天頂付近に位置した真夏の太陽からの灼けつくような日差しが、砂浜を白く輝かせ、木立の下に黒々とした陰を形
づくっていた。正午前だというのに、もう浜辺の砂は、素足では火傷をしそうなほど熱くなっているに違いない。
風はそよとも吹かず、よく言えば磯の匂い、悪く言えば浜辺に打ち上げられた海藻だか、魚の死骸だかの腐臭が、
左右を岬に囲まれて入江となっている浜辺の空気を淀ませていた。入江の波は穏やかで、眠気を催すような単調な
潮騒を奏でている。
その潮騒に加え、浜辺の背後と、左右の岬に鬱蒼と繁っている椎だか樫だかの原生林からは、アブラゼミやミンミン
ゼミの大合唱が聞こえてくるのだ。
やさしげな潮騒と、じりじりという油炒めのような蝉しぐれの合奏。それが、真夏の気だるさを、いやが上にも強調して
いた。
「ちょ、ちょっとぉ、どういうことぉ?! 話が違うじゃない!!」
気だるい潮騒と蝉しぐれは、携帯電話機を左耳にあてがった亜美の金切り声で打ち破られた。
亜美は、柳眉を逆立て、口惜しそうに歯噛みし、携帯電話機を握った左手を、怒りからか、わなわなと震わせている。
目元は黒眼鏡で覆っているので、傍目には分からないが、双眸を血走らせながら、くわっ! とばかりに大きく見開い
ていることだろう。そのことを、相方の竜児は誰よりも分かっていた。
その亜美が、竜児に手招きをし、次いで、自身が左耳にあてがっている携帯電話機を、とんとん、と右手の人差し指
で突くように指差した。
その部分、亜美の携帯電話機のスピーカー部分の背面に竜児も耳を押し当てて、通話を聞き届けてくれというの
だろう。亜美と揃いのサングラスをかけた竜児は、軽く頷くと、亜美の仰せのとおりにした。
『あら、あら…、ずいぶんと、ご機嫌斜めだわねぇ』
テレビや映画で、竜児にも聞き覚えのある女の声が聞こえてきた。その声の主とは、高校三年生の夏に大橋高校で、
一度だけだが言葉を交わしたことがあった。誰あろう、亜美の実母にして女優の、川嶋安奈である。
「ご機嫌斜めですってぇ?! あったりまえじゃない! この鍵は何よぉ!! 別荘の鍵なんかじゃないじゃない!!
形はそれらしかったけど、ドアの鍵穴には全然入らなかったわよぉ!! どうなってんのよぉ!!」
怒り心頭、それに切羽詰まった焦りからか、亜美はパニック寸前の興奮状態であるらしい。無理もない、遠路はるば
る別荘に来てみたら、そこの鍵だといって渡されたものが、まったく使い物にならなかったのだ。
『う〜ん、もしかしたら、ママ、うっかりして、別荘とは別の鍵を渡しちゃったかもしれないわねぇ。ほらぁ、ママって天然
だからぁ、こういうボケをかますことは、稀にだけど、あるのよねぇ』
声の主は、『ほほほほ…』と、鈴を転がすような笑い声を上げた。よく通る、美しい声質だが、しっかりと悪意が込めら
れている。こういう食えないところは、まさしく親子だ、と今更ながらに竜児は思った。
一方の亜美は、こめかみに青筋を浮かべて、携帯電話機に噛みつかんばかりの勢いで吠えている。
「ママ、あんたって、偽物をあたしに掴ませたのね?! 卑怯よ! 汚いわ!!」
『卑怯とか、汚いとか、ずいぶんと人聞きが悪いわね。まったく…、我が娘ながら、本当に躾がなってない…』
むきになっている亜美を軽くあしらうつもりなのか、電話の川嶋安奈は、聞こえよがしに、大きく嘆息した。
「躾がなってないのは、親であるママの責任よ。それが何だっていうのよ!」
電話からは、更なるため息と、『あ〜あ、本当に、どうしてこんなバカ娘になっちゃったんだか…』という、嫌味以外の
何ものでもない川嶋安奈の愚痴めいた呟きが流れてきた。
「悪かったわねぇ、バカ娘で! ママが無学でバカなんだから、その娘がバカなのは当然でしょ?!
何、世迷い言ほざいてんのよぉ!!」
『おやまぁ…、来年は二十歳になるというのに、本当に聞き分けのない…。確かにママは高卒で無学だわ。でも、先日
のあなたのように、お見合いの相手をさんざんにバカにして破談にするような無作法なことはしないわよ。あれが、どれ
だけ先様へ失礼な行為であったかなんて、バカで想像力の乏しいあなたには理解出来ていないようね…』
「ちょ、ちょっとぉ、何言ってんのよぉ!! 冗談じゃないわよ。あのお見合いもどきの茶番は、ママが勝手に、パパの
了解も得ずにやったことじゃないのぉ!! それも、私の気持なんか完全に無視して!!」
亜美は、心底憤慨したのだろう。耳をつんざくような甲高い声で、まくしてている。傍らに寄り添っている竜児は鼓膜
がどうにかなりそうなほどだ。
『それでも、あなたのやったことは、社会通念上のマナーに反するのよ。ある程度、格式ばった席で、それなりの地位
が保証されている人に恥をかかせてはいけないわ。これは、相手方に失礼というのもあるけれど、結局は回りまわって、
自分に災いが降りかかってくるの。逆に、うまく利用出来れば、こっちの利益につながる。あなたも、もう子供じゃない
んだから、分別のある行動をとりなさい』
「分別って…、それに利益って何なのよぉ! 結局は、ママだけの利益じゃないのぉ!! パパも言ってたけど、
あんたって本当に母親失格!! もう、嫌い! 嫌い! 大っ嫌いぃぃぃ!!」
興奮ゆえか悲嘆ゆえなのか、亜美の頬を涙が滴った。
亜美は、川嶋安奈には完全に愛想を尽かし、もはやどうでもいい存在と切り捨てたはずであったが、偽の鍵を掴まさ
れるという悪辣な仕打ちによって、安奈への憎悪が再燃したらしい。
『本当にかっかして、怒鳴り散らして、大人げないわねぇ…。それだからバカ娘なんだわ。それにいいこと?
あれはママ独自の判断だったけど、今でも、その時のママの判断に狂いはないのよ』
「本気で言ってるの?! 冗談じゃないわよ!!」
見合いの相手は、財閥の御曹司だったが、あてがわれている自分の身分に胡坐をかき、飲酒運転等の法を犯して
も、もみ消せると息巻いていた屑だった。何よりも、亜美を『煮て食おうが、焼いて食おうが、それは川嶋安奈も了解し
ている』とほざいた、とんでもない下衆である。
『そうよ、少なくとも、あなたの相手にふさわしい人だったんじゃないかしら。一流大学を出ていて、家柄もいい。あなた
という女は、そうした家にも嫁げる付加価値をもっているのよ。それをちゃんと理解して、その付加価値にふさわしい
行動をとりなさい』
携帯電話機からは、『川嶋さぁ~ん、そろそろカメラいきまぁ~す』という若い男性の声が微かに聞こえてきた。テレビ
局か映画のスタジオかは分からないが、そろそろ通話を打ち切られそうな雰囲気であることは確かなようだ。
「ふさわしい相手ですってぇ?! あの屑はとんでもない愚か者だったわよ!! 法学部出身だって自慢してたけど、
法律のことなんかからっきし。それに、罪を犯しても、金と権力があればもみ消せるとか平気で言っているとんでもない
奴だったわ。そんな奴のどこがいいっていうのよぉ!! そんな奴よりも、はるかにまっとうな人は、いくらでも居るわ
よぉ!!」
腹の底から絞り出すような、怒りと怨嗟が込められた叫びだった。
だが、携帯電話機からは、そんな必死の亜美を見下すかのように、鼻にかかったような微かな笑みが返ってきた。
『あなたの言う、まっとうな人とやらは、高須竜児くんとかいったかしらねぇ…。今もあなたの傍らに居るはずの…。高校
時代のあだ名は“エロ犬”、顔つきだけはアウトロー顔負けだけど、中身は臆病な小心者。あなたと同じ大学の学生で、
そこそこ優秀な成績だけど、男のくせに家事全般が得意で大好きという変態…。そして、家柄にも金にも縁がない。
こんな男のどこがいいの? いい加減、目を覚ましなさい。一緒にいる高須くんとやらとの、別荘での同棲なんか、
ママ許しませんからね!!』
最後の一言だけは、ヤクザの姐御そのまんまの迫力だった。
「ふざけんな! ママがどうあろうと関係ないわよ!! あたしは竜児と何があっても結婚する! 何があっても、
あたしは竜児について行く! これは、あたしと竜児の問題なのよ! あんたなんかの指図は受けないわよぉ!!」
『ションベン臭い小娘が、何を生意気な! 別荘の鍵もないのにどうするつもりなの?! くっだらない意地張ってない
で、さっさと東京に戻って来ることね。そして、今までのことをママに謝罪するのなら、まぁ、許してあげなくもないわね』
尊大で傲慢な態度、これが噂に聞く川嶋安奈の素の姿なのだろう。亜美も性悪だが、性悪さの桁が段違いだ。
やはり芸能界で一目おかれる存在になるには、相当に根性がねじ曲がっていないといけないらしい。
事実…、再び、『あのぉ~、川嶋さん、そろそろ…』というADらしい若い男の声がしたが、『うるさい! 空気読
め!!』という安奈の罵声で、その声の主は『す、すいません…』と消え入るように詫びていた。
だが、その性悪安奈に、亜美は気丈にも噛みついた。
「鍵ならあるわ! 庭に埋まってるじゃない! その非常用の鍵を使わせて貰うからね!」
『そんな勝手、ママは許しませんからね。ママの許しなく庭から鍵を掘り出したら、それは別荘への不法侵入とみなし、
警察に通報する。それでもいいのね?』
「はぁ?! 何言ってんのぉ? 元を正せば、あんたが詐欺同然に偽物の鍵をあたしに掴ましたんじゃない。あんたが
約束を守っていれば、こんなことにはならなかった。だから、本来、あたしはこの別荘の鍵を持つ正当な権利を有する
者なんだわ。そのあたしが鍵を掘り出したって何も問題はないのよ!!」
『そこまで言うなら勝手になさい。あなたの高校時代のあだ名は“バカチワワ”だったらしいわね。だったら、エロ犬くん
と仲良く、ここ掘れワンワンで頑張りなさい』
「言われなくったって、そうするわよぉ!!」
電話での川嶋安奈は、亜美を小馬鹿にするように笑っている。
『おやおや、それはそれは…。でも、シャベルも何もないのに、どうやって鍵を掘り出すのかしら? シャベルとか重機
は納屋にあるけど、納屋の鍵は渡してなかったわよねぇ?』
痛いところを突かれたのか、一瞬だが、亜美がむせるように息を詰まらせた。
「何とかなるわよぉ! 板切れでも、棒でも拾ってきて、鍵を掘り出してみせるんだからぁ!!」
『あら、そうなのぉ? でも、あなただって鍵が埋まっているところは知ってるでしょ? 一抱えもある石の下に埋まって
いるのよ。板切れや棒切れで掘り返すのはさぞかし大変でしょうね。あなたは女だし、高須くんはひ弱な優等生じゃな
い。そんなあなたたちに出来るわけがないでしょ?』
「あたしや竜児の行動力を甘く見ない方がいいわよ。特に、竜児のことを“エロ犬”とか“ひ弱”とか“変態”とか罵ったこ
とは絶対に許さな…、あ、ちょ、ちょっと待てぇ!!」
亜美の反論が終わらないうちに、通話は川嶋安奈から一方的に打ち切られた。
「畜生、切りやがったぁ!!」
亜美は、声を震わせて絶叫し、怒りのあまり手にした携帯電話機をウッドデッキの床に叩きつけようかと左手を振り上
げた。
その亜美の左手首を、竜児は咄嗟に掴んでいた。
「よせ! お前の怒りはもっともだが、一時の感情で、物に八つ当たりするな」
「で、でも、悔しいじゃない! せっかく、ここまで来たっていうのに、鍵が偽物だったなんてあんまりだわ!!」
亜美の頬を涙が幾筋か滴っていた。竜児は、怒り、悲嘆している亜美を、背後からそっと抱いてやった。
「気持は分かるが、とにかく落ち着くんだ。短気は損気って昔から言うじゃねぇか。何よりも未だ俺たちは別荘に入れな
いと決まったわけじゃない。さっき、お前がお袋さんに啖呵を切ったように、鍵が地面に埋まっているんなら、そいつを
掘り返すまでのことさ」
「う、うん…、でもぉ…」
それでも亜美は、手にした携帯電話機を投げつけたい衝動がくすぶっているのだろう。竜児に押さえつけられた左
手を、小刻みに震わせている。それに、鍵は、一抱えもある石の下に埋まっているのだから、道具無しに掘り返すのは
至難の技であることが、亜美の表情から読み取れた。
その怒りと不安で震えている亜美の肩を、竜児は心持ち力を込めて抱き締めた。
「確かに、こうも裏切られるとは、本当にひどい話だ…。だが、鍵を掘り出しちまえばこっちのもんさ。後は、堂々とこの
別荘で合宿が出来る。であれば、携帯電話は、この辺鄙な土地での大切な通信手段になる。大事にしようぜ」
そう言いながら、亜美の左手から携帯電話機をさりげなく奪うと、フリップを折りたたんで、亜美がここまで引きずって
きた大きなキャリーバッグの中に押し込んだ。
「あ、か、勝手に、そんなことしないでよぉ!」
「気に障ったとは思うが、携帯電話は大事な通信手段であるとともに、壊したらMOTTAINAI。どうだ? こう言えば、
お前も納得出来るだろう」
その竜児の言葉で、亜美は怒りと悲嘆で曇らせていた表情を、ほんの少しだけ和らげたようだった。一緒に勉強しな
がら、または台所で、笑いながらも、二人で呪文のように唱えることがあるその言葉。
「MOTTAINAI…。そう、そうだったわよね…」
「そう、MOTTAINAI。徒手空拳で戦っていかなくちゃならねぇ俺たちは、理由なく物を壊すなんてのは出来ないのさ」
「う、うん…、MOTTAINAI、MOTTAINAI。そう、これはあたしたちのポリシーの一つ。それを、忘れるところだったわね」
「そうだな…」
頬に涙を滴らせたままであったが、亜美は微かな笑みを浮かべている。
どうにか落ち着きを取り戻した亜美を、竜児はその場に座らせ、自身もその亜美の左隣に腰掛けた。
瀟洒な別荘の軒下は強烈な直射日光を遮ってくれたが、風がそよとも吹かないのだから、あまり快適とはいえなかっ
た。竜児と亜美は、耳を聾する蝉しぐれ中で、額や腕部等、むき出しの部分に汗を噴き出させながら、しばし無言でそ
の場に佇んでいた。
「しかし…、夜までに何とかしねえと…。軒先での野宿はごめんだな」
呟くような竜児の問い掛けに、亜美は、無言で頷いた。夕方近くになれば、蚊や蚋その他の毒虫がわんさと襲ってく
ることだろう。それまでに、別荘の中に入り込まねばならない。
ふと、竜児は立ち上がった。
「ど、どうしたのよ? いきなり…」
不安げに眉をひそめた亜美も、つられて立ち上がった。
「いや、お前はここで、もう少し休んでいてくれ。おれはちょっと、鍵を掘り出すための得物を探してくる」
「え、得物って?」
「本当なら、シャベルとかがあればいいんだろうが、それが望めない以上、さっき電話でお前が言ったように、棒切れ
でも板切れでも、とにかく土を掘り返すのに使えそうなものを探してくるよ。うまくいけば、何打ち際には、使い物になり
そうな流木とかがあるかも知れねえ」
「あ、あたしも行くから…」
竜児は、亜美とお揃いの指輪を左手の薬指から抜き取ると、浮き足立っている亜美に手渡した。大事な指輪を汚損
でもしたらMOTTAINAIからだ。それと、元は祖父の物だった機械式の腕時計を外し、これも亜美に手渡した。
「お世辞にも綺麗とは言えない流木をかき集めて来るんだ。そうした汚れ仕事は俺に任せとけ。お前は、俺の指輪と時計を持ってここで待っていてくれ」
「でも、それじゃ…」
「今の時間は紫外線が強烈だ。リゾート気分で、ノースリーブの服を着ている無防備なお前を、その紫外線に晒すわ
けにはいかねぇ。ここは、じっと我慢していてくれ。何よりも…」
「何よりも…って、何よ、変に勿体をつけて」
竜児は、口元を軽く歪めるようにして、ニヤリとした。
「お前が、まずしなければならないのは、涙を拭き取ることだ。そのまんまじゃ、美人が台無しだからな…」
その一言で、亜美の頬が微かな薔薇色に染まった。
「ばかぁ! 朴念仁が生意気なこと言ってんじゃない!!」
そう叫ぶように言うと、亜美はぷいっとそっぽを向いた。その素振りを見て、竜児は安心したように苦笑した。
怒りではない、照れなのだ。性悪で、一筋縄ではいかない女だが、妙なところで恥じらう。きっと、恥じらいとか照れ
とかの基準が、世間一般の尺度とは、若干だがズレているのだろう。だが、そうしたズレも、川嶋亜美という女の魅力の
一つではある。とにかく、竜児にとって、一緒にいて飽きない女であることは確かだ。
「しかし…、強烈な日差しだな…」
軒先から一歩踏み出した竜児は、強烈な直射日光に眩暈を覚えそうになった。
紫外線や赤外線を、ほぼ完全にカットしてくれるミラーグラスがなかったら、眼球が、本当に目玉焼きになってしまい
そうだ。
その直射日光で炙られた砂浜は熱く、スニーカーを通して熱気が伝わってくる。
生卵を埋めておいたら、黄身は半熟で白身が微かに固まった、温泉卵のようなものが出来るかも知れない。
「この浜に来るのは、二年ぶりか…」
高校二年の夏以来のことだった。その時のことを思い出しながら歩むうちに、寄せる波で洗われている波打ち際に
たどり着いた。焼けた砂浜とは打って変わって、湿った砂がひんやりと心地よい。
その波打ち際を、得物を求めて竜児は端から端まで歩いてみた。
「しかし、めぼしいもんが見当たらねぇ…」
流木はあるにはあるのだが、長らく海水に漬かっていたためか、腐朽が進み、重いだけで妙に脆い。
それらのいくつかを手に取って、波打ち際の湿った砂を掘ってみたが、ちょっと力を入れただけで、割れたり折れて
しまうようなものがほとんどだった。
「まいったな…」
それでも、比較的強度がありそうな流木を三本と、木造船の甲板か何からしい板切れを何枚かを拾うことが出来た。
板切れは、難破船のものかな? とも思ったが、遺棄された漁船か何かのものだと、努めて思い込むことにした。
癪な話だが、川嶋安奈の指摘どおり、竜児は、オカルトめいた話が苦手な小心者だ。
それらの出自不明な板切れや流木を携えて、竜児は亜美が待つ別荘の軒下に戻った。
「どうだった?」
亜美の問い掛けに、竜児は、手にした得物をウッドデッキ下の地面に、どさりと置いて、かぶりを振った。
「まともな得物はこれくらいだった。思ったよりも流木自体が少なかったし、そのほとんどが海水を吸って脆くなっている。
でも、なんとか使えそうな奴を見繕って来たよ」
「そう…」
「とにかく、出来るだけやってみるよ。もし、日没までに掘り起こせなかったら、駅前まで戻って宿を探そう。そこで、一
泊して翌日、鍵を掘り返す作業を再開すればいいだろう。何なら、宿の人に事情を説明して、シャベルとかを借りられ
るかも知れねぇ」
「そうねぇ…」
出来得ることなら、今日中に別荘に入りたいが、それが困難であるのなら、民宿とかに緊急避難するのも止む無しだ。
とにかく、竜児も亜美も、ここを撤退するつもりは全くない。
「で、肝心の鍵が埋まっている場所はどこなんだ?」
亜美は、無言で別荘の庭先を指差した。
「あの石の下なんだな?」
電話で川嶋安奈が言ったように、一抱えもあるような石が、半ば地面に埋まっていた。
ちゃんとしたシャベルがあっても、掘り起こすのは簡単ではないだろう。
「どう? こんな板切れとかで掘れそう?」
亜美が不安気に問い掛けてきた。
正直なところ、かなり難しい。だが、それを馬鹿正直に告げれば、亜美を更に不安にさせるだけである。
「大丈夫だ、任せとけ。ところで、鍵は石の真下に埋まっているのか?」
「う、うん。もう、だいぶ昔のことだから、はっきりしないけど、未だ若かったパパが、今も納屋にあるはずの重機を使って
穴掘って、石を載せていたわ」
てっきり、誰か人を雇って埋めたものだと思っていたが、鍵を埋めたのが亜美の父親であると聞いて、竜児はちょっと
意外な感じがした。
「親父さんが埋めたのか? セレブなのにやるなぁ…」
「うん…。パパって、いい意味で子供っぽいところがあるからねぇ。あそこに鍵を埋めたのも、海賊の宝探しのノリでやっ
たみたい。それに、別荘の鍵を埋めた場所を、家族以外の者に知られたくなかったんじゃないかしら」
「なるほど…。コンフィデンシャルってことなら、親父さん自らがやらざるを得ないだろうな…」
それに、『いい意味で子供っぽい』というキャラクターから、そう悪い人ではないのかも知れないと、竜児は、亜美の父
親のことをイメージした。だが、そんな亜美の父親にとっても、竜児は、大事な娘を奪った憎むべき敵に他ならない。
それを思うと、鬱になってくる。
「でも、さっきは、お袋さんに散々に言われ、今度は親父さんか…。まぁ、俺は、二人の愛娘を傷物にした“悪い虫”以
外の何者でもねぇからなぁ…」
その内罰的な発言に、亜美は一瞬、表情を曇らせて、軽く嘆息した。
「ほら、あんたの悪い癖がまた出た…。ほんと…、バカは死ななきゃ治んないのと同じで、あんたが内罰的なのは、死
ぬまで変りゃしないんでしょうね…。それに、あんたが自虐的になっても、あたしは、あんたにお優しくなんてしてやら
ねぇよぉ~」
言うなり、亜美は、竜児に「あっかんべ~」をした。
「こうしたところは、相変わらず冷てぇな…」
「クールと言って欲しいわね。あたしたちは、相互に支え合う同志ではあるけど、お互いに気弱からくる甘えは許さない。
それがあたしたちに共通のルールだったはずでしょ?」
「まぁ、そうだな…」
不承不承、頷いた竜児に、亜美が性悪そうな笑みを向けている。実害がない程度に竜児をへこますことも、亜美に
とってはお楽しみの一つであるらしい。
「なんか、話が脱線しちゃったわね…。で、鍵を埋めた時のことだけど、パパは、深めに穴を掘って鍵を入れた金属の
箱を納めて、その箱の上に軽く土を掛けてから、重石のようにあの石を載せていたわ」
今度は竜児の方が軽く嘆息した。鍵を取り出すには、石を取り除かなければならない。石の周囲を、ちまちま'掘って
も、鍵を取り出すことは出来ないだろう。
「そうなると…、手順としては、石の周囲をくまなく掘り下げて、地面にめり込んでいる石をほじくり出す。それと、一方向
に石が入るだけの幅の溝を掘ることになるだろう。そうすれば、石をその溝に横倒しにして取り除くことが出来そうだ」
竜児は、改めて鍵が埋められている場所を観察した。その場所は完全に平坦ではなく、浜辺に向かって心持ち下り
勾配で傾斜している。だから、倒した石を納める溝は、浜辺に向けて掘ればいいだろう。
「じゃぁ、ひとまず亜美は、日陰で休んでいてくれ。俺一人で出来だけのことはやってみるよ」
亜美は、手伝えないことが不満なのか、心持ち眉をひそめていたが、「分かったわよ…」とだけ、答えてきた。
その亜美に軽く頷くと、竜児は板切れと流木を手に、庭先の石へ向かった。
「こりゃ、埋められてから、だいぶ経ってるな」
石は地面にめり込むように置かれていて、石の周囲の土は、うっすらとした苔を伴い、その苔は石と地面との境界線
を曖昧にしていた。
「こいつは手強そうだ…」
そんな愚痴めいた呟きとともに、竜児は元は木造船の甲板らしい板切れを、石と地面の間へ、楔を打ち込むようにし
て、差し込んだ。
ガツン、という思った以上の手応えが掌に感じられた。浜辺だから、基本的には砂地なのだろうが、埋められてから
時間が経っているから、砂といえども固く締まっているのだ。
「板切れがもつかな…」
少しばかり地面に突き刺さった板切れを、シャベルと同じ要領で、梃子のように動かして、土砂を掬い上げようとした。
しかし…、
「畜生! 折れそうだ」
海水に浸って脆くなっていた板切れに、折り曲げるような力を加えるのは禁物だった。
「こりゃ、作戦変更が必要だな…」
竜児は、板切れで固いままの土砂を掬い上げるのは断念し、その代わりに、石の周囲の土砂を、先端が尖った流木
でまんべんなく突くことにした。石の周囲の土を十分に突き崩してから、板切れや素手で崩した土砂を掬うのだ。
「何だか、土木工事というよりも、農作業みたいだ…」
ざくざく、と石の周囲に流木を突き刺しながら、竜児は苦笑した。流木で土を突く様は、鍬か何かで畑を耕しているよ
うな感じがしたからだ。
地方都市とはいえ、街中で育った竜児に、畑仕事の経験はない。しかし、機会があれば、ハーブやスパイスを栽培
してみたいという欲求はある。
最近は、『かのう屋』とかでも新鮮なハーブが手に入るようにはなったが、一束いくらで売られており、ごく少量しか必
要でないときには無駄が多い。
「自家栽培なら、好きな時に好きなだけ使えるから、そうした無駄がないはずだ…」
また、スパイスは、そのほとんどが輸入品だから、安全性に問題がある。特に、唐辛子は、その多くが中国産だから、
どう仕様もない。国内産らしい物もあるにはあるが、産地偽装で、実際は中国産ということがあり得るから厄介だ。
通常の唐辛子に代えて、竜児はハバネロ唐辛子を使うようになったが、これも、ハバネロ唐辛子は未だに中国では
栽培されていないから、間違っても中国産を掴まされる心配がないためである。
「亜美と所帯を持って、日当たりのいい場所に住むことが出来たら、ベランダでも庭先でもいい、プランターを並べて
バジルやタイムとかのハーブや、唐辛子を栽培したいもんだな」
休みなく体を動かしながらも、竜児はそんなことを夢想した。だが、現実を思い知って苦笑した。
「あんまり先のことを考えると、鬼が笑い死ぬか…」
亜美と結ばれるためには、竜児も亜美も弁理士試験に合格することが絶対条件である。
数ある国家試験の中でも最難関級の弁理士試験に合格するには、生半可な努力では足りない。本当に全力を挙げ
ての頑張りが必要だ。その弁理士試験対策の合宿のために、竜児と亜美は、この別荘にやって来た。だから、別荘の
鍵は何としても掘り出さねばならなかった。
「ひとまずは、こんなところか…」
未だ浅くではあったが、一通り、石の周囲を突き崩したことに軽い達成感を覚えながら、竜児は、額に浮き出た汗を
パイル地のハンカチで拭った。
暑いことは暑いが、先日、十日間だけとはいえ、蒸し暑い室内にこもって頑張ったマンションの内装工事のバイトに
比べれば大したことはない。
「おーい、今は何時だ?」
「一時を回ったところよ。ちょっと、休んだ方がいいんじゃない?」
軒下の亜美が手を振って応えてきた。
昼食抜きで肉体労働をしたのだから、ここらで小休止してもバチは当たらないだろう。
竜児は、汗を拭きながら、軒下の亜美のところへ戻っていった。
「あんた、顔や腕が真っ赤よ」
着くなり、そう言われて、竜児も自分の腕を見た。確かに、日焼けで赤くなっている。小一時間の作業だというのに、
こんなにも焼けるとは、照りつける日差しは容赦がない。
「このままだと、まずいわね…」
そう言いながら、亜美はキャリーバッグから二酸化チタンが配合された日焼け止めを取り出した。
「ちょっと、じっとしててね」
そう言って、竜児の顔面と碗の汗をタオルで拭うと、その日焼け止めを塗り始めた。
「そんなもん、もういいよ」
「だめよ。実際、ちょっと手遅れだけど、このまま何もしなかったら、もっと大変なことになるわ。だからじっとしてなさい」
亜美の仰せのとおりなのだろう。化粧とか肌のケアでは亜美は元プロだ。プロの言うことには素直に従った方が賢明
ではある。
「はい、これでオーケイ」
日焼け止めを塗り終えた亜美は、ポットとビスケットををキャリーバッグから取り出し、竜児に差し出した。
「まさか、こんなことになるとは思わなかったから、食べ物はこのビスケットだけだし、飲み物はポットに入ったアイス
ティーだけ…。大事にしなくちゃいけないけど、まずはあんたが好きなだけ飲み食いしていいわ」
そう言って、カップに入れたお茶と、ビスケットを差し出した。
「いや、そいつは済まねぇが、ちょっと手を海水で洗ってくるよ」
竜児の両手は泥だらけだ。この手でビスケットをつまみ、綺麗なカップに触れるのは憚られた。
「わざわざ、そんなことをしなくてもいいでしょ…」
言うなり、亜美は手にしたカップを、竜児の口元に持っていった。
「はい、あーん」
「お、おぅ…」
予想外の展開に、竜児は少々狼狽したが、亜美の手ずからお茶を飲み、ビスケットを食べた方が、浜辺まで行って
手を洗うよりも手っ取り早い。気恥ずかしかったが、ありがたく亜美の手からお茶とビスケットを頂戴した。
「なんだかな…」
喉を潤し、ビスケットを食べ終えた竜児は、代わってお茶を啜っている亜美に、苦笑した。
「何? その笑い…」
「いやさ、こうして甘えさせてもらったってのは、本当に久しぶりだなぁ、ってな…」
働き詰めの泰子に気兼ねして、小学校の低学年の頃には、泰子に子供らしく甘えるということを自ら封印してきた。
その後は、むしろ泰子の世話を竜児がするようになって、現在に至っている。
母親に限らず、誰かの世話になる、という経験は竜児にとって、ほとんど縁のないものであった。
そんな竜児の心が亜美には分かるのだろう。瞑目して、うふふ…、という謎めいた、それでいて害のない笑みを浮か
べている。
「あんたは、今まで、誰かに甘えるどころか、誰かに相談すらせずに、たった独りで頑張ってきた。それはそれで天晴
れだけど、もう、無理はしなくていいのよ。本当に苦しかったら、あたしを呼べばいい。本当に辛かったら、あたしに甘
えればいい。責任も、苦労も、何もかも、あんた一人が背負い込むことはないのよ」
「お、おぅ…。だが、さっきは、“気弱からくる甘えは許さない”って言ってなかったか?」
竜児としては、亜美の主張の矛盾を突いたつもりだった。だが、当の亜美は、相変わらず瞑目したまま、淡い笑みを
浮かべている。
「言ったわよ。でも、それは、理由もなく弱気になったり、自分を過剰に卑下したりすることを許さない、ってことなのよ」
「お、おぅ…、よく分からねぇが、そ、そうなのか?」
「あんたが、本当に苦しい時には、いたわってあげることが大事だから、甘えさせてあげるのよ。だけど、本当は出来る
のに、何もしないうちから尻込みしているような時は、甘やかさずに叱咤する。その違いね」
「何だか、飴と鞭って感じだな…」
竜児のぼやきに、亜美は苦笑した。
「あんた、飴と鞭を誤用してない? 飴と鞭ってのは、譲歩と弾圧とを併用して行う支配または指導の方法でしょ。でも、
あたしたちは同志なんだから、一方が支配とか指導する関係なんかじゃない。相方が苦しければ、助けてやって、
相方が怖気づいているときは叱咤してでも励ましてやる。それをお互いがする。そういうものなんだわ。それに…」
「それに?」
亜美は、ちょっとだけ躊躇うようにうつむいて、言葉を継いだ。
「ママとの確執は決定的だけど、パパともそうなったと決まったわけじゃない。さっき、あんたは、憂鬱そうに自分のこと
を“悪い虫”とかって卑下したけど、ママよりも分別がありそうなパパなら、竜児のことを、適切に評価してくれるんじゃ
ないかって気もするのよ」
そう言って、亜美は、遠く、沖合いの方に目を向けた。
竜児も、亜美に倣うようにして、視線を海へと向けてみた。絵に描いたような真夏の青い空と紺碧の海原がそこに
あった。海原は折からの陽光を受けて、水面がきらきらと輝いている。
シビアではあったが、亜美の言うことはもっともだ、と竜児は納得した。際限なく甘え、甘やかすといった関係は、
結局は長続きしないのだろう。相互に尊重し合うがこそ、時にはシビアに接することも必要なのだ。
それに、亜美の父親とは、いずれ相まみえることになる。自己を卑下して、それに怯えるよりも、避けがたい現実と
して堂々と受け止めなければならない。
「わぁ、風、風よ…」
午後になり、照りつける強い日差しで陸地の方が海面よりも温度が高くなったのか、海からは心地よい浜風が吹くよう
になっていた。
その心地よい浜風に身を委ね、単調な潮騒と蝉しぐれに聞き惚れていると、つい、うとうとと居眠りをしたくなる。
「おっと、いけねぇ…」
穴掘りの途中で昼寝をするわけにはいかなかった。竜児は、眠気を覚ますために手の甲で目頭を擦ると、亜美が
バックパック背面の、本来はピッケル等を取り付ける為のループに掛けてくれた腕時計で時刻を確認した。
時刻は午後二時近くになろうとしている。
「ちょっと長く休み過ぎたみたいだ。俺は、穴掘りを再開するよ」
そう告げて、ウッドデッキから立ち上がろうとした竜児に、亜美は頷いた。
「そうね、あたしは、竜児が頑張っている間に、ちょっと駅の方まで戻って、ペットボトル入りの飲み物とかを買ってくる」
言うが早いか、日傘を差して歩き出そうとする亜美に対して竜児は右手を伸ばし、慌てて押し止めようとした。
C
支援
「いいよ、そんなことしなくたって!」
「よくないわよ。炎天下で作業するには十分な水分が必要よ。でも、お茶は、さっきの休憩で飲み干しちゃったから、
買いに行くしかないの」
「だからって、この炎天下を無理するな。お前は、俺と違って肌は弱いんだろ?」
もっともな理屈をつけてみたが、亜美もまた正論で返してきた。
「水なしで、この暑さの中、穴掘りをしている竜児の方こそ大変よ。下手すれば熱中症でしょうね。あたしは、そんな
あんたの苦しみは見たくない。だから、飲み物を買いに行く。お分かり?」
普段でも口論では敵わない亜美に、諭すように言われてしまっては、どう仕様もない。
「わ、分かった。それなら、済まねぇが宜しく頼む。俺は俺で、穴掘りを頑張ることにするよ」
参りました、とばかりに渋い表情の竜児に、亜美はサングラス越しにいつもの性悪笑顔を覗かせると、日傘を差して、
別荘の前にある小径を上っていった。
「こっちも作業開始といくか…」
竜児は、休憩前にほぐしておいた、石の周りの土を板切れで掬って取り除き始めた。
尖った流木で耕すようにして土砂をほぐしておいたのは正解だったようだ。海水を吸って脆くなった板切れでも
難なく土砂を掬い取れる。
石の周囲からは、深さ約十五センチ分の土を取り除くことが出来た。しかし、石は、まだまだ深く埋まっている。
「前途は多難だな…」
ぼやくよりも、行動である。竜児は、再び尖った流木を手にすると、石の周囲をそれで突いて回った。時折、埋もれて
いる小石にぶつかるが、お構いなしに突きまくった。
「意外とストレス解消にいいかも知れねぇな」
相手が地面とはいえ、棒切れを突き刺すという行為は攻撃的だ。竜児のように温厚な者であっても、闘争本能はある
のだ。物事が思い通りにならない苛立ちや焦りのはけ口は、何かを作るという建設的な行為よりも、何かを壊すという
破壊的な行為の方かしっくりくる。
「携帯電話機を投げ捨てようとした、あいつのことを責められねぇな…」
亜美の実母である川嶋安奈は、もはや竜児にとっても敵である。その敵から、偽の鍵を掴まされるという仕打ちを
受け、その結果、竜児はこんな穴掘りをしなければならない。
川嶋安奈が憎いというよりも、こんな理不尽な展開が、許せなかった。
「だが、負けねぇ。俺も、あいつも、こんなことには負けられねぇんだ」
竜児は、「畜生!」「畜生!」と、怨嗟の呟きを漏らしながら、地面を突きまくった。
流木の切っ先が鈍くなったと感じたら、その先端を踏み付け、ねじ曲げてへし折る。そうして、新たに生じた鋭い切っ
先を、掘り進んでいる地面に突き刺していった。
石の周囲を一通り耕すように突き刺したら、ほぐれた土砂を板切れで掬い上げる。それが終われば、再び、尖った
流木で石の周囲を突き刺していく。ひたすら、これの繰り返しである。
「都合、三十センチは掘り下げたか…」
竜児は石を蹴ってみた。これで、ぐらついてくれればしめたものだったが、石はびくともしなかった。
「まだまだ、かよ…」
竜児は嘆息してかぶりを振った。本当に先が思い遣られる。
だが、竜児は、気を取り直して、石を横倒しに納めるための溝を掘り始めた。石の周囲ばかりを掘るのに飽いてきた
からだが、そろそろ溝も掘り進めないと、作業進捗のバランスが悪いからだ。石を完全に掘り起こしてから溝を掘るとな
ると、石を掘り起こした上に、溝まで掘るのか、というげんなりした気分になることは間違いない。
「こっちの方は、土が柔らかくて助かるぜ」
溝掘りは予想外に捗り、ものの二十分ほどで、石の周囲と同じだけの深さの溝を掘ることが出来た。
「ねぇ〜、調子はどぉ?」
声のする方に目を遣ると、右手に日傘、左手にコンビニのレジ袋を下げた亜美が軒下に立っていた。
「おう、ぼちぼち、ってところだな」
少々手こずっていることを婉曲に表現したが、亜美にはお見通しだろう。
「そう、じゃ、きりの良いところで小休止した方がいいんじゃなぁい? こうして、水とか、お茶とか、お握りとかを買って
きたから、一緒に食べましょうよ」
亜美は手にしたレジ袋を、ちょっと持ち上げてみせた。レジ袋は特大で、ミネラルウォーターか、お茶だかの大きな
ペットボトルが覗いている。
「済まねぇな。ほんじゃ、待ってろよ」
亜美にそう告げるや否や、竜児は、「あっ!」という亜美の短い叫びを背に、脱兎のごとく浜辺へ駆け出し、波打ち際
で手を洗った。また亜美の手から食べさせてもらうのは、さすがに気恥ずかしかったからだ。
「あんたって、ほんと、可愛くない…」
軒下では、ぶすっと、不満げに頬を膨らませた亜美が、ミネラルウォーターを入れたカップと握り飯を用意して竜児を
待っていた。
「まぁ、いいじゃねぇか。俺の世話をしていると、お前自身は飲み食い出来ねぇ。この方が合理的なんだよ」
何か、反論があるかな? と思ったが、亜美は諦観したかのように軽くため息をついて、苦笑した。
「お握りや水の他にもいろいろ買ってきたのよ。例えば、今晩食べる分として、スパゲッティとパスタソースとか…」
袋がやたら大きかったのは、そのせいだった。
「パスタにソースに粉チーズ。それに、ソーセージに野菜ジュースか…」
「別荘に入り込めたとしても、夕方になるでしょ? それから中を掃除することを考えると、夕食の買出しに行く時間は
ないと思って…。それで、今夜と、明日の朝の食料を買って来たのよ」
「重かったろう、これじゃ…」
「だから、ズルして、駅前まで行かずに、途中のコンビニで買って来ちゃった。大したものは買えなかったけど、
非常事態ということで、まぁ妥協してよ」
そのコンビニまでだって結構な距離があるのだ。
「妥協も何も、お前の機転がなかったら、大変なことになるところだった…。ありがとうよ」
竜児に礼を言われたことが嬉しかったのか、サングラスを外した亜美は、双眸を細めて微笑している。
そのまま二人は、海を見ながら、黙々と握り飯を平らげ、ミネラルウォーターと麦茶で喉を潤した。
「もう、三時半だな…」
握り飯を食べながら、バックパックのループに引っ掛けていた腕時計を見た竜児は、物憂げに呟いた。
「なんか、蚊が出てきたわ」
目の前を煩わしく飛び回る蚊を叩こうと、亜美は両掌を構え、ぱちんと打ち合わせた。
あと、二時間程度で切り上げないと、薮蚊やら何やらの集中攻撃を受けてしまいそうだ。竜児は、亜美も握り飯を
食べ終えたことを確かめて、バックパックから虫除けを取り出した。
「こいつを使わざる得なくなったな」
そう言いながら、竜児は、腕や首筋等の無防備な部分にその虫除けをスプレーした。
「肌にとっては、あんまりよくないけど、蚊に食われるよりはマシよね…」
亜美も竜児に倣って、虫除けを素肌に塗っている。
「さてと…、とにかく頑張るしかねぇな」
竜児は、作業に戻るべく、軒下から石の傍まで来て、別荘の屋根越しに山側を見た。
「お、おい! やばいぞ、あれを見ろ!!」
竜児のただならぬ素振りに、亜美もつられて山側の空を仰ぎ見た。
「何、あの入道雲は?!」
二人の視線の先には、中天まで覆い尽くさんとする勢いで湧き上がる鼠色の積乱雲があった。
「午後から浜風が吹いたと思ったら、あの風は、こいつが成長する上昇気流によるものだったんだな」
鼠色の雲は、むくむくと勢い良く湧き上がっている。激しい雷雨に襲われるのは時間の問題だった。
「どうするの?」
不安気に眉をひそめる亜美に、竜児は肩をいからせて宣った。
「どうもこうもあるか。こうなりゃ、意地でも鍵を掘り起こさなきゃならねぇ。今すぐ、ここを引き払って、駅前まで行こうと
しても、確実に降られるだろう。下手すれば、落雷のおそれだってある。だから、何が何でも、鍵は掘り起こす」
「あ、あたしも手伝おうか?!」
亜美の申し出はうれしかったが、それを拒否するつもりで、竜児は右手を左右に振った。
「得物が一人分しかねぇんだ。それに、力仕事は男の領分だ。済まねぇが、もうちょっと待っていてくれ」
不安気に眉をひそめ、「で、でも…」と何か言いたげな亜美に掛けていたサングラスを手渡すと、竜児は回れ右を
するように亜美に背を向け、掘りかけの石の前に立った。
先が尖った流木を手にした竜児は、あらためて空を仰ぎ見た。鼠色というよりも、最早、黒と表現すべき雷雲が中天
を覆い、更に成長しつつあった。日は翳り、もうサングラスは要らなかった。
それどころか、じきに、黄昏かと見紛うばかりの薄闇が訪れることだろう。
「くそ! まさに泣きっ面に蜂だな」
ぼやいても、呪っても、事態は好転しない。ただ、ひたすら穴を掘り続けるまでである。
更に十センチほど掘り進み、竜児は石を再び蹴ってみた。微かだが、石が動いたような気がした。もしかしたらいける
かもしれない。
だが、黒い雲に覆われた空からは、無情にも大粒の雨が落ちてきた。
「あ、ああっ! 雨、雨が降ってきたわよぉ!!」
軒下から亜美が叫んでいる。だが、ずぶ濡れになるのは覚悟の上だ。
ぽつぽつ、と散発的に滴っていた雨は、やにわに勢いを増し、バケツをひっくり返したような豪雨となった。
「りゅ、竜児ぃ! やめて、もうやめてよぉ!! この雨じゃ、どう仕様もないわよ。もう、鍵を掘るのはやめにして、携帯
でタクシー呼んで、どっかの民宿にでも逃げ込んだ方がいいわよぉ!!」
ゴロゴロという雷鳴が剣呑だった。もたもたしていたら、雷に打たれるかも知れない。
だが、竜児は、掘り続けた。
「やばいのは分かってる。だがなぁ、雨が幸いしていることも確かなんだ。おかげで、土が柔らかくなって、掘り易くなっ
ている。鍵を掘り出すには今しかねぇ!!」
掘った穴には早くも雨水が溜まっていた、そのおかげでドロドロになった土砂を板切れでせっせと掬い上げる。
そして、もう一度、石を蹴ってみた。一抱えもある大きな石は、その一撃で、ぐらりと傾いだ。
「もう一発!」
竜児はライダーキック宜しく、助走をつけて、件の石にドロップキックを見舞った。反動で、竜児は泥んこの地面に
転がったが、石もまた、竜児の一撃に耐えかねて、目に見えて傾いている。
「いけるぞ! こいつぁ、いける!!」
ずぶ濡れで、泥まみれになりながらも、竜児は、軒下で不安そうに待っている亜美に笑いながら手を振った。
豪雨の中、下手すれば雷に打たれるかも知れない状況だった。だが、あとちょっとで、鍵を掘り出せそうなことから、
竜児は不思議と高揚していた。
「これで仕舞いだぁ!!」
先ほどよりも、更に勢いをつけて傾いた石へとドロップキックをお見舞いした。前回同様に、竜児はもんどり打って
ひっくり返ったが、その甲斐あってか、石もまた、竜児が掘った溝の中へと横倒しになった。
「やったか?!」
石が埋まっていた箇所は、泥水で満たされ、深い水たまりになっていた。その泥水に肘まで浸して、鍵のありかを探
る。指先に触れるのは、泥やら小石やらだったが、不意にすべすべした箱らしいものを探り当てた。
「こいつだ…」
その箱のようなものを、慎重に掴んで、泥の中から引きずり出す。
泥水の中から顔を出したそれは、車軸を流すような豪雨に洗われ、錆一つない銀色の輝きを放った。
「おーい! 見つけたぞぉ!!」
その箱を亜美にも見えるように顔の辺りに掲げ、竜児は軒下へ向かって走った。
「竜児ぃ!! 早く、早くぅ!!」
刹那、真っ暗な空と大地に紫色の稲妻が光り、その二、三秒後、どーん、という爆発音にも似た雷鳴が轟いた。
岬の原生林に雷が落ちたのだ。
「間一髪だったな…」
あとちょっと軒下に避難するのが遅かったら、金属の箱を持った竜児は、雷に打たれていたかも知れない。
「ばかぁ! もう、はらはらさせないでよぉ!!」
鍵の入った箱を掘り出せたということよりも、ずぶ濡れの泥まみれでも竜児が無事に戻ってきたことに安堵したのか、
亜美は、嗚咽を漏らしながら、へなへなとウッドデッキにへたり込んだ。
「心配かけて済まなかった…。だが、箱はこの通りだ」
その箱を亜美に差し出した。箱はステンレス製の弁当箱らしく、本体と蓋がバックルで固定されていた。
「多分、この中に別荘の鍵があるはずよ」
竜児は頷いて、元は弁当箱だったらしい箱のバックルを外した。
蓋の内側にシリコンゴムらしいパッキンが嵌まっていたためか、箱の中には、泥はもちろん、水も入り込んでいなかっ
た。箱の内部には発泡スチロールの屑が詰めてあり、その中に一個の鍵が納められていた。
「この鍵なんだな?」
「うん、一昨年、あたしが借りた鍵とタイプはそっくり…」
「とにかく、こいつで早いところ玄関を解錠してくれ」
鍵を手渡された亜美は、小走りで別荘の玄関に向かう。竜児も二人分の荷物を持って、亜美の後を追った。
見た目は本物の鍵のようだが、実際に使えるかどうか、竜児も亜美も不安だった。玄関の錠が変わっている可能性も
あるし、土中に埋まっている間に鍵の一部が腐食しているとかで正常に機能しないことだって考えられる。
実際に使ってみて解錠出来ればオーケイ、出来なければ不運を呪いつつ、タクシーでも呼んで、ここを引き払うしか
ない。
「やってみるね…」
亜美は玄関の鍵穴に、竜児が掘り出した鍵を差し込み、慎重に回した。
果たせるかな、鍵はカチリという微かな金属音を残して、半回転した。
「よかった…。開いたわ…」
そのままドアノブを引いて、玄関を開け、二人は逃げるように中へ入り込んだ。昨年の夏以降、誰も使っていない
別荘の内部は、埃臭くて、ちょっとカビっぽい臭いもした。
不意に青白い電光が瞬いて別荘の内部を眩く照らし出し、次の瞬間には、さっきよりも大きな雷鳴が轟いた。
「近いわね…」
両耳を押えて、不安げに首をすくめた亜美が呟いた。
「今、俺たちは雷雲の直下に居るんだな…。でも、この別荘に避雷針はあるんだろ?」
「うん、確かあったはず…。屋根のてっぺんに尖った旗竿みたいなものがあったから…」
「なら、大丈夫だ。この中に居れば、もう安全だよ」
再び電光が煌めき、別荘の内部を明るく照らし出した。見たところ、内部はきちんと片付いているようだったが、
一年間もほったらかしだったことを考えると、徹底的な掃除が必要だろう。
「さて、まずは掃除だな…」
「そうね、でも、別荘よりも、あんたを掃除する方が先決なんじゃないかしら?」
亜美が顔をしかめて、竜児の頭のてっぺんから爪先までを眺めていた。
「お、おぅ、た、確かにドロドロで、ずぶ濡れだな…」
「でしょう? そのままの状態で中に入ったら、別荘の中を汚して回るだけだわ」
そう言いながら、亜美はキャリーバッグからスポーツタオルを取り出して竜児に手渡した。
「これで身体を拭きなよ。それと、その状態じゃ、ここを掃除する前に、お風呂に入ってすっきりした方がいいでしょ?」
「お、おぅ…」
「だったら、あんたはここで身体に付いた泥を拭いていてちょうだい。あたしは、その間に別荘の電源を確認して、
それから二階のお風呂が使えるかどうか見てくるから」
そのまま亜美は小走りでブレーカーが設置してある台所の裏手に回った。
「よかったぁ。電源は生きてるみたい」
ほっとしたような亜美の声とともに、薄暗かった別荘の室内に照明が灯った。落雷で停電するかも知れなかったが、
その時はその時である。
「この分なら、多分、お風呂も大丈夫。とにかく、濡れた身体を拭いて、ちょっと待ってなよ」
玄関に置き去りにされたような竜児は、のろのろと泥まみれの頭髪と顔と手を拭った。それでも、Tシャツとジーンズ
は泥水まみれだから、ぽたぽたと汚い雫が滴ってくる。
「脱いだ方がいいんだろうな…」
まずはTシャツを脱ぎ、むき出しの上半身を亜美のタオルで拭う。だが、ジーンズを脱ぐことは躊躇われた。
「こいつを脱いで、パンツ一丁で玄関から入るなんてのは勘弁してもらいたいからな」
下半身は、泥まみれのジーンズの上からスポーツタオルで拭って、お茶を濁すことにした。
「オッケイ! お風呂は大丈夫だよ。カビ臭いけど、何とか我慢出来そうなレベルだと思う」
浴室の様子を確認してきた亜美が玄関に戻ってきた。
その亜美は、竜児が未だに泥まみれのジーンズ姿なのを見咎め、ムッとした。
「ほらぁ、下も脱いで! ソックスも脱ぐ! いつまでも濡れた服着てちゃダメでしょ」
「え、げ、玄関で、下も脱ぐのか?!」
竜児は、ぎょっとして、思わずジーンズのベルトのあたりを押さえた。まさかとは思ったが、亜美は竜児をパンツ一丁
にするつもりらしい。
「当然でしょ。第一、そんな泥んこまみれで上がったら、床とか階段までドロドロになっちゃう。それは人一倍潔癖な、
あんただって本意ではないはずよね?」
「お、おぅ…」
もっともなことを指摘され、不承不承ながら竜児は泥まみれのジーンズとソックスを脱いで、下着姿になった。
そのブリーフもぐっしょり濡れていて、裾の方から泥水がぽたぽたと滴っている。
「何やってんのぉ、パンツも脱ぎなさいよ。泥水が垂れているのに、穿いてちゃダメでしょ!」
うへぇ、とばかりに、竜児は反射的に股間をすぼめてへっぴり腰になってしまった。いやだ、いくら亜美の前とはいえ、
それだけは勘弁してもらいたかった。
「もう、何やってんだか…」
尻込みしている竜児に業を煮やしたのか、亜美は竜児の背後に歩みより、竜児の下着のゴム部分の左右を両手で
4
掴み、引きずり下ろそうとした。
「あ、ちょ、ちょっと待ったぁ!!」
亜美による強制執行を免れようと、竜児は、下着ごと股間の前を抑えて抵抗する。
「ダメ、待ったなし! いい加減に観念なさい」
股間を押さえていた腕を亜美に思いっきりつねられた。ぞの痛みで気を逸らされた隙に、亜美の両手は、竜児の
下着を、その足首まで引きずり下ろしていた。
「うわぁ、か、勘弁してくれぇ!!」
更に、むき出しの臀部と陰部がタオルで拭われた。竜児のペニスも陰嚢も、情け容赦のない亜美の手で、ぐりぐりと
翻弄され、しごかれている。
「今さら何を恥ずかしがっているんだか…。それに、ちょっとタオルで拭いただけで、こんなに固くなっちゃうなんて、
いやらしい…。こんなおちんちんには、お仕置きが必要ね」
どさくさ紛れというか、いつの間にか亜美のしなやかな指が、竜児の極太ペニスを、その根元から先端まで、
絞り上げるように往復している。
「あ、亜美、や、やめてくれぇ! こ、このままじゃ、げ、玄関で出しちまう…」
亜美は、それには答えず、「うふふ…」という意地悪いが妖艶な笑みを浮かべ、左手の指先でしごいていた竜児の
亀頭を右の人差し指で強く弾いた。
「うわっ! い、いてぇじゃねぇか」
「この程度の刺激で射精しそうだなんて、どんだけ溜まってんだか。まぁ、ここで出しちゃったりしたら、
後々まで語り継ぐネタになるんだけど、それも、ちょっと、かわいそうよね…」
そう言いながらも竜児のペニスには左手を添え、その左手で敏感な部分を、ぐにぐにと弄んでいる。
「あ、亜美、そ、それヤバ過ぎる…」
痛む寸前の絶妙な指遣いが剣呑だった。ちょっと前までは処女だったというのに、この愛撫の巧みさは何なんだ、
と快楽で陶然としながら竜児は訝しんだ。おそらく、ネットとかでエロ動画を見て、亜美なりに研究したのだろう。
勉強よりも、こうしたことには異様に熱心なのが、竜児の相方である。
「はい、亜美ちゃんのマッサージは、ひとまずお終い…」
亜美は、亀頭の先端に滲み出てきたカウパー氏腺液を指先で拭い取り、それをしゃぶりながら、ニヤリとした。
「う〜ん、苦くてしょっぱいわ…。でも、あんたが健康な男子であることが、これで証明されたわね」
哀れな竜児は、固く勃起したペニスを押さえ、へっぴり腰で恨めしそうに亜美を睨んでいる。
「このまま、俺をどうしようってんだ?」
亜美は意地悪く、それでいて妖艶な笑みを相変わらず浮かべている。
「このまま玄関で一発って展開も萌えるかしら、って思ったけど、さすがにそれは、えぐいかしらね」
「当然だろ! お前は、節操がなさ過ぎるんだよ」
詰られても、亜美は妖艶な笑みを崩さない。色恋沙汰には本当に貪欲な女なのだ。ただし、対象は竜児限定では
あるのだが。
「続きは今夜のお楽しみってことで…。この調子だと、一晩中、何回でも楽しめそうじゃん。その時に、思いっきりいく
から、宜しくね」
「お、おう…」
最悪の事態は避けられたが、ちょっと勿体なかったかな? という思いが竜児の脳裏をかすめた。
同時に、そんな自分が、情けなかった。
「そういうことで、さっさとお風呂に入って来なさいよ。お風呂場は、徹底的な掃除が必要だけど、とにかく、泥だらけの
あんたが、さっぱりすることの方が先決だわ」
そう言いながら、真新しいタオルをキャリーバッグから取り出して、竜児に手渡した。せめてもの武士の情けというか、
これで前を隠せ、というのだろう。
「タオルだけじゃなくて着替えも要るんだが…」
相変わらずへっぴり腰のまま陰部にタオルを当てた竜児が、ぼやくように訴えた。
「着替えなら、あんたがお風呂に入っている間に、あんたの荷物から適当に見繕って脱衣所に持っていくから、
大丈夫」
「お、おぅ…」
川嶋家の別荘という、亜美にとってはホームゲーム、竜児にとってはアウェイということもあって、主導権は完全に
亜美にあった。いや、下手したら、女房の尻に敷かれる情けない亭主という役回りが、既に竜児には充てがわれて
いるのかも知れない。
「しかし、参ったぜ…」
素っ裸で連れて来られた浴室で、頭から爪先までを温水でざっと洗いながら竜児はため息をついた。
ちょっとシャワーで濯いだだけで、竜児の身体、特に頭髪からは、泥水が流れ出し、それが浴室の床に溜まっている。
鍵を埋めた場所を塞いでいた石にドロップキックを見舞った際に、泥濘んだ地面に転げたのだから仕方がないが、
こうまでしつこく泥がこびりついているとは思わなかった。
「こりゃ、いきなりシャンプー付けても綺麗にはならねぇな…」
もう一度、温水だけで頭髪から爪先までを洗ってみた。これで、どうにか泥汚れはあらかた落とせたのか、先ほどより
は濁りのない雫が竜児の身体からは滴った。
だが、竜児の身体から流れ出た泥は、浴室のタイルの目地にしつこく残っている。竜児はタイルの目地にシャワーを
かけてみたが、詰まった泥は流れなかった。
「う〜ん、困ったもんだな…」
風呂掃除をする前なのだから、このままでも問題はない。それに、竜児ほど神経質ではない亜美であれば、多少、
浴室の床を竜児が汚したところで、文句は言わないだろう。だが、本来、清潔であるべき浴室が、カビ臭く、それに泥
で汚れているのは、竜児の美意識が許さなかった。
「風呂に入れ、とは言われたが、浴室を洗うな、とは言われてねぇ…」
確かにそうではあったが、詭弁っぽい。亜美の命令にも等しかった口調には、『風呂だけに入ってこい』という
ニュアンスが込められていたに違いないからだ。
「しかし、このままにはしておけねぇ…」
竜児は、浴室備え付けの掃除専用と思しきスポンジを手にすると、それに洗剤を染み込ませた。
「文句を言われたって構うもんか。俺は、俺で、よかれと思ったことをやるだけだ」
そのスポンジで浴室の壁をくまなく拭って、生えかかっていた黒カビをこそげ落とした。
竜児は、壁を一通り拭うと、手にしたスポンジを軽く濯ぎ、新たに洗剤を染み込ませ、中腰になって床を拭い始めた。
雑巾がけの要領で、ごしごしと床を擦ってカビやら泥やらをこそげ落とす。その動きにつれて、竜児のペニスや陰嚢
も、ぶらぶらとユーモラスに揺れていた。
「しかし、こんなところをあいつには見せられねぇな…」
全裸だから仕方がないとはいえ、亜美の加虐寸前の愛撫による先ほどの興奮が覚めやらない竜児のペニスは、
半ば勃起したまま揺れ、亀頭が時折、太股に当たっている。
こんな様を亜美に見られたら、少なくとも合宿の間は、これをネタに、からかわれ続けることだろう。
そう思った次の瞬間、シャワーカーテンから、その亜美が顔を出していた。
「あ、あんたって…」
実に気まずい状況だった。折悪しく、シャワーカーテンに向かって、つまり亜美と向き合った状態で、竜児は中腰に
なって床を掃除している。
突然の亜美の出現に、竜児は、ペニスを半ば勃起させたまま凍りつき、亜美は亜美で、目を点にして竜児の顔を
一瞥し、それから視線を竜児の股間へと這わせていった。
無情にも、竜児のペニスは、凝固している竜児にはお構いなしに、それまでの動きの余韻を示すが如く、暫しぶらぶ
らと振り子のように振動し、おもむろに停止した。
「ぷっ!」
目を点にして、竜児を凝視していた亜美が、爆発するように吹き出した。
「きゃーはははははははははははーっ!」
一方の竜児は、腹を抱え、涙さえ浮かべながら哄笑する亜美にあっけをとられ、半ば勃起した陰部を隠そうともせず
に、呆然としている。
「ひーっ! おかしい!! あんたの着替えを持ってきたら、あんた、おちんちんぶらぶらさせて、お風呂掃除してるん
だもん」
その指摘で、竜児はようやく我に返り、遅まきながら亜美に対して背を向けてうずくまった。
予測され得る最悪の事態だった。いや、亜美のことだから、竜児が風呂に入りながらも風呂場を掃除することに目星
をつけて、こっそりと忍び込んだのだろう。単に、掃除の現場を押さえて、それに対して嫌味の一つでも言うつもりだっ
たのだろうが、亜美にとって喜ばしいことに(竜児にとっては不幸なことこの上ないが)、竜児のフルチンをもろに目撃
することが出来てしまった。
「く、くそっ、いつまでも人の裸見て笑ってんじゃねぇ!! お前は俺の着替えを持ってきただけなんだろう? だった
ら、もう、カーテンは閉めてくれ。いくら、お前が相手でも、は、恥ずかしいじゃねぇか!」
何だか負け犬の遠吠えみたいな惨めな気分だった。亜美は、そんな竜児に、軽い口調で、「はい、はい」とだけ答え、
なおも、「くっ、くっ、くっ…」と小鳩が鳴くような、押し殺した笑い声を発しながら、カーテンを閉めてくれた。
「それじゃぁ、おちんちんぶらぶらの、我らが同志さん。着替えはここに置いとくから。それと、泥だらけの服は、簡単に
下洗いだけしといたから、後は、この別荘にあるリネンとかと一緒に洗うことが出来るわね」
それだけを告げられた後、脱衣所のドアを開閉する音がして、亜美が脱衣所から出て、階段を下りていく気配が感じ
られた。
「やれやれ…」
裸のまま浴室の床にうずくまっていた竜児は、安堵するように大きくため息をついた。本当に、この合宿での先行き
が思い遣られる。
よく言えば、亜美とは以心伝心、悪く言えば、亜美には竜児の思うところは見え見えなのだろう。
亜美は相思相愛の似合いの相手だが、性悪で、捉え所がなく、竜児にとっても油断も隙もない相手なのだ。
「ま、そういった一筋縄じゃいかねぇところが、あいつの面白いところなんだがな…」
亜美に出し抜かれるのは今に始まったことではない。それに亜美が竜児に仕掛けてくる悪戯は、ほんの些細なこと
に過ぎないのだ。
そう思いながら、竜児はシャワーの水圧を強めにして、洗剤で拭った壁と床を濯いだ。
浴室のカビやら泥やらが、綺麗さっぱり洗い流されたことを確認して、竜児は漸く自分の身体をボディシャンプーで
洗い始めた。
「今は、何時なんだろうな…」
身体の泡を濯いだ後、頭髪をシャンプーで洗いながら呟いた。
雷雨は一段落したのか、微かな遠雷しか聞こえてこない。
「だいぶ時間が経っちまったようだな」
もう一回、シャンプーし、シャワーで入念に濯ぐ。
既に夕方だから、今日中に別荘の内部をくまなく掃除することは不可能だったが、出来るだけのことはしておきた
かった。
シャワーを終えて、カーテンを開けると、洗濯済みのTシャツとハーフパンツそれに下着が脱衣所に設けられている
棚に置いてあるのが目についた。亜美が持ってきてくれた竜児の着替えである。
「性悪だが、こうした点は抜かりがねぇんだよな、あいつは」
これも、亜美が持ってきてくれたバスタオルで濡れた身体を拭い、下着を着用する。
下着を穿くために軽く屈んだ拍子に、洗濯機の前に置いてあるバケツが目に止まった。バケツの中身は、竜児が泥
まみれにした衣類やハンカチそれにスポーツタオルだった。
それらは、一応は下洗いされて、泥が洗い流されている。
「参ったな…」
泥だらけの衣類をどこで洗ったのかは気になったが、下洗いの状態自体は、洗濯にうるさい潔癖症の竜児から見て
も、万全であった。
エロで性悪な女だが、こんなふうに物事をそつなくこなすから、憎めない。
竜児は、瞑目して嘆息すると、ハーフパンツとTシャツも着用した。身体を拭ったバスタオルは、洗濯物を入れる籠
に放り込んで、脱衣所を出た。
リビングに降りると、テーブルには竜児と亜美の指輪が重ねて置かれていた。奥のキッチンからは、ごそごそという
物音と、時折、水を流す音が聞こえてくる。
「あら? 泥付きの大根も綺麗になったようね」
エプロン姿の亜美が、キッチンから、ひょいと顔を出した。手には、シンクを掃除でもしていたのか、スポンジが握られ
ている。
「まあな…。さっき見られたように、浴室も綺麗にしといたよ…」
そのコメントに、亜美は鼻筋にシワを寄せて、けらけらと笑った。
「あんたの行動パターンなんてのは、もうお見通し。あんたって、本当に分かり易いんだからぁ」
「性悪なお前に比べて、俺は根が素直なんだよ」
不貞腐れたような竜児に対し、亜美は「はい、はい、そういうことにしときましょ…」と、相変わらず笑っている。
そうした笑顔を見ていると、やはり憎めない。何だかんだ言っても、美人は得である。
「それはそうと、お前、キッチンの掃除をしてたのか?」
「そうよ、もうあらかた終わっちゃったから、次は、リビングとか床掃除をしようかと思って…」
竜児は、リビングの時計で、時刻が午後五時過ぎであることを確認した。都合、一時間、竜児は浴室を掃除し、自身
の身体を洗っていたことになる。それだけの時間があれば、亜美であってもキッチンの隅々まで掃除が出来たかも
知れない。
「あんまり俺の楽しみを奪うな。それに、俺の服も下洗いしてくれたんだな。参ったぜ…」
「あんたの楽しみを奪うつもりはないんだけど、やっぱ、キッチンとかは綺麗になった方が気持ちがいいじゃん。まぁ、
あんたの掃除に比べれば、あたしのなんか詰めが甘いだろうけど、一応は頑張ったつもり。
それと、あんたの服は、ドロドロだったから、下洗いはどうしても必要よね?」
「ま、まぁ、確かにそうだな」
「でしょ? でも、あんたの服は、キッチンのシンクで洗っちゃった。この点だけは、ちょっといただけなかったかしらね。
本来なら、外で洗うべきだったんだろうけど」
亜美はバツが悪そうに笑うと、ペロッと舌を出した。意図的なのか天然なのか不明だが、そうした仕草は本当に可愛
らしい。
「まぁ、この豪雨だから、外で洗うのは無理だろう。それに、台所では泥付きの野菜を洗うことだってあるんだ。
別段問題はないな…」
「よかったぁ、潔癖なあんたに怒られるかも、ってちょっと心配だったんだぁ。でも、あんたの服を下洗いした後、シンク
はきっちり洗ったから、オーケイよね?」
竜児は苦笑した。亜美がキッチンを掃除したのは、泥だらけの服を洗ったという証拠を隠滅するためでもあったようだ
が、本人がぺろっと自白してしまっている。竜児の顔色を窺った上でのものだろうが、都合の悪いことも、結局は正直
に言う亜美もまた、竜児同様に根は善人なのだ。
「ああ、汚したら、その後はきっちり掃除すればいいだけの話さ。それはそうと、キッチンの掃除は終わったんだろ?
だったら、今度はお前が風呂に入ってくれ。その間に俺は一階の掃除をやっとくよ」
「うん、じゃあ、これ置いてくるから」
亜美は手にしていたスポンジを、キッチンのシンクの下に置くと、キッチンの入り口に立つ竜児の左手に軽くタッチした。
「じゃぁ、選手交代ってことで、後はよろしくぅ」
笑みを浮かべて楽しそうに言うと、リビングに置いてあるキャリーバックから着替えを取り出し、二階の浴室へと小走り
に上がっていった。
亜美と入れ替わりにキッチンに立った竜児は、その隅々までチェックしてみた。
「まずまず、というか、俺の出る幕がねぇな…」
亜美本人は『詰めが甘い』と言っていたが、竜児の目から見ても掃除の具合は完璧だった。
「門前の小僧習わぬ経を読む、だな…」
亜美には高須流家事術の掃除を直接教えたことはなかったが、竜児が掃除している様を観察して、その極意を会得
したらしい。
これ以上、キッチンを掃除する必要がないことを確認すると、竜児は、雑巾と住居用洗剤のスプレーボトルを手にし
て、リビングの床掃除を始めることにした。
先日、内装業のアルバイト最終日にやったように、四つん這いになって、住居用洗剤をスプレーしながら雑巾がけし
ていく。床には微かに埃が溜まっていたが、この程度であれば、掃除機をかけるよりも、こっちの方が確実で手っ取り
早かった。
床全体を洗剤で拭ったら、今度は水拭きである。竜児は、洗剤で床を拭って汚れた雑巾をバケツの水で洗った。
雑巾は結構な汚れ方をしていたから、都合、三回、バケツの水を取り替えなければならなかった。
その雑巾で、リビングの床を、洗剤の滑りが感じられなくなるまで丁寧に拭いて、リビングの床掃除は完了した。
「あら、もう、床掃除が終わったみたいね」
二階から風呂上りの亜美が優雅な足取りで降りてきて、未だ中腰でいた竜児の前に立った。
濡れた髪からはシャンプーが微かに香り、肌は薔薇色に上気して瑞々しい。
何よりも、パンツルックを普段は好むはずなのに、珍しくノーズリーブの黒っぽいワンピースを着用している。
「お、おぅ、後は、ソファーとかテーブルとかを、綺麗にすれば大体はいいかなと思ってな…」
見慣れないワンピース姿が妙に眩しくて、竜児は伏し目がちにして亜美に応じた。そのワンピースは、アンダーバスト
の部分が亜美のスレンダーな体型に合わせて絞られ、胸元が大きく開いていたから、否が応にも亜美の美乳を強調し
ていた。
「ふぅ〜ん…」
ワンピース姿の亜美を直視出来ない竜児への、ちょっとした悪戯のつもりなのか、亜美は両腕で胸元をきゅっと締め、
竜児に向かって、腰を折って屈み込んだ。
左右の二の腕で圧迫されて盛り上がった胸元が、屈み込んだ時の反動で、ゆさゆさと大きく揺れている。
間違いなくノーブラだ…。よく見れば、乳首の部分が、小さく尖ってさえいる。
「そ、それはそうと…、お、お前がスカートなんて、珍しいな」
努めて平静を装ったつもりだったが、亜美が目を細めた性悪そうな笑みを浮かべていることから、無駄な努力であっ
たらしい。
「そ、パンツルックは暑苦しいからね。その点、ワンピとかスカートは、下が、がら空きだから涼しくってぇ〜」
そう言いながら、亜美はワンピースの腰の部分をつまんで、裾を少しだけ持ち上げて、扇ぐようにはためかせた。
「お前、何やってんだよ」
だが、亜美は悪意のこもった妖艶な笑みのまま、するすると少しずつワンピースの裾を持ち上げていく。
「暑苦しいから、亜美ちゃん、ブラしてないの…。それに、下の方も、通気をよくしないといけないからぁ…」
それはノーパンであることを暗に仄めかしているようなものだった。
「お、お前、は、穿いてないのかよ!」
亜美の陰部なら、既に幾度となく目にし、あまっさえ、それをしゃぶり、自身の指や極太ペニスを挿入してきた。だが、
何の前触れもなく、この様に不意打ちに等しい形で見せつけられるのは、性欲がどちらかといえば薄い竜児に対する
ハラスメントでしかない。
「さぁ、どうかしらね…」
亜美は、そう物憂げに告げると、なおもワンピースの裾をたくし上げる。裾は、ニーソックスを履いていたのなら絶対
領域に相当する部分まで上がり、後ちょっとで亜美の秘所が丸見えになってしまいそうだった。
「お、おい、もう止めろ!」
竜児だって、亜美とはセックスしたい。だが、今は掃除の真っ最中だ。この場で亜美と抱き合って、掃除や、食事の
用意、その他諸々の作業を蔑ろにするわけにはいかなかった。
「じゃ〜ん!!」
狼狽する竜児には構わず、亜美はワンピースの裾を一気にたくし上げた。その瞬間、竜児は反射的に目を閉じて、
亜美の秘所を直視することを避けていた。
その竜児の耳に、先ほど、浴室で聞かされたものと同じ、亜美の無慈悲な哄笑が飛び込んできた。
C
「きゃーははははははははははっ!! け、傑作ぅ!」
その声で、竜児が恐る恐る目を開けると、そこにはワンピースの下をホットパンツでプロテクトした亜美が、さも楽しそ
うに腰を左右に振りながら笑い転げていた。
「あ、亜美、て、てめぇ!」
ものの見事に一杯食わされた。竜児は忌々しそうに歯噛みしたが、そうすればするほど、亜美は有頂天になって、
はしゃいでいる。
「へ〜んだ、何を純情ぶってるのよ、このスケベ! 未だ宵の口だっつぅのに、エッチするわけないじゃん。エッチは、
掃除が終わって、食事が終わってからよ。それまでは、エッチはお・あ・ず・け。お分かり?」
そう言いながら、亜美はワンピースの裾に両手を差し込み、ホットパンツをずり下ろした。
「お、お前、結局何だよ、パンツ脱いでるじゃねぇか!」
「あら、勘違いしないでよ。生憎だけど、ホットパンツの下には、ちゃんとパンツ穿いているんですけどぉ。
だから、ホットパンツまで穿いてると蒸れるのよ」
亜美は、いつもの性悪笑顔で、秘所の温もりが残っているであろうホットパンツを右手でひらひらと振っている。
「だからって、わざわざここで脱ぐこたぁねぇだろ!」
一杯食わされて悔しそうに顔を歪めている竜児に、悪びれることもなく、亜美は、うふふ…と妖艶に微笑んだ。
「あんたの反応が面白いから。だからここで脱いだの。それも、これも、あんたが可愛らしいから。
可愛らしくて、純粋だから、お姉さん、ついついいじめたくなっちゃうのぉ〜」
「お姉さんって、俺たちは同学年じゃねぇか。それに、お前にからかわれながら可愛いって言われても嬉しくねぇよ」
竜児は不貞腐れて、そっぽを向いた。
「あらまぁ、拗ねちゃって。でも、いいじゃん。今日やるべきことが終わったら、後はこの前みたく、一晩中、エッチ出来
るんだからさぁ。あんたも期待してるだろうから、今夜のエッチは一段と激しいものになりそうで、楽しみよね」
「べ、別に、お、俺は、そ、そんなこと考えてもいねぇよ…」
その一言で、亜美が、ムッと、不満げに頬を膨らませた。
「あらそう? それが、あんたの本心だとしたら、つまんない男ね。でも、あたしはあんたとエッチしたいの。
そこんとこ宜しく」
柳眉を逆立てた不機嫌丸出しの面相でそう言い放つと、亜美は手にしていたホットパンツをキャリーバッグに仕舞い、
二階へ行こうとした。
「お、おい…」
竜児は、亜美を呼び止めたが、亜美は振り返りもしない。
「お、おい! どこへ行く」
亜美の悪戯は少々悪質だったが、竜児の対応も誉められたものではない。竜児は、亜美が気分を害してその場を
立ち去るものだと思い込み、慌てて立ち上がった。
その竜児に、亜美は、ニヤリと性悪笑顔で応えてきた。
「見れば分かるでしょ? 二階よ。二階の廊下とか、あたしたちの寝室は掃除してなかったでしょ?
一階の掃除はあんたに任せて、あたしは二階の掃除をするってわけ」
「お、おぅ…」
けろっとした亜美の態度に、竜児は毒気を抜かれる思いだった。
「何、その顔は? 亜美ちゃんと離れ離れになるのがさみしい? 不安? いやぁねぇ〜、とんだ甘えん坊さんだわ」
阿呆のように口をぽかんと開けたまま、脱力している竜児を指差して、亜美は、先ほどのように腰を振りながら、鈴を
転がすような笑い声を上げている。
タフな奴だ、と今更ながら竜児は呆れるよりも、むしろ感服した。簡単には怯まないし、凹まない。仮に怯んだり、
凹んだりしても、何かの切っ掛けで立ち直る。そうでなければ、有名女優である実母を敵に回して突っ張るなんて真似
は出来そうもない。
その亜美が階段を上がっていくのを見送りながら、竜児は瞑目してため息をついた。
「俺も、強くならなくちゃいけねぇな…」
精神的にタフな亜美の相方を務めるには、竜児もまた、強くなければならなかった。
自分を卑下するような弱さは以ての外だし、亜美のちょっとした悪戯で、取り乱すようなことも宜しくない。
もっとも、竜児が亜美の悪戯に対する免疫がつき、何があっても動じなくなったら、それはそれで、亜美は不満に思う
だろう。だが、現状のように、過剰に反応するヘタレっぷりは論外だ。
「ヘタレな俺は、本当に亜美にとってふさわしい相手なんだろうか?」
そう思うことこそが、弱さであることに気付き、竜児は苦笑した。この弱さは、生半可なことでは克服出来そうもない。
竜児は、のろのろと立ち上がると、応接セットや、天井からぶら下がっている照明器具の掃除に取り掛かることにした。
二人で手分けしての掃除は意外にはかどり、午後八時前には、あらかた終了した。
亜美はキッチンで別荘にどれだけの食材が残されているのかをチェックし、竜児は持参したノートパソコンでインター
ネットへの接続を試みていた。
「う〜ん、危惧した通り、本当にすっからかんで何もないわ…」
黒いエプロン姿の亜美は、可能な限りかき集めた食材を前にため息をついていた。
別荘にあったのは、ほんの三合ほどの米と、酸化して黒く濁った醤油、都合三百グラムほどの塩、開封していない
米酢、封を切らないままの砂糖一キログラムだった。
「お米は一年以上前のものだから、もう食べられないかも…。醤油は、何だかコールタールみたいに真っ黒になってて
気持ち悪い…」
「醤油はカビてなけりゃ、一応は使えるよ。ただし風味はガタ落ちだから、結局は黒い塩水とさして変わらねぇ。まぁ、
MOTTAINAIが、捨てちまって、真新しい奴を買った方が無難だな…」
「お米はどう? やっぱり捨てちゃう?」
亜美の手には、輪ゴムで封じられた『越後コシヒカリ』と記されたポリ袋が下げられていた。
「いや、リゾットにすればいいだろう。リゾットはむしろ新米よりも古米の方が美味しいっていうからな。それに、本場新潟
のコシヒカリは、高級ブランド米じゃねぇか。捨てたりしたらMOTTAINAI」
竜児が呪文のように唱える例の言葉を耳にして、亜美は、反射的に相好を崩し、ぷっ! とばかりに吹き出した。
「でも、そうなると、一食分はお米で何とかなるとしても、あとはパスタで凌ぐしかないのね…」
亜美は、今日の午後、最寄りの(といっても、別荘からはかなり遠い)コンビニで購入した五百グラム入りの
スパゲッティの袋と、パスタソースを四袋取り出した。竜児と亜美とで、ぎりぎり二食分というところだろう。
「そうなると、今夜と明日の朝はパスタにして、お昼はリゾットに出来るけど、その後は、食べる物が何にもないわ…」
「リゾットにしても、俺が言ったのは、古米で出来る、って程度の意味だよ。今の状況じゃ、別荘にはリゾットの具になる
ようなもんが何もない。リゾットの具は、茸とか鶏肉が適しているんだが、生憎、そんなものはねぇからなぁ」
「そうねぇ…」
「とにかく、お前の機転で、今夜と明日の朝の食料はあるんだ。明日は明日で、改めて駅前のスーパーに行くか、
ちょっと遠出して最寄りの魚市場に行くとか、野菜を直売している農家とかをあたってみてもいいかもな」
亜美は、竜児の提案めいた問い掛けに一旦は頷いたが、すぐに何かを思い出したように、双眸を大きく見開いた。
「ねぇ、インターネットの具合はどぉ?」
「おぅ、ここのルーターは、無線LANがあって、DHCPも機能しているんだな。特に細かな設定をしなくても、大概の
ノートパソコンは、この屋内でインターネットに接続出来る」
「だったらさぁ、お米とかはインターネットの通販で賄おうよぉ」
「インターネットでか?」
食料品は、直接確かめて購入することを旨とする竜児にとって、通信販売で食材を調達するというのは違和感が
あった。Amazonとかで書籍を買うのとは訳が違う。日々の糧となるものは、その正体を見極めるべく、見て、
手に取って確かめてから買うべきなのだ。
「あ〜っ、その顔は、猜疑心満々って感じぃ」
亜美にとっては、竜児の本音が顔に書いてある、といったところなのだろう。
「いや、まぁ、何だ…、どうにも直に確認出来ねぇのは、気が進まなくてな…」
「そう言うと思った。でも、安心して、お米やパン用の小麦粉や生イーストを通販しているお店は、あたしが実際の店舗
で買い物をしたことがある所だから、大丈夫。試しに買ってみた国産小麦粉とか、ライ麦粉とか、生イーストとか、どれも
高品質で安かったから、通販もちゃんとしたものを送ってくれるわよ」
亜美は、竜児を安心させるつもりでもあるのか、にっこりと毒のない笑みを浮かべている。
「お、おぅ、お前が大丈夫って言うんなら、それをあてにさせて貰うか…」
いくぶんは躊躇いがちな竜児に、亜美は、「大丈夫、任せておいて」と、軽く胸を張って見せた。
「じゃぁ、さぁ、善は急げということで、あんたが起動しているパソコンでお米とか、粉とかを発注しちゃいましょうよ」
「え? このノートでか? こいつはMac OSじゃねぇぞ」
パソコンといえばMacしか知らない亜美に対する不信が僅かばかりは込められていたせいか、亜美は一瞬だけ、
ムッ、と膨れっ面をした。だが、すぐに元の笑みを取り戻して、竜児の傍らに寄り添った。
「キャリーバッグからMacBookを引っ張り出すのがめんどいし、起動するまでの時間が惜しいのよ。それに、OSが
違ったって、インストールされているブラウザが同じなら、インターネット通販の発注操作自体は同じよね。竜児の
パソコンに入っているのは、Firefoxだし、あたしのMacBookにもFirefoxはインストールされているからねぇ」
言うなり、亜美は竜児を押しのけるようにしてパソコンの前に座り、トラックポイントに右手の人差し指を乗せた。
「お、おい、IMEをオンにするやり方は分かってるのか?」
半ば強引に割り込んできた亜美をたしなめるつもりで、ちょっと邪険に言ってみた。しかし、亜美は、お馴染みの
性悪笑顔全開で、切り返してきた。
「そんなの、あんたのキー操作を見ていたから、もう、知ってるわよ。こうでしょ?」
亜美は、[Ctrl]キーとスペースバーを同時に打鍵した。
「ほら、日本語入力が出来るようになった」
竜児は苦笑した。本当に油断も隙もない。亜美は、竜児の一挙手一投足をつぶさに見ているのだろう。亜美は亜美
で、竜児の伴侶にふさわしい存在になろうと努力しているのだ。
「お、おぅ、ほんじゃ、後は大丈夫だな?」
「当然でしょ?」
Googleで目当てのショップ名を検索し、その検索結果から目当てのショップの情報を選び、アクセスする。
「ほら、このお店なんだけどね」
インターネットでの食材調達には否定的な竜児には馴染みのないサイトだった。しかし、サイトマップには、大橋では
入手困難なアイテムも記載されていて、竜児の好奇心が疼いてくる。
「何か、本格的だな」
亜美は、してやったり、の笑みを竜児に向けた。
「でしょ? まずは、お米ね」
米の在庫リストが表示された。
そのリストを眺めていた竜児が、「おっ!」と短く叫んだ。
「宮城県産のササニシキがあるんだな…」
「ササニシキって、最近は聞かないわね。美味しいの?」
「まぁ、好みによるけど、コシヒカリは粘りがあるのに対し、ササニシキは、それほど粘りがない」
「そんなんで、本当に美味しいの?」
「ササニシキは冷めても美味しいんだ。それで寿司に向く。今では、主に高級寿司店で使われている米だよ。おそらく、
アミノ酸とかの旨味成分が、他の米よりも多いんだろう。それに、過剰に粘らないから、ピラフとかの洋風の料理にも向く」
亜美は、うふふ、と嬉しそうに笑った。
「じゃぁ、決まりね。値段もバカ高くないし、お米はこれでいいんでしょ?」
「おぅ、ササニシキが食えるなんて、本当に久しぶりだな。何なら、二十キロほど買っとくか」
「多過ぎない?」
「盆休みには、木原や香椎も来るんだろ? それに北村も来るかも知れないし、場合によっては能登もひょっこり来る
かも知れねぇんだ」
能登の名を耳にした亜美が、豆鉄砲を食らった鳩みたいに目を丸くした。
「能登も呼んだの? 別にあたしはいいけど…」
「いや、俺じゃなくて、北村が呼んだみたいだぞ。能登は、仮面浪人を止めて、本気で受験勉強に身を入れるらしい。
それで文系の北村に色々とアドバイスを受けていたようなんだ。で、北村は、根を詰めている能登に気分転換を勧め
る意味で、この別荘に連れて来るみたいだな」
「何だ、祐作の仕業なんだぁ」
亜美は、表情を和らげると、ちょっと意味ありげに微笑した。
「どうした? 変ににやにやして…」
「うん…、ちょっとね。能登ってね、祐作だけじゃなくて、奈々子からも英語の勉強を見てもらっていたんだって。
で、その時に、能登の口から、未だに麻耶に未練がありそうなことを言わせたのよ。で、問題は麻耶だけど、これも
奈々子とあたしが見た限りでは、本人が言うほど能登を憎くは思っていない感じなんだよね」
「ど、どういうことだよ?」
人一倍、色恋沙汰には鈍感な竜児に麻耶と能登の関係は、弁理士試験の問題よりも難しかったのかも知れない。
「危なっかしいけど、麻耶と能登との関係に、何かの化学変化が起きそうな気がするのよね。結合っていうか、化合っ
ていうか…」
紫煙
「お、おい、まさか? でも、木原は、この前のピクニックの時、蛇蝎のように能登を嫌っていたぞ」
亜美は、持ち前の大きな瞳を輝かせながらも、口元を意味ありげに歪めて、シニカルな笑みを浮かべている。
「そのまさか、が起こり得るかも知れないわね。朴念仁のあんたには理解不能かも知れないけど、男女の間柄、女心の
機微は微妙なの。何かの切っ掛けで、大きく変化するもんなのよ」
竜児は、理解不能であることを示すが如く、渋面で瞑目した。
「まぁ、何だ、能登と木原の化学変化が化合であることを願いたいもんだな。分解とかは見たくないし、ましてや爆発な
んてのは、マジでご免だ」
心配そうな竜児をあやすかのように、亜美は竜児にそっと寄り添った。
「大丈夫よ、あたしや奈々子様がついているんだから。麻耶と能登の化学変化が暴走しないように、ちゃんと制御す
るって」
「本当に大丈夫か?」
「しつこいなぁ、大丈夫だって…」
膨れっ面なのか、悪戯っぽい笑顔なのか判じがたい表情で、亜美が竜児を見詰めていた。
対する竜児は、ほんのちょっとだけ苦笑した。大人びているようでいて、こうした仕草には、少女らしい愛らしさがある。
つくづく、不思議な女だと思う。
「まぁ、話が横道に逸れちまったけどよ。米みたいな重たいもんは、こうして通販で買った方がいいかもな」
「そうよね。この別荘は辺鄙なところにあるから、買い物には本当に不便だわ。一応、バイクはあるけど、あたしもあんたも自動二輪の免許持ってないし…」
「一昨年は、北村が居たから助かったけど、今回はそうはいかねぇ。俺たちだけで何とかしなくちゃな」
買い物は、徒歩で行くことになるから、通販を最大限に利用することになるだろう。だが、通販にも問題がない訳では
ない。
「米は重いから、送料が結構かかるな。送料を含めたら、良心的な価格設定も台無しだ」
「そうねぇ、送料は重い物相応にかかるから…。でも、このお店、一万円以上お買い物をすると、送料が只になるって、
書いてあるわよ」
亜美は、ディスプレイの右上端を指差した。
そこには、『当サイトの通販は、購入金額が一万円以上の場合、送料は無料となります』という記載があった。
「ほんとだ…」
刹那、竜児は三白眼を、ぎらり、と輝かせた。
「よ、よし、それなら、この一月に必要となりそうな食料で、乾物とか、瓶詰め、缶詰とかの保存が利くやつを片っ端から
買っちまおう。俺は、カレーとか、エスニック料理に必要な香辛料やバルサミコやナンプラーのような調味料とか、
ホールトマトの缶詰の大量買いとか、菓子作りに必要なバニラとか、シナモンとか、製菓用の薄力粉とか、グラニュー
糖とかを、きっちり買っておきてぇ」
「あたしは、向こう一箇月のパン作りに必要な強力粉と、かライ麦粉とか、生イーストとか、無塩バターとか、発酵バター
とか、モルトシロップ、ていうか、これは日本の水飴の方がいいか…、とかをまとめ買い」
「おい、生イーストとかバターは要冷蔵だぞ。大丈夫か?」
不用意とも言えたその一言に、亜美は性悪笑顔を浮かべた。
「それ、冷静なあんたらしくもない失言よ。ここに、“クール便を使用”って書いてあるんですけどぉ〜」
「うへぇ…」
川嶋家の別荘で、亜美と二人きりということが、少なからず竜児に緊張を強いているらしい。
普段と変わらない態度の亜美に比べて、やはり竜児はヘタレなのだ。それに、男と女では、いざとなると、女の方が
肝が据わっているのかも知れない。
落ち着くつもりで、竜児は、軽く咳払いをした。
「おほん! まぁ、何だ、てんでんバラバラに、あれが欲しいとか、これが欲しいとか、ってんじゃ、余計な物を買い込ん
だり、必要な物を買いそびれるかも知れねぇ。ここは落ち着いて、買い物のリストを作って、それからショップのサイトに
発注した方がよかねぇか?」
竜児のもっともな提案に亜美が頷いたのを確認して、竜児はバックパックからメモ帳とシャープペンシルを取り出した。
「これで、一旦、必要な物を洗い出してから、インターネットで発注するのね?」
「そういうことだ…」
竜児は、米、香辛料、調味料、缶詰、瓶詰それに製菓材料を、亜美は、製パン材料をそれぞれリストアップした。
書き上がった竜児のリストは亜美が、亜美のリストは竜児が一応は目を通し、問題がないことを確認してから、
インターネットで発注した。
「何だかんだで、合計金額は三万円以上になってるな…」
「でも、これで、向こう一月分の主食やお菓子の材料は確保出来たわ。祐作や麻耶たちが押し掛けてきても、十分に
賄えるくらいの…。調味料や香辛料もいい物があったし、通販も捨てたもんじゃないでしょ?」
「そうだな、ちょっと、考えを改めたよ」
亜美がにこやかに笑っている。常に合理的な判断を心掛け、自己の判断や見識に問題があれば、それを素直に
認めて正す。それが竜児の美点であると、亜美は思っているのかも知れない。
竜児は、画面上の時計を見た。時刻は午後十時を回っていた。二人とも、二時間以上も時間を意識せずに、
インターネットでのショッピングに夢中になっていたことになる。
「だいぶ遅くなっちまったが、夕飯にしよう」
そう言っても、亜美が買ってきたスパゲッティを茹で、湯煎にして温めたパスタソースをかけて、お好みで粉チーズを
振るだけのことである。
「初めて別荘で二人きりになれたのに、ちょっとあんまりな晩餐ね」
少しでも栄養バランスを考えてか、これも亜美が買ってきた野菜ジュースを飲みながら、亜美が苦笑した。
「まさか、鍵を掘り出さなきゃならなかったなんて、想定外だったからな。おかげで、初日の予定は完全に狂っちまった。
本当なら、今日中にしとくべきだったが、明日は、食料の買出しだな。通販の荷物が届くのは明後日だし、何よりも
生鮮食料品が欲しい」
「そうよね…。今日、あたしが買ったスパゲッティとかも、明日の朝の分でお終いだから、嫌でも買出しに行かなくちゃ」
「それと、今日中に、寝室のマットレスも外して、天日干しにしたかった。一年間も風や日光に当ててないから、ダニと
かカビとかが気になるな。まぁ、今夜だけはちょっとカビ臭そうなマットレスで我慢するか…」
亜美は、その竜児の一言に表情をいくぶんは曇らせて軽く頷いていたが、やにわに、ニヤリとした。
「ねぇ、何なら、今夜は、寝室じゃなくて、リビングで寝ちゃいましょうよ」
「え、あそこでか?」
竜児は、視線をリビングのソファーに走らせた。確かに、あのソファーであれば、寝心地はそう悪くないかも知れない。
「そう、あのソファーに、さっき洗濯が終わって、今は乾燥中のシーツを敷けば、問題ないわよ。それに、どうせ、今夜
は、二人でくんずほぐれつの一大イベントが控えているんだからさぁ。それだったら、ベッドの上とかよりも、ソファーの
方が非日常的で萌えるわよ」
「お前って、アブノーマルなのが好きだなぁ」
「あら、失礼ね。合理的な判断と言って欲しいわ。カビ臭いベッドじゃ、雰囲気が台無しだし、第一、不健康じゃない。
その点、あそこのソファーなら、狭苦しい寝室に缶詰になっていたマットレスよりかはカビとかダニとかの問題は少ない
でしょ?」
「まぁ、そうだな…」
亜美の本心は、手を替え品を替えてエッチを楽しみたいということなのだが、それにもっともな理由をつけられては、
あからさまに反対出来ない。
「じゃぁ、決まりね。今夜は、ソファーでエンドレスなエッチをするのよ」
そう言って、亜美は双眸を大きく開き、瞳を輝かせた。性欲が高まったときの亜美は、瞳の輝きが妙に瑞々しく、
それでいて、白目の部分が少々血走っているのが常である。今夜がまさにその状態だった。
「な、なんか、いつも以上に、興奮してねぇか?」
この別荘に来る前の数日間も、二人は、毎晩、抱き合っていた。だが、それらは、キスから始めて、軽く前戯を楽しん
だ後、挿入して、亜美は一度アクメに達し、竜児は亜美に一回中出しして、それで、互いに満足するという、
比較的淡白なセックスである。
だが、今夜に限っては、亜美の性的な興奮の度合いが桁違いだ。強いて言えば、亜美が実家に戻らざるを得なく
なった日の前夜、一晩中、互いに求め合った、あの時に似ている。
「そう? う〜ん、でも、そうかも知れないわね」
一応は自覚があるらしい。
「な、何かさ、お前の性欲がすげぇな、って思ったのは、お前が実家に行く前の晩とかだよな。大体、今から二週間前
か…。その前は、膣痙攣になっちまったけど、お前との初エッチ…。これは、それから更に二週間くらい前か…。
なんか、周期性があるのか?」
「そんなことまでは知らないわよ。あたしに分かっているのはさぁ…」
食べ終えたスパゲッティの皿を脇に押し遣ると、亜美はテーブル越しに身を乗り出してきた。
「お、おぅ…」
ちょっと血走った双眸をてらてらと輝かせ、竜児に迫る様は、発情チワワというよりも、肉欲に飢えた雌狼といった
ところだろう。
「あたしは今宵、あんたと気絶するまで抱き合っていたい。それだけなんだからさぁ」
亜美は、舌なめずりのように、ぺろっとピンク色の舌先を覗かせた。
理屈なんかどうでもいい。ただ、本能的な衝動に身を任せ、快楽を貪りたいのだ。
それは、竜児にとっても異論はない。亜美が望むなら、気力と体力が許す限り、何度でも、その華奢な身体を貫いて、
その胎内へ白く熱い精を注ぎ込んでやるまでだ。
竜児と亜美は、食器やグラスを手早く洗うと、室内の照明を全て消した。
暗闇に慣れていない目は、しばらく視力がままならなかったが、窓辺から差し込む月光で、仄暗いながらも部屋の
様子が分かるようになってきた。
「雷や風や雨の音が全然しなくなったから、多分そうだとは思ってたが、静かな月夜だな」
数時間前まで耳を聾する程に轟いていた雷鳴に代わり、やさしげな潮騒が微かに聞こえてくる。
窓から差し込む月明かりは思いのほか明るく、リビングの窓辺近くの床を青白く照らし、竜児と並んでソファーに座っ
ている亜美を漆黒のシルエットとして際立たせた。
「まずはキスよ…」
シルエット姿の亜美が、長い髪を物憂げになびかせると、竜児の方にゆっくりと顔を近づけてきた。
近づくにつれ、漆黒のシルエットからは、うっとりと閉じた両の眼、整った鼻筋そして竜児との接吻を持ち焦がれて
微かに開かれた薔薇色の口唇が、ぼんやりと現われてきた。
「亜美…」
竜児も顔を亜美にゆっくりと近づけ、薄く引き締まった口唇を、瑞々しい亜美の口唇にそっと合わせた。
亜美の滑らかな舌が、彼女とは別個の意思を持った生き物のように、妖しく蠢きながら竜児の口腔に侵入してきた。
それと入れ替わるように竜児の舌もまた、亜美の口中の奥深くに入り込み、その頬の内側や、歯茎をそっと撫で回す。
「う…、う〜ん」
亜美は心持ち眉をひそめて、くぐもった呻き声を上げている。一見、苦しそうな感じだが、キスで陶然となった時、
亜美がよくやる仕草だった。そんな亜美が愛おしくて、竜児は亜美の身体をしっかりと抱き締める。竜児の胸板に、
勃起した亜美の乳首が感じられた。
竜児は、亜美の背中に回していた手を、亜美が纏っているワンピースのファスナーに遣ると、それをするすると下げ
ていく。
「う!」
一瞬、亜美は抵抗するかのように身を捩ったが、竜児がファスナーに遣った手を止めて、亜美の身体を更に強く抱き
締めると、亜美はそれに納得したのか、再び竜児とのディープキスに意を注いだ。
竜児も亜美とのキスを堪能しながら、再びワンピースのファスナーをゆっくりと下ろし始め、ほどなく下ろし切った。
その直後…、
「あっ! あ、ああっ!!」
竜児とのディープキスで感極まったのか、亜美は、顔を仰け反らせるようにして、口唇を竜児のそれから引き離し、
はぁ、はぁ、と切なげに息を整えている。
「亜美…」
竜児の微かな呟きに、亜美は恍惚としながらも、微かに首を縦に振って応答した。
その亜美の首筋から胸元へ、竜児は舌と口唇をゆっくりと這わせていく。
「あ、ああっ! そ、そこぉ!」
竜児は、亜美が纏っているワンピースの胸元をはだけ、まずは胸の谷間に頬擦りした。花のように香る、いつもの
トワレは付けていないらしい。その代わりに、竜児を昂らせる亜美自身の体臭が芳しかった。
「いい匂いだ…」
「う、うん…」
竜児が何気なく発した言葉が嬉しかったのか、亜美は、首を仰け反らせたまま、微かに頷いている。
それを確認して、竜児は、亜美の右の乳首を舌先で軽く弄んでから、それを口に含み、軽く歯を当てた。
「あうっ! い、いきなり噛んじゃだめぇ」
上目遣いに見ると、亜美が、早くも頬を上気させ、双眸を潤ませていた。
「すまねぇ。痛かったか?」
分かってはいたが、念のため訊いてみた。
「う、ううん…。あ、亜美ちゃんの、ち、乳首、今日は何だかすっごく敏感で…、りゅ、竜児に舐められたりしただけで
ゾクゾクしちゃう…」
乳首は、女性にとって、クリトリスに次いで敏感な性感帯であることを、竜児もインターネットや医学関連の文献から
最近になって知った。
亜美は乳房を啜ってもらうと、時に竜児が驚くほどに身悶えるが、それは亜美に限ったことではなく、性的な興奮状
態にある女性なら、ほとんどがそうなのかも知れない。だが、それを割り引いても、今の亜美はいつにも増して反応が
激しかった。
「じゃ、ゆっくりいくよ…」
竜児は、再び亜美の右の乳首に薄い口唇をあてがい、歯を立てずに吸った。刹那、亜美の口から色っぽい吐息が
漏れ、竜児の背中に回していた亜美の両腕に力が込められた。
早くも亜美は快楽の虜になりつつある。やはり、今夜は、二週間に一度の頻度で彼女に訪れる特別な夜なのかも知
れない。
「あぅ…、も、もっと強く啜っていいからぁ…」
亜美の甘えるような訴えに竜児は軽く頷くと、右の乳首を徐々に強く吸った。それにつれて、亜美の呼吸が、
「はっ! はっ!」とばかりに荒くなっていく。
それを確かめて、そろそろ左の乳首を啜ろうかと、竜児は視線をちょっと右に向けた。だが、亜美の左の乳首は、
亜美自身の指で摘まれ、揉みしだかれていた。
もう一度、上目遣いで亜美を窺うと、亜美は瞑目して、涎を垂らしながら、「あぅ…、あぅ…」、と嗚咽のような呟きを切れ
切れに漏らしている。早くも忘我の心地らしい。
竜児は、ちょっと苦笑すると、右手をするすると亜美の腰に這わせ、ワンピースの裾から突っ込んで、大腿部の内側
から亜美の秘所を撫で回した。
「おぅ?!」
竜児は、啜っていた亜美の乳首を思わず離してしまった。
「は、穿いてねぇ…」
亜美の太股の内側は、秘所から漏れ出る雫で、既にぬるりとしていた。
「う? うん…。亜美ちゃんノーパン…。どうせエッチすんだから、穿いてるのがめんどいし…」
竜児にこれ見よがしにホットパンツを脱いで見せた時には、もう、ノーパンだったらしい。珍しくパンツルックじゃないと
思えば、これである。本当に油断も隙もない、とんでもない淫乱娘だ。
「じゃぁ、ノーパン淫乱娘のあそこを弄ってやるか…」
竜児は、先ほどまで亜美が摘んでいた彼女の左の乳首に口唇をあてがい、徐々に強く吸った。
「あぅ! お、おっぱい気持ちいいよぉ」
乳首に走る快感に亜美が気を取られている隙に、竜児は、既にじっとりと潤っている亜美の秘所に人差し指と中指を
挿入し、親指で茂みの中から勃起しているクリトリスを撫で回した。
「ひっ!」
まるで感電でもしたかのように、亜美の身体が、びくんと硬直した。竜児は、秘所に挿入している二本の指を捻るよう
に回しながら往復させ、親指の腹で薄皮を剥くようにクリトリスを撫で回した。
「あ…、そ、そこぉ…」
先ほどまで右の乳首を弄くっていた右手をだらりとさせて、亜美は苦しげに仰け反った。竜児は、亜美が愛撫を放棄
したその右の乳首を軽く噛み、これまで以上に強く吸引してやる。
「あぅ、か、噛んじゃらめぇ!! き、気持ちよ過ぎて、い、いっちゃうぅ〜」
亜美は涙目で髪を振り乱して訴えたが、竜児は構わず、今度は左の乳首も軽く噛み、強く啜ってやった。
「う、ううううううっ〜!」
竜児の愛撫に堪えかねてか、亜美の秘所も充血したかのように火照り、じくじくと甘い粘液を滴らせていた。竜児は、
挿入していた二本の指を一旦引き抜くと、人差し指と中指に薬指も添え、亜美の秘所に挿入し直した。
「あぅ!!」
指三本が唐突に膣を押し広げる感触に、亜美は絶句するように短い悲鳴を上げ、双眸を大きく見開いて、背筋を
強張らせた。竜児の指にも、亜美の膣の内壁が、侵入してくる異物に抗うように怪しく蠢いているのが感じ取れた。
「済まねぇ…。痛かったか?」
いくら何でも指三本はやり過ぎだったのかも知れない。だが、亜美は、はぁ〜っ、大きく息を吐くと、背筋の緊張を
解き、上気した頬を緩めるようにして微笑んだ。
「痛くないけど、なんか、ごりごりする…。でもぉ、そ、それがいいのぉ〜」
「よ、よし、じゃ、続けるぞ」
「う、うん…」
竜児の三本の指が、亜美の膣の奥深くまで挿入された。その状態から、竜児は、先ほどの指二本の時と同じように、
三本の指を捻りながら膣内を往復させる。
「あぅ! いい、いいわぁ!!」
亜美が美乳をぶるぶると震わせて仰け反っている。竜児は、その胸の谷間に顔を埋めて、亜美の芳しい匂いを深々
と吸い込むと、谷間の両隣で踊っている左右の乳房の先端を、交互に噛んで啜りまくった。
「あぅ! い、いっちゃうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
亜美の絶叫と呼応して、秘所が痙攣するように締まり、愛液が噴射と呼べるほどに激しく吹き出した。
亜美は背中を強張らせたまま、「あ…、あ…、あ…」と、嗚咽のような声を切れ切れに発し続け、やがてぐったりと脱力
した。
亜美の秘所は、本人がぐったりしても、それにはお構いなしに妖しく蠢いて、飲み込んでいる竜児の指先を締め付け
ていたが、やがてそれも、腫れが引くように、鎮まっていった。
「ふぅ…」
亜美の秘所が落ち着いたことを確認して、竜児は指をゆっくりと引き抜いた。詰まっていた栓が抜かれたかのように、
膣口からは、トロトロと愛液が滴ってくる。それと、先ほどの潮吹きで、竜児の右腕は二の腕まで亜美の粘液が飛び
散っていた。
芳しい愛液は、竜児の太股やハーフパンツにも滴っており、亜美のワンピースのスカート部分は、どろどろだった。
「ワンピース、脱がすぞ」
C
「う、う〜ん」
快楽にあてられて、ぐったりとしている亜美の身体から、黒いワンピースを抜き取る。身に纏っていた唯一の衣類を
取り去られた亜美の肢体が、窓辺から差し込む月光で青白く輝いていた。
「俺も脱がなきゃ、不公平だよな…」
竜児も、Tシャツを脱ぎ、ハーフパンツとブリーフをずり下ろした。
股間を覆っていた布地の戒めが解かれた竜児のペニスは、雄々しく勃起し、先端からは、透明なカウパー氏腺液を
しみ出させている。
「亜美、大丈夫か?」
絶頂に達した余韻からか、亜美は焦点の定まらない目で、ソファーにもたれ掛かり、ぼんやりと竜児を見ている。
「う、うん。大丈夫…。でも、前戯だけでいっちゃった…」
タオルを用意してなかったことを今になって気付き、竜児は柄にもなく小さく舌打ちしたが、ソファーに広げたシーツ
で、愛液が付着した亜美の股間と自分の右手を軽く拭った。
「な、なんか…、あそこを拭かれているだけでも気持ちいいのぉ…」
目を潤ませて、切なそうにため息を吐きながら、亜美は竜児の為すがままである。
「少し休むか?」
一応は訊いてみた。だが、亜美は、頬を弛緩させた淫靡とも表現出来そうな笑みを浮かべて、首を左右に振った。
「う、ううん…、平気よ、このくらい」
亜美は、一回目のアクメでかなり消耗したような印象だったが、この程度のことで彼女は参らない。むしろ、セックスに
対して、より積極的になりさえする。事実、二週間前の彼女は、何度絶頂に達しても、竜児を激しく求めてきたのだ。
「でもぉ…、亜美ちゃん、ちょっと疲れちゃったのも事実…」
亜美の弛緩した笑みが微かに揺らめいた。
双眸が細められ、口元が微かに開いている。よく言えば悪戯そうな、有り体に言えば、竜児にはお馴染みの性悪
笑顔だった。
「だったら、少し休んだ方がいい。夜は長いんだ」
その提案を、一笑に付すかのように、亜美は鼻先であしらった。
「休んでなんかいられないわ。あたしは、今夜は竜児と徹底的にエッチしたいの。休むと、そのテンションが下がっちゃ
うのよ。だからぁ〜」
そう言って、亜美はピンク色の可愛らしい舌先で、下唇を、ぺろっと潤した。
「じゃ、ど、どうしたいんだよ?」
亜美が所望することは、竜児にも薄々は分かっていた。
「亜美ちゃんのエッチなテンションを下げずに、亜美ちゃんの体力を回復出来て、それでいて竜児も気持ちよくなれる
方法があるじゃない?」
言い終わらないうちに、亜美は白魚のような指を竜児の勃起したペニスに添えてきた。
「お、お前、フェラか?!」
亜美が悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「そうよぉ。ここをこんなにカチカチにして、溜まったもんを出さないと身体に悪いでしょ? それに、竜児のミルクを
飲めば、亜美ちゃんも元気になれそうだしぃ」
「お、お前、あんなもん、旨くねぇだろ?」
「あら、生卵みたいでオツなもんよぉ。それよりか、あんただって亜美ちゃんのお汁とか啜ってるじゃん。それこそ、
あんなもの、よく啜れるわね」
「お、男と女じゃ、味覚が、ち、違うんだろ?」
たしかに亜美の愛液だって旨いものではない。しかし、雄としての本能なのだろう。竜児も、衝動的に、亜美の陰部
に顔を埋め、滴る汁を啜ることは少なからずあった。
「そうかも知れないわね。まぁ、ここまで来て無粋な詮索は野暮ってもんだわ…」
亜美は、竜児の股間に小作りな面相を近づけると、猛々しく屹立している竜児のペニスの先端を咥え込んだ。
そのまま、いつものように、ソフトクリームを舐め回すようなつもりで、口に含んだ竜児の亀頭に舌を這わせ、軽く歯を
当ててきた。
「うっ! 毎度のことだけど、お、お前のフェラ、き、効くぜ…」
そのコメントが嬉しかったのか、亜美は竜児のペニスを咥えたまま、色っぽく、「うふ…」と呟いた。
そして、これもいつものように、竜児の陰嚢と、ペニスの棹の部分を、心持ち強く、ちょっとばかり加虐するつもりで、
揉んでくる。
「どふぉ? きもひ、ひいでしょ? あんふぁ、いふぁいくらひのほふが、よろこふからぁ」
もごもごと言いながらも、亜美は竜児への愛撫を止めない。
いつにも増して、亜美の愛撫は変幻自在だった。亀頭を舐め回すかと思えば、舌先を棹の部分にも這わせたり、軽く噛んだりした挙句、すっぽりと亀頭を口に含み、亜美自らが首を前後に動かし、それから不意に亀頭の先端を強く
啜ったりするのだ。
「うへ、い、いつになく、きょ、強烈だぜ。お前のフェラは…」
亜美はニヤリと意地悪そうに相好を崩すと、竜児の亀頭の右側を強く吸い、反対側を白磁のように白く繊細な指先で、
擦るようにして弄んだ。
「うっ! なんか、びりっ、っときた」
竜児のペニスが一段と大きく怒張し、先端から分泌されるカウパー氏腺液が顕著になってきた。その苦い汁を美味し
そうに舐め取ってから、亜美は再び、竜児のペニスをすっぽりと咥え込み、歯を軽く当てながら、強く吸引した。
「う、うわぁ! げ、限界だぁ!!」
絶叫とともに竜児は身を震わせ、竜児の分身は亜美の口腔でドクドクと脈動しながら、濃厚な精液を吐き出した。
「ふ、ふぐっ…」
咳き込むような声を一瞬発したが、亜美は気丈にも口中にほとばしった奔流を喉を鳴らして飲み込んだ。
更には、未だ、痙攣するように脈動している竜児の亀頭を慈しむように舐め、軽く啜ってフィニッシュとした。
「う〜ん、一番しぼり、ごちそうさまぁ」
これもいつものように、口元から垂れそうになった竜児の精液を手の甲で受け、それも旨そうに舐め取ると、亜美は
満足して、にっこりと笑った。
「そ、そりゃ、お粗末様…」
本日第一回目の射精だというのに、精力の全てを放出させられたような倦怠感を覚え、竜児は、ソファーにもたれて
一息ついた。
「うん、濃くて美味しかったよ。やっぱ、フェラすんなら一発目に限るねぇ」
亜美は未だに舌なめずりして、口の回りに付いた竜児の精液を味わっている。
男の竜児には信じられないことだが、女の亜美にとって、竜児の精液は美味なるものであるらしい。
その亜美が再び竜児の股間に屈み込み、未だに勃起している竜児のペニスを、ぱっくりと咥えた。
「うわぁ、お、お前、またフェラすんのか?!」
「違うわよぉ~、あんたのおちんちんのメンテナンス。さっき濃いのを出しちゃったばっかだから、これからすぐに亜美
ちゃんのお腹の中で暴れさせるのはかわいそうじゃん…」
そう言いながらも亜美は、竜児の亀頭を柔らかな口唇で優しく包み込み、ピンク色の舌先でそれをまさぐっている。
「お、おぅ、なんか、いい感じだ…」
同じフェラでも、先ほどのものが炎のように激しかったとすると、今の愛撫は、春のそよ風のように優しく暖かい。
「でひょう? あみひゃん、おちんちんのめんてなんふ、うまふなったんだから」
亜美による献身的な愛撫によって、竜児のペニスは、射精前の大きさと固さを取り戻しつつあった。だが、自分だけ
気持よくなっているのが、亜美に対して申し訳なかった。
「なぁ、亜美。ちょと、いいかなぁ…」
呼び止められた亜美は、ソフトなフェラを中断して、竜児の表情を窺った。
「ど、どうしたのよ、急に…」
「い、いやさぁ…、これじゃ、俺ばっかが気持よくなるだけで、お前はつまらねぇと思ってさ。だから、お前が俺のを
メンテナンスするだけじゃなくて、俺もお前のをメンテナンスしてやりたいんだよ」
亜美が、頬を上気させて妖艶な笑みを浮かべている。
「つまり、あんたは亜美ちゃんの大事なあそこを舐めたいって言うのね?」
「お、おぅ…。お前さえよければ、俺にもお前をメンテナンスさせてくれ」
亜美は竜児のペニスを、竜児は亜美の秘所を、それぞれ舐め合うことで、互いの存在を確かめ、気持ちを高めたい
のだ。いわゆる『シックス・ナイン』である。
「ふふっ、朴念仁のあんたにしちゃ、殊勝な心掛けじゃない。いいわよ、あんたは、そこに仰向けになってよ。
あたしは、そのあんたの上に乗っかるから」
言われるままに竜児はソファーに横たわった。その仰向けの竜児に、亜美が陰部を竜児の顔に向けて、うつ伏せで
覆い被さってきた。
「でも、優しく舐めるだけよ。さっきみたいに指を入れるのは絶対禁止。あんなことされたら、亜美ちゃん、またおかしく
なっちゃう…」
じくじくと愛液を滴らせている亜美の陰部は、むっと息が詰まるほど、女の匂いで芳しかった。
竜児は、滴り落ちる甘美な雫を舌先で受けながら、本能に誘われるように、そっと亜美のクリトリスに口づけした。
「うっ!」
竜児の亀頭を口に含んでいた亜美が、くぐもった声とともに背筋を硬直させた。女体で最も敏感な部分は伊達では
ない。
竜児は、固く勃起したクリトリスの包皮を舌先で剥くようにして、亜美に歓喜の嬌声を上げさせると、その舌先をクリ
トリスから陰裂へと這わせていく。その竜児の舌先には、ぬるぬるして、しょっぱくて、ちょっとアンモニア臭い、亜美の
味が感じられた。字面で表現すると、やはり旨そうな代物ではない。それでも敢えて啜りたくなるのは、雄としての本能
の性なのだろう。
『性欲が薄いったって、結局、俺も男なんだな…』
竜児は、自嘲するかのように苦笑すると、目の前でぷっくりと盛り上がっている大陰唇の左右を軽く引っ張った。
「あぅ、ゆ、指入れるのは、反則だって言ったじゃない!!」
膣に挿入されると勘違いした亜美が、口に含んでいた竜児のペニスを吐き出して、抗議の叫びを上げてきた。
「い、いや、指なんか入れねぇよ。ただ…」
「ただ? 何よ。もう、変に勿体をつけない! これも、あんたの悪い癖なんだからぁ」
「お、おぅ、気ぃ悪くしたら済まねぇ。お前のここがさ、あんまりにも綺麗だから、もっと見たくて、もっと、く、口づけしたく
て…」
最後の方は、気恥ずかしさからか、語尾がかすれて不明瞭になってしまったが、その方が却って竜児の本心を亜美
に伝えることが出来たのだろう。亜美もまた、恥ずかしそうに、
「ばか…」
とだけ、微かに呟いた。
それを亜美の許し受け取った竜児は、左右に広げた亜美の陰裂にしばし見入った。ベージュ色の大陰唇の内側に
は、桜色の襞が、竜児の愛撫を待ち焦がれるかのように、ふるふると艶かしく震え、芳しい愛液を滴らせている。
「綺麗だ、本当に、綺麗だよ…」
「う、うふぅ〜ん」
照れなのか、竜児への奉仕を中断したくなかったのか、亜美は、竜児のペニスを咥えたまま、くぐもった生返事をした。
そんな、亜美が愛おしくて、竜児は、震える襞に、そっと接吻し、クリトリスの根本から陰裂の終端まで、ゆっくりと舐め
上げた。
「あ、あふぅ! いひ、きもひ、いひよほぉ〜」
更に、二度、三度、亜美の陰裂を舌先で探り、固く突き出たクリトリスを啜った。
「あ、あひゅいぃ! そ、そんひゃに、す、すっひゃ、らめぇ~」
亜美の歓喜の叫びとともに、膣口から滴る愛液が顕著になってきた。亜美のメンテナンスはこれで十分だろう。だが、
竜児は、ちょっとばかり、悪戯をしてやりたくなった。
「指は入れるな、って約束だったよな?」
亜美にも聞こえるように、心持ち声を大きくして呟いた。それに対する返事はなかったが、竜児は構わず、舌先を
尖らせて、亜美の膣口にあてがい、そのまま中へと侵入させた。
「あ、あああぅっ! ゆ、指じゃないけどぉ、舌を入れるなんて反則だよぉ〜」
亜美は、身をよじり、尻を振って抗議したが、それが却って色っぽい。竜児は、その亜美の尻を両手で押さえて、
舌先を更に奥へと押し込んだ。
亜美の膣内は、再び興奮状態にあるのか、肉の壁や襞が腫れたように熱を持ち、竜児の舌を締め付けてくる。
「ばかぁ! そ、そんなことしたら、あ、亜美ちゃん、い、いっちゃうよぉ!!」
亜美の訴えは、もはや涙声だ。これ以上やったら、亜美は本当にいってしまうだろう。それでは、メンテナンスの趣旨
に反する。竜児は、挿入していた舌先をゆっくりと引き抜いて、亜美のクンニを締めくくった。
「うっ! い、いてててっ!!」
やれやれと思い、油断したのがいけなかった。その隙を突いて、亜美が竜児の亀頭を軽く噛み、更には指先で一番
敏感な亀頭の上面を強く弾いていた。
「も、もう、この変態ぃ! 指を入れちゃいけないのに、舌なんか入れやがってぇ!!」
亜美が、身体を捻じ曲げて、柳眉を逆立てた面相を竜児に向けている。かんかんに怒っているかのようだが、彼女
の内心はそうでもないことを、竜児は分かっていた。
「ま、まぁ、正直やり過ぎたことは確かだな。でも、これで、俺も、お前もメンテナンスは完了、本番の準備は万端だろ?」
「万端って…。もう、あとちょっとで、本当にいっちゃう寸前! 本当にもう~!」
膨れっ面をしていたが、本心では、気持よかったはずなのだ。案外、アクメ寸前の寸止め状態であることが、亜美の
怒りの原因の一つなのかも知れない。
「まぁ、そんなに怒るな。それよか、テンション高いうちに、本番といこうぜ」
竜児のもっともな指摘に、亜美は、膨れっ面をリセットするかのように大きくため息を吐いた。代わりに、ちょっと
意地悪そうな笑みを肩越しに竜児へ向けると、その竜児の身体の上で、自身の身体の向きを百八十度変え、
固く屹立する竜児のペニスを跨るようにして、ソファーの上に膝立ちになった。
「あ、あたしが、う、上になる…」
そう言いながら、亜美は竜児の極太ペニスを左手で握り、その亀頭を陰裂に擦り付けた。
ぬるり、として、熱く火照った感触が竜児の敏感な部分に伝わってくる。それは、亜美も同様であるらしい。
「あぅ! いい、いいわぁ~。あんたのおちんちん、昨夜よりも、おっきくてぇ、熱くてぇ、固くてぇ、も、もう、最高ぉ~」
髪を振り乱し、顔をのけぞらせた亜美は、そのまま腰を落として、竜児のペニスを飲み込んでいった。
亜美の異常な性的興奮が伝染したのだろうか。竜児のペニスもまた、かつてないほどに太くて固くなっている。
その固く反り返った肉棒が、軟弱な侵入物は押し潰さんとばかりに締め付けてくる肉襞を掻き分けて、亜美の秘所を、
ずぶすぶと貫いていった。
「うはっ、中は熱くて、ど、どろどろだ」
芳しい愛液で十分に潤滑されてはいたが、亜美の膣内は腫れぼったく熱を持っていた。襞や疣のような突起が
妖しく蠕動して竜児のペニスを誘いながらも、尋常ではない圧力で締め付けてくる。
勃起不全のやわなペニスでは侵入出来ない堅固な砦。しかしながら、迫り来る肉襞の圧迫に抗うことが出来る者に
は、無上の快楽をもたらす、秘密の花園でもあった。
その秘密の花園で締め付けられれば締め付けられるほど、竜児のペニスは、肉の花弁を押し退けるように、更に
大きく、固く、熱くなっていく。
「あ、あうううううぅ!! おっきぃ! あんたのおちんちん、これまでにないくらいおっきぃよぉ~」
断末魔のような絶叫とともに亜美は身震いしたが、なおも腰を沈めて、竜児のペニスを自身の膣内へ完全に挿入した。
「だ、大丈夫か?」
亜美は、それには答えず、眉をひそめ、歯を食いしばるような苦悶の表情で、もう完全に飲み込んでいるはずの
竜児のペニスを、胎内のより奥深くへ誘うが如く、力を込めて自身の股間を竜児のそれに押し付けてきた。
「うわっ! こ、こいつぁ、き、効くぜ」
挿入されている竜児のペニスにも、亜美の膣がゴムのように引き伸ばされたのが感じられた。固く大きく膨れ上がっ
た亀頭は、亜美の子宮を激しく突き上げている。
「き、気持いいでしょ? あ、亜美ちゃんも、こ、こんなに気持ちいいのは、は、初めて…。なんか、今夜のあたしたちっ
て、変…。あたしは、い、異常に感じ易くなってるし、あんたのおちんちんだって、ものすごく、おっきくなってる…」
支援
息は苦しげであったが、亜美は健気にも微かな笑みを浮かべていた。
「お、おぅ、お前の中って、熱くて、腫れているみたいで、締め付けがマジできつい…。俺は、気持いいけどよ、お前、
本当は、ものすごく痛いんじゃねぇのか?」
「な、なんか、痛みと紙一重の快感って言う感じ…。亜美ちゃんのあそこ、竜児のおちんちんでお腹一杯」
「じゃ、じゃあ、あんまり無理すんな。このまま、お前が壊れちまったら大変だ」
竜児なりの気遣いに、亜美は一瞬、呆然として、腰の動きを止めた。だが、すぐに、相貌を細め、口元をちょっと歪に
半開きにした例の性悪笑顔で竜児の向き直った。
「あんたって、バカ? 何度も言ってるけどぉ、女のあそこって、すっごく伸びるんだよね。だから、こ、このくらいどうって
こたぁ、な、ないわよ…」
「そ、そうか? そ、それにしちゃ、な、なんか苦しそうなんだが…」
亜美は余裕でいるようだったが、語尾の震えや、微かに引きつった表情で、それが彼女のやせ我慢であることが、
竜児にも分かった。
だが、亜美は、そんな竜児の心配をよそに、あくまでも強気だった。
「だいたいが、女ってのは、子供を産むんだよ。三キロ以上の肉の塊が、今、あんたのおちんちんを飲み込んでいる
亜美ちゃんの膣を通るんだ。それを考えれば、ちょっとおっき過ぎる程度の、あんたのおちんちんなんか、平気
よぉ!」
そう言って、無理に作り上げた性悪笑顔を一瞬引き締めると、亜美は、やにわに腰を上げ、その腰を勢いよく落とした。
「あああああああああ~っ!」
亜美の絶叫がリビングに響き渡り、再び亜美の胎内がゴムのように変形する感触が竜児の亀頭に伝わってきた。
「お、おい! 本当は痛いんじゃねぇのか? だったら無茶はするな!」
だが、亜美は息を弾ませながらも、自ら両の乳房を揉みしだき、竜児に妖艶な笑みを投げ掛けた。
「痛みと紙一重だけど、苦しくないわよ。ただ、ものすごく気持ちがよくって、亜美ちゃんのあそこが、じんじん、痺れる
くらいに感じちゃってる…。それで、あたし、もう、何だか…」
亜美の言葉に見栄や強がりや偽りはなさそうだ。亜美は先ほどまでひそめていた眉の緊張をちょっと解き、頬を弛緩
させ、今にも意識を失いそうなほど朦朧としている。
「い、いきそうなのか?」
心配そうな竜児の問い掛けに、亜美は、だるそうに瞑目したまま、首を左右に振った。
「う、ううん…、ま、まだ、大丈夫…。普段だったら、これでアクメなんだろうけど、きょ、今日は違うのぉ。も、もう、十分に
気持ちいいんだけど、これよりももの凄い快感が、何だか、ど〜んと来るみたいな気がする…」
亜美は、時折、「うっ!」と顔をしかめながらも、竜児に跨がったまま、華奢な体を上下させ、極太の竜児のペニスで、
私怨
自身の秘所を貫き、襲い来る快楽に陶然となっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ…、き、気持ちいい…、気持ちいいよぉ!!」
いつもなら絶頂に達するほどの快楽が入力されているはずなのに、亜美は上下動を止めようとしない。
その快楽故か、上下運動の激しさからか、亜美の呼吸が一段と苦しげになった。
「お、おぃ、無茶するな! も、もう、お前も限界なんだろ?!」
尋常ではない亜美の狂態に、竜児はたまらず亜美の尻を両手で押さえた。だが、亜美は、なおも、二度、三度と腰を
上下させて、竜児のペニスで自身の胎内を貫くと、そのまま前のめりに倒れて、竜児の胸板にのし掛かった。
「亜美!」
事態の異常さに驚いている竜児をよそに、亜美は頬を弛めた淫靡な笑みを浮かべている。
「だ、大丈夫…。あ、亜美ちゃん、すっごく気持ちいい〜」
美乳を竜児の胸板に預けたまま、それでも亜美は腰を上下させて、なおも自ら積極的に快楽を貪っていた。
「お、お前…、ふらふらじゃねぇか」
心配そうな竜児に、亜美はとろんとした焦点の合ってないような双眸を向けて微笑した。
「う、うん…。あ、亜美ちゃん、どんどん気持ちよくなっていくんだけど、未だ、アクメじゃないの…。もう、疲れてふらふら
なのに、もっともっと気持ちよくなりたい…」
「そ、そうは言ってもよ…」
苦悶とも歓喜とも判じがたい風情で、竜児のペニスを飲み込んだまま、なおも腰を上下に動かし続ける亜美の体調
が気掛かりだった。
「う…ん、亜美ちゃん、体力は限界っぽい。でも、もっと、もっと気持ちよくなりたいの…。だから…」
「分かった、もう、それ以上、無理をするな。もう、お前は自分から動かなくていい。後は、俺がお前を気持ちよくして
やるぜ」
その一言に、亜美は軽くため息をつくようにして、微かに苦笑した。
「あ、あたしだけが気持ちよくなるんじゃないでしょ? あんたも気持ちよくなるのよ。あんたにも分かるはずよ。亜美
ちゃんのあそこが、いつも以上に熱くて、きつくて、ぬるぬるしているのが…。その亜美ちゃんの中を突いて、突いて、
突きまくって、あんたも気持よくなるんだわ…」
苦しげな微笑には、儚げな美しさがある。竜児は、もたれ掛かっていた亜美を抱えながら、二人が結合したまま上体
を起こし、一旦は対面座位で向き合った。
「こ、このまま、やるの?」
竜児は、首をゆっくりと左右に振った。
「この体位も、結局は、上になっているお前の負担が大きいんだ。だから、さっきの俺と入れ違いに、お前が横になっ
た方がいいだろう」
竜児は、亜美の身体を抱きかかえるようにして支え、そっと、ソファーの上に横たえた。
「さ、さっきとは、逆ね…」
「まぁな…。肉体労働は男の仕事なのさ。それはそうと、動くけど、大丈夫か?」
亜美は、瞑目し、上気した頬を微かに揺らして頷いた。
青白い月光で仄かに浮かび上がる亜美の姿は、脆く、儚げではあったが、それが掛け値なしの美しさを漂わせていた。
「じゃぁ、いくぜ…」
正常位で亜美と向き合った竜児は、挿入したままだったペニスを引き抜く寸前まで後退させ、それを再び亜美の膣
の奥深くへと突き込んだ。
「あぅ! い、いい、いいわぁ! や、やっぱ、お、男の力で突いてもらった方が、き、気持ちいい…」
亜美は双眸をとろんと半開きにしたまま、右手の人差し指と中指を半開きの口の下顎に引っ掛けるようにして、その
指をしゃぶりながら、上体をくねくねと色っぽく揺らしている。
口元からは涎が垂れ放題で、それがソファーに敷いたシーツを濡らしていた。
「亜美、すげえぞ、いつもよりも、ぐちゅぐちゅの、ぬるぬるだ」
愛液の分泌も、いつになく激しかった。それは絶えることなく、とろとろと湧き出てきて、竜児のペニスが引き抜かれる
寸前まで後退する度に、飛び散るように外へと溢れ出てくる。
「な、何でだろう…。も、もう、亜美ちゃん、わけ分かんないのに、もっと、もっと、気持ちよくなっていくような気がするの」
「そ、それは俺も同じだ。もう、身体中の血が、どくどく、もの凄く脈打って、もの凄く気持ちいいってのに、未だ、
射精できねぇんだ」
今こうして行われている交合が、二人にとって物足りないわけではない。それどころか、竜児も亜美も、先ほどから
爆発寸前の強烈な快感に襲われ続けている。二人とも、前戯では軽く一回いってしまった。にもかかわらず、
本番では、こんなに激しく求め合っても、未だに限界が来ていないのが奇妙だった。
「あ、亜美、体位を変えよう。ちょ、ちょっと、どぎついことをやって、一気にけりをつけようぜ」
性的な欲望は未だ限界知らずの二人だったが、筋力的には亜美は先ほど限界に達した。入れ替わりに竜児が
頑張っているが、このままでは、アクメに達する前に、竜児の全身の筋肉も悲鳴を上げるに違いない。
「う、うん、あ、あんたに任せるよぉ〜」
竜児に突かれるたびに、ぶるぶると美乳を揺らして喘いでいた亜美が、苦しそうな息の下から、答えてきた。
それを待ってか、竜児は、正常位で結合したまま亜美を支え、ソファーに敷いてあるシーツごと抱えて、床上に転が
り込んだ。
床上で、改めて亜美とは正常位の状態であることを確かめると、竜児は自身の胸を上に反らし、両手を後ろ手に
ついて踏ん張った。反動で、亜美の膣に挿入されている竜児のペニスが更に深く亜美の胎内へと押し込まれ、膣壁
の上端をこじ開けるように、その肉襞を圧迫した。
「ああっ!! あ、亜美ちゃんのあそこのお肉が、竜児のおちんちんで、ぎゅーって、上に引っ張られてるよぉ~」
「お、俺もだ。俺のペニスも、お前の膣に押さえられて、ひ、ひん曲げられてる」
下手したら、ペニスがもげてしまうんじゃないかという痛みと、その痛みを打ち消すほどの快感が竜児の下腹部から
発せられていた。
その痛みと快楽の板挟みを押して、竜児はその体勢のまま、二度、三度と自身の極太ペニスを亜美の膣内で往復
させた。
「あぅ! い、いやぁん! あ、亜美ちゃんのあそこがぁ、ぐにゅ~ぅ、っていって、滅茶苦茶になってるぅ~」
「お、俺もだ。お前の膣の襞が、俺のに纏わりついて、と、とにかく気持ちがいいぜ…」
亜美の膣内が更に熱を帯び、じわじわときつく締まって竜児の亀頭を翻弄する。
「そ、そんなこと…、あ、あたしだって、りゅ、竜児のおちんちん、その先っぽが、もの凄くおっきくて、か、固くてぇ、あ、
熱くてぇ、あ、亜美ちゃんのお腹の中をかき回してるぅ」
肉体の変化は竜児にも生じているらしい。
理系の竜児は、自然法則に反するような超自然的なものは信じない。だが、今宵に限っては、竜児と亜美に、何らか
の外的な力が作用しているようにも思えてきた。
「と、とにかく…、俺も、お前と同じように、なんか、普段と感じが違うんだ。も、もう、脳味噌がおかしくなりそうなほど
気持ちがいいのに、未だ、射精までちょっとある感じだ。お、お前は、いけそうか?」
亜美は、涙目でかぶりを左右に振っている。
「あ、あと、ちょ、ちょっとぉ~」
更なる強烈な刺激が、二人には必要であるらしい。
そう判断した竜児は、亜美と結合したまま、互いの脚を交差させ、その状態で、固いペニスを往復させた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! こ、壊れるぅ、亜美ちゃんのあそこが、き、気持よすぎて、こ、壊れちゃうよぉ!!」
いわゆる『松葉崩し』。内装業のアルバイト最終日に、作業現場だったマンションの一室で、人目を忍んで亜美と
やった体位である。その時、亜美は乱れに乱れ、そのまま身体を更に捻って、バックで二、三回突いただけで昇天し
てしまった。その、気絶した亜美に、竜児も夥しい量の射精をしたものだ。
以来、松葉崩しからバックに至る体位は、二人にとって、禁忌に近い必殺技となっている。
竜児は、松葉崩しで三回ほど亜美の秘所を突くと、挿入したまま、身体を更に九十度捻った。
「うっ! ふ、深いよぉ~」
バックになって、この日で一番深いところまで突かれた亜美が、おねだりするように腰を振っている。その色っぽい
仕草が竜児にはたまらない。最後の力を振り絞るようにして、竜児は、極太ペニスを、粘液が滴る亜美の秘所へと叩き
込んだ。
「も、もう、一回、松葉崩しだ」
亜美の身体が更にひねり込まれた。先ほどの松葉崩しとは違い、亜美の膣の右側の肉襞が、竜児の極太ペニスで
引き攣るように擦過されている。
「も、もう、亜美ちゃんのお腹の中、ぐちょぐちょ…」
その言葉とは裏腹に、亜美の膣が痙攣するように収縮し始めた。フィニッシュが近い。
「あ、亜美、俺も、そろそろやばそうだ…。締めは、お前の顔を見ながらいきてぇ」
亜美が、「う、うん…」と、恥ずかしそうに頷いたのを認めて、竜児は、亜美の身体を捻って、正常位になった。その
正常位に戻る際の、ペニスでの擦過が効いたのか、亜美は一瞬目を剥き、酸欠の金魚のように口を大きく開いている。
竜児も限界間近だった。股間直下の前立腺からペニスの先端にかけて、マグマのようにほとばしりそうになる激情を
必死に抑えつけながら、亜美の膣を突いて、突いて、突きまくった。
そして、クライマックスは、唐突だった。
「あぅ!!」
面相を歪めて、竜児のペニスの突撃に耐えていた亜美は、双眸を大きく見開きながら、一声、短く、悲鳴を発した。
それが号令であったかのように、亜美の全身がぶるぶると震え、膣の肉襞が、うねうねと不規則に激しく蠕動し、咥え
込んでいる竜児のペニスをしごくように圧迫する。
「うっ、こ、こいつぁ、たまんねぇ!」
次の瞬間、竜児は本能的に腰を亜美へと突き出し、下半身を震わせて、純白の熱きパトスを、亜美の膣の奥深くへ
放出していた。
どくどく、と、かなりの勢いで放出されたそれは、竜児のペニスを一杯に頬張っている亜美の膣内の隙間という隙間
を瞬く間に満たしていく。
「あ、熱い、あそこが熱いよぉ~」
かろうじて意識を失わなかった亜美が、焦点の定まらない双眸を天井に向けて呟いた。
それでも、快楽を求め続ける本能故なのか、なおも腰を揺すって、竜児のペニスを膣の奥深くへ誘おうとしている。
「お前のあそこ、痙攣しているみたいに震えているぞ。大丈夫か?」
心配そうな竜児の問い掛けに、亜美は朦朧としながらも応答した。
「だ、大丈夫。いつもより、凄いことになってるけど、いつぞやの膣痙攣とかじゃないから…。亜美ちゃんのあそこは、
気持よくって悶えてるだけ。だから、あんたさえよかったら、もうちょっと、このままで、入れたままで、あたしを抱いて…」
「亜美…」
竜児と亜美は、互いに結びついたまま、しっかりと抱き合った。二人の息遣いを別にすれば、聞こえてくるのは
微かな潮騒だけだった。
寄せては返す波の音に耳を傾けていると、凪のように心が安らいでくる。そう言えば、子宮内の胎児には、母親の
心音が潮騒のように聞こえているといった話を何かの文献で読んだことがあった。
「あ…」
竜児に抱かれながら窓辺からの月光に視線を彷徨わせた亜美が、唐突に何かを言いかけた。
「どうした?」
「う、うん…。月の光を見て、何か分かったような気がしたの…。さっきのエッチが何であんなに激しかったのかって…」
「月の光がどうかしたのか? 確かに、今夜の月光は、だいぶ明るいな」
「こっからじゃ月その物は見えないけど、きっと今夜は満月でしょうね」
「ああ、そんな感じだな。満月か、それに近い状態でなきゃ、こんなにも明るくならねぇ…」
『月』。亜美は、彼女と竜児は月のような存在だとかねがね主張してきた。それは、上辺は華やかでも、内面は地味
で堅実だということを控えめに表現したものであり、更には、竜児と亜美は同じタイプの人間であることの暗喩でもあった。
「月の満ち欠けって、人間の体調やメンタリティに影響があるっていうのは本当かも知れない。狼男じゃないけど、満月
の夜、人は普段とは違ってくる。あたしたちのセックスが激しかったのも、今夜が満月だったのが関係してるかも知れな
いわね」
「どうなんだろうなぁ…。お前は俺たち二人を月に例えるのが好きだし、それについては俺も異論はねぇけど…。月の
満ち欠けと人間の情緒や体調との関係は、しっかりとした科学的な根拠がないから、正直、何とも言えねぇな」
理系らしいドライなコメントに雰囲気を害され、亜美は頬を不機嫌そうに膨らませた。だが、こうした馬鹿正直さが
竜児の持ち前であることを思い出したのか、軽く嘆息して、苦笑した。
「本当に、あんたって理詰めで融通が利かないんだからぁ。でも、まぁいいわ…」
「バカで、頑固で、ムードがねぇのは、一応は自覚してるよ」
不覚にも拗ねたような表情だったのだろう。竜児には珍しい、そんな子供っぽい仕草が可笑しかったのか、それとも
可愛らしいと思ったのか、亜美は、微かに笑っている。
「まぁ、いいわ…。理系のあんたには、自然法則に反するようなものは受けつけないかも知れないけど、今夜のあたし
たちのセックスが、いつもと違うのは事実なんだわ。だって、ほら…」
亜美は、腰を艶かしく左右に動かした。
「お、おぅ、そんなに動かすと、ま、また、出しちまう」
竜児のペニスは、大量の精液を吐き出したばかりだというのに、萎えることなく亜美の秘所を貫いたままであった。
「あんたのおちんちん、こんなに元気…。そして、あたしのあそこも、まだまだ竜児のミルクを飲みたがっているのよ」
そう言って、亜美は、また腰を妖しく振った。亜美の膣は、竜児の極太ペニスを咥え込んだまま、ぬるぬると蠕動して
いる。
「わ、分かったよ…。俺も、お前も、今夜は特別だってことが…」
「うふ…。そうよ、あたしたちは、何かの外的なもので、絶倫になっちゃってる感じかしらね…。その外的なものは今夜
が満月だっていうこと、あと一つは…」
「何だよ、満月だけじゃなかったのかよ」
「人の話の腰を折らない! まぁ、もう一つは、実際に確かめてみてもいいんじゃないかしら…。どう?」
「ど、どう、って…」
「今夜が満月であることと関係があることなんだけど、そのことが、一番、あたしたちに影響したのかも知れない…」
思わせぶりな亜美の語り口が気になって、竜児はじっと彼女の顔に見入ってしまった。
「あらやだ…、あたしの顔をまじまじと見るなんて…」
「い、いやぁ…、そ、そんな言い方されたら、お前の言う“もう一つ”ってのが、どうしても気になってくるからさ…」
「うふふ…、人並み以上に知的好奇心がある竜児なら、そうくると思った。まぁ、それが何なのか、知りたいでしょ?
だったら、百聞は一見にしかずよね?」
薄闇の中で、亜美の瞳が妖艶に輝いていた。先ほどのアクメでの消耗が回復し、性欲が漲ってきたのだろう。
「そ、そりゃぁ、見たいが、エッチの最中だぞ…」
亜美は、エッチモードになったら、容易なことでは中断しない。飽くことなく竜児を求め、自らも竜児に奉仕するように、
その身をくねらすのだ。
「でも、大事なことなのよ、ちょ、ちょっと惜しいけど、エッチは一時中断。だから、おちんちん抜いていいわ…」
「お、おぅ…。で、でも、おれのが、また固くなってるんだぜ…」
うふ、と亜美が呟き、頬を淫靡に緩めている。
「あんたも、亜美ちゃんとのエッチが好きなのね…。でも、そっちの方も解決できるから、エッチは一時中断…」
「な、何だか、よく分からねぇが、そうするよ」
竜児は、言われるままにペニスを亜美の膣から引き抜いた。
「あぅ、おちんちん、気持ちいい…」
ペニスが膣内を擦過する刺激に亜美は一瞬身震いした。
竜児のペニスで押し広げられ、一時的だが洞のように、ぽっかりと口を開けた膣口からは、こぽ…、という鈍い音
とともに、亜美の愛液と竜児の精液が流れ出てくる。
「や~ん、せっかくの竜児のザーメン、出てきちゃったぁ~」
「しょうがねぇだろ、俺もお前もあれだけ出したんだ。溢れてくるのは止めようがない」
それを、竜児はシーツで拭き取ってやる。
「で、お前の言う『もう一つ』ってのは、どうやって確かめるんだ?」
亜美は、竜児に陰部を拭われて、切なげな吐息をついていたが、気持ちを切り替えるように、物憂げにかぶりを
C
振って長い髪をなびかせた。
「ビーチへ行きましょ…」
「ビーチ? こんな時間にか?」
竜児は、リビングの時計を見た。時刻は、間もなく午前零時である。
「そうよ、二人でビーチに行きましょ。このままの格好でね。そうすれば、あたしたちが求めるものが見つかるわ」
「このまま、って、素っ裸でか?!」
驚く竜児に、亜美は、にっこりと毒のない笑みを向けてきた。
「満月の夜、全裸でビーチに佇むなんて、ロマンチックじゃない? それに、裸でないと、あたしたちが絶倫になった
理由を解明できないわ」
「そ、それは、ビーチでセックスするってことなのか? おい、おい、正気かよ…」
別荘の前の海岸は、川嶋家のプライベートビーチだし、別荘の周囲に人家はない。それでも、誰かと出食わす
おそれは皆無ではないし、何よりも夜の海は危険だ。それに波打ち際に行くまでに薮蚊の集中攻撃を食らうだろう。
「何よ、そのシケたツラは…。大方、誰かに見られることとか、夜の海は危険とか、薮蚊に刺されるとか、ネガティブな
ことばっか考えていたんでしょ?」
「お、おぅ…」
竜児の、ちょっとした表情の変化も見逃さない亜美が相手では、分が悪い。
「誰かと出くわしたら、あたしたちの愛の営みでも見せつけてやりましょうよ。それに、いざとなれば、あんたが一睨み
すれば、退散してくれるでしょ。夜の海ったって、波の穏やかな遠浅の砂浜よ。波打ち際付近で、水浴くらいだったら、
何も問題はないでしょうね。それに…」
亜美は、やおら立ち上がり、リビングに置いてあった竜児のバックパックから虫除けを取り出した。
「薮蚊だったら、これで防げるでしょ?」
そう言いながら、手にした虫除けを全身にスプレーする。
「ほらぁ、あんたも早く塗りなよ」
竜児に虫除けスプレーを差し出している亜美の目が爛々と輝いている。有無を言わせず、竜児を何かに引きずり
込むときに特有の目の輝き。その『何か』とは、多くの場合、ガチでのエッチに他ならない。
竜児は、参りました、とばかりにため息をついて苦笑した。本気モードの亜美を押し止めることなぞ、竜児には不可能
だ。亜美の手から、おとなしく虫除けを受け取り、それを亜美に倣って、全身にスプレーした。
「準備オッケイ? じゃ、行きましょ」
「ま、待てよ、これでも被っていったほうがよくねぇか?」
何の屈託も恥じらいもなく、天衣無縫の面持ちで外に出ようとする亜美を、竜児は慌てて呼び止めた。
そして、先ほどまで床に敷いていたシーツを手に亜美の左に寄り添うと、手にしたシーツを亜美と自身の肩に掛けた。
「こうすれば、多少は薮蚊を防げるかも知れないし、誰かに出くわしても、咄嗟に肌を隠すことが出来るだろう」
すっぽりと二人を覆うシーツの中で、亜美は、竜児の広い背中に左手を回して、ニヤリとした。
「バカで、頑固で、ムードがないとか言ってる割には、粋な計らいじゃない?」
竜児も亜美につられるように淡い笑みを浮かべた。
「微妙な誉め言葉だな。だが、嬉しいよ…」
素足で玄関から外に出た。外はむっとする熱帯夜だが、足裏にはウッドデッキがひんやりと心地よい。
シーツにくるまり、身を寄せ合った竜児と亜美は、慎重にウッドデッキの階段を下りて行った。
「二人三脚みたいだよね…」
互いを気遣いながら、二人は、一歩、一歩、波打ち際へと歩んでいった。
空には雲一つなく、中天に満月が煌々と輝いている。その月光で青白く輝く水面が、大きく広がっていた。
「満潮だったのか…」
ゆったりとしたうねりを伴った海面は、昼間、竜児が流木を物色した砂浜を飲み込み、ウッドデッキの階段を下りた、
護岸の間近まで迫っていた。
「今夜は大潮だったのね…。新月や満月の頃には、月と太陽と地球とが一直線に並ぶ。それで、満潮の時は、いつも
よりも大きく潮が満ちて来るんだわ」
竜児は、思わず中天に浮かぶ月と、目の前に迫る海面とを見比べた。
「お前の言っていた、もう一つってのは、この大潮のことなんだな?」
竜児に寄り添う亜美が微かに微笑んだ。
「そう…、海に棲む生き物たちは、大潮、特に満月の時に産卵するらしいわね。海から生まれた生物の末裔である
あたしたちも、そうした摂理から無縁ではないんだわ…」
「哺乳類と海棲生物じゃ、事情が違うだろ?」
理系としての本音が、無粋にも出てしまった。それでも亜美は、にこやかな表情のまま、竜児の顔を見上げている。
「そうね…。陸に上がった哺乳類は、母なる海の記憶なんて、もう曖昧なんでしょう。でも、時に、大潮の夜のことを
懐かしむのか、いつもより劣情が激しくなることも考えられなくはないわね」
亜美は、二人でマントのように羽織っていたシーツから抜け出ると、スレンダーな裸身を露わにした。
「お、おい…」
戸惑う竜児に、全裸の亜美は妖しく微笑み、かぶりを振って艶やかな髪をなびかせた。
「理屈じゃないのよ…。何よりも、あたしがあんたを欲している。そして、あんたもあたしのことを欲している。その気持ち
が、押さえ切れないだけ…。今夜が大潮だっていうのも、今まで、激しいエッチをしてきた晩が、どうやら大潮の夜だっ
たらしいことも、本当はどうだっていいんだわ…」
「亜美…」
「今、こうして、あたしたちはここに居る。そして、互いに愛し合っている…」
亜美は、竜児の肩に掛かっているシーツを跳ね除けて、それを取り除いた。
「お、おい…」
戸惑い、咎めるような竜児に妖艶な笑みを向けながら、その右手を優しく掴んだ
「行きましょ、あたしたちの海へ…。大潮の夜に、その海で沐浴する…。そして、海に抱かれて、あたしたちは一つにな
るのよ」
「よ、夜の海はやばいって! 何が出てくるか分かったもんじゃねぇ」
浅瀬だから、まさか鮫とかが襲ってくることはなさそうだが、ミノカサゴとかのヒレに毒がある魚、イモガイ等の猛毒の
矢を放つ貝だって居ないとは限らない。
だが、亜美は、怖がっている竜児をあやすかのように、微笑んだ。
「大丈夫よ…。このビーチは、あたしが子供の頃から遊んできたところだから。鮫とか、毒のある生き物は見たことがな
いわね。だから、安心して、あたしについてきて…」
月光に照らされた亜美の面相は母親のような慈愛に満ちて麗しかった。
亜美が言う『大丈夫』には、科学的な根拠もなければ、理屈も何もない。しかし、理屈抜きで安心感を与える頼もしさ
があった。
「お前…、泰子みたいだな…」
半ば無意識に発せられた竜児の言葉に、亜美は、双眸を大きく見開いて、にんまりとした。
「あら、ずいぶんと嬉しいことを言ってくれるじゃない。前にも、こんなやりとりがあったような気がするけど、あんたの
母親と同視されるなんて、女冥利に尽きるわね…」
「ま、まぁ、ちょっとだけ、そ、そんな感じがしたんだよ…」
亜美は、竜児の手を引いた。
「だったら、あたしを信じて…。あたしと一緒に海に行きましょ…」
麗しい笑みには、抗い難い無言の拘束力が伴っていた。竜児は、亜美に手を引かれ、恐る恐る、寄せ来る波に足を
浸していった。
「意外に暖かいんだな…。それに、透明度が高いから、月の光で底までがはっきりと分かる」
「でしょ? 怖くないわよ。これだけ明るくて、波も穏やかなんですもの。何かが来ても、気配がするわよ」
「何かって…。そもそも、そんなのが来ちまったらヤバいだろ?」
未だにビクついている竜児に、亜美は、双眸を半開きにして、口元をちょっと歪めた性悪そうな笑顔を向けてきた。
「まぁ、その時は運命だと思いましょ…」
「おい、おい…、俺たちには未来があるんじゃなかったのか? ここに、この別荘に来たのも、俺たちの未来を切り拓く
弁理士試験の勉強のためだろうが」
不安気な竜児を落ち着かせるつもりなのか、亜美は、竜児と向かい合い、その頬を優しく撫でた。
「大丈夫…、あたしを信じて。運命って言ったけど、この海で、あんたと結ばれることがあたしの運命。そして、あんたと
一つになることを、この海、子供の頃から慣れ親しんだ、あたしの大好きな海に祝福してもらうの…。その神聖な行為
は、何ものにも、人にも、海に棲む生き物たちにも邪魔させない…。だから、来て…」
艶然とした笑みを浮かべている亜美の双眸が、月光を受けて褐色の虹彩を際立たせた。きらりと光るその瞳に、
竜児は亜美の決意や強さを垣間見る思いだった。
「強いんだな…、亜美は…」
呟くような竜児の一言に、亜美は、ちょっと苦笑した。
「あは…、前にも言ったけど、亜美ちゃんは真っ黒で、歪んじゃった子。でも、その全てを受け止めてくれる人がいる
から、あたしは強くなれるのよ」
「全てを受け止めてくれる人って、俺のことなのか?」
内罰的で馬鹿正直な性格が恨めしい。言ったところで亜美の気分を害するのが関の山なのだろうに、それでも訊い
てしまう我が身が愚かしかった。
だが、亜美は、褐色の瞳を輝かせて、優しく微笑んでいる。
「そう言うと思ったわ…。でも、あんた以外に誰が居るっていうの? 今日だってそうよ。ママとの電話でヒスを起こした
あたしを諫めてくれて、炎天下、汗みどろになって穴を掘って、雷に打たれるかもしれなかったのに鍵を掘り出してくれ
た。そして、さっきあたしを受け入れてくれて、これからも、あたしを受け止めてくれる人…」
「でも、それは止むに止まれなかったからさ。お前も知っての通り、本当の俺はへたれで、臆病なんだ…」
「そんなことないよ…。誰だって炎天下にあんなきつい穴掘りはしたくない。でも、あんたはちゃんとやってのけた…。
誰だって、雷は怖い。でも、あんたはそれをものともせずに鍵を掘り当てた…。あんたはへたれでも、臆病者でもない…。
いざという時は、思い切って一歩前に踏み出せる、本当に強い子なんだわ…」
「そうなのか…?」
なおも懐疑的な竜児に艶然とした笑みを向けながら、亜美は竜児の手を引いた。
「もう、行きましょ…。今、こうして、一緒に夜の海に入ろうとしている…。それも、これも、あんたが居るからこそなのよ…」
竜児の手を引いて歩を進めていた亜美は、水位が膝頭に達したところで立ち止まった。
「ここで、いいかしらね…」
水深は子供の水遊び程度の深さだったが、夜間となれば、これ以上深みに嵌まるのは得策ではないと亜美も思った
のかも知れない。それでも、遠浅のせいで、波打ち際からはかなり離れ、穏やかな入江の中に、竜児と亜美だけが、
ぽつんと取り残されたような錯覚に襲われる。
「月の輝きがもの凄いな…」
二人の真上には、真夏の満月が、青白く輝いていた。その光は、水面を貫き、水底の竜児と亜美の足元まで明るく
照らし出していた。
穏やかな波が二人の脚を、ちゃぷ、ちゃぷ、と洗っている。その音と、浜辺に打ち寄せる波の音以外には、
何も聞こえなかった。
亜美は、他のものの気配を確かめるように、周囲をぐるりと見渡してから、天空に輝く満月に暫し見入っていた。
「この入江に存在しているのは、あんたとあたしだけ…。そのあたしたちを、この海と、空と、月が見守ってくれているん
だわ…」
「そうだな…。この空の下、この海に佇むのは、生まれたまんまの姿の俺たちだけだ…」
それでも不安そうに空を見上げている竜児に、亜美はそっと寄り添った。
「いよいよ、結ばれる時が来たわ…。この海と、空と、月に、あたしたちは永遠の愛を誓う…。その月と空に見守られな
がら、この海に抱かれて、あたしたちは一つになるのよ…」
竜児の胸板にその身を預け、亜美は囁くように訴えた。
「亜美…、お前…」
竜児に抱き付いてきた亜美の身体が微かに震えていた。
「ほんと言うとね、やっぱり、あたしも夜の海は怖いんだ。でも、何でだろう…、今夜が満月で、そのせいで大潮の夜
だって分かったら、どうしても、この海で、この月に見守られながら、あんたと一つになりたいって気持ちが抑えられなく
なっちゃった…」
竜児は、亜美の華奢な身体を抱き締めた。既に勃起している亜美の乳首が、竜児の胸板を突くように、その存在を
主張する。
「無茶しやがって…。だがよ、お前の気持ち、俺は受け止めるぜ」
「う、うん…、受け止めて、あたしの全てを…。そして、二人で、もっと、もっと強くなろう…。瀬川みたいな悪辣な上級生
とか、陰険な女子、キモいオタッキーな男子とか…」
亜美は、ためらうように一瞬俯いてから、再び言葉を紡いだ。
「あたしたちの結婚を快く思っていないママ、川嶋安奈とか、これから立ち向かう弁理士試験とか、そして、何よりも、
運命とかに翻弄されない強さを持ちたい…」
「ああ、俺も、お前と一緒に、もっと、もっと強くなりてぇ。もっと、もっと、強くなって、お前を守ってやりたい」
「竜児…」
青白い満月が眩く照らす中、穏やかな波に包まれての誓いのキス。
互いの舌が妖しく絡み合い、その官能に二人は暫し忘我となり、海中に佇んだまま、ひたすら互いを求め合った。
「あふぅ、も、もう、息が続かない…」
竜児との誓いの接吻を十分に堪能した亜美が、息を切しながら、上体を仰け反らせて竜児の口唇から自身のそれを
引き離した。
「相変わらず、お前とのキスは、ディープだぜ…」
竜児も、息を切らしながら、亜美の背中に回した手で、その背筋を上から下へと、優しく撫でてやった。
「うふ、そうね…。あんたのおちんちんも、さっきのキスで元気になったみたいだし…。あたしのあそこも、涎が垂れてき
ちゃってる…」
亜美は、自身の下腹部に突き当たっている竜児のペニスを、互いの下腹部でサンドイッチになるように圧迫し、更に
は、自身の秘所を竜児の太股に擦り付けて、そこが芳しい愛液で潤っていることをアピールした。
「お互いに準備完了ってことだな…」
その言葉に軽く頷いた亜美は、右手を竜児の左肩に乗せて自らの上体を支えると、左脚をゆっくりと持ち上げ、右足
一本で立った。更には、持ち上げた左脚の膝を折り、それを左手で胸元へと引き寄せた。
月光の下、愛液で濡れそぼった茂みが露わになり、ぱっくりと開いているであろう陰裂から、甘美な雫が、ぽつぽつ
と滴っている。
「お、お願い…、このまま入れて。竜児のおちんちんで、亜美ちゃんを貫いて。この空に、あの月に、そして、この海に、
亜美ちゃんがあんたの女であることを、知らしめてよ」
「お、おぅ…。じゃぁ、いくぜ…」
竜児は、軽く膝を曲げ、怒張した肉塊に右手を添えて亜美の陰裂にあてがった。亀頭の先端に、ぬるりとした暖かさ
が伝わってくる。
そのまま右手を使ってペニスの先で亜美の陰裂をまさぐる。既に、目隠しでもどこに何があるかを熟知している竜児
のペニスは、息遣いをするように愛液を分泌し続けている膣口を、惑うことなく探り当てた。
「そ、そこよ…、き、来て…、は、早くぅ」
焦らされたと思い込んでいる亜美が、腰を振っておねだりしている。竜児は、その腰の動きも利用しながら、亜美の
秘所へ極太ペニスを、ずぶずぶと送り込んだ。
「あうっ、は、入ってくるよぉ〜」
「う、こ、この姿勢…、けっこう効くな…」
立ったままの挿入は竜児も亜美も初めてだった。それだけに、慣れない部位を刺激されているのか、今までにない、
痛みとも快楽とも知れない感覚に襲われた。
「ひ、左脚だけしか持ち上げていないから、あ、亜美ちゃんのあそこも十分に開かないんだわ。だから、きつ、きつ…」
竜児の肩に掛けた右手に力がこもり、亜美は眉をひそめて苦悶している。
「お、俺は何とかなるが、お前は、い、痛いのか?」
亜美は眉をひそめて瞑目したまま、かぶりを振った。
「だ、大丈夫…。ちょ、ちょっときついけど、それが却って、き、気持ちいい…。で、でも、未だ、あんたのおちんちんが
半分くらいしか入ってないわ…」
それに対する焦りなのか、亜美は、片足で立ったまま腰を竜児の股間に擦り付けるように揺らしてきた。その弾みで、
竜児の極太ペニスが、完全に開ききっていない亜美の肉襞を押し退けて、一センチほど、ずるり、と奥へと入り込んだ。
「あぅ…、き、気持ちいい…」
挿入された竜児のペニスがGスポットか何かにツボったのか、亜美は妖艶に呻きながら、片足立ちしたまま背筋を
硬直させて仰け反った。
「お、おいっ! 不安定な体勢で無理すんな! ひ、ひっくり返るぞ」
竜児の警告で、亜美は一瞬はっとしたが、時既に遅し。亜美は、「あ、あ、あ、あ〜〜〜〜〜っ!!」という悲鳴ととも
に、背中から海面へ、竜児を巻き添えにして転倒した。
『う、うぐぅ…、ごぼ、ごぼ、ごぼ…』
水位は膝頭までだったが、ひっくり返れば、竜児も亜美も、完全に頭まで水没する深さである。
二人は、一つになったまま、数秒間ほど、水中で転げ、もがきまくった。
「う、うぇええええ〜〜〜〜っ!!」
ようやくのことで、起き上がり、ひとしきり、ごほごほ、と咳き込んだ後、竜児と亜美は、はぁ、はぁ、と息を荒げて酸素を貪った。
「し、死ぬかと思ったぜ…。お前の方は大丈夫か? 海水を飲んだりしてねぇか?」
亜美は荒い息のまま、かぶりを振った。
「だ、大丈夫。水は飲んでないわ…。でも、ちょ、調子に乗って、この有様…。あたしが悪かったわね。でも…」
亜美は、ちょっと口ごもって、目の前の竜児の顔を見詰め、それから自らの下腹部に目を遣った。
「お、奥まで、入っちゃってる…」
水中で亜美は、蛙のように脚を開いて尻餅をついていて、上半身は、後ろ手にした両手で支えていた。その亜美に
竜児が被さり、竜児の極太ペニスは亜美の膣の奥深くまで貫通していた。
「う…、す、済まねぇ。倒れたショックで、ぶっすり、入っちまったらしい…」
濡れてはいたが、かなり勢いよく突っ込んだことから、竜児の亀頭が亜美の膣の中で疼いていた。
「で、お前は、痛くねぇか? 今までにないくらい、無茶な突っ込み方だったからな…」
心配そうな竜児に、亜美は、双眸を半開きにした、性悪笑顔を向けてきた。
「ばか…、そんなこと一々気にしないの! 何度も言わせないでよ。亜美ちゃんのあそこは、頑丈に出来ているの。
ちょっとやそっとじゃ、壊れたりしない…。それに、亜美ちゃんのは、もう竜児専用のオートクチュールなんだからね。
あんたのおちんちんが、すっぽり納まるようになっちゃってるのよ」
「お、おぅ…。そ、そうなのか?」
「あったり前でしょう? 亜美ちゃんの大事なところは、竜児のおちんちんで、ずん、ずん、突かれて、あんた専用に
変形しちゃったんだからさぁ。責任取りなさいよ!」
「責任…ね」
脱力したような竜児のコメントが、お気に召さなかったのか、亜美は、柳眉を心持ちひそめて、ぐいっ! と腰を突き
出してきた。
「ほら、あんたもぼやっとしてないで、腰を動かしなさいよっ! 亜美ちゃんは、もう、あんたのおちんちんじゃないとダメ
なんだからね!!」
先ほどまでの、神秘的で厳かなムードはどこへやら。結局は、いつもの竜児と亜美に戻っていた。
竜児は、ほっとしたように苦笑した。そうとも、これが普段着の俺たちなんだ、と。
「はい、はい…、仰せに従いますよ。若奥様」
竜児には稀な揶揄に、亜美はちょっとムッとしたようだったが、すぐに、ニヤリとした性悪笑顔を取り戻した。どうやら、
『お嬢様』と呼ばなかったことは正解だったらしい。
その亜美の膣に、極太ペニスを叩き込むように更に奥へと挿入し、腰を『の』の字を描くように擦り付ける。
「う…。そ、その腰の動き、や、やっぱ、いい…」
「お、俺も、お前の中が、い、いつも以上に気持ちいいぜ…」
下半身が水中にある状態でのセックスだからなのだろうか。ピストン運動をする度に、二人の身体の周囲にまとわり
つく水の抵抗が、普段とは違う感覚をもたらしていた。
「ね、ねぇ、なんか、あ、あんたに突かれる度に、亜美ちゃんのお腹にも水圧がかかって、お臍の辺りが、ぎゅーって
押されるのぉ」
「お、俺もだ…。だが、水の抵抗が大きくて、えらくしんどい…。この状態じゃ、いく前に、俺たちの方がバテちまう…」
竜児は、ピストン運動を中断し、膣に挿入したまま、腰をぐりぐりとグラインドさせた。
「うっ! ずんずん突かれるのもいいけど…、そうやって、ぐりぐりされると、竜児のもじゃもじゃが、亜美ちゃんのお豆を
ざらざら擦っているよぉ〜」
「そうか…。ついでに、これだ」
竜児は亜美の背中に右手を回して彼女の上半身を支えると、つんと持ち上がっている左の乳首を強く啜った。
「あうっ! そ、そんなに強く吸ったら、き、気持ちよすぎて、あ、亜美ちゃん、お、おかしくなっちゃうよぉ!!」
支援
亜美は、首を仰け反らせて襲い来る快楽に耐えたが、後ろ手に突いている両腕が震え、今にも海中に背中から倒れ
込みそうになった。
「危ねぇ!」
竜児は、左手でも亜美の上半身を支え、亜美の身体を持ち上げた。
「亜美、両脚を俺の腰に絡ませて、両腕で俺の首筋に、しっかりとつかまってくれ」
「う、うん…」
快楽にあてられて陶然とした面持ちで、亜美は頷いた。
それを見届けた竜児は、「いくぞ…」と亜美の耳元で囁き、やおら立ち上がった。
「あ、ああああああっ〜〜!! 亜美ちゃんの身体がぁ、りゅ、竜児のおちんちんで刺されたまま、だ、抱っこされてい
るよぉ!!」
「す、済まねぇ…。痛いか?」
亜美は、涙で面相をぐしゃぐしゃにしながら、引き攣ったような笑みを竜児に向けた。
「い、痛くなんかない、痛くなんかないよぉ〜。き、気持ちいいけど、な、なんか、すごい感じ。亜美ちゃんのあそこが、
ぐにゅーって広がって、ぶ、ぶるぶるしてるよぉ!」
「そ、そうか…。痛くないなら、こ、このままで、浅瀬まで歩くぞ。済まねぇが、ちょ、ちょっとの間、辛抱してくれ」
『浅瀬』というのが不満なのか、亜美が、いやいやをするように、首を左右に振ってむずかった。
「や〜ん、亜美ちゃん、海の中でアクメしたいよぉ。海にいる時に、竜児の精液を亜美ちゃんの中に出してよぉ〜」
「き、気持ちは分かるけどよ…」
亜美は、大潮の夜に海に棲む生き物は産卵する、と言っていた。その映像は、竜児もテレビの科学番組で見た記憶
がある。魚類の産卵と受精だったが、雄と雌が身体を擦り付けあって、雌は産卵し、雄は、生み出されたばかりの卵に
白い精子を振りまいていた。
亜美は、そんな海棲生物にも似た行為を、この大潮の海で、執り行いたかったのだろう。
「あの深さじゃ、いっちまって気絶した時に、溺れる心配があるからな。だから、波打ち際近くまで戻るんだ」
竜児は、ちょっと不満そうな亜美を、立位で抱きかかえたまま、岸へと一歩踏み出した。
「あううっ…、お、お願い、ゆ、ゆっくり行ってぇ〜」
亜美が、柳眉をひそめ瞑目した、苦悶とも陶然とも判じがたい表情で竜児にしがみついてきた。歩行のショックで、
竜児のペニスが奥深くを突いてしまったらしい。
「お、俺も、き、きついぜ…」
亜美の身体は決して重くはなかったが、その荷重のいくばくかが竜児のペニスに集中していた。ゆっくりと歩を進め
るだけでも、勃起したペニスを折り曲げ、強く締め付けようとする力が働き、それが竜児にも苦痛と紙一重とでも表現す
べき強烈な快感をもたらしていた。
二人は、竜児が歩を進める度に襲い来る、内臓を直撃するような激しいショックに、悶絶しながらも耐え、のろのろと
時間を掛けて、ようやく波打ち際の手前までたどり着いた。
「も、もう、ダメだ…」
亜美の重さよりも、苦痛寸前の激しい快楽に眩暈がしていた。
「あ、あああっ、あたしもぉ〜」
亜美も、苦しい息の下、最後の力を振り絞るかのように、竜児の首筋に抱き付き、脚をより強く竜児の腰に絡めて、
秘所を竜児の股間に擦り付けている。
「と、とにかく…。このまましゃがむぞ…」
竜児は、しがみ付いている亜美にできるだけ鋭いショックがいかないように留意しながら、そろそろと膝を曲げて、
腰を下ろしていった。
亜美を抱えているため、その重さで膝が今にも笑い出しそうだった。竜児は、『強くなりてぇ、強くなって、俺はこいつ
を守ってやりてぇ』と、心の裡で唱えながら、辛うじて、亜美を腰の上に乗せたまま、波打ち際の少し手前に腰を下ろした。
「あぅ…。な、波が…」
波が引いた時の水位は、脚でいえば、くるぶしのちょっと上あたりといったところだろう。波が寄せてくると、竜児の
腰に乗った亜美の下腹部までが洗われた。
「ここなら、ひっくり返っても溺れる心配は少ないだろう…。それに、一応は海の中だよ」
歩行による激しい突き上げがなくなったことでほっとしたのか、逆になくなったことが物足りないのか、亜美はちょっと
ため息を吐いていた。
「う、うん…、こ、ここでもいいよ…。でも、こ、ここに来るまで、竜児のおちんちんが、亜美ちゃんの中で暴れて、も、もう、
大変…」
「も、もう、いきそうか?」
亜美は、頬を緩めて瞑目したまま、微かに頷いた。
「りゅ、竜児にも分かるでしょ? あ、亜美ちゃんの大事なところが、熱を持って、ぱんぱんに腫れたみたいになっ
ちゃってる…」
「お、おぅ…、な、なんか、襞とか疣みたいなのが、にゅるにゅる蠢いて締め付けてきやがる。こ、このままだと、で、
出ちまうな…」
「だ、だったら、フィニッシュよ…。あたしを突いて、突きまくってちょうだい。今も亜美ちゃんのお腹の中に入っている、
あんたの極太おちんちんで、亜美ちゃんを滅茶苦茶にして…」
言うなり、亜美は、背中から倒れ込むようにして横たわり、肘を突っ張って上体を支えた。白い泡を伴った穏やかな
波が、横になっている彼女の顎の下すれすれを洗っていく。
「あ、亜美! 無茶だ、もっと顔を上げろ! お、溺れちまうぞぉ!!」
だが、亜美は、寄せ来る波で面相が海水で覆われると瞑目して耐え、波が引くと、頑是ない笑顔を竜児に向けた。
「大丈夫よ、あたし、水泳は得意だから、この程度のことは平気…。あんたは、あたしに気にせず、こうして寝ている
あたしを突いて、突いて、突きまくってちょうだい。あたしとあんたのこのセックス。この海に抱かれて成就させたいの。
だから、お願いよ…」
そう言い終えた亜美の顔を、再び海水が洗った。
『本当に、強い奴だな…』
もう、亜美の願うようにしてやるしかない。それが、竜児にとって精一杯だった。
竜児は、亜美の両脚を両手で支えると、挿入しているペニスを更に奥深くまで押し込み、腰を擦り付けるように
グラインドさせた。それから、ペニスを引き抜く寸前まで腰を引き、次いで、その怒張したペニスを、勢いよく亜美の
膣へと叩き込んだ。
亀頭の先端が、膣壁の途中にあるGスポットらしき器官を捉え、更には蛸の吸盤のような子宮口をかすめて、亜美の
膣を、大きく、ゴムのように伸ばし、変形させる。
「あ、あうううううううううっ〜〜〜〜っ!!」
その瞬間、夜のしじまを、亜美の絶叫がつんざいた。竜児は、絶叫する亜美を、波間から慌てて抱きかかえ、彼女が
海水を飲み込むのを辛うじて避けた。
「う、こ、こっちも、き、きつい…」
竜児のペニスを飲み込んでいる亜美の膣が、尋常でない強さで収縮してきた。襞という襞、それに疣のような突起が、
ぬるぬると竜児のペニスをしごくように蠕動し、竜児の精を貪欲に貪り尽くそうとしている。
「う…、で、出るぞ!」
呟きとも、亜美へ向けたものとも判然としない呻きとともに、竜児は熱く濃密な精を、亜美の膣、その奥深くにある
胎内めがけて放出していた。
朝日が差し込むリビングのソファーで、竜児とシーツに包まった亜美は目を覚ました。
置時計で時刻を確認すると、午前七時近くだった。寝坊というほどではないが、六時には起きるつもりだったから、
今日も初っ端から予定が狂い出している。
「それにしても、だる~い…」
昨夜は、浜辺でアクメに達したことまでは憶えているのだが、それから先の記憶が曖昧だった。
竜児に抱えられて、別荘に戻ったこと、リビングで抱き合ったことまでは、うっすらと思い出せるのだが、そこから先の
記憶が、ものの見事に欠落している。
「竜児は…、未だ、眠ってんだぁ…」
亜美の右隣には、亜美と同じようにシーツに包まった竜児が、すやすやと寝息を立てていた。
第三者からあらぬ誤解を受けることがある三白眼は、二重の瞼で閉ざされており、そのおかげで、整った鼻筋と、
端麗ながら引き締まった面相が強調されていた。
「こうして見ると、結構、男前なのよね…」
竜児の魅力が一般に理解されにくいのは、亜美にとって有難いことかも知れない。高校時代のように、手ごわい恋敵
に出現されても困るからだ。
「何の夢を見ているのかしらね…」
亜美は、竜児も起こそうかと思ったが、やめておいた。頑是ない風情で眠っている竜児を起こすのは酷だと思ったし、
何よりも、その寝顔が可愛らしかった。
「いつまでも、こうして寝顔を眺めていたいけど、そうも、いかないわね…」
亜美は竜児を起こさないように、そっとシーツから抜け出した。
全裸でリビングに立ち、身体の凝りをほぐすつもりで、大きく伸びをした。
「う~ん、やっぱ、昨夜は張り切りすぎたみたい…」
激しい行為による筋肉痛もあったが、何よりも、脳髄を麻痺させるような強烈な快感が、いく度もいく度も入力され
続けたことで、身体中の神経系統が、過負荷になっているような感じだった。
「許容範囲を超えた強烈な信号が入力された、ってところかしらね…」
それに、亜美の陰部が微かに疼いていた。
亜美は、竜児の傍らにそっと腰掛けて、秘所を人差し指でまさぐった。クリトリスから始まって、小陰唇を尿道口、膣口
へとなぞっていく。そして、昨夜の情事の余韻が残る膣に指を入れた。
「ちょっと、痛いかも…」
もう濡れていないせいもあったが、膣壁が腫れて熱をもっていた。それでも、親指でクリトリスを押すように揉むと、
愛液がじくじくと滴り、痛みが和らいでくる。
「や、やっぱ、あたしって、エッチな子なんだなぁ…」
このままだとオナニーを始めてしまいそうだったから、亜美は、膣から人差し指を引き抜いた。
指先は分泌したばかりの愛液で濡れていたが、血は付いてこなかった。臭いを嗅いでみたが、血が混じっている
ような感じはしない。
「亜美ちゃんのあそこは、淫乱だけど、やっぱ頑丈なのね…」
セックスで尻込みしている竜児を叱咤する時に、半ば強がって言う台詞だったが、実際にそうであるようだ。これなら、
今夜も、竜児さえよければ、楽しい夜になるかも知れない。
「それはいいとしても、髪や肌がごわごわ…」
昨夜は海中でセックスしたまま、シャワーも浴びないで寝てしまったらしい。髪や肌には砂が付着していたし、
髪の一部には、塩が白く吹き出ていた。
亜美は、指先の愛液をシーツで拭うと、未だ、リビングに置きっぱなしのキャリーバッグから替えの下着と、
タンクトップ、それに昨日、ワンピースの下に穿いていたホットパンツを取り出した。
それらの着替えを持って、二階の浴室へ上がる。全裸の亜美が階段を一歩上がるごとに、美乳がぶるぶると震え、
形よく張り出した臀部がぷりぷりと揺れるが、ここには亜美と竜児しか居らず、その竜児は目下、白河夜船だから、
お構いなしである。
まずは、温水だけで頭頂部から爪先まで軽く洗った。海水だか、汗だか、愛液だか、精液だかのぬるぬるは完全に
は取れないが、ちょっとだけさっぱりする。
「う~ん、ちょっと引き締まったかな?」
浴室の鏡に自分の姿を映し出し、アンダーバストから下腹部にかけて、掌でそっとなぞってみた。元々、スレンダー
な体つきだが、昨夜の激しい行為で、更に体脂肪が落ちたような気がする。
「こりゃ、シェイプアップには一番効くかも…。しかも、滅茶苦茶気持ちよかったし」
だが、滅茶苦茶に苦しかったのも確かだった。もし、毎日、昨夜のような調子でセックスを続けたら、竜児も亜美も、
身が持たないだろう。
「バカ言ってないで、さっさと洗おう…」
もう、あんなに激しいセックスは、そうは出来ないだろう。苦労して鍵を掘り当て、別荘での初めての二人きりの夜、
そして満月と大潮…。こうした非日常的なことが連続して起こったからこそ、昨夜は、あんなにも激しく求め合ったのだ。
亜美は、そんなことを思いながら、ボディシャンプーで、情事の余韻を完全に洗い流し、シャンプーで長い髪を入念
に洗った。
「髪、もうちょっと伸ばしてみようかなぁ…」
今は腰の上辺りまでだが、腰の下辺りまで伸ばしたくなった。根拠はないが、その方が竜児は喜んでくれそうな気が
したからだ。
その長い髪をリンスで濯ぎ、亜美は入浴を終えた。
脱衣所で身体と髪の水分を丁寧に拭う。そして、愛用しているトワレをちょっと付けて、洗濯済みの下着とタンクトップ
それにホットパンツを身に着けた。
手にしたタオルで髪を拭きながら階下に行くと、リビングでは竜児が、シーツで陰部を隠しただけの姿で、だるそうに
欠伸していた。
「あら、ようやくお目覚めね」
亜美は、内心、してやったり、とほくそ笑んだ。今日は、寝坊をネタに、竜児をちくちくといたぶってあげられる。
「な、なんだぁ? もう、風呂入っていたのか?」
ぼさぼさの髪に、寝不足丸出しの充血した眼を半開きにして、竜児はソファーにへたり込んでいた。
「そうよぉ、まぁ、昨夜はあんたと、あんたのおちんちんは、だいぶご活躍だったしぃ~、お疲れでしょうね」
照れなのか、海水に浸ったことで痒いのか、竜児は、ぼりぼりと頭を掻いた。
「まぁ…、昨夜は確かにものすごかったな…。あんなすげぇのは、今後、そうは出来ねぇだろう。それよか、お前、最後
にいった時、危うく溺れるところだったんだぞ。間一髪、水の中からお前を引きずり出して、何とかなったけど、全く、
無茶しやがって…」
それについて亜美の記憶は曖昧だが、アクメで意識が朦朧としている時に、竜児の逞しい腕と胸に抱かれたこと
だけは、自身の身体に感触としてしっかり残っていた。
「無茶した点は、済まなかったと思うわ。でも、あたしが無茶するのは、あんたという頼れる存在が傍に居るからよ。
あんたが居れば、何にだって立ち向かっていける。あたしはそう信じているから…」
「お、おぅ…」
意外にもしおらしい亜美の態度に毒気を抜かれたのか、竜児が目を丸くして言葉を詰まらせている。未だに、竜児
の中には、『亜美=性悪』という公式が不動のようだ。この公式は、いずれ正す必要があるだろう。
「ほらぁ、きょとんとしてないで、さっさとシャワーでも浴びてきなさいよ。そのままだと、海水で肌が傷むわよ」
そう言いながら、昨日のうちに洗っておいた竜児の下着とTシャツとジーンズを手渡した。
「す、済まねぇな…」
竜児は、ソファーに敷いていたシーツで前を隠して、浴室に行こうとした。
「ぷっ! 今更、何を恥ずかしがっているんだか…。あんたの裸なんて、飽きるほど見ちゃって、あんたの背中のほくろ
の位置まで分かってるんだから…」
「お前なぁ、恥じらいってのは大事だぞ…」
竜児は、そこまで言い掛けたが、不意に苦笑した。
「何よ、その笑いは!」
竜児が苦笑している理由は亜美にも分かっていた。亜美にとっては少々業腹だが、竜児の前で恥じらいがないのは、
今に始まったことではないから、つける薬はない、ぐらいに思っているのだろう。
それを揶揄するつもりなのか、竜児は、ちょっとはにかみながら、
「別に…。若奥様には逆らわねぇ方が得策だと思ってさ…」
と、呟くように小声で言った。
昨夜も聞いた陳腐な文言だが、悪くない。亜美も、竜児につられるようにして、にやりと笑った。
「じゃぁ、旦那であるあんたは、さっさとシャワー浴びてきなさいよ。そうしないと、今日一日、何も始りゃしないでしょ」
別荘での合宿、というか同棲二日目。初日がトラブル続きだったから、やるべきことは山ほどあった。それを二人で
手分けして片付けなければならない。
「さてと、あいつがお風呂に入っている間に、朝ご飯の支度でもするか…」
そうは言っても、パスタを茹でて、湯煎にしたパスタソースを絡めるだけだ。それと、昨日はソーセージを買ってきた
から、それも用意することにした。
コンロは三口あったから、ソーセージも湯煎にしようかと思ったが、趣向を変えてオーブンで炙ることにした。こうした
方が余分な脂肪が抜けるし、味わいが濃くなる。それに、マスタードを買うのを忘れていた。マスタードなしでも美味し
く食べるには、水っぽくなる湯煎よりも、炙った方がいい。
「ああ、さっぱりした…」
濡れた髪をタオルで拭きながら、竜児がキッチンに入ってきた。
その竜児の顔を一瞥して、亜美が辛辣に宣った。
「あたしもだけど、あんた目が充血してるわよ。日中、外に出るときは、絶対にサングラスを忘れないでね」
小姑みたいな口調だな、と思ったが、他ならぬ竜児に感化されたらしいことを思い出し、亜美は可笑しくなった。
波長が合っているから、こうした些細なところまで似てしまうのだろう。
「何か、にやにやして気持ち悪いな…。また、俺をいたぶるネタでも考えていたのか?」
「ばーか、あんた、内罰的な上に、被害妄想が過ぎるわよ。そんな面倒くさいこと、考えてねぇって。そんなことよりも、
ご飯にしましょ。食べたら、その後、やることがあるし…」
食事は、量自体も少なかったから、あっという間に完食である。食器を洗った後、本来なら食後のお茶を堪能した
かったが、あいにく、お茶っ葉もコーヒー豆も何もなかった。
「う〜ん、大失敗。昨日、インターネットで買い物する時、お茶やコーヒーも買っておけばよかった…」
水道の水を一口飲んで、亜美はため息をついていた。
「まぁ、そう言うな、どのみち、生鮮食料品を買いに行かなきゃならねぇんだ。お茶とかコーヒーとかもその時に買って
くるよ。それに、この水だが、本当に水道水なのか? ミネラルウォーターみたいに美味しいぞ」
確かに、都会の水道水のようにカルキ臭くない。透き通った水本来の旨さが感じられた。
「あ、そうそう…、思い出した。ここの地区の水道は、湧水を引いているのよ。それも、日本名水百選クラスの…。厚い
地層で何十年もかけて濾過されたから、細菌もなくて消毒の必要性がない。ミネラル分も適度に含まれてるから、美味
しいのよね」
亜美の説明を聞いて、竜児が目を輝かせている。
「そいつぁいい! きっと、お茶やコーヒーが一味違うぞ。取り敢えず、駅前のスーパーで紅茶の葉とコーヒー豆は買っ
てくるが、これならいつも俺たちが大橋で飲んでいるセイロン島の高地で栽培されている特別な紅茶を飲んでみたくな
るな」
「あの紅茶ね? 人工的な香料を使っていないのに、頭がすっきりする香りが特徴的な…」
「お、おぅ、あのお茶は東京の紅茶専門店やその大橋の支店で買っているんだが、多分、インターネットでの通販も
やっているだろう。あとでサイトを検索して、もし通販をやっているようなら、即オーダーするぜ」
もうすっかりインターネットでの通販に抵抗感がなくなったらしい竜児を、亜美は微笑ましい思いで見詰めた。一見、
頑固そうだけど、より合理的なものがあれば、旧来のものや方法には固執せずに改める。そうした合理性や柔軟性が、
竜児の個性であり、強さなのだろう。
「さてと…、食器を洗っちまったし、俺は、ちょっと買出しに行ってくるよ」
「あたしも行くから…」
すかさず亜美も反応したが、竜児は首を左右に振って苦笑している。
「いや、お前は昨日買出しに行ってくれたから、今度は俺一人で行ってくるよ。それに、もう太陽がかなり高く昇って
いる。肌の弱いお前が、炎天下を長時間歩くのは、ちょっと賛成できねぇ」
「で、でも、それじゃぁ、あたし、何にもしないでこの別荘に居るだけじゃないのぉ!」
亜美のコメントに竜児は一瞬眉を軽くひそめたが、気持ちを入れ替えるように、ちょっと嘆息して、淡い笑顔を取り戻
した。
「なら、こうしようぜ。俺は食料の買出しに行く。お前は、この別荘に残って、昨日汚したシーツやら衣服やらの洗濯と、
室内の清掃、それに、昨日のうちにやっておきたかったマットレスの虫干しをやる…。どうだ、これなら公平だろ?」
「う、うん…」
それならば亜美も、自身が定めたルールに照らして納得できる。
勤勉な竜児の伴侶であるには、自らも勤勉でなければならない。それが、竜児と一緒になると決めた亜美にとっての
ルールだった。
「異存がなさそうなようだから、俺はこのまま出発するよ。歩いていくから結構時間はかかると思うけど、昼飯には間に
合わせるつもりだ」
お手製のエコバッグに財布と携帯電話機を放り込み、サングラスを掛けた竜児は、そのまま玄関に向かおうとしていた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 昨日も注意したけど、日焼け止めを忘れないで」
「お、おぅ、そ、そうなのか…」
亜美の鋭い一声に、竜児はばつが悪そうに硬直した。その竜児の肌に亜美は二酸化チタンが配合された日焼け止
めを、「まったくもう…」と舌打ちしながら塗っていく。
「はい、これでオッケイ。これでしばらくはもつわ。でも、帽子なしってのは、まずいわね。あたしの日傘でも使う?」
それには竜児は笑いながら首を左右に振った。
「男で日傘を差している奴は居ないからな…。申し出はありがてぇが、そいつはちょっと勘弁してくれ」
「でもねぇ…」
なおも難色を示す亜美に竜児は、微かな笑みを向けている。
「なぁに、駅前にいく途中にコンビニがあったろ? 昨日お前が買い物をした…。あそこなら麦藁帽子とかも売っている
じゃねぇかな? そいつを買うつもりだから、心配は無用だ」
そう言い放って玄関から出て行く竜児を亜美は、ため息ついて苦笑しながら見送った。べったり依存し合わない、
傍目にはちょっとドライに見えるくらいの方が、二人にはふさわしいのだ。
「さてと…、とにかく汚れ物を洗わないと…」
亜美は、昨夜の情事で汚してしまった服やシーツ、タオル等をかき集めると、二階の脱衣所に持って行った。更に、
二人が今夜から使うことになる寝室から、寝具やカーテン等の洗えるものは全て外して、これらも脱衣所に持って行く。
「衣服とは別々に洗った方がよさそうね…」
特に寝室に吊りっぱなしだったカーテンは、カビやらダニやらで、ちょっと鼻を近づけただけで、くしゃみが出そうな
感じがした。
まずは、カーテンとかを洗濯機に放り込んで洗い始める。それを横目で見ながら、自身のワンピースや下着を手洗
いした。
「こんな風に洗濯するなんて、思いも寄らなかったなぁ…」
もし、竜児と出会わなかったら、今も、美貌を鼻にかけた鼻持ちならない嫌な女だったことだろう。上げ膳据え膳が
当然と思っていて、常に誰かの世話になっているような、どうしようもない女のままだったかも知れない。
「でも、あたしは変わったんだ…。そして、これからも変わっていくんだわ」
そんなことを呟きながら、亜美は、手洗いした衣服をハンガーに掛けて形を整える。こうした細々とした作業も、竜児
の振る舞いから見よう見まねで会得した。
「さてと、これは、ウッドデッキの軒下に陰干しした方がいいわね」
黒いワンピースを直射日光に晒して干すと、たちまち色が褪せてしまう。
そのワンピースを手に、玄関へ向かおうとした時、インターホンが鳴った。
竜児でないことは明白だった。竜児であれば、インターホンなど使わずに、亜美を呼ばわるか、勝手にドアを開けて
入ってくるからだ。それに、駅前のスーパーまで往復するのであれば、まだまだ時間が掛かるはずである。
「誰だろう…」
亜美は、手にしていた洗濯物を一旦籠に戻すと、足音を立てないようにして階下に向かった。
川嶋安奈が亜美を連れ戻すために、彼女のマネージャーか、事務所のスタッフを差し向けたのかも知れないし、
よもやとは思うが、川嶋安奈本人が、やって来た可能性だって否定できない。
「まさかね…」
竜児と入れ替わるように誰かが来たというのが気になる。もし、亜美をこの場から連れ去るのであれば、竜児が出掛
けるのを確認してから行動を起こすのが好都合であるからだ。
そんな不安な気持ちのまま、亜美はドキドキしながらキッチンのモニターで、玄関に佇む誰かを観察した。
白黒のモニターには、フィールドキャップを目深にかぶった三十過ぎらしい男性の姿があった。顔を隠すように帽子
を深くかぶっているのが怪しかった。
その人物が、もう一度、インターホンのボタンを押した。『ピンポーン!』という甲高い音に、亜美は思わず「ひっ!」と
短い悲鳴を上げて、首をすくめた。インターホンのよく響く無機的な音には、それへの応答を強いるような威圧がある。
その威圧に屈した亜美は、反射的に応答ボタンを押してしまっていた。
「は、はい、どちらさんでしょうか?」
失態だと思ったが、どう仕様もない。それに、玄関には鍵を掛けてなかったから、相手にその気があれば踏み込まれ
てしまう。
亜美は、そんなことを思いながら、緊張して相手の反応を待った。心臓がドキドキして、こめかみの辺りでも動脈が
疼くようにずきずきする。
だが、インターホンの相手は、間延びした害のない口調で、事務的なことを言ってきた。
「ちわーっ、宅配便でぇ~す。川嶋亜美様に川嶋安奈様からのお荷物が届いていま~す」
「ママから?!」
一瞬、受け取りを拒否しようかと思ったが、何を送ってきたのかが気になるという興味が、川嶋安奈への嫌悪感を
押さえ、亜美は玄関のドアを開けていた。
「はい、荷物はこちらです。ここに印鑑かサインをお願いします」
ちょっと戸惑っている亜美に、配達員は書面を差し出した。印鑑はキャリーバッグの奥の方にあり、咄嗟に取り出せ
ないから、配達員からボールペンを借り、それでサインした。
「しかし、何、この大きな箱は…」
配達員が引き上げた後には、一抱えもあるくせに大して重くない段ボール箱が残された。箱には荷受人である亜美
と荷送人である川嶋安奈の名前の他に『花卉類』と記載された伝票が貼られていた。
「花卉って、花か何かかしらね…」
そう重くないことから大したものは入っていないと勝手に判断し、亜美はキッチンから万能鋏を取り出して、段ボール
箱を封じている透明で接着力の強そうなテープを切り開いていった。テープは想像以上にしっかりと段ボールに固着
していて、なかなか鋏が進まない。それが亜美を苛立たせる。
「花か何だか知らないけど、こんな物を今更送ってくるなんて、どういう了見かしら」
そんな悪態を吐きながら、亜美は漸くテープを切り終え、箱を開けてみた。どうせ、バラの花か何かだろう。それも、
赤だか白だか黄色だかの陳腐な色合いのもの。成り上がりセレブに過ぎない川嶋安奈の趣味はその程度だろう、と高
を括った。
「何よ、これ…」
箱の中身は確かにバラの花だった。しかし、亜美の意に反して、そのバラの花は薄い青紫色をした希少価値のある
青バラである。それが、一抱えもある段ボール箱の中にぎっしりと詰まっていた。
そして、バラの花束の挟間には、『娘へ』とだけ記された白い封筒が収められていた。
震える手でその封筒を開封し、封入されていた便箋を取り出した。そして、気持を落ち着かせるために、一回だけ
深呼吸してから読み始めた。
『亜美へ
あなたが、この手紙を読んでいるということは、庭先に深く埋まっていた鍵を掘り起こしたということね。
道具もなしに、よくやったと思います。鍵を掘り出したのは高須くんなのかしらね。だとしたら、あなたが愛している
高須竜児くんのことを、“ひ弱な優等生”と罵ったことは謝罪し、撤回しましょう。
そのお詫びのしるしというわけではないけれど、バラの花束を贈ります。希少価値、ってこんな言い方は嫌味かしら
ね。でも、未だに珍しい青バラの花束です。それも、最近になって作出された、今までのものよりも青味が美しい新品
種だとのことです(ママは無学なのでわかりませんが…)。
花言葉は、“夢かなう”だそうです。あなたや高須くんが何を夢見ているのかママには分かりませんが、夢を抱くので
あれば、その夢をかなえるように全力で努力なさい。
そして、何があっても、あなたは高須くんを裏切らないこと。たとえ、高須くんがあなたを裏切ったと思うような時でも、
彼を信じてあげなさい。
ママが言いたかったことは以上です。あなたたちのことを許したわけではないけれど、あなたたちの行動力や意気込
みは認めます。後は、あなたたちが努力し、夢をかなえてください。
あなたの母より』
「ママ…」
読み終えた亜美は、毒気を抜かれて呆然とし、へなへなとその場にへたり込んだ。
涙が滴ってきて、それが便箋に記されていた青インクの文字を滲ませた。
「参ったわ…。こんな手紙貰ったら、憎み切れないじゃない…」
結局、亜美も竜児も、川嶋安奈の掌の中で暴れていた哀れな孫悟空のようなものだったのだ。
亜美の側から川嶋安奈を敵視し、憎悪しても、それは母親である川嶋安奈にとって想定の範囲内だったらしい。
いがみ合っても、確執があっても、所詮、亜美と川嶋安奈は実の親子なのだ。安奈にしてみれば手に負えない
親不孝娘であっても、その行く末を案じずにはいられないのだろう。
「ママ、あんた…、立派な母親だったわ。あたしも、母親失格と詰ったことは謝罪して、撤回する…」
亜美は、涙を拭いて立ち上がった。しなければならないことがあった。一つはバラの花束を花瓶に生けること。後は、
やりかけだった洗濯と掃除、マットレスの天日干しをすること等だった。
それらを一つ一つやり遂げた亜美は、キャリーバッグからMacBookを取り出して起動させ、インターネットに接続で
きることを確認した。
「これでよし…。後は竜児が帰ってくるのを待つだけだわ」
亜美はMacBookの画面にあるデジタル時計で時刻を確認した。そろそろ十一時になろうとしている。昼食に間に
合わせると言った竜児が戻ってくる頃合いだった。
アスファルトからの照り返しがきつい中、竜児は、ぱんぱんに膨れたエコバッグを抱えて、別荘へ急いでいた。駅前
のスーパーの品揃えは高が知れていると侮っていたのは、誤謬だったらしい。午前中だというのが幸いしたのか、
近隣の漁港で水揚げされたばかりの新鮮な地魚が売られていた。
鯵や鰯のようなポピュラーなものから、カサゴ、メバル、黒鯛、石鯛、鱧、鱸、トビウオ等、内陸である大橋では滅多に
お目にかかれない珍しいものが揃っていた。これなら、徒歩で往復1時間にも及ぶ行程も苦にならない。
今回は、取り敢えずというわけではないが、トビウオを買ってきた。これは手早く塩焼きにする。トビウオは足が早いの
が難点だが、鮮魚売り場の店員が気を利かして、トビウオを入れたビニール袋に氷をしこたま入れてくれた。
また、スーパーの周囲には干物の専門店が何軒かあり、天日干しの旨そうなものが揃っていた。店では試食もさせて
くれたので、その中でも特に気に入ったムロアジの干物を六食分ほど買ってきた。都会で売っている干物よりも塩辛い
が、そのおかげである程度は保存が効くはずだ。
「それと、素麺も安かったんだよな…」
この地方特産というわけではないが、近くに製麺所があり、そこが良質そうな素麺を作っていた。主食は米が三合分
しかなく、通販で買った米や小麦粉が届くのは明日の昼以降だから、それまではこの素麺で食いつなぐことになる。
野菜は駅前のスーパーにも置いてあったが、駅前に行く途中、農家の無人販売所を見つけ、帰りがけに新鮮なオク
ラやトマト、獅子唐辛子、キュウリを入手できた。
田舎のバス停のような小さな小屋掛けに、野菜が無造作に置かれていて、その傍らに『お金はここへ』とだけ記され
た木でできた不細工な箱が置いてあった。箱には、貯金箱のような、硬貨を入れるスリットがあって、そこへ代金を投入
することになっているらしい。もっとも、野菜がいくらなのか何の断り書もない。仕方がないので、竜児は、財布を探って
目についた五百円玉一個をその箱に放り込んだ。新鮮な野菜をこれだけ貰ったのに、五百円では安いかな? とも
思ったが、この土地での野菜の相場が分からないのだから、これでよしとした。
値段も含めて買い手の善意を信頼しているのだろう。何かと、ぎすぎすしたトラブルに見舞われ続けてきた竜児は、
ほっと心が和むような気がした。
「もう、十一時近いな…」
エコバッグから携帯電話機を取り出して時刻を確認する。別荘は間もなくのはずだ。
別荘への小路を下っていくと、ベランダに白いマットレスを干してあるのが目についた。
「亜美の奴、やるな…」
公約通りに洗濯し、室内を清掃したらしい。マットレスはかなり重いはずだが、何とか頑張ってベランダに広げたようだ。
小路を下りてウッドデッキに回り込むと、昨晩、亜美が着ていたワンピースが陰干しになっていた。洗濯機を使わず
に手洗いし、ちゃんと形を整えた上で、色が褪せるのを防ぐために陰干しにしていることが竜児には分かった。
「基本的に、あいつには学習能力があるからなぁ…」
亜美以外に比較の対象となるサンプルがそうは多くないというのもあるが、竜児が知る女子の中ではダントツに学習
能力や順応性が高い。また、そうでなくては、これから先、弁理士試験を一緒に戦い抜くことはできないだろう。
竜児にとって同志である亜美は、可憐な姿の中に、一筋縄ではいかないしたたかさや、逆境にも負けない強さを隠
し持っているのだ。
そんなことを思いながら、竜児は別荘の玄関を開けた。
「済まねぇ、ちょっと遅くなっちまった。だが、やっぱ、海の近くなんだな。魚は結構いいものがあったよ…」
そう言い掛けた竜児は、リビングのテーブルに、大きな花瓶一杯に生けられたバラの花束に気付き、息を飲んだ。
「な、何だこりゃ?! こんなにたくさんのバラは、一体全体どうしたんだ? しかも、青バラだぞ」
ダイニングのテーブルに目を遣ると、亜美がMacBookを前に座っていた。そのMacBookの傍らには、バラの花束
に同封されていた川嶋安奈からの手紙が置かれている。
「何だ、そんなところに居たのか。居たら居たで返事くらいしてくれよ。それに、このバラの花束は何なんだ? いつ、
どっからこんなもんが届いたんだ?」
「ごめんなさい、掃除やら洗濯やらが一段落したら、気が抜けたのか、ちょっとぼんやりしてて…」
「い、いや、それならいいんだけどよ…。それにしても、このバラの花束は何事だ? こんなもの、別荘にあった
のか?」
竜児のもっともな疑問に答えるべく、亜美は、川嶋安奈からの手紙を手に、リビングのテーブルの前で怪訝そうに
バラの花を見詰めている竜児に歩み寄った。
「これ…」
それだけ言って、その手紙を竜児に差し出した。竜児は、咄嗟に亜美の真意を掴みあぐねたが、「お、おぅ…」と、
だけ答えて件の手紙を読み始めた。
「お、おぃ! こ、これって…」
読み終えた竜児の声が上ずっていた。その竜児に、亜美は能面のように無表情だが、厳粛な面持ちで頷いた。
「そう、ママからの手紙。その手紙と一緒に、そこのバラの花が送られてきたんだわ…」
竜児は、改めて川嶋安奈からの手紙に目を通した。
「お袋さんは、俺たちのことを許した訳じゃねぇが、認めるつもりはあるらしい…。しかし、美人だけど傲慢で陰険なだけ
のオバサンかと思ったが、意外に思慮深いんだな。おみそれしたよ…」
「結局、あたしたちは、ママの手の中で踊らされていただけだったのかもね…。その点は、ちょっとムカつくけど、あたし
たちの夢の実現を願ってくれていることは分かったわ…」
亜美は、川嶋安奈は完全に善意からバラの花束と手紙を送ってきたと思っているらしい。だが、竜児は、川嶋安奈の
真意に気付いていた。
それを言うべきか否か、竜児は躊躇したが、二人の間に隠し事は宜しくないと思い、率直に告げた。
「だがな…、これはお袋さんからの挑戦状でもあるんだぜ」
「どういうことよ?」
竜児の意外な一言に、亜美は一瞬眉をひそめた。
「何でそう思うかっていうと、花言葉さ。今でこそ、青いバラの花言葉は“夢かなう”だが、一昔前までは、“不可能”だっ
たんだからな」
「ええっ! そうなの?!」
驚く亜美に、竜児は念を押すように軽く頷いてみせた。
「青いバラってのは、最近は比較的目にすることが多くはなったが、一昔前までは、作出出来なかった花なんだ。それ
で、花言葉が“不可能”だったというわけだ」
「そんな意味があったなんて…」
「お袋さんは、俺たちが挑戦する弁理士試験や俺たちの結婚を内心は不可能なものと捉えているんだろう。表向きは
俺たちの夢がかなうように願っているようでいて、本心は、“やれるものなら、やってみろ”ってとこだな。さすが、芸能界
でしたたかに生き抜いてきた大物女優だけはある…」
それを聞いた亜美が、うふふ…、と笑い出した。
てっきり、川嶋安奈に対する敵意をむき出しにするものだと思っていた竜児は、呆気にとられて亜美の顔をまじまじと
見てしまった。
「ど、どうしたんだ? 急に笑い出して…」
「だって…、それでこそママだなぁって…。変に物分かりのいいオバサンなんてのはキャラじゃないから…。こんな風に
毒を隠し持っていてこそ、芸能界屈指の食えない女、川嶋安奈なんだわ」
今度は、竜児が思わず苦笑してしまった。
「あら、あんたまで笑い出すなんて。亜美ちゃんの笑いが伝染したのかしらね」
支援
竜児は、瞑目して苦笑しながら、かぶりを振った。
「いや、まさしく親子だなぁ、って思ったんだよ。お前の一筋縄ではいかない性悪なところは、おふくろさんからの遺伝
なんだってことを痛感させられたからなぁ…」
亜美は柳眉を逆立て、頬を河豚のように膨らませた。
「ずいぶんな言い草じゃない? まぁ、親子だから似てるのはしょうがないとしても、性悪、性悪って、いい加減、亜美
ちゃんをステレオタイプみたいに表現するのはやめてよね」
「お、おぅ…。だがな、性悪ってのは、別に貶しているつもりじゃないんだぜ。一筋縄じゃいかない、したたかなところは、
むしろお前の魅力の一つだって思っている」
「な、何よ、その微妙な物言いは…」
性悪と言われたことが、よほど心外だったらしく、亜美は腕組みをして竜児を睨み付けている。適切な弁明をしないと、
肘鉄あたりを食らうかも知れない。
「まぁ、隠し味って言ってもいいかも知れねぇな。綺麗なだけじゃない、可愛いだけじゃない。ピリッとした辛辣なところ
があるからいいんだ。お汁粉とかなんか、砂糖だけで甘くするんじゃなくて、ほんのちょっぴり塩を加えるのと似ている
かな? これが、味わいに深みをもたらすんだ」
「また、料理の話?」
「単に分かり易く例えただけだよ。人間だっておんなじさ。ただ可愛いだけってんじゃ、人間として薄っぺらい。辛辣な
部分が隠し味としてあるから、人間性に深みが出るんだよ」
亜美は、渋面とも膨れっ面とも判じ難い微妙な表情だったが、最後には、ふぅ~っ、と大きなため息をついて、微笑した。
「説得力全然ないけど、まぁ、いいわ…。あんたが肯定的に受け取っているんなら、それで、いいでしょ…」
「お、おぅ…」
「で、隠し味からの語呂合わせじゃないけど、あたしの方は、隠し球っていうか、ちょっとした秘密兵器を用意してきた
の。あんたにも見てもらいたくてね」
亜美は、すぅ〜っ、と優雅に舞うようにダイニングのテーブルに戻ると、起動させていたMacBookの画面を竜児にも
見えるように向きを変えた。
「いや、秘密兵器って、これか? これって、お前がずっと使ってるMacBookじゃねぇか…」
首を傾げている竜児に、亜美は、双眸を細め、口元をちょっと歪めた、お馴染みの性悪笑顔を向けている。
「うふふ、こんなのはただの箱よ。問題は、ここに表示される情報なの。いいから、ちょっとこっち来て、亜美ちゃんと並
んで、この画面を見て欲しいのよ」
「いや、それはいいけどよ…」
口ごもりながら竜児は、食材で重くなったエコバッグを、目の高さまで持ち上げてみせた。
「昼飯はどうすんだ? 新鮮なトビウオが手に入ったから、こいつは塩焼きにしようかと思っているんだが…」
トビウオのような青魚は足が早いから、とっとと焼いて食べてしまいたいし、竜児自身、初めて扱う生のトビウオがどん
なものなのか楽しみであったからだ。
一方の亜美は、『昼飯』の一言で、空腹であることを思い出したのか、ちょっと物欲しげにぽかんと口を開けたが、
すぐに閉じ、瞑目して、おほん、と軽く咳払いをした。
「食事よりも優先したいことなのよ。そりゃ、トビウオなんて、大橋や東京ではまず食べられない魚だし、きっと美味しい
んでしょうけど、それ以上に、あたしたちにとって大切なことがあるから…。その食材は冷蔵庫にでも仕舞って、今は
こっちを優先したいのよ」
「まぁ、お前がそこまで言うならいいけどよ…」
ちょっと不満そうな竜児が、買ってきたばかりの食材を冷蔵庫に仕舞い、ダイニングに戻ってきたのを見計らって、
亜美はブラウザを起動させ、ブックマークからとあるサイトを選択して表示した。
そのサイトは、弁理士試験対策の講座がある、竜児も知っている予備校のサイトだった。
「俺たちは独学で頑張るのが原則だったんじゃねぇのか? 第一、こんな辺鄙なところに引き籠っているんじゃ、
予備校なんて関係ねぇよな?」
竜児のもっともな指摘に、亜美はウザそうに柳眉を微かに逆立てたが、すぐに淡い笑みを浮かべ、
「まぁ、見てなさいよ」
と言いながら、『ネットゼミ』と表示されたリンクをクリックした。
「えーと、アカウントとパスワードは…」
Gmailで予備校から届けられたアカウント名とパスワードを、亜美は画面の所定の欄に入力した。
ユーザの認証を行っているのか、画面が暫くフリーズしたように固まったが、すぐに回復した。そして、ブラウザの
ウィンドウが、一見、動画サイトのようなものに切り替わった。
「ネットゼミって、講義のストリーミング配信だったんだな?」
「そうよ、今年になって始まったサービスなんですって。何でも、この予備校の人気講師を起用した、かなり質の良い
講義だって噂よ」
「で、でもよ、独学で頑張るっていうポリシーは、もう止めなのか?」
急な方針転換に竜児は戸惑った。それに、時間も資金も限られている竜児に、予備校は高嶺の花でもあった。
だが、そんな風に難色を示す竜児の本音は、亜美には筒抜けである。
「ネット配信は、生の講義と違って、好きな時に視聴できるから、時間に拘束されないわよ。しかも、バックナンバーも
視聴できるし…。何よりも、実際に生の講義を受講するよりも格安の料金で利用できるってのがいいわね」
亜美は、MacBookの前にもう一つ椅子を並べ、竜児に座るように促した。
「それに料金は月謝制なのよ。とりあえず、一箇月試用してみて、いけるようなら継続すればいいかと思って…。だから、
独学で頑張るっていう原則は放棄したわけじゃないのよ。独学でやっていくのが基本だけど、勉強のペースメーカーと
してネットゼミを活用するというわけ」
亜美は、なおも、「でもよぉ」と、合点がいかないらしい竜児の肩を押さえて無理やり座らせると、iPod用イヤホンの
片側を差し出し、自身ももう片側を左耳に装着した。
「四の五言ってないで、とにかく見てみましょうよ。このネットゼミは、アカウントを持ってるユーザには、通信添削の
サービスもあるから、講義を聞いて、いけると思ったら、あんたもアカウントを取った方がいいわよ」
亜美は、画面の再生ボタンをクリックした。
画面に動画が再生され始め、竜児が右耳に嵌めたイヤホンから講義の音声が流れてきた。
画面には、ベージュのスーツ姿の女性講師が映し出されている。
『初めまして、今回から、このネットゼミの専任講師を務めさせて戴きます、私、弁理士の日枝と申します。このネット
ゼミでは、弁理士試験の勉強を始めたばかりの方々を対象に、特許法をはじめとする産業財産権法についての講義
を進めて参ります』
際立った美人というわけではないが、上品で知的な感じがする女性だった。スレンダーな体つきは、ちょっと亜美に
似ていなくもない。
「いかにも有能そうな感じだな。正直、講義の語り口も、俺たちの大学の教授よりかは断然いい…」
竜児の右隣に腰掛けている亜美も、同感なのだろう。目を画面に向けたまま、微かに頷いた。
「この人って、この予備校の看板講師らしいわよ。何でも、“女神降臨”なんですって」
「なるほど、勝利の女神か…」
『技術革新の成果を知的財産として保護することのみならず、そうした知的財産の十分な活用、更には、権利を取得
することにより、知的財産を適切に保護する必要があるわけです。そのために、特許制度等の制度があり、これによっ
て、発明した者や特許出願をした者の権利が守られるわけです…』
イヤホンから淀みなく流れる勝利の女神の声に、竜児も亜美も、時間を忘れて聞き惚れていた。
***
「以上、申しましたように、私どもの事務所と致しましては、一般の特許商標事務所において主要な業務であります、
特許などの出願に関する特許庁への手続についての代理、知的財産権に関する仲裁事件の手続についての代理、
特許や著作物に関する権利、技術上の秘密の売買契約、ライセンスなどの契約交渉や契約締結の代理、特許法等
に規定する訴訟に関する訴訟代理等に加えて、顧客である法人のブランド、営業秘密、著作権等のコンサルティング
業務にも注力して参ります。例えば、新規に製品を開発する場合、製品のブランドイメージである商標の選択、製品の
外観である意匠の決定、それに、製品の根幹に関わる技術を特許として権利化することを視野に入れ、製品開発の
初期段階から、弁理士である私どもが適切なコンサルティングを展開して参ります」
円卓の会議室でスーツ姿の老若男女が、壇上で熱弁をふるう女性弁理士の一挙手一投足を注視していた。
チャコールグレーのスーツをスレンダーな身に纏い、長い髪を一本の三つ編みにしたその女性弁理士は、プレゼン
テーションソフトウェアで表示される画像をレーザーポインターで適宜示しながら、凛とした口調で説明を続けた。
「今までの知的財産権の代理業務は、お客様からの指示通りに処理をするものでした。しかしながら、今後ますます
厳しくなる他社との競争、それに特に諸外国での権利侵害等を鑑みますと、お客様である企業の皆様も、より早い
時期から、法的な事項にも、技術的な事項にも通暁した専門家、すなわち私どものような弁理士にご相談されることが
望ましいと申せましょう。一方で、私ども弁理士も、お客様の指示を待つのではなく、製品開発やブランドイメージの
構築の初期段階から、専門家としての立場でコンサルティングを行い、他社に先んじた、更には権利侵害を効果的に
排除し得る、包括的で漏れのない権利取得のお手伝いをさせて戴きます」
壇上の女性弁理士は、ここでレーザーポインターの電源を切り、改めて円卓に居る面々の顔を見て回った。
懐疑的な顔をした者もいるようだが、総じて反応は悪くなさそうだった。中でも、年の頃は三十代半ばといった感じの
女性管理職が、にこやかに、害のなさそうな淡い笑みを浮かべている。
「私ども高須特許商標事務所は、設立間もない事務所ではありますが、所長である高須竜児は、在学中に弁理士試
験に合格し、大学卒業後十年以上にわたり、特許関連の弁理士業に従事して参りました」
そう言って、傍らに座って、ノートパソコンでプレゼンテーションソフトウェアを操作していた男性弁理士を指差した。
壇上の女性弁理士と同じようにチャコールグレーのスーツを着て、黒縁眼鏡を掛けたその男性弁理士は、指差された
瞬間、軽く会釈をするように、頭を垂れた。
「また、副所長である私、高須亜美も、在学中に弁理士試験に合格した後、意匠、商標の実務に従事し、いくつかの
お客様の新規ブランド構築のお手伝いをさせて戴きました。年齢的には両名とも若輩者ではありますが、相応の経験
を積んで参りました。何とぞ、最初はトライアルで結構ですので、私ども高須特許商標事務所を宜しくお願い致します」
最後にもう一度、会議に列席している人々を見比べるように、一人一人、その面相を窺って、亜美はプレゼンテー
ションを終えた。
「ね、ねぇ、ど、どうだった? あたしのプレゼン」
大きなショルダーバッグを肩に掛けた亜美は、プレゼンテーションをした企業のビルを出て、そのビルからある程度
離れた頃、出し抜けに竜児に問うてきた。
その竜児は、パソコンやらプロジェクターやらが入っているキャリーバッグを引きながら、にこやかに笑っている。
「よかったよ…。弁理士高須亜美、渾身のプレゼンテーションだったな。何しろ、俺にはあんな風に聴衆を引き込むよう
な緩急自在な話っぷりは到底出来ない…。お前、やっぱり大した奴だよ」
竜児は、切れ長の双眸を、黒縁眼鏡の奥で柔和そうに細めていた。亜美の渾身のプレゼンテーションは成功したと
いう手応えを感じているらしい。
「うん、ありがと…。でも、知財の本部長に加えて、常務取締役の事業本部長までお出ましとは、ちょっと驚きね。プレ
ゼンもやりがいがあったけど、ものすごく緊張した。だけど、肝心の知財本部長が、ちょっと首を傾げていたのが気にな
るわね」
どこの事務所に仕事を出すかを最終的に決定するのは、知財本部長である。その本部長に気に入られなかったら、
プレゼンは成功とは言えない。それが、亜美には不安だった。
「確かにな…、ちょっと知財本部長の反応が芳しくなかったが、もっと偉い事業本部長は、何だか我が意を得たように
頷いていたがな…。それに、知財本部の実力者で、大きな発言権を持っていそうな知財課長が終始にこやかに俺た
ちを見ていた。根拠はないが、あの女性の知財課長が居るおかげで、今回のプレゼンテーションは、何もかもうまくい
くような気がするよ」
眼鏡の奥から覗く竜児の優しげな眼差しを受けて、亜美はほっとしたような笑みを浮かべた。
「そうね…、あの女の課長さんが鍵だとすると、あたしのプレゼンもまんざらではなかったのかも知れないわね」
「そうとも、内罰的に悩むよりも、過ぎちまったことはくよくよせずに前向きに生きる。俺は、これを他ならぬ、亜美、お前
から教わったんだからな」
竜児の指摘に、亜美は、「そうだったわね…」と苦笑した。悪い気はしなかった。互いに遠慮なく、ものが言える関係。
これは、学生時代から今に至るも変わらない。
「それはそうと…、あの女の課長さん、どっかで会ったことがあるような気がするんだけどぉ、気のせいかしらね」
亜美が思い出したように竜児に尋ねてきた。三十路を越えたというのに、肌は白磁のように滑らかで艶やかだ。小首
を傾げてきょとんとした表情は、十代の頃とさほど変わらない。
「お前もそう思ったのか? 実は俺もなんだよ。遠い昔、どっかで会ったような気がするんだが…、思い出せない…」
相方の竜児も、長身で引き締まった体つきは、学生時代そのままだった。ただし、黒縁眼鏡で覆われた切れ長の
双眸は、絶えずにこにこと笑みを湛えており、昔のような鋭い三白眼とは勝手が違っていた。
「う〜ん、あんたも見覚えがあるんだ…。そうなると、あんたとあたしが一緒に居るときに会ったことがある人かしらね」
それから、亜美はちょっと口をへの字に曲げて、暫く記憶をたぐってみたが、結局は何も思い出せなかったのか。
大きくため息をついて、苦笑した。
「やっぱ、分かんない…。でも、あの女の課長さんが味方だったら、何とかなるかも知れないわね」
「おぅ、そうだな…、プラス思考で行こうじゃないか」
にこやかに笑う竜児、その目元を亜美はじっと見た。フレームが太めの黒縁眼鏡。度が強そうな印象を見る者に与え
るが、実は伊達眼鏡だ。
「ねぇ、あんた、その眼鏡いい加減にやめときなさいよ」
「そうか、似合わないかな?」
「いや、悪くはないけど、その眼鏡、あんた未だに自分の目つきが悪いって思い込んでるから掛けてんでしょ? もう、
誰もあんたの目つきが悪いなんて思ってないわよ。うちのちび…、美由紀のお友達があんたを見て、怖がったことがあ
る? 一度もないでしょ? もう、あんたの目つきは穏やかになっているのよ、そんな眼鏡に頼っているのは、依然とし
て内罰的な悪い癖が治ってない何よりの証拠だわ」
ずけずけと言う亜美に閉口したのか、竜児は、苦笑していた。
「相変わらず、遠慮がねぇな…」
「何を今更…。あたしたちは同志なんだから、相方が苦しければ、助けてやって、相方が怖気づいているときは叱咤し
てでも励ましてやる。それをお互いがする。そういうものなんだわ…」
「うん…。確かに、そうだったな…」
並んで歩いている亜美が、ちょっと背伸びして、竜児の顔を覗き込んでいる。
「ねぇ、あんたの眼鏡が似合うかどうかは別として、そろそろお昼ご飯にしましょうよ。今日はあたしが当番だから、
自家製パンのサンドイッチを作ってきたんだけど、どう?」
「どうって、言われてもなぁ…、手弁当は、俺たちにとって長年の習慣だからな。食うしかないだろ?」
傍目にはぶっきらぼうな感じだったが、互いに遠慮がない間柄ならではの忌憚なきコメントでもあった。
対する亜美は、双眸を細めて、にやりとしている。
「相変わらず可愛くないわね、その態度…。でも、まぁ、いいわ…。結婚して十年ですもの。もう、慣れちゃった…」
「そりゃ、どうも…。へぇ、へぇ、恐れ入りますよ、若奥様」
含みを持たせた亜美の性悪笑顔に、竜児も、口元をちょっと歪めた苦笑いで応じた。
「そういう憎まれ口も可愛くないわよ。でも、まぁ、バカ話もいいけど、あそこに大きな公園があるわね。お弁当はあそこ
で食べるってことでどう?」
都内でも有数の広さを誇るその公園には、すっかり色づいた楡の大木が何本もあり、その木陰には居心地がよさそう
な木のベンチがあった。
「いいんじゃないか? 木漏れ日の下で、ピクニック気分が味わえそうだしな」
亜美の提案に、竜児は切れ長の目を細めて、にっこりと頷いた。そういえば、麻耶と北村祐作のデートを偽装した
ピクニックから、既に十四年が経っていた。
−−−−−−−
「ところで、えらく若い弁理士の先生方だったが、使いものになりそうかね?」
亜美が熱弁をふるっていた会議室で、年嵩の男性が、渋面丸出しで傍らの女性社員に尋ねていた。
プレゼンを聞いていた面々の中で、唯一、首を傾げていた知財本部の本部長である。
その、竜児や亜美に対してお世辞にも好意的とは言えない問い掛けを、傍らの女性社員は、軍人のような謹厳さと、
女性らしい柔和な笑みとが渾然一体となった面持ちで聞き、自身の見解を述べ始めた。
「僭越ですが、私は大丈夫だと思います。所長の高須竜児先生は、最近まで大手事務所で活躍されており、お若い
ながらその事務所のエースとも呼べる存在でした。副所長の高須亜美先生は、実務能力の高さに加え、美的センスが
非常に高いとの定評があり、これも独立される前に、いくつかの新規ブランドの立ち上げに成功されています」
否定的な見解を期待していたらしい本部長は、女性社員の発言に、不愉快そうに眉をひそめている。
「しかし、単に実務が出来るというのは、どの弁理士だって同じではないかね? ギリギリの法的判断が要求される
場面で、彼らのような若い弁理士が対応出来るのか…。私は少々懐疑的だよ」
何が気に入らなかったのか、本部長は、顔をしかめたまま、背を丸めて椅子から立ち上がり、会議室の円卓のまわり
をイライラとした感じで徘徊した。会議室には、この本部長と、知財課長の肩書きを持つ女性社員だけが残っていた。
「法的判断につきましても、高須先生は並の弁理士以上の能力をお持ちだと思われます。高須竜児先生は、母校の
法学部で非常勤ですが、特許法をはじめとする産業財産権法の講義をされていますし、高須亜美先生も、実務の傍
ら、大手予備校で弁理士試験対策の講座で教鞭を執られています。ですので、法的なセンスは非常に高いはずです」
知財課長の落ち着き払ってはいたが、凛とした発言に、本部長はそれでも不満そうに鼻を慣らして、肩をすくめた。
「ふむ、そうかね…。まぁ、知財生え抜きの君が、そこまで言うのであれば、多分そうなんだろう。私は、製造から知財に
来た人間だから、正直、分からなくてね…」
「恐れ入ります…。では、早速、高須先生には、まずは何件か特許明細書の作成をしていただき、その結果が良好で
あれば、近く当社が取り掛かる新規事業のコンサルティングをお願いしようかと存じます」
「うん、君に任せる。宜しくたのむよ」
「はい、有り難うございます」
知財課長の返事に、本部長は鷹揚に頷くと、背を丸め腰の後ろで手を組んで、会議室を出て行った。
それを見送った知財課長は、大きくため息を吐いて、そびやかしていた肩の力を抜いた。
「ふぅ…。悪い人じゃないんだけど、頑固で知財に無知なのは困ったものね…」
扱いにくい上司から一時的だが開放された知財課長は、肩の凝りをほぐすためか、瞑目して首をぐるりと巡らせた。
そして、亜美がプレゼンテーションを行っていた壇上に目を遣り、おもむろに微笑した。
「でも、世間って、本当に狭いのね…。あの子たち、弁理士になって結婚していたなんて…」
知財課長の脳裏に、新人研修での記憶がよみがえってきた。新卒で入社した年の夏、彼女はグループ企業が経営
する銀座のビアホールで接客の研修を受けていたのだ。
「あの時、どう見ても未成年って感じで、お酒の飲み方もなってなくて…。女の子の方はぐでんぐでんになっちゃって、
男の子の方はおろおろしちゃって、可愛かったけど…、そんな子たちが今は立派な弁理士…。時が経つのは本当に
早いものね…」
それは取りも直さず、彼女自身も年を取ったということでもある。知財課長は、それにうんざりしたのか、苦笑すると、
目の前の電話機から受話器を取り上げ、知財本部に内線電話した。
「あ、もしもし、小泉ですけど、川端君ね? あなたも高須先生のプレゼンは聞いたわよね。そう、なかなか有能な先生
方だから、さっそくお仕事を手配してちょうだい。これは、本部長も了承されているから、遠慮なくどーんと出していい
わ。手始めには特許明細書の仕事だけど、意匠や商標の仕事があったら、それも優先的に回してちょうだい。よろしくね」
部下に用件を告げて、受話器を置き、知財課長は、窓の外に目を遣った。初冬の空は澄み渡り、一片の雲もなく、
目に痛いほどの青さで広がっていた。
−−−−−−−
「こうして木陰で弁当を食ってると、十四年前に北村と木原のデートをお膳立てした時のことを思い出すな」
「そうね…。あの時も、こうして木陰でお弁当を食べていたわね。ただし、麻耶と祐作の様子を監視しながらの落ち着か
ないものだったけど」
思い出し笑いなのか、亜美はちょっと微笑しながらサンドイッチを摘んで、それを口に運んだ。亜美自身が自宅で
焼いた小麦粉にライ麦粉を三割ほど混ぜた、ベージュ色のパンだった。高須家では、パンといえばライ麦を使うのが
常識となっている。
「今日のパンの出来も悪くないようだな。微かにライ麦のサワー種らしい酸味があって、美味しいよ」
料理にはうるさい竜児も、亜美が焼くパンには文句を言わない。十四年前の夏休みに、一箇月以上も別荘で暮らし
た時、二人が食べるパンを自家製で賄うようになって以来、竜児も亜美も市販のパンは買わずに済ませてきた。
「まあねぇ、あたし程度でも十四年間も続けていれば、そこそこの腕前にはなるからねぇ…」
謙遜なのか、照れているのか、亜美は瞑目して、ちょっと苦笑している。
「まぁ、お前は飲み込みが早いっていうのか、十四年前に、別荘で初めてお前が焼いたパンを食べさせてもらったが、
もう、あの時点で、かなりの完成度だったからな…。今や、どこに出しても恥ずかしくない出来栄えだ」
「そんなにあたしを礼賛するなんて珍しいわね。何か、企んでるの? 言っとくけど、事務所構えたばっかで、うちは
貧乏なんだから、当分、贅沢は出来ないわよ」
今度は、竜児の方が目を細めて苦笑した。
「相変わらず、ずけずけ言うなぁ…。別段、何かを買おうって欲はない。それに、可愛くねぇって言葉は、そっくり
そのままお返ししたいぜ」
亜美もまた、背筋を伸ばして瞑目したまま、性悪そうな苦笑いを浮かべている。
「あら、お互い隠し事をせずに正直に言い合っていたからこそ、不満が溜まらずに、十年間一緒に居られたんじゃない
かしらね。それに、可愛いだけじゃ人間が薄っぺらい。辛辣な部分があってこそ、人間性に深みが出てくるって言った
のは、どこの誰かさんかしらね…」
それは、他ならぬ竜児であった。竜児は、亜美の辛辣な突っ込みに、一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに元の苦笑い
を取り戻した。
「参った…、さっきのプレゼンでもそうだが、臨機応変で言葉巧みなお前にゃ、敵わん」
「プレゼンの草稿はあんたが書いたんじゃない。あたしは、あんたが書いた草稿を効果的に読み上げただけ…。
どっちが優れているとかの話は不毛よ。お互いが補完しあって、頑張っている。そういうことでいいじゃない」
「そうだな…」
とりとめのない話をしながら、サンドイッチを摘んでいたが、それも残り少なくなってきた。
亜美は、ポットから注いだお茶をのんびりと啜っていたが、何かを思い出したように、顎を上げ、竜児の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、今日のサンドイッチだけど、何か変わったところはなかった?」
言われて竜児は、手にしていたサンドイッチを改めて凝視した。
ライ麦の混じったベージュ色の薄切りパンに、辛子バターを塗り、ハムと、ザワークラウトと、青唐辛子のピクルスと、
蒸した鶏肉と、ゴーダチーズのスライスを挟んだ、高須家ではポピュラーなサンドイッチだった。
「いや、いつもの我が家のサンドイッチだが? 強いて言えば、多少、パンの厚みにムラがあるし、具もちょっと偏って
詰まっているような感じがしないでもない…」
「まぁ、正直に言えば、ちょっと不細工な出来かもしれないわよね?」
亜美が、双眸を細めた性悪笑顔で、念を押すように訊いてきた。
「う…、まぁ、それはどうかな…」
竜児は、言葉を詰まらせて、お茶を濁そうとしている。亜美が作ったものだと思っているから、それをあからさまに
貶すのは後が怖いと思っているのだろう。それが亜美には可笑しかった。
「正直に言いなさいよ。別に言っても怒んないから。第一、それ、あたしが作ったんじゃないからね」
竜児は、「えっ?」と絶句して、手にしたサンドイッチをもう一度凝視した。
「てぇことは、まさか…。うちのちびが作ったのか?」
「そうよ、美由紀がどうしてもお手伝いするって言ってね。パンを焼いたのはあたしだけど、それを切って、
バター塗って、具を挟んだのは、あの子なのよ」
「驚いたな…。美由紀は未だ小四だろ? それでこれだけ出来りゃ、大したもんだ」
目を丸くする竜児の傍らで、亜美は、事もなげに澄まし顔でお茶を啜った。
「あの子は、誰かさんにそっくりで、生真面目で、何でもそつなくこなすのよね…。それに、小四っていったら、あんた
だってその頃は泰子さんに代わって台所に立っていたんでしょ? 別に驚くには当たらないわよ」
「確かにな…。あの子は、ちょっと意地っ張りなところがあるが、よく出来た子だ。しかし、意地っ張りなところは、
別の誰かさんに似たような気もするけどな…」
竜児にしては珍しい、皮肉めいたささやかな反論に、亜美は瞑目した澄まし顔に淡い笑みを浮かべた。
「まぁ、あたしたちの子供なんだから、両方に似るのは当然よね。でも、あの子のおかげで、助かってもいるのよ。
あたしたちの結婚を、やっぱりママは快く思ってはいなかったけど、美由紀が生まれたら、だいぶ風向きが変わった
から…」
「そうだな、孫が出来ると嫁の親はびっくりするくらい喜ぶってのは、本当だったんだな。お袋さんも、その点は、世間
並の女親だったってわけだ」
亜美と結婚してからも、何かと竜児に対しては厳しい目を向けてきた川嶋安奈であったが、結婚してすぐ亜美が
身ごもり、美由紀が生まれると、何だか急に機嫌がよくなった。
「そうね、それに、あの子、隔世遺伝っていうのかしら…。あたし以上に、ママに似ているみたいなのよ。おそらく、ママ
のことだから、ママにとっての失敗作だったあたしに代えて、あの子を歌手か女優にでもするつもりなのかしらね」
それだけ言うと、亜美は憂鬱そうにちょっと眉をひそめた。自身もモデルをやったことがあったから、芸能界で生き抜
くことの難しさを痛感している。出来れば、そんな世界に自分の娘は首を突っ込ませたくなかった。
「まぁ、気持ちは分かるよ…。俺も、正直、芸能界とかに行くのは賛成できない。しかし…」
亜美は、褐色の大きな瞳を見開いた静謐な面持ちで、竜児の言葉を待った。
夫の言わんとすることは、分かっていた。妻であり母である亜美もまた同意見だが、それを言い出しにくかったのだ。
「結局は、あの子が決めることだ。あの子が、芸能界に興味を持っていて、お袋さんの下で稽古に励む気があるのなら、
それを叶えてやるべきなんだろうな」
「うん…」
「何になりたいとか、どんな人生を送るのかは、あの子次第なんだ。俺たちが、お袋さんの思惑から外れた生き方を
選択したように、あの子も、俺たちの意に添わない道を選ぶかも知れない。でも、それでいいんだと、俺は思って
いるよ…」
「そうね…。そうなんだわ…。ママに逆らって、好き勝手な道を選んだあたしが、自分の娘の行く末を束縛する権利
なんてない。主権は、あの子にあるんだわ。それを、うっかり忘れちゃうところだったわね…。そして、あの子が、あたし
のようなどうしようもない親不孝娘になったとしても、それでも、親であるあたしたちは、あの子の行く末を案じ、
見守ってやらなければいけないわ」
「そうだな…」
亜美は、憂鬱そうな表情を払拭し、晴れやかな笑みを湛えると、夫に向き直った。
「あたしたちもそう…。これから、どんな人生を送るのかは、あたしたちの意思によるのね。それは誰の責任でもない。
あたしたちが決めることなのよ」
「ああ、俺たちは、独立して事務所を開設した。しかし、成功するか否かは全くの未知数だ。仮に失敗したとしても、
それは誰の責任でもない。俺たちの自己責任だ。だが、俺たちは…」
「うん…。今はもう、あたしたちだけじゃない。美由紀がいるんですもの。私たちが失敗すれば、あの子を不幸にする。
それは、絶対に許されないことなんだわ」
言い淀んでいた竜児に代わって亜美が会話を継いだ。
機先を制された竜児は、それでも悪い気はしないのか、柔和な笑みを浮かべている。
「俺たち以外の者も含めて幸せになるには、もっと、もっと俺たちは頑張らなくちゃいけないな…」
「そうね、あたしたちの戦いは未だ終わった訳じゃない。無限の可能性を求めて、まだまだ一生懸命にならなきゃいけ
ないんだわ」
そう言って、亜美は、抜けるように青い空を、梢の隙間から仰ぎ見た。
その空は、二人の行く末を見守るが如く、無限に青く、深く、広がっていた。
(完)