【精霊の守り人】上橋菜穂子総合2枚目【獣の奏者】

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6604/11:2010/08/07(土) 02:14:20 ID:HN5C5YR3
 ただひたすらに運命の柵の中でもがいてきたエリンの道程の上に、ぽつりぽつりと刻ま
れている、その男との邂逅──それらはなぜか、その時々におかれた状況とは裏腹に、い
まも不思議と心の安らぐ記憶として、胸に残っている。
 気の進まぬラザルへの出向だけれど、イアルの姿を一目見て、言葉を交わせるのなら…
…と、鈍る歩みを急きたてて、ここまでやってきたのだというのに。
(いったい、なぜ……?)
 イアルが──あの忠義に篤い男が、国の大事のあとのあれほど重要な時期に、楯を退い
ていたなんて、今でもどこか、信じられぬ気がした。
 冬の木立のように静謐な武人──初めて出会ったときに抱いたその印象は、エリンの心
の中ですこしもゆらいだことなどなかった。すくなくとも、今日までは。
 けれども、王宮を去り、消息すら知れぬいまのイアルは、まるで霞のように不確かな存
在に変わってしまったのだ。
(わたしが会いたかったあなたは、ほんとうは、どんな人だったの──?)
 エリンは、記憶の中のその男に問いかけた。
(……でも)
 それにもまして腑に落ちないのは、自分自身の心だった。
 ただ一人の王都の知人であるその男の姿を一目見て、声を聞きたい──ならば。
(なぜわたしは、あの若い楯の親切な申し出に、遠慮してしまったのだろう?)
 胸の中にぽつんと浮かんだふたつの問いに戸惑いつつ、エリンのラザル滞在の日々は、
始まったのだった。



 それから調査を始めて半月あまり、エリンは、ラザルの王獣使いたちの好奇の視線と、
非協力的な態度とにさらされて、無為な時を過ごしていた。
 リラン一頭にとどまらぬ、エリンの王獣飼育の成果に対する彼らの羨望と嫉妬は、すで
に極みに達しているのだろう。彼らの悪意はなにかにつけ、エリンへの陰湿な調査妨害と
して表出したのだ。
 オウリら古参の王獣使いたちとの軋轢たるや、着任後わずか数日にして、夜の宿舎で胃
液があがるほどの重圧となって、エリンを苛んでいた。
 来る日も来る日も、幾度となく王獣舎に足を運び、王獣たちに急変の兆しがないことを
確認しては、胸をなでおろす──ほかに為すべきこともない、虚しい毎日が続いている。
(なぜ、あれほどのおおごとが起こった原因の片鱗すら、見つからないのだろう)
 もしやこの出来事は、自分をリランたちから引き離して、ラザルに留めおくことだけを
目的とした、オウリらの画策なのでは……? 思いつめるあまりに頭に浮かんだ、突拍子
もない考えを追い払うべく、エリンはかぶりをふった。
 徒労感に苛まれながら個室にもどり、手持ちの書類を無造作に机においたとき、ふいに
目に入った暦に、すこしだけ心が軽くなるのを、エリンは感じた。
 明日はちょうど休日。気晴らしに、すこし王都の街中でも歩いてみようか。
(けれど……)
 そろそろエサル師に、手紙の返事を書かねば、いらぬ心配をさせてしまう……。だとし
ても、いつ帰れるか、どころか、原因究明の端緒にもつけぬこの状況で、いったいなにを
書けばいいのだろう……?
 夜着に着替えることすら億劫なほど疲れ果て、寝台に身体を横たえたとたん、エリンは、
まるで泥のような眠りに落ちていった。
6615/11:2010/08/07(土) 02:16:51 ID:HN5C5YR3
 肌寒さを感じて目をさますと、まだ深夜をまわったばかりだった。
 半端な眠りを得たせいだろうか、頭が妙に冴えてしまっていて、横たわったまま無理矢
理目をつぶっても、もう一度寝つくことは、しばらくできそうもなかった。
 身を起こしてぼんやりしていると突然、真っ暗な室内に、窓の外から光が射しこんでき
た。
 その光に導かれるように、エリンは、寝台をおりて、窓際に歩み寄った。南向きの窓か
ら見上げた空に浮かぶ満月が、ちょうど、分厚い雲の塊をやり過ごしたところだったらし
い。
 昨晩はよほど疲れていたのだろう。着替えはおろか、この窓の窓布を閉めることすら、
忘れてしまっていたのだ。そうでなければ、王都と王宮の深夜のこんな景色を目にするこ
となど、なかったかもしれない。
 小高い丘に建つ宿舎の三階の個室から見下ろす昼間の王宮は、色とりどりの植栽をあし
らわれた、精巧で美しい箱庭のようだ。けれども、夜の王宮が見せる表情は、それとはま
ったく違う。満月の今夜は、空気がひときわ冴え冴えとして、星がかすむほど明るい天と、
その真下の王宮をとり囲む、黒々とした額縁のような深い森の対比が、際だっていた。
 要所要所に焚かれてちろちろと輝いている、地上の星のごとき篝火をぼんやりとながめ
ていると、ふいに、それよりはるかに小さな光の点が現れた。
 蛍の瞬きのようなかぼそい光が、闇に沈んだ王宮の中庭のあたりを、縦に横にとうごめ
いている。おそらく、夜まわりの任を負っている堅き楯たちの、提げ灯の灯りなのだろう。
 いまこのときも、あそこには、真王の安らかな眠りを守るため、夜の闇に目を凝らして
いる楯が、おおぜいいるにちがいない。
 あの宴で出会った親切な若い楯も、その中にいるのだろうか──。

 冷んやりとした窓枠に額をつけて、エリンは目をつぶった。
(あの人は、どんな思いで……)
 イアルはどんな思いで、あそこで幾千もの夜を過ごしていたのだろう。
 そして、楯を辞したいま、いったいどこで、この夜を過ごしているのだろう。
 もう二度と会えないというのなら、せめて今夜のイアルに、安らかな眠りが訪れていて
ほしい。いまでも、殺めた者たちの亡霊に苛まれると言っていた──。
(そんな惨い夢を、どうぞ見ないでいて……)
 つかのまその男のために祈り、エリンは目をあけた。すると、眼下に聳える王獣舎の中
でも、ひときわ大きい王獣舎の偉容が、記憶のひだをさすった。もっとも奥まった場所に
ある、もっとも大きなその王獣舎は、ただひとつだけ、篝火も焚かれぬまま、ひっそりと
夜の闇に同化している。
 そこで過ごした日々の断片が次々と浮かび、エリンは吸い寄せられるように、宿舎をと
びだして、その場所に向かった。

 軋む扉をあけて、エリンは、その王獣舎の中をのぞきこんだ。さして古びてはいない舎
なのに、施錠もされずに打ち捨てられて、さながら廃墟のようだ。
 小さな提げ灯では、広い舎の隅々までは照らせなかったが、天窓から射しこむ満月の光
のおかげで、やけに明るく感じられる。
 一歩足を踏み入れただけで、長く放置されたままの、古い寝藁の埃っぽい臭いが鼻につ
く。完全にひからびてしまった寝藁は、エリンが軽く踏んだとたん粉々になって、ふうわ
りと宙に舞いあがった。月明かりを浴びたその微塵が、青白い煙のように、ゆらゆらとあ
たりに漂うのが見える。
 ここにはもう、王獣はいない。ここは、降臨の野の出来事のまえに、リランとエクとア
ル、三頭の王獣をまとめて収容するために急造された、特別に大きな王獣舎なのだ。
 しかし、リランたちがカザルムにもどって以来、この舎に新しい主が住まうことはなか
った。
 ラザルの王獣使いたちが、王獣規範に則って王獣を飼育しているかぎり、けっして王獣
は繁殖しないのだから、この王獣舎が必要とされる日は、もう、二度と来ないだろう。
 今後捕獲される野生の王獣は、若く健康な個体ほど、カザルムへ優先して送るようにと
の決定が、先ごろ王宮においてなされたと聞く。その明白すぎる王宮の意図も、オウリら
のエリンへの敵意を、いっそう増幅させているのだった。

 かつて、リランたちをながめていた同じ位置に立って、エリンは、そっと目をつぶった。
 すると、傷ついた男がその身を横たえた姿も、瞼の裏によみがえってきた。
 あの風の夜に交わした会話を思いだすにつけ、エリンの胸に再び、問いが湧きあがって
くる。
6626/11:2010/08/07(土) 02:20:30 ID:HN5C5YR3
(もう一度会いたい。会って、どうしても訊いてみたい……)
 ダミヤの陰謀は潰え、真王と大公の融和によって拓かれる新しい時代──おそらくは、
イアルにとっても望ましい国の姿──に、変わらんとしていたその矢先に、イアルはなぜ、
王宮を去ったのか。その胸にいま、どんな思いを抱いて暮らしているのか。
 いまならまだ、間に合うだろうか。あの暗い森を駆けぬければ……。
 エリンは王獣舎を出ると、森伝いに通じている王宮に向かった。
 イアルがあの夜通ったはずの道を逆に辿りながら、その男のいまを思った。
 満月が西の地平に沈まんとする夜明けまえ、エリンは、ようやく夜勤明けのカイルをつ
かまえて、イアルの家を聞きだした。
 やがて、長かった夜がしらじらと明けて──。
 夏至にあと数日と迫った、輝くような青天の下、エリンは、その家の玄関に立ったのだ。



「──狭くて、驚いただろうな。……どうぞ、適当に座ってくれ」
 イアルは、部屋の奥から運んできた座布団をエリンに手渡すと、土間に下り、隅の竃で
湯を沸かしはじめた。
「あ……はい、あの、どうぞおかまいなく──」
 エリンは思わずかしこまって答えたが、その目はまだ、まん丸く見開かれたままだった。
 初めて見る楯の装束ではないイアルの姿に、エリンは驚きを禁じ得なかった。相変わら
ず寡黙な男の身にまとっている殺気が、その出で立ちのせいか、幾分薄くなったように感
じられはしたけれど。
「悪いが、やりかけの仕事があるので、それだけ先にすませてもいいか?」
「は……はい」
 反射的にそう答えてから、エリンはあわてて、板の間にあがってきたイアルが歩いてい
く先に、顔を向けた。
 そこにある、大小さまざまな木材と、木工の道具とおぼしきものたちが目に入ると、エ
リンはようやく得心し、表情をゆるめた。
 イアルは、それらの前で静かに立ちどまると、こちらをふり返り、口を開いた。
「おれはいま、こういうものを作って食い扶持にしている。──死んだ父と同じ……」
「指物師……」
 エリンのつぶやく声に、イアルは、かすかな笑みを浮かべた。
「──ご名答……憶えていてくれたのだな」
 エリンは目顔でうなずきながら、イアルのそばに歩み寄った。
 やはり、という思いが、エリンの胸に落ちた。匿ったときに聞いた、亡くなった指物師
の父のこと、それに、その父の跡を継いでいたはずの自身への、未練とも諦観ともつかぬ
苦笑の色をにじませていた、あのときのイアルの表情が、ずっと心に残っていたからだ。
 床の上には、エリンが訪れるまで座っていたとおぼしきあたりに、削りたての木屑が輪
を描いている。
 その輪の中心に、イアルは無造作に座るや、床におかれていた抽出をひとつとりあげて、
エリンに差しだした。
 エリンが手を伸ばして受けとると、イアルも抽出のひとつをとりあげて、おもむろに紙
やすりをかけはじめた。
「指物とは、釘を使わずに拵える細工物のことをいう。臍と呼ばれる凹凸の溝だけで板ど
うしを組みあげる、やり直しのきかぬ、精巧な技だ──」
 なるほど、受けとった抽出には、どの面を見ても、釘はおろか、継ぎ目ひとつすらも見
当たらなかった。組みあげられている側面と底には、確かに五枚の板が使われているはず
なのに、いったいどうやって作られているのか、まるで想像ができない。その細工の見事
さに、エリンは思わず感嘆の声を漏らしていた。
 イアルがたてる規則的で小気味よい摩擦音を聞きながら、部屋の薄暗さにようやく慣れ
た目で、エリンは室内をそっと見まわした。
 狭いとイアルは言ったが、大公領と王都で民家の造りが異なるにしろ、かつて母と暮ら
したアケ村の家と、この家の広さはさほど変わらぬように見える。
 けれども、室内の印象たるや、まるで異質だった。
 指物の材料と道具がひしめき合う一角からひとたび目を移せば、箪笥がひとつだけのが
らんとした空間は、男所帯ならではというよりも、むしろ生活感がまったく感じられぬも
のだった。
 やがて、しゅんしゅんという音が竃のほうから聞こえてくると、エリンは立ちあがろう
とするイアルを制して土間に下り、茶の支度を始めた。
6637/11:2010/08/07(土) 02:25:02 ID:HN5C5YR3
 鉄瓶をとりあげて湯を急須に注ぐや、エリンは湯飲みと盆を探しながら、あたりに視線
をめぐらした。湯飲みだけはちぐはぐなものがふたつ、かろうじて見つかったのだが、竃
のそばには水屋もなく、洗ったまま無造作に積みかさねられた木碗も皿も、一人で使う必
要最低限のものしかなかった。
 訪ねるまでのあいだ、頭の隅になんとなく懸かっていた〈誰か〉の気配がないのは間違
いなさそうだけれど、いくらそれにしても……。ほんとうにこの男は、王宮を去ってから
いままで、この薄暗く、なにもない家で、たった一人で暮らしてきたのだろうか。
 背後のことりという物音で、エリンははっと我に返った。あやうく茶が出すぎる寸前で
盆を見つけると、エリンはそのまま詮索を打ち切り、イアルのところに茶を運び、そのか
たわらに腰をおろした。

「イアルさんが、堅き楯を辞められたのは、なぜ………?」
 茶を冷まし冷まし半分ほどすすり、ようやく人心地がついたところで、エリンは、イア
ルへの問いを切りだした。
 すると、イアルのやすりをかける手が、静かにとまった。
「新しい時代には、どんな組織にも、世代交代が必要というものだ──」
 言葉を選ぶようにいっとき宙を見つめ、イアルは続けた。
「真王陛下が大公閣下と結ばれたことで、〈血と穢れ〉の存在意義は、建前上は希薄にな
った。ならば、真王陛下を〈血と穢れ〉から守る堅き楯のほうもまた、縮小していくのが
道理だ。
 ──あなたもそれは、彼らを見て、感じただろう?」
 うなずくエリンに目顔でうなずきを返すと、イアルは紙やすりを手放して、抽出を目の
高さに近づけた。表面に浮いている削りかすを息で吹きはらい、木肌の滑らかさを指の腹
で丁寧に確かめている。
「過去の遺恨に関わった当事者は、退いたほうがよい、とお考えになったのですか」
 ためらいがちなエリンの問いに、イアルは手もとを見つめたまま、静かに答えた。
「たとえ組織がおとろえても、殺し合った者同士がわだかまりを乗り越えるのは、そう容
易いことではあるまい。使命とはいえ、おれはあまりにも多くの人の命を奪いすぎた……」
 ふいに、イアルは言葉を飲みこみ、視線を宙に泳がせた。この家で一度だけ、自分への
遺恨を晴らさんと画策したダミヤ一派の残党の闇討ちに遭ったことを、エリンに伏せて、
イアルは言葉をついだ。
「──ちょうどよい、潮時だったのだ……」

 イアルの話を聞いているうちにふと、かたわらの銘木の材が、エリンの目にとまった。
 薄暗い部屋の中でもそれとわかるほどの、美しい飴色の木目に引き寄せられ、丁寧に磨
かれて浮きでた縞模様を、そっと指の腹でなぞってみる。
 と、突然、左の掌に、ちくりと痛みが走った。表面は滑らかなように見えても、なにか
に使った端材だったのだろう、小口に残っていたささくれに、エリンは気づかぬまま、つ
かんでしまったのだ。
(痛っ──)
 イアルに悟られぬよう声を飲みこんで、エリンはその材を、努めて静かに、元の場所に
もどした。
「あなたこそ、どうしてラザルにいるのだ? あそこで、なにか起こっているのか?」
 エリンは、はっと顔をあげた。
「それが……」
 エリンは、ラザルの王獣たちが、突然いっせいに痙攣を起こしたこと、そして、その原
因の究明と治療をするために自分が招かれたことを、イアルに語った。けれども、捗々し
くないその調査のことを話すのは気づまりで、カザルムの学舎や、そこに残してきたリラ
ンたちの話題に、いつしかすり替えてしまった。
 学舎を巣立っていった旧友のその後や、新入りの学童たちと過ごす教導師としての日常
……そんなことをとりとめもなく語るエリンに、イアルは、表情ひとつ変えずに、黙って
耳を傾けてくれる。
 不思議な気持ちだった。ユーヤンのように、間の手を入れてこちらの話を引き出そうと
してくれるわけでもないのに、なぜか、自分はこの人には、こんなふうに饒舌になる。
(そう、あのときだって……)
 この人に話したのは、一生誰にも言うつもりのないことだった。リランに乗って起こし
たことのあまりの重大さにおののきながら、心ノ臓から血がにじむようなつらい過去を打
ち明けた、あの日の記憶がなぜ、思い起こすたび、自分の胸をやさしくさすっていたのだ
ろう。
6648/11:2010/08/07(土) 02:28:49 ID:HN5C5YR3
「エリン。──左手を、どうかしたのか?」
 物思いに気を緩め、ふと、左手に注意を向けた瞬間、イアルが話をさえぎった。
「えっ……?」
 エリンは、はじかれるように、左手をイアルの死角に隠した。
 棘は、親指と人差し指の谷間のあたりにあるようで、ごく些細なものにもかかわらず、
気にするまいという意志に反して、疼きはいよいよ強くなってくる。
 けれど──なぜだかわからない。イアルにいま、この左手を見られたくない気がした。
 リランに喰いちぎられ、三本もの指を失ったこの手のことを、イアルは知っているはず
なのに。
 負傷してまだ日が浅かったあのときは、分厚い包帯を巻いていたから、イアルに傷痕を
見られてはいなかった。けれど、カザルムで教導師に復帰してからは、王獣の恐ろしさを
学童に知らしめるため、エリンはあえてこの左手をさらしてきたし、いまのいままで、相
手が誰であれ、隠したいと思ったことなどなかったのだ。
(なのに、なぜ──?)
 逡巡するエリンの仕草が逆に、イアルに〈なにか〉の存在を確信させてしまったのだろ
う。ついと立ちあがったイアルが、エリンに近寄り、手を伸ばしてきた。
「見せてみろ、エリン。ほら、そこに──窓のそばに寄って」
 突然右腕をつかまれて、エリンはたじろいだ。
「いえ、あの……ほんの小さな棘ですから……」
 イアルは小さく首をふり、きっぱりと言った。
「だめだ。小さな棘ほど、早いうちに抜いておかねば、皮膚にもぐって抜けなくなる」
 イアルに窓際へと導かれ、日のあたる場所で向かい合って座ると、目顔で促され、エリ
ンはしぶしぶ、左手を差しだした。
「じっとして、動かないでくれ──」
 イアルは注意深く、棘のある位置を探りはじめる。
 自分の手を包む掌の大きさと力強さに、エリンはしばし息を飲んだ。その手は、見た目
とは裏腹にひどく器用に動いて、エリンの掌から、目をすがめてようやく見てとれるほど
の小さな棘を、わけなく抜いてしまった。
「どうだ?」
 疼きが消えたとたん、身体からもふっと力が抜けた。ほんの一瞬のことだったのに、イ
アルに手をつかまれ、注視されている時間が、エリンには、ことのほか長く感じられた。
「あ、もう大丈夫で……えっ?」
 礼を口にするよりも早く、傷痕からにじむ針の先ほどの血に、イアルが顔を寄せてくる。
さっきよりもずっと近い二人の距離に、エリンは思わず、あわてふためいた。
「あっあの──イアルさん? は、離してくだ……」
「……? どうして」
 イアルはまったく意に介さぬ様子で、その唇はもう、傷痕に触れる一歩手前だった。
「じっ……自分でしますから……っ!」
 エリンはすこし大きな声で拒み、思い切って手を引っこめた。
 呆気にとられているイアルにくるりと背を向けると、はしたないと思いつつも、傷痕に
口を寄せて、急いで血を舐めとる。
 まるで、顔から火が出るようだった。頬のあたりから耳たぶまでも、まっ赤になってし
まってはいないだろうか。
「これは、失礼──」
 居心地の悪そうな表情を一瞬見せたイアルが立ちあがり、土間に下りていく。
 竃で湯を沸かしはじめたイアルの背中を、エリンは、じっと見つめていた。
 鉄瓶が再びしゅんしゅんと歌いだすころまで、エリンの顔の赤みはひかなかった。

「……不躾なことをした」
 湯が湧くまでのあいだに、エリンがうろたえた意味を理解したイアルは、二度目の茶を
エリンに手渡しながら、もう一度詫びた。
「あの……いえ、いいんです。かえって気を遣わせてしまって、ごめんなさい」
 エリンは、入れたての熱い茶に息を吹きかけながら、ひたすら恐縮している。
「いや、おれが無神経だったのだ。すまない……」
 イアルは茶をひと口すすると、小さく息を吐いた。
 居心地の悪さが薄れるにつれて、今度は、別の一瞬がイアルの心の杭に引っかかり、浮
かびあがってきた。
 初めにエリンが手を隠そうとした理由──それは、リランに喰いちぎられた醜い傷痕が、
そこにあったからだ。それは、かつては傷なぞ日常茶飯であった自分ですら、あまりの禍
々しさに背筋が冷えるほどの、惨劇の名残だった。
6659/11:2010/08/07(土) 02:32:11 ID:HN5C5YR3
 一生つき合っていくしかないものとはいえ、他人にあれほど顔を近づけて見られるのは、
気のすすまぬことだったのだろう。
 心を通い合ったはずのリランからあの傷を負わされたとき、エリンは、どれほどの痛み
を受けたことか──身体だけでなく、その心にも。
 そして、その傷跡を抱えたまま、指をいくつか無くした手で、エリンはこれからも生き
ていかねばならないのだ。にもかかわらず、驚くほど不自然さを感じさせぬ左手の所作に、
そうなるまでのエリンの人知れぬ努力が偲ばれるようで、見つめているイアルの胸に、小
さな痛みが走った。
 そんなイアルの視線に気づかず、エリンは、湯飲みをのぞきこむようにして、茶に息を
吹きかけつづけている。ふと、エリンの左の掌に感じた違和感を思いだして、イアルは口
を開いた。
「変わったところに、胼胝《たこ》があるのだな……」
「えっ……?」
「あなたの左手のこの部分、胼胝だろう?」
 目を瞬かせるエリンに、イアルは自分の掌を差しだすと、人差し指でその場所を指し示
して見せた。
「あ、そこは……」
 エリンは、湯飲みを盆において話しはじめた。
 たなごころの親指のつけねに近いあたり──それは、指が二本しかない左手で竪琴を抱
えるように持つとき、弦面の角度を正しく保つため、必要以上に力がこもってしまう場所
だった。そうしていつしか胼胝になっていたのだが、その事情を話しながら、ごく自然に
左手をイアルの眼前に示してしまった自分自身に、エリンは驚いた。
 なぜか今度は、何の抵抗も感じなかったのだ。
 イアルはまだ、顎のあたりに手をあて、なにやら思案している。その男の真摯な面持ち
に、エリンは、なんだか拍子抜けしてしまった。
 誰もが一目見て顔をしかめる醜い傷痕ではなくて、触れねばわからぬほどの些細な胼胝
のこと、正直なところ、エリン自身も忘れていたくらいなのだ。それなのに。
(ほんの一瞬触れただけで、気づいてしまうなんて──)
 傷痕を必死で隠そうとしていた自分のほうが、いまはむしろ奇妙に思えて、エリンは、
自分の心境の変化に、心の内で首を傾げていた。

 ふいに、イアルが、顎から手を離してつぶやいた。
「竪琴のその部分をすこし削れば、胼胝になりにくくなるかもしれない……」
 はっと我に返ったエリンを見て、イアルは言葉をついだ。
「──今度、持って来るといい」
「今度? ……また、来てもいいんですね?」
 ぱっと目を輝かせたエリンが、弾んだ声で、イアルに問うた。
「──え?」
 自分が口にした言葉の意味にエリンの表情で気づかされ、イアルはかすかにうろたえた。
うれしいような、戸惑うような──自分の真意を探ろうとする緑の瞳に、イアルは、苦笑
しながら答えた。
「ああ、こんなところでよければな……。
 手の形が人と違うのならば、道具もそれに合わせて変えてやれば、不便が減るときもあ
ろう。ほかにも不具合を感じている物があれば、持ってくるといい。おれが手を加えられ
るものなら、なにか、役に立てるかも知れぬ──」
 イアルはいったん言葉を切り、つかのま遠い目をした。と、なにかを思いだしたように、
エリンに視線をもどした。
「あのとき──」
「えっ……?」
「──まだ癒えていなかったその手で、あなたはおれを手当てしてくれたのだったな。今
日顔を合わせてからいままで、ちゃんとしたお礼も言わずに、失礼した」
 あらたまった口調でそう言うと、イアルは頭をさげた。
「いえ、そんな、どう、いたしまして……」
 湯飲みの底に添えていた左手を、エリンは無意識に右手で包む。その仕草を見たイアル
が、気遣わしげに訊いた。
66610/11:2010/08/07(土) 02:35:44 ID:HN5C5YR3
「──その傷痕……まだ、傷むのか?」
「あ……」
 手もとに一瞬目をやると、エリンは微笑みながら、かぶりをふった。
「いいえ、もう大丈夫です。イアルさんこそ、あの肩の傷は……?」
「ああ……あなたの手当てのおかげで、傷痕もきれいなものだ」
 イアルは顎を引いて、左肩のそのあたりに、視線を一瞬落とすと、それからエリンを上
目遣いに見て、こともなげに言う。
「──見るか?」
「いっいえ、いいです」
 あまりに泰然としているイアルの、本気とも戯れ言ともつかぬ言葉に、エリンはどぎま
ぎしながら答えた。湯飲みの底が上になるほど傾けると、もうほとんど残っていない茶を、
ひと思いに飲み干した。

 すこしのあいだ黙っていたエリンが、やがて遠慮がちに口を開いた。
「あの、イアルさん──」
「なんだ?」
 どこか気後れしているようなエリンの声色に気づき、イアルは眉をあげた。
「さっきの抽出の組みあげ方がどうなっているのか、すごく気になって……。もっとよく、
見せてくださいますか?」
(なにごとかと思えば……)
 イアルは目を瞬かせ、好奇心がひらめくエリンの瞳に、思わず表情をゆるめた。
「それくらい、お易いご用だ」
 とたんに、エリンの表情が、花が開くようにふわりとほころんだ。
 イアルはすっと立ちあがり、抽出とともに、端材やめぼしい細工道具を、手際よくエリ
ンのそばに運んだ。エリンは空の湯飲みを盆にもどすと、見やすい位置に急いで座り直す。
 臍のつけ方や組みあげ方を、イアルは端材を使って説明してみせた。素人がどこまで理
解できるのかわからなかったし、そもそもこんなことに興味を示すものなど、寡聞にして
知らなかったが、エリンの知識欲は並々ならぬもので、数々の的を射た質問と理解の早さ
には、イアルは正直、舌を巻いた。
(そういえば……)
 王獣たちを前に奏でていたあの竪琴も、養父の手ほどきで拵えたものだと言っていたが、
なんとまあ、世の中には奇特な女人がいるものだ……。
 何種類もある指物独特の継ぎ手の説明を、目を輝かせて聞いているエリンをながめなが
ら、イアルは、このなりゆきの奇妙さを思っていた。

 カーン、カーンと夕暮れの鐘が響くと、夕餉の刻をひかえた下街の路地に、気ぜわしさ
と活気が満ちてきた。時を忘れて細工に見入っていたエリンだったが、暮れかかる空の色
に気づくと、あわてて帰り支度をすませ、玄関に立った。
「じゃあ……今度は、竪琴を持ってきますね」
「ああ、気をつけて帰りなさい」
 突然の訪問と長居を詫びたエリンは、宿舎まで送るというイアルの申し出を固辞して、
どうしてもゆずらなかった。大通りの辻に立ちどまると、エリンはきっぱりとイアルを制
して、一人で往来をすりぬけた。
 大通りを渡りきったところで、エリンは立ちどまり、こちらをふり返った。イアルが軽
く手を挙げると、ぺこりと会釈をする。しばらく歩いては何度か同じことをくり返したが、
やがて、黄昏の蜜色に染まった人波に埋もれて、エリンの姿は掻き消えた。
(妙な一日だったな──)
 イアルは、エリンとの予期せぬ再会に、つかのまの安らぎを感じた自身を認めながらも、
その来訪の理由をはかりかねていた。しばらくそのまま通りに立ちつくしていたが、背後
から近づく魚売りの笛の音にふと我に返ると、イアルは、足早に家路を辿った。

 ラザルへの帰途を急ぎながら、エリンは奇妙な胸の高鳴りを感じていた。夕闇に急きた
てられ、早めている足のせいだろう、と自分に言い聞かせようとしても、どこか腑に落ち
ぬものが残る。
(また来ていいって、言ってくれた……)
 あの大きな手につかまれた腕が、包まれた掌が、脈動するように熱い。日のあたる窓辺
で向かい合った一瞬が、一枚の絵のように、エリンの胸に去来した。
 竪琴を持って、またあの家に行っていいのだ──そう思うだけで、今日初めてあの家の
戸の前に立ったときとはうって変わって、浮き立つような気持ちになる。
 その気持ちの意味も、身体に残る熱の意味も、エリンには、まだわからなかった。
667656-666:2010/08/07(土) 03:06:35 ID:HN5C5YR3
スマソ... 計算が狂って1レス減ったわ orz...
こんな感じで始まり、結婚、それともうちょっと先まで書いて、
エピローグはずーっとずーっと先にワープして終わります。

こんなのでよろしければ、続きを読みにおいでください。
今現在、まだ投下したものと同じだけしか上げていませんが、
数日中に全部上げる予定です。

http://kemononosoujya.sakura.ne.jp/gate.html

それでは、お目汚し失礼いたしました。
668名無しさん@ピンキー:2010/08/07(土) 13:12:47 ID:b0V+4V/w
ひとまず投下乙
イアエリに対する愛を感じる
669名無しさん@ピンキー:2010/08/07(土) 22:00:12 ID:C0Y/N+YM
とっても楽しませていただきました。ありがとう♪
続きを期待しています。
670名無しさん@ピンキー:2010/08/07(土) 23:05:30 ID:3RDTJEz6
丁寧な文章ですね
続きが楽しみです
671名無しさん@ピンキー:2010/08/08(日) 12:53:20 ID:+dkYTfb6
上橋女史の作品かぁ……読んだこと全然ないや
中年女の妄想小説って印象なんだけど
672名無しさん@ピンキー:2010/08/08(日) 13:32:40 ID:oxrhBKVN
>>667
続き待つ

>>671
誤爆? 嵐?
アニメ終わって平和になったと思ったらw
673名無しさん@ピンキー:2010/08/08(日) 22:43:37 ID:bYLxPIA+
>>667
感想書き込めないので、ここに書くしかないのかな?
イアルが照れ隠しに髪をくしゃくしゃするところがいいです。
自分も二次書いてて、別の場面だけど、おんなじことをするんだよね。
二人ができたてホヤホヤの頃にいかにもイアルがやりそうって思ったんだよな。

674667:2010/08/09(月) 00:37:16 ID:Sx4LNNXT
反応ありがとうございます。
やっと半分UPしました。
ちゃっちゃと上げて終わるつもりだったのに、何故だ...orz
675名無しさん@ピンキー:2010/08/11(水) 18:31:48 ID:S6tl86J4
投下乙であります
イアエリ最大手の新作発表まで耐えてきた私たちです
できあがるまでのんびり待っていますので
そんなに焦らず急がずじっくりいい作品を書いてくださいw
676名無しさん@ピンキー:2010/08/11(水) 19:40:39 ID:R4VpadBo
>>667
もう、ストライクゾーンど真ん中です。
こんなのが読みたかった。
書いてくれて、有り難う!!
677667:2010/08/13(金) 12:53:37 ID:SaVr2AO9
オワタヨ

取り急ぎ
678名無しさん@ピンキー:2010/08/13(金) 23:14:58 ID:UhCAMu/s
>>667
最後読んでて涙止まりませんでした。
丁寧な描写で、いい意味でイアルの人間的な弱さが感じられました。
大作GJです!
679名無しさん@ピンキー:2010/08/15(日) 01:42:53 ID:fOWVaV78
>>667
ありがとう!
胸がいっぱいでそれしか言えない
680名無しさん@ピンキー:2010/08/16(月) 06:35:54 ID:rvqUr0dw
初めて肌を合わせ.....


だめだ、萌え死にそう orz...
681名無しさん@ピンキー:2010/08/16(月) 17:21:49 ID:VkzK1QHq
>>667
全俺が泣いた!!!!!
682名無しさん@ピンキー:2010/08/18(水) 07:26:09 ID:NHJM/qfA
保守
683名無しさん@ピンキー:2010/08/20(金) 11:39:24 ID:RQIVm4Gp
尼の獣奏特集まじでGJ
最初の17ページで萌えた

原作すげー

イアルさんの妹登場するみたいだねwktk
684名無しさん@ピンキー:2010/08/20(金) 22:23:39 ID:YXk/1j+p
>>667
後れ馳せながら超GJ!!
ここはホントネ申降臨率高いなw
終章で俺の涙腺が崩壊した…
また書きに来て欲しいなー(´∀`))`ω゜)ウヘヘ
685名無しさん@ピンキー:2010/08/22(日) 17:14:30 ID:buCyS8Ba
hoshu
686バルサ×タンダ:2010/08/23(月) 10:34:04 ID:1l9nRJfA
淡い春の日差しの中私は再び懐かしいこの地に足を踏み入れた。青霧山脈はすっかり春の装いを見せ青々と茂る草花は皆瑞々しく光り新しい命の息吹きを感じさせた。
私は長い旅ですっかりくたびれた短槍を担ぎ直すと懐かしいあの家に向う。途中、薬草を摘んでるあいつとばったり会ったりして……とも思ったが結局それはなかった。

しばらく行くと土壁で作られたヤクー独特の形の一軒家が見えてきた。私は黒ずみ、建て付けの悪くなった扉に手をかける。何度となく開け閉めをした懐かしい木の温もりと感触が私の胸を高ぶらせた。

「おぉい!…タンダ、いるかい?」

薄暗い小屋の中に自分の声だけが響き渡り青臭い薬草の香りと埃っぽい煤の匂いが私を包んだ。

(……なぁんだ……留守か………)

そう思った途端残念に思うと同時にホッとした自分がいてふと口元が緩む。私は辺りを見回した後、土間の端に短槍を立てかけた。久し振りに表を一回りしてこようと踵を返した時だった。

「……あっ!」

「……あ…!」

入り口の扉が開き様々な草花の入った籠を背負ったあいつが立っていた。
こんな事は慣れているとばかりに、大して驚いた様子も見せず淡々とした様子で背負っている籠を下ろすタンダ。度胸があるのかマイペースなのか……それとも私の影響か……
もし、ここにいるのが私じゃなくて山賊か何かだったら………そこまで思って私は首を振った。あまりにもバカらしい想像だったからだ。例え、ここにいるのが山賊だろうと熊だろうとあいつは今と同じような態度をとるだろう。
淡々と籠を下ろし、瓶から水を掬って喉を潤し、やっと一息ついた所でようやくその口を開き静かに相手を見据える事だろう。

「……いつ帰って来たんだ?」

「…ん?あぁ……ほんの今さっきにね……相変わらずそうだね……」

「……まぁな。とりあえず座れよ。今、お茶入れるから」

私は土間を上がり、囲炉裏の縁に腰かけた。奥の壁側がいつも私が座る席だ。しばらくすると香ばしい香りと共に懐かしいタンダ特製のお茶が運ばれてきた。
不思議なもので、このお茶を飲むと長旅の疲れが一気に吹き飛び、あぁ…帰って来た……帰って来れた……という実感が沸々と湧いてきた。
687バルサ×タンダ:2010/08/23(月) 10:35:26 ID:1l9nRJfA
半分程、お茶を飲んだ所でタンダが口を開く。

「……で、こっちには何の用だ?見たところ、傷を縫ってくれって感じじゃぁないよな」

少し微笑み、昔から変わらない暖かい瞳で私を見つめるタンダ。
カンバルからの帰り、ずっと考えていた。いや、それ以前から心の隅に引っかかっていた。タンダに対する自分の気持ちに素直になろうと…向かい合おうと決めて来たのだが結局答えは出ず此処まで来てしまったのだ。

「………用がなきゃ、来ちゃ駄目かい?」

少し俯き上目使いでタンダを見る。散々考えた末、始めに出てきた言葉がこれだ。

「…え……そ、そんな事は無いけど……いつもふらふらしてるお前が珍しいなぁ……って思ってな」

そう言ったタンダの口元が緩んでいた。

「……しばらく………」

「……ん?」

そう言ってまた俯き考えた。しばらくと言うべきか、ずっとと言うべきか……しばらくなんて曖昧に言葉を濁して又私は逃げ道を残そうとしているだけなのではないのか……
こいつの気持ちは昔から分かっていた。分かっていたのに、何かと理由をつけては逃げていた。
幸せになる資格が無いとか、こんな年増タンダだって迷惑だとか、自分は愛だの恋だのとは無縁だとか………そう思うと全てが自分のご都合主義で今まで生きてきたんだと思い、一体どれだけこいつを振り回してきたんだと思った。
私は顔を上げ真っ直ぐにタンダを見つめた。

「………っしょに……一緒に……いてもいいか?」

一瞬、タンダの瞳が大きく見開いた。

「…ん…あっ、あぁ……そ、そりゃ俺は全然構わないけど……」

そう言ったタンダは珍しく動揺しているのか、顔を赤くして私から視線を逸らした。


その日の夕飯は山菜汁と麦飯で、懐かしい味についついおかわりまでしてしまった。

「おいおい、もう若くは無いんだから気をつけないと、腹やらケツやらに脂肪が付いてあっという間にぶくぶくと太っちまうぞ」

「いーんだよ!……それとも何だい?私が太るのがそんなに嫌かい?」

「…違っ!!俺はだなぁ………」

「………俺は…何だい?」

「…も、もういい!!」

688バルサ×タンダ:2010/08/23(月) 10:43:16 ID:1l9nRJfA
口を噤んだその先が知りたかったが、これ以上食い下がってもこいつは絶対に話してはくれないだろう。
そんな、何でもない会話をして久し振りに楽しい食事をした。こんな毎日がずっと続くとは思ってはいないけど、少しだけそんな小さな夢に身を委ねていたいと思った。
春とはいえ、まだまだ夜は冷える。囲炉裏の中でパチパチと揺れる炎の光りと温かさが何とも言えず心地良い。そして、手を伸ばせば触れられる所にいるタンダ………
私は俯いたまま胡座をかいて座っているタンダの太股に触れた。ピクリと筋肉が震え温かい感触が衣越しにも伝わってくる。

「……バルサ?」

俯く私を覗き込むタンダ。顔が熱かった。近くで揺れる炎のせいではない。頭がぼぅとし、目頭が震える。じゅわっと胸から何かが込み上げてきた瞬間私はタンダに飛びつき組み敷いていた。

「…ちょっ!…ッおぃ…っん……」

驚きの表情を浮かべ何かを言いかけていたタンダの言葉を遮るように唇を重ねた。両肩を押さえつけ口内を弄っていく。
温かくぬめる舌と舌を絡め、夢中で唇を吸う。そのうちタンダは私に身を任せるかのように大人しくなくなった。両肩を押さえつけていた私の手からもフッと力が抜ける。
その瞬間温かい腕に抱きしめられ身体が宙に浮いた。それと同時に背中に伝わる床の感触、近い距離に見上げたタンダの顔……

「……ふ……やるね……私を押さえつけるなんて……」

今度は逆にタンダに馬乗りに押さえつけられた。こんな事は初めてだ。

「……散々…待たしといて……人の事を何だと思ってんだよ……もう……待たないからな……」

私の瞳に映るタンダの黒い瞳が揺れている。私は静かに目を閉じた。

※初めて書いたものなのでお見苦しかったかも知れません。このままエロ展開に持って行って良いものか分からなかったので、とりあえず此処までで……
689名無しさん@ピンキー:2010/08/23(月) 19:31:47 ID:YSpo1woA
ここで寸止めして誘い受けとかw全力で釣られてやんよ!!!


続きの投下を心待ちにしておりますよ。それまでこのスレの守り人してます。
690名無しさん@ピンキー:2010/08/23(月) 22:41:00 ID:fg/MlEJQ
どうか続きの投下をお願いします神様…。
691名無しさん@ピンキー:2010/08/24(火) 21:33:28 ID:PIPWSPOI
続きが楽しみだわ
692バルサ×タンダ:2010/08/27(金) 10:26:19 ID:SHS/m6R0
>>688 続きになります。バルサ視点からタンダ視点に変わります。

―……幾度となくバルサの身体は見てきた……歳のわりには弾力のあるその肌に触れ、燃えるような熱い血肉に指を絡め、針を刺し、薬を擦り込み散々痛みや悲しみ、怒りを分かち合ってきた……
なのにお前ときたら何でもかんでも一人で考え込んで背負っちまって挙げ句の果てには黙って俺の前から姿を消して…それで次に会えたと思ったら何時も血だらけのボロボロで……
もう、こんなどうしようもないおばさんは何処探してもいなくて、でも放って置けなくて……ってずっと待ってるだけなんだけどコレが結構キツくって……
だから、ただ無傷で俺の目の前に居る事が夢みたいな事で……用が無いのに俺の所に帰って来たって聞いた時、凄い嬉しくて………

「……バルサ……」
互いの息遣いまで分かる距離。彼女は静かに目を閉じながら薄く唇を開き少しだけ口角を上げた。それをこれからする事の同意と捉えた俺は再び彼女の唇に触れる。今度は…俺から………
絡めた舌は山菜汁の塩気が僅かに残っていた。それを味わうかのようにバルサの口内を犯していく。ハァ…ハァ…と肩で息をし次第に荒くなる息遣い。まるで蜘蛛の子のように細く透明の糸を引き離れた唇。数秒にも、数時間にも感じる口づけ………
先程より弱まった囲炉裏の炎は時折ゆらりと揺れながらぼんやりと二人の影を照らし出す。互いに想う事、言いたい事は山ほどあるのに言葉となって出てこない……変わりに瞳は熱く潤み、芯から高揚し汗ばんでいく身体………
俺はバルサに覆い被さったままゆっくりと唇から首筋に舌を這わせていく。一瞬だけ甘い柑橘系の香りが鼻を掠める。それと同時にピクリと揺れるバルサの睫毛……。
しっとりと汗ばむ首筋に顔をうずめながら腰に巻かれた帯を解く。合わせた襟元を払うように手をかけると微かな衣擦れの音と共に意図も簡単にバルサの身体が露わになった。
693バルサ×タンダ:2010/08/27(金) 10:27:54 ID:SHS/m6R0
綺麗な……と言ってもバルサにとって綺麗な身体とは打撲や骨折、流血をしていない身体であって、普通の女のように傷一つ無い陶器のような身体の事では無い。
だけど、その身体に刻まれた傷痕はどれも見覚えがあり、全て自分が縫ってやったり、治療を施したもので、こんな事本人には言えないが、何だか自分とバルサの歴史が刻まれているようで愛着さえ湧いていた。
それらの傷痕一つ一つに指と舌を這わせゆっくりと愛触していく。左肩、脇腹、右上腕、そして左胸……
「……っ…ぁあ……」
小さく声を洩らしビクッと身体を震わせるバルサ。子供を産んでいないせいか瑞々しく張りがありまるで少女のような二つの胸の頂は綺麗なピンク色だ。そんなバルサの胸を優しく包み込むように揉みしだいていく。
「…っぁ……っん…」
徐々に硬さを増していくそのピンク色の頂。つつーとその周りを舌でなぞった後テロッっと舌先で舐め掬った。
「…ぁひっ!!……っ…くっ……」
その武人としてのバルサを冒涜するかのような豊満な胸がぷるんと揺れる。
眉間に皺を寄せているのに、艶っぽく潤んだ瞳が俺を捉えて離さない。両手いっぱいに胸を掴み揺すりながらその先端を交互に口に含む。ころころと口内で転がすと苦痛に堪えるかのような甘く切ない声をあげるバルサ。
「……っぁぁ……っふっ……」
胸に顔をうずめる俺の肩を掴み押しているのだが全然力が入っていない。色っぽく乱れた細い茶褐色の髪が汗ばんだ肌や濡れた唇にへばりつき、イヤイヤをするように髪を振り乱す。
それを拭うようにバルサの顔に触れると彼女はピクリと震えた後薄目をあけて口を開いた。
「……あんただけ……ズルいよ……」
そう言った彼女の右手は何時の間にか俺の腰に回され股関部分をさすっていた。
「……あっ、あぁ……」
まさかバルサの方から求めてくるとは思ってなかった俺は少しだけ面食らった。
「……ふっ…何なら私が脱がせてやろうか?」
そう言った彼女は悪戯な笑みを浮かべる。
「…そっ、その位自分でやるよ!」
俺は着ていた着物を脱ごうと手をかけた時だ。
694バルサ×タンダ:2010/08/27(金) 10:35:36 ID:SHS/m6R0
何やら強烈な視線を感じその視線の先に目をやる。するとそこには俺の身体をじっと見つめるバルサがいた。遠慮も無くまるで観察でもするかのように視線を這わせている。
「…なっ、何だよ!?」
「…ん……いやね、薬売りにしちゃ、いい身体してるな……って思ってね……私がいない間何かやってたのかい?」
「いっ…いいだろ!!……別に」
―……はい。やってました……なんて言える訳がなかった。
流石に25を越えた辺りから体力の衰えは感じていたが、何より自分より年上のバルサが均整のとれた美しい筋肉を保持しているのに、年下でしかも男の自分がぷよぷよなのはどうかと思い、バルサのいない間は毎日筋トレを欠かさなかったのだ。
バルサに気づいてもらえただけで、相当嬉しい今の自分は一体どんな顔をしているのだろう……そう思うと面と向かってバルサに向き合えなかった。
上の着物を脱ぎ終え下のズボンに手をかけようとした時だ。下からバルサの手が伸びて来て俺の手を制した。
「……私が……」
彼女はそう言うと上体を起こし俺の前で跪くとズボンのウエストに手をかけた。そして焦らすようにゆっくりと下ろしていく。勿論、俺の股関は既に硬く隆起している。
スルスルと脱がせていた手がピンと張った股関部分で止まった。バルサはちらりと上目使いで俺を見た後一気に膝までズボンを脱がす。そして躊躇う様子も無く俺の男根を握り扱き始めた。
「…ちょっ!…おい、バルサ……!?」
「……ん?」
そう言うと同時に彼女は俺の男根をかぽっとくわえ込んだ。熱くぬめる唾液を絡めジュポジュポと派手な音をたてながら懸命にしゃぶりつくバルサ。身体中の血液がそこに集中しているかのように、熱い血の巡りを股関部分に感じる。
「……っつ……ぁ…」
カンバル人の女はいきなり男のモノをくわえるのに抵抗は無いのだろうか?それとも俺意外の男に……などと下らない妄想が一瞬頭をよぎる。しかしそんな考えや思考はすぐにバルサの口の中で泡のようにとけていった。
リズミカルに頭を揺らし、右手で袋をマッサージするように優しくさするバルサ。何時の間にか俺は彼女の頭に手を当て抑えつけるように腰を振っていた。
ぞくぞくと、背筋を這い上がってくる快楽の波に堪えるように歯を食いしばるが、そんなに堪えられそうもなかった。
695バルサ×タンダ:2010/08/27(金) 10:44:18 ID:SHS/m6R0
「…バッ…バルサ……っ、もう……駄目だ……」
「…っん………い…いよ……出しちまいな……」
そう言うなりキュッと口を強くすぼめさっきよりスピードを上げてしゃぶりつくバルサ。
「……っぁ、……い…ッもう……」
囲炉裏の火の粉がパチンッと弾けた音がした。それを合図にするかのようにドクンと脈打つ男根。白濁した液体がバルサの口の中に無遠慮に放出された。
口いっぱいに俺のモノを受け止めた後ゆっくりと男根を離していくバルサ。そしてクチュと唾液を少しだけ溜めると囲炉裏へ向かってそれをペッと吐き出した。直ぐにジュワっと炎と灰が包み込む。口の周りをテカテカと光らせ微笑を浮かべたバルサがそれら拭いながら言う。
「…随分と濃いねぇ……だいぶ溜まってたのかい?」
「…うっ、うるさい!」
赤面した俺はバルサを見る事が出来なかった。彼女に背を向けたまま土間へ向かう。湯のみを二つ用意し瓶から水を掬いながら少しだけ振り返ると、ぼんやりとした優しい灯りに照らされた彼女が膝を抱え、弱々しく揺れる炎をじっと見つめていた。


……と、とりあえず此処までで……。689 690 691様細切れですみません。さて、この後二人の合体でも………
696名無しさん@ピンキー:2010/08/27(金) 18:06:06 ID:QCepRFCK
>>692
乙。
おおむねGJなんだが、現代語と横文字はちと萎える。
ピンク、筋トレ、ズボン、ウエスト、リズミカル、マッサージ は、別の言葉に置き換えてはどうだろうか。
697名無しさん@ピンキー:2010/08/28(土) 00:14:50 ID:/+IiLK5Q
乙、続き待ってるよ!
698名無しさん@ピンキー:2010/08/28(土) 08:13:27 ID:aVLe3LX2
>>696
なるほど〜!現代語無意識に使ってた……ありがとう!次からは意識して書いてみる
699名無しさん@ピンキー:2010/08/29(日) 13:05:08 ID:TGxzkiXP
>>696
たしかに、アニメ守り人で、バルサが「フォーメーション」って言ったときみたいな違和感があるなw
あれ未だに制作サイド(神山氏?)の判断ミスだと思う
なんで「陣形」とかじゃいかんかったのかね
700名無しさん@ピンキー:2010/08/29(日) 13:39:54 ID:BTPl52b4
>>699
あれと“メンテナンス”はバルサが異国語を話せるということを表現してるらしい。
701名無しさん@ピンキー:2010/08/29(日) 22:01:18 ID:eECJC5Av
>>700
そうそう、1話冒頭の「メンテナンス」はバルサが外国語の単語を使って喋ったシーンだから、
会話してるおじさんも「?」ってなって通じて無いんだよね
いわゆる(?)神山演出

>>692
タンダ視点のほうが好きだな、二人の関係がしっとりしてていい

時期的には、闇の後すぐに花に突入しないでタンダのとこに帰り着いたら…って感じかな
タンダに両腕ついてるよね

上橋作品は人名以外は極力カタカナ語は避けるのが吉だよ!
ピンク→桃色、桜色、ズボンのウエスト→筒袴の腰紐 で変換できるが、
リズミカル、マッサージは変換しても前後に被る単語があるから削除の方向で脳内変換するといいとオモタ

筋トレは…毎日薬草取りに山道を歩きまくってるタンダに必要かな?
飽食社会じゃあるまいし、無駄に腹を減らす運動をするって概念がちょっと…
激務のバルサに脂肪がついて太るってのもなあ
毎日三食必ず食べられるとも限らんし

しかし雰囲気はいいんで、次も期待してる
702名無しさん@ピンキー:2010/09/01(水) 21:33:56 ID:cIv5tde4
>>692 GJ!

ところで現在486KB、次スレの季節ですよ
一週間放置で落ちますよ
703名無しさん@ピンキー:2010/09/03(金) 00:05:40 ID:OYGD/B0e
保守
704名無しさん@ピンキー:2010/09/03(金) 20:52:33 ID:GryutR2v
明日は「刹那」の発売日か! wktk

ところで、以前拾ってきてあった

・書き込みが950以上になるか、容量が450kを超えたら次スレッドを宣言してから立ててください。
立てられなかった場合は他の方にお願いするためその旨申告お願いします。

ってやつは、流れの速いスレの数字だよな、前スレが落ちた頃ならこれでよかった気もするが
今くらいの進行状況なら

・書き込みが980以上になるか、容量が480kBを超えたら次スレッドを宣言してから立ててください。
立てられなかった場合は他の方にお願いするためその旨申告お願いします。

くらいでちょうどいい気がする。
他に入れたほうがいいことあれば増やしてもいいが、大幅に荒れたわけでも無いし、いいかな?
1日待って、特に異論なければ立てる
705名無しさん@ピンキー:2010/09/04(土) 01:41:00 ID:vvXaiRoy
次スレ立てたよ

【精霊の守り人】上橋菜穂子総合3冊目【獣の奏者】
http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1283531899/
706名無しさん@ピンキー:2010/09/04(土) 13:24:52 ID:gCwY8aDv
>>705
乙デス
でも規制に引っかかっているのか、みなさん静かですね。
707名無しさん@ピンキー:2010/09/04(土) 19:48:04 ID:W6k3QUzI
即死回避に新スレの方にカキコミお願いします
こちらは触らなければ一週間で落ちます
708名無しさん@ピンキー:2010/09/10(金) 20:49:43 ID:bwBNIJ91
>>677
ほんとにこの作品に出会えてよかった!!
感動で前がみえん。。乙でした!!
また読み返してくる!
709名無しさん@ピンキー
あー、規制解けてやっと書き込める。
新刊発売で盛り上がっている最中のはずなのに、文芸板の上橋スレはじめ関連
スレが落ちてて心配でした。

>>708 さん
677です。ありがとうございます。
正解が発表された今となってはアナザーストーリーになってしまいましたが、
楽しんでいただけて嬉しいです。

刹那を読んでいて、このスレで読んできた皆さんの作品の片鱗が何度も浮かん
できて、不思議な気持ちになりました。
探求編・完結編の数少ない描写の行間から精一杯想像を膨らませてイアエリの
人生を補完しようとしてきた、スレ住人の皆さんのこの作品への愛をあらためて
実感してます。

上橋先生の獣5冊分の世界がきれいな球体として中心にあって、そのまわりを
皆さんの作品がいくつも層をなしてとりまいているような、あるいはパラレル
ワールド的小宇宙として漂っているような...。
私にはもはや、原作とこちらの名作の数々は不可分のものになってしまってい
ます。
まだまだ妄想の余地はあると思うので、是非ネ申さまがたにはまた筆を執って
いただきたく...。