」

重ね合わせた互いの手と手。
力が篭り、撫でるようには動かせず、当てがったままになる。
大河が深く静かに息を吸う。

「私は・・・私は、好きなの・・・竜児を、竜児が・・・大好き」

そこで区切り、もう一度爪先立ちに。
腹部に当てていた手が引っ張られ、たたらを踏むまいと前のめりになる。
目線が合う位置にまで頭が下がっていったとき、瞼は既に閉じられていた。

「愛してる」

唇が離れ様、そう囁く。
コマ送りのように少しずつ離れていく大河は今まで見た中で一番幸せそうな笑顔を輝かせていて、
170174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:38:08 ID:SM95Xp8B

「私もだよ、高須くん」

「あたしだってそうだからね」

「「 だからちょっとだけ待っててね、話つけてくるから 」」

今度は早送りみたいに物凄い勢いで離れていった。
櫛枝と川嶋の手によって。

「しつっこいわね・・・みのりんもばかちーも、もういいでしょ。
 ここはもう幸せな私たちを涙で見送ってお終いっていう流れじゃない、邪魔しないで」

「べつに私もその流れはぜんぜん賛成だよ。もちろん大河も幸せな私と高須くんを見送ってくれるんだよね、しんゆー代表として」

「邪魔なのはテメェだっつーの。さらりと自分だけ幸せになろうとか、そんなのがまかり通ると思ってんの? 亜美ちゃん以外で。
 ていうかあんたら全員邪魔だからどっか行っててくんない、亜美ちゃんロマンチックに神様しか見てないとこで誓い合いたいから」

俺から少し距離をとると、櫛枝と川嶋は大河に詰め寄る。
今の一連の出来事がよっぽど腹に据えかねるものだったらしい、後ろに控えていた面々もジワジワ近づいてきて大河を取り囲む。
周囲を固められた大河だが一歩も引かず、逆に余裕を滲ませた目で周りを見渡す。
それが余計に櫛枝たちをイラつかせると知ってて、敢えて。
愛を誓い合った、誓いのキスも済ませた。
私たちはこれで立派な夫婦なのよ、文句があるならかかってきなさいとでも言わんばかりの態度だ。
大河の中では勝敗は決したらしい。もちろん勝者は大河ただ一人で、残る全員はただの敗者。
フンッと鼻で笑い、胸の前で腕を組むいつもの不遜なポーズで、本来なら最も低い身長でありながらこの場にいる全員を見下ろす。
真っ青になっているだろう俺以外、顔を険しくさせない者はいなかった。
櫛枝は表情筋をビクビクと痙攣させた、もはやお約束の青筋が縦横に走ったぎこちない笑顔。
心底胸糞悪いという内心を一切隠そうとしない川嶋は、蔑みを込めた冷たい目を大河に、そして他の者にも向ける。
木原と香椎は珍しく大河相手にもキツい言葉を並べ立て、会長の妹と生徒会の女子生徒もそれに乗る。
驚いたことに、一見物静かなメイドそのものである光井という子も、真っ赤になって抗議を上げている。
独身なんて、あれもう泣いてるんじゃないのか?
熱が篭るにつれ、次第に責め立てる声が大きなものになっていくが、しかし大河はそんなものどこ吹く風。

「負け犬が寄ってたかって遠吠えなんてしたってみっともないだけよ」

と、本人にその気があってやっているのかなんて知りはしないが、更なる挑発までかます。
一様に口を閉ざした櫛枝達、一転して達静まり返り、凍りつく場の空気。
だが、それも長くは続かなかった。
にわかに大気が震えだす。どこからともなく地響きまで。
プチッ、なんて生易しい物ではなく、例えるとしたらきっとブヂリィッ! という、こんな感じだろう。
切ってはいけない最後の一線が、捻じりに捻って引き千切られた野太い音は。

「なんだよそれ! みっともないって、ズルばっかして私から高須くん盗ろうとする大河の方がよっぽどみっともないよ!」

「言ったわね!? 亜美ちゃんまだ負けてねぇけど、その負け犬に吠え面かかされたって泣くなよテメェ!」

「私ズルなんてしてないもん! 竜児を盗ろうとしてるのだってみのりんの方じゃない!
 ばかちーこそなによ、自分が泣きそうだからって強がり言って! それがみっともないっつってんのよ、このまけちー!」

櫛枝と川嶋、そして大河を皮切りに、場内に怒号が犇き合う。
厳かで神秘的なはずの空間は、本来そうであるべきなのに、口が裂けても幸せに満ちているなんて言えない修羅場へ。
中心に大河を据え、円を描くように囲む櫛枝達。
額と額をぶつけ合うほどの至近距離で飛び交う言葉はどれもこれもが一触即発を容易に踏み越えるものであり、
取っ組み合いにならないのが不思議なくらいだ。
なったとして、止める術なんてないんだが。
そんな中、最初から一人輪に加わらないでいた人物が、足音も立てずにこちらへとやって来る。
171174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:39:07 ID:SM95Xp8B

「あいつの後というのが癪だが、まぁいい。こういうのは順番よりも気持ちの方が大事だからな」

どんなことがあろうと、最後に勝つのは私だ。
会長がにじり寄ってくるに従って、そういう考えがひしひし伝わってくる。
ものの数秒も経たず会長はあと半歩というところまで歩いてきた。
だが、そこで立ち止まると、何故か頬が赤く染まる。
心なしか肩もふるふる震えているように見受けられるし、右に左に瞳が揺れる。
おもむろに手が伸び、胸ポケットをまさぐると、するすると白い布状のものを取り出した。
いつ、どんな時でも唯我独尊で、毅然としているのが会長だろ。
なのになんでそんな、その辺の長椅子か燭台から取ってきたようなレースをベールに見立てて被るんだ。
この場に合わせてそんなことするなんてらしくないし、やってて照れるんならムリにすることはないじゃないか。

「ど、どうした、早くしろ・・・これでも恥ずかしいんだ」

なにをすればいいんだろう、医者でも呼べばいいのか。
薄いレースの向こう、熱に浮かされたようなぼうっとした顔で見上げられ、何をすればいいのかも分からないのに急かされる。
その上半歩分あった距離も、踏み出した会長が潰す。
大河ほど極端な差はないにしろ俺の方が背は高い。
会長も首をしっかり上に向けないため、見上げられるとなると必然、上目遣いの形に。
潤んだ瞳にはうちのベランダで大河と一騎打ちをしていた際の男らしさはすっかり消えてしまっている。
何度見ても慣れないし慣れる気がしない、本気で会長じゃないみたいだ。
誰だ、会長の乙女スイッチを押したヤツは。

「・・・こんなことまで私からさせるのか?」

まったく、世話が焼ける、と。
呆れた口調とは裏腹に、会長は自分でレースの前を捲った。
積極性までは失っていないらしい、この人を嫁に貰ったヤツは尻に敷かれるだけでなく、一生会長の背中を見て過ごす気がする。
いや、貰われていくのか、会長に。
先を歩くだけでなく、手綱をしっかり握る会長がありありと浮かぶ。
浮気なんてする気にもさせそうにない会長の亭主関白ぶりが様になりすぎていて、

「あの・・・か、会長」

だというのに今ここで一番花嫁してるのは他の誰でもない、会長じゃないか。
冗談でも新郎、なんて茶化せない新婦ぶりに目が眩む。
神前式派じゃなかったのか、たしかさっきそう言ってたよな。
話題をそっちに逸らしてみようかとしてみたが、口元に人差し指が立てられ、その先を遮られる。

「ばか、こういうときは名前で呼ぶんだよ・・・いや、ちょっと違うな」

滅多にないんじゃないのか、会長が一度口にした発言を撤回するなんて。

「これからは、だな・・・竜児・・・」

右腕が首に、左腕が腰に回される。
密着すると会長は気持ち背伸びをする。

「なにしてんのよそこぉっ!」

「おりゃ──────!」

「ちょっと目ぇ離すとこれかよチクショウ!」

飛んできた。
そんな表現ではなく、大河と櫛枝、川嶋は本当にここまで飛んできた。
北村を叩き伏せたとき同様の抜群の連携を発揮し、勢いそのままに会長を引っぺがす。
しかし、当然ながら会長は北村とは違うし、北村より一枚も二枚も上手だ。
引っぺがすことには成功したが、引き離すということまではできず、会長は二、三歩後ずさるとすぐに体勢を立て直す。
172174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:40:32 ID:SM95Xp8B

「みのりん!」

「あいさ!」

だが、それも織り込み済みだったらしい、体勢を立て直す際の一瞬の隙を突き、櫛枝が会長を羽交い絞めにした。
穏やかに事を運ぶ気なんてこれっぽっちもないだろう大河が並ぶ椅子に手をかける。
やめろ、そんな本気で重そうなもん持ち上げようとしたりするんじゃない。
その血走った目も引っ込めてくれ、恐ぇよ。
しかもその椅子の脚が若干浮いてて、持ち上げられないことはなさそうだというのが余計に恐い。
あと少しというところで邪魔をされてすこぶる機嫌を損ねているが、それでも会長は慌てず騒がず、櫛枝に知らせる。

「おい、あいつはいいのか」

「へっへーん、そんなカビくっさい手には引っかからないってあああぁっ!? 大河、あっち!」

即座に会長の戒めを解いた櫛枝が驚く大河に後ろを見るよう指を差す。
振り返ってそれを見るや、舌打ちを一つした大河がダッシュで俺の元へ。

「高須くん、これからは亜美ちゃんだけ見てよね、約束したよ。幸せになろうね、あたしと、この子と」

無理だ、少なくとも前半の約束は守れそうにない。
だって言いきった直後、川嶋は突っ込んできた大河共々俺の視界の外へと転がっていった。
だけど川嶋に継ぎ、会長から剥ぎ取ったレースを頭に乗せた櫛枝の姿が。

「病める時も健やかなる時も、死が二人を別ったって愛を誓い続けます・・・今の、私は絶対守るよ。神様だけじゃなくて、この子に誓って」

だから俺にも誓ってくれと、そう続けるつもりだったんだろう。
けれど櫛枝がその言葉を俺に誓わせることはなく、背後から突然伸びてきた手によって後方へ追いやられる。
入れ違いに前に出てきたのは木原と香椎だった。

「あたしさ、亜美ちゃんみたく可愛くないし、奈々子ほど胸もなくて、自慢できることだって、取柄だって・・・だけど、これだけは譲りたくないよ」

「人のこと胸しか取柄がないみたいな言い方が引っかかるけど、奇遇ね、あたしもそのつもりよ高須くん」

「ちょっと、いいとこで邪魔とかしないでくんない、しかも人のセリフに便乗までして。奈々子ってマジで黒すぎにもほどがあるよ、お腹」

「あらごめんなさい。でも麻耶こそ、お邪魔だってわかんないのかしらね」

俺が一番木原と香椎の仲を邪魔してそうだからどっか行ってようか。
数瞬お互いを横目で見合った二人だが、その隙間を割って会長の妹と生徒会の女子が現れた。

「お姉ちゃんのこととかずっと待ってたのになんで来てくれなかったんですかとかいろいろ聞きたいことはあるけど、
 今一番聞きたい言葉って、高須先輩ならなんだかわかりますよね」

「・・・きちんと取ってくれますよね、責任」

と、そこに左手側から滑り込んできたメイド。
ふわりと翻ったスカートを両手で押さえると、今度はその手を胸の前、まるで祈りでも捧げるように組む。

「た、高須先輩、わた、私・・・だ、抱いてください!」

抱きしめてじゃないのかよ、それじゃ別の意味で捉えられちまうだろ。
焦りと極度の緊張で噛み噛みだった下級生メイドの爆弾発言は、口にした本人諸共周囲にいた木原達を吹き飛ばした。
いや、実際にそうなったのは別の人間のせいなんだが。
173174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:42:07 ID:SM95Xp8B

「経済的余裕のない内から結婚なんて早い早すぎるわ絶対にダメよたとえ保護者の方が許しても私が許しません許さないわよ許すもんですか許さないったら許さないんだから。
 結婚というものはね、理想を追求するだけじゃなくて現実に向き合えるだけの然るべき生活力がないと許されないの、してはいけないのよ。
 冗談でも愛さえあればやってけるなんて甘ったれないでね、そんなの現実の問題から逃げる言い訳にすぎないわ。
 私べつに僻んでるとか妬んでるんじゃなくって心配してあげてるんですよ、教育者として。間違ったことだって言ってないでしょう?」

たしかにそれは正論かもしれないけど、含むものが全く無いって言ったらそれは嘘だろ。

「その点先生は社会的信用の高い公務員、それも教師ですし、自慢じゃないけど蓄えもかなりありますし、あと最近資産運用にも・・・それは置いといて。
 ともかく逢坂さんたちみたいなただわっけーだけのお子様と違って自立した立派な大人ですから。
 誰憚ることなく一緒にいたい人といられますし、もちろんそれを支えられるだけの余裕はあります。
 第一授かりものだって・・・ねぇ高須くん、名前はどんなのがいいかしら? 一姫二太郎じゃないけど、先生はじめは女の子がいいなって、どうかな?」

どうって、なにがだ。
そんなのそれこそ授かりものなんだから産む側が決められるもんじゃないだろ、同意を求められても困る。

「いい加減にしろおおっ! なんなのよあんた達、ホントになんべん言ったらわかんのよ!?」

いきなり影が落ちてきたと思ったら、そんな叫びが広い場内に響き渡る。

「いいわ、いいわよ、何度でも言う! あんた達がわかるまで、何度だって!」

声のしたほうへと目を向ければ、そこには祭壇の上に仁王立ちした大河。
ステンドグラスを背にし、祝福されたかのように、注ぐ光を体中に浴びている。

「竜児は、私のだあああああああ!!」

叫び、足場にしていた祭壇から飛び降りた。
神々しく照らされた大河がなんだか空から降りてきた天使みたいだと、場違いにも見とれてしまった。
天使がそんな罰当たりなマネも、近くにいる人間を手当たり次第に蹴散らすなんてことも、天に召されたってしないだろうけどな。

「た、大河、もうその辺で・・・」

「竜児」

手を止める大河。小さく肩で息をしている。

「竜児からも言ってやって。私だけだ、って」

「な・・・なにをだ・・・?」

「決まってるでしょ・・・愛してるって・・・」

俺に注意を向けつつ、警戒と威嚇を緩めない大河によって距離を開けざるをえない櫛枝達が目を光らせる。
そっちじゃねぇだろ、こっちだろ、ちゃんとわかってんだろうな、なぁおい? わかってんなら愛してるの後に私の名前を告げろ、と込めて。
言葉に直せばもうちょっと噛み砕いた表現になるだろうが、安易に手を差し出せば噛み砕かれそうなギラついた目から放たれる異様な光。
常日頃悩ませられる自分の目つきなんて比じゃない鋭い視線に晒され膝が笑い始めた。喉もカラカラだ。

「・・・竜児・・・」

バタ───ン・・・

縋り付いてきた大河、一斉に行動を起こしにかかる櫛枝、川嶋、それに会長達。
しかし、突然開けられた扉によって全員の動きが止まる。
174174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:43:30 ID:SM95Xp8B

「あ、竜ちゃ〜ん」

力の抜ける声で入ってきたのは、今の今まで勝手気ままにいずこかへ行っていた泰子だった。
が、大河達から力が抜けるなんてことはなく、逆に緊張が走る。
泰子は注目を集めていることには一切関心がなさそうに、暢気にも小さく手を振りながらゆっくりこちらへ向かってくる。
たまに裾を摘み上げ、床に擦らないようにしてはいるが、一人では土台無理だろう。

「泰子・・・それ、どうしたんだ・・・」

「そこに置いてあったから借りてきちゃった。似合う?」

それはただ置いてあったんじゃなくて展示してあったんだよ。
こういった物もご用意いたしております、とかそういうつもりで飾ってあったに決まってるだろ。
勝手に借りてきていいもんでも、ましてや断りを入れたって着ていいもんじゃないんだよ。

「・・・やっちゃん、なにそれ・・・」

わなわなと小刻みに震える指先で泰子を差す大河の表情は驚愕としか言い表せない。
泰子がその場でくるりと一回転。
ちょっとズレた、展示品にしてはいやに高価そうなティアラを直すと、はちきれんばかりの笑顔でこう言う。

「ウェディングドレスだよ〜、かわいいでしょ」

いくつも散りばめられた繊細な刺繍。
大きく開かれた、けれどいやらしさは感じさせない胸元。
アクセントに施されたレースが上品さを演出している。
長く伸びた裾にもこれでもかと縫い付けられており、さながら歩いたあとに純白の花でも咲いているようだ。
高級感漂う、それ以上に着た者を幸せで溢れさせるウェディングドレス。
身を包まれた泰子も幸せに満ちている。
よくそんなもの一人で着れたな。ていうかよく着ようと思ったな。
それ以前によく持ち出せたな、そんな目立ってしょうがないもん。

「見ればわかるわよ、そんなの・・・あの、そうじゃなくてね、な・ん・で、やっちゃんがウェディングドレスなんて着てるの・・・?」

本当は薄々勘付いている。
大河の顔を見れば分かるし、櫛枝だって川嶋だって。
ただ、いくらなんでもそれはさすがにありえないだろうという思いがそれを否定したがっている。
例外は会長だけで、もはや達観しているような遠い目で俺を見据えていた。
泰子はそんな大河達を意にも介さず、嬉しくて仕方がないという風に言う。

「ねぇねぇ聞いて大河ちゃん、やっちゃんね、赤ちゃんできたんだぁ」

「へ・・・へぇーそうなんだ、おめでとうやっちゃん。実は私もなの」

「ありがとっ。大河ちゃんもおめでとう〜、大河ちゃんの赤ちゃんならきっとかわいいんだろうなぁ、竜ちゃんみたいに」

「やだもうっ、そんなほんとのこと言わないで、照れちゃうじゃない」

うわすげぇ重てぇ、なにこのやりとり。
爆弾でキャッチボールでもしてる方がまだ気が楽だ。
なんでこんなちょっとした刺激で破裂しそうな状況の中、そんなにこやかに報告しあえるんだよ。

「それでやっちゃん、差し支えなければ、その、赤ちゃんのパパって誰だか聞いていいかしら?
 ぜんっぜん深い意味とかないんだけど、どんなバカ犬・・・じゃなかった、りゅ・・・人なのかなーって気になって」

腹の探りあいに早くも飽きたようだ。
大河が軽く先制ジャブを仕掛ける。
175174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:45:12 ID:SM95Xp8B

「んとねー、どんな人だと思う、大河ちゃんは」

「そうね。異常に目つきの悪くて、病的なくらいキレイ好きで、おいしいご飯が作れて、ぶっきらぼうだけど優しくって、
 なによりも大事にしてくれて、何があっても守ってくれる。そんな私の竜児みたいなやつだったら、私も安心ね」

ピンポイントすぎるだろ、具体的に挙げてどうしたいんだよ。
ジャブというにはキレも重みもありすぎる大河の言葉を、しかし泰子は身を捻るだけでヒラリとかわす。

「うーん、半分くらいは当たっててけっこう近いかもなんだけどぉ、でもやっぱりまだ遠いかなぁ」

「じゃあヒントちょうだい、次こそ当ててみせるから」

「えっとね、楽しいときも辛いときも、どんな時でも傍にいてくれて、すっごくしっかりしてて、こんなダメなやっちゃんをずっと支えてくれて、
 小言も多いしちょっと厳しいとこもあるんだけど、でもそれってちゃんとやっちゃんのこと考えてくれてるからなんだよ?
 ・・・とっても大切で、大切にしてくれる、やっちゃんの竜ちゃん・・・大好き・・・あ、これじゃ正解言っちゃってたね〜。ごめんね、大河ちゃん」

それどころかお返しとばかりにがら空きのボディーに一発、もう一発と、とんでもない破壊力を秘めたストレートをぶち込む。
まだ焦らしは続くだろうと、いささか余裕ぶって身構えていた大河だが、予想を裏切る電光石火の猛攻に膝をついた。
櫛枝達は稲妻に撃たれたように真っ白になり、ピクリともしない。
会長は頭を掻き毟り、苛立たしげに床やら椅子を蹴っている。
あの人の許容量にも限界があったらしい、そして今のは会長ですら受け止めきれない出来事だったようだ。
会長含め、あれだけ非常識な行動力を発揮していた櫛枝達でも、相手が泰子となると常識の二文字に引っかかるのか。
そりゃそうだ。
と、大河が俺を支えにして立ち上がる。

「おおおお、おお、お、おもしろいウソね、やっちゃんたら。一瞬信じちゃったじゃない」

「そ、そうそう、高須くんのお母さんも人が悪いなーもう、おらビックラこいただー」

「えーと・・・あ、亜美ちゃんはお義母様のそういうユニークなとこ、けっこう好きかなぁ」

足と同じく震える声、硬く回らない舌でそう言うと、櫛枝と川嶋が乾ききった笑い声を上げながら同調する。
苦しさがそこはかとなく滲み出ている。
それでもいいから、泰子だけは否定しなくてはと、きっと大河たちの中では警鐘が鳴り響いてるんだろう。

「ウソなんかじゃないよねぇ竜ちゃん」

そこで俺を睨むなよ、大河。
俺の中で鳴りっぱなしの警鐘がまた一段とやかましくなる。

「それに竜ちゃん、やっちゃん以外の女の子だっていらないって言ってくれたよね。
 寂しい思いだって、もうさせないって、そう言ってくれたよね」

言ってねぇよ、俺そんなこと一言だって言ってねぇよ。
それに前者はともかく後者なんて初耳だぞ。

「で・・・ででででも、やっちゃんと竜児はほら、あれよあれ、その・・・ねぇ・・・? だからそんな、赤ちゃんなんて」

「大河ちゃん」

しどろもどろな大河の肩を泰子がポンと叩く。
そのままさり気なく横へ横へと大河をずらしていく。
俺との間に十分な間隔が空くと、泰子は大河から手を離して戻ってきた。

「竜ちゃんはやっちゃんのだよ」
176174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:46:12 ID:SM95Xp8B

引っ張られた腕が柔らかい物体に抱かれる。
大河の表情がみるみる強張っていく。
櫛枝はもう青筋を浮かべていない。代わりに皮膚の下で何かが蠢いている。
なんの感情も映さない川嶋に、静かな、けれど爆発したがっている怒りを感じた。
そんな三人の横に、乱れた髪を手櫛で直した会長が並んだ。
足並みは揃ったようだ。

「竜児? 私ね、竜児がいなくちゃほんとにだめなの、なんにもできないの。けど今わかったわ、あんたも私がいなきゃだめなのよ」

「大河の言うとおりだよ高須くん。私がずっと傍にいてあげなかったから、だからそんなとこまで落っこっちゃったんだね。
 この櫛枝改め高須実乃梨一生の不覚だ、自分が不甲斐ないよ」

「けど大丈夫、これからは亜美ちゃんが一生面倒見てあげるから心配しないでね。愛の鎖でがんじがらめにしてあげちゃうから」

「安心しろ、私が責任をもって治してやる。なにをしてでもな」

生暖かくてわざとらしい笑顔だった。
心にズシンと圧しかかる、痛いくらいの重みをもった言葉に涙が出そうだ。

「竜ちゃんは変じゃないもん。ねぇー竜ちゃん」

変だろ、花嫁衣裳を着込んだ母親と腕組んでるってだけで十分変だ。
その腕が更に埋まっていく。
トクトクと高鳴る拍動が僅かに伝わってきた。
渋面を無理やり抑え込んでいた大河が頬をヒクつかせながら前に出る。

「やっちゃん、やっちゃんがどういうつもりか知らないけど、いい加減そこ代わってくれない?
 この先ずっと竜児の隣は私の指定席だから」

「やだ。だってここ、竜ちゃんが連れてきてくれたんだもん。やっちゃんのことお嫁さんにしてくれるんだよ」

断じて違う。
ここに入ったのはまったくの偶然であって、俺の意思は少しも関係ないんだ。
頼むから俺の話を聞いてくれよ。

「だからそんなのできるわけないでしょ!? それに竜児と私はもう、ふ、夫婦なのよ、ついさっき誓い合ったの。
 それだけじゃなくてききき、き、キスだって」

「竜ちゃんこっち向いて」

反射的に反対側を向こうとする俺の顔をガッチリと挟んだ泰子が、やや濃い目に紅を差した唇を俺のそれへと押し付ける。
離そうともがくも、お構いなしに両腕まで回してグイグイ押し付ける。
押し付け・・・なんだこれ、歯茎や上あごをなぞりあげて舌に絡んでくるぬるっとしたの・・・舌?

「はいこれでやっちゃんも大河ちゃんと同じですー、けどやっちゃんの方が愛情たっぷりのチュウだったからやっちゃんがお嫁さんですー」

追いつけないほど飛躍した、最早小学生並みの考えと対抗心だな。
そのわりには扇情的だったと、離れた後も橋を架けていた糸が次第に球になり、最後には落ちていくのを眺めながらぼんやり思った。

「なによそれ、なんでそうなるのよ、そんなのおかしいじゃない、おかしいわよね!? それとも私がおかしいの、ちがうでしょ!?」

「た、大河、ちょっと」

「落ち着けってーのよ」
177174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:47:15 ID:SM95Xp8B

さっきまでの圧倒的優位に立っていたはずの大河はどこに行ったんだろう。
地団駄を踏むなんていう小学生よりも更に幼い行為をする大河を、大河を引きずり落としてその座を得ようと、
あれだけ躍起になっていた櫛枝や川嶋が宥めているくらいだ。
だけど大河のショックは相当デカかったらしい、聞く耳を持たない。
さすがにやりすぎたと思ったのだろうか。
泰子が声をかける。

「大河ちゃん」

「・・・やっちゃん・・・」

「いぢわるしちゃってごめんね」

意外というか、素直に謝る泰子の言葉を、大河もすんなり受け取った。
暗くなっていった大河の表情に光が差す。

「じゃあ」

「けどぉ、それとこれとは別だよ。やっちゃん大河ちゃん好きだけどぉ、竜ちゃんのことは大好きだから」

「・・・マジ?」

「うん、おおまじ」

崩れ落ち、四つんばいになった大河が床を殴りまくる。
俺の見間違いじゃなければ大理石でできている床がじわじわへこんでいっているが、
大理石だと思っていたのが間違いだったかもしれない、ヒビまで入ったし。
それでも大河の気は済まず、ひたすら床を殴り続ける。
かける言葉も見つからず、させるがままにしている櫛枝達の表情も浮かばないものばかりだった。
だが、突如大河がその動きを止める。
しばらくそうしていると今度はバッと体を起こして立ち上がった。
櫛枝達も大河の動向に注目する。

「そう・・・そうよ、なにも変わんないじゃない・・・」

「大河・・・?」

「それなのにバカよね、私も・・・こんなことでうろたえちゃって」

「お、おい、大河」

つーっと、幽鬼かなにかみたいに大河が歩いてくる。
呼び止める声も届いてないのか、ブツブツと独り言を呟き、時折納得しているように頷いてみせたり含み笑いをしたり。
ハッキリ言って不気味だ。
不安定な印象を受けざるをえない。

「竜児」

だけどそんなもの、目の前まで来た大河は微塵も感じさせなかった。

「まだ竜児の口から聞いてなかったわね」

それ以上に、そして一気に不安定になったのは俺自身なんだから。

「さぁ言って、本当に愛してるのは誰なのか」
178174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:48:29 ID:SM95Xp8B

一拍置いてからざわめく式場内。
そこかしこから潜めた声が聞こえてくるが、これだけ人がいるというのに誰かと誰かがこそこそ内緒話をしているわけじゃない。
みんな独り言だ。

「なんだ、それなら話は早いや」

「くそチビのくせにやるじゃん」

「結果なんてわかりきってるが、これで収まるならそれでもいい、乗ってやる」

「やっちゃんプロポーズされちゃうのなんてはじめて」

ある意味博打だ。
1か0かイエスかノーか男か女か勝つか負けるか。
俺に提示された選択肢は選ぶ一択のみ。降りることは許されない。
大河達にしてみても選ばれるか選ばれないかの二択のみ。
どちらにしろ多い方じゃない。
それでも、だからこそ大河は賭けにでたんだ。
他の方法だと決着が付かないいたちごっこを延々と続けるだけ。
向こうから諦めるのを待つような大河じゃなし、仮に待ったとして、待っても待っても諦めなかったら。
泰子のことだってある。
こんなところであんなことになるとは露ほども思っていなかっただろう。
眼中にすらなかった泰子が、今一番の脅威となって立ちはだかっていると大河は感じているはずだ。
櫛枝や川嶋というならいざしらず、相手が泰子では実力行使を働けない以前に上に立つ、なんていう態度もとれない。
友達に接するようなノリでも、大河はたしかに泰子を家族として見ていた。
実家のそれにするような反抗的な接し方じゃないのは、それだけ信頼しているからで、それは今だって変わらないんだ。
皮肉なことに築いた関係が確かなものとなった分、大河は泰子にだけは気を遣ってしまう。
というよりも、ケンカらしいケンカもなかったから、こういった、お互いがどうしても折れない場合、
これ以上どうしていいのか分からないというのもあるのかもしれない。
それでも手を上げるようなマネはしたくない。
今この時に限り、泰子は大河にとって会長とはまた違った天敵と言っても過言ではなくなっていた。
手の出しようがないんだから余計に歯痒く思っているのも、あの地団駄っぷりを見ればイヤでも分かる。
だから、俺に言わせるんだ。

「・・・竜児・・・」

愛してるのはお前だけだって。
そうすればもう誰であろうと何も言えないと、そう考えて。
勝算もある。
いや、大河からしたら勝つ事からして前提なんだ。
信じて疑わないんだから、俺が必ず大河の手を取るって。
でなけりゃ自分から持ちかけてきたりしないだろ、こんな、万が一でも負けたら全てが泡となって消えるだけじゃなく、
提案した手前反故にすることも認められない大博打。
それでも、それを承知で大河は自分に一点賭けをする。
櫛枝達もそんな大河に倣う。
思えば教室でも全く同じ状況に陥ったが、あの場は遅刻してきた北村と、北村が連れてきた会長の割り込みで辛うじて流れた。
あんなことがそう都合よく何度も起こることなんてありはしないだろう。
脱出も見込めない。
学校を出る際は大河の行き当たりばったりでむちゃくちゃな方法で幸運にも、だったが、櫛枝達に加え、今度はその大河が阻むだろう。
家の時は居なくなったことに気付かなかっただけであって、今みたいに見つめられていたらそんなこと出来るわけがない。
なにより、どうせいずれは捕まって、またここに連れ戻されるだけだ。
ニタニタ笑ってるように思えてしかたないそこの十字架に磔にされている神様じゃなくて、大河達の目の前に。
179174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:50:08 ID:SM95Xp8B

「俺は・・・・・・」

なんだって一番重要なところで俺に放り投げるんだよ。
簡単に答えが出せるわけねぇだろ。
それができねぇから今こうなったんだよ。
どうしたらいいんだ。

「・・・・・・・・・」

ふと、いつしか顔を伏せていた俺の目に、床をスクリーンに映し出されたステンドグラスの絵が飛び込んできた。
教会を描いたものらしく、天を衝くような十字架と、その周りを幸せの象徴が飛び回っている。
不意に脳裏を過ぎったのは我が家の幸せの象徴兼アイドル。
ぱっちりおめめを瞬かせ、愛くるしい鳴き声を残し、俺の手の届かない自由という名の大空へと羽ばたいていった。

「い・・・インコちゃんが好き・・・だな・・・」

俺のバカ。

「そうじゃないでしょう、竜児」

ただちに大河が言い直しを要求する。
ふざけた返答をした俺に特に何もせず、淡々とそれだけ言うが、放つ雰囲気が物語っている。
二度はないわよ、と。

「・・・あの・・・大河、一ついいか」

「なにかしら。新婚旅行はできれば赤ちゃんと一緒に行きたいわ」

「・・・聞いておきたいことがあるんだよ」

「まさかあのこと? しょ、しょっ・・・だ、だめよ、赤ちゃんがちゃんと生まれてくるまではしちゃだめなの、わかるでしょ。
 それまでがまんしなさいよね」

まだ言ってもいない質問を無視する大河を、こちらも無視して進める。
この期に及んで往生際の悪い。
それでも聞かずにはいられなかった。
180174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:51:14 ID:SM95Xp8B

「・・・これ・・・答えないっていうのはできたり・・・」

「どうしてそんなこと聞くの」

「い、いや・・・それは・・・」

向けられた視線があまりにも冷ややかで思わず腰が引けた。
意味が分からないとか、そういった疑問は欠片もなかった。
ただただ背筋を凍らせるほどの重圧をかけてくる大河に、蚊の鳴くような声でこう言った。

「・・・・・・答えたくねぇ・・・・・・」

静かに両の頬に手が添えられる。
瞬時に硬直し、無意識のうちに目を瞑り、固く歯を食いしばって身構えた。
ふざけたことを言ったら二度目はないと、口にしなくても大河は俺にちゃんと言っていた。
だというのに、答えたくない、と。
ぶん殴られてもおかしくないと思った。
だが、予想に反して痛みはいつまで待っても襲ってこない。
添えられた手も動く様子はない。
おそるおそる目を開く。
視界いっぱいに大河がいた。
真剣な、けれど冷たさはなく、むしろ暖かみのある表情。
小さな、本当に小さな手はもうボロボロで、痛々しくて、けれど大河そのものみたいに柔らかくて。
怯えて固まっていた体から、だんだん緊張が解けていく。

「そういうわけにはいかないのよ、竜児」

諭すような大河の背後に櫛枝と川嶋が立つ。

「私、高須くんの本当の気持ちが聞きたい。他でもない、高須くんの言葉で」

「知ってるでしょ高須くん? 亜美ちゃん超わがままだって。知りたいのよ、高須くんのことぜんぶ、なんだって」

大河が一歩下がる。
添えられた手は名残惜しむように時間をかけて離れていった。
181174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:53:15 ID:SM95Xp8B

「たった一言でいい。竜児が竜児の想いを打ち明けてくれさえすれば、それだけでいいの、だから」

そこで一拍置いた大河。
すーっと息を吸い込み、そしてそれは俺以外の全員に伝染する。



『 だからぜったい私(あたし)(やっちゃん)の名前を言いなさい(言え)(言って)(言ってください)(言ってね) 』



惚れ惚れするくらいピッタリ息が合っていた。
互いが互いを押しどけるような物言いをしてるのが信じられないほどだ。
大河も、櫛枝も、川嶋も、会長も。
木原も香椎も独身も、会長の妹も生徒会の女子も光井というメイドも。
もちろん泰子も。
誰の名前だって口にできるわけがなかった。

「・・・・・・・・・」

『 ほら、恥ずかしがらないでしっかり私(あたし)(やっちゃん)の目を見て 』

「・・・・・・ごめ」

『 謝んなくていいから 』

「・・・・・・許し」

『 怒ってないから 』

「・・・・・・たす」

『 私(あたし)(やっちゃん)が守ってあげるから、だからそんな心配なんてしなくていいから、早くして 』

「・・・・・・・・・」

『 ・・・もう一度だけ言うわね(言うぞ)(言うね) 』

こんなやりとりがあと何度続くんだろう。
終わらせることはわりと容易くできるだろうけど、でも絶対に終わらないだろうというのも薄ぼんやりながら理解できた。

『 私(あたし)(やっちゃん)を愛してるって言いなさい(言え)(言って)(言ってください)(言ってね) 』



               ・
               ・
               ・



ポコォ・・・ン・・・

「うふ・・・・・・うふふふふふっふふふふふふ・・・・・・・・・・」

                              〜おわり〜
182174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:55:08 ID:SM95Xp8B

今はもうおぼろげな記憶。
それでも彼と出会ったあの日、あの時のことは忘れない。
右も左も、上も下もわからない暗い闇の中、懸命に外へ、外へ。
自分を閉じ込めるこの窮屈な殻から出るためにがむしゃらに外を目指した。
右も左も、上も下もわからない暗い闇の中、外がどっちかさえもわからない狭い殻の中。
こんなところはもういやだ。
外に出るんだ、なんとしてでも。
外になにがあるのかなんて知らない、だけど、聞こえたから。
忌々しく隔たる殻のその向こうで、いつも彼の声がした。
彼の存在を感じられた。
怖かった。
気付けば一人ぼっちで、こんなところに閉じ込められてて、満足に体も動かせなくて、怖くて怖くてたまらなかった。
どれだけこんな扱いを強いられたことを憎んだかわからない。
それ以上に、どれだけ外にいる彼に救われただろう。
彼は一日の大半は傍にはいなかったけど、でも数時間だけはずっと傍にいてくれた。
喋ることさえできないわたしに、それでも色々なことを話しかけてくれた。
何気ない話題を、飽きもせず独り言みたいに喋ってる姿は、今思えばなにしてるんだろうって笑っちゃうんだろうけど、でも楽しかったなぁ。
ひとりぼっちだったのが、二人っきりになったように思えて。
彼といる間だけは、たしかにわたしの世界が広がった。
こんな生活も、彼となら案外悪くないのかもしれないって、だけど。
いつしかそれだけじゃ満足できなくなっていたのも、わかってた。
きっとあの頃にはもうわたしは落ちてたって、そう思う。
外に出たい。
他の何が見えなくてもいい。一目でいい、彼をこの目で見てみたい。
それ以上は望まない。一度でいい、触れてみたい。
その瞬間に消えたってかまわない。一言でいい、言葉を交わしたい。
日増しに縮んでいく殻、圧迫感と彼に対する欲求に苛まされる日々。
このままいけばそう遠くない内にわたしは壊れる。
それだけで十分。
いつからそうしていたのかもわからない、憎んですらいたけど、どこか安心と愛着すら覚えた殻の中を出るのに、他に理由はいらなかった。
彼に会いたい。
その一心で、わたしは───

「お、おお? なんだ?」

多分、上だったと思う。
走った亀裂。そこ目掛けて何度も何度も、そしてこぼれていった欠片。
小さな穴から差し込む光は慣れないわたしには刺激が強すぎて猛烈に目が眩んだ。
空いた穴と同じくらいの恐怖が微かにわたしの心を蝕む。
この先はわたしの知らない世界。
もしかしたら、今はもう役目を果たせなくなったこの殻の中、仮初の安穏を享受していた方が幸せだったかもしれない。
怖い思いをがまんすれば、それよりも怖い思いをしなくて済むのかもしれない。
諦めた方がいいのかもしれない。
臆病なわたしはいくつも言い訳を用意していた。
だけど、たしかに聞こえた、彼の声。
わたしの知らない世界は彼のいる世界。
所々にひび割れを起こしたわたしの、わたしだけの世界には絶対に彼は現れない。
だったら行こうよ、後戻りなんて無意味だし、今日を怯えて明日を後悔したくない。
それになにより、わたしは会いたい。他でもない彼が、彼だから。
今までのような殻越しじゃない、鮮明な彼の声を耳にした瞬間、わたしは全身全霊で声のする方へと飛んだ。
砕け散るわたしの世界。どこまでも広がっていく知らない世界。
そこには彼がいた。
あれだけ会いたがっていた彼がすぐ目の前に、なのに、思っていたような実感はわかなかった。
それだけならまだしも、やっぱやめといた方がよかったかなって。
だって彼、想像していたよりもずっと大きくて、あとなんか、なんていうか、今だから言えるけど初めての印象は、ちょっと怖かった。
目つきが。
あ、これわたし死んだなって、頭の中、冷めたわたしが感慨もなくぼやく声が聞こえたくらい。
それくらい怖い目つきしてた。
183174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:56:10 ID:SM95Xp8B

「よくがんばったな、えっと、名前は・・・そうだ」

でも、彼はそんなの気にもとめさせない優しさを持って、そして私に名前をつけてくれた。

「インコちゃんだ、今日からインコちゃんはインコちゃんだよ。よろしくな、インコちゃん」

世界で一番素敵な名前を。
一個だけ訂正。
きっとあの時、わたしは本当の本気で彼に落とされた。


「×××ドラ! ─── ×××ドラ! × i ───」


それが彼・・・竜ちゃんとわたしの、馴れ初めっていうのかな、恥ずかしいけど。
他に言い方が思いつかないんだから馴れ初めでいいよね、うん。
ともかくあの日からなにもかもが一変した。
しばらくは思うようには動けなかったけど、外の空気に慣れていくと体がぐんぐん大きくなっていって、キレイな羽も生えた。
これにはけっこうビックリして、とってもうれしかったの。
それまではずっと、その、あー・・・は、はだか・・・だったから、とうぜん竜ちゃんはいっつも見てたわけで。
わたしの大事なとことか、ぜんぶ。
竜ちゃんなら、えっと、イヤっていうんじゃないんだけど、でもわたしだって女の子だし・・・だから、オシャレな羽が体を覆ってくれてうれしい。
だって好きな人には可愛い自分を見てほしいって、女の子なら当然じゃない。
ごはんの心配もなくなった。
毎日決まった時間になると、欠かさず竜ちゃんがごはんをくれる。
そのおかげで飢えたことは今まで一度もない。
気分はまるでお姫様。それか、箱入り恋人とか。
わたしのこと大事にしてくれてるんだ、竜ちゃん。
なにより、お部屋まで用意してくれたのは本当にうれしい。
狭い殻の中とはまさに天と地の差の、すっごく広くて明るいお家の中、室内を一望できる絶景のポジション。
前は遠く広がる空だって見れたくらい。
それにわたしのお部屋のすごいところは持ち運びができる点。いつでも一緒にいられるように。
愛されすぎて時々自分が怖かったり、なんて。
唯一の不満は竜ちゃんのお部屋に置いてくれないところかな。
けどいいの、わたしわかってる。
竜ちゃんは待ってくれてるんだよね、わたしが、ちゃんと大人の女の子になるまで。
・・・・・・だから、わたしがもうちょっと早く大人になれてたら、あんなことにはならなかったんだよね。



               ・
               ・
               ・



あれは、そう・・・羽が生え変わった時期だから、三ヶ月ほど前のこと。
あの晩に起こった悲劇は、忘れたくても忘れられない。
184174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:57:21 ID:SM95Xp8B

「たっらいまぁ〜・・・ひっく」

草木も眠る丑三つ時も過ぎてから帰ってきたのはやっちゃん。
やっちゃんていうのは竜ちゃんのお母さんで、いずれは私のお母さん。
たまにごはんもくれる、竜ちゃんの次に優しい、わたしの大切な家族。
やっちゃんはお昼の間は出かけてる竜ちゃんとは逆で、暗くなってからお出かけしてる。
帰ってくるのは明るくなってるときも多くって、大抵お酒の臭いをプンプンさせてる。
酷いときなんて横になりながらずっと呻ってることもあって、心配。
お仕事ってそんなに大変なのかな。
いつもならもう慣れちゃってるし眠いから、やっちゃんが帰ってきたくらいじゃわたしも、竜ちゃんも目を覚まさない。
でも、その日はそうじゃなかった。

「竜ちゃ〜ん、ね〜え〜、りゅーうーちゃーん!」

真夜中なのにやっちゃんは突然大声で竜ちゃんを呼びつける。
竜ちゃん言ってた、こういうの、近所迷惑だからやめてくれって。

「お前、また飲みすぎたのかよ」

さすがにこんな時間に起こされちゃった竜ちゃんが、いつもよりもっと目を吊り上げてお部屋から出てきた。
暗くてよくわかんないけど、僅かに入る光と、ギラギラとそれを反射する宙に浮く二つのガラス球。
あれが多分竜ちゃんのはず。
襲ってこないってわかっていても、本能的に背筋が震える。

「も〜竜ちゃんおーそーい」

「酒くさ・・・今日はまたずいぶん酔ってんな」

「やっちゃ、っく・・・やっちゃん酔っれないもん」

泥酔っていうんだっけ。
完全にそんな状態だった。

「分かったから、ほら、ちゃんと起きろよ」

「む〜りぃ、だっこして」

竜ちゃんはなんとか自力でお部屋まで行ってもらいたいみたいだけど、やっちゃんは横になったまま動こうとしなかった。
ずーっとだっこだっこ、って。
やっちゃんのわがままに、竜ちゃんは深い、深ーいため息をついて、やっちゃんをだっこしてあげた。
いいな、わたしもしてほしいな、だっこ。
わたしじゃ小っちゃすぎてだっこじゃなくて、なんて言うんだろ? よくわかんないや。
肩に止まるのってあれだっこじゃないし。

「たく、今度から飲みすぎたらムリして帰ってくんなよ、ちょっと酔い醒ましてきたりとか」

「うぅるぅさぁいぃ! そんなの、お酒飲むのがやっちゃんのお仕事だもん。
 なのに、お仕事したら帰ってくるなーって・・・そんなことまで竜ちゃんにぶちぶち言われるすじあいないよ・・・」

「ああそうかよ」

イヤな空気、珍しい。
お部屋に入られて、何してるのかまではわかんないけど、竜ちゃんとやっちゃんがこんな風にケンカしてるの目の当たりにしたの、初めてかも。
大丈夫かな。わたしまでやりづらいよ、朝ごはんのときどんな顔すればいいんだろ。

「いらねぇ世話焼いて悪かったな。おやすみ」

「竜ちゃんもそうやってやっちゃんのこと捨てるんだ」
185174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 10:58:12 ID:SM95Xp8B

うわぁ、ほんとに今日は絡むなぁやっちゃん。
嫌なことでもあったのかしら、悪酔いも悪酔いの超悪酔いしてるよ。

「なんだそりゃ、何でそうなんだよ」

「どうせ竜ちゃんやっちゃんのことなんかどーだっていいでしょ。いいも〜ん、べっつにぃやっちゃん捨てられちゃうの慣れてるから」

「おい、お前なに言って」

「だからぁ、竜ちゃんやっちゃんのことキライなんでしょ! キライならキライって、はっきりそう言えばいいのに」

「おい!」

こ、こわ〜・・・けど、竜ちゃんが怒っちゃうのもムリないよ。
やっちゃんになにがあったかわかんないけど、こんな遅くに帰ってきて、無理やり起こされてそんな事言われたんじゃ、竜ちゃんが可哀想。
捨てちゃうなんてヒドいこと、竜ちゃんしたりしないのに。
わたしがここから自由に出られたら竜ちゃんのこと慰めてあげられるんだけど。
やっちゃんにも、パーでえいっしてあげるんだから。
竜ちゃんの気持ちも考えないであんなこと言っちゃうやっちゃんにお仕置きするの。えい、えいって。
それでやっちゃんの目を覚まさせてあげる。

「キライとか捨てるとか、俺がいつ言った、誰がそんなこと言ったんだ」

「言わなくったってわかるもん、やっちゃんのこと邪魔だって思ってるくせに」

「思ってねぇよ」

「うそ。だって竜ちゃん、大河ちゃんのことばっかり」

それは確かに、わたしもそう思うときがある。
あのむっちち───難しい字で書くと、おっぱいが無いと書いて「無っ乳」───がこのお家に居座るようになってから、竜ちゃんは大忙し。
なんでって、あのむっちちが何でもかんでも、用なんてなくっても竜児、竜児ーって。
竜ちゃんの名前を気安く呼ばないで、あのアバズレならぬアバラズレ。
わたし知ってるんだから、むっちちが竜ちゃんに色目使ってるって。
そのくせごはんの支度も洗濯も、あと自分のお家のお掃除までさせて、竜ちゃんのこと沢山こき使って。
ほんと何様のつもりなんだろ。
肉食だからって偉そうにしちゃってさ、わたしのこともブサコとかイジめるし。
竜ちゃんだって見てるんだからちょっとは言ってくれればいいのに、むっちちのこと甘やかしちゃって、だから増長しちゃったんだよ。
優しいのも考え物だよ、もう。

「はぁ? なんで今の話に大河が出てくるんだよ。関係ねぇじゃねぇか」

「ほら、そうやって大河ちゃんの肩もつ。そういうの、もうイヤなの」

やっちゃんも、ちょっと気にしてたのかしら。
まぁむっちちが来るまではわたしたち三人で仲良く暮らしてて、そこに割り込んで好き放題されちゃったら、ねぇ?

「もってねぇだろ。意味わかんねぇよさっきから」

「竜ちゃんのほうが意味わかんない! なんでやっちゃんのことわかってくれないの!」

「・・・なんなんだよホントに・・・俺、なにか気に障ることでもしたか」

「した、したしたした! い〜っぱいした! ・・・竜ちゃん、さいきんやっちゃんに冷たい・・・」
186174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:00:11 ID:SM95Xp8B

ていうか、最近のむっちちが調子のりすぎ。
朝から晩まで竜ちゃんにべったり。
それに、まるでこのお家を自分のお家みたいにしちゃって、たくさん私物だって持ち込んで。
竜ちゃんが何も言わないのをいいことに、調子に乗りまくって。

「そんなこと」

「あるもん」

「ねぇよ」

「ある」

竜ちゃんの言うとおりだと思うけど、今のやっちゃんには届かない。
だってそう思って思って、ガマンしてたのが何かの拍子で爆発しちゃったんだもの。
簡単には引っ込まないよね、そういう気持ちって。
せめて言いたいこと吐き出しちゃうまでは、ね。

「やっちゃんわかるよ、パパだってそうだった。新しい女の子作って、冷たくなって、最後にはやっちゃんのこと」

「いい加減にしろよ」

竜ちゃんの声は怒ってる感じじゃなかった。
代わりに、すごく真剣味を帯びていた。

「親父と俺は一緒なのか? 違うだろ」

「それは・・・ちがう・・・けど」

「嫌うとか邪魔だとか、俺がそう思ってるって、泰子は本気で思ってるのか?」

「・・・でも」

中々ハッキリしないなぁやっちゃんも。
けどもう一押しだよ、いっちゃえ竜ちゃん。

「竜ちゃんは・・・大河ちゃんが大切なんでしょ・・・?」

「家族みたいなもんだからな、もう。それに目が離せねぇんだよあいつ、そそっかしくて、放っておけねぇっていうか」

「やっぱり」

「だけどよ、泰子だって家族だろ。大切にしてるつもりだぞ。蔑ろにしてるつもりだってねぇよ」

はいはい、竜ちゃん、竜ちゃーん! ここにもいるよ、竜ちゃんの大切な家族がもう一人いるよー?
むっちちよりももっと前から家族してるわたしがここにいるんだよ? ちゃんと聞こえてるよ?
忘れてないよね、ね?

「だから捨てたりするわけねぇだろ。ていうか、捨てろって言われたって絶対捨てねぇ。
 俺以外に誰が泰子みたいなトロくて、ズレてて、甘ったれためんどくさいヤツの面倒見るんだよ」

あれ? わたしは? まだわたし呼ばれてないよ。

「・・・ほんと? 竜ちゃん、やっちゃんのこと、ほんとに大切?」

「当たり前だろ」
187174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:01:18 ID:SM95Xp8B

「捨てたりしない? 一緒にいてくれる? なにがあっても、ずっと?」

「おぅ」

「・・・やっちゃんのこと、好き?」

「ああ好きだよ好き、文句あるか、好きで」

・・・・・・・・・ま、最初から期待とかしてなかったからいいですけど。

「・・・気はすんだか? ならもういいだろ。そろそろ寝ようぜ、疲れてんだろ、泰子」

「・・・うん」

うん、いいよ、そういう流れじゃなかったの、わたしちゃんとわかってるし。
いい感じで終わったとこに水差す気もないし、空気の読める方でいたいからわざわざ蒸し返したりしないよ。
ちょっぴり心の汗がこぼれちゃったけど、お話のしめに添える花としてはけっこうキレイだから許してくれるよね。

「待って」

あーあ、もう寝よ寝よ。
寝不足はお肌の大敵っていうし、わたしべつに夜行性じゃないし。

「なん・・・・・・・・・」

あれ、まだお話終わってないのかな。
それにしてはなんだか妙なところで切れたけど、どうしたんだろ。

「な、なにすんだお前!? いきな、むぐ」

むぐ? え、なに? なにがどうしたの、一体。
なんなのその焦りよう。
なんなのこの途切れ途切れの竜ちゃんの声に混じってしてくるクチュクチュっていう水音。
ま、まさか・・・な、なはずないよねー?
だって竜ちゃんとやっちゃんは親子だよ、お・や・こ。
親子同士でってそんなのどーぶつ以下だよ、どーぶつ以下。
だってどーぶつだって普通はそんなことしな

「んぅ・・・竜ちゃんが言ったんだよ、寝よって」

「は・・・? ・・・・・・っ!? そ、そんな意味で言ったんじゃ、てかお前酔って」

そう、酔ってる、やっちゃん酔ってるよ。
血液中に大量に回ったアルコールが脳の判断能力を狂わせてとかなんかそんなの。
だから今普通の考えができないんだよ。

「ちゅぷ、ん、ふ・・・それに、大切だ、って・・・あん・・・やっちゃんとなにがあってもずっと一緒だって・・・好きだって・・・ちゅる」

「だ、だからそういう意味じゃ」

でも今だけでいいの、お酒なんかに負けないで!
思い出して、竜ちゃんがやっちゃんにとってなんなのかって!
お酒が入ってナイーブになってるときに優しくされて気が緩んだとか、そんなので一線を越えちゃダメなんだから!
ぶっちゃけ竜ちゃんに変なことしないで!
竜ちゃんも早く逃げてー!

「ちゅむ、ちゅ・・・ぷぁ・・・んふふ・・・だぁめ、もう離さないんだから」
188174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:02:20 ID:SM95Xp8B

───その晩わたしは眠れなかった。
なぜなら耳を塞ぐことができないわたしは、ただただ聞きたくもないやっちゃんの嬌声と、
竜ちゃんの、おそらくは悲鳴を聞かされ続けていたから。
おそらくというのは悲鳴というには無理やりに押し殺した、あまりにも小さなものであったことと、
三回ほど挿まれたインターバルにおいて、その都度やっちゃんにもうやめてってお願いしていた竜ちゃんの声が、
今まで聞いたこともないような弱々しく、か細く、震えたものであったから。
コトが終わったのはもう東の空が白み始めた夜明け前のことで、お部屋からようやっと開放された竜ちゃんは纏っていた衣類を抱きかかえていて、
けど自分は下着一枚身に着けていないという、変わり果てた姿でお風呂へ入っていった。
助けることができなかった負い目と、痛々しさと、そしてその様がいやに現実感を煽ってきて、
わたしは動く者もいないというのにカーテンの隙間から外を覗くことしかできなかった。
呆然としていた、というのが正しいのかな。
はてしなくどうでもいいけど、そうやってどうでもいいことを絶え間なく考えていないと頭がおかしくなりそうだった。
シャワーの水音は階下の大家さんを気遣ってか静かなもので、すぐそこで寝ているやっちゃんの寝息の方が良く聞こえてくる。
規則正しくすーすーと、穏やかな寝息を立てるやっちゃんはとてもさっきまで組み敷いた竜ちゃん相手に乱れていたとは思えなくて、
寝顔もあどけないんだろうなぁ。
それにきっと竜ちゃんが風邪なんて引かないように、しっかりと服を着せてあげて、お布団にも入れてあげたんだろうね。
自分は裸で。
こんなのって・・・・・・

「ぐ、ぐえ?」

いきなりカーテンが取り払われた。
そこにいたのはお風呂上りの竜ちゃんだった。
まだ濡れている髪から水が滴っている。まるで、涙みたいに。
ど、どうしよ、正直気まずいよ、あんなことがあってすぐになんて。
でも竜ちゃんは無言でわたしのお部屋を手にすると、それをテーブルへ。
そしてわたしをお部屋から出した。
無言が続く。な、なんか言った方がいいかな? でもなんて言えばいいんだろう。
おめでとうなんて絶対言っちゃいけないしつか言いたくないし、あからさまな慰めの言葉も余計に傷付けちゃうかも。

「インコちゃん・・・」

ああ、こんなときどうしたらいいの。
わたしは竜ちゃんになんて声をかければ正解なの。

「・・・俺・・・俺・・・」

や、やだ、やだやだやだ、聞きたくない! 竜ちゃんの口からそんなの聞きたくない!!
お願いだから誰かわたしの耳を塞いで、ううんいっそもう潰して! なるべく痛くない方法ですぐ治るように。

「・・・・・・汚された・・・・・・」

衝撃が全身を突き抜けた。
信じたくなかった。この目で見たわけじゃないから、信じたくなかったのに。
突きつけられた事実の残酷さに、わたしは打ちのめされた。
いや、だめ、ここで倒れるなんてしちゃいけない。
目の前にいる竜ちゃんはわたしなんかの考えが及びもしないくらいの衝撃を受けてるはず。
なのに、そうに違いないのに、悲劇のヒロインぶるなんて。
そうだよ、一番可哀想なのは竜ちゃん。
自分の意思に反してどーぶつ以下にされちゃって、こんなに心に傷を・・・なんて可哀想なんだろう。

「明日からどんな顔してりゃいいんだ・・・」

元気出して竜ちゃん、わたしがいるよ。

「げ、げげ、げんき、げんき」

「・・・インコちゃんは優しいなぁ、元気出してって言ってくれるんだもんなぁ、ハハハ」
189174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:04:06 ID:SM95Xp8B

そうだよ、わたし優しいよ。
でも、わたしにできたのは暗く沈む竜ちゃんに、たった一瞬乾いた笑顔を浮かべさせただけ。
こんなに虚しいことってないよ。
せっかくお部屋から出してもらえたのに、これじゃとんだ役立たずだ。
喋る人形と変わらない。
なんて無力でちっぽけなんだろう、わたしは。

「ハハ・・・俺、この先ずっと引きずってくのかな、今の」

それはキツそう、しかもとんでもなく。
朝、おはようをするときから、夜、いってらっしゃいをするとき。
顔を合わせるその都度竜ちゃんの脳裏にはさっきの情事が蘇る。
ちょっと違うかもだけど、女の恋愛は上書き保存、男の恋愛は名前を付けて保存っていうのはよくいったものだよ。
消しちゃうことができないんだもん。
どんなに新しい思い出ができても埋まることなく、たしかにそこにあり続ける。
わたしだったら耐えられない。
いっそのこと全部無かったことにできれば、そんな苦しい思いしなくってすむのに。

無かったことにできれば?

「やっぱマズイよな、いくらなんでもするもんしてなかったのは・・・」

無かったことにできれば、たとえ事実が消せないとしても、竜ちゃんにとって無かったことにできれば?

「だけどさぁ、あんなことになるなんて夢にも思ってなくってさ、いきなりだったし・・・夢であってくれねぇかな・・・」

そうすれば、竜ちゃんは今までどおり、嫌な思いも苦しい思いもしなくてすむ。
わたしの竜ちゃんに戻って───

「あはっ」

「でもなんか、抱きしめた泰子が柔らかくて、いい匂いがして、だんだん何も考えられなくなって、正直流されたところもあるっていうか・・・
 なに言ってんだろうな、俺、インコちゃんに」

平気だよ竜ちゃん、わたしむっちちにも他の人にもこの話しないから。
だから安心していいからね。これでも口堅い方なんだから。はいお口にチャック、これでオッケー。
今日のことはお墓まで持ってってあげる。
二人っきりの内緒だよ? やっちゃんは・・・この際しょうがないや、あんなこと吹いて回ったりしないだろうし、ほっとこ。

「ごめんなインコちゃん、こんな時間にこんな話して・・・一人でいると俺・・・」

わたしはいいの、そんなの気にしてないから。
それよりも、問題はどうやったらいいんだろう。
わたしが押したぐらいじゃ倒れるわけがないし、かといって飛びながら持てる物だって限られてくるし、そんなに長くも飛んでられない。
それにそんな物じゃ多分ムリ。もっとずっと重たい物じゃなくちゃ。
なにか、なにかない? 硬くて重くて、竜ちゃんの記憶を消せるような・・・あ、そうだ。
竜ちゃんを使おう。

「あ、インコちゃん?」

思いつくやいなや、わたしはお部屋の中、一番大きなタンスの上へと飛んだ。
竜ちゃんが立ち上がり、捕まえようと手を伸ばす。
まだ、まだまだ、焦っちゃだめ、慎重に・・・今だ!
入念にテーブルと竜ちゃんの立ち位置を見極め、わたしは全力でもって飛び出した。
190174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:05:06 ID:SM95Xp8B

「うわっ!?」

竜ちゃんの顔目がけ。
そしてぶつかる寸前でおもいきり羽をバタつかせる。
驚いた竜ちゃんは目論見どおり、一歩下がろうとして、テーブルに足をひっかけて転んだ。
よし、そのまま・・・よし!
竜ちゃんが強かに頭を打ちつけたのはお台所とを仕切る戸の、その縁に使われてる柱。
あれなら堅いし、竜ちゃんは尋常じゃない勢いで倒れていった。
派手な音を立ててぶつかった後、ピクリともしない。
一応頭の上に降りて確認。うん、起きる気配はないけど息はしっかりしてる。
わたしにできることは全てやった、あとは人事を尽くしてなんとやら。

「───なんだよ、ベタベタしてきて」

「なんでって、その・・・だって、竜ちゃん言ってくれたよね? もう寂しい思いはさせないって、だから」

「まったく知らん、夢でも見たんじゃねーの。それにしても珍しいな、ちゃんと着替えて寝てるなんて。
 泰子、昨日あんまり飲まなかったのか。毎日そうだったらいいんだけどな」

「りゅ、竜ちゃん? え、あれ? あれぇ?」

天命は思いのほかわたしに味方してくれた。

「ぐぇっぐぇっぐぇっぐぇっぐぇ」

「竜児、ブサコがいつになくキモい鳴き声上げてんだけどどうにかしてちょうだい。ねぇ、ちょっと聞いてんの、竜児ー」



               ・
               ・
               ・



わたしが大人の女の子になってれば、防げたかもしれないのに。
よりにもよってやっちゃんがあんなこと竜ちゃんにするなんて、お酒って怖い。
前後不覚なんてレベルじゃないよ、あんな行くとこまでいっちゃうなんて。
竜ちゃんが全部覚えてたら今頃どうなっていたか。
でもあんなに上手くいくなんて、やっぱり普段の行いがものを言うって本当なんだね。
だって竜ちゃんなんにも覚えてないんだもん。
嘘ついてるんじゃなくて、ほんとに。
それからしばらくやっちゃんはあれこれ竜ちゃんを誘ってたっぽいけど、竜ちゃんからしたらどれも意味不明に映ってたんじゃないかな。
火遊びじゃなくなったんだね、やっちゃん。
竜ちゃんにそういうつもりがなくても結果としてあしらわれちゃって、それでかなり落ち込んでたのは、やっぱりそういうことなんだと思う。
やっちゃんにもやっておけばよかったかな。でもさすがに気が引けるし。
一月も経つ頃には、表面上はあんまりそんなことも見なくなったから、一応はやめたけど。
ああ、けど、ちょうどそのくらいだったっけ。
あんなことが、それも相次いで起こったのは・・・・・・
191174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:06:11 ID:SM95Xp8B



               ・
               ・
               ・



あの日、竜ちゃんはいつもみたいにむっちちと朝から出かけていった。
べつにそれはいいの。おかしかったのは、中々帰ってこなかったこと。
普段なら、遅くても晩ごはんの時間までには帰ってくるのに、その日に限ってはそうじゃなかった。
仕方なくやっちゃんが何も口にしないで、またお酒飲むお仕事に出かけて、お家に残ったのはわたしだけ。
暗いし、お腹減ったし、つまんないことこの上ない。
結局竜ちゃんが帰ってきたのは日付を跨いだ後だった。
でも、朝は一緒だったはずのむっちちは、なんでか一緒じゃなかったの。
時間も時間だし、極たまにむっちちは外で食べてくることもあるから、このお家にいないときだってないことはないんだけど、
それでも竜ちゃんはやっちゃんとわたしのご飯の用意とかがあるから決まった時間までには必ず帰ってくるのに。
なにもないに越したことはないんだけど、やっぱりなにかあったのかな。
帰ってきてから電気も点けないでずっと座ったままだし。

「くええぇ?」

「あ・・・ああ、ごめんインコちゃん、お腹減ったよな」

竜ちゃんはわたしの存在に今気が付いたように、お部屋をそっとテーブルに。
ごはんを持ってきてくれると、わたしをお部屋から出した。
浮かない顔してどうしたんだろう。それにため息ばかりついちゃって。
なにかあったんだ、それは間違いない、けど、なにかってなんだろう。

「なぁインコちゃん」

うん?

「大河のこと、どう思う」

わりとキライ。わりと本気で。
だってむっちちは意地悪だし、うるさいし、竜ちゃんにヒドいことするし、竜ちゃんに甘えるし、意地悪だし、竜ちゃんを独り占めするし。
むっちちがお家にいる間は心休まる暇がないよ。
そのせいか最近なんて羽毛がハラハラ抜けたりして。
なんで竜ちゃんがあんなの傍に置いとくのかわかんないよ。

「そうか、インコちゃんもそう思うのか。やっぱりもう家族なんだよな、あいつ」

そうは言ってもわたしは嫉妬心剥き出しにするようなお子様じゃないから? むっちちと違って。
円滑な人間関係が築けるように気を遣ってあげるよ、感謝してね、むっちち。
まぁ何か言う前に竜ちゃんがぽんぽん先を言っちゃったんだけど。

「なのに、俺は大河になんてことを・・・」

ん? んん? なになに、竜ちゃん、むっちちになにかしたの?
あ、わかった、わたしわかっちゃった。
むっちちのわがままが過ぎるから、竜ちゃん怒ってえいってしちゃったんでしょ? えい、えいって。どう、当たってる?
竜ちゃん、それは竜ちゃんが悪いんじゃないよ、むっちちがいけないんだよ。
たまにはそうやって押しの強い竜ちゃんも見せてあげなきゃつけあがる一方で

「大河のこと、押し倒すなんて」

そんな押しの強すぎる竜ちゃんなんて竜ちゃんじゃない! わたし大っ嫌い!!
192174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:08:04 ID:SM95Xp8B

「・・・帰りがけに、大河に部屋、掃除してってくれないかって頼まれてさ。だから寄ってったんだよ、あいつの家に。
 ただ、思ったよりも片付いてて、でもなにもしないのもあれだから軽く掃除機でもかけてこうとしたんだ。
 なのに大河、俺がまだいるってのにいきなり服脱ぎだして・・・
 『こっち見るんじゃないわよ、駄犬! 覗き見したら許さないんだから!』って言うから、慌てて目ぇ瞑って部屋を出ようとしたんだよ。
 そしたら今度は『・・・なによ・・・そんなに私といるのはイヤ・・・? こんな体、見たくない・・・?』って」

それって激しく矛盾してない?
わたし難しい言葉ってよく知らないけど、でもむっちちが右を見ながら左を見ろ、みたいなこと言ってる気がしてならないんだけど。

「そんなこと言われたら、気まずくて出て行くことなんてできねぇし、かといって服着てない大河の方も向けねぇし・・・
 とりあえず大河に『そんなことあるわけねぇだろ』とは言ったんだけど、大河のやつ『じゃあこっち向きなさいよ』って言うもんだから、
 だから仕方なく体だけは大河の方に向き直したら、あいつ裸で抱きついてきやがって、そんな格好で『ちゃんと見て、私のこと、ちゃんと』って・・・
 俺どうしたらいいか分かんなくなって、とにかく大河になんか着てもらってからじゃねぇとって、もみ合ってる内に足縺れちまって、
 大河と一緒にベッドに倒れこんじまって」

ねぇそれさぁ押し倒したって言わないんじゃないの。
ていうか、えっと、それって、どっちかっていうとなんか・・・押し倒された?
あんのえぐれ胸・・・こんなことがいつか起こるんじゃないかと危惧してたけど、まさか本気でやりやがるなんて・・・
一体どうしてくれようかしら。
いや、けどちょっと待って。竜ちゃんは「押し倒した」って言うけど、話聞いてる限り偶然そうなっただけっぽいし。
それなら、いくらむっちちが裸っていっても、竜ちゃんがそこでしっかり自制をかけていればいいだけの話だよね。
ううん、かける必要だってないか。
あんな見てて可哀想になるくらいぺったん娘なむっちちの誘惑なんて、想像するだけで失笑物だもん。
なんにもなかったに決まってるよね。

「気が付いたら俺・・・大河を・・・・・・・・・」

うん、その間はおかしいよね。
それじゃあその後むっちちと何かあったみたいになっちゃうよ、竜ちゃん。
そこはきっぱりはっきりむっちちを拒絶したって言って、わたしの取り越し苦労だって笑わせてちょうだい。
はりあーっぷ。

「・・・それなのに大河、うれしいって・・・泣いてたくせになに言ってんだよあいつ・・・」

あはは、ぜんぜん笑えないや。
むっちちはとうとう竜ちゃんを・・・そりゃ嬉しいでしょうよ、狙いどおりに竜ちゃんをその毒牙にかけられたんだから。
さぞかしお楽しみなさってたんでしょうねぇ、こんな時間になるまで離さなかったくらいなんだし。
だから肉食は嫌いなのよ、がっつきやがって、くそったれ。

「俺、明日大河になんて言えば・・・あ、インコちゃん、どこに」

こんなの絶対認められないよ、もう一回やり直そうよ。
大丈夫、できないことなんてないよ。
大切なのはやれるやれないじゃないの、やるっていう確固たる決意をした自分自身なの。
こないだだっていい感じにやれてたんだから、心配しないで。
できることならあのむっちちに関する思い出なんてぜ〜んぶ忘却の彼方へぶっ飛ばしてやりたいとこだけど、
それはそれでむっちちがこれ幸いと竜ちゃんにあることないこと吹き込んだりとか色々してきそうだからやめとこうっと。

「───どうしたんだよ大河、顔真っ赤だぞ」

「うん、ちょっと・・・ね。それよりも竜児、昨日は、その」

「風邪でも引いたんじゃないのか。気をつけろよ」

「そ、そうねよ、気をつけなくっちゃ。昨日だってあんなに」

「長風呂でもしたのか? ほどほどにしとけよな、のぼせるぞ」
193174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:09:15 ID:SM95Xp8B

「えっと、りゅ、竜児? 私の話聞いてよ、昨日のことなんだけど」

「昨日昨日って、何かあったっけか、昨日」

あの時のむっちちの顔ったらなかったわ。
ざまぁみさらせこの泥棒猫、いいえ泥棒虎。

「ぐぇっぐぇっぐぇっぐぇっぐぇ」

「竜ちゃ〜ん、インコちゃんがなんかへーん。やっちゃんちょびっとこわい〜」

さすがにあの場はあれ以上竜ちゃんになにか言うことはなかったけれど、むっちちは不幸なおっぱいの代わりに幸せな脳みそを持ってるみたい。
あれは照れてただけ、やっちゃんも居たし隠そうとしてたのね、そうよ、そうに違いないわ。
もう、それならそれで一言くらいあってもいいのに、あんなにムキになって知らないフリしちゃって、しょうがないんだから。
私は知られたって、べつに・・・でも、竜児は恥ずかしいのよね? なら、私も合わせてあげる。
やっちゃんにはキチンとした形で報告したいしね。
みたいな感じに都合よく解釈できる、素敵な頭。能天気すぎてちょっと憧れちゃう。
竜ちゃんはむっちちがそんなこと考えてるだなんて知る由がないから、たまにそういう空気を出してくるむっちちをナチュラルにシカトしてたけどね。
むっちちも、一発かましたくらいで安心したのか、今日はそんな気分じゃないんだろうと誤解して勝手に引っ込んでったの。
一人相撲ほど見ていて滑稽で無様で面白い物ってないよね、ほんと。
でも、大変だったのはそんなむっちちの一人相撲を縫うように、竜ちゃんは次々と・・・・・・
ある時は、こんな風に。

「櫛枝が、俺にしか頼めないことがあるっていうから放課後残ってたんだよ、部活が終わるまで。
 それで人気がなくなってから部室まで行ったら中が真っ暗で、目を凝らすと奥にぼんやり人影が・・・
 そう思った途端その人影が近づいてきて、やっぱり櫛枝だったんだけど、俺の横素通りして、何故か部室のドアに鍵かけたんだ」

櫛枝・・・聞き覚えのあるようなないような・・・ああ、むっちちが来る前まで竜ちゃんが入れあげてた。
今もたまに晩御飯中に話に上ったりもしてる。
それで、竜ちゃんにしか頼めなくって、二人っきりで、しかも鍵までかけて。
へぇ、一体なんだろうねー、その頼みごとって。

「様子が変だからどうしたんだって聞いたんだ、あと頼みって何なのかも。
 そしたら櫛枝、いきなり突き飛ばしてきて、背中から床に倒れちまったんだよ俺。
 でも起き上がる前に何かが覆い被さってきて・・・それ、服脱いだ櫛枝で・・・『ごめんね、けど明るいと恥ずかしいから』って・・・
 なんとか話し聞こうにも、櫛枝は『大河には内緒にして』の一点張りで・・・」

頼みごとって言わないんじゃないかなぁそれ。
ああ、けどもういいや、大体わかったから。
これ以上聞いてるとどうにかなりそう。

「どうしたんだインコちゃん、そんなところなんにもないだろ、早く降りておいで」

優しく抱きとめてね、渾身の力振り絞っちゃうから。

「───あれ、そんなことあったか。俺、全然思い出せねぇんだけど」

「だって竜児、みのりんに用があるって・・・まぁいいわ、もう。ね、それよりも今夜、あの」

「ぐぇっぐぇっぐぇっぐぇっぐぇ」

「・・・竜児、ここんとこブサコの様子おかしくない?」

「そうか? 普通だろ」
194174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:11:07 ID:SM95Xp8B

だよねー、やっぱり竜ちゃんが一番わたしのことわかってる。
あとむっちち、朝っぱらからなに誘ってんの? 貶されたことよりもよっぽどそっちの方がうざいんですけど。
またある時は、こんな風に。

「自販機の間に挟まってて、なんか、思いつめた顔してたんだ、川嶋のヤツ。
 気になって話聞いたら、もう疲れたっつってよ。時々作った外面とかがどうしようもなく嫌になるって。
 俺は川嶋の好きにすればいいんじゃないかって言ったんだ。けど川嶋、相当気にしてたんだろうな。
 勝手なこと言うなって泣き出しちまって」

この名前にも聞き覚えがある。というよりも、むっちちの次にキライな名前。
決して多いとはいえない竜ちゃんがお家に上げたことのある女の一人。
それだけでも憎々しいのに、あまつさえあの女は上がった早々竜ちゃんを誘惑してた。
しかもちょっと良い体つきしてた。比較がやっちゃんかむっちちしかないわたしから見ても。
哀れなくらい貧相な体したむっちちが過剰なほど危険視するのも頷けちゃう。そこだけは珍しく意見が合う。

「だけど川嶋、今度は『一体誰のおかげでこんな悩んでると思ってんのよ』って怒鳴ると抱きついてきたんだよ。
 それで、そのまま小さな声で『少しはホントの亜美ちゃんのことも見てよ・・・タイガーだけじゃなくって・・・』って・・・お、おいインコちゃん?」

届けわたしの思い。わたし以外の思いを蹴散らして。

「───ただの気のせいだろ」

「そんなはずないわ、竜児から鼻が曲がりそうなくらいばかちーの臭いがする。
 昨日帰ってくるの遅かったし、一体ばかちーとなにしてたのよ、正直に白状しなさい」

「だからそんなこと言われたって知らねぇって。なんで朝からそんな目くじら立てられなきゃならねぇんだよ」

「だ、だって、竜児がいけないんじゃない! わたしのことほったらかしてばかちーなんかと・・・」

「ぐぇっぐぇっぐぇっぐぇっぐぇ」

またまたある時は、こんな風に。

「かのう屋で買い物してたら妙なことに巻き込まれて、べつにそれはよかったんだよ、俺が特に何かされたわけじゃなかったから。
 ただ、その後上機嫌な会長に無理やり家の中に上げられて、とりあえずこれでも飲んでろって出されたのが酒で・・・
 見た目がジュースと大して変わんなかったから一口飲むまで気付かなかったんだよ。
 気付いた時には会長はそれ一気飲みしてた後で・・・しかも飲みきった直後に前のめりに倒れたんだ、あの会長が」

お酒、ねぇ・・・間違えたりしちゃったのかもしれないね。
まぁなんでもいいや、済んだことなんて確認の取りようがないし。
それよりも、なーんかもう先の展開読めちゃったから、準備運動でもしとこっかな。
いい加減コツ? みたいなものも掴めてきたから、今日はとりわけ気合入れてみようかしら。
べつに名前だって聞いたこともないヤツが出てきたからってわたし嫉妬してるわけじゃないからね、勘違いしないでよ。
単純にはらわた煮えくり返ってるだけなんだから。それだけなんだからね。

「ビックリして揺すり起こしたら会長スッゲー据わった目してて、くだを巻くっていうか、なんか説教し始めて、それがまた支離滅裂でさ。
 帰るに帰れないし、離してくれないし、仕方なく延々話聞いてたら段々愚痴に変わってって、最後なんて涙混じりになってたんだよ、珍しく。
 『兄貴兄貴って人をなんだと思ってんだ、私だって・・・なぁ、私はそんなに女らしくないか? 魅力がないか?』とか聞かれて、
 否定したらしたで、『そう思うんだったら態度や言葉じゃなく行動で示せ』とかとんでもないことを言い出し・・・あ、インコちゃん、ちょっと」

飛んでっけ───! 銀河の果てまで!
195174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:12:11 ID:SM95Xp8B

「───・・・頭痛ぇ・・・それに胸がムカムカして吐き気までする、気持ちわりぃ・・・」

「なんだかそれって二日酔いしてるときみたいだねぇ。もぉ〜だめだよ竜ちゃん、お酒なんて飲んじゃ」

「どこでそんな物飲んできたのよ。大体竜児、昨日どこまで買い物行って」

「あーだめだ、そこどいてくれ大河、ちょっとトイレ・・・う・・・」

「ぐぇっぐぇっぐぇっぐぇっぐぇ」

二日酔いに見舞われるくらいお酒を飲んでたのか、それともわたしのお灸がそんなに効いたのか。
原因は定かじゃないけど、その日調子を崩した竜ちゃんを見てほんのちょこっとだけ胸がスッとした。
世話ばっかりかけちゃって、少しは痛い目を見て懲りてねって、ほんとそれだけだよ?
わたしどっかのむっちちと違って人をイジめて喜ぶ嫌なシュミなんてないし、竜ちゃんのこと大好きなんだから。
けれど、事態が急転直下したのはこの後のことだった。

「木原と香椎がケンカしてるとこに居合わせて、宥めてる内に『高須くんどっちの味方なのよ』って矛先が俺に変わってよ。
 二人してハッキリしなよとかそういうところが男らしくないとか言い出して・・・
 次第に俺の方もちょっとムッとしてきたっていうか・・・我に返ったときにはもう二人とも裸で寝てて・・・俺も・・・・・・」

あろうことか、今まで完全に受身オンリーだった竜ちゃんが初めて自分から・・・
ど、どどどどうしてそんなことに!? 見た目を裏切りまくるガチンコ草食系な竜ちゃんがなんで、なんでなんで!?
わたしや、それに一億歩譲ってむっちちならまだしも、そんな路傍の石っころみたいな娘を相手にするなんて。
し、信じられない。竜ちゃんに一体全体何が起こったっていうの・・・ハッ!? ひょ、ひょっとして・・・わたし、やりすぎちゃったり・・・した?

「それに不思議なんだ、今までそんなことしたことないのに、なんていうか思ったよりも落ち着いてたっていうか、体が勝手に動くみたいな感じが・・・
 それだけじゃなくてけっこう調子のいいことまで口にしたりして・・・俺は一体どうしちまったんだ・・・
 木原と香椎にだってあんなことするつもりじゃなかったんだよ、本当なんだ」

体が勝手に・・・?
それってまさか、頭では覚えてなくても体の方は覚えちゃってるってこと?
なんてこと。受身とはいえ回数を重ねる度に竜ちゃんは体で学習していってたんだ。
本人からしたらまったく与り知らないようなものででも、着々と女の子のことを勉強してたなんて。
えっと、最初がやっちゃんで、次がむっちちで、その次が昔竜ちゃんが入れ込んでた女で、その次の次が竜ちゃんを誘惑したヤツで、
その次の次の次がかいちょーとか呼ばれてる女で、その時点で・・・っ、ご、五人!?!?!?
しかも一気に二人増えたから・・・七人・・・経験値に直したらどこまで行ってるんだろう。
ハーレムでもできそう。ってだめだめだめ、それじゃ今まで頑張ってきた意味がないじゃない。
竜ちゃんはわたしだけの竜ちゃんなんだから。

「俺、やっぱり今から二人のとこに行ってくる。とにかく話を・・・なにしてるんだインコちゃん、危ないからこっちおいで」

ごめん、ごめんね、許して竜ちゃん。
こんなことしても泥沼だってわかってるの、なんの解決にならないってちゃんと理解できてるの。
でも他に方法が見つからない。だからこうするしかない。
そう、これしか知らないわたしにはこれしかできないの。
無力なわたしを許して。

「あれ・・・なんか前にもこんなことがあったような・・・」

それは夢だよ、甘い夢。そしてこれも。早く夢から覚めてね、竜ちゃん。

「───櫛枝が?」

「そう、アルバイトしてるお店で奢ってくれるんだって」

「よかったな」
196174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:13:21 ID:SM95Xp8B

「うん、せっかくだから楽しんでくる。でもなんでだろ、いきなり・・・そういえば、ばかちーもこの頃変なのよ。
 優しくなったっていえばそうなんだけど、ふとした時とかに私を見て勝ち誇ってるような顔して・・・なんなんだろ、二人とも」

「ぐぇっぐぇっぐぇっぐぇっぐぇ」

だけど、結論から言えば、竜ちゃんが夢から覚めることはなかった。

「進路相談のはずが、いつのまにか先生の一方的な恋愛相談に付き合わされてて・・・この間フラれたらしいんだよ、また。
 めちゃくちゃ落ち込んでて、聞き手に回ってるだけなのに生返事する暇も相槌打つ暇もないくらいでさ。
 他の先生だって帰っちまったのに一向に終わる気配が来ないんだ、あれ。
 さすがに付き合いきれなくなってきた辺りで『高須くんもこんな面倒な女イヤよね、どうせ地雷だって思ってるんでしょ』とか言われて、
 ポロっと面倒だって地雷だって先生のことは俺が貰ってあげますよ、って・・・そ、そんなこと言う気なんて全然なかったんだよ」

それどころかむしろ酷くなってる!?

「俺はただ元気出してくださいよとか当たり障りないこと言おうとしてただけで、すぐに言い直そうとしたんだ。
 なのに被せるように『も、もう高須くんたらお上手なんですから、冗談でもそんな・・・先生本気にしちゃうじゃない』って先生が言った直後に、
 していいですよ、なんて思ってもなかったことを、それも軽々しく・・・一瞬で先生が目の色変えたのが見えたんだ。
 ヤバイって思って大慌てで職員室を出ようとする前にはもうガッチリ肩掴まれてて、その後は・・・無理やり・・・
 お、おいインコちゃん? どうしたんだ血相変えて」

こ、今度は大丈夫だよね。これ以上酷くなるなんてことあるわけないもんね、そうだよね。

「北村に急な用事ができたから、生徒会の会議に出席できなくなったことを伝えに言ったんだ。北村に頼まれて。
 生徒会室には女子が二人いて、そういえば俺の身近にはこういう大人しいのがいないなって考えてる内に」

こ、今度こそ! 今度こそ本当の本当に大丈夫!

「メイドが」

もういい加減にしてぇ・・・・・・



               ・
               ・
               ・



あの日々のことは、今思い出しても背筋を嫌なものが走り抜けていく。
戦慄と言っても過言じゃない。
もっと素直に言えば、怖かった。
ひとえに竜ちゃんのためにとやっていたことが、こんな結果をもたらすなんて。
因果応報とはよく言ったものだよ。
後悔してるわけじゃないんだけど、それでもこんな本末転倒っていうか、残酷な道を歩むはめになるだなんて夢にも思ってなかったわたしに、
あのいつ終わるともしれない日々は緊張と恐怖しか与えなかった。
竜ちゃんはまた今日も、なのかなって。
だけど、何かにとり憑かれたかのように無節操に別々の女と関係をもっていった竜ちゃんは、あのメイド云々を境に元の竜ちゃんに戻った。
思い当たる原因はあれしかない。
いつものように頭をぶっつけた後、フラフラと倒れた先がよりにもよってテーブルで、そのまま頭を打っちゃったの。
それも角っこに。
メコっていう鈍いんだか鋭いんだか、硬いんだか柔らかいんだか、とにかくとっても痛そうな音がした。
いやーな雰囲気漂う中、竜ちゃんはそれまでに比べてずいぶん早く意識を取り戻すと、何事もなかったかのように自分のお部屋へ。
それからは次の日も、その次の日も、そのまた次の日になっても、竜ちゃんは誰それになにかした、なんて話をしなくなった。
もしかしたらわたしに内緒にしてるのかもしれないって疑ったりもしたよ、当然。
でも仕草や表情は至って普段のそれで、なにか悩みを抱えているようには見えなかった。
197174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:14:24 ID:SM95Xp8B
とうとう竜ちゃんがまともになってくれた。
寄り道も沢山したけど、でもしっかり実を結んだ。
わたしのやってきたことは間違ってなかった。
二ヶ月前のあの日ほど胸が躍ったことはそれまでなかった。
それも今朝までのことなんだけどね。
え? なにかあったのかって? ふふ、どうしよっかなぁ。そんなに知りたいの? う〜ん、しょうがない、じゃあ特別に教えてあげちゃう。
ほら、見える・・・? わたしと竜ちゃんの愛の結晶。
胸が躍るなんてものじゃない、気分はまさに天にも昇るよう。

「うふふ・・・こ、こここれっはりゅ・・・っりゅりゅうちゃんんと、い〜いん・・・い、いんっぽちゃんの・・・」

そう、わたし産んじゃいました、大切な人との間にできた、大切な卵。
近頃お腹に違和感を感じてたんだけど、まさかこんな素敵なことになるだなんて。
幸せの絶頂っていうのは、気付いたときには通り過ぎてるんだってしみじみ思う。
一瞬太っちゃったかと思った自分がばかみたい。
きっと神様も見てたんだよ、一途にがんばるわたしを。
だからご褒美に最高のプレゼントを届けてくれたんだ。
竜ちゃんも、すっごくビックリしてたけど、それよりもずっと喜んでくれた。
この卵は一生物の記念にする、な〜んて浮かれちゃったりして、子供みたいなんだから、もう。
やっぱり生まれてからじゃないとお父さんの自覚って芽生えてこないのかな。
わたしなんてもう四六時中一緒にいて、早く生まれておいでって温めてあげてないと落ち着かないんだけどな。
早く自覚を持ってほしいけど、ま、焦る必要もないか。
これでわたしと竜ちゃんの障害になるものもなくなるもんね。
だって赤ちゃんなのよ、赤ちゃん。
いくらむっちち達が既成事実だなんだってぴーちくぱーちく騒いでも、こっちには赤ちゃんがいるんだから。
責任感の強い竜ちゃんがどっちを選ぶかなんて火を見るより明らか。
たとえそうでなくても竜ちゃんがわたしをポイしちゃうなんてあるはずない。
要は、これこそ勝利の女神がわたしに微笑んでる証拠。
運命なんだから、運命。

「お、おい、大河? どうしたんだ? 飯なら今作ってるとこだから、そんなに慌てなくても」

あ、噂をすればなんとやら。
むっちちがわたし達のお家にやって来た。
今さら来たってもうなにもかも遅いのよ、これ以上竜ちゃんをその洗濯板よりも哀れな貧乳で誘惑しようとするの、やめてくれない?
・・・帰ってって言ってるの。わたし達の幸せを邪魔しないで。

「・・・・・・・・・」

・・・な、なに、このかつてない悪寒。全身総毛立っちゃってる。
それになんなの、むっちちのあの竜ちゃん並に鋭く尖ったギラつく目。
虎を背負うむっちちに睨まれたわたしは、まるで蛇に睨まれた蛙そのもの。
目を逸らそうものなら獲って食べられる。羽一本動かそうものならカラリとおいしそうに揚げられる。
震えることすらできずにいたわたしは、ただただ死んだフリならぬ剥製になった気になって微動だにせず、
目の前の脅威が何もしないで過ぎ去るのを祈った。
すると突然お部屋の扉が開き、竜ちゃんのよりは小さな、だけどわたしにとっては十分巨大な手が侵入してくる。
無造作に向かってくるむっちちの手。今までで一番恐い。
な、なにをしようっていうの、一体・・・わたし、豊満なばでーしてる方だけどおいしくないよ・・・?
え・・・ちょっと、うそ・・・うそでしょ? そんな・・・ま、待って!? だめだめだめ、だめったらだめ!?
そんなの・・・それだけは、それだけはイヤなの、お願いだからやめて!?
もうおっぱいが無いからってむっちちなんて呼んだりしないから、だから・・・だからやめてえぇ!!

「そぉいっ!」

                              〜おわり〜
198174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/22(月) 11:15:34 ID:SM95Xp8B
おしまい
199名無しさん@ピンキー:2010/03/22(月) 11:18:27 ID:vaklNQ8t
>> 174 ◆TNwhNl8TZY
リアルタイムGJ!
てかインコちゃん諸悪の根源wwww
200名無しさん@ピンキー:2010/03/22(月) 11:33:51 ID:3WVn8QvB
すっげ面白かった、完結お疲れ様でしたー
いやあ、妄想かと思ったらホントにやってたとはw
しかし大河ウゼーw
こうやって楽しみにしてた作品がちゃんと終わるっていいですね。
201名無しさん@ピンキー:2010/03/22(月) 21:14:18 ID:54prRCi4
同時攻略ルートに入るにはまずインコちゃんを落とさないとダメだったのか…!
202名無しさん@ピンキー:2010/03/22(月) 21:52:12 ID:V5HD2bVc
>>198
こういうナンセンス系は収めどころが難しいと思いますが、インコちゃんを
話の中心に据えることで、なんでもありの雰囲気にまとまってますね。
すごく上手な作りでした。
特に、最後のインコちゃん視点がすごく面白かったです。 GJ。
203名無しさん@ピンキー:2010/03/23(火) 00:24:45 ID:k5/Djk0y
>>198
GJです!いやあ謎(?)が解けたw
インコちゃんおそるべし・・・
204名無しさん@ピンキー:2010/03/23(火) 01:22:26 ID:i0WwsZg3
>>198
せっかく生んだタマゴを潰されて、インコちゃんも可哀相に……とか思っていたのに。

 お 前 が 元 凶 か よ !

こうなってくると、ヒロインズの中にも被害者と言える子が居る訳で。
今後の展開が物凄く気に掛かります。具体的に言うと竜児の生死的な意味で。
しかし一番の駄目パターンだったのが、会長とやっちゃんだったとは……。
205翼をください:2010/03/23(火) 03:00:48 ID:tNN2sMmP
投下させていただきます。
設定の書き方が良く分からないど、一応
・竜児×亜美
・エロなし
・場面はクリスマス、竜児が振られたとこ
以下、本編
206翼をください:2010/03/23(火) 03:01:59 ID:tNN2sMmP

 奇蹟はまるで、翼をはやした小悪魔の様で。
 翼をもたないあたしたちは、小悪魔の気まぐれを指をくわえながら待ちぼうけするしかない。
 若しくは、蝋で固めたイカロスの翼で飛ぶしかない。
 
 †

 外に出ると、きんきんに冷えた空気が無数の針となって体を刺してくる。
 コートを羽織る事なく、ドレスのまま外に出た川嶋亜美は、均整のとれた体をぶるると震わせて、けれどパーティー会場の中に戻ろうとはしなかった。
 大橋高校の体育館を使用したパーティー会場は、それなりに防音設備が整ってはいるけれど、それでも聖夜を謳歌する声が外まで漏れていて。
 亜美を更に冷たい所へ、冷たい所へと追い立てる。
 逃げる様に、体育館を離れる。行き先なんて、彼女自身にも分かっていないけれど。
 ふと、空を見上げた。広がる伽藍は濃淡な藍色。それは闇よりも尚。
 薄い雲がぽつぽつとかかってはいるものの、適当な星を探す分には困らなかった。
 小さな、無数の星。その一つ一つに名前が付いているのかもしれないけれど、亜美には何一つ分からない。
 何度か撮影や旅行の際に行った、田舎町で見上げた星と比べて此処から見上げる星は、量も少なく光も弱い。
 けれど、今の亜美にはその光さえ、遠く、眩しい。
 何となく卑屈な気分になった亜美は、そっと顔を伏せた。
 なんなのだろう。
 亜美は、心の中で呟く。
 あたしは、一体何のためにここにいるんだろう。
 普段の彼女ならば、鼻で笑う様な疑問。
 実際に、彼女の唇は歪んでいた。普段とは性質が違ってはいるけれど。
 彼女の体の中には、言いようもない虚脱感があった。
 ほんの数十分前までは怒りがぐるぐると渦巻いていたはずなのに、今ではすっかり萎んでしまい、そこにはただ、大きな穴がぽっかりと覗いていた。
 学校のイベントだ、アルコールなんて一滴も摂取していないのに、頭は重く、まるで自分が自分でないかのよう。
 もしかしたら、この日この夜独特の周囲の雰囲気に酔ってしまったのかもしれない。
 らしくもない事を考えてしまうのは、きっと、そのせいだ。
 だから、きっと。
 明日になれば、あたしは、また元のあたしにも出る事が出来る。
 そんな事を考えながら、俯きがちにとぼとぼと歩いていると、いつの間にか校門の傍まで来てしまっていた。
「――っ」
 何となく舌打ち。こんな所へ来て、どうすればいいのだろう。
 少なくとも、今ははまだ体育館には戻りたくない。
 けれど、校門を出てしまったところで他に行くところなんて有るはずもなかった。
 こんな恰好で外をうろつくわけにもいかないし、何よりそろそろ風邪をひいてしまいそうだった。
 休業中ではあるけれど、年始には撮影の仕事が入っていた。今風邪をひいて、寝込んだりなんかしたらスタイルとかコンディションとか問題が生じてしまう。
 それは、一般人には些細かもしれないけれど、亜美にとっては大きな問題だった。
207翼をください:2010/03/23(火) 03:02:40 ID:tNN2sMmP
 
 はあ、と溜息をこぼす。
 口から漏れ出た呼気が、白く光る。けれど、呼気さえも空には届かず、あっという間に溶けてしまった。
 その様子を何処か遠い所で眺めていた亜美は、やがて寒さに耐えきれなくなったかのように、両腕を抱いて踵を返した。
 その途中に、校門が視界に入ったのは、果して、彼女にとっては僥倖だったのかもしれない。
「?」
 一瞬だけ視界をかすめたものが、何となく気になった亜美はもう一度校門を振り返り、じっと目を凝らした。
 視線の先、校門の麓。
 何か奇妙なものが、倒れていた。
 ――人、だろうか。それにしてはむっくりとして大きく見える。
 無意識に、亜美はソレへ向かって足を踏み出していた。一歩。また一歩。
 ソレとの距離が近くなるにつれ、次第に全貌が明らかになってくる。
 きぐるみ。何の動物かまでは分からなかったけれど、それはきぐるみに身を包んだ人間のようだった。
 きぐるみを着た人間が、何で校門の前に倒れているのだろう。
 不審に思いながら、亜美の歩みは止まらなかった。
 気持ち恐る恐るになりながら、けれど歩みの速度は変わらず。
 さらに数歩歩いたところで、きぐるみ人間の顔が微かに見えた。
「高須君?」
 薄暗い夜のベールに覆われていてはっきりとはしなかったけれど、亜美にはその人物を特定する事が出来た。
 彼女が無意識に呟いた言葉が聞こえていたのか、視線の先の人物がゆっくりと亜美の方を向いた。
「……川嶋か」
 竜児の顔がはっきりと見える様になった頃、竜児が亜美の名を呼んだ。
 竜児の生気のない声に、亜美は眉をひそめた。
「どうしたの?」
「……そんな恰好で、寒くないのか」
 亜美の問いかけに応えず、竜児が問いかけてきた。
 その事に、またむくむくと怒りがこみ上げてくる。
「だとしても、アンタには関係ないし」
 ぶっきらぼうに答えて、ぷいとそっぽを向いた。
「はは、そりゃそうだ」
 竜児の笑い声は弱弱しく、何処か痛々しくも聞こえた。
 亜美は、どうしたのかもう一度聞こうとして開きかけた口を閉ざした。
 大の字になっている竜児に更に近づいて、顔を見下ろした。
 そして辺りを見渡し、ふーん、と呟いた。
「もしかして、振られた?」
 それは何の根拠もない全くの勘ではあったが、竜児の反応を見て亜美はそれが図星であると悟った。
 面白い顔をして見上げてくる竜児に、少しだけスッとした気持ちになりながら、
「それで、どっちに?」
 今度は、亜美の質問の真意を測りかねたような顔。
 亜美にとってはそれだけで十分だった。
 意識せず、彼女の表情はいつもの悪戯っぽい笑みが宿り始める。
「実乃梨ちゃんなんだぁ」
 竜児の目つきの鋭い顔が、ぐにゃりと歪みかける。
 泣くか、と亜美は思ったが竜児の瞳から涙がこぼれる事はなかった。
208翼をください:2010/03/23(火) 03:03:24 ID:tNN2sMmP

「というか、高須君、告白する勇気あったんだ」
「……してねぇ」
「は?」
「告白してねぇよ!」
 竜児は少しだけ声を荒げ、
「告白する前に、振られたんだよ……」
 直ぐに声は萎み、表情からも覇気がなくなっていく。
「告白する前に……ねぇ」
 亜美にも段々と、事情がはっきりとしてくる。
 結局のところは、そう。
「揃いも揃って、大怪我しちゃったわけだ」
 一言で言えば、そう言う事なのだろう。
 実乃梨ちゃんのやりそうなことだ、亜美は小さく肩をすくめた。
 亜美の目から見ても、実乃梨は竜児に惹かれているように写った。
 そして、もう一人、逢坂大河も。
 大河を探しに行ったはずの竜児が、今は実乃梨に未遂とはいえ告白し、そしてここに倒れている。
 実乃梨も大河も。お互いにお互いの事を思って。
 ほらね。亜美は胸のすく思いだ。やっぱりこうなった。
 あんな歪な関係が、長く成立できるはずがなかったのだ。
 子供のおままごとのような関係。それはある意味強固で、そして脆い。
 亜美はそんな関係が、妬ましく、そして羨ましくもあった。
 あたしの言うとおりになったのに。きっとこのバカな男は、今になってさえ何にも理解できていない。
 どこか遠い所から、亜美は竜児を見据える。
 抵抗どころか、気付く事も出来ず、流されるまま流されて。寒空の下、呆然と身を投げ出している竜児が哀れで、そして滑稽だった。
 ざまぁみろ。口の中で、小さく言葉を転がした。
 何も見ようとせず、聞こうともせず、そして理解しようともせず。
 浸かり続けたぬるま湯は、針の先に乗った浴槽だった。
 竜児は、路上に仰向けになったまま、じっと空を見上げていた。
「あー、もう、何なんだよ、一体」
 竜児の声は、夜の暗幕にきんと響き。
 一体何に対しての言葉すら、分からない。
 亜美は、竜児の傍に座り込んだ。膝を抱えて、校門の柱に寄りかかった。
 スカートの中が見えてしまっているけれど、亜美も竜児も気にした風もない。
「いい気味」
 亜美は、はん、と鼻で笑って見せた。
「だから、あれほど言ったのに。幼稚なままごとなんてやめた方がいいって」
「……またそれかよ」
 竜児は、うんざりしたような顔をした。
「言いたい事があるなら、はっきりと言えよ。何が言いたいのか、全然分かんねぇ」
「それは、高須君がバカだからでしょ。あたしのせいじゃない。それに、高須君はいっつもあたしの言うことなんて、聞いちゃいないんだから」
「……」
「いつだってそう、大切にするのはタイガーと実乃梨ちゃんのことばっかりで、あたしのことなんか見ようともしない。いつだって、いつだって」
 亜美は、眉をしかめる。下唇を噛んで、ぎゅ、と拳を握りしめた。
 悔しかった。
 何をしても、何を言っても結局“異分子”でしかなかった自分が。
 そして、終始、蚊帳の外でありながら、しっかりと傷ついている自分が。
209翼をください:2010/03/23(火) 03:04:00 ID:tNN2sMmP
 
 竜児と亜美の間に、暫し沈黙が流れる。それなりには、重苦しい沈黙。
 二人同じ空を見上げて、見えているものは、きっと全く違う。
 ぶるり、亜美は体を大きく震わせた。
 その様子を視界の端に捉えたのか、竜児がむくりと体を起こした。
 立ち上がり、亜美のもとへ歩み寄ると、すっと無言で手を伸ばした。
 不思議そうに見上げる亜美に、
「寒いだろ、中に入ろうぜ」
 竜児を見上げる、亜美の瞳が一瞬だけ揺れた。
 けれど直ぐに、不機嫌な顔をつくってみせた。
「ふん、余計なお世話だっつぅの。振られ男に気ぃ遣われるほど、亜美ちゃん落ちぶれてないもーん」
 つーんと首をそむける亜美に、竜児は苦笑する。
「別に気なんて遣ってねえよ。俺も、この格好意外と寒いんだぜ?」
「うそばっかり。ちょー温かそうじゃん」 
「それに、この格好のままだと恥ずかしいんだよ」
「そう?良く似合ってると思うけどぉ」
 竜児の言葉を亜美は、まともに取り合おうとしない。 
 頑として動こうとしない彼女に、竜児は困ったような顔をする。
 正直、今の彼に亜美の事を気にかける余裕はなかった。
 けれど、亜美の格好を見て寒空の下にほったらかしにできない性格でもあった。
 その事を亜美も良く知っている。3人の中には入れなかったけれど、亜美だって竜児と半年以上の時を過ごしてきたのだ。
 はあ、と亜美は大仰に溜息をついて見せる。
 そして、いかにも渋々ですという体を装いながら、竜児の手を取った。
「ぅお!お前、手、きんきんじゃねぇか」
「そりゃあ、亜美ちゃん心があったかいから。当然でしょ」
「……それが迷信だと言う事を、今、改めて思い知ったよ」
「はあ?何それ、意味わかんねーし」
 軽口を言いあいながら、二人、明るい所へと歩いていく。
 いつもと同じような、二人の会話。
 けれど、どこかよそよそしく、空々しい。
 最初は繋いでいた手も、あっという間に解かれている。
「ねぇ」
「ん、どうした?」 
「高須君、実乃梨ちゃんに振られちゃったんだよね」
「……川嶋、俺に何か恨みでもあるのか?」
「そう言うつもりじゃなくて。だって、結構脈ありに見えてたし。だから、いまいち信じられないの」
「ははっ、信じるも何も、振られてなかったら今、ここに居ねぇよ」
 竜児は自嘲し、肩を落とした。
 もし、櫛枝が自分の告白を受け入れてくれていたら、自分は今、何をしているんだろう。
 きっと、今頃あの温かい所で特別な聖夜を過ごしていたんだろうか。
 それとも、大河の家に二人で向かい、3人で楽しい時を過ごしていたんだろうか。
 考えるだけ空しい事だが、どうしても考えずにはいられなかった。
「何、落ち込んでんの。らしくないよ」
「さすがに、落ち込まずにはいられねぇよ」
「ふぅん、でも落ち込むってことは、それなりに勝算もあったってことだよね」
 亜美の言葉に、竜児はぎゅっと手を握りしめ、
「そ、それは、アイツも少しは、俺の事を思ってくれていたような気が、ちょっとは、する、けど……」
 竜児は、この半年近くの日々の事を思い返しながら呟く。
 思い返せば、大河と知り合ってからこれまでの間、1年前と比べてぐっと実乃梨との距離が近くなった。
 その中で、それなりの手ごたえを感じていたのもまた、事実だった。
 本当にいろんな事があったな、と感慨深い一方で、これから先の事を思うと憂鬱になる。
 この後は冬休みをはさんで、きっと3学期開始まで実乃梨と会う事はないだろう。
 その時に、どんな顔をして会えばいいのか、竜児には見当もつかなかった。
 大河に対してもそう。あれだけ面倒をかけたのにこのざま。大河に何と報告すればいいのか。
 そんな、取り留めもない事を考えて竜児の肩は更に下がり、足は段々と重みを増していくのだった。
210翼をください:2010/03/23(火) 03:04:35 ID:tNN2sMmP
 
 そんな竜児の様子を眺めながら、亜美は、再びこれまでの顛末を考えていた。
 竜児も言うとおり、実乃梨は竜児の事を好きなのだろう。
 その度合いはどうであれ、憎からず思っていた事は間違いがないだろう。
 それなのに、いざ、ふたを開いてみれば、この結果。
「ねえ、何で振られたか分かる?」
「いや……やっぱり、俺の事を好きじゃなかっただけだろ」
「さっき、勝算もあったって言ってたじゃない」
「それは……」
 亜美の言葉に、竜児は口ごもった。
「教えてあげようか」
「……知ってるのか?」
「知ってるも何も、今まで気づいてなかった高須君達がバカなんじゃない。っていうか、どっかネジとんでるんじゃないの、揃いも揃って」
 訳知り顔で話す亜美に、竜児は少しムッとする。
「何なんだよ」
 竜児が立ち止まった。数歩先で、亜美も立ち止まり、振り返った。
 不満顔の竜児を見て、自らの細い腰に手を当てて目を細め、ふん、と鼻で息を吐いた。
「理由。知ってるんだろ」
 教えろよ。竜児は、じっと亜美を見据える。
 元々から凶悪な目線が、真剣な表情も相まって更に厳しくなった。
 正に、泣く子も黙る表情である。
 しかし、亜美は、臆することなく竜児の視線を受け止めて見せる。
「本当に、分かんないの?」
「だから、櫛枝が――」
「――そうじゃないって、言ってるでしょ。偶には、あたしの言う事を聞いたら?」
 相変わらずの竜児の言葉を遮って、亜美は、きっと竜児を睨め付けた。
 その視線に、竜児の方が怯んでしまった。
 その迫力は、まるで、手乗りタイガーと恐れられる逢坂大河と似通ったものがある。
 美人の怒った顔は、かくも恐ろしいものなのか、凶悪な顔は自分の顔で見慣れていたはずの竜児だが、改めてそう思った。
 しゅんとしてしまった竜児に、
「タイガーよ」
「大河?」
 何故いきなり、ここで大河の名前が出てくるのだろう。
 思わず竜児は、首をかしげてしまった。
 ほんっと、何処までも鈍感。その姿を見て、亜美は心の中で毒づいた。
「高須君が、タイガーを献身的なまでに面倒みるから、実乃梨ちゃんも遠慮しちゃったのよ」
「……はぁ?すまん、良く分かんないんだが」
 竜児の言葉に、亜美はとうとう呆れかえってしまった。
 いつもは優しく、気遣いが上手い竜児ではあるが、自分に向けられる好意に対しては、此処まで鈍いとは。
 分かってはいたけれど、ね。亜美は、頭を抱えたくなってしまうのを何とか堪えた。
「だから、タイガーも高須君の事、好きなのよ。まあ、タイガー自身も想いに気付いてないかもしれないけど。でも、実乃梨ちゃんはそれにうすうす気づいてる。
 そして、タイガーには高須君が必要だって思って、自分は身を引いたのよ」
 言いながら、亜美は、今はいない実乃梨に対して苛々が溜まっていくのを抑えきれない。
 何のつもりかは知れないけれど、実乃梨は大河に竜児を譲った。そう、譲ったのだ。
 戦うことなく、上から目線で、見下して。
 しかも、実乃梨は自分の気持ちをはっきり竜児に伝える事をしなかった。
 どうせ告白を受け入れないのなら、嫌いだと、付き合えないと、言ってしまえばいいのに気持ちを保留して。
 実乃梨の事だから、きっと、新学期は何事もなかったかのように振舞うつもりに違いない。
 実乃梨は、竜児の思いを、告白を無かった事にするつもりに違いがないのだ。
 ――この期に及んで、幼稚なままごとを続けるつもりでいるのだ。
 ふざけんじゃねぇ。亜美は毒づく。何様のつもりだ。
 想いを握りつぶして、今まで通り、皆で仲良く?はん、おまえら一体いくつなんだっつの。
 男女の間に友情は成立するか否か。それは正に、永遠の命題とも言うべき議題で、未だ答えは出ていない。
 そして、亜美は否定派であった。男女間の友情?あり得ない。
 例え、成立したとしても、「親友」の枠に入ることなんて亜美にはどうしても思えなかった。
 ガキじゃあるまいし、何も考えず、おててつないで、なんて不可能だ。
 そして、竜児を取り巻く人間関係は、歪で、成立していたのは友情ではなかった。
 塗料を塗りたくり、友情に見せかけて。けれど、始めから剥離が覗いていた。
 そして、矢張りここにきて、限界が来た。始めから、約束された限界。
 もう、幼稚なままごとは終わりだ。ひび割れた殻から覗くもの、それは。
211翼をください:2010/03/23(火) 03:06:41 ID:tNN2sMmP
 
 ふと、思う。
 今、竜児たちの絆は壊れかけている。あれほど、亜美を強固に阻んだ絆が。
 ――今ならば。
 今ならば、あたしにだって希望があるかもしれない。
 今ならば、あたしを見てくれるかもしれない。
 そんな、らしくないと言えばらしくもない思いが亜美の心の中を過った。
 けれど、その思いは、甘く、痺れる様に亜美の心を打った。
「ねぇ、高須君?」
「……何だ?」
 顔を伏せ、考え込んでいた竜児が怪訝な顔をする。
 亜美の声は、奇妙なほど喜色に満ちていた。
 亜美と竜児、二人の間、数歩にも満たない距離を亜美は、一気につめて竜児に抱きついた。
 ふわふわの柔らかいきぐるみ。あったかい。小さく声を漏らす。
「ちょ、おい、川嶋!?」
 亜美の唐突な行為に竜児は、目を丸くする。
 彼女の豊満な胸が、きぐるみ越しにもはっきりと感じられた。
 それを意識して、竜児の顔が赤く燃え上がった。
 心臓が、一気に鼓動を強くする。
 そして、それは、亜美においてもそうだった。
 竜児の温かい体に、自分の体が如何に冷え切っていたかを知る。
 竜児が亜美の肩に手を置き、体を離そうとしてくる。亜美は力の限り、それに抗う。無意識に、いやいや、と首を振っていた。
 離れたくない、離したくない。強くそう思った。
 赤くトマトの様な顔を見られたくなくて、ふかふかの身体に、ぽふ、と顔を埋めた。
「……入れてよ」
「え?」
「全部、一から始めて、そこにあたしも、一から入れてよ」
「川嶋?」
 多分この言葉も、彼には届いていない。
 けれど、亜美にとってこの言葉を口にするために、一体どれだけの勇気を要したか。
 これだけ、苦労して、結局竜児には届いていない。
 勇気がしおしおと萎んでしまいそうになる。
 何時もならここで挫けて、逃げてしまう。
 冗談だとうそぶいて、本気を見せようとしなかった。
 亜美は、ふるふると首を振る。ダメ、こんなんじゃ、ダメだ。
 ――高須君に変わってもらいたいならば。あたしの方からも、変わっていかなきゃならない。
 すぅ、と亜美は息を吸った。
 後少し、後少しだけ、勇気をください。
 亜美は、滅多に神様に祈る事をしない。けれど、今夜は聖夜。珍しく、亜美は亜美様へと祈っていた。
「好きなの」
「――え?」
「高須君の事が、好き。大好き」
「川嶋、こんな時まで、そんな冗談は……」
「冗談なんかじゃない!」
 亜美は、がばっと顔を上げて、竜児を見上げた。
 その顔を見て、竜児は、はっと息をのんだ。彼女の瞳から一筋、光るものがあった。
「何で、冗談だって決めつけるの。冗談なんかで、こんな事言えると思う?」
「ぁ……」
 川嶋は女優の娘だろ。そう言おうとした口を、何とか閉ざした。
 それは、決して言ってはいけない言葉だということくらい、竜児にだって分かっていた。
 彼女は、真剣に想いを伝えてきた。
 その想いに、自分も真摯に応えなければならない。
「お、俺は……」
 竜児は、答えに窮してしまう。
 ほんの1時間弱前に実乃梨に振られたばかり。
 その振られ方も悪かった。
 嫌いと言われたわけでもない、亜美の話によるならば竜児の事を憎からず思っていつつも、大河に遠慮してという事になる。
 竜児の中には、当然未練が根強く残っていた。
 ここで、亜美に告白されたからといって、はいそうですかと切り替えられるほど竜児は剛毅でないし、そんな薄情な事、竜児にできるはずもなかった。
212翼をください:2010/03/23(火) 03:07:13 ID:tNN2sMmP
「す、すまん――」
 断ろうとして、口を開き、
「――待って」
 亜美の人差し指が、ぴとりと竜児の唇に当てられ、竜児は、言葉を飲み込んだ。
「……川嶋?」
 何故?竜児は、首をかしげた。
「今、返事が欲しいわけじゃないの。どうせ今貰っても、高須君の事だからごめんなさい、でしょ?あたしは、負けると分かってる勝負をするつもりはないから」
 川嶋亜美は負ける事が嫌いだ。
 誰よりも勝る容姿を手にし、多くの人々から羨望の眼差しを受けてきた。
 勿論、それに見合うだけの努力もこなしてきた。
 だから、勝って当然なのだ。負けなんてありえはしないのだ。
 けれど、如何せんこの勝負は、さすがに分が悪かった。
 なぜならば、亜美は、漸くスタートラインに立ったばかり。
 いくら亜美が誰よりも美しいとはいえ、勝負になるはずがなかった。
「だから、勝負はこれから。覚悟しててね、絶対に高須君を落として見せるから」
 悪戯っぽく笑って、亜美は竜児の身体から離れた。
 途端に冷える体。ぶるりと震えた。
 亜美は、未だ呆然とする竜児の手を取った。
 ぐいっと引っ張って、明るく温かい所へ向かい、駆けだした。
「お、おい、川嶋!」
 竜児の声も聞こえないふりをして、スピードを上げる。
 ここまで来るのに時間をかけ過ぎた。もう、もたもたしている時間はない。
 電光石火。それこそ、空を飛ぶくらいの勢いで。

「ほら、早く、高須君!」 
 体育館の前。宴もたけなわに近づき、中の喧騒もピークに達している。そろそろダンスタイムの時間の様だ。
 ちょうどいい。神様もあたしの祈りを聞き届けてくれたのかもしれない。
 亜美は、バン、と勢いよく扉を開いた。中に居る人たちの視線が、幾つか突然の闖入者に向けられた。
 亜美は、彼らに意味ありげな笑みを浮かべて見せると、
「――んっ」
「むっ!」
 気持ち背伸びをして、竜児の唇にそっと、自分の唇を押しあてた。
 挨拶代りのキス。開幕の狼煙。
 唇を離して、目を白黒させる竜児に悪戯っぽく笑って。
「これからよろしくね、高須君」
 そう言ってぺろりと舌を出す。
 かあ、と竜児の顔が瞬間沸騰気よろしく、温度を上げた。
 呆然と押している竜児の手を取ったまま、唖然とした生徒達の中を進む。
 二人が会場の中央に立つと、流れていた音楽が変わり、ゆっくりとしたものになる。
 この図ったかのようなタイミング。もしかしたら、祐作の仕業かもしれない。たまには役に立つじゃない。
 あたしは、きっかけをつかんだ。
 これからどうなるのかは、あたし次第。きまぐれな小悪魔の事だ、うかうかしていたら折角掴んだのに、掌の中からするりと飛び去ってしまいかねない。
 でも、小悪魔ぶりならばあたしだって負けない。
 せっかく手に入れたチャンス。絶対に、実らせて見せる。
「高須君」
「……」
 いまだ固まっている竜児に向き合って、繋いだ手を軽く掲げ、
「シャル・ウィー・ダンス?」
「……い、いえ、す」
 今夜はクリスマス。ホーリーナイト。
 雪は降っていないけれど、星屑が舞い降りる、きっと何よりも特別なクリスマス。
213翼をください:2010/03/23(火) 03:10:24 ID:tNN2sMmP
投下終了。
続く予定ではありますが、まだ見通しも立っていないので、短編として見て頂ければと思います。
お目汚し失礼しました。
214名無しさん@ピンキー:2010/03/23(火) 03:12:20 ID:JF2T7xI/
うぉぅ

これはリアルタイムで良いものを見た

あーみんが可愛いな
ぜひ続いてくれ!
215名無しさん@ピンキー:2010/03/23(火) 03:19:55 ID:chTfGnwL
GJ
よかった
続きが読みたいです
216名無しさん@ピンキー:2010/03/23(火) 16:30:05 ID:yo7hMjFR
>>213
GJです!
続きに超期待あーみん頑張れ!
217名無しさん@ピンキー:2010/03/23(火) 16:39:35 ID:JNot6qkb
>>198 GJ!です。 妄想とか思ったらまさかのインコちゃんとは・・・・
終わり方もすごくうまいと思いました。
是非また違う作品をおまちしておりますw

>>213 GJ! あーみん積極的〜 しかしこれは泥沼のフラグが・・・
wktkしながら続きおまちしておりますw
218名無しさん@ピンキー:2010/03/24(水) 04:34:26 ID:ggf6sP5I
>>213
激しくGJ!
個人的に文体がすごく好みです!
続き楽しみに待ってます!

亜美ちゃんかわいいよ亜美ちゃん
219名無しさん@ピンキー:2010/03/24(水) 04:41:30 ID:CFxcMhn4
SS投下
「×××ドラ! ─── ×××ドラ! × t ───」
220174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/24(水) 04:42:08 ID:CFxcMhn4

「どうしてうちにはパパがいないの」

見慣れたむくれっつら。聞き飽きた疑問。
もう何度この言葉を耳にしたんだか。
一々そんなの数えてるわけないからわからない。わかったとしても、だから? の一言で終わるだけ。
本来ならとっても重苦しいはずのこの質問は、もはや他愛ない日常茶飯事的会話といっても差し支えなかった。

「いるじゃない、この前だって会ったばかりでしょ」

返す私も、何回おんなじこと言ってんだか。
こんなので納得するわけないって知ってて、実際納得してくれた例だってない。
そしてこの子は見慣れたむくれっつらをもっと膨らませてこう言うのだ。

「じゃあ、どうしてパパはずっとお家にいてくれないの」

やっぱりね。またそのセリフ。
あのブッサいインコよりもレパートリーが少ないんじゃないかって時たま心配にさせられる。
ことある毎にパパ、パパって。ことがなくったってパパ、パパ、パパ。
思えば初めて喋った言葉もママじゃなくてパパだったわね。ぱーぱーって。
顔を合わせれば抱っこをせがんで、あいつが座ってるのを見つけるとその膝をイス代わりにして。
あんまりパパっ子なものだからママとしてはちょっと妬けちゃう。
ホントに誰に似たんだか。

「それはパパに聞きなさい」

あいつに聞いたところで、困った顔でごめんなって謝られるのがオチなのはこの際置いといて。

「そのパパがいないからママに聞いてるんじゃない」

あー言えばこう言う。
それはまだ目を瞑ってられるけど、人を小ばかにした態度はどうにかさせたいものだわ。
でも、それだけこの子が自分を見て成長してるんだと思うと嬉しくもある。
反面教師にはなりたくないけどね。
せめて誇れるママでありたいっていうのは、いけないことじゃないでしょ。

「忙しいのよ、パパは」

ちょっと疲れたようにそう言った。実際あいつは忙しい。
帰ってきてもろくに休みもせずにまた出て行って、しばらく経ったらまた帰ってきての繰り返し。
それはしょうがないことだって、この子もわかってはいる。頭ではね。
けれど気持ちの方はそうはいかいのは大人も子供も変わらない。

「私がもっと良い子にしてたら、パパももっとここにいてくれるかな」

子供らしい単調な考え。だけど子供らしい分、混じり気のない切実な願い。
こういうの聞いちゃうと、内心けっこう傷ついたりする。その気持ちは誰よりもわかるから。
しかしこれに付き合うと長い。長い上に真剣になればなるほど、こっちもあっちもとにかくとことん落ち込む。
そんなのは目に見えているから、私はあえてどうでもいいという風を装う。

「それもパパに聞きなさい」

キリリと目尻が吊り上がっていく。
普段はあまり目立たないけど、怒ると、あいつのあの特徴的な目つきに似るのはやっぱ遺伝なのかしら。
同年代と比べても小柄な身長。それに加えて性格も。
全体的に私に似ているけれど、あいつから受け継いでいるものも確かにあって、それが私たち二人の子供なんだっていう証のよう。
だから私はこれでなかなかこのふて顔も気に入っている。
これ以上キツくなるのはちょっと勘弁してほしいけどね、女の子なんだから。

「ママがそんなだからパパが家に寄り付かないのよ。そっけない態度ばっかりとるから」
221174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/24(水) 04:42:46 ID:CFxcMhn4

責任転嫁も勘違いも甚だしい。
あいつが家を開けがちなのはもっと別の理由があるから。
それがなかったらずっと一緒にいてくれるんだろうけど、現実は、中々ままならないようにできている。
あなたが生まれてくる前のことや、夢の中で楽しくパパと遊んでいる時にパパがママにどれだけ甘えてきてるのか教えてあげられれば話は早いんだけど、
いかんせんまだ話すには早いのよ、早すぎる。
変な方に曲がられるのも、ヤキモチ妬かれて拗ねられても困る。
しょうがなく、私はかつてあいつが私にしてくれたように、何も言わずにこの子の癇癪を一手に引き受けるしかない。
現実は、ままならないわね、ほんと。

「どうすんのよ、外にあいじん? とか囲ってたら。ぜったいママのせいよ」

この子は一体どこでそんな言葉覚えてくるのかしら。昨日だってシーツに大きな地図を作っちゃってたお子ちゃまが。
心当たりはいくつかあるけど、本命はばかちーのとこ。
ばかちー同様底意地の悪いばかちーの子はいたいけで純真なこの子をよくからかっては遊んでいる。
あれほど注意しろっつってんのに、たく。逆に率先してやらせてんじゃないの。今度顔見たら文句言ってやる。
それにこの子もこの子よ、そんないらない心配したりして。
あれだけ、それこそ磁石みたいに引っ付いててなんにもわかってないんだから。
あいつに愛人囲う甲斐性もなければ、そんな暇もない。
大体そんなことしてたらもっと家に寄り付かなくなってるわよ。
うちにも、ばかちーの家にもね。
あいつは私とこの子が住む家だけじゃなく、ほぼ日替わりで誰かの家に「帰って」いる。
根無し草同然と言えばそう。
違うのは、それぞれの家にしっかり家庭の根をはっている点。
曲がりなりにもちゃんと父親をやっているらしい。でなけりゃ今頃吊るし上げられてるところだわ。
うち? うちはそりゃ一番しっかりやってるわよ、だってあいつの本当の家は、私とこの子が待ってるここだけなんだから。
こないだみのりんにこれ言ったら真顔でいやいやそれはうちでしょ〜とか言い返されて、三時間ばかり話し込んだけどね。
とても有意義な時間だったわ。ええ、とても。
月日が経っても本音をぶつけ合える友達ってそういないじゃない、私は幸せ者だわ。

「くだらないこと言ってないで、ほら、支度は済んでるの?」

「もう行くの? お姉ちゃん家」

今度は私が目尻を上げる番だった。

「何度言ったらわかるのかしら。おばあちゃん家でしょう」

とは言っても相変わらず見た目は到底おばあちゃんなんて言えないんだけど。
私もなんかしっくりこなくて、お義母さんとも、子供じゃあるまいしママとも言えず、昔と変わらずにやっちゃんで通してるし。
だけどこの子からしたらやっちゃんはおばあちゃんなんだから、そう呼ばせるのは当たり前じゃない。
でもまぁ結局、今のところこの子もやっちゃんのことは、おばあちゃんって言うには変な感じを覚えるのか、やっちゃんって呼んでいる。
やっちゃんもそっちの方が嬉しいらしくて、この子を甘やかしてる。
それに唯一自分より誕生日の早いお姉ちゃんのことも大好きみたいで、決まっておばあちゃん家をお姉ちゃん家呼ばわり。
なんとかしたいところだけれど、

「だってお姉ちゃん家だもん。お姉ちゃんがいるからお姉ちゃん家だもん」

これだもの。なによ。パパの言うことだったら素直に聞くくせに、ママの言うことは聞かないんだから。

「はいはいわかったわよ。それで、支度はどうなの」

「した」

「見せてみなさい」

どうせ隣の古臭さが増した上に、壁に空けた大穴を継ぎ接ぎした後がみえみえの、よりぼっろくなったアパートに行くだけなんだけどね。
けどそれにしては荷物が多い。
おもちゃに絵本にゲームのソフト、これを抱いてなくっちゃ眠れないお気に入りのぬいぐるみ、それに着替えまでバッチリ。
まるでお泊りになるのを見越していたよう。
222174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/24(水) 04:43:34 ID:CFxcMhn4

「やだ、いつわかったの」

「こないだね、パパが帰ってきた日から数えてみたの。そしたら今日お姉ちゃん家の番だ、って。パパがいるんなら泊まりたい」

指を折って次はあの家、その次はどの家だって数える仕草が可愛らしくて、思わずぎゅっと抱きしめた。
いつかの夜にあいつがそうしてくれたように、あらん限りの愛情を込めて。

「いい、今日はたまたまってことにするのよ」

「わかってるわよ、ばかちーのとことかにバレたらうるさいもん」

そんなところまでマネしなくってもいいんだけど、蛙の子は蛙、ばかちーの子はばかちー、それでいいじゃない。
この子にとっても大切な妹の一人なんだし、愛称みたいなもんよ。

「パパ、びっくりするかな」

「そうね。喜ぶわよ、きっと」

本当はあなたも驚かせてあげるつもりだったのだけれど、驚かされたのは私の方だった。
目を見張る成長ぶりだわ。
ついこないだ生まれてきたように思えるのに、でもそれからあっという間に時間が経ったようにも感じる。
一抹の寂しさ。だけど、それがなによりも尊くて、嬉しくて、まだ見ぬこの子の明日がいつも楽しみで仕方がない。
できればあいつにも一緒に見ていてほしかった。
ずっと、一緒に。

「ママ?」

くりくりした瞳はもうさっきまでの、あいつの面影を残してはいなかった。
だけど確かに、あいつを感じる。
優しいのは、はたしてどっち譲りなんだろう。
やっぱりあいつの方なのかしらね。
私は一際力を込めて抱きしめなおした。
胸の中で小さくしたうめき声。少しだけ力を緩める。

「ごめんね、なんでもないのよ」

言うと、そのまま腰を上げた。この子があいつと遊ぶつもりで用意した手提げも忘れずに。
日々、少しずつだけど大きくなる体に合わせて増えていく体重が負担をかけてくる。
今はまだいいけど、しんどくなるのも時間の問題ね、これじゃあ。

「さぁ、それじゃあそろそろ行きましょうか」

「いいけど、でも早くない? まだお昼よ」

「だからよ。きっとなんの支度もせずに寝てるわよ、おばあちゃん」

やらなくちゃいけないことはいっぱいある。
部屋の飾りつけはこの際省くとして、掃除はしなくちゃならないだろうし、洗濯にお風呂の準備、あとできればお酒も用意しなくちゃ。
最優先事項は、ちょっと豪勢な夕食。これだけは絶対に外せない。
考えれば考えるほどやることは山のように浮かんできて、いくら隣で、とはいえ早めに始めておくに越したことはない。
そうでなくても竜児を抜かしたあの親子はとにかくやることがノロい。今も揃って寝ているに違いない。
私以外は全員子供だと思っていい。一番手がかかるのがそろそろ大台も見えてきたやっちゃんなのが、らしいと言うかなんと言うか。
それに私の目的は単にあいつの顔をみたいから、だけじゃない。
待っていてもあいつはそう遠くない内にここに帰ってくる。
あいつが来るのを知ってる上でわざわざやっちゃん家に出向き、手の込んだ料理を作って出迎えようというのにも、私なりの思惑がある。
少しでも早く会って、知らせたいことができた。
だからもう何年も守っていた順番を破ってまで、会いに行く。
ついでにやっちゃんにも知らせておかなきゃいけないしね。
なんだかんだ言ってもやっちゃんは私のママで、あそこはあいつの実家ってだけじゃなく、私の二つ目の実家でもあるんだから。
223174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/24(水) 04:44:44 ID:CFxcMhn4

「今日はママ張り切るからね、楽しみにしててね」

「え〜ママがごはん作るの?」

そこはそんな風に嫌がるんじゃなくて喜んでくれると、ママだってやる気とかやりがいとか沸々とわいてきて、もっと張り切れるんだけど。
どちらかと言えばおもいっきり萎えたわ。痛めるのは胸じゃなくてお腹だけにしてちょうだい。

「なによその言い草。一体ママのご飯のなにがそんなに不満なのかしら」

若干の不機嫌さを滲ませた私に、けれどそんなの気にした風もなく。

「べつに。ただ、パパの作ったごはんの方がおいしいんだもん」

それはまぁ、確かに。
でも私だってあいつに及ばないまでも、それなりに勉強だってしてきたし、努力だってしてきたつもり。
あいつだってお墨付きをしてくれた。おいしいって言って、たくさん褒めてくれた。
なのにそんなイヤっそうにしちゃって。それを毎日食べてるのはどこの誰だと思ってんのよ。まったく、失礼しちゃう。
負けず嫌いな私は本当のこととはいえ、培ってきた自信に傷を付けられたこととあからさまな落胆ぶりに少しだけムカっ腹を立てた。

「好き嫌いする子はご飯抜きにするわよ」

よっぽどのこと、例えば妹たちを泣かせてくる、なんてことでもない限り、本当にそんなことしたりしない。
これは冗談半分のおどかし。聞きわけのない子を懲らしめるための、ちょっとしたおまじない。
しかし、そんなおどかしもなんのその。
あいつやばかちーに対してするものに比べたら剣幕とも呼べない剣幕。
とはいえジロリ、なんて睨めばそれなりに怖がるはずなんだけど、そんな臆した感情はおくびにも出したりしないで、
昔の私を鏡で映したような不敵なしたり顔を作ると、待ってましたと言わんばかりの弾んだ声でこう返された。

「いいもん。そうすればパパが作ってくれるもん」

その可能性は否定できないどころか大いにある。
どんな経緯があろうと、この子が一言お腹が空いたと言えば、たちまちあいつはこの子の好物を片っ端から作るわね、間違いなく。
逞しくて賢しい子。その歳でもうそんなことを見越した計算ができるなんて将来が安心だわ。
私はため息を一つ、戸締りをすませるとマンションを後にした。
短い道すがら、これで今夜はパパのごはんねとはしゃぐこの子に事情を説明する。

「今日はだめよ。パパだってたぶん疲れてるし、それにお祝いするんだから」

目を丸くしてキョトンとする、愛してやまない一人娘。
頭の中のカレンダーに覚えている範囲での誕生日を照らし合わせているのがわかる。
いくら探したって見つからないのは当たり前。
今日はパパのでもママのでも、もちろんあなたの誕生日でもない。
それだったら前もってちゃんと準備してる。
あいつだってそういう時だけは何があろうと来てくれる。
今までだって欠かしたことはなかった。この子のときも、私のときも。

「お祝いって、なんの?」

早くも諦めて答えを求める。ちょこんと首を傾げたそのポーズが反則的に愛らしい。
どんな宝石だってくすませそうな、好奇心に輝く瞳を前に、私はもう何度目かしれない「自分は甘やかしの親ばかだ」という事実を思い知らされた。
あいつが帰ってくるまで黙っていようとも思ったけど、もうだめ。
それにさっきはこっちが驚かされちゃったものね。なら、今度はママの番。
私はそっと口を近づけ、くすぐったそうに身をよじらせる、大切で、大切で、大切な───の耳元でそっと囁いた。

「あなたの家族が増えたお祝いよ」

                              〜おわり〜
224174 ◆TNwhNl8TZY :2010/03/24(水) 04:45:38 ID:CFxcMhn4
おしまい
なんだか突発的に書きたくなって。
紆余曲折はそれなりにあったけど竜児一応は生きてるよ、シスプリみたいな感じだけど。
225名無しさん@ピンキー:2010/03/24(水) 11:16:09 ID:ZXA0u+Si
>>224
GJです
竜児はてっきり刺されたかと思ってましたw
226名無しさん@ピンキー:2010/03/24(水) 14:29:40 ID:a8Nmuk43
>>224 GJ! これはまさかいわゆる一夫多妻なのでわ・・・・・
227名無しさん@ピンキー:2010/03/24(水) 16:11:58 ID:Oxm+DFET
割と円満ハーレムとか好きなんだ。埋めネタにするぐらい。
228翼をください ◆joNtVkSITE :2010/03/24(水) 22:20:27 ID:aojQ+WP9
投下します。
 翼をください #2
※注意
・進行速度の関係上、原作よりもアニメ版をベースにしています。
・アニメ第20話付近の話です
・エロなし
以下本編
229翼をください ◆joNtVkSITE :2010/03/24(水) 22:21:04 ID:aojQ+WP9
 翼をください #2


 
 †
 
 冬休みが終わり。
 休みが明けたばかりで、その余韻に何処か浮かれた空気のある大橋高校の校舎内。
 特に、2年の教室が並ぶ階は、浮足立っているようにすら思える。
 竜児は、丁度通り過ぎた教室の方から聞こえてきた話題から、ああ、とその理由を知った。
「そういや、そろそろ修学旅行か」
 大橋高校は、2年生の時に修学旅行として沖縄に向かう。
 修学旅行の日まで未だ期間はあるが、このイベントは、高校生活3年間の中でたった一度の事なので、今の時点からその日に思いをはせるのもおかしくはないだろう。
 しかし、廊下を歩く竜児の足取りは重く、俯きがちである。
 別に、悪事を企んでいるところを悟られないように顔を伏せているわけではない。
 ただ単に、この先の事を思い憂鬱になるのを止められないからだけである。
 教室前のロッカーの前に立ち、荷物をしまう。
 ポケットの中から、今朝下駄箱で手渡された小箱を取り出した。
 何となく包装を解いて、中身を取り出した。
 中身は、竜児がよく知っているモノ。
 あのクリスマスの日、実乃梨に渡すために用意して渡せずじまいの髪飾り。あの冬の日の忘れものだった。
 竜児は、再び掌の中に戻ってきたそれを見つめ、はあ、と溜息をつく。
「こんな物、今更……」
 ふいに、2−Cの教室からクラスメートである春田が叫び声と共に飛び出してきた。
 追い立てるような、怒鳴り声を上げながら大河の姿も現れた。
 春田が、竜児の後ろに回り込んできた。
「おぅ!?」
「たかっちゃん、助けて!タイガーがキレた!」
「お前が、しつっこく、ちんすこう、ちんすこう言うからだ!」
 竜児の背後の春田に向かって、大河が叫ぶ。
 握りしめた拳は、怒りにぶるぶると震えている。
「何やったんだよ、お前」
 竜児は、自分を盾にして震えている春田に対し、肩越しに尋ねた。
 尋ねながら、こっそりと髪飾りをポケットにしまいこんだ。
 大河が、その様子を眺めて悲しそうに目を細めたが、春田に注意を向けていた竜児は気付かなかった。 
「だってさぁ」
 春田の話を聞いて、竜児は、呆れ返ってしまう。
 春田が、沖縄の名物である“ちんすこう”を大河に読ませようとして、大河は、誤って“ちんこすう”と読んでしまったのだという。
 春田の事だ、間違えた大河の神経を更に逆なでするような茶化し方をしたのだろう。
「お前、小学生か……」
 いくらなんでもアホ過ぎる。
 いくら修学旅行が楽しみだからといって、さすがにはしゃぎすぎだった。
 そんな事を言っている間も、大河の怒りは一向に収まらず、今にも竜児もろとも襲いかかってきそうである。
230名無しさん@ピンキー:2010/03/24(水) 22:21:26 ID:hsAQbhLQ
素晴らしいね
泰子のとこが男の子だったらマジでシスプリだったなw
231翼をください ◆joNtVkSITE :2010/03/24(水) 22:21:44 ID:aojQ+WP9
「ぐるるるる……」
 とうとう獣じみた呻き声を上げ始めた大河に、竜児は、背筋を凍らせた。
 慌てて背後の春田に、
「おい、俺を巻き込むなよ」
「えぇ、だって〜」
 竜児の声にも、春田はどこ吹く風。正に暖簾に腕押しである。
「竜児!はやく、そのアホこっちによこしなさい!」
「っつってもなぁ……」
 がっしりしがみついた春田を引き剥がすのは、一苦労どころの問題ではない。
 ぼやきながらも、竜児は何となくほっとしたような感覚を覚えていた。
 年末からインフルエンザにかかり、年始も布団の中で過ごした。
 久しぶりの友人と過ごす他愛もない日常。けれど、それがこんなにも掛け替えのないものだと知る。
 竜児は、仄かに笑みを浮かべようとして、
「新学期早々、元気ですなぁ」
 背後から聞こえた明るい声に、思わず頬がひきつった。
 竜児が振り返ると、櫛枝実乃梨が立っていた。
「おっはよー、みんな!」
「おはよー」
「ぉ……」
「おっはよー、みのりーん」
 春田の後に続こうとして口ごもっている竜児に気を遣ったのか、大河がころっと機嫌を直し、手を掲げた。
 竜児も、その勢いに乗ろうとして、
「ぉ、お、おは……」
「ん?」
 それでも口ごもる竜児に、実乃梨は首を傾げる。
 こうなっては、もう泥沼である。
 竜児は、実乃梨から目を反らし、恥ずかしそうに前髪を弄りだす。
「お……」
「お?」
「俺、ジュース買ってくる」
 とうとう実乃梨と目を合わせることすらできず、竜児は逃げだしてしまった。
「え、もう授業始まるよー?」
 竜児の背中にかかる実乃梨の声も、今の竜児にとっては、彼を追い立てるモノに他ならなかった。
「……っあの、馬鹿っ」
 情けないと言えば情けない竜児に、大河は、そう漏らさずには居られなかった。

「あ〜〜〜〜〜っ!」
 逃げだした竜児は、自販機の前の壁に両手と頭をついて、悶えていた。
「なに逃げてんだよ、俺の大馬鹿野郎っ!」
 自分に毒づく。
 本当に、何で逃げてんだよ。この臆病ものめ。
 あの告白未遂のあったクリスマス。竜児は、その後大河と話し合って、もう一度実乃梨の気持ちを聞こうと決心していた。
 その時、大河も亜美が言っていた事と似たような事を言っていた。
 さすがに大河が竜児を好きだ云々のくだりは、大河の口からは出なかったし、竜児も聞くに聞けず依然闇の中であるけれども。
 取り合えず、実乃梨の正直な気持ちを聞くためには、もう一度竜児の方から告白をする必要があった。
「告白ったって、口どころか目を合わせることすら出来ないってのに……」
 今まで、自分はどんな顔して、どんな会話を実乃梨と交わしていたんだろうか。
 それほど昔の事でもないのに、竜児にはまるで霧の中を歩くかのよう。正に、手探りであった。
「アイツは、俺のためにカップラーメンで頑張ってくれているのに」
 もう一度と、再起を誓った日から大河は、竜児の家を訪れなくなった。
 実乃梨に関係を誤解されぬよう、炊事洗濯も満足にできない大河が、毎日頑張っているのだ。
 それなのに、自分は実乃梨を前にして逃げてしまった。悔しさと、申し訳なさがこみ上げてくる。
 竜児は、ちらりと首を動かした。
 その縋るような視線の先は、自動販売機が並ぶその隙間。
 自然と、竜児の目はそこに誰かの姿を探していた。
232翼をください ◆joNtVkSITE :2010/03/24(水) 22:23:31 ID:aojQ+WP9
 けれど、そこには誰もいない。彼が求めている人物も、そうでない人物も。誰も。
 当然と言えば、当然の事。あんな暗くて狭い所に、一体だれが好んで入り込むだろうか。
 少なくとも、竜児の知る限り一人しか知らない。そう、一人しか。
 竜児は、その一人の姿を探し、そしてその一人が居ない事を残念に思っていた。
 ――俺も、自分勝手なやつだな。
 自嘲する。あれだけ、実乃梨の事が好きでらまらず、彼女以外は見えていなかったのに、振られて、亜美に優しくされた途端に気になり始めている。
 全く、調子のいい話である。自分は、こんなに移り気な人間だっただろうか。
 実乃梨とまともに喋る勇気もない意気地なしの癖に。
 はぁ、と竜児は重い溜息をついた。
 ごんと、頭を壁に打ち付けた。じんじんと鈍い痛みが、今は少し心地よくさえあった。
「はぁ、もういっそ、全部燃えて無くなってくれねぇかな」
 呪う。自分の不甲斐なさも含めて、皆なくなってしまえばいい。
 
 竜児の呪詛は、遠く、沖縄の地のホテルを焼きつくした。

 †

「はい、これ」
「へっへん、これこれ」
 スドバの一席。川嶋亜美と逢坂大河が向かい合って座っていた。
 席に着くや否や、亜美が鞄の中から取り出したものはポーチの様な小物入れであった。
 しかし、これは決して亜美からのプレゼントではない。
 仕事でハワイへ行っていた亜美に、大河が買ってきて来るように頼んでいたものであった。
 ちなみに、お土産でもない。後できちんとお金を亜美に払う手筈になっている。
 嬉しそうに小物入れを受け取った大河であるが、その顔が直ぐに曇る。
「ふぅ、でもこれ、無駄になっちゃったんだよね。……まぁ良いか、普通に使えるし」
「ん、沖縄に持って行くんでしょ?」
「ばかちーは、未だ知らないんだ。修学旅行、二泊三日のスキーになった」
「はぁ!?」
 寝耳に水の話に、亜美の声が裏返った。
「沖縄のホテルが燃えちゃったんだって」
「うえぇ!?うそでしょ!?」
「こんな事でばかちーに嘘ついても意味ないし」
「……」
 これには、亜美もさすがに落胆の色を隠せない。
 スキーって……。亜美は、心中で舌打ちする。
 修学旅行は、あらゆる意味で楽しみにしていた。
 仕事の関係で、何度も南の島に行った経験のある亜美ではあるが、それはあくまで仕事での事。
 今回の様に、友人と過ごす旅行は初めてであった。それこそ、良い友達、クラスメートに恵まれた今年は特に。
 それだけではない。
 クリスマスパーティーのあった夜に、これから竜児に自分を好きになってもらえるよう頑張ると誓った。
 修学旅行は、そんな亜美に残された数少ない、そして泊まりがけという点で最大のイベントの一つといってもいい。
 南の島沖縄。さすがに海で泳ぐ事は不可能であるが、沖縄の青い海をはじめとした幻想的な景色や、冬と思えない気候。
 きっと、気分も恰好も開放的になるだろう。
 亜美の持つ自慢の色気を最大限に活用して、竜児にアピールしようと意気込んでいた矢先にこれである。
 雪山でスキーとなるとジャンパーを着込まなければならないだろう。
 そんなモノに包まれれば、ミューズの如きスタイルもかたなしである。
 アピールできるところ、風呂上がりぐらいしかなくなるじゃない。亜美は下唇をかんだ。
 こんなピンポイントで火事なんて、とうとう小悪魔に逃げられたか?
 ――勘弁、まだ何もしてねえっつうの。
 逃げられたら最後、そんなに何度も空なんて飛べない。きっと、蝋で出来た翼は既に溶けてしまっている。
 いやいや。亜美は、次々に浮かぶ、ネガティブな考えを振り払う。
 まだ、終わってない。終わらせてたまるか。
 雪山でも、女の武器を利用できるはずだ。何か、何か。
233翼をください ◆joNtVkSITE :2010/03/24(水) 22:24:03 ID:aojQ+WP9
 気も早く、既に雪山でのアピール方法を考え始めた亜美に、
「あ、そうそう、修学旅行に行く前に、ばかちーに言っておくことがあったの」
「……ん?」
 大河の声に思考の海から亜美が顔を出す。
 その亜美の目をじっと見据える大河の目は、真剣そのものである。
「いい?修学旅行では、絶対に竜児の周りをうろつかないで」
「はぁ!?」
 唐突な言葉に、亜美は眉をしかめた。
 竜児に近づくな?冗談じゃない。修学旅行は、自分に残された数少ないチャンスなのに。
 しかし、亜美は、その思いを大河にぶつけようとはせず、平静を装う。
「うろつかれて、迷惑してるのはこっちなんですけど?」
 そう言いながら、亜美は不機嫌そうに顔をそむけた。
 背けて、横目で大河の反応を窺う。
 一体何のつもりでこんな事を言い出したのか。ある程度の予想は付くが、確証はない。
 只でさえ、実乃梨と大河に譲ったアドバンテージは大きい。少しでも情報があるにこしたことはなかった。
 亜美の反論を黙殺し、
「竜児はね、クリスマスイブにみのりんに振られたの」
「へぇ」
「……あれ?あんまり驚かないのね」
 大河は、怪訝な顔をした。亜美の反応は薄く、まるで始めから知っていたかのようである。
 しかし、亜美が知っていたとは考えにくい。
 竜児がクリスマスイブに振られてたことを知っているのは、当事者である竜児と実乃梨、そして竜児の口から教えられた大河のみである。
 実乃梨が亜美に話すとは考えにくいし、当然大河も話した覚えはない。
 残る可能性は、竜児が亜美に話したという事になるがこれも低い。
 振られたことが災いしたのか、年末から竜児はインフルエンザでほんの数日前まで寝込んでいたし、亜美は、仕事で遠い異国の地であったはずである。
 さすがにメールや電話をしてまで、竜児が亜美に話すとは考えられなかった。
 言葉は悪いが、亜美には関係のない話だ。
 そんな風に考える大河に対し、
「だって、知ってたから」
 と、亜美は、さらりと答えた。
「はあ!?何でばかちーが知ってるのよ!?」
 これには大河も驚いてしまう。
 思わずテーブルに勢いよく手をついて、その拍子にカップから中身が少量零れてしまった。
「あーもう、ばかちーのせいで零れちゃったじゃない」
「とんだ言いがかりなんですけど。っていうか、そんなに驚くような事?」
「何で、ばかちーが知ってるのよ。まさか、みのりんに聞いたの?」
「あたしが実乃梨ちゃんに?ハッ、あり得ないわね」
 はんと鼻で笑い切り捨てる亜美。
「あたし、そんなに実乃梨ちゃんと仲良くないわよ」
「……」
「どうでもいいけど、誤解しないでね。実乃梨ちゃんは嫌いじゃないけど、恋愛相談受けるほどの仲じゃないってこと」
 それはそうだ。大河は思う。
 実乃梨の親友だと自負する大河ですら実乃梨から恋愛相談なんて、ついぞ受けた事がない。
 実乃梨が竜児を振った時も、実乃梨は、とうとう大河に伝える事はなかった。
 だと言うのに、実乃梨が亜美に伝えるなんてまずあり得ない話だった。
234名無しさん@ピンキー:2010/03/24(水) 22:24:17 ID:jFCovs22
C
235翼をください ◆joNtVkSITE :2010/03/24(水) 22:26:05 ID:aojQ+WP9
「じゃあ、竜児から?」
 大河でも、実乃梨でもないなら情報源は、それしかない。
 事実、
「そうよ」
 亜美も肯定する。
「あんの、バカ犬。一体、何のつもりよ」
 自分の失敗談を亜美に話すなんて。一体どういう心境の変化だろうか。
 大河の感じた憤慨は、竜児が亜美に話したからのみ生まれたものではない。
 竜児の口から伝えられたのは、自分だけであるという自負が砕かれてしまったせいもあった。
 その事を大河は、正確に把握できていない。
 ただ、なんとなくもやもや、苛々してしまうのだった。
 いや、正確にはそうではない。大河は、ただ、目を反らしているだけ。
「何?あたしが高須君から聞くのが、そんなに変?」
「別に、変じゃないけど……」
 そう言う大河の顔には、変だ、とでかでかと書かれている。
 しかし、大河は、それ以上追及しようとしなかった。
 まだ、言いたい事は残っていた。
「……まあいいわ。竜児は振られちゃったけど、本当はみのりんも竜児が好きなの。だけど、色々あって二人は上手くいかないの」
 色々。
 大河はそうぼかしたけれど。それがほぼ自分が原因である事くらい、大河も察していた。
 実乃梨は、大河のことを親友という言葉では表せないくらい大切にしてくれているし、とても優しい子だ。
 だからこそ、今まで実乃梨と竜児の好意に甘えてきた自分が足枷になってしまった。
 大河は、その事を深く反省していた。
 そして。
 大河の心の中に何時の日からか生まれていた、竜児に対する感情が更に大河の罪悪感をあおる。
 こんな事を言っている間にも、心の奥で囁く声がする。
 ――アンタは本当に、それでいいの?
 そんな疑念を払い、大河は続ける。
「三年になったら受験だし、クラスだってばらばらになっちゃう。だから、修学旅行がみのりんの真意を確かめる、最後のチャンスなの」
 一息に言って、亜美を見据えた。
「分かった?ばかちー」
「分かんない」
 けれど、そんな大河の訴えを亜美は、一蹴した。
「ちょ、え、はぁ!?」
 大河は、目を丸くする。
 正直、まさか断られるとは思っていなかった。それも、考える隙もなく即答で。
「ど、どういうつもり?」
「どういうつもりも何も、言葉の通り。修学旅行は、高須君の周り、うろつくつもり」
「……一体、何の嫌がらせ?竜児がみのりんに振られた事、知ってるんでしょ」
「そうね」
「それなら!……それなら、この修学旅行がどれだけ重要かばかちーにだって分かるでしょ」
「もちろん。あたし、そんな馬鹿じゃねぇし。でもね」
 そこまで言って、亜美は一拍の間を置いた。
 もったいぶるように、コーヒーを一口すすった。
「?」
「でも、それは、あたしにとってもそうだから」
「……それは、どういう――」
 亜美の言葉の真意を計ろうとする大河をよそに、亜美は、ふん、とため息とも嘲りともつかない吐息をもらし、立ち上がった。
「――あーあ、無駄な時間食っちゃった。あたし、もう帰るね」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
 大河の言葉を無視し、亜美は、カップをカウンターに戻し、歩き去ろうとして。
 亜美に追い付こうとして、残ったカップの中身を急いで飲み干そうとしている大河の後ろに回り込んだ。
 そして大河の首ねっこを掴むと、ぐいっと引いた。
236翼をください ◆joNtVkSITE :2010/03/24(水) 22:26:45 ID:aojQ+WP9
「アンタも、それで本当にいいの?」
「……何の話よ」
 大河は、じろりと亜美を睨む。
 その瞳を亜美は覗きこんで、
「ま、別にいいけど。アンタがそのつもりなら、あたしも動きやすいし。でも、後悔しても知らないから」
「ばかちー、あんた……」
「じゃねー」
 大河に後ろ手で手を振りながら、亜美は店を出た。
 そして、もう一度店のドア越しにポカンとする大河の姿を一瞥して、
「バッカみたい」
 聞こえるはずもないけれど、そう言い残して、夕焼けに染まる雑踏の中に消えた。
 その姿を半ば呆然として、一人取り残された大河が見送る。
 手に持ったカップをテーブルに置く。
 亜美は一体何のつもりであんな事を言ったのか。
 ――あの言い方では、まるで。
 胸に過りかけた想いを、大河は首を振って追い出した。
 違う、違う、違う!
 その想いは、元日の初詣での時、失恋大明神たる北村祐作に拝んで、封印してもらったはずだ。
 だから、だから、だから。
「……そうよ。ちがうんだから」
 大河の言葉を聞く者はいない。
 それでもいいと大河は、思う。私は今、私に対して話している。
「竜児とみのりんは、ちゃんと両想い、上手くいくべきなの、本当は」
 根拠のない自信ではない。そう、信じるに足る理由が大河にはあった。
 つまりは、大河は、竜児を信じているのだ。
 ――竜児は、実乃梨が恋するに相応しい人間だと。
 竜児と出会ってから半年以上。
 大河は誰よりも近い所から、竜児を見てきた。そう、実乃梨よりも近い所から。
 だからこそ、大河の抱く自信は、絶対のものだと。大河は、疑う余地も持っていなかった。
「そうよ、そうなんだから」
 ぼそぼそと呟く大河。
 カップをもつその手が小刻みに震えている事に、彼女は、気付かない。

 †

 夕暮れの道。
 竜児は、今夜の食材で満たしエコバッグを手に家路を歩いていた。
 買い物の時もそう。竜児は、色んな事を考えていた。
 不甲斐ない自分の事、実乃梨の真意、大河の逃げるなという言葉、そして自分を好きだと言ってくれた亜美の事。
 考えて、結局は実乃梨への未練を抱きながら、足踏みしてしまっている自分への嫌悪感や諦観に行きつくのだった。
 一人でいると色々余計なことまで考えてしまう。
 そう言えば、とふと思う。
 こうして一人で下校するのは随分久しぶりな気がした。登校の時もそう。
 二年になってからは、いっつも隣には大河がいたように思う。
 ほんの少し前までの日常を思い起こして、一人で歩く現在を寂しいと思った。
 大河の事が鬱陶しくて、はやく離れるために北村と大河をくっつけようとしていた頃の自分が、妙に懐かしかった。
 これから、どうしよう。結局今日一日、竜児は、実乃梨とまともに話す事が出来なかった。
 実乃梨は、いつもと同じような底抜けの笑顔を浮かべていたのに、竜児だけが以前の竜児に戻れなかった。
237翼をください ◆joNtVkSITE :2010/03/24(水) 22:27:23 ID:aojQ+WP9
 ――櫛枝は、もう俺の事を吹っ切れたのだろうか。
 今日一日、何も変わらない実乃梨の笑顔に安堵するのと同時に、チクリと胸を刺すものがあった。
 自分の実乃梨への気持ちが、まるで最初からなかったかのように扱われているようで。
 それが辛く、悲しかった。
 ポケットから髪飾りを取り出した。夕焼けを反射して、きらりと淡く光る。
 その光が妙に眩しくて、目を反らすように空を仰いだ。
「……言い訳だな」
 竜児は冬の空を見上げ、ひとりごちた。
 結局は、自分に実乃梨と向かい合う勇気がないだけ。
「なーに、黄昏てんの、高須君」
 そんな竜児の背中に、明るい声がかけられた。
 ドクンと心臓が跳ねたのを竜児は、確かに感じた。
 振り返ると、私服姿の亜美が立っていた。
「や、偶然」
「お、おう、そう、だな……」
 亜美の顔を見て、竜児の頭にあのクリスマスイブの事が一気にフラッシュバックした。
 かあ、と体が一気に熱を帯びる。
 赤く染まった顔が、夕焼けに隠されて見えませんように。竜児は、切に願った。
 例え顔色が判然としなくても、竜児の言動で亜美は竜児の照れを悟ったのだが、それを追求するような事はしなかった。
 今、竜児をからかうと大河との会話で溜まったイライラを竜児にぶつけてしまいそうな気がした。
 そんな事をして、折角の好感度を下げてしまう様な事だけは勘弁だった。今の自分に対する好感度がどれだけあるのか、亜美は、余り考えたくないけれど。
 けれど、竜児と過ごせる貴重な時間である学校を休んだ日に、こうして偶然会う事が出来た。
 どうやら小悪魔は、まだ自分の手の中の様だ。亜美は、ほくそ笑んだ。
 亜美は、竜児の隣に立つと、
「ね、途中まで一緒に帰ろう」
「お、おう、そう、だな……」
 さっきと同じ返事をする竜児に、亜美は、くすりと笑った。
 その笑い声に、漸く竜児も平静を取り戻しつつあった。
 亜美は、竜児のエコバッグの中を覗き込んで、
「あれ、何時もより食材少ないんじゃない?」
「ああ、2人分だしな。こんなもんだろ」
「2人分……。大河は?」
「あーっと」
 竜児は、経緯を説明しようか暫し迷い、
「年末から大河は、家で飯食ってないんだ」
 結局話す事にした。どうせ亜美は、竜児が実乃梨に振られた事も知っている。
 その時の口ぶりからして、振られた理由も然り。
 竜児の予想通り、
「ふーん、なるほど」
 それだけで亜美は、大体の事情を読みとってしまったようだった。
「じゃあ、じゃあさ。何時か機会があれば、あたしが夕飯にお呼ばれしてもいい?」
「おう、それはいいが、今日は食材が足りないんだよな……」
「別に今日じゃなくていいから。……そうね、今週中とか」
「前もって言ってくれるんなら、何時でも」
 やった、と喜ぶ亜美を横目に竜児も心が弾むのを感じていた。
 料理好きの竜児としては、多くの人に自分の料理を食べてもらえる事は嬉しい事であった。
 決して悪いわけではないが、最近泰子ばかりで張り合いが足りないのも事実だった。
 やっぱり、食事は多い方がいい。そう竜児は、思う。
 そう、だから、相手が亜美だからといって特別に嬉しいわけじゃない。
「何か、食いたいもんとか、リクエストはあるか?後、嫌いなものも」
「んー、亜美ちゃん結構食事には気を遣うし、嫌いなものもあるから、その日の放課後、一緒に買い物に行こうよ」
「確かに、その方がいいか」
 モデルである亜美には、一般人以上に食事に気を遣う必要があるのだろう。
 腕の見せ所だな。竜児は、ニヤリとした。
 傍から見ると、隣に立つ美少女をどうやって調理しようか目論んでいるかのようだ。
 事実は決してそんな事ではなく、至って所帯じみた事なのだけれど。
238翼をください ◆joNtVkSITE :2010/03/24(水) 22:28:09 ID:aojQ+WP9
 
 ふと、亜美は竜児のエコバッグをもっている方とは逆の手に意識を向けた。
「それ……」
 亜美が指さす先で、銀色の髪飾りがきらりと光る。
「へ?あ、ああ、これか。これは別に、何というか、もう要らないものというか……」
「へぇ?」
 竜児の狼狽ぶりに、亜美は目を細めた。
 要らないと言いながらも、髪飾りを持つ竜児の手つきからは、何か大切なものに対するかのような慎重さがうかがえた。
 竜児の髪は短いし、デザインから見ても若い女の子向けだ。まさか竜児が、自分で使うためのものではないだろう。
 ということは、これは。
「……ねえ、じゃあ、それ、あたしが貰っても良い?」
「え?」
「要らないんでしょ?それなら、亜美ちゃんにちょうだい」
 竜児に対して効果は低いと知ってはいるが、ぶりっこを意識して、上目遣いに竜児を覗き込み、首を斜め15度傾け、猫なで声で。
 しかし、亜美の本性を知っている竜児といえど、亜美ほどの容貌の女子に何も感じないわけにはいかない。
 大なり小なり、亜美に惹かれ始めている現在は、特に。
 再び心拍数が上がるのを感じつつ、少しだけぼやけた頭で逡巡し、
「ほ、ほら」
 髪飾りを亜美に差し出した。
「……いいの?」
 呆気なく差し出す竜児に、何故か亜美は、申し訳なさそうな顔をした。
「何だ、要らないのか?」
「うそうそ、要る、要るってば!」
 引っこめようとした竜児の手から、亜美が髪飾りを掻っ攫った。
「お、おい……ったく、どっちなんだよ」
 呆れたように苦笑する竜児を尻目に、亜美は嬉しそうに髪飾りを両手に包んだ。
 夕日に掲げてみると、まるで宝物のように輝く。
「そういえば、高須君からのプレゼントって初めてじゃない?」
「そうだったか?」
「多分、形に残るものは、ね」
 早速亜美は、髪飾りを自らの髪につけて見る。
 そして、竜児に、はしゃいだ声で、
「ねぇ、どう、似合うでしょ」
 尋ねるが、それはほとんど問いかけになっていない。
 似合っていて当然。そう言わんばかりの自信が溢れている。
 実際、亜美の艶やかな黒髪に銀色のそれは、よく映えている。
 少々安っぽい印象もあるが、髪飾りにちりばめられた、宝石の代わりであるイミテーションが沈みかけの弱い陽を返し、いっそすがすがしいほどに似合っていた。
 だから、きっと、これでいいんだ。竜児は、心の中で自らに言い聞かせ。
「よく、似合ってる」
「そうでしょ。ま、当然だけどねぇ」
 大仰にうなずいて見せる亜美の頬が赤いのは、はたして夕日のせいか。
 
 †

 翌日。
 通学路を歩く竜児の視線の先に、櫛枝実乃梨の姿があった。
 信号の前に立ち止まり、手持無沙汰の風である。
 う、と竜児は、足を止めそうになる。
 無意識にポケットに手を忍ばせて、
 ――そうだった、川嶋にあげたんだった。
 そう考えて、ふと、心が軽くなったような気がした。
 ほんの、ほんの少しだけ。
「く、櫛枝」
 竜児は、その勢いのまま実乃梨に声をかけた。
239翼をください ◆joNtVkSITE :2010/03/24(水) 22:29:10 ID:aojQ+WP9
「え?」
 振り返った実乃梨は、竜児の姿をみとめ、一瞬だけ表情を曇らせた。
 幸か不幸か、一杯一杯の竜児は、それに気づかない。
「おう、高須くん。オハイオー!」
 すぐに太陽のような笑み。
 その笑みに、竜児は、ほっとしたような寂しい様な。
 けれど、昨日と比べれば、幾分かマシだった。
「お、おはよう。……え、と。昨日は、何か……ごめんな」
「……ん〜何のことだ〜い?ぜーんぜん気にしてないよっ」
 気にしてない、か。
 今は、それでいいのかもしれない。
 当然、まだぎこちなさはあるけれど。今は、これで。
 信号が青に変わる。
「あ、じゃあ、俺、先に行くから」
 そう言って、実乃梨を追い抜いて。
 横断歩道を渡ろうとする、竜児を追いかける影があった。
「つ、捕まえてっ!」
「え?」
 自分に対しての言葉だろうか。実乃梨は、背後を振り返った。
「大河?」
 逢坂大河が、物凄い勢いでこちらへ近づいてきていた。
「っ!」
 実乃梨は、僅かな疑問を抱くも殆ど反射的に、離れていく竜児の手を取っていた。
「え――?」
「――あっ!」
 竜児は、唐突に訪れた柔らかく温かい感触に戸惑い立ち止まった。
 少し遅れて、実乃梨がこれまた反射的に掴んでいた竜児の手を離した。
 ほんのりと実乃梨の頬が色づいていく。
 竜児と実乃梨、二人呆然として顔を見合わせる。この季節に似つかわしくない、生温かい空気が二人の間に流れた。
 そんな空気を打ち払わんとして、ぐ、と実乃梨は拳を握り、
「っなめんな!」
 はっしと、今度は竜児の学ランの袖をつまんだ。
「ナイス、みのりん!」
 背後から大河が駆け寄って。
 手に持った通学カバンを、振りかぶる。
「大――ぐぁ!」
 走りながら投擲された鞄は、竜児の顔を捉えた。
 竜児は、よろめいてたたらを踏む。
 大河は、止まる事なく二人を追い抜いて走り続ける。
「捕まった奴が、荷物持ち!」
 二人の顔を見る事なく、大河は横断歩道を渡り切ってしまう。
 同時に信号が再び赤に変わり、竜児と実乃梨は、横断歩道を渡る事が出来なくなった。
「お、おい!」
 竜児の視線の先、小さい大河は通勤・通学中の人の中に紛れ、あっという間に見えなくなってしまう。
「……ったく、何なんだ、アイツ」
「―――」
 とうに見えなくなった背中に嘆息する竜児は、実乃梨の様子がおかしい事に気づく。
 様子を窺うと、顔を伏せた実乃梨が、何やらぶつぶつと呟いている。
「大河の奴、大河の奴、大河の奴、大河の奴、大河の奴、大河の――」
「――櫛枝?」
 は、と実乃梨が顔を上げた。
 折角ひいていた頬の色が、再び羞恥と照れに染まった。
「ひあ、こんな事は、ぜんぜん、全く、何にも、関係ないから、モウマンタイだ!さぁ、片方よこしたまえ」
 そう言って、竜児に向かって手を差し出したのだった。
240翼をください ◆joNtVkSITE :2010/03/24(水) 22:29:40 ID:aojQ+WP9

 大河の鞄を片方ずつ持って、竜児と実乃梨は並んで高校までの道のりを歩いた。
 途中あからさまな好奇の視線にさらされながらも、意外と二人の会話は弾んだ。
 校舎の下駄箱に付いた頃には、二人の空気は、すっかりクリスマスイブ前の様に近づいていた。
「お、あーみん先輩っ!おひさしぶりーふ!」
 先に下駄箱に居た亜美を、いち早く実乃梨が見つけ声をかけた。
 振り返った亜美は、ふと複雑な笑みを浮かべた。
「あーら、おはよう、実乃梨ちゃん」
 亜美の声は、少しだけ皮肉じみていて。
「大河見なかった?」
「いや、見てねぇけど……」
 亜美は、じっと、竜児と実乃梨の手元を見据えた。
「何と言うか、あーあ、だね」
「っ!」
 そこでようやく、竜児は実乃梨とずっと鞄を片方ずつ持っている事を恥ずかしいと思った。
 何を由来とするのか判別付かない焦燥に、竜児は、慌てて手を離そうとする。
 しかし、ここで離してしまったら、何と言うか実乃梨に申し訳がない様な気がする。
「ん?高須君?どったの?」
 実乃梨は、首を傾げるが、鞄から手を離す事はしない。
 どうすればいいか、竜児は、脳をフル回転させ、
「ふふ、気にしないでいいって。別に悪いことしてるんじゃないんだし」
 亜美の笑い声に硬直してしまう。
 怒っている風でも、悲しんでいる風でもない。それは、余裕の笑み。
「ん?あーみん?」
 事情を全く理解できない実乃梨。
 その姿を亜美は、注意深く観察する。
 いつもと変わらない、底抜けの笑顔。
 実乃梨は太陽の様だ。亜美は、その太陽が陰っている場面に殆ど出会った事がなかった。
 その笑顔で彼女は、一体何を守ろうとしているのか。親友か、それとも。
 そして一体何を隠し、もみ消してしまおうとしているのか。
 この様子なら、亜美の障害にはならないかもしれない。少なくとも、こんな奴に負けるなんて考えたくもない。
 今は、精々胡坐をかいていればいい。全部終わってから、後悔しても知らないから。
 亜美は、嘲笑をひとつ。教室へとひと足先に去って行った。
「って、あれは……」
 亜美が踵を返した時に竜児の目に飛び込んできたもの。
 それは、昨夜竜児が亜美に渡した、あの髪飾りだった。
「あっれ、あーみんって、いつもあんな髪飾りしてたっけ?」
 実乃梨のつぶやきに、竜児はぎくりとした。
 さ、さぁ?と応える声がどうしても裏返ってしまう。
「ふーむ、あーみんの物にしては安っぽかった様な……。しかし、あーみんはどんな髪型でもまいっちんぐだねぇ」
 竜児の動揺には気付かず、実乃梨は顎に手を当ててふむふむと頷いている。
 安っぽいという言葉に反応する余裕がなかったのは、竜児にとって不幸中の幸いといったところだろうか。
 そう、竜児にはそんな余裕これっぽちもない。
 ――ああ、俺ってば、なんて迂闊な事を。
 竜児は、心中で頭を抱えた。
 あの髪飾り。本当は実乃梨にあげるつもりで、竜児は買ったのであるが、その事を知る人物が竜児のほかに一人いる。
 逢坂大河。もし、アイツが見たら、一体どんな反応をするのか。
 ごく近い将来の手乗りタイガーの暴動を思い浮かべ、竜児は冷や汗を垂らす。
 ああ、何で俺は、こんな重大な事を忘れていたんだ。
 はやく亜美に追い付いて、あれを返して貰うか、外すように言わなくてはならない。
 そう思う竜児の足は、しかし、床にこびりついて動けそうになかった。

 
241翼をください:2010/03/24(水) 22:30:55 ID:aojQ+WP9
投下終了
お目汚し失礼しました
242名無しさん@ピンキー:2010/03/24(水) 22:34:07 ID:jFCovs22
GJ!
早速続きが出て感激。お次も期待して待ってます。
243名無しさん@ピンキー:2010/03/24(水) 23:55:03 ID:jjGEMOFg
>>241
GJです!
あーみん頑張れ超頑張れ!
244名無しさん@ピンキー:2010/03/25(木) 01:17:07 ID:17LOLi/l
GJ
また、楽しみがでけたー
245名無しさん@ピンキー:2010/03/25(木) 04:31:08 ID:4DuDFcri
>>241
ウォゥ!

あーみんが可愛いなあ。大河もみのりんも生き生きしてる。


どうか最終的にはあーみんをシアワセにしてやっておくれよ
246名無しさん@ピンキー:2010/03/25(木) 14:33:27 ID:3DO5TaDK
いつのまにかxxxドラの続きが・・・おもろいw
ああ、みんな出産したのね
174さんは大河が好きなのか嫌いなのかわからんw
247名無しさん@ピンキー:2010/03/25(木) 15:16:49 ID:v234Bb/w
174さんの作品はモテるということは修羅道であることを教えてくれる
248名無しさん@ピンキー:2010/03/25(木) 16:59:12 ID:ROmtN3TW
>>241 GJ! 続き早くて感激ですw
まさかヘアピンがあーみんの所に行くとわ・・・・・
大河の反応が気になりますな〜
249名無しさん@ピンキー:2010/03/25(木) 19:12:00 ID:LJqEB3mN
>>224
GJ!紆余曲折に何があったか激しく気になるw
いいね、こういう後日談。思わずニヤニヤするよ
てか持ち回りで共有される竜児こそ真のヒロインだろww

>>246
174さんは大河好きじゃね?
大河視点アフター書くくらいだし
250名無しさん@ピンキー:2010/03/26(金) 01:39:53 ID:NUFQ4B9+
×××ドラ!の竜児は、いったい何人の女に子供産ませてるんだ?イスラム教徒もビックリだなwww
淡々とした文章で進むから設定のとんでもなさを忘れそうになるw

何はともあれ超GJ!!
251名無しさん@ピンキー:2010/03/26(金) 04:06:35 ID:Z9k9GSzQ
順番は×××ドラ!×iでの描写から
やっちゃん、大河、実乃梨、亜美ちゃん、会長、麻耶&奈々子様、独神、さくら&書記女子、メイド
ざっと11人とインコちゃん?www
両手でも足りねぇとかw誠かよw

まさかこれヒロインズだけじゃなくてマミーズにまで手出したりとかしてないよね?
252名無しさん@ピンキー:2010/03/27(土) 04:28:52 ID:zh2Rjt9O
ん?過疎か?
253名無しさん@ピンキー:2010/03/27(土) 12:10:52 ID:fDQ4QXVI
【レス抽出】
対象スレ:【田村くん】竹宮ゆゆこ 30皿目【とらドラ!】
キーワード:田村



抽出レス数:1

馬鹿な……
あとsageろ
254翼をください:2010/03/28(日) 00:07:30 ID:Vs142lBO
投下します。
 翼をください #3
※注意
・進行速度の関係上、原作よりもアニメ版をベースにしています。
場面:アニメ第20話終
エロ:なし
以下本編
255翼をください:2010/03/28(日) 00:12:25 ID:Vs142lBO

 翼をください #3




 †

 竜児の不安とは裏腹に、大河が手乗りタイガーたる本領を発揮する事はなかった。
 かと言って、安心できるわけでもなかった。
 朝からずっと大河の機嫌が悪い事くらい、竜児には手に取るように分かったし、クラスメートも怯えている。
 大河は、一定の間隔で亜美を睨み、それから竜児を睨むといった行動を授業中も続けている。
 しかし、とくに大きな衝突もなく、あくまで表面上は何事もなく授業が消化されていく。
 今は、数週間後に控えた修学旅行での班を決める時間で、北村の主導でぱっぱと決められていく。
 竜児の班は、実乃梨、大河、亜美、北村、春田、能登、香椎、木原の9人となった。
 唯一、木原麻耶だけはこの班割に不満そうな顔だが、それを言い出せない空気があった。
 木原には、大河の漏らす猛虎オーラにびくびくして、不満を飲み込む以外に道はなかった。
 そんな爆弾を抱えたような緊張感の下、その日は終わった。
 
 放課後。
 帰り支度を済ませ、席を立とうとした亜美の前に大河が立ちふさがった。
「話がある、来い」
 腕を腰に当てて、凹凸に乏しい胸を傲岸に反らしている。
 そんな大河に、ふふ、と亜美は挑発するかのような笑みを浮かべて、
「結構、我慢できたじゃない。成長したわね、チビトラ」
 二人の間にバチバチと火花が散ったのを、まだ教室に残っていたクラスメートたちは、確かに見た。
 亜美は、大河の我慢を試していた。放課になってからも、色々時間を潰して帰り支度もせいぜいゆっくりと行っていた。
 既に教室には、殆ど生徒が残っていない。彼らは、みな、部活に所属していない暇人ばかりである。
 先に視線を反らしたのは、大河の方だった。
 とはいえ、別に逃げたわけではない。こうして睨みあいをしたところで、問題は解決しないと思ったからである。
 長いふわふわの髪をなびかせながら踵を返し、
「……良いから、来い」
「はいはい」
 亜美は、鞄を持って大河の後に続く。
 途中ではたと立ち止まり、
「そうだぁ、高須君。良かったら、今日早速お呼ばれしても良ーい?」
 教室の中で、態との様に大きめな声で。媚びるような表情も作って。
 何となく教室に残り、二人の様子を窺っていた竜児は、
「あ、ああ別に、いいけど」
 と、困惑気味に肯いた。
 正直こんな事態の中で、そんな事を言い出す亜美の気が知れなかった。
「やったぁ。じゃ、校門のところか下駄箱で待ってて。すぐ、済ませるから」
 約束だからね。亜美がそう言うのと同時に、乱暴にドアが開けられる音が教室中に響いた。
 数人残っていたクラスメート全てが、びくりと肩を震わせた。
 いや、亜美だけは相変わらず薄く笑っているだけである。
 暫く、ドアのところで亜美を威嚇していた大河だが、亜美が用事を終え大河の傍へ来るのを見て、再び歩き出した。
 大河を先頭にして、二人並び教室を出て廊下を進む。
「で、どこにつれてくつもり?」
「……」
「フン、だんまりかよ」
 それから先は、二人とも無言で進む。
 廊下を渡り、階段を下りて。
「ちょっと、外まで行くワケ?キナ臭くなってきたわねぇ」
 態々靴に履き替えて、昇降口を出た。
 中庭を突っ切り、やがて行き着いた先は、校舎の裏だった。
 暗く、じめじめした印象のあるこの場所は、ほとんど人が寄り付かない。
 告白にすら使われない様な。つまりは、そんな場所である。
「とっと、いくらなんでもベタすぎじゃね?亜美ちゃん、リンチされる様な事した覚えないんですけどぉ」
256翼をください:2010/03/28(日) 00:14:08 ID:Vs142lBO
 大河が不意に立ち止まり、亜美と向き直った。
 二人の間は約10メートル弱。殴りかかるには長く、逃げるには短い間合いだった。
 大河は下から、亜美は上から、お互いの視線が交錯する。
 暫く、お互い無言のまま時が過ぎる。
 二人の口からは、定期的に白い息が上がっている。
 口火を切ったのは、矢張り亜美の方からであった。
「それで何の用?高須君待たせてるから、早く帰りたいんですけど」
「アンタ、何のつもり」
「何って、なにが?」
「惚けんじゃないわよ。その、ヘアピン。何でばかちーが持ってるの」
「ああ、これ」
 亜美は、自らの髪を飾るそれに触れた。
「高須君に貰ったの。ちょっと子供っぽいかもしれないけど。でも、亜美ちゃん元が可愛いし、やっぱ何つけても似合うわぁ」
「……返せ」
「はあ?何で、アンタに返さなきゃいけないワケ?これ、チビトラのじゃねぇだろ」
「……返せ」
「い、や」
「……返せ」
「シカトかよ」
 はぁ、と亜美は嘆息。
 大河は、亜美と話すつもりはないようだった。
「ちっ、どいつもこいつも」
 たまらず舌打ち。
 ――誰も、あたしの話なんて聞いちゃいない。
 しかし、聞こうとしないなら、声を大きくすればいいだけ。
 あたしは、変わると決めたのだ。あたしの望むあたしに。
 亜美は、大仰に肩をすくめて、首を振った。
「で、これは、誰のための行動?」
「……もちろん、みのりんと竜児のためよ」
 虎の気まぐれか、気になる事があったのか、大河は、亜美と会話する気になったようだ。
 しかし、その小さな体の背後では、怒りの炎がメラメラを燃え盛っている。
「ばかちーには言ったよね。あの二人は、絶対に両思いなの。でも、色々あって――」
「――色々じゃねぇだろ」
「……」
「てか、何でぼかしちゃうかなぁ。そこは、大事なとこだと思うんだけど」
 亜美は、腰に手を当てて詰るように言う。
「竜児が振られたのは、自分のせい。そう、はっきり言いなさいよ」
 きん、と空気が一気に冷えた。
 大河の唇が微かに震えた。しかし、結果は、大気をわずかに震わせただけ。
 此処から遠く。グラウンドの方から、部活中の生徒達の声が聞こえる。
 ふぅ。
 大河の吐息が二人の間に響いた。
「そうね、そう。認めるわ。私のせいで、竜児は振られた。みのりんはきっと、私達の事を誤解してた」
「ちげぇよ」
 先程から茶々を入れてくる亜美に、今度は大河が呆れ顔だ。
「もう、ばかちーは、何が不満なわけ?」
「それは誤解じゃない。実乃梨ちゃんは事実に気付いただけ。違う?」
「は?どういう……」
「タイガーの言うとおり。実乃梨ちゃんは、高須君に惹かれている。それなのに、高須君の告白を蹴った。それは、アンタに遠慮したから」
「だから、そう言ってるじゃない。さっきから、何なの」
 絶え間ない応酬を続ける二人。
 男子のソレとはまた違い、静かなものである。
 しかし、それは、嵐の前の静けさかもしれなかった。
「分からない?そっか、チビトラも高須君ほどじゃないけど結構バカ。でも、亜美ちゃん、今日は機嫌がいいから特別に教えてあげる」
 早く終わらせて、高須君と買い物に行かないといけない。既に亜美の心は、ほぼ竜児と過ごす時間に向けられている。
 その後に控える修学旅行で最大の効果を得るために、今のうちから竜児の心に自分の存在を意識させておかなければならない。
 そのためには、一秒だって無駄には出来なかった。
 そう、こんなじめじめした所で油を売っているような暇はないのだ。
257翼をください:2010/03/28(日) 00:15:08 ID:Vs142lBO
 
 もったいぶったような間を開ける。不穏な空気を感じたのか、大河が身動ぎをした。
 きっと、大河自身気付いているのだろう。
 気付いておきながら、見ないふりをしているのだろう。
 それは、湖のほとり、常春の麗らかな日射しの中、ゆりかごに揺られながら眠っている。
「タイガー、アンタは、高須君の事が好きなのよ」
 亜美は、湖に小さな石を放り投げた。
 最初は小さい波紋が、次第に大きくなっていく。
 はは。大河が笑って切り捨てようとする。 
 しかし、彼女は気づいているだろうか?その声は、微かに震えている。
「ありえないわ、ありえない。何で私がバカ犬を好きになんないといけないのよ」
「……」
「ばかちーには言ってなかったかしら。私、実は、北村君の事が好きなの。って、何で私、バカチワワなんかにこんな事言ってるんだろ」
 まくしたてる様に言う大河。
 彼女を見つめる亜美の表情は、
「……その目は、何」
 宿っているのは、哀れみや憐憫、同情や共感。そんなところだろうか。
 冗談じゃないわよ。大河は呟く。そんな目で私を見るな。
 それは、大河にとって何よりの侮辱に近かった。
「恥ずかしがる必要はないわ。あたしにも、アンタの気持ち、分からないでもないから。誰だってそう。皆、自分の事が一番分かんないだよね」
 亜美の言葉は、真に迫るようなものがあった。
 彼女も、身をもって思い知った事だから。
 他人じゃない。何を考えているかなんて、何時だって筒抜けだ。
 何も言わなくても、何時だって通じ合っている唯一の存在。
 人が、人生の中で最も長く一緒に過ごす。健やかなる時も、病める時も。何時だって、すぐ傍に。
 けれど、それなのに、否、だからこそ。
「でも、タイガーは気付いてるよね、自分の気持ちに。気付いてて、ふたをしてる。今だって、ここにこうしてあたしの前に立っているのは、嫉妬のせい。
 高須君があたしなんかに、髪飾りを渡したのが気に食わないんだ。タイガーは高須君の事が――」
 ――言葉の途中で、亜美は、一歩後ろに下がった。
 それは、殆ど勘に近かった。
 ぞ、と一瞬。時間にして刹那。過った悪寒に従った、正に動物的反応に近かった。
 そしてそれは、結果的に正しい判断だった。
 一陣。
 風をひきつれて、長い髪を翼のようになびかせながら大河が飛び掛かって来た。
 亜美は、声を上げる間もなく、何とかかわすことができた。
 大河の目は、怒りに大きく見開かれている。心に湧いた小さな動揺を、更に大きな怒りで覆い尽くしている。
 亜美は、冷や汗が背中を伝うのを感じた。
「っ!何すんだよ。顔に傷ついたら、まじシャレになんねぇんだけど」
「っざけんなぁ!勝手に、勝手に、人の気持ちを決めつけんな!」
「……」
「何も知らない癖に、知った風な口をきいて、何様だぁ!」
 今にも第二波を放ちそうな大河が叫ぶ。
 しかし、その剣幕にも亜美は、はん、と鼻で笑って見せた。
「傷つかないように、壊れないように、おててつないで、仲よしこよし。でも、結局3人共傷ついて。ほんと、自己陶酔。自分たちの役割を演じて、それで満足してる。
 出来の悪い芝居みたい。気味が悪いのよ。そんな、幼稚なおままごとに、あたしを巻き込まないで」
「黙れ!」
「ほら、直ぐそうやって目を反らす、耳をふさぐ。それが、傷を広げているのに、気付いてないの?」
「だまれ、だまれ!」
「……いいけどね、別に。」
 もう用はないと言わんばかりに、亜美は大河に背を向けた。
 もしかしたら、と背後を警戒するが、大河が襲いかかってくるような事はなかった。
 ただ、大河の強烈な視線だけが、ひしひしと伝わって来る。
 亜美は、ゆっくりと足を踏み出した。
 高須君は、未だ待ってくれているだろうか。待ってくれているだろう。
 自然、速足になりながら。
「ねぇ、タイガー、何時まで娘役なんてやってるつもり?」
 一言、言い残して亜美は、校舎裏を去った。
 そして、一人、大河だけが取り残される。
258翼をください:2010/03/28(日) 00:18:04 ID:Vs142lBO
「だめじゃん……」
 俯いて、気付かぬうちに握りしめていた拳を開いた。
 じん、と血が通う感覚。
 何処からか、泣き声がする。眠ったはずの赤子の声だった。
「……御利益ないじゃん、お願いしたのに」
 ゆりかごを揺らす。子守歌を歌う。
 眠れ。ゆりかごが、墓場へと変わるまで。
 これじゃあ、強くなれない。
 ――翼が欲しい。
 そして、誰も届かない、孤高の空へ、空へ。
 そのまま。誰にも縋らず。ひとりで。

「あー、もう。何やってんだ、あたしは」
 大河と別れて直ぐ。亜美は、後悔していた。
 ――調子に乗り過ぎた。途中から、プッツンしていた感がある。
 さっきまで自分が口走っていた事を思い返すと、羞恥に死にたくなる。
 間違いなく、亜美の黒歴史となる出来事だった。
「ったく、これじゃ、スマートでパーフェクトな亜美ちゃんのイメージが台無しだっつの」
 普段は多くない独り言が増えているのは、きっと、罪悪感のせい。
 亜美自身、やり過ぎたという気持ちがあった。
 偉そうに高説垂れていたような気もするが、自分だって五十歩百歩だったはずだ。
 今まで溜まった自分自身への鬱憤をぶつけてしまった。つまるところは、八つ当たり以外の何物でもない。
 だって、悔しかったのだ。この期に及んで、自分を除者にしようとされている気がして。
 そして、少しだけ。大河が傷つくところをこのまま見たくない、そう思ったのだった。
「あー、もう。うぜぇ、うぜぇ」
 亜美は、頭をガシガシとかく。
 ふと、その手が髪飾りに触れた。手を止めて、ゆっくりとそれを撫でた。
 心が落ち着く気がする。満たされていく。
 大河には、機会があったら謝ればいい。
 今は、それよりも竜児との夕飯の方に集中する必要があった。

 †

 日曜日の午後。
 修学旅行に必要なしおりを来週までに作成する必要があると言う事で、竜児たちは大河の部屋に集まっていた。
 集まっているメンバーは、修学旅行で行動を何かと共にする男子4人、女子5人の9人組である。
「ふぁー、ひろーい、ちょっと、凄くないこの部屋!?」
 大河の広すぎる部屋をみて、木原麻耶が唖然とした風で呟いた。
「本当、家賃、幾らくらいなんだろう」
 と、やけに所帯じみた簡単を漏らすのは、香椎奈々子である。
 能登が大きな窓から外を眺めながら、
「高須んち、となりなんだっけ?」
「え、高須君もこんな部屋に住んでるの?」
 木原の尊敬のまなざしを浴びながら、高須は肩を落とすように嘆息した。
「俺んちは、この隣のマンションだ」
「えー、あのぼろっちぃの?」
 何とも、通常ならば言い辛く、遠慮するような事もさらりと言ってしまう春田。
 さすがに竜児に悪いと思ったのか、春田、このバカ、と能登が春田の頭を叩いた。
「って、何すんだよ、いきなりー」
「お前な、ちょっと無神経すぎ」
「いいって、能登。俺の家がぼろいことは俺が一番分かってるし。別に不便もないしな」
 竜児は、そう言うもののどうしても空気が悪くなってしまった感は否めない。
 そんな時、タイミングを見計らったかのように、北村が手をパンパンと二つ叩いた。
 皆の視線が自らに集まるのを待ってから、
「よーし、皆、早速しおりづくり始めるぞ!」
 そう言うと、皆が頷き、空気が和らいだ。
 北村は、大河に一言断ってから、リビングにあるガラステーブルの前に座り、鞄の中から資料や筆記用具を取り出した。
「一応、参考になるかと思って香この修学旅行の冊子と、幾つかの班のしおりを借りてきた」
「さすが大先生、グッジョブ!」
259翼をください:2010/03/28(日) 00:19:35 ID:Vs142lBO
 用意の良い北村を能登がほめたたえた。
 北村に続いて、皆がガラステーブルに集まり、各々腰を下ろした。
 既に、皆、和気藹藹のムードになっている。
 成程、これが北村の大橋生徒会長たる能力の一つであるのだろう。
 めいめいに北村が用意した資料に目を通し始めた。
「あ、じゃあ、おいらは紅茶でも入れ来るよ。家から、マドレーヌも持って来たんだ」
 作業のムードになりつつある所を悟った実乃梨が立ちあがった。
 勝手知ったる何とやらで台所へと向かう実乃梨を見上げていた竜児のわき腹を、大河がつついた。
 大河は、実乃梨を手伝って来い、という意図を顎でしゃくって伝える。
「え、あ、ああ、じゃあ、俺も――」
 手伝うよ。そう言おうとして、しかし、竜児の声は表に出せなかった。
 竜児よりも早く、立ち上がる者がいた。亜美である。
「――あたしも、お気に入りの紅茶とお菓子持ってきたから、手伝うよ」
「お?おう、んじゃー、あーみんいっしょにやろうぜぃ」
 実乃梨は、一瞬不思議そうな顔をした。正直、意外であった。
 しかし、それも一瞬で、実乃梨は、深く考える事なく頷いた。
 これも、実乃梨の美徳であると言えるだろう。
 しかし、そんな亜美を面白くなさそうな顔で、大河は見上げた。
 それを目ざとく察した亜美は、大河に対し、
「ごめんね」
 と、しかし、全くごめんねと思ってないような顔で、くすり。
 ぴんと、周囲の空気が張り詰めた。
 二人の様子を、木原や香椎、能登が緊張した面持ちで窺う。
 事情を全く知らない3人から見ても亜美と大河の険悪な空気は、この前から治っていないようにみえた。
「逢坂、パソコン使いたいんだが、電源は……」
 北村は、そんな二人の様子に気づいているのか居ないのか。
 北村に呼ばれて、大河は、亜美から視線を反らし、亜美も既に台所へ到着している実乃梨を追っていった。
「えと、テレビの裏だよ」
 さっきまでの事などなかったかのようにあっけらかんと、微笑を浮かべる大河。
 その大河の脇を、今度は竜児がつついた。
 竜児は、耳元に顔を寄せ、声をひそめる。
「おい、お前、川嶋と何かあったのか?」
「……」
 竜児に尋ねられ、大河はムッとした顔をする。何も知らないで、このバカ犬は。
「アンタ、ばかちーと夕飯一緒に食べたんでしょ。その時、聞いてないの?」
「え、ああ、アイツは何も言わねぇし。かといって俺の方からは、何か聞きづらかったし」
 ――ばかちーに聞きづらい事を、何故私に聞くのか。
 大河の決して長いと言えない堪忍袋の緒は、今のも切れてしまいそうである。
 何とか堪えて、大河は、平静を装う。
「別に、何でもないわよ」
「そうか?もしかして、あの髪飾りの事かと思ってたんだが」
 竜児は、今確かに地雷を踏んだ。
 大河のこめかみがひくひくとする。
 ぎろりと竜児を睨め上げた。
 その視線を受けて、う、と竜児はたじろいで、身を反らした。
 漸く、自分が余計なひと言を言った事を竜児は悟った。
 しかし、大河はそれ以上何かする訳でもなかった。
 それよりも、彼女には竜児に聞きたい事があった。
「……何で、あのヘアピンばかちーにあげたの?」
「そ、それは」
「あれ、みのりんへのプレゼントのはずじゃなかった?」
「わ、わるい。川嶋が、欲しいって言ったから。俺も、もう櫛枝に渡す機会はないと思って」
「なに、もう、みのりんの事諦めるつもり?」
「そ、それは」
 そんな気持ちが竜児の中に芽生えていないと言えば、嘘になる。
 竜児の見る限りでは、既に実乃梨と竜児の間にぎこちなさはなく、まるでイブの日の告白なんてなかったかのようである。
260翼をください:2010/03/28(日) 00:20:49 ID:Vs142lBO
 竜児は、実乃梨の気持ちをある程度悟っていた。
 ――きっと、櫛枝は、ずっと、このままの関係を望んでいるんだ。
 視線を落とした竜児に、大河は、
「そう、それならいい」
 竜児が答える前にそっぽを向いてしまった。
 話は終わりだと言わんばかりに、徐に資料を取ってペラペラとめくりだした。
 竜児も、大河に反論するわけでもなく暫く視線をさまよわせて、悔しそうに歯を噛みしめた。

 紅茶を入れるお湯が沸くまで、亜美と実乃梨の間には沈黙だけがあった。
 重苦しいものではないが、どこかよそよそしい。そんな沈黙。
 二人の立っている位置の間には、親しくもなく、かといって決して他人ではない間隔がある
 しかし、実乃梨は、それに気づいているのか居ないのか分からない相変わらず能天気な様である。
 一方で、亜美は、確実に気付いていて、けれど気にしていない風でうすく微笑みすら浮かべている。
「んー不思議」
「どうしたの?」
「いや、大河の家に使える食器があるなんて」
「実乃梨ちゃんは、タイガーの家に来た事あるんだ?」
「うん。といっても一年前の話なんだけどね」
「へえ」
 その間に何があったのか。亜美は、推測しようとして直ぐに止める。
 半年同じクラスになった程度の亜美には、限界がある。
 些細なことで隔たりを感じて、3人の絆の中に入れたわけではない事を悟り、自虐に唇を僅かにゆがめた。
「タイガーとは結構、長いんだ?」
「うん。もう、親友と言う言葉では言い表せないくらい」
「そっか。うん、確かにそうだね」
「お、あーみんにも分かる?」
「親友と言うよりは、親子に見えるかな。傷つかないように、壊れないようにって」
 壁に寄りかかり、亜美は足元に視線を落とした。
 足の指をぴくぴく動かしてみたりして。
 対する実乃梨は、首をかしげている。
 人差し指を頭に当てて、んーと唸る。
「分からん!あーみんは、時々難しい事を言うもんなー」
「そう?そんな難しくないと思うけどな」
 ただ、目を反らしてるだけで。亜美は、心の中で呟いた。
 当然、その言葉は実乃梨に届くはずもない。
「それにしても見違えたよ」
「?」
「この部屋、大河が私の部屋で何て言い出した時は、足の踏み場あるのかなんて思ったくらいなのに」
「へぇ、そんなに汚かったんだ」
 亜美もこの部屋に入る機会があったが、その時は、普通に綺麗だった。
「洋服とか、食べた物の殻とか、シンクはひどい有様だったし、もう凄かったよ。私が片付けようとしたら、別にいいって言い張るし。……これも高須君のお陰かな」
「ああ、ね」
 成程、そう言う事か。
 確かに、あの掃除好きの主夫ならば、嬉々としてやりかねない。
 視線だけで人を殺せそうなくらいの顔で、ぶつぶつ独り言を漏らしながら。
「あれ、でも、最近は大河のお世話、殆どしてないって聞いたけど。タイガーも変わったってことじゃない?」
「うん、でも、大河が一人で出来るようになったのも、やっぱり高須君のおかげなんだよ」
「……」
 そこで、暫く二人の間に奇妙な沈黙が広がった。
 とくとく、とお湯を注ぐ音が響く。
 向こうの方から、何やら楽しげに話しあう声も聞こえる。
 紅茶を淹れ終わった実乃梨は、よしいくぞう、とおどけながらお盆の上にカップと、亜美と実乃梨が持ってきたお菓子を入れた皿を並べた。
「さて、それじゃ、行こっか、あーみん」
261翼をください:2010/03/28(日) 00:21:19 ID:Vs142lBO
 お盆をもって振り返った実乃梨に、亜美はうなずいてから、
「そうだ、ね、これ、似合うと思う?」
「へ?あーその髪飾り。あーみんのお気に入りかい?」
「そうなの。どう?」
 ほうほう、と大げさに頷きながら、実乃梨は、亜美の髪を飾る銀色を眺める。
「んー、あーみんにはちょっと安っぽいか持って印象もあるけど」
 そこまで言って、ぐっと親指を立てて見せた。
「それなのに、そんなもの関係なく似合ってしまうのが、あーみんのすげぇところだな!」
「ふふ、でも……実乃梨ちゃんにも似合ったかもね」
 亜美は、意味ありげに笑ってみせた。
 
 それからは、特に大きな波が立つ事もなく。
 静かに、ほのぼのとした空気が流れていく。
 春田が、何処から引っ張り出してきたのか、フリフリした大河の服を無理やりに来てポーズを決めて見せると、大河が拳を震わせながらそれを追いかけていく。
 他愛もない追いかけっこに、皆、それぞれ抱えている確執や想いを隠し、暫し笑いあう。
 具をじっくりと煮込んだスープの様な。
 見えないけれど、飲んでみれば、きっと分かる。熱さに舌を火傷もしてみたりして。
 きっとこれを実乃梨は求めているのだろう。
 竜児は、紅茶を啜りながら、実乃梨をちらりと窺った。
 丁度彼女と目が合って、にこりと笑ってくれる。
 ――櫛枝と、すっと、このまま。
 口の中で小さく呟き、喉に骨が引っ掛かる。
 ずっと、このまま?
 竜児は、何気なく部屋を見渡した。
 小奇麗に、掃除された広い部屋。
 掃除にうるさい竜児からは、気になってしまうところもあるが、通常ならば十分綺麗である。
 そして、これは、全て大河だけの力で成し遂げられている。
 竜児が初めて大河の部屋に入った時は、目を覆いたくなるほどだったのに。
 ふと、胸にすとんと落ちるものがあった。
 そう、大河も、一人で頑張っている。
 それなのに、自分がこんな所で燻って、立ち止まっていていいのか?
 ――良くない。竜児は思う。
 そうだ。このままなんかじゃ駄目だ。
 自分の思いを、押し殺して、目を反らしてなんて良くない。
 振られるならば振られるで、実乃梨の口からはっきりと聞きたかった。
 それに。
 それに、告白してくれた亜美にも申し訳が立たない。
 竜児は、まだ亜美に、はっきりと返事をしていない。
 亜美は、返事はまだいいと言ったけれど、このまま、ずっと保留のままでいいなんて竜児は思っていない。
 実乃梨に振られた時の保険にしているみたいで、心地が悪い。
 贅沢な話だ。あの、誰もが目を見張る美しさと可愛さを兼ね備えた亜美が、保険だなんて。
 つくづく、自分には不釣り合いだと知る。
 ――どうして、川嶋は、俺を好きになってくれたのだろうか。
 それが竜児のイブの日からの疑問だった。

「よーし、こんなもんでいいだろう。皆、お疲れ様」
 しおりが形になり、北村が満足そうに柏手を打った。
「お疲れ様って、只話してばっかりだったけどな」
 能登が幾分か、申し訳なさそうに言った。
 そこに、木原が、
「そうよ、アンタ、全然役に立たない癖にお菓子はバクバク食べて。最悪」
 と、唇を尖らせた。
「ケッ、下心満載の誰かさんに言われたくねぇよ」
「何だとー!」
「ああ、もう、麻耶カッカしないの。能登なんか気にしちゃ駄目よ」
 毒を潜めながら、香椎が木原をなだめた。
262翼をください:2010/03/28(日) 00:21:54 ID:Vs142lBO
「はっは、それじゃあ、帰ろうか」
 そう笑う北村は、きっと何も気付いていないだろう。
 はあ、と亜美は、溜息をついた。
 ――祐作も相変わらずね。
 この鈍感さは、最早、有害ですらある。
 修学旅行。何かが、起こってしまう様なそんな漠然とした確信が亜美にはある。
 今日は、とても楽しい時間だったけれど、そう簡単には終わらないだろう。
 自分たちは子供じゃない。男と女。誰かに、惹かれずにはいられない。
 自分たちは大人じゃない。その気持ちをセーブして、耐え忍ぶには幼すぎる。
 皆、色んなものを考えて、行動している。
 その結果に、いちいち一喜一憂しながら。
 帰り支度を済ませ、ぞろぞろと部屋を去っていく。
 ふと、その中でひとり、未だテーブルの前に座っている亜美に春田が気付いた。
「あっれー。亜美ちゃん、帰んないの?」
「ほんとだ、どうしたの、亜美ちゃん」
 木原も首をかしげている。
「ちょっと、タイガーと話したい事があるから」
 大河が目を細める。
 緊迫した空気が戻ってくる。
 鈍感な春田と、北村以外の背に冷や汗が伝った。
「ふむ、逢坂と仲良くなったみたいで、何よりだ。あまり、逢坂に迷惑かけるなよ」
 北村は、ずれた事を言う。
「ハッ、こーんな可愛い亜美ちゃんのこと迷惑に思うやつなんて、いねえっての」
「逢坂、粗相をしたら叱っていいからな」
 そう言い残して、北村達は去って行った。
 去り際、竜児は、不安そうな一瞥を残していった。
 そして大勢が去った中、大河と亜美が取り残された。
 しんと痛いくらいの沈黙。かちかちと時計の針の音も聞こえる。
 亜美は、座ったままテーブルの上に残っているマドレーヌをパクリと口の中に放った。
 もぐもぐと、口を動かしている亜美に、
「太るぞ」
 と、先制の一撃を撃って、亜美の対面に座った。
 口に物が入っていて喋れない亜美は、ただ、肩をすくめた。
「で、話って何?一昨日、まだ言い足りなかったわけ?」
 テーブルに頬杖をついて早速切り出した大河に、亜美はごくりと喉を鳴らして、
「ううん、今日はそうじゃなくて」
「ふん?」
「まー、なんていうか、ごめん。一昨日は、あたしもちょっと言い過ぎたわ」
「へえ、ばかちーでも謝れるんだ」
「茶化さないで。こっちは結構本気なんだから。あたしも、最近奇蹟の連続だったから、調子に乗り過ぎちゃった」
「奇蹟?」
 聞きなれているようで、実はそう日常会話には出てこない言葉に大河は眉をひそめた。
 こう言うのは何であるが、亜美には余りに合わない言葉である。
「そ、奇蹟。周回遅れのあたしでも、間に合うかもしれない。そんなチャンスを貰ったってわけ」
「チャンス?」
 先程から、鸚鵡返しの大河に亜美は、おかしそうな顔をした。
 こんこん、と白魚の様なほそい指でテーブルを叩いた。
「あたしね、高須君の事、好きだから」
 何の前触れもなく、突然の宣誓。
 ひゅ、と大河は息をのんだ。
 は、今、何と言った?
「な、にを……」
 言葉を失った大河に対し、亜美は口を緩めない。
「理由なんてタイガーに言う必要はないから言わないけど、あたしは高須君が好き。本当は、伝えるつもりもなかったけど、既に高須君には告白もしてる。
 まあ、まだ、返事は貰ってないけど。今のところは、勝率高くないけど、このまま指をくわえているままのつもりもない。あたしは、後悔するつもりないから」
 そして、見つめ合う二人。
 静かな住宅街の防音性の利いたマンション。外からの雑音は全くない。
 亜美と大河、二人だけが世界から切り離されて。
263翼をください:2010/03/28(日) 00:22:20 ID:Vs142lBO
「だから、ごめん。あたしは、3人のおままごとを壊すつもり。今のうちに、謝っておくから」
 亜美は、ゆっくりと立ち上がった。
 そうそう、とまだ言い残した事があるのか亜美はその場に立ち止まっている。
「こう言う事になっちゃったけど、あたし、タイガーの事嫌いじゃないから。出来れば、仲良くしたいとも思ってるから」
 亜美の言葉に、大河は、まじまじと亜美を見上げた。
 さっきから、亜美らしくない発言ばかりだ。
 普段の亜美ならば、こんな事絶対に口にしたりしない。
 そんな大河の唖然とした顔に、亜美は、
「あたしがこんな事言うの、そんなに変?」
「……自分でもよく分かってるみたいじゃない」
「まあ、あたしには似合わない事くらい分かってるけど。だとするならば、恋があたしを変えたのかしら」
「……つくづく、似合わない」
「うっせえな。あたしだって、言った後に後悔したっつの。クソ、マジあたしどうかしてる」
 大河は、くすくすと笑い声を洩らした。
 その顔からは、あらかた険が抜けている。
 ねえ、ばかちー。呼びかけて、大河は立ち上がった。
 大河の視線は高くなるが、それでも等しくなる事はない。
「私は、恋のエンジェルだから、ばかちーの恋を妨害したりはしない。でも、私はあくまでみのりんの味方だから」
「……実乃梨ちゃんの、ねぇ。それで、アンタは、本当に、それでいいの?」
 亜美が真剣な目をする。
 その視線を受ける大河も然り。
 絡み合う視線。数秒の間が開いた。
 こくりと、大河は大きく頷く。
 そう、と亜美は、大きく息を吐いた。
 大河は自身の気持ちに気付いている。気付きながらも、敢えて目を反らすと、そう決めたのだ。
 亜美は、気に入らないけれどそれも一つの選択だろう。
「修学旅行。何もないまま終わりそうにないわね」
「……きっと皆にとっても、想いを遂げるための最後のチャンスだから」
 高校2年生でいられるのをあとわずかに残して。
 最後のチャンス。亜美にとっても、竜児にとっても。そして他の誰かにとっても。
 多くの人の想いを、爆弾のように抱えたまま、修学旅行のバスは走りだす。
264翼をください:2010/03/28(日) 00:24:13 ID:Vs142lBO
投下終了
お目汚し失礼しました
265名無しさん@ピンキー:2010/03/28(日) 01:02:59 ID:k3MC6mlm
>>264
GJです!
あーみん可愛いなぁ。でも大河もカッコイイや。
修学旅行どうなるんでしょう続き待ってます!
266名無しさん@ピンキー:2010/03/28(日) 01:03:24 ID:/+p2GyRz
>>264
純粋に面白い。GJです。これは実乃梨の参戦が楽しみですねぇ。
もっとも、亜美だけが前を見てるので、その時点でかなり有利ですが、
基本『ちわドラ』っぽいですから、それはそれでよし。
だだ、惜しむらくは素早い仕事の影に隠れて推敲が若干足りてない気配。
最初の投下に比べて、語尾の反復による平坦化と誤字が若干。
でも、そんなのを気にさせない話の展開の上手さです。 次も楽しみ^^
267名無しさん@ピンキー:2010/03/28(日) 01:14:00 ID:CyfsXGv/
GJですよ。
268名無しさん@ピンキー:2010/03/28(日) 10:07:47 ID:f3sfp4P8
>>264 GJ! 相変わらず素早い仕事ぶりです。

今までにない展開でこの先が楽しみですw
楽しみにまってますねw
269名無しさん@ピンキー:2010/03/28(日) 12:49:50 ID:l1DkhBPx
>>264
GJです。楽しく読ませてもらってます

しかしこの勢いだと300行く前に次スレになりそうだw
270名無しさん@ピンキー:2010/03/28(日) 14:25:34 ID:J7ddw4ui
竜児ハーレムものってどの作品がある?
271名無しさん@ピンキー:2010/03/28(日) 14:48:22 ID:1nW448vA
174さんの作品ほぼ全般?
ハーレムというにはあまりに竜児にとって酷かもしれないが
272名無しさん@ピンキー:2010/03/28(日) 16:19:54 ID:V9TlhZhG
>>268
下げろよニコ厨
これだからガキは困る
草民はvipで氏ね
273名無しさん@ピンキー:2010/03/28(日) 16:44:35 ID:OpGHOza6
翼をください、GJです。
こう、三国志でいったら関羽がもし呉の裏切りに遭わなかったら・・・みたいな
見たかった展開にいけそうな流れで、実に自然でいいですね。

こっちの話でアニメ化してくれればよかったのにw
274名無しさん@ピンキー:2010/03/28(日) 17:16:35 ID:AJ7TjsVf
174さんは確かにハーレム物(特にドタバタ系)の印象が強烈だけどそれだけでもなくね?
ほぼ唯一のやっちゃんSS書き手さんだし

何が言いたいかというとゆりドラっまだですかね?
275名無しさん@ピンキー:2010/03/30(火) 01:17:34 ID:VlLqgsoz
日記もハーレムものかな?
復活待ってまーす!!
276名無しさん@ピンキー:2010/03/31(水) 02:32:33 ID:J9dEYgCz
催促したらダメかもしれんが[日常のヒトコマ]も続き待ってる。
奈々子視点で大河が出てこない話だけど、好きな作品なんだ。
277翼をください 4:2010/04/01(木) 16:56:03 ID:0UhxovYI
投下します
翼をください #4
※注意
・進行速度の関係上、原作よりもアニメ版をベースにしています。
場面:アニメ第21話付近(修学旅行一日目)
エロ:なし
以下本編
278翼をください 4:2010/04/01(木) 16:56:55 ID:0UhxovYI

 翼をください #4







 修学旅行当日。
 竜児たちは、今日から2泊3日のスキー旅行を行う。
 朝、高校を出てから、バスの中でゆられる事、早2時間弱。
 朝からハイテンションでバスに乗り込んだ生徒たちであるが、一向にテンションが下がるような気配がない。
 若いっていいわねぇ。特に問題児の揃ったクラスだと世間から専らの認識である、2-C担任のゆりは、多少卑屈な気分で窓の外を見やった。
 あれほど、沖縄じゃなくなった事にブーブー言ってたくせに、ゲンキンなものね。小さく呟くが、車内の喧騒にもみ消されてしまう。
 窓の外は、白い帽子をかぶった山がちらほらと覗いているが、最初こそ、雪だーという声がいくつかあげる者も居たが、今は興味の外の様である。
 私も十数年前はあんなだったのかしら。ゆりは、ふとそう考えて、そのせいで自分の年を再認識してしまい、落ち込んでしまう。
「ふふふ、精々今の内は楽しんでおく事ね。人生、楽しい事より苦しい事の方が多いんだから」 
 終いには、ぶつぶつと呪詛を詠うゆりであった。
 最前列に座るゆりには、担任として生徒達を監督し、律する責任があるのだが、半ば放棄してしまっている。
「ねえねえ、何かユリちゃん先生の目が怖いんだけど」
 そんなゆりを木原が見つけた。
 木原の隣に座る香椎も、ちらりとゆりの様子を窺って、
「ほんとだ。どうしたんだろう」
「まあ、先生なんだから修学旅行なんて、珍しくないんじゃない?」
 そう言ったのは、木原と廊下をはさんで隣に座る亜美で、ゆりの姿を見ようともせず鏡を覗き込み、髪を弄りながら如何にも興味なさげである。
「独神もこんな所に来ている場合じゃない、って思ってるんじゃね?」
「ば、バカ!?」
 春田が、へらへらと無駄に大きな声でそんな事を言うものだから、隣席の能登は、慌てて春田の口をふさいだ。
 冷や汗をかきながら、恐る恐る前の方を窺うと、
「ゲッ!」
 ちょうど後ろを振り向いていたゆりと目があった。
 何と言うか、物凄い形相だった。
 日頃竜児と付き合って、そういう顔には慣れている能登ではあるが、思わずビビってしまった。
 そう、まるで初めて竜児を見た時と同じような恐怖を感じた。
 人の顔を見て、殺られるっ!?と思ったのは久しぶりの事だった。
 能登は、咄嗟に前席の影に隠れて、
「ふざけんな、お前のせいで何か俺が悪いみたいになってるじゃんか」
 キンタマ縮みあがったぞ、と春田の頭を小突いた。
 少々力がこもってしまったのは、能登の感じた恐怖を鑑みれば仕方がない事だと言えるだろう。
「いってー。あにすんだよぅ」
 小突かれた頭を抑えながら、春田が不満を漏らした。
 その目が涙目になっていることからも、能登の必死さが見て取れた。
「自業自得だろ!バスから降りた時を考えると、雪山について欲しくなくなるじゃないか!」
 能登は、器用にも声を抑えながら怒鳴り、もう一発拳骨を春田の頭上に落とした。
 今度は、一発目よりも威力は弱いが、それでも痛いものは痛い。
 何故自分が殴られているのか、殆ど理解していない春田は、
「さっきから、能登は俺のこと嫌いなんかよ!?」
「たった今嫌いになったわ!」
「な、何でさー!?」
「自分の胸に聞いてみろ!」
 能登の言葉に、バカ正直にも春田は自分の胸に手を当てて、眼を閉じた。
 ぶつぶつ呟いているのは、実際に胸に聞いているつもりなのだろう。
 アホだ、コイツ。能登の心の中に、春田と友人になってから、もう何度目か分からない想いが過った。
279翼をください 4:2010/04/01(木) 16:58:13 ID:0UhxovYI
「なに二人で漫才してるわけ。バカなの?」
 そんな二人の言動に、木原が眉をしかめた。
「ぐ……」
 自分にも思うところがあるのか、能登が苦虫をつぶしたような顔をした。
「元はと言えば、木原が……!」
「何よ。人のせいにしないでくれる?」
 木原と能登が睨みあう。
 最近になって、二人がこんな風に対立する光景が多くみられるようになっている。
 そのせいか、皆いつもの事だと取り合おうとしない。
 余りにも分かりやすい二人の態度のせいで、その原因も大方の人間が察していた。
 亜美は、相変わらず鏡の中の自分に夢中であるし、香椎は、二人に呆れたような顔をしながらも口を挟もうとはしない。
 能登については、自分も能登と共にバカにされているということすら分かっていない。
「ははは、二人とも、最近仲がいいなぁ」
 そうやって呑気に笑う北村は、自分が燃料を注いでいる事に気付いていない。
 かあっと木原の顔が朱に染まる。
 それは羞恥によるものではなく、主成分を怒りが占めていた。
「そ、そんなっ!そうじゃなくてっ!」
 声を荒げ、しかし言葉が続かない。
 違う、そうじゃなくて。一番仲良くしたいのは、ううん、もっと先の関係になりたいって思っているのは――。
 そう言えればなんと楽だろう。けれど思うだけで、言葉にはなってくれない。
 それは、魔法の言葉だ。
 唱えれば最後、今までの関係を良くも悪しくもガラリと変えてしまう。
 今の木原には、その言葉を唱えるための勇気がどうしても出ない。
 敵はとても強力で、鈍感で。この魔法の言葉以外に、攻略方法はない。
 唱えて倒すか、倒れるか。正に、諸刃の刃だ。
 強力なライバルもいる。自分とは、全然違う孤高の虎。
 あの小さな体の一体どこにそんな力があるのか、彼女は、媚びず省みず。ただ、前へ前へと突き進んでいく。
 思い出すのは、あの日の事。北村のために前生徒会長へ殴り込みをかけた、あの日の姿。
 ぼろぼろになりながら牙を剥いて。たった一人のために、叫び続けた。
 ……きっと、まるおが好きになるのも、ああいう――
「――麻耶」
 思考の海に溺れかけていた木原を救ったのは、手にのせられた柔らかい感触と耳朶を打つ聞きなれた声だった。
 視線を落とすと、香椎の手が自分の手に重ねられている。その拍子に、涙がこぼれ落ちそうになるのを感じた。
「あ……」
 そこでようやく自分が、涙目になりかけていた事に気付いた。視界がぼやけそうになるのを、木原は何とか堪える。
「お、おい、木原。大丈夫か?」
 突然俯いてしまった木原に、心配そうな北村の声が掛かる。
 木原は、その声に応える事が出来ない。顔すらあげる事ができない。
 今、北村の顔を見てしまったら、きっと泣いてしまう。
「……ちょっと、バス酔いしちゃったみたい。ほら、麻耶、席変わろう。窓側の方がいいわ」
 香椎は、木原の背中をさすりながら彼女と座席を交代した。
 ここなら、斜め前に座る北村から木原の姿は見えない。
「ごめんね。ありがとう、奈々子」
「いいのよ」
 首を振り、香椎は木原の背中を撫で続ける。
 泣かない、泣かない。
 木原はそう自らに言い聞かせながら、ぶるりと背中を一度震わせた。
280翼をください 4:2010/04/01(木) 16:59:25 ID:0UhxovYI
 そんな木原の姿を眺めていた亜美は、そっと溜息をついた。
 目的地に着く前からこれじゃ、先が思いやられる。
 亜美にとって木原は、親友と言っても良いほどの位置に居る少女だ。
 だから、亜美にも木原を助けてあげたいという気持ちは、少なからず存在する。
 けれど、今の亜美に人の事を考える余裕は正直なかった。
 申し訳ないとは思うけれど、自分の事で一杯一杯なのだ。
 パタンと、手に持った鏡を畳む。
 今自分が座る、二つ前の席の一つに竜児は座っている。
 竜児は、今朝からどことなく緊張した様相であった。
 鋭い目を更に研ぎ澄ませて、まるで何かを決心しているかのような。
 決心。
 それが一体何なのか、亜美には予想できてしまう。
 予想できて、彼女の胸の中には、ぐるぐるとたくさんの感情が渦巻いている。
 それは、焦燥や不安、そして僅かの期待。
 彼が、本当に振られてしまえばいい。そんな最低な期待。
 けれど、一方で亜美は、その結果はないだろう、と思っている。
 実乃梨は、今日もいつもの何を考えているのか分からない笑顔。
 寧ろ何時もよりテンション高めに、さっきから癇に障る大きく無邪気な声で隣の大河と喋り続けている。
 彼女が何を考えて、竜児の告白をなかった事にしようとしているのか。
 その理由は、亜美には分かるけれど理解は決してできないものである。
 淡い希望をもたせて、生殺しの状態を続けて。
 これでは竜児が、余りにも可哀相だ。亜美は、実乃梨が座っているであろう座席を睨んだ。

 †

「わあ」
 眼前に広がる光景に生徒達は皆、感嘆の声を漏らした。
 白銀世界。
 連なる尾根は、純白を抱き。
 なだらかな斜面に惜しみなく積もった雪は、キラキラと陽光を反射し煌めいている。
 既に一般客がその斜面を気持ちよさそうに滑っている場面を見て、生徒達の心が弾んだ。
 ごわごわして、実用一辺倒の原色のレンタルウェアには幾分の不満はあるものの、彼らの意識は既に雪を削りながら滑っている。
 一度集合させられ、教師の注意事項も耳半分である。
 教師もその事は分かってはいるが、もしもの事があれば困るので心ここにあらずの生徒達に言い確りと含めて自由時間を言い渡した。
 生徒達は、歓喜の声を上げて、白銀へと散っていく。
 バスの中では卑屈になっていたゆりも、何か吹っ切れたのか、職務そっちのけで楽しむ気満々である。

「……俺、スノボの方が得意なんだけどなぁ」
 そうぼやいて見せる春田だが、十分すぎると言っていいほどの腕前である。
「春田のくせに生意気だよ、生意気」
 こちらは、ごく平均。人並み程度に滑る能登がぼやく。
「だってさぁ、別にスキー限定にしなくてもよくね?」
 今回の修学旅行では、生徒はスキーのみに限られている。
 その理由は諸説あるのだが、
「スノボだと事故の可能性が増えないとも言い切れないし、レンタル料金も違うんじゃね?それに、教師も監督しやすいだろうし」
 このあたりが理由であるだろう。
 
「お、お、おー、行ける行ける。ハの字、ハの字」
 所変わって慎重にゆるゆると滑る二人組。
「中一以来だけど、何とかなるものね」
 木原と香椎である。
 春田や能登の様に、スピードを出してその爽快感を楽しむといった楽しみ方とはまた違ったものであるが、彼女たちも各々笑顔を浮かべている。
 木原も久しぶりに見る一面の銀世界に、バスの中では暗かった顔がはればれとしている。
 元々木原は、一つの事を引きずるような性格ではないのもあるだろう。
 それも木原の良い所だと、香椎は思う。
「来て良かったわね」
「うん!」
 などと、会話を楽しみながら滑る二人。
 成程、こういうスキーの楽しみ方もあるのだろう。
281翼をください 4:2010/04/01(木) 17:00:42 ID:0UhxovYI
「やっほー、わほーい」
 斜面を滑り終えた二人がはしゃぎ声を振り返ってみると、こちらに向かって滑ってくる影があった。
 ぶかぶかの服装でゴーグルなどの重装備ではっきりとはしないが、声からして実乃梨のようだ。
 実乃梨は、かなりのスピードと共に雪を散らせて走っている。
 そして、あっという間に二人の前まで来て、綺麗に止まって見せた。
 ふぉぉ、と木原は感嘆の溜息。
「凄い凄い。上手いねー」
「サンキューサンキュー。私には、体動かすしか能ないからのう」
「別に早く滑れなくても良いって思ってたけど、そういうの見ると羨ましいなー」
「おうおう、そんなにおだてても何にも出ないよー?」
 実乃梨は、てへへと照れたように笑う。
 彼女は、わざわざスキー板を脱ぐと、
「よし、じゃあ、ガンガン滑ってくるぜー」
 とリフトの方へ元気にかけていった。

「あ」
 不意に、木原の隣でにこにこ微笑んでいた香椎が、何かを見つけた様に呟きを漏らした。
「ん、どったの?」
 麻耶が聞くと、香椎が指をさした。
 木原がそれを追ってみると、
「……まるお」
 リフトの近くに北村が居た。
 香椎は、黙ってしまった木原を覗きこみ、
「……どうする?」
「……」
 木原は、暫く考えるそぶりを見せる。
 その瞳は揺れている。瞳を揺らすのは、動揺だろうか。
 怖いのかもしれない。木原の様子から、香椎は推測する。
 ――北村君は、鈍すぎるから。
 それに、北村は、未だに前生徒会長の事を引きずっているようにも見える。
 強力なライバルもいる。
 正直、麻耶の恋は、厳しいかも、と香椎は思っている。
「……行く。まるおと一緒に、リフトに乗る!」
「そう」
 決心したように木原は、拳を握った。
 遊んでいるような外見からは想像できないが、彼女はかなり奥手だ。
 今まで異性と付き合った経験もないという彼女。
 好きな人と一緒にリフトに乗る。たったそれだけでも、どれくらいの勇気を要したのだろうか。
 そんな彼女の勇気を、香椎は最大限に応援してあげたかった。
 二人が、北村に向かって歩き出した時、丁度前方に亜美が滑り降りてきた。
「あ、亜美ちゃん」
「ん?……やっほ、楽しんでる?」
「うん!それにしても、亜美ちゃんも上手いねー。すっごいスピード出てたよ」
「そんな、普通だよ、フツー」
 亜美は、ゴーグルを外し、困ったような笑みを作った。
 そして、何となく気になった部分に、
「……それよりも、も、って?」
 と首を傾げた。
「さっき櫛枝が滑ってたの」
「……ああ、実乃梨ちゃんはスポーツ万能だからねぇ」
 ソレしか取りえなさそうだし。そう言いそうになった口をふさぐ。
 どうしても実乃梨に対してギスギスした気持ちになる亜美であった。
「ね、それよりも、亜美ちゃんも付いてきて」
「……?どこに?」
「リフト。麻耶がね、まるおくんと一緒に乗るんだー、って」
 香椎の返答にリフトの方を見やり、ああ、と亜美は目を細めた。
282翼をください 4:2010/04/01(木) 17:01:52 ID:0UhxovYI
「でも、あたしの出来ることなんてないと思うけど……」
「一緒に居てくれるだけでいいの。お願い!」
 木原は、とうとう亜美に手を合わせて頭を下げてしまった。
 これでは、亜美も断るわけにもいかない。
 木原と香椎は、亜美にとって大切な友人となっていた。
 それどころじゃないんだけどな。小さく呟く。
 滑る途中で、亜美は竜児の姿を見つけていた。
 どうやらスキーは未経験の様で、何度も転んでいた。
 ――あたしがスキーを手とり足とり教えてあげよう。
 そう目論んで、気持ち速度を上げて滑り降りてきたのだ。
 直ぐに竜児の所に向かおうとしたところで、木原達に捕まってしまった。
 ま、それは、この後でもいいか。
 亜美は、そう思い直し、
「いいよ。それじゃ、急ごうか」
 と頷いた。
「わー、ありがとっ!」
 抱きついてきた木原の身体を受け止め、背中をぽんぽんと叩いた。
 多くは手助け出来ないけれどせめて、頑張れ、と気持ちを込めながら。

「まるお、一緒にリフトのろ?」
 リフト待ちしている北村のところへ行きつくと、開口一番、木原は北村を誘った。
 少しだけ声が裏返ってしまったのは、矢張り、緊張していたのだろう。
「別にいいが……香椎と乗らなくても良いのか?」
「リフトに乗ってるところ、奈々子と写メ撮り合いたいんだもん」
 ねー、と木原と香椎が首を傾け合い、声をそろえた。
「ふむ、そう言う事なら別にいいが……」
 よし、と木原は心の中でガッツポーズ。
 たかがリフトに一緒に乗るだけ。
 それでも彼女にとっては、ライバルとの差をつける大きな一歩だった。
「あーあー、嘘ついちゃってまあ」
 浮かれかけていた木原であるが、思わぬところで邪魔が入った。
 木原達の直ぐ後ろに居た能登だ。
 彼の姿を見とめ、木原があからさまに嫌そうな顔をした。
「なに、何か用?」
 木原がつっけんどんに尋ねると、
「おまえら、割り込みなんですけど」
 と、能登も負けじと木原を睨んだ。
「――っ!」
 正論と言えば、正論の能登の言葉に一瞬言葉に窮した木原だが、
「うるさい!」
 と、声を荒げた。
「何でお前がしゃしゃり出てくるワケ?どーして私の邪魔すんの?まじウザいんですけど、ウザい、ウザい、ウザい、ウザい!」
 理屈もへったくれもない怒涛の反撃に、能登はうろたえるものの、ぐっと歯を噛みしめた。
「木原こそ、身勝手してるじゃんか。自分が北村とべたべたしたいからって、変な工作してんじゃねぇ」
「工作なんてしてないもん」
「したね!絶対したね!」
「アンタには関係ないでしょ!」
「俺は、俺達の親友の幸せを祈ってるの。な、春田?」
 二人の舌戦に入ろうにも事情も呑み込めず、ただ眺めていた春田に唐突にバトンが回された。
 春田は、目を丸くして、何となくピースサインをつくった。
「いえーす。……って、え、何の話?」
 普通ならば、春田のリアクションにある程度空気も和むものであるが、今回はそう簡単にいくものではないようだった。
 自分から振っておきながら、能登は春田の反応など意にも介さず、
「悪いけど、木原達の工作って、なんかイヤらしっぽくて、萎えてくるワケ」
「はあ?アホが萎えようが、すっげーどうでもいいんですけど?」
 一向にとどまろうとしない二人の言いあい。
 それは既に言いあいとしての範疇を超えた所へ、一歩足を踏み入れている。
283翼をください 4:2010/04/01(木) 17:02:54 ID:0UhxovYI
 そんな二人を、
「まあまあ、そんな喧嘩しないで、仲良くやろうよ、ね?ここは、わたくしめに預けてみないかね」
 と、実乃梨が納めようとするも、
「お前が預かってどうするんだよ」
 一蹴。
 能登にざっくり切られて、う、と実乃梨が口ごもった。
「あー、訳が分からん!さっきから。とにかく、みんな冷静になれ、冷静に」
 とうとう、北村が場を収束させようと動きだすも、彼の言葉は、ずれてしまっている。
 まるで、自分がさも当事者ではないと言わんばかりの言葉。
 実際、彼は理解していないだけなのであるが、それは、この場で、彼が、発する言葉として不適切であった。
 静観を決め込んでいた亜美も、はあ、とたまらず溜息。
 あーあ、やだやだ、と意識して声を大きくして皆の意識を引き寄せる。
「祐作。アンタのその鈍さって天然?それとも、分かってやってるの?」
 亜美には、木原の気持ちが分かるような気がした。
 そして、鈍くてバカな北村が、まるで以前の誰かとかぶって見えた。
 今は、まあ、そこそこマシにはなったが、亜美が教えなければきっと今もバカのままだっただろう誰かと。
「……何が言いたいんだ?言いたい事があるなら、はっきりと言え、はっきりと!」
 そのせいか亜美の言葉には若干以上の棘が含まれていて。
 さすがの北村もむっとした顔になった。
「やだ、まるおくん、本当にそこまで天然なわけ?殆ど、暴力……」
 思わぬところから――香椎の毒に北村は、目を見張った。
 暴力。言い得て妙だ。亜美は思う。
 鈍い刃が誰かを傷つけているのも知らず、めった刺しにする。
 無知は罪だ。
 北村は、数か月前にまるで漫画や映画の様な恋をして、結果的に破れた。
 そして破れた今も、その人を思っている。凄い事だ。そう簡単には出来ない事だ。
 北村の一途に思う心。その部分は、亜美も認めていて。
 しかし、認められない部分がある。
 人を我武者羅に愛すること。それは立派だ。亜美も恋をしているから分かる。それが如何に大変で、挫けてしまいそうになるかを。
 けれど、それだけではダメなのだ。
 自分へと向けられた愛にちゃんと気付いてあげる事が出来なければいけない。むしろ、前者よりもこちらの方が大切だと思う。
 後者の方は、傷つくのは自分ではない誰かなのだから。
「っ――うっ、うぅ、うっ、ひっ……」
 とうとう木原が嗚咽を漏らし始めてしまう。
 無理もない、と直ぐに彼女の背中を撫でてあげながら、香椎は思う。
 既にバスの中で半泣きになっていたし、彼女の修学旅行にかける意気込みは、奥手な彼女にしては大きかった。
 北村と木原では学力に差があり過ぎる。3年になれば、クラスが別々になってしまうだろう。
 そうなれば、卒業まではあっという間。木原では、きっと何も進展させる事が出来ない。
 木原にも、殆ど後がないのだ。
 
 †

 それから、竜児たちの班を取り巻く空気は重苦しく、とても楽しい修学旅行のソレとは思えないものであった。
 竜児は、実乃梨に話しかけるタイミングを逃してしまっているし、亜美も竜児にアピール出来ずにいた。
 北村も、全ては理解していなくても、自分が木原を泣かせた事に関係していることくらいは察しているらしく、ずっと沈んでいるし、能登も同様だ。
 唯一、春田は、居心地悪そうにしながらも、健全に修学旅行を楽しんでいるようだった。
 否、もうひとり、大河だけは何時も通りといえば、何時も通りであったが。
 しかし大河は、スキーが滑れないようで彼女たちとはまた別の意味で、修学旅行を楽しめていなかった。
284翼をください 4:2010/04/01(木) 17:04:12 ID:0UhxovYI
「ったく、初日からこれじゃあ、先が思いやられるな。櫛枝の気持ちを確かめるどころか、まともに話す事も出来ずに修学旅行終わっちまいそうだ」
 ホテルで夕食をとり、さっさと風呂にも入った竜児は、散歩がてらロビーのソファに深く座り、重い溜息をついた。
 そうしてロビーのシャンデリアを見上げる竜児の顔に、彼を上から見下ろす少女の影が差した。
「大きな溜息。ふふ、高須君がそんな顔してると、とんでもない悩みを抱えているように見えるね」
「川嶋か……」
「何か残念そう。こーんな超絶美少女の亜美ちゃんが、高須君のオーラにも挫けず話しかけてあげたのに。……あ、実乃梨ちゃんがよかった?もしかして」
「……」
「図星、か」
 亜美は、常人のそれよりも高い位置にある腰に手を当てて、もう、と苦笑した。
 そして竜児とテーブルを挟んで、対面のソファに腰掛けた。
「っ、それで、とんでもない悩みって、どんな悩み抱えているように見えるんだよ?」
「あ、話すり替えた」
「……」
「もう、そんなに怒らないで。ちょっとした冗談じゃない。……そうね、後処理どうしよう、とか?」
「後処理?」
 要領を得ない亜美の答えに、竜児は眉をひそめた。
 すると、亜美は声を低く、重みをもたせて、
「あー、殺っちまった。死体、どう処理すっかな……」
 とか?と亜美は、口調をまたころっと変えて笑った。
「……無駄に役者だな。将来は、女優になるつもりか?」
「さあ?あたしより演技上手い人ならそこら中にごろごろいるし。亜美ちゃんが幾ら可愛くっても、それだけで通用する世界でもないしね」
「ふーん。そんなもんか」
 竜児は、何となく亜美の方を見て、
「それ……」
 亜美の髪を指す。
 そこには、竜児があげた銀色のヘアピン。
 ああ、これ?亜美は少しだけ嬉しそうな顔をして、
「高須君に貰ってから、ずっと付けてるの。あたしの一番のお気に入り」
「そ、そうか」
 亜美の微笑にどきりとする。
 最近は、余り意識しなくなっていたけれど、亜美は、矢張り美少女だ。
 竜児の周りには、実乃梨や大河を筆頭に可愛い女の子が多いが、亜美は何と言うか一線を画している。
 容貌やスタイルはもちろんなのだが、何と言うか亜美は、自分の魅力を最大限に発揮できる所作を身につけている。
 もしかしたら、これが人気モデルと一般人の差というモノなのかもしれない。
 ……亜美以外にモデルの知り合い何ぞいるわけない竜児には確かめようもないが。
「それで、実乃梨ちゃんとは話せたの?」
「……いや。タイミングがなくてな」
「まあ、今日は、皆ギスギスしてたからね」
 数秒、二人の間に沈黙が過る。
 こういうの、確、天使が通るとか、幽霊が通るとかいったか。ぼんやりと、竜児はそんなくだらない事を思った。
 ねえ。ふと、亜美の声。
 竜児は、目を細めた。僅かに首をかしげる。
 亜美の声は、唐突に暗色に沈んでいた。
「あたし、高須君に懺悔しないといけないことがあるんだ」
「懺悔?」
 また似つかわしくない難しい言葉だな。
 そう茶化す事の出来ない雰囲気があった。
285翼をください 4:2010/04/01(木) 17:04:54 ID:0UhxovYI
「高須君が、実乃梨ちゃんに振られたのって、あたしのせいかも」
「何だよ今更?」
 意味が分からない。自分が振られた事と彼女が関係しているとは、到底思えなかった。
 それに振られた理由ならば、クリスマスイブの日、亜美自身の口から亜美の推測とはいえ、聞いている事だった。
「前にね。高須君の知らないところで、あたし、実乃梨ちゃんに嫌味を言った」
 それは、大河があの狩野すみれともみ合いになった日。
 言うつもりではなかったけれど、実乃梨の横を通り過ぎる時、思わず口走っていた。
 ――罪悪感はなくなった?
 亜美の頭の中に、自分の声が蘇る。どうしてあんなこと言ったのだろう。
 きっと、あの言葉が竜児、大河、実乃梨、3人の絆を壊す時計を速めた。
「嫌みって、何だよ?」
 亜美は、竜児の問いには答えず、
「でもね、その事を後悔したくはないの。多分、あの言葉があったから高須君は実乃梨ちゃんに振られて、あたしにもチャンスが巡って来た。だから、後悔したくない。
 ……そう思って、本当に後悔しないで済むなら、楽なんだけど、ね」
 あたしはね。亜美は、じっと竜児の目を見据えた。
 見返してくる竜児の目には、困惑の色が濃い。
 もしかしたら、あたしが言っている事を理解できていないのかもしれない。
 それでもいい、と亜美は思った。
 ――あたしは、懺悔と言っておきながら、許してもらおうなんて思っていないんだろうから。
 ただ、言って楽になりたいだけ。何処まで最低なんだろう。少しだけ、自分が嫌になる。
「あたしはね。高須君が、実乃梨ちゃんに振られた事をきっと喜んでる。高須君が振られなければ、あのイブの日はなかったし、あたしは小悪魔を捕まえられなかった」
「小悪魔?なんだそれ」
 何だか話が一気に胡散臭くなったのは、竜児の気のせいであろうか。
 一方で、亜美は思う。
 竜児が実乃梨に振られ、その日に竜児に自分が出会えた事。
 きっとその時、あたしは翼を手にした。
 たとえそれがイカロスの翼であっても。あたしは、空を飛び、奇蹟をこの手につかんだ。
 もしかしたら、神様からのクリスマスプレゼントだったのかもしれない、なんて柄にもない事を考えた。
 亜美が今、こんな事を考えて、竜児にこんな話をしてしまうのは、木原の泣く姿を見てしまったからかもしれない。
 一歩間違えば、自分もああいう風になったかもしれないと思うと。
 亜美の事だから、人前に泣くような事はなかっただろうけど。
 自分がそんなに素直ではなく、度胸もない事くらい、亜美は良く知っている。
「でもそれは、自分勝手な言い訳。あたしが、最低な事言ってるってことは、どうしても変えられない。ごめんね」
「……別に川嶋のせいじゃねぇよ。それに、まだ」
 まだ、櫛枝の本当の気持ちを確かめていない。
 そう言おうとして、竜児は、口を噤んだ。
 それは、自分に告白してくれた亜美に言うべきことではないような気がした。
 けれど亜美は、いいよ、と首を振った。
 まるで、竜児の言わんとしている事を察しているかのように。
「確かに、実乃梨ちゃんは高須君に本当の気持ちを伝えていない。へらへら笑って、やり過ごしてる。あたしは、それがすごくムカつく」
「お、おい、川嶋?」
「だって、あの子、高須君がどれだけ傷ついて、苦しんで、悩んでいるかも知らないで、へらへらして。それが、あたしは許せないの」
「俺は、別に……」
「うん、わかってる。高須君が、実乃梨ちゃんのせいだって思っていない事くらい。あたしが許せないの。結局は、身勝手な嫉妬でしかないのも分かってるつもり」
 嫉妬。亜美が実乃梨に対して嫉妬を感じているという事は。
 竜児の心臓が再度跳ねた。心拍が速くなる。
 これは、つまるところもう一度告白されたという事と大差なかった。
「あたしも、実乃梨ちゃんの本心を聞いてみたいって思う。何時だって、道化の仮面で隠してるあの子の本心を」
 そう言って、亜美は不意に立ち上がった。
 その目には、何やら決意の炎らしきものが宿っている。
 竜児は、唖然としたまま、
「川嶋……?どうした?」
「……ねえ、高須君。実乃梨ちゃんの本心を聞きたいって思わない?」
「……は?」
286翼をください 4:2010/04/01(木) 17:05:33 ID:0UhxovYI
 †

「で、何で、俺はここに居るんだ……」
 辺り一面を暗闇に囲まれて。
 ホテルの一室は押し入れの中、膝を抱えて竜児は、ぽつりと呟いた。
「それは、こっちのセリフだ。いきなり部屋に来た亜美に押し入れに押し込まれて、頭が混乱してるんだが」
「まーまー、いーじゃん。結構楽しいし」
「……春田、お前は能天気で良いな」
 それ程大きくはない押し入れに竜児のほか、北村、春田、能登までもが押し込められている。
 別に彼らが、女子の部屋に忍び込んだわけではない。ここは、正真正銘、彼らの部屋である。
 それなのに何故、彼らがこんな窮屈な押し入れで膝を抱えているのか。
 竜児をひきつれて、突然彼らの部屋にずかずか入り込んできた亜美が、殆ど何の説明もなく彼らを押し入れに押し込んだのだ。
 部屋を去る際に、
「暫くしたら、あたしが此処に女子を連れてくるから。その時になっても、絶対に外に出てこないでね」
 と言い含めて、さっさと部屋を去って行った。
「というか、ここに女子を連れてきて、アイツは一体何をするつもりだ?」
「さあ?でも、俺達の班の悪い空気を修復するって言ってたじゃん。今日はみんな変だったし、フインキが戻るんなら、だいかんげーい」
「ふんいき、な。まあ、俺も今日は、悪かったと思うし、解決できるんなら嬉しいけど……なぁ」
 能登が北村を窺う。
 暗闇の中、十数分。彼らの目は、既に暗所に慣れていた。
 ふむ、と北村は、顎に手を当てて考え込むしぐさをした。
「亜美がそんな事を進んでするような奴だとは思えんな」
「えー亜美ちゃん、ちょー可愛いじゃん」
「可愛さと、性格ってのは、あんまり関係ないさ。否、むしろ亜美の場合、可愛いからこそあんな性格になったと言うべきか」
 高須はどう思う?
 北村が、さっきから黙ってしまっている竜児に問いかけた。
「高須も、亜美が関係の修復に動くつもりだと思うか?」
「いや、正直……」
 竜児も、亜美がそんな事をするような人間には思えなかった。
 それに、竜児を此処に押し込む前の会話。
 ――あたしも、実乃梨ちゃんの本心を聞いてみたいって思う。何時だって、道化の仮面で隠してるあの子の本心を。
 ――……ねえ、高須君。実乃梨ちゃんの本心を聞きたいって思わない?
「一体何をするつもりだ……?」
 何となく。本当に、確証も根拠も全くないのだが、竜児は嫌な予感がした。
 不意に部屋をノックする音。
「む、始まったか?」
「おーい。おいおいおーい。……居ないみたいだよ」
 遠くから聞こえるのは、実乃梨の声。
 北村の言うとおり、亜美の企みが始まったようだ。
「お風呂に行っているのかしらね」
「えー、どうする?センセーにばれたらまずいし、もう部屋に戻っちゃう?」
「まーまー。中に入って、待ってよ?」
「え、え、亜美ちゃん、勝手に入っちゃまずくない?」
「いーから、いーから。廊下に突っ立ってたらセンセに見つかるし」
 亜美の声と共にガチャとドアが開かれた音。
「おじゃましまーす」
 ちっともそう思っていない声色で、亜美はずかずかと男子の部屋へとはいっていく。
「わ、亜美ちゃん……」
「ほら、何してるの。早く」
「うん、お、おじゃましまーす……」
 亜美に促されるように、木原が後に続き、香椎も室内に足を踏み入れた。
 ドアの前に一人、実乃梨が取り残された。
287翼をください 4:2010/04/01(木) 17:06:15 ID:0UhxovYI
「ほら、実乃梨ちゃんも」
「え、ああ、でも私、部屋に戻ってようかな。ほら、大河、部屋においてきちゃったし」
「仕方ないじゃん。チビトラは、風呂から上がったかと思ったら爆睡しちゃったんだから。そんなことより、早く早く」
「わ、わわ!あーみん、大胆だー。もしかして私貞操のピンチかい?」
 何故か渋りだした実乃梨を、亜美は腕を掴んで部屋に引っ張り込んだ。
 亜美の言うとおり、この場に大河はいない。
 風呂からあがり、徐に部屋の布団にもぐりこんで寝息をたてだしたのだ。

「へー結構きれいにしてるんだねー」
「……というか、私達の部屋より明らかに綺麗」
 木原と香椎は、男子の部屋を一通り眺めながら、畳の上に腰を下ろした。
 二人の言うとおり、彼らの部屋は荷物もキチン整えられていて、ゴミ一つ落ちていない。
 ……逆に、彼女たちの部屋は、服やら食べかけのお菓子やらが散乱していて、男子が見ると幻想をぶち壊されてしまうような有り様だ。
「まあ、高須君が居るからね」
 実乃梨の腕をつかんだまま、亜美も腰を下ろす。
 実乃梨も諦めた様で、大人しく亜美の隣に座り込んだ。
 女子4人で円をつくる形になる。
「それにしても、高須君が家事好きっていまだに信じらんないんだけど」
「ね、あんな怖い顔してるのに」
「ふむ、ギャップ萌えってことかね」
「あはは、萌えってなによ、ウケるー」
 木原の甲高い笑い声。
 押し入れのなかで息をひそめ、耳をそば立てる4人は、
「今の、ウケるようなとこあったか?」
 と首を傾げあった。
 彼女たちの年代は、箸が落ちただけでも笑うというくらいだ、彼女たちにしか分からないツボがあったのだろう。
「そう言えば、あたし、皆の好みのタイプって知らないなー」
 唐突に、本当に唐突に亜美がそんな事を言い出した。
 始まるのか、と押し入れの中、男子4人が固唾をのんだ。
「亜美……いくらなんでも、不自然すぎるぞ」
 北村の漏らした呟きに、他の3人も頷いた。
 しかし、女子の方は気にしていないようで、
「んー私は、大人っぽくて、私を支えてくれるような人がいいかな」
「包容力のある人ってことかな?……今時の男どもじゃ、難しくない?」
「やっぱりそうかな。私も、実際にタイプって男子に会った事ないし」
「あ、あたしはね!」
「はいはい、麻耶はまるおでしょ。じゃあ、実乃梨ちゃんは?」
 私の話もちゃんと聞いてよー、という木原の訴えを黙殺し亜美が実乃梨に意味ありげな笑みを浮かべながら尋ねた。
「ふえ!?わ、私かい?」
 自分には関係のない話題とでも言わんばかりに、話半分で部屋をきょろきょろしていた実乃梨が素っ頓狂な声を上げた。
 そして、あははとぎこちない愛想笑い。
「どーだろね。私、まだそういうの興味ないっていうか、それよりも集中したい事があるっていうか」
「ソフトボール?」
「そう、奈々子ちゃん正解。最近ようやく調子が戻って来たし、今年のオフはもっと体力つけようって思ってるし。正直それどころじゃないんじゃよ」
「えー、折角の高校生活、部活ばっかりじゃもったいないよー」
「でも、そう言うのも、青春ってことなのかしら?」
 香椎の言葉に、木原はそうなのかなぁと納得できない顔。
 彼女としては、部活に汗流す青春は理解できないのだろう。
「そう、それじゃあ」
 亜美は、四半秒の不自然な間をとり、
「イブの日に告白しようとしてきた高須君を振ったのも、そのせい?」
 爆弾をひとつ、投下した。
288翼をください 4:2010/04/01(木) 17:07:21 ID:0UhxovYI
「えーーー!」
 突然の暴露に、木原と香椎は声をそろえて驚嘆した。
 あの高須竜児が、櫛枝実乃梨に告白?あり得ない。
 未だ、竜児の強面のイメージから余り脱却できない二人にとって、その事実は衝撃的であった。
 それは、押し入れの中の竜児以外の3人にとっても同様で、思わず声を上げそうになり三人が三人とも自らの手で口をふさいだ。
 どういうことだよ。知らなかったぞ。
 三人してそんな視線を竜児に投げかける。
 竜児は、予想だにしていなかった自らの暴露話に照れたように、前髪を弄る。
 こう言う時どんな態度をとればいいのか、開き直ればいいのか、意味のない否定をすればいいのか。
 どちらにせよ声をあげられない竜児は、そっぽを向き、成り行きを見守ることしかできなかった。
 既に、押し入れから出るなんて選択肢はない。
 そんな事をすれば、彼女たちから何を言われるか分かったものではない。
 何でこんな事に。竜児は無力な自分を嘆いた。
「ど、どういうこと。高須君が、櫛枝に告白って」
「っていうか、亜美ちゃんどうしてそんなこと知ってるの!?」
「さー、どうしてだろうねぇ。不思議だなー」
 実乃梨が俯いて、頭を掻いた。
 そして、苛立たしげな声色で、
「あーみん、何でそんな事言うかね」
「あれー、言っちゃ駄目なことだった?ごめんねー、実乃梨ちゃんがあんまりにも平気な顔してるから、どうでもいいことなのかなって思っちゃったー」
「……」
「でも高須君を振った理由、あたしが思ってたのと違うんだよねー。だから、実乃梨ちゃんの口からハッキリ聴きたいなあ。ねえ、どうして高須君の事振っちゃったの?」
 木原と香椎は、呆気にとられて顔をひきつらせる。
 唐突に始まった二人の言いあい。
 亜美は、軽い口調であるが言葉の端々に苛立ちが見て取れるし。
 実乃梨は俯いたまま表情がうかがえないが、仕草が此方も苛立っていることを如実に語る。
 険悪。
 何と言うか、修羅場だった。
 しかし、木原と香椎も唐突に始まったソレを修羅場と呼んでいいのか、分からない。
 何故、亜美は、こんな話をし出したのだろうか。彼女の意図がいまいち読めないのだ。
 一体、この話のどこに亜美が絡んでいるのだろうか。
「さっきも言った通り。今は、恋なんてするひまないから」
「じゃあ、高須君の事嫌いじゃないってことー?」
「別に、嫌いじゃないさ。でもそれは、友人としてってこと。恋人とかそう言うの、今は考えらんない。それだけ」
「ふーん、そーだったんだ。あたし、てっきりタイガーに対する罪悪感からなのかなって思ってた」
「……」
「てっきり実乃梨ちゃんも高須君の事、満更でもなかったのに、高須君を好きな誰かに対する罪悪感から、高須君を振ったんだと思ってたぁ」
「何それ?わけ分かんない」
 きっと、実乃梨が亜美を睨みつける。
 亜美は、そっぽを向いて彼女と視線を合わせようとしない。
「でも、実乃梨ちゃんも残酷だよね。高須君をきっぱり振るんじゃなくて、淡い希望をもたせて生殺しの状態にしてるんだから。何なら、あたしが代わりに伝えとこっか?
 半端な言葉で生殺しにしとくより、ハッキリ止めさしてあげた方が、親切ってもんだよねぇ?」
「……」
「そうじゃないと、高須君が可哀相だもんねぇ。それなのに、実乃梨ちゃんったら、平気なツラで高須君の告白なんて忘れたふりして、チョー天然なふりしちゃって。
 でもって、皆仲よくーだのずっとこのままーだの」
「平気なツラなんて何時見たわけ?本当に見たわけ?あたしの何が分かるの?心が目に見えるか?っていうか、あーみんには関係ねえから」
「あるよ」
 そこで漸く、亜美は実乃梨と視線を合わせた。
 今まで浮かべていた薄い笑みを引っ込め、真剣な眼差しで実乃梨を貫く。
「関係、あるよ」
「……は?どこにだよ」
「だって、あたし、高須君のこと好きだから。実はイブの日に告白も済ませてんの。……まだ、返事もらってねぇけど」
 爆弾、2つ目。それも原子爆弾級の。
 被曝した香椎と木原は、声を失い、目を見開いている。
「――――っ!!」
 一方の押し入れの中も大惨事である。
 二次災害を受け、皆一様に驚愕のまなざしで竜児を視線で問い詰める。
 3人とも絶叫を堪えた自分を褒め湛えながら。
 そんな視線を受けながら、竜児は、何となく悟っていた。亜美が、実乃梨の本心を聞き出そうとしている事に。
289翼をください 4:2010/04/01(木) 17:08:23 ID:0UhxovYI
 ――あたしも、実乃梨ちゃんの本心を聞いてみたいって思う。何時だって、道化の仮面で隠してるあの子の本心を。
 ロビーでの亜美の言葉が再び蘇った。
 余りにも不器用で強引なやり方。実乃梨に喧嘩を吹っ掛けて、真意を問おうとしている。
 これでは、実乃梨だけでなく、亜美までもが傷つくのではないか。
 今すぐにでも、ここから飛び出して亜美を止めるべきなのか竜児は迷う。
 迷い、結局体は一歩も動かず、暗闇の中。耳だけが、研ぎ澄まされている。
 亜美の言葉は続く。
「だからさ、何時までも高須君を縛られてたらこっちが困っちゃうわけ。ねえ、あたしを助けると思って、ひと思いに振っちゃってくれない?」
「……」
「もし言いにくいようならあたしから言っても良いかな。そろそろ、あたしも生殺しは辛いんだぁ」
「――っ!だからっ!好きにすればって!」
 耐え切れなくなったかのように、実乃梨が歯をむいて叫んだ。
 対する亜美も、感情を抑えきれなくなったかのように、
「これだけやっても本心教えてくれないんだ。本当、いい面の皮してる。人を見下すのも大概にしてくれない?」
 静かに、けれど確かな憤慨を実乃梨に叩きつける。
 ともすれば、殴り合いでも始まりそうな空気。
 これが男子同士だったなら、きっと既に始まっていただろう。
 そんな空気を打ち破ったのは、
「い、いい加減にしなってば!」
 ショックから立ち直った木原の一喝だった。
「やめようよ、折角の修学旅行に女子同士で喧嘩なんて……。ただでさえ、私達の班、空気悪いのに。……私のせいで」
 最後の方は、声が小さくなって、涙目になってしまった木原を、香椎が気遣わしげに肩を叩いて、
「そうだよ。亜美ちゃんの気持ちも……分からないでもないけどさ。でも今のは言い過ぎ。謝って、ここで終わりにしよう?」
 香椎のフォローに亜美は、ムッとした顔で俯いて、ふう、と何かを切り替える様に目を閉じて、一つ息を吐いた。
 再び、顔を上げた亜美の顔には、整えられた笑みが浮かんでいる。
「ごっめーん、実乃梨ちゃん。少し言い過ぎちゃった。あたしも、ちょっと焦ってたみたい。でも、さっきあたしが言った事、考えてくれると嬉しいな」
「亜美ちゃん!」
 香椎が咎めるも、亜美はどこ吹く風、じっと実乃梨を見据える。
 その視線を受けて、実乃梨は、パァンと両手を叩き合わせた。
「ほらよ、これで手打ちだ。あーみんの事は許してやる。でも、あたしからこれ以上何かするつもりはないから」
「また逃げるんだ?」
「なにぃ!?」
「もう、二人とも!」
 最早、悲愴じみた木原の声に、二人はさすがにばつの悪そうな顔をした。
 香椎も少し怒ったような表情で、
「いい加減にしなよ、二人とも。子供じゃないんだから、キャンキャン喚かないの。もう、今日の事は二人とも忘れて、ここでお終い。それでいいね」
 有無を言わせぬ香椎の言葉に、二人はこくんと小さく頷いた。
「も、もう、今日は帰ろう?男子、いつになったら帰ってくるか分かんないし、もう私眠くなってきちゃった」
 気を使う様な木原の言葉が、亜美と実乃梨の心を刺す。
 何やってるんだろう。亜美は、口の中だけで呟いた。
 自分の感情も抑えられないで、関係のない友人を傷つけてまで。
「……ごめんね、実乃梨ちゃん。さっきの事、忘れてくれていいから」
「……分かった。いいよ、忘れた」
 亜美は、また心に芽吹いた苛立ちから目を反らすように、顔をそむけた。
 視線の先には、押し入れがある。
 ――ごめんね。
 きっと伝えたい相手には見えていないだろうけれど、口の動きだけでそう伝えた。

 女子4人が部屋から居なくなった後。
 取り残された男子4人は、そろって気まずそうな顔である。
「……すごく、見てはいけないものを見た気がするぞ。第一、結局亜美は何がしたかったんだ」
 北村がメガネを押し上げながら言うと、
「ていうか、櫛枝も、けっこう、なんつーか」
 能登が天井を仰いだ。
「そ、そんなことよりさぁ。高っちゃんが櫛枝に告白してるってこともだけど、亜美ちゃんが高っちゃんを好きだってことが、驚天動地なんですけど」
 春田は、驚き過ぎて四文字熟語を正確に言えるくらいである。
 北村と能登においても春田の言葉には一理あるのだろう、3人の視線が揃って竜児に向けられた。
「は、はは……」
 竜児は力なく笑い、肩を落とすしかなかった。
290翼をください 4:2010/04/01(木) 17:11:17 ID:0UhxovYI
投下終了
お目汚し失礼しました。


ついでに次スレ
【田村くん】竹宮ゆゆこ 30皿目【とらドラ!】
http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1270109423/
291名無しさん@ピンキー:2010/04/01(木) 17:52:05 ID:QXTN0T4k
>>290
キャーGJっす!
あーみん頑張ってるけど、みのりん手強いのぅ。
続き楽しみに待ってます。
292名無しさん@ピンキー:2010/04/01(木) 17:54:50 ID:ribw6frQ
>>290
GJ! ガンバレあーみん!
293名無しさん@ピンキー:2010/04/01(木) 18:48:49 ID:QXTN0T4k
次スレ立ったので埋め



「ねぇ竜児、今日って何の日か知ってる?」

「おぅ。4月1日・・・エイプリルフールか。さては嘘つく気だな?」

「えへへ、あたしね、りゅーじのこと、だーい好き!」

「お、お、おぅ!?」

「ふふ、駄犬ってば焦っちゃって。嘘じゃないよ。だってもう午後だもんね♪」
294名無しさん@ピンキー:2010/04/01(木) 20:39:05 ID:Jx6qy14c
>>290
GJです。
が、またしても梅ネタ投入タイミングが無かったww
295名無しさん@ピンキー:2010/04/01(木) 21:14:57 ID:G39umeyh
>>300前に次スレとかすげえな
バランス考えろ
296名無しさん@ピンキー
あと1レスぐらいならねじこめるじゃん?

 松澤へ。
 今日は高校のクラス発表があったから実に二週間ぶりに学校へ行ったぜ。
 玄関を出たら何故か相馬が待ち伏せてたのには驚いたけど、前みたいに自転車に乗せてくれたのはありがたかった。おかげでかなりの時間短縮ができたし。
 俺は形式上相馬を振ったわけなんだけど、それでもあいつは普段通り接してくれている。やっぱりいい奴なんだろうなぁ。俺にはもったいないぐらいだ。
 二年生でも相馬と俺は同じクラスだったのは……何だろう、陰謀を感じないでもないけど、まぁどうでもいいか。
 そのあとは真っ直ぐ家に帰るつもりだったけど、何故か相馬に市内をあちこち連れまわされた。ゲーセンとかデパートとか。
 驚いたことに相馬はまだ俺のことを諦めていなかったみたいで、今回のはそれを教えるためだったらしい。通りでボディタッチとか色々激しかったわけだと……あぁ何でもない。
 今日はエイプリルフールだし、試しに告白してみたら、相馬は可愛らしく頬を染めたりして「あたしも」よか言って――キスをされました。また。
 ……もちろん冗談だぞ? 本気にするなよ!
 田村雪貞


 田村くんへ。
 手紙、どうもありがとう。こっちでは、特に何もありませんでした。なので今日は簡単に、三行ぐらいしか書けません。すみません。
 ひとつだけ気になったのですが、エイプリルフールで嘘を吐いていいのは午前中だけじゃなかったですか?
 それと、冗談で告白をすると言うのは人としてどうなのかと思います。相馬さんの気持ちを知っているのに、それは乙女心を弄んでいると思います。正直、幻滅しました。
 ……あと、キスをされたというのは本当ですよね? 「また」ってどういうことですか? 前にもキスをしたことがあると言うことでしょうか。
 それも含めて、今度会うときにしっかりお話しましょう。
 松澤小巻


「しまったぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!」
 田村家に絶叫が響く。


田村くんは半年前に一度読んだきりだから口調とか設定とか色々アレだけどスルー推奨
なぜとらドラ!のSSしか無いのか理解に苦しんだので文にして想いを綴ってみた
もちろん文才なんて無いからすぐに後悔

願わくばこのレスでスレが埋まってこれが誰の目にも触れないことを