切っ掛けはほんの些細なことだった。
取るに足らない、赤の他人ならば素通りするほどの、
しかし彼の眼の前に立ちふさがるには十分な理由。
彼女はそうしていつものように彼の前に立ち、
彼の前で顔面に心にもない怒りを見せ、
周囲に電撃を放って人払いをし、
全く常のように人差し指を突き付けながら宣言した。
「今日こそはあたしと真っ向から勝負しなさい!!」
そんな本当に焼き増しの様な光景の中、
ただ一つ異なっていたのは……
「悪いけど、退いてくれないかビリビリ」
少年が普段よりも焦燥感に駆られていたことだけ。
「勝負ならまた今度してやるから、今は退いてくれ御坂。
ちょっと上条さんは予定があって急いでるんだ」
「あたしがそう言われて、はいそーですかって言う馬鹿に見えるのかしら?
今日と言う今日こそは逃げずに、戦い、な、さ、い!!」
「う、うぉッ!あ、危ねぇ!!」
辺りに轟音をとどろかせながら放たれる電撃を、
慣れた様子で右手で弾いていく少年に、
苛立ちながらも楽しくなる少女。
「危ないと思うなら、もう少しそういう仕草をしてくれない?
仮にも学園都市最強の電気使いのあたしの攻撃を、
そこまで簡単にあしらっておいて、『危ない』は無いわ」
「いや、危ないのはそれじゃなくて……」
「は?なに、あんたはこのあたしのコトは眼中にないってこと?」
「そうじゃなくて」
歯切れ悪くうろたえながら、少年は少女から視線を外し、
ポケットに右手を入れてきょろきょろと周囲を眺め始めると、
不意に公園の方を向いて顔面の焦りの色を五割増しにした。
「やべぇ、もう時間が」
「敵から目を離して、ずいぶん余裕じゃない?」
「ッ!?う、おッ!」
それは公園の時計台の文字盤に集中していた少年にとって、
予想外にして意識外の不意打ちに近い攻撃。
普段ならば余裕を持って対応できるはずの電撃に驚き、
経験と勘で次に備える、少女の持つコインへの防御行動として、
右手を大きく突き出して、飛びさがって距離を取ろうとした彼は、
「しまっ……」
その拍子にズボンのポケットから、薄桃色の物体を落とした。
「封筒?」
ゆっくりとポケットから地面に向かって自由落下を続ける、
女の子の文字で宛先の書かれた少年宛の淡い色合いの封筒。
飛びずさった姿勢のまま、懸命に、電撃に対する防御ではなく、
ただ、その物体を掬い取るために、手を伸ばす少年。
一瞬のうちにその光景を眼にした少女は、
刹那の思考を経て一つの結論を予想する。
……また、他の……
そして、自分でも気づかぬうちに電撃の照準をずらすと、
何一つ迷うことなくコインを爪弾いた。
その事実を少女が認識した時には、
焼け焦げた封筒に入っていたであろう紙切れ……
恋文でもなく手紙でもなくただの交通機関の切符と、
学園都市からの家に帰るための外出許可書を拾い上げて握り締めた少年が、
彼女が見たこともない様な表情で睨みつけていた……
自分の目で見ることはおろか、
向けられることさえ予想しなかったその憎悪の瞳に、
言い知れぬ感情を胸の内で渦巻かせていた少女の耳に、
絞り出すような少年の声が聞こえてきた。
「俺が」
「え?」
普段の少年らしくない、消え入りそうな声に、
我に返った彼女は慌てて聞き返そうと、一歩踏み出し、
「俺が何をした、って言うんだ」
まるで足を縫いつけられたようにその場に立ち尽くす少女。
「答えろ、答えろよ御坂」
「そ、それは……」
糾弾と呼ぶにふさわしい彼の言葉に、
それでも彼女は下唇を噛んでいつものようにメダルを持って、
少年の眼光に対し真正面から睨みかえす。
「ちょっと、ちょっとだけ、手元が狂っただけじゃない!
そりゃ、何かは知らないけど駄目にしちゃったことは謝る、けど……
でもあ、あんたが、その、あたしを無視して……」
しどろもどろに答える少女は、しかし、
あくまで自身の内に秘めたる気持ち……少年が自分よりも、
他の何かを優先したことに対する、幼子の様な嫉妬を認めるほどには、
身も心も成熟していなかった。
「だから、あれは仕方がない、ことで……」
そんな言いようのない怒りにまかせて、
喚き散らすだけであった彼女に対し、少年は低く暗く呟く。
「そうかよ」
その地の底深くから聞こえてきたような言葉が耳に入ると同時に、
少女の頬には今まで感じたことの無い衝撃が飛び込んできた……
「えッ?」
痛みよりも恐怖、恐怖より疑問、疑問よりも驚き、
そして驚きよりも不可解が彼女の脳裏に刻み込まれる。
「え、い、いた、い?」
頬の熱さが、鼻と眼球と脳裏に行きわたり、
滲む眼下の地を一滴ずつ黒く、また赤く染めていく。
「俺とケンカがしたいんだよな、御坂?」
その言葉に彼女の体が無意識に震えだした。
「けん、か?」
「どうした?ボサっとしてんなよ」
自身の最大の武器であり得物である右手を振りながら、
少年は地に這う少女の許へ一歩ずつ歩き始める。
「え?何で、痛い。痛い痛い痛い痛いよ、ねぇ、痛い」
「当たり前だろ。ケンカしてんだから、なっと。
ほら、ぐずぐずしてるとまた……
…………殴る、ぞ?」
「いやぁッ!?」
冷酷な言葉に恐慌し、慌てて手にしたメダルを握りしめ、
危険な対照を排除するために彼女は少年に照準を定め、
「遅ぇよ」
それを少年の右手が一瞬で握りしめる。
「あ、あくぁッ!」
「どうした、これじゃケンカになんねぇな」
言い放ちながら少年は彼女の手をそのままひねると、
そのまま硬い地面にうつ伏せに組み伏せた。
「い、いぎゃ、痛いッ」
「あまり大声出すなよ。ったく……」
迷惑そうに呟く少年は、手にしたままの焼け焦げた封筒に目をやると、
さらに瞳の色を昏く沈めて彼女の髪の毛を引っ張りながら呟く。
「もう、これは使いもんにならないから……とりあえず咥えとけ」
「ん、んぐッ!」
口内に焦臭と違和感が広がり身悶えする少女に、
彼は本日何度目になるか分からない嘆息を吐いた。
「ったく、ケンカ吹っかけてくるのはいいが、
学園都市が誇るレベル5にしちゃ、動きがお粗末だ、ぜ!」
「ッ!!〜〜ッッ!」
風を切る音、肩に走る激痛、中で何かが軋む音、
手離されてにもかかわらず何の抵抗もなくゆっくりと落ちていく右腕。
「ケンカ、ってのは相手を痛めつける行為だからな。
できれば上条さんとしてはやりたく、なかった、わけ、だが」
脇腹、背中、肩、太もも、頭……ありとあらゆる場所に、
少年の右手が深々と突き刺さり、そのたびに少女の体と心を痛めつける。
「お前の口の中の封筒な、俺の両親がたまには帰って来い、
って送ってきてくれたもんなんだよ」
「一般家庭の上条家には安くはない切符、それも往復券に、
わざわざ学園都市から出るのに必要な書類も合わせて、
送ってきてくれたもんなんだよ」
「ギリギリとは言え、ようやく外出申請に許可が下りて、
準備もろくにせず急いで飛び出して来たって言うのに……」
「どうしてッ、お前はッ!邪魔ッしたんッだよッ!!」
「う、げぇ、が、っは、ケホッけほごぼ」
胃の内容物と共に、ズタボロになった封筒と心を吐き出す少女。
あやうく吐瀉物が逆流して喉に詰まる寸前だった彼女に、
彼は傷ついた拳を振り上げると、静かに聞いた。
「これで、満足か?」
開きづらくなった両目を閉じ、かろうじて動く腕で頭を抱えながら、
足元に転がる彼女を冷酷に見下ろす少年に、
「ご、ごめんなさい、許して、ごめんなさい、ごめんなさい、許して、ごめん
なさい……」
滴る血と涙を拭うこともせず、体を丸め震える少女。
そんな彼女の、血と泥と胃液に汚れた衣服の、常の彼女が見せない姿に、
彼は嘆息を一つ吐くと、無理やり少女の細い足を持ち上げ口を開いた。
「もし俺がスキルアウトの連中なら、常盤台のレールガンに対して、
このままで終わらせないだろうな。お前はそんな展開が望みなのか?」
「え、なに」
戸惑う彼女に対し、言葉を返さず少年は、
彼女の足をブロックの上に置くと、静かな声で言った。
「このまま俺が足を踏みつぶしたら……どうなるか分かるか?」
その質問の答えに意図に、優秀な頭脳を持つ少女はすぐに気づくと、
「い、いやぁッ!」
身をよじって少年の手から離れて、傷ついた体で這いずっていく。
「いや、もういや、やめて、こんなの、違う」
「やれやれ」
歩くことを忘れたように、ナメクジの如く這う彼女に、
彼は静かに歩み寄ると、別人のように冷たい声でささやいた。
「それとも、こっちの方がお好みか?」
その言葉と共に、彼女が履いていた短パンを掴むと、
何の感情も見せずに一気に引きはがした。
「ひッ、や、やぁッ!」
「ケンカしてお前は負けたんだ。
当然、こうなるってことは分かってるだろ?」
非情なルールを説明する間も、
少年は淡々と少女の衣服を布切れに変えていく。
「だって、こんなの、あたしの知ってる、あんたじゃ、ない。
あたしが、知ってるあんたは、こんなこと……」
今までの少年との関係に想いを馳せる心と、
現状を拒む心と、逃げようとする心と、
壊れていく心がせめぎ合う中、少女は儚く呟き……
心の中とは別人の少年が無表情に答える。
「なら、お前のその幻想をぶち壊してやるよ」
「い、いやあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」
「……昨夜未明に発生……大規模停電について……は、
心神喪失状態で保護され……レベル5能力者が関……いると推測……
なお……の際発生した……を浴びたとみられ……少年の遺体が……」