>>392 北魏の献文帝は12-3歳の時に継母の馮皇太后(25-6歳)との間に長男(後の孝文帝)を儲けたという説があるらしく、なんとなく妄想
中華風コネタですが近親陵辱ものぽいのでご注意。3レスぐらい。
「よい夢をご覧になられますように」
いつもと同じ太后の淑やかな微笑みに見守られながら、帝は目を閉じ強いて眠りに落ちようとした。
太后は亡父こと先帝の正室であるが、彼とは十歳ほどしか違わぬ二十代の半ばであり、
子どもを生まないまま寡婦になったためか二十歳前に見えることもある。
もとは良家の子女の中から選ばれて後宮に上がった身であるから、際立った美貌と気品に恵まれていることはいうまでもないが、
とりわけ肌は雪のように白く瑞々しく、夜毎芳香を放つかのようだった。
帝は皇太子時代に生母を亡くして以来このうら若い義母の手元で養育され、
二年前に父を亡くしてその位を継いでからも親密に慈しみ合う関係はつづいてきた。
夜毎の添い寝も以前から続けている習慣の一つである。
帝もさすがに十代半ばに近づいた今となっては、一人で寝付くのに何の不安もないが、
義母は相変わらず彼を幼な子同様に世話したがっていることを知っているので、あえて逆らわないで今に至っている。
だが彼には子ども扱いされるという以外にも悩みがあった。
自分の身体の変化に気づき始めたここ数ヶ月来、
亡父の妻であり己の養母である太后の寝姿が、日に日に悩ましく映って仕方がなくなってきたのである。
殊に夏が近づいた今は、皇族の夜着は薄物の絹に改められ、掛け布団も薄く短くなったため、
おぼろに差し込む月明かりでも共寝する義母の身体の線ははっきりと分かった。
帝は太后が寝入ったことを知ると決まって目を開ける習慣がついてしまったが、
小さい頃から何度も抱き寄せられてきた柔らかい胸元や薄絹に透けて見えそうな乳首の突起、
そして柳腰とは対照的に豊満な臀部を撫で回すように見ている自分に気がつくと、
不孝という枠を超えた名状しがたい罪悪感に襲われつつも、やめることができないのだった。
その晩も帝は太后に寝かしつけられたふりをしながら、隣に横たわる彼女の呼吸が規則的になったことを知ると、
少しずつまぶたを上げて首を巡らした。
太后はいつものように彼と向かい合うように横向きに臥せっていたが、
ふと寝返りを打ちかけたとき乳房が悩ましく揺れ、暑気のために寛げられた襟元から右の乳暈がわずかに覗き見えた。
たったそれだけのことだったが、その瞬間、帝の中で何かが弾け飛んだ。
彼は眠ったままの義母の襟に手をかけると力任せに左右に広げ、闇の中に白く浮かび上がる豊かな乳房にむしゃぶりついた。
義理の息子の唇に吸われながら淡い色の乳首は見る見るうちに硬くなり、指で弄ばれるもう一方の丘も同様だった。